西暦2138年。枯れた大地を全地形対応車、俗に“クアッドバイク”と称される電動車両でひた走る。天気は
「
目の前の計器に視線を落とすと時刻は22時。
予定よりも帰りが遅れたことに内心毒づく。音楽で気を紛らわせたくてもプレーヤーは故障中。今は霞む景色の中、事故を起こさぬよう車両を転がすしかない。
震災で崩壊した
そして、俺が所属する組織の所在地でもある。
この時代、人類は
そして、ここは地震列島、日本。度重なる震災により、
組織の拠点は放置された建物のなかでも、比較的まともな物件を再利用している。いわゆる不法侵入や不法滞在の類だが、“中央”からはお目こぼしを受けている状況だ。
奴らは何だかんだで“外の労働力”を必要としている。不穏分子を都市の外にとどめる名目で、旧市街地のインフラ機能を最低限残し、外との適度な距離感を保とうと方々へ根をまわしているのだ。
深夜23時を回り、ようやく拠点に帰還。
仲間のエンジニアに車両を任せ、俺は宛がわれたあばら家へ引き上げる。
出迎える者は居ない。隙間風がカビ臭さを運ぶボロ屋だ。
乱暴に防塵マスクを顔から剥ぎ、蒸しタオルで顔と首回りを拭く。煤で黒ずむタオルを回収ボックスに投げ入れ、ガタつくソファーに腰を下ろす。一息ついたら専用バイザーを被り、慣れた手つきで端子を首の背面へ挿す。
毎日繰り返すいつもの行動。馴染みすぎた習慣だ。
端子を通して視界内に様々なウィンドウが表示される。
おもむろに手を伸ばし、ニュース番組のアーカイブをアクティブにする。世情にさほど興味はないが、日常会話の種として出社前と帰宅時には目を通すようにしていた。
「――難民を狙った人身売――」
ウィンドウをスライドさせて次の記事を読み込む。
「――これにより実質オーストラリア・エアラインのみとなりました」
飛び込んできたニュースに目を細める。
50年ほど前から数を減らし続けた航空会社が、ついに一社になったようだ。
航空機が世界一安全な乗り物だったのは大昔の話で、今や事故率が高い乗り物に成り果てている。その原因は至って単純で、プロペラやジェットエンジンのファンブレードといった駆動部が大気中の粉塵によって動作不良を起こすからだ。
推進力としてロケットが注目されたこともあったが、「大気汚染を加速させる」として政治的に計画そのものが圧殺されている。
人類は宇宙へと逃れる術も得ぬまま空から遠ざかり、人々を繋ぐのは光ケーブルによる情報網と陸海の輸送路のみとなったわけだが、そのおかげで俺のような人間にも仕事が回ってくるのだから心情としてはなかなかに複雑だ。
次のニュースを読み込む。
「――欧州の
暗いニュースばかりで辟易する。
20年前、欧州で
さらに都市機能を破壊された
結果として欧州の各
「おっと、そろそろ行かないとな」
時計を見てニュースを閉じる。
そして新たに呼び出したのはゲームのタイトル画面。
体感型DMMO-RPG「ユグドラシル」。
その正体は、体内に注入したニューロン・ナノマシンと首に取り付けたコネクタを通して神経接続することで、仮想世界を現実のように体感できるゲームだ。
700もの豊富な種族、2000を超す職業、6000を超える魔法。武器防具、外見制作、拠点の拡張などなど、比類なき強力なカスタム要素が売りの長期ヒット作だ。
リリースは12年前。欧州と同様に内乱の危機を孕んでいた日本で、国家を再編した巨大複合企業がローマ帝国の警句を実現するために開発したゲームだ。
権力者の思惑によって誕生したもののゲーム自体に政治色は無く、度々炎上する運営にさえ目をつぶれば大衆受けはそこそこ良かった。
そして今日はユグドラシルのサービス最終日。
一世を風靡した人気タイトルだが、その長い歴史に幕を閉じようとしていた。
俺は所属ギルドが存在する“
ログインまでの僅かな時間、首を右へ左へと回す。半ば癖になっているこの行為に特別な効果はない。ただ、肩の凝りと共に仮想酔いも軽くなる気がするのだ。
