※この作品はR-18です。

オバロ外伝:安穏無事に過ごしたい   作:ウキヨライフ

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第9話:焼き菓子

「おはよう、ヴィクトル。――なにしてるの?」

 エ・ランテル3日目、朝。

 俺はクラーナに起こされた。

「もう朝か。なに、こ(・)れ(・)が落ち着くんだ」

「平穏を求めた結果がそ(・)れ(・)なの?」

 

 今の状況を説明すると、俺は〈擬態(ミミック)〉を解いてバスタブの中に収まっていた。俺の正体を知らない者が見れば白く泡立つ液体がバスタブを満たしているようにしか見えないはずだ。

 ではなぜバスタブに収まっているのか。“起こされた”と表現したが、実のところ粘体(スライム)の種族特性で睡眠は不要だ。しかし同時に嗅覚と振動感知に優れ、加えて全周囲視覚だ。つまり常(・)時(・)覚(・)醒(・)状(・)態(・)で(・)周(・)囲(・)を(・)知(・)覚(・)で(・)き(・)て(・)し(・)ま(・)う(・)わけだが、これが元人間である俺にはこたえた。精神作用無効があるとはいえ落ち着きたいときに落ち着けないのだ。

 

「ベッドだと肌に触れるシーツが気になるんだ。かといって休憩したいのに仮面や眼鏡で視覚を矯正したままってのも変だろ?」

 色々と試して導き出した答えが「〈擬態(ミミック)〉を解いてバスタブに入る」だったのだ。

 これで蓋を被せれば完璧だ。

「難儀なものね。――というか、その状態だと目が無いからどこを見て話せばいいか分からないわ。これ、視線は合ってると思っていいのかしら」

 クラーナは眼球の無い粘体(スライム)の姿にやや困惑している様子。

 今は核にあたる青白い肉塊に話しかけている状態だ。

 

 ユグドラシルの粘体(スライム)種は共通する特有の視界を持つ。暗視、青黒い色相の全周囲の視覚、動く物体の強調表示、100メートルまでの視界、動かない物体の遠近感の喪失だ。

 しかしその容姿に関しては様々だ。眼球の有無、爪牙の有無、外殻の有無、肉質、なかには燃えていたり凍っていたりと特徴を挙げるときりがないが、基本的には最後に取得した種族の姿を基礎として外見に特徴が現れる特殊技能(スキル)などによって個性が生まれる。

 俺の場合は隠し種族の漂う聖なる肉塊(ディヴァイン・グロブスター)が最終種族だが、外見は青白い肉塊を核にした白く泡立つ粘体。ユグドラシル時代はテクスチャだけで表現されていた質感もいまでは現実のものになっている。

 そして現実になってひとつ安堵したのは粘体の粘度が思いのほか高く、また床を這ってもナメクジとは違って目立った跡を残さないことだ。粘体(スライム)の姿でシーツに寝そべっても軽く湿りこそするもののベチョベチョにはならないし直ぐに揮発する。むしろ粘度の高さが災いして接地面の埃を綺麗に吸収してしまうほどだ。なお泡は石鹸よりは水飴などの気泡に近い。

 

「合っているんじゃないか? この状態だと前(・)後(・)左(・)右(・)が(・)無(・)い(・)。視界が球体状に広がっていて死角がないんだ。意識を向けた先が“前”になる感じだな」

 ちなみに粘体の中心にある“核の沈み具合”で重力を感覚として得ている。なので上下の感覚は人間時と変わりはない。

 

「それで、俺になにか用か?」

 人間の姿に擬態しつつ用件を聞くと、図形が描かれた紙を数枚渡される。

「私の紋章、コレにするわ。ヴィクトルのも案を出しといたから、参考にしなさいな」

 

 紋章のことをすっかり失念していた。クレマンティーヌに紋章官の存在を教えられ、個人を表す紋章をギルドマークとは別に作ることになっていた。

 

 クラーナの紋章は王笏に巻きつく羽の生えた白蛇だ。これだけでもカッコいいが、正体のアバターを晒したときに真意がわかるのも面白い。

 対して自分の紋章をどうするか、粘体(スライム)の意匠なんてパッと思いつかない。実家の家紋を使うのも違う気がする。

 

 クラーナが挙げた図案に目を通す。

 幾つかある粘体(スライム)を模したシンボルはどれも極端だ。造形を簡略化するとコミカルすぎるし凝りすぎると不気味になる。粘体(スライム)以外のシンボルだと、ペストマスクからはカラスや錬金術、アエラであろう狼のシンボルなどもあった。

