【送信者:征服王
件名:相談
本文:最近ちと気になる娘がいる。ある店の店員で、店員と客でしかないのだが……】
【送信者:英雄王
件名:Re・相談
本文:三次元の女なんて気持ち悪い】
【送信者:征服王
件名:
本文:まあそう言わずに聞いてくれ。彼女はなんというか、2.5次元というか、そんなかんじなのだ。可憐で清楚で……今時の娘とは思えん】
【送信者:英雄王
件名:Re・
本文:お前がそうまで言う娘……。少し興味があるな。紹介するがよい】
東京秋葉原。
どうやら我らオタクに優しい街であるということだが、あまり来ない。
なぜなら、来る必要がないからだ。
欲しい買い物など全てネット通販で手に入る上、店舗毎の値段なども見比べることが出来る。家に居ながらにしてそれが出来るというのに、わざわざ外に出向くなど愚か者のすることだ。
額に捲いたバンダナのおかげで、汗が目に入るようなことは防げるが、今日も今日とて異常な暑さ。
我は早くも、久方ぶりの外出を後悔していた。
「まさかお前が、メイド喫茶常連などに身を落とすとはなあ征服王」
征服王。
我も背は高いのだが、その我を余裕で見下ろすガタイの良さ。スポーツでもやれば体格だけで即戦力になりそうだが、実際の運動には興味の無い、生粋のゲーマーである。今日もゲームのタイトルロゴが入ったTシャツを、ぴちぴちに着こなしていた。
「……身を落とすとは、言うではないか。お主のような引きこもりよりはマシだろう」
「たわけ。我は外に出る必要がないから出ないだけだ。メイド喫茶など、あれであろう? 馬鹿そうなテンションの女がたくさん居る、キャバクラみたいなやつであろう?」
征服王はむっとした顔をした。
「知ったような口を聞くな。確かにそういった店もあるかもしれん。だが、メイド喫茶アーネンエルベは違う」
大勢の人で賑わう表通りから一本入る。少し歩くと、観光客の喧噪はほぼ聞こえない、静かな通りに出た。
「ここだ」
征服王が指さしたのは、雑居ビルの一階だった。道路に面した部分はガラス張りになっているため中の様子が窺えるが……イメージとは随分違う。
彼に続いて店に入る。
古い喫茶店のような、茶色ベースの内装。もっとピンク色で目がチカチカするような場所を想像していたのだが。クラシックの流れる店内は本を読んでいる客も多く、なにやら別の意味で敷居の高い空間だった。
「いらっしゃいませ」
一人の従業員が対応した。なんだ、お帰りなさいませ、は言わぬのか。
が、これは……!
少々露出度の高いメイド服に、面食らった。他は特に特徴のあるデザインではない、ミニスカートの黒いワンピースであるが、背中が大きく開いているのだ。
「お好きなお席へどうぞ」
「うむ」
征服王は平然と、奥の4人掛けのテーブルに付いた。
ソファ側から身をかがめて、正装王に小声で耳打ちする。
「メイドが、結構、その、セクシーな衣装ではないか……っ」
「ん? そうか? まあ背中は開いているが、最近の娘の服などあんなものではないか?」
こやつ落ち着き払っている……!
「そ、そうだな! そうであった。いや、このクラシカルな店内と不釣り合いな気がしてな、少し驚いたというだけだ。アレくらい大したことはなかったな!」
「……? おぬし何を焦っているのだ」
「焦ってなどおらぬわ!」
「失礼いたします」
そこへ、メイドの娘がお冷やを持って来た。長髪の、胸の大きな娘だ。なかなか良い。
「お決まりになりましたら、お呼び下さいね~」
グラスを置き、そう言ってにっこり微笑むと去って行った。
「むむ、席に女が付くわけではないのか?」
「だからキャバクラではないと言っておる。彼女らはウェイトレスに過ぎん」
卓上に置いてあったメニューを手に取る。
もっと高いものだと思っていたが、普通の喫茶店より少し上くらいの値段設定だ。テレビで見るようなテンションの高いメニュー名も見当たらない。
「……なんだか、思っていたより普通だな。つまらん」
「普通ではない。ここの紅茶は美味いぞ」
「その見た目で紅茶の話とかされても似合わんからやめろ」
「ここに来るようになってから少し詳しくなったのだ。お前、普段紅茶は飲まんのか?」
征服王は尚も解説を続けたいらしく、得意気に紅茶のメニューを開いた。
「紅茶で迷ってるんですか?」
そこにひょいと顔を出したのは、先ほどとは違う、黒髪おかっぱのメイドだった。
「あ! エルメロイさん! ……ああ、連れがこういうものに疎いゆえ、な!」
先ほどまでの威勢はどこへやら。彼は紅茶選びをそのメイドに任せた。
「どんなものが良いとか、こういうのは苦手、とか行って貰えればおすすめ出来ますけど」
「うむ……そうだな。甘ったるい香りは好かぬ。それでいて芳醇で薫り高く、味わいも深みがあり且つさっぱりとした飲み口のものを頼む」
「注文が多いな!」
「そうですねえ……。じゃあ、この農園のダージリンセカンドフラッシュなんかどうでしょう」
「まかせる」
「征服王さんはいつも通り、いちごパフェとアールグレイで?」
「それで頼む」
メイドは注文を取り、一礼をして去って行った。
「……今のがそうか?」
にやにやしながら尋ねる。
「む、おぬし何故それが……」
ばればれではないか。
エルメロイというメイドは黒髪の真面目そうな娘で、確かにこの征服王が好みそうなタイプだ。メガネをかけていれば完璧だったかもしれん。我はあのような慎ましやかな胸は好みではないが。
我が更にからかってやろうと口を開いたそのときだった。
「ここはそういったお店ではありません。お帰り下さいませ!」
穏やかではない声。
入り口の方を見ると、毅然と言い放ったのは小柄な娘だった。
その後ろに庇われているのは、先ほどお冷やを持ってきた娘だ。胸元を押さえている様子からして、胸でも触られたのだろう。