しばらく待つと視界があけ、一瞬の浮遊感を味わった後にホームポイントに降り立つ。
ヘルヘイムとニヴルヘイムを繋ぐ「
余談だが、ユグドラシルで異形種と人間種が混在できる街は本当に珍しい。このゲームはMMOであるにもかかわらず、他種族に排他的なエリアが多いのだ。
本を正すとゲームルールの仕様に起因する過度な
ユグドラシルではプレイヤー1人につき1キャラクターしか作れない。2人目のキャラクターを持つことが許されていなかった。そのため、プレイヤーはひとつのキャラクターを試行錯誤しながら育てるしかない。もしも別のキャラクター、例えば「種族を途中で変えたい」場合、特定の条件を満たして転生する必要があった。
しかし、これがとても面倒で手間がかかるのだ。もちろん既存のキャラクターを削除して作り直す手段もある。ただその場合は、課金で解放した指輪などの“拡張スロット”も全てリセットされてしまうのだ。
これらの事情を踏まえたうえで、“異形種”はひときわ不人気だった。異形種が特別弱かった訳ではない。むしろその逆で、各能力値の成長率は人間種の3倍、レベルアップで得たポイントを種族特化で割り振って“最終種族”まで育て上げれば相当強力なキャラクターを作りだせるのだ。
しかし、ゲームバランスのために「メリットとデメリット」はセットとされていた。強力なキャラクターを作りだせる異形種もそのルールに則り、多くのペナルティを併せ持っていたのだ。
特定の職業に就けない、人間種の街に入れない、種族に応じた弱点、種族に応じた特定部位への装備不可などだ。
極めつけは人間種の幾つかの職業に「異形種プレイヤーを一定数討伐すること」が取得条件に設定されていた。この人間種による異形種狩りにはペナルティが発生しないこともあり、職業の取得とは関係なく
最悪なのは都市内でもPKが可能なため、心休まる場所さえ無いことだ。
運営は「異形種はPKに遭うリスクが高い代わりに、能力を高く設定しているので問題はない」としていたが、そもそも遊び始めて間もないプレイヤーが「殺され続けるゲーム」に面白さを見いだせるはずがない。
人間種で再スタートするプレイヤーもいたが、一度ケチが付いたゲームに愛着が湧くはずも無く、多くのプレイヤーは低レベル帯を脱する前に心挫けて引退していったのだ。
その結果、ネットでは「人間種でキャラメイクするのが正解」とされ、サービス開始から1ヶ月経たずして人間種と異形種の比率が7対3を割り込んだのだ。
そしてこの圧倒的な種族比率を受けて、運営は慌てて救済処置として
各ワールドに数か所、それは“
「こいつとも今日でお別れか……」
“
初めてユグドラシルにログインしたときは驚きの連続だった。戸惑うことも多かったが、今ではこのアバターも「第二の身体」と言えるほどよく馴染んでいる。
服装は上から、シルクハットに鳥の嘴を思わせるマスク、身体にフィットしたレザーアーマーに丈の長いマント。革手袋に脛まである網上げのブーツ。それらをギルドカラーの真紅で染めている。ひと言で表すなら「赤いペスト医師」だろうか。
マスクを外せばギルドメンバーに「お任せ」で創ってもらった黒目黒髪でやや野性味のある青年の顔がある。
“
ここの連中は現金なもので、自ら醜い異形種をアバターに選んでいるにもかかわらず、容姿端麗な美男美女が売り子でないと売り上げが伸びないのだ。
そんな俺の種族は
青白い肉塊を核にした白く泡立つ粘体が本当の姿だ。その見た目から卑猥な蔑称で呼ばれることも多かったが、減少するプレイヤー人口に比例して悪質なプレイヤーとの遭遇も減ったので、今ではそれらも含めて笑える思い出だ。
カルマ値は100。“聖なる”などと付いてはいるものの、特別“善”に偏ってもいなければ信仰系魔法に高い耐性を持っているわけでもない。強いて長所を挙げるなら、レアボーナスの〈
本来であれば先述の通り“種族特化”が望ましい異形種だが、生産系ギルドに所属していたことと、メンバーの脱退によって兼任作業が求められた結果の調整だ。
