初雪と出会った日
「こちらの通信機器から、今ロドスに来てもいいと仰っている特定の人物をオペレーターとして迎える事が可能ですよ、ドクター。」
と、言いながら茶色い毛並みにうさぎの様に長い耳を頭部から生やした少女が末端とロドス人事部が特別に1枚だけ発行した指名権を渡して来た。
目が覚めて間もないせいでロドスのドクターと言われても大した実感も無く、言われるがままに末端に表示される情報を流し読みしていく…正直誰でも良かった。
なんせ目の前のこの少女は自分を『記憶にない名前で呼び』果てにドクターとまで付けるのだ。
全く身に覚えのない名前と役職だがそれでも今下手な行動をする事は懸命ではないと、本能的に悟ってとりあえず与えられた情報に頷くことを優先した。
「……4人、候補がいるのか。」
ふと、とある人物の項目でドクターは手を止めて情報の欄を読む。
『働きたくないのだ』と目立たないように記入されたそれに思わず頬が緩むと同時にこれくらいの人物だったなら自分も気負わなくていいとそのまま選んだのだ。
そしてロドスにやってきたのは、純白の……目が覚めるような新雪を彷彿とさせるかのような女性だった。
初めまして、なのに関わらず尾がゆるりと揺れるのを感じて胃の腑がソワソワとした。
「あのぅ……身共の顔に何か付いているでしょうか?」
と何も言わず己を凝視してくるドクターに困惑と若干の引きを感じさせながら彼女……プラマニクスは尋ねた。
見蕩れていた状況から現実に戻ってくれば、「いや、別に。それより良ければ秘書にならないか。」とぶっきらぼうな返しからの突飛な提案が口から飛び出していたのだった。
一目惚れだと、何となく理解してからドクターは頭を抱えた。
過去が分からず、自分が何者であるかもしっかりと確信が持てない役職と名ばかりの男が……イェラグ宗教国家の事実上のトップに片思いなどしても及ばぬ恋は馬鹿がする……到底叶う事なんてないと。
「まして、あんまりに美人いや可憐……過ぎる……俺がそんな新雪を踏み荒す様な事は出来ない………。」
「突然どうしたんですかドクター、理性無くなりましたか。」
仕事部屋の椅子にもたれかかりブツブツと独り言を言っていたつもりがいつの間にかアーミヤが来て不審者を見る目で見ていたようだった。
「……不法侵入か?」
「ノックもしたし声掛けもしましたよ!!ドクターまだお仕事があるのでぼんやりしないでください!」
とだけ言って机にドサリ!と鉱石病を患っているオペレーターや職員の事をまとめた資料、戦術の提案書等まとめた物をアーミヤは置いた。
「これ、今日までに目を通してサインしておいてくださいね?私は人事部とのお話があるのでこれで…。」
冷酷ともとれる発言をして颯爽とドクターの仕事部屋を去っていく背中に何も言う暇もなかった為ドクターは無言でアーミヤが出ていった出入口と仕事の山を交互に見たあとそっと通信機を起動させた。
「………仕事を手伝え、と言う事でよろしいでしょうか?」
着任時の謎の無言凝視といい、それからの秘書任命で明らかに不信感を滲ませるプラマニクスを呼び付ける図太さを発揮したドクターに書類の山をちらりと見てから『やはり』といった様に心底嫌そうなオーラを揮発させたプラマニクスがそう投げ掛ける。
「……ソファに座ってお菓子でも食べててくれないか?」
「はい?」
ドクターの予想から大きく外れた発言に間髪入れずに困惑しきった返答を返すのは至極当然の事であった。
「仕事が多すぎるから来てくれ。ドクター命令だ」と言われてプラマニクスは働かせされるのだと、とてもげんなりして嫌々来てから書類の山を見て更に肩を落としそうになったというのに肝心のドクターから言われたのは『お菓子を食べててくれ』だったのだから、プラマニクスはいよいよこのドクターが何を考えているか分からなくなっていく。
「……俺は仕事をする、プラマニクスはお菓子を食べる………確かここに……あった、これとあと……多分…これだ。」
喋りながら自分の机の引き出しをあけ、次々とスナック菓子やチョコバーのような物を取り出して置いていくドクターの行動……奇行をただプラマニクスは見つめているしかできない。
「……たしか、働きたくない。と言ってたな?なら俺の傍にいるといい、ドクターと共に働いているんだろうと勘違いして他の作業を押し付けられる心配が減るぞ。」
そう言うとガサッとプラマニクスの近くにお菓子の山を押しやる。
「えぇ、まぁ確かに休める時は休みたいと申しましたが……本当にいいのですか?」
「…あぁ、………俺が1人で作業したくないだけだから、これもお前の業務の内だ。」
では、と言ってすぐに書類に向いたドクターにそれ以上突っ込むことも出来ず完全に手持ち無沙汰と化したプラマニクスは、とりあえずお菓子の山を手にソファに座った。
不定期に聞こえる資料をめくる音や、末端をタップするドクターの指の音。
それからプラマニクスが時々食べ進めるお菓子の包装を破る音と咀嚼音だけが響く部屋の異質とも言える謎の空間に、きっとドクターが目覚めてからすぐに着任したエクシアが来たならば「なにこの空間…え?」と突っ込んだこと間違い無しであろう。
1人で作業したくない、は半分嘘で半分は本当だった。
正確には「プラマニクスが傍にいたら仕事が捗りそうなのでプラマニクスに傍にいて欲しい」なのだが出会って間もないのにそんな事を告げれば間違いなく、距離は空いたままどころか更に離れてしまう事になるだろうとドクターは分かっていたのだ。