 

 しばし悩み、クラーナにふたつのシンボルを示す。

「このふたつを組み合わせよう」

「烏(カラス)と逆三角? 粘体(スライム)要素は入れない感じ?」

「普段の格好から連想しやすい方がいいだろうと思ってな。一応この逆三角形が水を暗示する。少し強引だが粘体を含めてもかまわんだろう」

 

 ユグドラシルで得たゲーム知識だが、逆三角形のシンボルは錬金術と水を同時に暗示できる便利な記号だ。粘体(スライム)要素はできれば隠し、暗示する程度にしたい。「これは何ですか?」と聞かれたら説明が面倒だ。

 

「でもまあ、こっちの人間に向こうのシンボルが伝わるか怪しいところだがな」

 シンボルをどう捉えるかは民族性が強くでる。例えば“三又の槍”を海神のシンボルとする地域がある一方で、それとは別に悪魔のシンボルだとする地域もある。さらに形だけではなく色にも地域差はある。「太陽を描いて」とクレヨンを渡されれば多くの日本人は赤色を選ぶが、これも地域によっては黄色や橙色だったりする。

 つまり、俺たちの世界でさえひとつのシンボルに解釈の幅があったのだから転移したこの世界ではなおさらだろう。

 

 そんなことを考えているとクラーナから指摘が入る。

「分からないわよ? 物好きなプレイヤーが位階魔法みたいに伝えているかもしれないじゃない」

「シンボルをか? まあ可能性はあるな」

 言われてみれば確かにそうだ。プレイヤーの痕跡がある以上、位階魔法以外にも俺たちの世界由来の何かが伝わっていると考えるのが自然だ。

「ヴィクトルの装備をモチーフにするならカラスの色は赤かしら。逆三角は杯にもなるわよね。――うんうん、まとまってきたわ」

 クラーナが新しく紙を取り出すとスラスラと図形を描き始める。

 はたから見ていると意外と絵心がある。

 

「これでどう?」

「それっぽいな、いい感じだ」

 小さな王冠を被った赤いカラスが片足で杯を掲げている。

 俺自身ブランディングとやらに明るくはないが、初代ギルドマスターのスタイルは分かりやすい。やはり相手の記憶に残った方が活動しやすいのだ。

 

「じゃあ今後はこれがヴィクトルの公的な紋章ね。よし、工房に行ってくるわ」

 クラーナは紋章が決まって満足したのか鼻歌交じりに退室していった。

 正直そこまで紋章が必要になる機会はないと思うのだが、まあクラーナが楽しそうにしているので良しとしよう。

 

 

* * *

 

 

 昼過ぎにグニラが現れた。

 クラーナに催促された雇用契約書を持ってきたのだ。

 

 昨日と同じく応接室へ案内されたグニラは、厳重に束ねられた雇用契約書をクラーナに差し出す。

 

「ご苦労様。王国出身者7人、帝国出身者3人、法国出身者2人。計11人。意外と国際色豊かね。言葉が通じちゃうから現実(むこう)よりは働きやすいのかしら」

「俺にも見せてくれ」

 

 クラーナと契約書を回し読む。

 全員女性で男手がないのは意外だが、ダーニ何某が荒事を引き受ける“ケツ持ち”だったと考えれば不自然ではない。国際色が強いとはクラーナの感想だが、そもそも言葉が通じなくてもできるのが性交渉。国家間の交流が稀になった完全環境都市(アーコロジー)では高齢者の外国人しか残っていなかったが、「出稼ぎ」がまだあった頃の色街には毛色の違う奴がゴロゴロいたものだ。

 

「名前の隣は借金額か。なるほど、儲けは少ないが衣食住の保障はある。悪くはないな」

「そうね。返済できるかはともかく、最低限生きてはいけるわね」

 リ・エスティーゼ王国は奴隷制度を廃止した。だが雇用契約書を見る限り古代社会における家内奴隷と扱いが似ている。言い換えるなら奉公制度だろうか。

 

 まず前提として奉公人に発言権はない。家長への従属が絶対だ。家長は奉公人に対して監督・支配権がある代わりに衣食住を保障する責任を持つ。血縁でなくとも両者は「親」と「子」の関係を持ち、この共同体を指してファミリーやファミリアなどと呼称される。ユグドラシルを思い返せば「〇〇ファミリア」なんてギルドはごまんとあった。