冷やかしであろう二人組の男は、その剣幕に気押されて出て行った。
「ありがとう、セイバー、ごめんなさいね」
「貴女が謝ることではありません、アイリ。……少し奥で休んでいては如何ですか?」
「ううん、私は大丈夫よ」
顔立ちは可愛らしいが、凛とした雰囲気の娘だ。淡い金髪をお団子にして、後ろで纏めている。
その後彼女は、席まで謝罪に来た。先ほどはお騒がせしました、と。全ての席を回っているのだろう。
利発そうな緑色の瞳が、印象的だった。
運ばれて来た紅茶は、たしかに美味かった。
茶などには詳しくないが、うちは金持ちだ。何においても舌が肥えていると言えるだろう。その上、親父は特に紅茶にうるさい。日頃出て来るものも一級品である。
この我をして美味いと言わせるとは、また来る価値があると言えるだろう。
我はゆっくりと、紅茶の芳香を楽しんだ。
……目の前で可愛らしい色合いのいちごパフェを食している大男。この光景は、お茶請けにはどうかと思うが。
開店の時間になり、外に本日の日替わりを書いた黒板を出しに行く。
店の前には、すでに待っているお客様がいた。長身金髪。……当店きっての痛客である。
「セイバー、今日もご苦労だな」
まだ通い始めて日も浅いというのに、この馴れ馴れしさだ。
「どうぞ、お好きなお席におかけください。お決まりになりましたらお呼びくださいませ」
開店したばかりで貸し切り状態の店内に案内すると、私は早々に奥に引っ込んだ。
彼は私と話したそうだが、うちはあくまで喫茶店。お客様との歓談は業務内容に含まれてはいない。もちろん手が空いていて常連さんが相手ともなれば、世間話の一つや二つ交わすこともあるが、決して義務ではないのだ。
早く他のお客さんが来ないかな……などと思っているうちに、彼は注文が決まったようだ。
しぶしぶと席まで聞きに行く。
「セイバーよ、我が妻となれ!」
「お帰り下さいませ」
「お帰りなさいませの間違いであろう? 恥じらいおって」
こいつ日本語が通じないのか。
「私は注文を取りに来たのですが。あんまりしつこいと出禁にしますよ」
「冷たい態度もまた良い……」
「気持ち悪い」
うっかり感想が口に出てしまったが、まあ良いだろう。
「なんでも良い。甘いのも辛いのもオールオッケーだ! お前のおすすめのものを持って来い」
「かしこまりました」
賞味期限近いやつ持って来よう。
「セイバー、お疲れ様」
キッチンに入ると、アイリが苦笑していた。
「ギルガメッシュさん? 彼、最近よく来るようになったわね」
「ええ。征服王さんのお友達のようですが、彼と違って困った人です」
私は溜息をついた。
あのような手合いは、うちの常連にはいない。最近はメイド喫茶だけではなく、メイドガールズバーやキャバクラなどもあるのだから、メイドと話すことを目的としている人たちはそちらに流れるのだ。硬派な喫茶店スタイルを守り続けているアーネンエルベには、硬派なお客様が多い。
それだけに、どのように対応して良いものやら、私は戸惑っていた。
「セイバーよ、プレゼントを持って来たぞ!」
「メイド個人へのプレゼントは禁止されておりますのでお受け取り出来ません」
「セイバーよ、今日は何時上がりだ?」
「メイドのシフトに関する質問にはお答えすることが出来ません」
彼との会話は終始そんなかんじだ。
なぜああまで迷惑客のテンプレートみたいな行動が取れるのか、むしろ不思議になってくる。
「頭が痛いです……」
「あんな奴、出禁にしちゃえばいいんじゃないか」
口を開いたのは、エルメロイ。
彼女は接客中は礼儀正しいが、裏では結構な毒舌家である。
「アイリにちょっかいかけたってことにすれば、オーナーの衛宮さんも即刻出禁にしてくれるだろ」
「ええエルメロイ! 嘘を報告するなどダメです!」
というか、私にちょっかいかけまくってる事実だけではダメなのか。
「まあ……それはやり過ぎだけれど、あんまり辛かったら切嗣にも相談した方が良いかもね」
アイリは頬杖を付いて、軽く眉をひそめて言った。
「いや、まあ、そんなには大丈夫ですよ。彼はあれでも、一度注意したことは守ってくれますし。色々と、無知なだけなんですよ」
そう。彼も悪い人ではないのだ。手はかかるけども。
「セイバーが大丈夫なら良いけど、無理しないでね」
「厄介なファンが付いたな。上手く教育しろよ、セイバー」
二人の声援を背に受けて、私は客席へと戻った。
家電、ゲーム、なんでも揃う大型量販店とはおそろしいものである。
アーネンエルベの閉店時間きっかりに店を出て、我はどうしようか考えた。
セイバーに会いに行くという目的を今日も達成済みゆえ、このまま帰路についても構わないが。しかし、昨日で新作のエロゲーを一通り攻略してしまった。何か新しい玩具でも見繕ってから帰るとするか。
適当な店に寄って行こう。そう考えてふらりと立ち寄っただけだったはずなのだが。
目に付いた商品を次々と購入していたら、両手に抱える大荷物になってしまった。
これは職務質問必須パターンだ。
職質も面倒だし、この大荷物を持って帰るのも面倒だ。半分くらいコインロッカーにでも預けて、明日また、アーネンエルベの帰りに取ってから帰ろう。
そう考えて、我は来た道を戻った。店の近くにコインロッカーが設置してある場所があったはずだ。
すでに人通りもまばらな夜道を歩いていると、少し先に見知った人影を見つけた。
あれは……セイバーではないか?
咄嗟に身を隠そうとする。以前出待ちをしてひどく怒られたからだ。今回は偶然なのだが、上手く説明出来る気もしない。
すぐに異変に気付いた。
彼女と一緒にいる二人の男。どうやらセイバーは、嫌がっている様子だ。絡まれている、のか?