なお、対人戦闘のスタイルは「キャッチ&ゴー」。俗に「拉致」や「キッドナップ」などと呼ばれるもので、敵の盾役や回復役を
単純ながら味方への貢献度の高い嫌がらせ行為だが、相手が上級者ともなれば“行動阻害”や“転移阻害”は当たり前。そのため、装備品や
視界の隅に浮かぶ時計を確認すると、間もなく日付が変わる。
事前にあったアナウンスによれば0時にサービスが終了、強制ログアウトのはずだ。
「さて、最後の挨拶に行くか」
一歩踏み出すと自分を中心にノイズが波紋のように広がる。
波立つ世界に思わず舌打ちする。粗悪な端子のせいで不意に仮想現実を実感させられていけない。
「……やれやれだ」
気を取り直して向かう先は所属するギルド「
異相協会はいわゆる中堅の生産系ギルドで、全盛期は小規模ながら砦めいた固定拠点も保有していたこともあった。
しかし、流行り廃りの荒波には逆らえず数年前から引退者が続出。ギルドメンバーが10人を切った頃には拠点の維持費を捻出するだけの接続頻度を保てなくなり、これから向かう移動式拠点の「幌馬車」に鞍替えしたのだった。
ユグドラシル後期に追加された移動式拠点は、もとは騎獣のインベントリを広げるための「拡張パック」だ。バージョンアップを繰り返すうちに規模が大きくなり、最終的には騎獣から完全に独立したギミックとして実装された。
馬車、船、飛行船の3タイプがあり、街の指定された停車場や港などに停めないと第三者から攻撃される恐れがあるものの、固定拠点と同様に課金アイテムで拡張が可能なことから少人数ギルドに愛用されていた。
また本来であれば「城」以下の拠点にはNPC製作レベルがないのだが、この移動式拠点は300レベルものNPC製作レベルを持っていた。城のなかでも最弱の拠点で700レベル、その半分未満ではあるが、「お人形さん遊び」をしたいプレイヤーたちには大いに喜ばれていた。
運営の狙いとしては「ギルド拠点を大衆に晒す危険性」に対する言わば救済処置、「警備用NPCを作れ」ということなのだが、当の異相協会は生産ギルドの体裁を保つためにレベルの殆どをNPCの生産系
ギルドメンバーが脱退するたびに穴埋めとしてNPCを再調整するといった具合で、ギルドマスターは気苦労が絶えなかったはずだ。
そんな移動式拠点ではあるが、いくつかの欠点を持っていた。
目立つ大きな欠点としては、ホームポイント設定が不可であることが挙げられる。
ホームポイントとは、ゲームログイン時やゲーム内で死亡した際に、リスポーン地点として設定できる場所のことだ。
移動式拠点が他のギルド拠点やダンジョンの出入口に横付けが可能なため、「ゾンビアタック対策」としてとられた処置だ。なのでギルド拠点に移動式拠点を登録しているギルドに所属すると、ゲーム内で死亡した際にはその場で蘇生されない限り「ホームポイント設定ができる街」でリスポーンする羽目になる。
次いでギルドの最大登録人数にペナルティーを受ける点だ。ギルドであれば最大100人まで登録できるところを、わずか10人にまで減らされる。クランですら30人なので、その少なさが際立つだろう。これは「複数のプレイヤー情報を内包した
これらの諸事情により移動式拠点そのものの戦闘利用は不向きで、所有者の多くは戦闘を行わない生産系ギルドや、俗に「エンジョイ勢」と呼ばれるプレイヤーたちだった。
かくしてそんな移動式拠点の中から異相協会が選んだのは、4頭立てのアイアンホース・ゴーレムが引く大型の幌馬車だ。荷台の外観は「魔女の家」を思わせるログハウスに変更していたため走る姿はなかなかにメルヘンだが、実はこれでも地味な方で、中には電飾輝くデコトラや迷彩柄の装甲車などなど、プレイヤーの数だけバリエーションもある。
初めの頃こそフィールドを駆けまわりもしたが、防衛が困難になってからは“
停車場を見渡すと同じ境遇の移動拠点が雑多に停めらている。まるでトレーラーハウスで集う1960年代のヒッピーだ。サービス最終日なのでいつも以上に活気、いや、悪ノリしている奴が多い。