 今回の場合、家長がグニラからクラーナに変わったことで、グニラ含め店の娼婦たちはウェネフィカ家の一員となる。

 

 似たものに昨日グニラが口にした徒弟制度がある。特殊技能(スキル)習得のために「特定のNPCに弟子入りする」なんてのはユグドラシルでもお馴染みのイベントだが、多くの場合この「師」と「弟子」も主従関係にある。親元を離れた弟子は師の世話をする見返りに社会的地位を保護されながら技術の継承を目指すのだ。

 

 クラーナが誰に言うともなくささやく。

「奴隷が禁止されても抜け道はあるものね」

「その辺は俺たちの世界と変わらんな」

 

 人身売買や人身取引と呼ばれる行為は俺たちの世界でも横行していた。買う側の目的はなんであれ、それ自体は特別なことではない。戦争や飢饉が起こればどの国でも行なわれたし、時代によっては「養育」を免罪符に政府が認めることすらある。それもこれも社会を維持するため、弱者救済のため。違法性の程度は地域や時代によって異なるものだ。

 完全環境都市(アーコロジー)しかり、大昔の日本しかり。伝統芸能であるところの「能」に身売りする少女の悲哀を扱う演目があるほど身近なものだったのだ。

 

 リ・エスティーゼ王国が未亡人や戦争孤児に限って公娼を認めているのも、「どんな形であれ社会貢献させたほうが無駄死にさせるよりいい」と考えてのことだろう。認めるだけで勝手に身体を売って税を納め、うまいこと身を固めてくれればこれまた勝手に次の労働力を生みだす都合のいい存在だ。

 国家が弱者を一方的に救済するには“余裕”が必要だが、はたして魔物蠢くこの世界の人類に余裕が生まれる日が来るのかはわからない。かつての日本も一度は福祉政策を「弱者の社会への完全参加」まで果たしたが、滅びゆく世界の前では余裕も失われ、それまで獲得した倫理感も崩壊した。

 

 クラーナが机に数々のアイテムを並べる。

「グニラ、これらを渡しておくわ。しばらくは今まで通り店を維持しなさい」

「畏まりました」

「それと、上納金を払えって奴が来たら私が対応するから、こちらに回しなさい。念のためこの鈴も渡しておくわ。――振ってみて」

 ふたつある鈴のひとつを受け取ったグニラがチリンチリンと振ってみせると、共鳴でもしたかのようにもう片方の鈴が鳴る。

「急を要する場合に限り鳴らすこと」

「お、お預かりします」

 

 グニラが鈴を恭しく受け取ると、クラーナは顔をほころばせる。

「さて、お堅い話はお終い。グニラにお願いがあるんだけど、いいかしら」

「私でお役に立てることがあれば、何なりとおっしゃってください」

 

 

 

 

 

「ウェネフィカ様、こちらが材料です」

「材料が少なくていいわね。ジル、覚えてちょうだい」

「畏まりました」

 場所は応接室から台所に移り、グニラが買ってきたばかりの品を並べる。薄力粉、卵、蜂蜜、植物油、砂糖、シナモン。現実(リアル)ではお目にかかれなくなった食材を前に懐かしさが募る。

 クラーナがグニラにお菓子を作ってくれと頼んだのだ。

 

「始めに油の入った鍋を火にかけます。適温になるのを待つ間に薄力粉少々、卵白1個分、蜂蜜大匙一杯を混ぜます。今回は奮発して蜂蜜にしましたが、樹液甘味料(メープルシロップ)や砂糖でも代用できます」

 グニラが深めの鉢(ボウル)に材料を入れて混ぜ合わせる。

 生地の様子を確かめながら次第に水を追加していく。

 

「薄くなり過ぎないように注意してください。――これくらいです」

 調理用のヘラで生地の混ぜ具合を確かめる。

 とろみは強く、ヘラですくえば角が立つほどだ。

 

 そして油の熱を確かめると、スプーンですくった生地を静かに落としていく。

 

 ジュワーと小気味いい音が厨房に広がる。

 油の中で生地の色が変わっていき、少し経つと立ち昇る煙に香ばしさが混ざる。

 

「こんがりとしてきたら取り出して、こちらの布巾で油を切りながら冷まします。あとは、お好みによって香辛料を振りかければ完成です」

 グニラがヘラで器用に揚げ物を取り出していく。

 布巾に次々と並べられていく揚げ菓子に早くも食欲がそそられる。

 