どどどどうしよう困った……!
相手は二人。
征服王を呼ぼうか?あいつはガタイも良いし、きっとあの二人を追い払える。
いいやだめだそんな時間はない……!
我が助けねば。
「き、貴様等! セイバーから離れろ!」
二人組とセイバーの間に、強引に割って入る。
「ギルガメッシュさん!?」
よく見れば、彼等は先日アーネンエルベでセイバーに追い払われた、冷やかし客だった。
「は? あんた、何?」
ガン飛ばされて、膝が震える。
まずい。我泣きそう。
武器……何か武器は……!
ごそごそと抱えている袋を探り、そして、手に当たったものを握り締めた。
「ふんぬっ!」
勢い良く取り出したそれは……。
今し方ウロブチカメラの女児向けおもちゃコーナーで入手したばかりの、『魔法少女かれいど☆るびーちゃん』の変身ステッキではないか。
出してしまった以上、戻せない。
「出番だ! まじかる☆るびー!」
杖を向けられた男達は、驚愕した。
我もちょっと、アレな空気を感じた。だが、もうここまでやってしまったら後には退けぬ。
振り回しながら夢中でボタンを押す。ステッキがぴかぴか光って、「るびーさみんぐ!」「るびーでこぴーん!」など、ランダムで必殺技のセリフが飛び出した。
あ、なんか楽しくなって来た……かも。
軽やかにステップも踏み始め、彼等に歩み寄る。
「うわっこっち来んな!」
「関わるな! もう行こうぜ!」
男達は逃げ出した。
「かっ……勝った」
きびしい闘いだった。
だが……恥ずかしくて後ろが振り向けない。意を決して、嫌がる首を無理矢理ギシギシ言わせながら、セイバーの方を見た。
「せ、セイバー、怪我はない、か」
彼女は口元を手で押さえて俯いていた。やはり、大の男二人に絡まれて、怖かったのだろう。
と、思った矢先。
「ぶっ!」
セイバーは吹き出した。
今まで堪えていたのが爆発したようで、彼女は大声でひとしきり笑った。
手近なチェーン店のカフェに入る。セルフサービスの先会計だが、彼女はお礼ですと言って、我の分も払った。
「笑ってしまって済みません。助けていただいて、ありがとうございました」
「別に、当然のことだ」
感謝されるのは悪くないが……あんな助け方ではどうにもこうにも格好がつかない。むしろ早めに忘れてほしいものだ。
それより、二人でカフェに来て、向かい合わせに座ってコーヒーを飲んでいるなんて、完全にこれはデートだ。
デートではないか……!
「セイバー!」
「は、はい! 何ですか!?」
いかん。興奮のあまりつい大声を出してしまった。
「その、知っているとは思うがな、我は、お前のことが……」
彼女は遮るように首を横に振って、視線を落とした。
「……あなたの気持ちは嬉しいですが、お答えすることはできません。私はあの店が好きなのです」
「どういう意味だ」
「ご主人様とお付き合いしたメイドはクビです」
「な、なんだそのルールは!」
「多くの店が採用しているルールです。仮に、メイドとご主人様がお付き合い出来たということが公になったら、どうなると思いますか?」
「……別にどうとも。ああ、あれか? 彼氏がいると人気が下がるとかそういう、アイドル的なことか?」
「いえ、そうではありません。ひとりのメイドがご主人様と交際していると知れたら、他のご主人様方が、自分も付き合えるのではないか、と希望を持ちますよね」
そうすれば、この店ならばメイドを落とせるらしい、などと思って通う輩も出て来るだろう。二匹目のドジョウを狙って、大胆な行動に出る者もいるかもしれない。
「なるほど……。店の治安を保つためのルールということか」
「そうです」
アーネンエルベ以外のメイド喫茶に行ったことがない我は業界のルールというものを詳しく知らないが、様々な取り決めがあるものだな。
「わかった。そういう決まりだというのならば仕方有るまいな。我がご主人様であり、お前がメイドである間は、我達は付き合えないということだ」
「わかっていただけましたか……」
セイバーはほっと溜息をついた。
きっとこの様な結末は、彼女にとっても不本意なものに違い有るまい。
だが、見ていろよ、セイバー。
我はルールの抜け穴を見いだしたのだ……!
