夜凪景は対価を払おうとした
大好きな母のいない生活は、しかしその空虚さという意味で、景の心を蝕んだ。もしルイとレイがいなかったら、景はここで壊れてしまっていただろう。心が壊れて自暴自棄になった美少女の人生は、あまり良い方向に進むとは思えない。
尤も、この時点でルイとレイ以外にも景の心の拠り所となる身内はまだ残っていた。それはもちろんいなくなった実の父親などではなく、母方のイトコである
景の四歳上のイトコである樹は、いまは離れて住んでいるためここしばらくは直接会うことはなかった。そのため一時期ほどの交流はなかったが、定期的にメッセや通話のやりとりはあり疎遠というほどでもなかった。
最近は少し気恥ずかしかったが、親しみを込めて景は小さな頃から「樹おにーちゃん」と呼んでいた。いまでもうっかりするとその呼び方が出てしまうくらいには、彼に対して気を許している。
もともと小さい頃から親戚付き合いがあった二人の仲は良かった。実の妹同然に大切に可愛がってもらってもいた。
景の記憶にはかけらも残っていないが「おにーちゃんとけっこんする」と騒いで樹の両親を大喜びさせたこともあるらしい。その時の樹本人の反応は結局教えてもらえなかったが。
小学校の頃は樹が家族とともに近所に住んでいたこともあり、いつも一緒に遊んでいた記憶があった。イトコだが気心の知れた幼馴染と言ってもいいだろう。色気はないとはいえ幼い頃から整った顔立ちの美幼女や美少女だった景を狙う、おかしな男たちから守ってくれたことも幾度となくある。
幼い子供が無条件に自分を守ってくれる存在に心を許すのは、ごく自然な流れだったと言えよう。景の場合はそれが母親であり、もうひとりは樹だった。色んな意味で学校で浮いていた景に、他に親しい友人や異性はいなかった。
葬式のあと、小さな家族三人だけの生活がしばらく続いた。襲いくる寂しさと生活の苦しさに中学生の少女が音を上げかかった頃、樹から唐突に連絡があった。
景と双子が住む家を、一度訪れたい、と。
景の心情的には突然発生した樹の訪問ではあった。まだしばらくのあいだ、彼に会えるとは思っていなかったので素直に嬉しくはあった。
数日後に現れた樹は、死の知らせを受けたとき国内にいなかったので叔母である景の母親の葬式に間に合わなくてごめん、と詫びたあと、景たちの事情を把握しているのか、
「景が父親のお金を遣いたくないというのなら、僕に三人分の生活費を出させてもらえないか。施しが嫌だというのならカタチだけは無催促無利子の借金扱いで、景が働くようになって余裕ができたら返してくれればいい」
と切り出した。
年齢で言えば成人するかしないかほどで大学生くらいの樹がそんな事を言いだしたことに、景はまず驚いた。いいかげんな申し出ではなく、彼がそれを叶えるだけの金銭的な余裕を持っているということにも。
詳しくは教えてもらえなかったが、すこし特殊な仕事やら遺産やらでお金があるというのは事実らしい。
そして、そんな事を言ってもらえたことが、とても嬉しくて、頼る相手のいない生活の中ですこしずつすり減っていた心が暖かくなるのを感じた。
申し出の内容は断ったが。樹の表情が少し曇ったのを見て心が傷んだ。
樹は色々あって金銭的に困っていないから遠慮はいらないと言ってくれる。というものの、つつましく暮らす子供とはいえ家族三人が過ごしていくための生活費である。近く親しい親戚で身内扱いとはいえ気軽に貰ったり借りたりするような金額ではもちろんなかった。
そもそもそんなことをするくらいなら、毎月入ってくる父親からのお金を景が使えばいいだけの話である。それをしないのは現実的で金銭的な理由よりは景の意地というだけの話で、新聞配達のバイトを含めて一応かつかつながら生活できるとの目算があるからにすぎない。それが、たとえ少し甘い目算で見積もりであり、景の精神を少しづつ削ることになっていたとしても。
「ありがとう。でもやっぱり話はすごく嬉しいんだけど、お世話になるような額じゃないと思うわ」
「そうだね。僕だっていきなりこんな事言われたら断るかもしれない。でも僕のお金よりも景とルイとレイの幸せのほうが大事だって思うのは、僕のわがままかな?」
「そんな、ことは……」
景は口ごもるも、どうしても施しのように与えられたそれをただ言いなりに受け取りたくはなかった。なぜそんなに意地を張ってしまっていたのかは、あとからその時の自分の感情を追憶してみた景にもよくわからない。ただ単に格好をつけたかっただけなのかもしれない。大好きな樹おにーちゃんに。
あとから景が思い出してみても、この瞬間まで樹は純粋に援助を受け取ってほしかっただけなのだと思えた。おそらくは、この瞬間に樹は思いついてしまったのだ。景にお金を受け取らせる、たったひとつの冴えたやりかたを。
もしどうしても気がとがめると言うなら、とぽつりと言ったあと、
なにを言いよどんでいるのか、と。景はそんな樹のことを首を傾げながら不思議そうに見ていた。発することを躊躇するほどの言葉になにがあるというのかがわからない。
樹のそれは初めて見る表情で、熱の籠もった瞳はまっすぐに景のことを見ている。頬や耳がすこし赤くなっているのも見えた。発熱があるというわけではないと思うのだけれど。
「僕が出すお金に、景ちゃん自身が対価を払ってくれるというのはどうかな?」
想像もしていなかった言葉が、樹の口から飛び出してくる。
「景ちゃんの身体を、お金で買うよ」
それは、樹おにーちゃんが恥ずかしそうに切り出した、景との性的な関係の申し出だった。
驚きはしたものの、景の心情的には樹の申し出に対して特に否定的な感情はなかった。文字通りの援助交際だが、交際しなくても援助すると言っているのを(景が)無理やり交際させろと迫っているに等しい。
その手があったのかと景はむしろ悔しがった。なぜ自分から先にそれを言い出せなかったのかと。樹おにーちゃんに自分を無理なく売りつけるチャンスだったのに。
見てくれは文句のないほどの美少女ではあったが、いやむしろそれだからなのかもしれないが、
どちらかというと景の懸念は他のところにあった。自分の身体が樹の嗜好に合うかどうかの一点である。
樹が年上趣味だったり巨乳好きだったら、むしろそれは不必要に押し売りをしてしまうことにならないだろうか?
もともと無料でいいというのを断ってマイナスで売りつけるなど厚かましいにもほどがある。樹の提案を聞いた瞬間からすでに景は自身を買ってもらいたかったが、押し売りをしたいわけではない。年上にはどうあがいてもなれないが、自分の未来のおっぱいにはまだ可能性がある。あるったらある。
拙速はことを仕損じるかもしれない。数年後まで待ってもらうというのはどうだろうか。いや、待てば貴重な付加価値であるJC(微乳処女)がJK(微乳処女)になってしまうだけではないのか。
いっそ押すべきは今ではないのだろうか?
結論は出ない。景はぐるぐる目で迷走していた。