 クラーナが感嘆する。

「こうして料理を目の当たりにできるなんて感動ね」

「ああ、そうだな」

 クラーナの感動をよそに、俺はキッチンペーパーが無いことに内心驚いていた。消耗品として、冒険者組合では藁半紙めいた薄茶色の紙が掲示板に貼られていたし、都市長からの書類などは小奇麗な白い紙が使われていたが、どうやら台所への進出は果たしていないようだ。

 

 なお現実(リアル)では中下階層の住民は基(・)本(・)的(・)に(・)調(・)理(・)を(・)し(・)な(・)い(・)。レトルト食品をコンビニで買い、自宅の電気ヒーターで温めて食べる。地球に居ながらにしてかつての宇宙ステーション内と同じ食事事情だと思えば色んな意味で味わい深い。

 ちなみに食の質をさらに下げると、空き缶片手に液体食料の配給を受けることになる。

 

 思考の海から浮上すると、程よく冷めた揚げ菓子が皿に移され、仕上げにシナモンが振られているところだった。

「完成です。どうぞ、温かいうちに」

 促されるままひとつ手に取って口に運ぶ。

 サクッとした歯応えとともに香辛料独特の風味と、さっぱりとした甘さが口に広がる。

 

「甘さにしつこさがない。いいな、これ」

「そうね、美味しい。気に入ったわ」

 人工甘味料の口にしつこく残る不快な甘さとは違う。

 俺たちの反応に、グニラが今日初めての安堵の表情を見せた。

 

 

* * *

 

 

「ヴィクトル、準備はいい?」

「準備も何も、ほとんどお前が用意したじゃないか」

「心の準備よ」

「ああ、まあ、問題ない」

 俺は少(・)女(・)の(・)声(・)で(・)そう答える。

 ついに、という訳ではないが大浴場に行くことになった。それもクラーナのいう「幼女形態」でだ。使わなくなって長い外見だが、これからはちょくちょくお披露目することになりそうだ。何にせよこちらの世界では「声の心配」をする必要がない。必要なのは俺の覚悟だけだ。

 

「強いて言えば名前をどうするかまだ迷っている。あと、関係性か」

「私の親戚でいいわよ。まったくの他人だと扱いづらいし、ヴィクトルの親戚設定で一人二役なんてことになったら面倒でしょ?」

 少女のアバターは普段使いの青年のアバターと同じ制作者。幸いなことにクラーナの人化した姿も黒目黒髪なので「民族性」を演出できるのはありがたい。

 

「確かに。――じゃあ、ついでに名前も頼む」

 クラーナに命名権を譲るとうーんとひとつ唸る。

「そうねえ、じゃあ、ソフィアにしましょう。私の名からセルペンスをとって“ソフィア・セルペンス・ラヴーシカ”。愛称はソーニャ」

「愛称?」

「親しさを演出するには必要でしょ?」

「なるほど」

「変えるなら今のうちよ」

「いや、それでいい。じゃあ、行くか」

「あ、そうだ。無口設定だけど、言葉使いには気をつけなさいよ」

「――はい」

 

 

 

 

 

 時刻は夕方。俺たちは辻馬車を拾って大浴場へ向かった。

 メンバーは俺とクラーナ、お供にマーシャとジルを連れている。服装は脱ぎやすさ重視でローブだ。クラーナが用意したので彼女とお揃いだが仕方がない。マーシャとジルは過度な武装に見えないよう普段の装備からいくつか“厳ついパーツ”を外している。

 

 到着した大浴場はなかなかに豪華な外観だ。それと知らなければ美術館や豪邸のようにも見えるが、建物後方にはエ・ランテル内でも珍しい高くそびえる煙突がある。

 辻馬車を降りて利用客の集まる玄関ホールを抜けて受付へ向かう。クラーナが入場料を払う間にも新たな利用客が次々とやってくる。身なりの良い裕福そうな者から町民や職人などその客層は広い。

 しかし、聞き及んでいた通りその比率は裕福な者、それも圧倒的に男性客が多い。社交場を兼ねた場所でこの男女比から透けて見えるのは、この世界――少なくともリ・エスティーゼ王国の政は男性を中心に回っているのだろう。

 そして偏った客層はそのまま各浴室の広さにも比例する。つまり、男湯は女湯の3倍もの敷地面積があるのだ。

 