だからこそ告げた言葉選びは間違っていなかったようで、プラマニクスも黙々と自由に何もしない時間を謳歌している様子だった。
しかしそれも長く続くとは限らない。
なんせプラマニクスにとって何もせずにただお菓子を食べるだけというのも居心地がいい訳では無いのだから。
じわじわと何かすべきだろうか、と言うのを考えはじめてしまうものだ。
「あの……」
「………ん、喉が乾いたな確かあっちに水のボトルが…」
「いえ、そうではなく…」
プラマニクスの声に飲み物はあっちだと資料から目を離さず指を指すドクターの言葉にプラマニクスが否定で返せば、ドクターは顔を上げて視線をプラマニクスに向ける。
「………なにか?」
「身共にも何か手伝える事はありますか?」
その言葉にドクターは僅かばかりに驚いた様で目を向いてプラマニクスを見る。
「……進んで働きたくないのに?突然どうしたんだ。」
「割と失礼ですね。呼ぶだけ呼んで何もさせずにお菓子だけ与えるなんてワケの分からない事をさせるドクターも中々にどうしたんだ、ですよ。」
失礼、と言われてあからさまにショックを受けて耳を項垂れさせるドクターにプラマニクスも「どうして落ち込んだ風なんですか」と更に問い続ける。
「……いや、気にするな。……だったら気だるそうなプラマニクスでも面倒だと感じなさそうな作業を………。俺が目を通した資料に、不備が無いか確認してくれ。」
相変わらず耳を項垂れさせたまま、一応目を通し終わった書類と末端内にある情報をもう1台に反映させるとドクターはそれらをプラマニクスに手渡した。
「面倒だと感じなさそうなって……一言二言多いって言われる事はありませんか?」
「……何を考えているかよく分からない、は言われる。」
「あ、ロドスの皆さんもそう思ってるんですね。」
等と言い合いながらもプラマニクスは一応渡された物を手にソファに向かうとそれらに目を通し始めた。
ドクターの謎のペースに飲まれて何故か当たり前の様に言われた言葉に返答が出来てしまう。
それが少し、不思議に感じるプラマニクスであった。
それからしばらくして、ドクター指示のもと初陣を果たしたプラマニクスはロドス内で過ごす時とは打って変わって驚くほどテキパキと喋り明瞭かつ的確に指示を出すドクターのギャップに驚いたのだが、他のオペレーターからも「あれ初めは驚くよね」と言われてしまったのだった。
ーーーーーーーー時間軸????ーーーーーーーーー、
「むぅ………、今……何時ですか…。」
「昼を過ぎたくらいだ、眠り巫女。」
ソファから起き上がりくぁ…と控えめに手で覆いながら欠伸をし、腕を伸ばすプラマニクスの身体からズルリ…とドクターのコートがずり落ちた。
床に全部が落ちる前に慌てて抱き寄せるとコートを抱きすくめる形になる。
ドクターは顔を上げて背中をバキリと鳴らしてからそんなプラマニクスを見ている?
「……臭うか?」
と不安そうに聞いてくるドクターに思わず笑ってしまうが、そんなことはない、と首を振った。
「いえ、そんな事はないですよ?それより、ありがとうございます。」
「……ならいい…。ん、気にするな。」
それだけ短く返すとまた机に向きなおろうとする。
はたと、先程まで夢で見ていた懐かしい光景を思い出して今と比べる。
最初はこの仕事用でしかない部屋は簡素なソファと、仕事をする為の机にせいぜい少しだけ物が置けるテーブル位しか無かったのに、いつの間にやらお菓子や紅茶用のポットを収納する開き戸の棚が取り付けられ、ソファも柔らかくいいものに変わりテーブルも立派になったのだ。
それも全部、プラマニクスと過ごす空間をより良くしたいと思ったドクターの計らい…というか独断での行動だった。
「……なにを1人で笑っているんだ?」
「いえ、夢でこの部屋に初めて来た時の事を見ていたので……少し思い出していたんですよ。」
「…………そ、うか…。」
視線を泳がせるドクターが、心の内でのたうち回る程プラマニクスへの想いを募らせているとは知ってか知らずかプラマニクスは柔らかく微笑んでいる。
「ふふ、えぇなので今回は久しぶりにお手伝いしてあげましょう。」
「む……、寝起きで作業するのか。」
「寝起きだからこそ英気を養ったばかりで作業に丁度いいのではないですか。あ、ただしあの日の様にドクターが目を通し終わった物を再確認する作業ですが…あ、あとお菓子も欲しいですね。」
そうコートを膝掛けの様にしながら、ドクターに笑いかけるプラマニクスを永遠に見ていたいとドクターは思いながらそれをお首にも出さずに椅子から資料と末端を手に立ち上がる。
「それなら、これを頼む。……あと菓子だったか。」
そう言うといそいそと棚に向かって行き戸を開けてお菓子と…それからポットも取り出した。
「……これでいいか?」
と、ドクターはプラマニクスの前にお菓子と紅茶を入れたポットを用意して腕を組む。
流石にここまでされた事にプラマニクスも目を丸くしていたが、ドクターはそんなプラマニクスを凝視して(今日もなんて綺麗な目だ…可愛いな)等と考えている。
「ここまでされては、私も少しは頑張って差し上げないとですね。」
と両手を膝の上に重ねて置くと、綺麗な背筋で胸をはっている。
「……俺の指名券の使い方も、なかなか優秀だったな。」
そう小声で言えばプラマニクスはドクターを見上げてまた微笑んでいたのだった。