翌日。
出勤してきたセイバーは、まだオープンしていない店内に佇む我を見て絶句した。
「ギルガメッシュ……さん? 何故あなたが……」
「決まっておろう。この店を買い取って、オーナーになったからだ! これでご主人様とメイドではなくなった。我々の間に障害はない!」
セイバーはしばらくその場で石化していた。
きっと嬉しさのあまりだろう。
愛いやつめ。
『オペレーションの変更点について
7月より、全てのフード、ドリンク提供時に、パフォーマンスを加えることとする。
おいしくな~れ もえもえきゅ~ん 等の呪文によって、商品におまじないをかける。
※尚、各メイドによる呪文のアレンジは自由。きゅ~んをにゃ~んに変える等。 』
出勤早々、バックルームに貼られた一枚の紙切れを見て、私は目玉をひん剥いた。
「ギルガメッシュ! これはどういうことですか説明してください!」
キッチンに居る彼に詰め寄る。
元オーナーの切嗣にどれだけふっかけられてこの店を買い取ったんだか知らないが。ただ形だけのオーナーで居れば良いものを、彼はこの店の舵を取る気満々だった。
「やっぱり、こんな普通なメニューではつまらぬであろう? 折角メイド喫茶なのだから、おまじないくらい付けた方が良い」
「うちは本格的な紅茶と料理を売りにしている、落ち着いた店です。今いるお客様方はそのようなことを求めてはいません」
「そんなことはやってみなければわからないではないか」
「わかります」
「わからぬ」
「ここはお一人様がゆっくり食事や読書をしに来るような店なのですよ?」
「それ以外の楽しみ方があっても別に良いではないか」
「ゆっくりしたい方の妨げになります」
「では試しに今日1日だけやってみれば良い。それでどうだ?」
「…………今日入るメイドに伝えていません。その実験がしたいのなら事前に伝え、了承済みのメイドのみで行ってください」
「む……」
不満げな顔のギルガメッシュに背を向け、バックルームへ戻る。着替えを済ませると、他のメイドが出勤する前にと変更点のお知らせを壁から剥がした。
ぐったりとしてレジ開けを始めると、またもや異変。
……うちのBGMはクラシックだったはずだが、なぜアニソンが流れているのだろう。
「ギルガメッシュ! このBGMは一体何ですか!?」
「我のiPodだが」
「何故いつものクラシック集ではないのかと聞いているんです!」
「そんなものより今期のアニソン盛り沢山の、我の選曲集の方が良いに決まっているではないか」
「店の雰囲気にそぐわないです。それにあまり主張するBGMはゆっくり過ごしたい方の妨げになると思います」
「それだってやってみなければわからぬ。これは別に了承はいらぬであろう? メイドの業務内容に変更はないからな」
「……苦情があれば即刻やめていただきますからね」
勝ち誇って言う彼にいらいらする。ああもう。エンゲルに入った小銭を、どこまで数えたか忘れてしまった。
彼の言い出すことは、終始この調子。
アーネンエルベのこれまでのスタイルを、大きく揺るがすものばかりだった。
「セイバー……、私、実は……相談があって」
帰り道、アイリは深刻な面持ちで言った。
「アーネンエルベを続けるか、迷っている、ということですか?」
この店のほとんどのメイドに共通する悩みだ。アーネンエルベは変わりすぎた。これでは辞める人間も大勢出て来るだろう。大量離脱にも繋がりかねない。
「……そう、なんだけど、その…………セイバーは聞いていないのね」
「何をですか?」
歯切れの悪い返答に、首をかしげる。
「切嗣が、新しいお店をオープンするって。そこに来ないか誘いがあったのよ……」
なるほど。
いくら高額を提示されたところで、切嗣がアイリの居るこの店を手放すなど、不思議に思っていた。アーネンエルベを売り払った金を使って、より豪華な店を構える気なのだろう。そしてそこに、アイリも招くと。
切嗣の右腕として裏方の仕事を主にこなしていたマイヤは、オーナーが交代したその日に退職していたし、おそらく今頃は新店舗オープンに向けて働いていることだろう。
彼女はかなり熟練した、中心人物となっているメイドの一人だ。
アイリ、エルメロイ、それに私。時間帯責任者を任されているメンバーだ。元々はマイヤを含め4人だったのが、今は3人。この状況で誰かもう一人でも欠けることになれば、店には相当な打撃になるだろう。
だが……。
「それはアイリの判断に、任せますよ。辞めてしまっても、恨んだりはしません」
「そうね……。どうしようかしら……」
残ってくれと、私は言えなかった。
上手くいかない。
セイバーは、我の言うこと為すこと全てに反対する。店の売り上げも、思ったように伸びない。むしろ客は減っている。
セイバーにいいとこ見せたいのに、まるで逆ではないか。
来月8月は夏休みでかき入れ時だから、ここで何とか取り戻さないといけないな……。
閉店後のバックルームで来月の作戦について考えていると、ドアが開いた。
「ギルガメッシュ、お話があります」
「は、話?」
いかん。セイバーと二人きりでは、未だに少々緊張してしまう。
「そ、そうか。こちらも来月のメニューについて伝えようと思っていたのだ。観光客が増えるだろう、8月中は全てのメニューで料金二倍にする」
「……は? 内容も変えずに料金が倍!? そんなの誰も頼みませんよ!」
観光客は気が大きくなっているし、払うんじゃないかと思うが。常連は渋るかもしれないが、いいかんじのオプションでも付ければ払うだろう。
「そこで期間中、百人に一人、好きなメイドとデートできるチケットがあたる!」
「指名されたメイドの反発が予想されます。少なくとも私は拒否します」
む……。メイドの拒否は考えていなかった。
「という触れ込みだが実は当たりは入っていない」
「外道! そんな外道な企画最低です!」
だめか。
「ならば……アイドルを働かす、というのはどうだ? ファンが殺到して売り上げが何倍にもなるだろう。いや、むしろお前をデビューさせてやる、ということも可能だが」
「お断りします。全く興味ありませんので」
……やっぱりか。我が何を提案しても、セイバーはこんな態度だ。
解せぬ。
我の店になったのだから、何か変更したいし、我の色に染めたい。我が経営者になったというのに、衛宮切嗣が作ったままの店では全く面白味がない。
そう思って色々と発言しているというのに。
「……ギルガメッシュ。いい加減にして下さい。私が残ったのは、メイド達の大量離脱について話し合うためです。今月末で退職したいというメイドが、私の知る範囲でも6人います」
「辞める奴が出るなら、その分補充すればよいだけだ」
セイバー以外のメイドなど、いくら減ったところで構わない。彼女はまだ我の財力を理解していないのだろうか。
「時給二千円でも三千円でもくれてぐふぉおおおっ……」
腹に食い込む可憐な拳。
重い。
臓物が抉られるようだ。
突然の物理攻撃に、我は目を見開いた。
よっぽど気に障ることでも言っただろうか。いや、しかし女子というのは、たとえ何か怒らせたとしても、泣きながら頬をひっぱたくとかではないのか。
何故腹パン……を……。
床に膝を付いたところを、脳天からもう一撃。
がぁんと振動が頭蓋骨に響く。
可愛らしいストラップシューズとフローリングの床の間に、我の頭は挟まっていた。
なんて素晴らしい戦闘力……だ。
「もう貴方にはついて行けません……!」
痛い。頭と腹が痛い。確かに痛いが、これはこれで悪くない。
セイバーはその全てが可愛らしいからな。わなわなと震える声も、怒りに任せて暴力を振るう姿も実に愛い……。
床に頭を擦りつけられながらうっとりしているところに、彼女は言った。
「本日限りで、辞めさせていただきます」
それを聞いて、我は頭が真っ白になった。
「なんでそうなるまで気付かないの!?」
エルキドゥは、まん丸い目を見開いて身を乗り出した。
彼女はうちの母親が持って来た大量のお菓子を折りたたみテーブルの上に並べて、我の漫画を読みながら話を聞いていたのだが。
「ギル、ちょうバカじゃん! いや、バカすぎるでしょ! バカとか言ったらお馬さんと鹿さんに失礼かもしれない級のバカだね!」
女のことを相談できるような相手といえば、幼馴染みのエルくらいしかいない。
征服王に話したって、奴もどうせ彼女などいたことがないのだ。女のことは女に聞く方が良い。
……と、思ったのだが。初っぱなからこのように罵声を浴びせられるとは。
「我はオーナーとして店の利益を上げようとだな……」
そしてセイバーにいいとこ見せたかったわけで。
「そんなことで上手くいくわけないじゃん!」
「うう……」
確かに少々、浅慮だったかもしれないが。
「失敗だったかもしれぬが、色々と試してみるのは悪いことではないだろう?」
「僕が言ってるのは、そういうことじゃないよ」
心配性の幼馴染みは何時になく真面目な顔をして、翠色の長い髪を耳にかけた。漫画も閉じて、隣に置く。
「何だ、急に……」
神妙な面持ちに、何だかこちらまで畏まってしまう。ついつい居住まいを正して、彼女の顔を上目遣いに覗き込んだ。
「あのね、ギル。君はスタッフやお客さんを、どう思っているの?」
「どう、とは……。正直セイバー以外は割とどうでもいいのだが」
「ダメだね! 全くわかってない! 僕の方がセイバーちゃんのことわかってるくらいだね!」
会ったこともないのに?