「お待たせ。ソーニャ、行くわよ」

 支払いを終えたクラーナに頷きで応じ、次は脱衣場へと向かう。

 

 床一面が装飾と滑り止めを兼ねたモザイク張りで、床下暖房が利いているのか足元からそこそこの熱気を感じる。脱衣場へ向かう途中から徐々に室温と湿度が高くなり、ここにきてようやく風呂屋だと実感する。

 

 ベンチと棚が並ぶ脱衣場にはロッカーのような扉付きの収納棚がない。脱いだ衣類はそのまま棚に置けということだろうが些か不用心だ。

 

「もしや、ウェネフィカ様では?」

「ええ、そうですが、――どちら様でしょうか」

 クラーナに付いて脱衣場内を歩いていると見知らぬ女に呼び止められる。40代前後、痩せ型で顔つきはやや鋭い女だ。身なりは良く、侍女をふたり連れていることからおそらくは貴族だろう。

 記憶をたどるとこの女は俺たちのすぐ後に玄関ホールに現れ、クラーナに続いて支払いをしていたはずだ。

 

「私はビルギット。きちんとした自己紹介の前に、まずは場所を移しましょう。こっちよ」

 

 俺たちは促されるままビルギットと名乗った女に続いた。すると脱衣場の奥に装飾で縁取られた出入口がひとつ。開閉する扉が無い代わりに出入口の横には警備員を兼ねた女性従業員がいる。

 進んだ先も脱衣場だが、こちらは幾らか高級感と清潔感があった。

 

「貴女が買ったのは一等券でしょ? こちらを利用しないと勿体ないわよ」

「あら、そうでしたの? 窓口では教えてくれませんでしたわ」

「でしょうね。あの受付、人を選ぶきらいがあるから」

 クラーナが周りに気づかれぬよう俺に小さくウィンクする。彼女は下調べしたうえで大浴場に来た。当然ここの仕組みも確認済みだ。何も知らないていで話を進めているのは相手を立てるためだ。

 

 この大浴場は三等級制で、各等級ごとにサービスの質は異なる。ビルギットの口振りからも分かる通り、クラーナが購入した一等券は最上級のサービスを受けられるものだ。しかし、流れ者であったことから適切な説明もなく粗略な扱いを受けたことになる。

 

 案内された一等級の脱衣場は相応の豪華さだが、見渡すと先客の使用人らしき者たちがその主の所持品を守るように見張っている。

 警備員が居ても少なからず盗難の被害がありそうだ。

 

 俺は服を脱いで腰布一枚になると、物(・)理(・)的(・)に(・)広(・)が(・)っ(・)た(・)視(・)野(・)でさらに広い範囲を窺う。

 脱衣場から見える中庭を模した広場には円形の水風呂がある。天窓はあるものの日が傾いているので室内は薄暗い。数少ない〈永続光〉(コンティニュアル・ライト)を囲むように、育ちの良さそうな婦女子たちが幾つかの組に別れて世間話に花を咲かせていた。彼女たちは娼婦らと比べると肉付きがいい。それだけ良いものを食べているのだろう。

 そして中庭を中心に蒸気風呂、サウナ室、マッサージ部屋、垢すり部屋といった看板がぐるりと囲んでいる。どうやら中庭から各サービスに繋がっているようだ。

 

「個室が空いているそうよ。付いてきて」

 周りに倣ってジルを見張りに残し、ビルギットに付いていくとあることに気づく。中庭を通る際、それまでお喋りに興じていた幾つかの集団が声を落とし、好奇、憧憬、嫉妬、畏敬と様々な反応をみせた。視線の多くは先頭を歩くビルギットに向いている。

 ビルギットはかなりの影響力を持つ者だ。

 

「ここよ」

 案内されたのは十二畳ほどの広さの個室。中庭に面した壁が無いので“個室”と呼んでいいのかは疑問だが、入口に目隠し用の衝立があり、一応は中庭からの視線を遮っていた。

 部屋の中央に寝台とバスタブがそれぞれふたつ、半身浴ができそうな三畳ほどの大きさの浴槽がひとつ、水分補給用なのかポットとコップが複数個、それに籠いっぱいの果物があった。

 5人でこれらを専有できるのならサービスとしては申し分ない。

 