普段であれば煩わしく思うほどの騒がしさも、最後を飾ると思えば不思議と許せてしまう。
動かぬ小屋となり果てた荷台後部の扉をノックし、返事を待たずに乗り込む。
後ろ手に扉を閉めると、外の喧騒が嘘のように静かになる。
初めて入る奴は大抵驚くが、荷台の「魔女の家」から受ける印象よりも内部は広い。これは居住空間の快適性を重んじた訳ではなく、単にユグドラシルの仕様上の都合、プレイヤー同士を過度に接触させないためだ。プレイヤーの座標や同期やらと、「大人の事情」が空間を歪ませているのだが、そこはユグドラシル、ゲーム故に「魔法の馬車」という便利な一言で片付けられていた。
間取りは3LDK。馬車後部から入ってすぐの空間は居間兼キッチンで、食料を生み出す“ダグザの大釜”を魔女の大鍋に見立て、壁の棚には様々な
見渡すまでもなく、長椅子で寛ぐ3人の女性が目に入る。
そのうちの1人が俺を出迎えた。
「誰かと思えば、ヴィクトルじゃないか。……ログインしないままお別れかと思っていたわ」
彼女はいつもの調子で白々しく挨拶をする。
ギルドに所属しているのだからログイン通知を受けているはずだ。
真紅のローブを纏った長い黒髪の妖艶な美女。
異相協会五代目ギルド長、クラーナだ。
種族は
亜人属の
お互い最初期からギルドに所属しているため、ゲーム越しとはいえ随分と長い付き合いになる。それもゲームの仕様上、ギルド長の代替わりの度にギルドそのものを再設立しなければならないので、今日まで人間関係が拗れずに関係が続いただけでも我ながら驚きだ。
「挨拶ぐらいはしとこうと思ってな」
「そう。最後に会えて良かったわ」
サービス最終日にもかかわらず、クラーナはテーブルに様々なアイテムを広げている。
「それは、買って来たのか?」
「そうよ。投げ売りされててね。この子たちの為につい買い込んでしまったわ。あ、もちろん個人資産からよ?」
クラーナが「この子たち」と呼ぶ2人の女性はどちらも彼女が創った
外見は
服装もほぼ同じで、頭に小さなテンガロンハットとホットパンツで一見すると脚線美を誇示したカウガールのようだが、上半身を
マーシャは
今はプログラムに従って自動的にアイテム生産を繰り返すだけだが、馬車が走り回っていた頃はマーシャが馬車を操り、ジルが屋根の見張り台に就いて、アクティブモンスターや敵対的なプレイヤーを迎撃していた。
クラーナがコンソールを開く。
買ってきたアイテムを2人に装備させるのだろう。
マーシャには黒光りするガンブレイドならぬガンクラブが装備される。銃身は長さ40センチほどの正四角柱で、先端に小口径の穴が不気味に開いている。撃って良し、殴って良しの珍武器だろうか。
ジルには植物の意匠が表面に彫られた
そして真紅に染められたお揃いのマント。表面には細かい六角形の升目模様が入っている。記憶が確かならば、機械系のイベントボスがドロップする装備で、回避率上昇効果と、装備すると呪文リストに第九位階魔法の
超大型アップデート「ヴァルキュリアの失墜」で追加された
「この期に及んで装備に手を出すとはな。本命はそのマントか? よく2個も買えたな」
「最終日だし、どれも捨て値よ。――っと、これで良し。銃はどっちもプレイヤーの手作り品。棍棒の名前は“第一種臨界不測兵器”。
「このギミックは面白いな」
「でしょ? 連れて歩けたらもっとお洒落させても良かったんだけどね。――それよりも、アエラちゃん用の服を買ってきたからさ。連れてきてもらえるかしら?」
クラーナがアエラと呼ぶNPCは、俺が
「狼に服は要らないだろ」
「エンチャントを手伝ってもらう度にデフォ下着で可哀想だったのよ!」
「あぁ、分かった分かった。連れてくる」
下着といっても運営が用意した色気の無いタンクトップにスパッツだ。任意にこれらを脱がすことができない代わりに、例えば背中が大きく開いたようなデザインの防具を装備した際は非表示になる仕様だ。