「そこら辺を押さえないと、君は永久にセイバーちゃんに嫌われたままだね」
「永久に!?」
「そう、未来永劫」
エルは自信満々で、大きく頷いた。
何を根拠に、とは思うが、そこまで言われたんでは仕方が無い。
全く以て気が進まぬが、セイバー攻略のため、スタッフや客なんかを研究してみるとしよう。
客のひとりには、我の数少ない交流相手である、征服王も含まれている。
とりあえず手近であるこの常連客を調べてみよう。まあ、常連とは言っても、彼は最近あまり店に顔を出さないのだが。
「急に呼び出したりして、どうしたのだ? 英雄王」
「うむ……特に意味は無いのだが」
「ないのか! まあ、友を呼び出すのに一々用事は必要ないわな」
征服王は、がははと大きく口を開けて笑った。
こやつが選んだのは、近頃よく利用しているという喫茶店だった。大通りからは少しばかり離れているためそこまで混雑はしていない。個室になっているわけではないが、柵が高かったり観葉植物で視界が遮られているため、隣の席もあまり気にならない。
居心地の良い空間だった。
どことなく、アーネンエルベに似た雰囲気のような気もする。
「経営はどうだ、上手くいっておるのか?」
う……。
正直上手くいっていない。セイバーとの距離を縮めるために経営者になったというのに、当の彼女が出て行ってしまったんだから。
我は返答に窮し、適当に質問を返した。
「そういえばお前、最近アーネンエルベに来ていないようだが」
「んー……、まあ、な」
話を逸らすつもりで投げたボールは、征服王にとっても返しづらいものだったらしい。曖昧な肯定のみでお茶を濁された。
忙しくなったとか、あのおかっぱメイドではない気になる女が出来たとか、そんなところだろうと思っていたのだが、違うのだろうか。
「言いづらいことのようだな」
「……まあ、経営者に面と向かっては、な」
「まさか、お前……」
ちらちらと目を逸らす征服王に、ピンと来た。
「出禁にされたのか!?」
「何故そうなる!」
「やはり出待ちか? いや、店内で告白した、とかか? いつかやるとは思っていたが……」
「お前に言われたくはないわ! それに出禁ならお前に話が行くだろうが!」
あ、そうか。
セイバーなら、我に無断で出禁宣告くらいしそうだがな。
「では何故来ない? おかっぱメイドはまだ居るぞ?」
「エルメロイには会いたいが……。彼女もあまり機嫌が良くないしな」
あのメイドに機嫌が良い日なんてあるんだろうか。給料日とか?
「お前さんも考えがあってやっているのだろう。余が口を挟むべき問題ではない。そもそも、全ての客のニーズに合う店など、作れるはずもないからな」
言いながら、ポットから残りの紅茶を注ぐ。この男が持つと、ポットもカップもミニチュアのようだ。
注いだ紅茶に口を付けぬまま、カップを手の中で持て余している。適切な言葉を組み立てているのだろう。
「ただ、何と言うか……そうだな。余が足繁く通っていたアーネンエルベとは、今の店は違うのだ。我々向けの店ではなくなった、のだな」
誰かのニーズに合わせた結果、征服王は対象外として姿を消したと、そういうことだろうか。
では、我は誰に向けた店を作っているのだろう?