「改めまして、ビルギット・エック・デイル・イブルよ」

 名前の長さからすると間違いなく貴族だ。

 問題は位の高さだが、中庭にいた女たちの反応から上位に違いない。

「クラーナ・デア・セルペンス・ウェネフィカです。流浪の身ゆえこの地の作法には疎く、――無作法をお許し下さいませ、イブル様」

「ビルギットでいいわ。それにしても、堂々としてくれて助かったわ。話に聞いた通り、貴女はこちら側の人間ね」

 ビルギットはクラーナの立ち居振る舞い――貴婦人然とした風体が気に入ったらしい。

 しかもクラーナの事を何者かから伝え聞いている。時期的にもおそらくは共同保証人の誰か。何をどう聞いたのかは分からないが、俺たちに都合よく勘違いしているようだ。

 

 ビルギットが不意に俺を見る。

「そちらのお嬢さんを紹介して頂けるかしら」

 マーシャには軽く視線を送っただけで俺に言及した。

 おそらくクラーナが代表であることやマーシャが従者であることは知っていて、情報のない少女(俺)に興味を持ったのだろう。

 

「この子はソフィア・セルペンス・ラヴーシカ。私の縁者です」

 クラーナがそっと俺の頭に手を乗せ、さも辛い過去がありますといった表情で続ける。

「今は訳あって声を失っていますが、聡明な子なんです。さあ、挨拶して」

 俺はビルギットへ視線を向け、ペコリと頭を下げる。

 表情はあえて作らない。その方がそれっぽいだろう。

 

「ずいぶんと辛い思いをされたとか、うちの娘と重ねると心が痛むわ」

「あら、お子さんが?」

「ええ、息子がひとりに娘がふたり。末娘のベッテなら齢も近そうだしお友達になれるかしら」

「機会があればご紹介ください。――ところで、私たちのことをご存知のようですが、どちらで? こちらに来てまだ日が浅いですし、特に目立つことをした覚えも無いのですが」

「これは不躾だったわね。貴女のことは夫から。レッテンマイア様とお会いした時に色々と伺ったそうよ。この国でその容姿は珍しいから、すぐに分かったわ」

 受付がクラーナを異邦人と判断したくらいだ、嘘ではないだろう。そしてやはりと言うべきか、情報は共同保証人、それも都市長経由だとすると無下にしていい相手ではない。

 

「レッテンマイア様から? どのように噂されているのか気になりますわ」

「夫からの又聞きだから確かなことは言えないけれど、悪いようには言われていないわ。ふふ、少なくとも“女神のように美しい”は真実だったようね。貴女が困っていたら話を聞いてほしいと頼まれたのよ」

「便宜を図って頂けるのはありがたいのですが――」

 クラーナが神妙な表情で返事を躊躇う素振りを見せる。

「なにか不安がおありかしら?」

 

「レッテンマイア様の伝手となりますと、ビルギット様は王族寄りなのでしょうか。私たちはまだ王国に来たばかり、国王の人となりも知りません。いまは距離を保ちたいのです。それに、この国では魔法詠唱者(マジックキャスター)は肩身が狭いとも聞きます。不安ですわ」

「あらあら、リ・エスティーゼ王国についてお調べになったのね。でも偏っているわ。――ヘルタ、入口で見張りを」

「マーシャ、ソーニャを先に洗ってあげて」

 

 ビルギットが侍女に人払いを指示し、それに倣いクラーナも俺とマーシャを遠ざける。

 ここからの会話はデリケートなものになるのだろう。もっとも同じ室内なので遠ざけられても筒抜けではあるのだが、そこは相手が子供だからかビルギットも気にはしていないようだった。

 俺はマーシャにワシャワシャと洗われながらクラーナたちの会話へ耳を傾ける。

 

「確かにこの国の王侯貴族はふたつの派閥に分かれています。ただ実情はもっと細かくて複雑。イブル侯爵家は王族寄りの親バハルス帝国派よ」

「それは意外ですわ。帝国とは毎年小競り合いをしていると聞きました。王族側に帝国を擁護する派閥が属しているとは思いもしませんでした」

「歴史を辿れば不思議な話でもないわよ。王国と帝国はもともとひとつだったの。だから国境を中心に血が混ざっているのよ。貴族派閥にも親バハルス帝国派はいるわ」

 

 まさかの侯爵家、上級貴族だ。

 リ・エスティーゼ王国の貴族でありながら親バハルス帝国派と言われ首を傾げたが、理由を聞いて納得した。まったくの異民族同士というわけではなく、もとがひとつの国であったなら繋がりがあって当然だ。