クラーナは同性としてお洒落させたかったのだろう。それならそうと言ってくれれば何かしら着せたのにと思わなくもないが今更である。
居間の奥、御者台へ続く狭い廊下へ向かう。
廊下は車体中央ではなく左側面、御者台に向かって右手に扉が三つ、突き当りに御者台へ続く扉がある。
廊下に並ぶ真ん中の扉。そこが俺の部屋だ。
内装は馬車の外観に合せた「ログハウス風」で、机と椅子、それに増設した収納棚しかない簡素な6畳ほどの部屋だ。
ちなみに、御者台に近い部屋がクラーナの私室で、居間に近い部屋が課金の賜物とも言える“ハブ空間”だ。ハブ空間の中にはさらに複数の扉が並んでいて、工房や倉庫といった部屋へと繋がっている。
まさに“
自室に入り床へ目を向けると、カーペットの上に大きな赤毛の狼「アエラ」が横たわっている。
人狼が狼の姿になるにはスキルの発動と共に、それを維持する魔力コストを毎秒支払わなければならない。アエラはそれを回避する
その肝心の
「結局、聖職者ってことでいいのかな?」
そう言いながら頭を撫でてやると、アエラは軽く頭を上げて尻尾を振る。
容姿、モーション、AIは外注だ。依頼した先がいい仕事をしてくれたおかげで随分と癒されたものだ。
「アエラ、付いてこい」
設定された命令コマンドでアエラを追従させ、居間に戻る。
「来たわね。さぁ、コレよ」
クラーナが差し出したのは、真紅に染められたナース服だった。
「邪道だ」
「邪道とは酷いわね。これでも
マスター権限を持つギルド長ならば自由に変更できる筈だが、どうやら俺のNPCということで着せ替えを任せるつもりらしい。
「ちょっと待て。聖職者なんだから、そこは修道服とかじゃないのか?」
「気にしない気にしない。ナース服はもともと修道女がモデルなんだから。ほら、早く」
“え、そうなの?”と思わず出そうになった疑問の声を飲み込み、ナース服を受け取る。
「色々と物申したい気もするが。アエラ、変身解除」
アエラを人型に戻し、コンソールを開いて赤いナース服を装備させる。
丈が短いせいで下着よりは色気がある。
「ん~、セクシーだけど、髪の毛も赤だからアクセントに欠けるわね」
「なら白にもど――」
「はい、黒ね」
クラーナは俺の主張をさえぎると、流石は生産系ギルドマスターと言うべきか、アイテムボックスから素早く合成素材“黒の染料”を取り出す。
ため息交じりに染料を受け取ると、コンソールを開いてナース服に適用させる。
「おぉ~、ちょっとサディスティックでいい感じね」
「これはこれで有りか」
黒いナース服に赤髪がよく映えていて想像していたよりは良い。
改めて見ると確かに修道女を連想させる。
「アエラ、変身」
「えー、もう狼に戻しちゃうの? せっかく買ってきたのに」
「狼がいいんだ。それに、どのみちもうすぐ終わるだろ?」
――終わる。
その一言でクラーナは素直に引き下がる。
「それにしても意外だったわ。最後に残ったのがヴィクトルとはね」
「そういうお前も、最後までギルド長を務めるとは思わなかったぜ?」
「私は、まぁ、最後だから言うけど、身体が不自由でね。
さらりと告白されたが珍しい話でもない。義務教育が廃止されたこの時代、五体満足でないと
クラーナは続けて「新しいゲームを一から覚えるのも億劫でね」と笑う。
「ヴィクトルは? 他のゲームに移らなかった理由。なにかあるの?」
「他に選択肢が無かった。それだけだ」
「へぇ、そこまでユグドラシルに愛着を持っているとは思わなかったわ」
「いや、違う。バージョンアップできないんだ」
そう言いながら俺は自分の頭を人差し指でコンコンと指す。
「不認可の病院で手術したせいで状態が悪くてな。まぁ、つまりそういうことだ」
「それは。ごめんなさい、言葉が無いわ」
「気にするな。既に受け入れている」