そういえば、考えたことがなかった。
「片付けが終わったか? 全員少し残れ。残業代は出す」
「僕電車なくなっちゃうんでー」
「タクシー代も出す。残業代に関しては時給に二割五分上乗せだ」
それを聞いて、おかっぱのメイドは大人しく席に着いた。
このように我が従業員を引き留めたことなどない。何が始まるのかと、メイド達は訝しむ支線を送っていた。
「なに、ちょっとしたミーティングだ。近頃、離職を申し出る者も多い。この機会に、我に進言する意見や提案がある者は言うがよい」
メイド達は顔を見合わせた。
そして、沈黙。
うむう。誰も何も言わん。これでは研究にならぬ……。
「お前、何かないか?」
「え、僕?」
征服王の気に入っているおかっぱ。あやつの見立てによると、最近は機嫌が良くないらしいが。
「うーん、そうだなあ。これ以上何もしないでくれます?」
ほんとだ機嫌悪い。
「って貴様ッ! 割とひどいではないか!」
「だってそっちが聞くから。あなたが余計なことばっかりするから、仕事は増えるわ評判は下がるわで疲れてるんですよね。セイバーがいなくなってシフトも厳しいし」
「ぅぎい……ッ!」
他のことは兎も角、セイバーの件を出されると、刺さる。
「迷惑なんですよね」
「言うではないか!」
「まあまあ、エルメロイ。つまり、こういうことよね?」
壊滅的な雰囲気の我々を、銀髪のメイドが遮った。
こいつはセイバーと仲の良い奴だ。
「ギルガメッシュさん。私たちが大切だと思ってやってきた、積み上げてきたものに、もう少し目を向けてもらえないかしら」
「……どういう意味だ?」
「この店で出している何十種類もの紅茶を全て把握していることも、静かな雰囲気の店内も、みんなみんな、意味があると思ってやってきたことなの」
銀髪がそう言うと、絶えず我を睨み付けていたおかっぱが、卓上に目線を落とした。
「貴方の意見がよくないとか間違っているとか、そういうことではないわ。ただ、それを変えたいのなら、変えるだけの理由と、信念が欲しい」
我が今までこの店でやってきたことで、彼女らの‘意味’を塗り替えるだけの、理由を持った行動があっただろうか。
ただの思いつきばかりだ。
「……よかろう。今後、考慮しよう」
我は店の利益にならぬ失策が多すぎて、そのために嫌われてしまったのだと思っていたが、そうではないらしい。
彼女が大切にしているものを、我は気付かず踏み荒らしてしまっていたのだ。
アーネンエルベを辞めて一週間。
他のバイトを探さなくてはならない。
大学から帰って、パソコンを立ち上げる。
バイトなんて色々ある。でも、どれもやっぱりあまり良いとは思えなくて、応募をためらっていた。
そしてつい‘アーネンエルベ’で検索をかけてしまう。店のページを開いて、何気なく最新のお知らせなどを眺めた。
週四,五日は店に居た私がいきなりこんなに居ないのだ。常連さん達はもう、私が辞めてしまったことを察しているだろうか。それとも、旅行や何かだと思うだろうか。
不思議な気分だ。
私はもう、あの、勝手知ったるアーネンエルベの‘中の人’ではないのだ。
スタッフの紹介ページを確認すると、そこにはまだ‘セイバー’というメイドの名前があった。少し、安堵する自分がいる。
……こんな行動は、馬鹿げている。
未練がましい自分が嫌になって、私はパソコンの電源を落とした。
携帯電話が鳴ったのは、丁度そのときだ。着信元を確認して、そのあまりのタイミングの悪さに動揺する。一瞬、このまま出ないでやり過ごしてしまおうか迷ってから、私は通話ボタンを押した。
「アイリ? どうしました?」
彼女よりも先に辞めてしまったことを、私は後ろめたく思っていた。
きっと今頃は大変な思いをしていることだろう。それとも、切嗣の店に移ったという報告だろうか。そうだったら少しは、私の罪悪感も晴れるのだけど。
「セイバー! ねえ聞いて? 昨日すごいことがあったのよ」
彼女とはアーネンエルベで働く前からの友達だ。本名とさして変わらない名前で働いているアイリと違って、私のメイド名は本名ではない。だが、店での名前が定着しすぎて、アイリはプライベートでも私のことをセイバーと呼んでいた。
しかし、すごいこととは。
またギルガメッシュが何かやらかしたのだろう。それとも遂に大量離脱で店を回せなくなって、閉店か?
「私たちの意見が聞きたいって、彼、閉店後にミーティングをしたのよ!」
「ミーティング……?」
あのギルガメッシュが、従業員に意見を求めた?
「私も色々言ったのだけれど、真面目に聞いていたと思うわ。彼、実は結構反省しているんじゃないかしら」
「いや……まさか」
「貴女が出て行ってしまったのが、きっと大きかったのね」
「そう、ですか」
私の行動によって、彼が経営者としての自覚に目覚めてくれたのなら、それは良かった。そのままアーネンエルベが少しでも立ち直ってくれるなら、素直にうれしい。
「だから私、これからは積極的に貴女をエサにするつもりよ」
「……え、エサ?」
「そうよ! もっとこうしたら、セイバーも見直してくれるんじゃないかしら~とか、セイバーも帰って来てくれるんじゃないかしら~とか!」
そんなの効果あるんだろうか……。
まあでも、沈没寸前のアーネンエルベを救う手立てになり得るのなら致し方がない。
「私の名前を出すことがエサになるというのならば、アイリの好きに使っていただいて構いませんが……」
「本当!? とっても心強いわ。ありがとうセイバー!」
そんなに喜ばれると、何故だか不安になってくるのだけど……。
軽く許可したこの作戦が、後に自分の首を絞めるような、そんな気がした。
「厨房からでもフロアは見えるわ。どのスタッフがどれ位動けるのか、よく見てチェックしておいて」
「なんだ? 不出来な者を首にでもするのか?」
「いえ、そんな監視というようなことではないわ。ただ、シフトを組むのは貴方だから。あまりにもスキルが偏っている編成だと、お店が回しづらいでしょう?」
「なるほど確かに……。バランスを考えろということだな」
頷き、手元のノートにメモを取る。彼がこんなに真面目に私の意見を取り入れるなんて、人が変わったようだ。……それだけ必死なのだろう。