 貴族は血縁関係を尊ぶ。より強い貴族やより古い血と関係を持つことで勢力を伸ばすと聞く。貴族の男女に自由恋愛なぞ望むべくもなく、家の繁栄のために婚姻を結ぶ。婚姻による結束は強く、ゆえに封建社会では一蓮托生の関係性を生む。逆に一度でも縁を切られると関係の修復は困難だ。

 

 そんな背景もあり、「血で繋がる諸貴族」は余程の不都合がない限り国家の垣根を越えて関係を維持するのだという。辺境に領地を持つ貴族は特にその傾向が強く、それは厳しい環境では「人」という括りで助け合わねば生きていけないからだとビルギットは補足する。

 

「国王陛下は齢60の老王。年齢的にも王位をご子息に継承させるべきなんでしょうけど、ふたりの息子のどちらにするか決めかねているようね。国の立て直しにも尽力されてはいるけれど、結果は振るわないわ。まあ、暗君ではないわよ」

 ともすれば不敬と取られかねない発言をビルギットは恐れず言い切った。「後継者の指名を先延ばしにされると困るのよね」と続け、女には女の勢力争いがあるのだと愚痴をこぼす。

 

 クラーナが小さく相槌を打ちながらビルギットの苦労に共感を示す。

 相手の発言にただ共感する。下手な言質を取られぬように気を配りながら配慮していることを暗に訴える手法だ。

 

「あとは、――魔法詠唱者(マジックキャスター)に関してね。残念だけれど、貴女が聞いた通りよ。王国貴族は勇猛さを誉れとする。この国で魔法詠唱者(マジックキャスター)に理解があるのは冒険者や商人くらいね。私が言うのも変だけれど、もしこの地に腰を落ち着けるつもりならバハルス帝国にも一度は足を運ぶべきよ」

「バハルス帝国ですか」

「帝国には三重魔法詠唱者(トライアッド)と名高いフールーダ・パラダイン様がいらっしゃるわ。帝国魔法省や帝国魔法学院もあるし、魔法詠唱者(マジックキャスター)の扱いは王国と比べ物にならないわよ」

 

 ビルギットは一旦言葉を区切り、真剣な表情になる。

「貴女、第五位階魔法を扱えるらしいわね。ど(・)ん(・)な(・)傷(・)も(・)治(・)せ(・)る(・)魔(・)法(・)か(・)薬(・)に心当たりはないかしら」

 

 “どんな傷も”ときた。その言葉に俺もクラーナも僅かに目を細める。

 余りにも時宜に即した、俺たちに都合のよい話題だ。

 

 グニラたちから巡りめぐって伝わったとも考えにくい。彼女たちは存外現実的だ。俺が売った嗜好品の類は客を通して噂が徐々に広がっているが、件の軟膏に関しては隠している。

 沈黙は揉め事を避けたい彼女たちなりの保身の表れだが、一方でグニラは若さの指輪(リング・オブ・ユースフル)を装備したままなのだから若さへの渇望とは恐ろしいものだ。

 遅かれ早かれ本来のグニラを知る者から噂が広がるだろう。

 

 クラーナが言葉を選ぶように口を開く。

「察するに、私に接触したのはそれが目的ですね?」

 クラーナの問いにビルギットが頷く。

 ここで出会ったのは偶然だったのかもしれない。しかし接触には明確な目的があった訳だ。

 

 クラーナは続ける。

「ご息女――、そうね、長女が事故に遭われたのかしら」

 その言葉にビルギットが驚く。

「よく分かったわね。心を読まれたみたいだわ」

「ただの推測です。侯爵家ならば領地をお持ちのはず。でも夫婦揃って最前線ともいえる城塞都市にいらっしゃる。旦那様が都市長と会談できるほど健康なら、治療を必要としているのは家族ではと」

「確かに、エ・ランテル滞在の理由は治療法を探すため。ここは帝国だけでなく法国との繋ぎを得るにも適していますから。でもなぜ長女だとお思いに? 政略結婚の駒として見ればあれには予備がある。家督を継ぐのも長男。長女は優先度が下がるとは思わなかったのですか?」

 

 貴族社会にとって子とは繁栄のための駒にすぎない。その中でも直系男児は家の存続の為に重宝されるが、女児は他家と繋がる為に送りだされてしまう。それすらも場合によっては養子で代替できてしまうのだ。