コネクタは多くの社会問題を引き起こしているため、説明にもなっていない台詞でも伝わったようだ。医療技術が発達したとはいえ、首の後ろに設置するコネクタ周りの事故は昔から後を絶たない。接続不良による記憶障害、ニューロン・ナノマシンがバグを起こして全身麻痺に陥ったり、膨大なデータが流入して発狂したりなんて話はよく聞くものだ。
都市伝説じみた「ハッキングされて他人と精神が入れ替わってしまった」なんて話は別として、命に関わる事故が多いので笑い話にはできない。
「病院へは?」
「金が無い」
腐りきったこの世界で生きるのに必要な物が二つある。ひとつは人工心肺で、もうひとつがネットへ接続するためのコネクタだ。
前者は文字通り生存に関わり、後者は経済的な活動に必須だ。
俺が最初に受けた手術は人工心肺。
命が掛かっているのだから当然と言えば当然で、信用のある病院で手術を受けた。
しかし、高額な手術費に財産を失った。
それからしばらく経ってからコネクタが開発された。
最初期は大変高価で手が出せず、軍事や産業の発展によって安価になったと言われる今でもまだまだ高い。
そして、いつの頃からか選民思想を持つ企業がコネクタの普及を目論み、雇用条件に定め始めた。日本を牛耳る巨大複合企業に逆らえるはずがない。コネクタが無ければ仕事を得られなくなるだけでなく、
コネクタの手術費の9割を企業が負担するという見え透いたキャンペーンに乗っかり「市民」になったが、術後のバージョンアップは自腹。2度3度とバージョンアップを繰り返すうちに資金が尽き、ついには安く済ませようと不認可の病院で手術をしてしまったのだ。
人工心肺のローンと、年々上昇する物価で貯蓄できない者にとって、正規の病院へかかる選択肢は無かったのだ。
しかし、仕方が無かったとはいえ、今はその手術が爆弾になってしまった。今では金があったとしても無事に交換できる保障もない。
直ぐにどうこうなる訳では無いが、コネクタの劣化が激しく、また型落ちしてしまっている為に変換器を噛まして騙しだまし接続しているのだが、このまま放置すれば遠くない未来、俺はこのネット社会から隔絶されるだろう。
“バージョンアップできない”とはそういう事なのだ。
「まあ、そんな訳でな。接続できるうちに挨拶できて良かった」
「やめてよ、今生の別れみたいな言い方」
「そろそろだな」
「え?」
視界の隅に映る時計を確認すると、サービス終了まであと僅か。
湿っぽい話は苦手だ。このまま終わるのもいい。
「ね、ねぇ。このままお別れなんて言わないわよね? メアドに連絡先送るから、一度くらい会わない? 打ち上げってことでさ。確か、同じ旧米帝区よね?」
正直面倒臭い話だが、声からはクラーナの真剣さが伝わってくる。
ユグドラシルのアバターには表情が無いため、声の調子から相手の機嫌を探るのが上手くなった気がするのは気のせいだろうか。
しばし思案した後、了承する。
「別に構わないが、
「お気遣いなく。そんなの気にしてたら客なんて取れないわよ」
ありがたい言葉だ。社交の類は苦手だが、最後くらいはこのギルドマスターに付き合うのも悪くはないかもしれない。
「分かった。第五までは昇れるからその辺で頼む。というか、お前の方こそ出てこれるのか?」
「なんとかするわ。それよりもほら、連絡先送っておいたから確認して」
視界内にメールの通知がポップアップする。
「確かに受け取った」
「日程はそちらに合わせるわ」
「あぁ」
時計を確認する。サービス終了まで既に一分を切り、秒読みを開始している。
ここに至り互いに話す事はなく、ただ共に物思いに耽るだけだ。
終了間際、タイミングを計ったかのようにクラーナが口を開く。
「最後までありがとう」
「お前もな。お疲れ様」
「また会いましょう」
0時になり、目を閉じる。
ログアウトを待ちながら、今後の予定を考える。
まずはクラーナのメールを確認だろうか。
「あれ?」
クラーナの声につられて目を覚ますと、先ほどと変わらず馬車の中にいる。
「サーバーダウンが延期になったのかしら」
単純に考えればその通りだ。