「アイリ。お前は本当に役に立つメイドだな。お前が居てくれて心強い」
そう言われて、私は口元をほころばせた。切嗣の仕事を近くで見ていたことが、このように役に立つなんて。アドバイスを求められ、重宝される存在になったことは素直に嬉しい。アーネンエルベに残る選択をした甲斐があったというものだ。
「客足も戻って来ているわ。このまま以前の状態に戻すことが出来れば……」
「いや、それよりも更に上を目指すぞ」
やる気のギルガメッシュを見て、こっちもモチベーションが上がる。
「そうね! そしたらきっとセイバーも貴方を見直すわ!」
「おおお! あやつも帰ってきてくれるか!?」
「もちろんよ!」
「交際できたりとか!」
「可能だわ!」
「おおおおおおお!」
厨房の声がうるさいとエルメロイが注意しに来るまで、なんだか二人で盛り上がってしまった。
道を挟んでアーネンエルベの向かいには、チェーン店のカフェがある。テラス席から眺めると、人の出入りくらいは容易にチェックできた。
……何をやっているんだ私は。
サングラスと雑誌で顔を隠しつつ、チラチラ顔を上げて、手持ち無沙汰に紅茶を啜る。アーネンエルベの紅茶の方が百倍おいしいな、なんて思いつつ。
どうやら客足は戻って来ているようだ。
見知った顔も、ちらほら出入りしている。
……上手くやっているみたいで、一安心、というところだろうか。それでいて、どこか悲しい気分にもなってしまう。私まで抜けたら、もう店は回らないだろうと思っていたのだ。実際は全くそんなことはなくて、自分が居なくてもアーネンエルベは変わらず営業している。
深い溜息をついて、すっかり冷え切ってしまった紅茶に口を付けようとした……
そのとき。
サングラスと雑誌で顔を隠しながら珈琲を啜る、不審な男が居ることに気が付いた。
くたびれた黒スーツ。
常連さんよりも更に見知った顔。
「なにやってるんですか切嗣」
「えっ…………セイバー……?」
不意に声をかけられて、彼はサングラス越しに、間抜けな顔でこちらを見た。『月刊スナイパー』とかいう雑誌読んでるけど一体何を考えているのだろう。
「いや、君こそ何をやっているんだ?こんなところでコソコソとアイリを観察したりして……」
「それは貴方です」
「はっ、そうか。君がアイリを脅して、あの店を辞めないように見張っていたんだな? なんて卑劣な……! だからアイリが僕のところに来てくれないんだ。そうなんだね?」
どうやら勧誘している愛しのアイリが自分の店舗に来てくれないことで、精神を病んだようだ。
どうしよう。
新オーナーも元オーナーもストーカーだなんて、アーネンエルベはよく持ってる。
「アイリ、僕はね……怖いんだ。君をこの手で護りきれないんじゃないかって」
私はこのストーカーからアイリを守らないと。
「いや、黒幕はギルガメッシュだ。ああ、なんてことだ。チャンスはあったんだ。もっと早く奴を狙撃していれば良かった。あいつの女になった君は、彼の命令でアイリを見張っているんだ。そうだね? そうだろう。店のアイドルであるアイリが引き抜かれては、経営が立ちゆかなくなるからね。いや、それにしても卑劣だ! アイリの自由意思というものが全く介在していない!」
声を荒げ、切嗣は急に立ち上がった。
回りの人たちはその挙動に驚き、注目が集まる。全く以て関係性のわからない、サングラスをかけた男女が何やら諍いを始めたのだ。気にもなるだろう。
「き、切嗣、落ち着いてください!」
「落ち着いてなんていられるか! こうして見張られていることさえ知ってしまったんだぞ! 僕は、僕はもう、アイリを助けに行くしかない……!」
そう言うと彼は、回りのテーブルに足腰をガタガタぶつけながら、アーネンエルベを見据えて歩き出した。いや、彼の目に映っているのはアーネンエルベでなくアイリなのだろう。心の目で見ちゃっているのだろう。
車道に出そうになる彼を、後ろから必死でひっぱる。
「おおおお落ち着いてくださいせめて横断歩道を渡っていや渡ってもだめです! 冷静になってください切嗣うううう!」
ああ、もし彼が営業時間中のアーネンエルベに乗り込んで行ったらどうなってしまうんだろう。
一部の常連さんには顔も知れている旧オーナーが、メイドの一人の名を叫びながら突如現われ、元常連の新オーナーに突っかかる。
修羅場だ。
今日の夜には大ニュースだ。
絶対阻止。
「私の話を聞いてください!」
「君と話すことなんてない!」
尚も車道へと進もうとする切嗣。このまま向こう岸へ渡るのを見過ごすわけにはいかない。手荒なことはしたくないのだが、これは仕方が無い。
私は彼の腕を後ろから捻り上げた。
「あだ、だ、あだだだだ」
「口で言ってわからないなら、身体で覚えてもらうことになります……!」
私と切嗣が揃って来店したのは、閉店三十分前だった。
アイリの働きぶりが見られて、且つ、彼女と話す時間も閉店後に取れる。元オーナーが様子を見に来たのだから、その程度の談話は許されるだろう。
「いらっしゃいませーって……セイバーと、衛宮さん?」
出迎えたのはエルメロイだった。
確かに、妙な取り合わせだ。
そして今になって、あれ、私が来るのは気まずいんじゃないか、なんてことが頭を過ぎる。切嗣が問題を起こさないよう見張ることしか、今まで頭になかったのだ。
「ええと、様子を見に……」
「そっか。フードメニューはラストオーダー終わっちゃってるけど平気?」
「はい、大丈夫です」
エルメロイは店の中でも奥まった席に私たちを案内してくれた。
「……変なことしないでくださいね、切嗣」
「わかっている」
奥まった席はそれだけ厨房の方に近い。
提供口からアイリが顔を覗かせた。
「あら、セイバーと切嗣! めずらしい取り合わせね」
「なに!? セイバー!?」
「アイリ!」
新旧オーナーが叫ぶのを、それぞれ睨み付けて制される。
エルメロイが的確なタイミングで割り込み、私たちのテーブルに注文を取りに来た。
「何にします?」
「そうですね……セリンボンのファーストを」
「僕はオリジナルブレンドを頼むよ」
ついつい、紅茶の淹れ方と珈琲のドリップに目が行ってしまう。