GMから不具合の通知がないかコンソールを開こうとして――。
「開かない?」
「え? あ、本当だ」
クラーナも空中に手をかざし、コンソールを呼び出すモーションのまま止まっている。
俺は続けて、コンソールを介在しないGMコール、強制終了を試すが、どちらも不発に終わる。
これは明らかに異常事態だ。
「クラーナ、GMコールと強制終了を試してくれ。俺はできなかった」
「どれもダメね」
置かれた状況を整理しようと互いに見つめ合う。
そして、強烈な違和感に襲われる。
ユグドラシルはこんなにも鮮やかだっただろうか。
こんなにも
一瞬、クラーナの長い黒髪が流れたように見え、眉を顰める。
「クラーナ、お前――」
「
突然の涙声。
その“第三者の声”に驚き、俺たちは側にいるNPCを凝視する。
「今、貴女が喋ったの?」
クラーナが平静を装いながら
NPCは会話を交わせるほど高度なAIを組まれてはいない。平時であればなんとも滑稽な姿だ。しかし――。
マーシャは椅子から立ち上がり、クラーナから数歩距離をとると床に片膝を付く。
「許可なく発言したことをお許しください。世界が終わるとお聞きし、せめて最後に、感謝の気持ちをお伝えしたく思いました」
間違いなくマーシャが喋っている。
続いてジルもマーシャの隣で片膝を付く。彼女も口には出さないが、マーシャと同じく意思を持った目をしていた。
「気持ちは受け取ったわ。2人ともそのまま待機していなさい」
『は!』
不意に俺の足元から小さく「グルルル」と獣の唸る声が聞こえた。
「アエラ?」
「ガゥ!」
アエラに呼びかけると今までにない躍動感で飛び起きる。
頭を撫でると、グローブ越しにも柔らかい毛を感じることができた。さらに良く観察すれば、毛の一本一本がきちんと存在しているのが分かる。
そして、アエラがお返しとばかりに舐めたグローブが、しっとりと湿ったのも確認できた。
在り得ないことだ。いくら体感型ゲームとはいえ、これほど緻密に再現するのは難しいはず。
なによりも、俺の端末が許容できるデータ量ではない。
いや、出来ないというのは俺の思い込みで、実際にはユグドラシルがアップデートされた可能性もある。
しかし、サービス最終日に何のアナウンスも無くしでかすだろうか。
「アエラ、お前も指示があるまでマーシャたちの側にいろ」
「ガゥ!」
一吠えすると、コマンドには無い単語に従う。
「クラーナ、俺は聞き込みをしてくる」
サービス最終日でもそれなりの人数が接続していたので、この異常事態に自分たちだけが陥っているとは思えない。コンソールは使えないものの会話自体は問題なく行えた。他のプレイヤーともきっと可能だろう。
彼らと協力できれば進展があるかもしれない。
「ちょ、ちょっと待っ――、きゃ!?」
『クラーナ様!』
俺を追いかけようと立ち上がったクラーナが、その勢いのまま盛大にすっ転ぶ。
転倒した主に駆け寄ろうとマーシャとジルの2人が即座に反応するが、当のクラーナに手で制され踏みとどまる。
「待機と言ったはずよ」
『はっ!』
思わぬ拒絶の姿勢に愕然とする2人だが、唇を嚙み、悲壮な表情で再び跪く。
その表情や咄嗟の行動に疑問を覚える。ユグドラシルのNPCに“忠誠心”というステータスは無い。にもかかわらず、彼女らを見る限り本心からクラーナを気遣い、命じられた待機に耐え忍んでいるように見える。
「痛った。まったく、冗談じゃないわよ」
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ」
クラーナに手を差し伸べると、思いのほか強く腕を引っ張られる。
言葉とは裏腹にその表情は強張っていて、とてもアバターとは思えない。
やはり、表情がある。
そして、彼女の次の言葉で察する。
「どうしよう、歩けないわ。これじゃ
「さっき言っていた“不自由”ってのは、脚か?」
「左足がちょっとね。杖があれば生活に支障はないんだけど。でも、ゲームの中でこんな気持ちになるなんて、最悪だわ」
小さな不具合なら笑い話にでもできるが、流石にこれは度を越している。
運営にクレームを入れようにも、連絡手段が無い現状では手詰まりだ。
「すまないが、さっき言った通り俺は聞き込みをしてくる。待っていてくれ」
「分かったわ。でも、なるべく早く戻って」
「すぐ戻る」
踵を返し馬車後部の扉を開け放つと、“
「!? な、なんだ!?」
ヘルヘイムは常闇と冷気の世界。
しかし、眼前に広がるのは
「プレイヤーの攻撃か?! いつからだ? いつ、転移させられた!?」
「ど、どうしたの?」
クラーナの声に振り向きながら、後ろ手に扉を閉める。マーシャがクラーナを助け起こして、椅子に座り直させているところだった。
「ねえ、外に誰かいたの?」
声には不安が現れているが、先ほどよりは表情に落ち着きがある。
「いや、違う。説明するからちょっと待ってくれ」
俺は状況が飲み込めず言い淀む。
しかし、素直に伝える以外にない。
「思っていたよりも状況が悪いかもしれない。まず、外が普通の草原だった。俺たちは馬車ごと別のワールドに転移している可能性がある」
「ヘルヘイムじゃないって、――確かなの?」
クラーナは信じられないといった表情だが、俺だって信じられない。
「10年以上過ごしたワールドだぞ。ヘルヘイムに“まともな草原”が無いことはお前も知っているだろ」
長年、共にヘルヘイムで異形種プレイヤーを相手に商売をしてきたのだ。今更住み慣れたワールドを見間違うはずがない。クラーナも俺の言葉に納得してくれたようだ。
「でも、都市内からワールド間を強制転移だなんて、聞いたことが無いわ」
「起こったのは事実だ。コンソールが開かないからどのワールドかは分からんが、人間種が多いワールドだとしたら厄介だぞ」
「うーん、
「それはない、と思う。俺らにも
そんな強力無比な
そして、この異相協会は
仮に
「だとすると、サービス終了のタイミングでバグったのかしら?」
「かもしれないが、まずは馬車を人目に付かない場所へ移動させないか? この状況下でサービス継続気分の奴に襲われるのは面白くない」
「それもそうね。でも、コンソール開かないんでしょ? 行先指定できないわよ?」
失念していた。馬車にはふたつの操縦方法がある。ひとつはコンソールから行先を指定する“自動運転”。もうひとつはプレイヤーが操縦する“マニュアル運転”だ。
コンソールが開けないので自ずとマニュアル運転になるが、今は考えなければならないことが多く、マルチタスクに陥ることは極力避けたい。
それに、未知のエリアで当てもなく彷徨うのは不安が大きい。
どうするべきか迷っているとマーシャが身を乗り出す。
「差し支えなければ、このマーシャにお任せください」
喋るNPCにいまだ慣れない。
少し考え、彼女の御者設定に賭けることにする。
「マーシャ、頼めるか?」
「ご命令頂ければ、いつでも」
「よし。――アエラ、人の姿になれ」
アエラは人間の姿に戻るとマーシャたちと同じように跪く。
「御身の前に」
確信は持てないがNPCたちの眼差しは真剣。
今は信じるしかないだろう。
俺はクラーナへ向き直る。
「クラーナ、彼女たちに任せよう。俺から指示を出すが、構わないか?」
「え? えぇ、いいけど。私はこんなだし、わざわざ聞かなくてもいいわよ」
「異相協会は組織で、お前はその長だ。こんな時だからこそ規律は必要だ」
「案外お堅いのね。――分かったわ。じゃあヴィクトル、指揮を任せるわ」
「了解した」
クラーナの言葉に頷きで返し、NPCたちに指示をだす。
「マーシャは俺と御者台へ。運転は任せる。ジルは〈
『畏まりました』
「アエラ、お前はクラーナを部屋に運んで脚の回復に努めろ」
「仰せのままに」
「……良し。行動開始だ」
独自設定
・リアル世界の描写。原作より過酷。
・主人公たちの活動拠点、
・ヴィクトルの種族、
・移動式拠点全般。原作のバランスを崩さない程度の設定にしたつもりです。
・クラーナの種族、
・