ドリンクを担当しているメイドは、私の居たときにはまだ新人で、提供以外の業務は任されていなかったが。
豆を挽き、ブレンドを入れる準備をした後、高いところから湯を落とすように紅茶を淹れる。タイマーをかけ、抽出の途中で温度が下がらぬようティーコゼをしたら、珈琲のドリップへ。
中々の手さばきで仕事をこなしている。
「お待たせいたしました」
カップに紅茶を注ぐエルメロイの手付きは、流石。
紅茶のシャンパーニュとも言われるダージリンの良い香りが、湯気と共にテーブルに漂った。
「……ところで、このカップは?」
目の前に出されたのは、ワインレッドが中心に彩色されたカップだった。金彩の縁取りによって、繊細な模様が幾重にも入っている。鮮やかに意匠された大輪の薔薇が、紅茶の水底に揺れていた。
私の居たときには、ティーカップは白磁のものしかなかったが。
「ああ、紅茶のカップが新しくなったんだ。新オーナーの提案で」
「ギルガメッシュが……」
ついカップを持ち上げてブランド名を確かめてしまう。閉窯した、今はもうアンティーク品でしか手に入らない陶磁器ブランドだ。それなりに値も張るだろう。
……厄介なことばかりすると思っていたが、どうやらその限りではないらしい。
美しい茶器のデザインを楽しみながら飲む紅茶は、より一層美味しいように感じた。
閉店時間が近くなると、常連さん方が会計を始める。というか、遅い時間には常連さんがほとんどだ。私が辞めたタイミングではすっかり見なくなってしまっていた人も大勢来ていて、懐かしい様な気分になった。
店を出る前にちらりとこちらを見て、会釈したり、手を振ってくれたりする。私も笑顔で返した。
やがて客席には私と切嗣だけになる。
するとアイリもキッチンから出て、私たちのテーブルに来た。
「久しぶりね、切嗣。今日はどうしたの?」
「ああ、アイリ! 久しぶり! いやあ、心配でね」
「心配?」
「僕はね、並々ならぬ愛情を持っている。だからこそ気になるんだよ。新しいオーナーの元、きちんとやっていけているか」
「切嗣……」
何に対する心配、そして愛情なのかと言えば、アイリへのなのだが。その一語が抜けたために、彼の言葉はアーネンエルベへの深い愛情を訴えているように聞こえた。
「もちろん、僕が居なくても、君たちみんなが力を合わせればアーネンエルベはやっていける。もう僕がしてやれることは何一つない。そう判断したからこそ、他人の手に委ねたわけだよ。だが、セイバーさえも離職してしまったと知ってはね。不安を抑えられなかったんだ」
顔の前で手を組んで、切嗣は物憂げに溜息を吐いた。なんだこいつ。さっきとは別人過ぎて引く。
「そうだったのね……。随分と心配をかけてしまって……」
騙されないでくださいアイリ。
「でも安心して、切嗣。セイバーもこうして戻って来てくれたことだし」
え? 戻って?
そういう解釈ですか?
「そうだね……これで君も安心して僕の店に来られる」
「それは駄目よ、切嗣。私はまだこの店で必要としてもらっているわ。嬉しいことにね。貴方の育てて来たアーネンエルベを、私たちみんなで守っていくから、安心して」
「あー……うん。あー……守っ……ちゃうかー……」
こいつ、自分の発言で墓穴を掘ったな。
尚も彼女を説得する言葉を考えている様子だったが、ごにょごにょと口の中で何か言っている。考えが纏まらないのだろう。
「じゃあ……また様子を見にくるから……」
しばらくそうしていたが、良い案は思いつかなかったらしい。どうやら今日の所は退却するようだ。
「ええ。いつでも歓迎するわ。新しいお店も頑張ってね」
くたびれた背広の男は、よろよろと店を後にした。
「セイバー」
そうすると、キッチンから飛び出して来るのはギルガメッシュだ。
だが、いつもと違う。
犬のように駆け寄って来ない。
緊張の面持ちで、私を見ていた。
「ど……どうだろうか」
何を聞いているのだろう。困惑する私に、エルメロイが耳打ちした。
「アーネンエルベが立ち直ったか、お前が様子を見に来たと思ってるんだよ」
ああ、そういうことか。
店内の様子を見て、私が彼の経営をどう評価するか、それが聞きたいと。
彼は唇を引き結んで、両の拳を握り締めていた。いつも尊大な態度を取る自信家だと思っていたが、こんな顔もするのか。
それを見ていて微笑ましくなり、少し、私の口元は綻んだ。
「とても、素敵な店です」
彼が息を飲んだ。
傍らにいたアイリやエルメロイも、肩から力が抜けたような気がする。二人が微笑み合うのを見た。
「ギルガメッシュ、私は貴方のことを誤解していました。貴方はアーネンエルベを指揮して行くに相応しい人物だったようです」
「セイバー……!」
彼は駆け寄って、私の手を取り両手で握り締めた。感激しすぎだが、今はそれも愛嬌のように思える。それだけ彼も頑張ったのだ。だから、それが評価されればうれしい。その喜びを率直に表現する彼を、私も好ましく思った。
「そこでだ、セイバー」
妙に力んでいるが、その続きは容易に想像が付いた。私も実際、辞めたことを後悔していたのだ。その申し出を有難く受けよう。
「ええ、もう一度、ここでメイ「この我とけっ結婚しようではないか!!!」」
……?
結婚……?
「えええええええええええええ」
何をどう言い間違えたのだろう。
何故このタイミングで、私は求婚されているのだろう。
「アイリも我が見直されればセイバーと結婚出来ると言っていた」
「誤解よセイバー! 私はお付き合いできるかもって段階までしか……!」
待て!
それでも十分罪は重い!
「えっ……えええっとですね」
ここで素気なく振ってしまったら、彼は経営のモチベーションを失ってしまうのだろうか。良きアドバイザーとなっているアイリへの信頼も、ガラガラっと崩れ去ってしまうのだろうか。
それはまずい。
「お、お付き合いから、始めませんか……?」
ああ、人身御供。
でも、私一人の犠牲で店が上手くいくなら……。
「せえばあああああああ!!!」
「ぐえっ」
息が苦しいくらいに抱きしめられつつ、私は、どうやってお別れさせていただくのが適切か、すでに考えはじめているのだった。