 ビルギットはクラーナが迷わず長女を選んだ理由を知りたいようだ。

 

「ビルギット様は“怪我”ではなく“傷”とおっしゃった。武勇を誉れとする王国男児ならば傷のひとつも箔となりましょう。家督を継ぐ者なら婚姻話に困ることもない。ソーニャのお友達にとベッテ嬢の名を口にしたときも躊躇いが無かった。つまり外に出しても問題が無い」

「消去法で長女が残ったのね」

「はい。それもおそらくは傷のせいで縁談が流れようとしている。齢は18以上、婚期を考えると早めに送りだしたい、といったところでしょうか。加えて夫婦揃って奔走していることを鑑みれば、長女は第一子で夫婦仲も円満。深い愛情を感じます。私の両親もそうであれば良かったのですが」

 

 ビルギットはクラーナの足が不自由だったことを思い出したのか少し気まずそうだ。言い回しからは両親たちの事故後の対応に問題があって後遺症が残ったと受け取れる。

 事実は分からないがビルギットに対するブラフ、ただの匂わせの可能性もある。

 

「詳しい症状をお聞かせください」

「お転婆が過ぎて落馬したのよ。落ちた先が悪くて、右頬から口にかけて割けてしまったの。水薬(ポーション)で応急処置をしたけれど、領地に高位の神官様が居なくて」

 

 ビルギットの話をまとめると、長女は顔の傷以外に骨折もしていた。下手に動かせないと判断し、治療ができる者を領地に招致しようとしたらしい。しかし敵対派閥の横槍でなかなか神殿から招くことができず、多額の寄付を申し出てようやく遠方の神殿から神官を呼び寄せたが時すでに遅し、完全な治療は叶わなかったという。

 

「それで傷痕が残ってしまったと。――マーシャ、籠を」

 クラーナが石鹸や香油、タオルなどが入った持ち込みの籠を要求すると、ビルギットは期待せずにはいられないのか身を乗りだす。

 

 クラーナが取り出したのは俺が娼婦たちに使った例の軟膏を新たに改良したもの。より正確には腐(・)敗(・)化(・)に(・)よ(・)る(・)消(・)費(・)期(・)限(・)の(・)追(・)加(・)なので改悪、ダウングレードなわけだが、あえて消費期限を付与することで定期的な廃棄を促して売り続ける算段だ。

 なおこの世界には品質や鮮度を保つ魔法〈保存〉(プリザベイション)があるが、それを以てしても腐敗の進行を限りなく遅くすることができるだけで腐敗化を完全に止めることはできない。具体的には効能が徐々に減衰し、最終的には液状化の後に揮発する。

 

「これをお譲りしましょう」

「軟膏ね? 用法を教えていただけるかしら」

 ビルギットが大切そうに、それでいて物珍しそうに小瓶を受け取る。見た目は30グラムほどの軟膏が入った小瓶で、蓋には異相協会のロゴが入っている。

「塗るだけで大丈夫です。そうね、まずは古傷を持つ配下の方で効果を確認してください。それと軟膏は半年は保ちますが、どうぞお早めに」

 ビルギットの感情が揺らいだのを感じた。すぐにでも持って帰りたい、そんな想いが伝わってきた。

 しかし、彼女は自制するとクラーナへと向きなおる。

「ごめんなさいね。貴女を疑う訳ではないけれど、これが本物と分かるまでは形あるもので感謝を伝えられないわ」

「お気になさらずに、ビルギット様のお立場では当然です」

 侯爵夫人ともなれば下手な口約束はできない。

 慎重になって当然だ。

「ありがとう。でも、このままお別れする訳にもいかないわね。どうかしら、まずは友人として、今の私にできることはあるかしら」

 ビルギットの言葉にクラーナは笑顔で応える。

 大浴場で最良の人脈を得たと言っていいだろう。

 

 その後、大浴場の本来の目的――みんなで汗を流してサッパリすると、俺たちはビルギットの案内で中庭へ移動した。彼女と交流のある派閥内の婦女子に紹介するためだ。

 クラーナたちは、この場では軟膏に触れなかった。代わりに試供品の香水を配ったり、ちょっとした占術を披露して婦女子らとの交友を深めた。

 

 俺は“設定”を活かして最初に軽く挨拶だけ交わし、身体を冷やすていで集団を抜け出す。

「ソフィア様、どうぞ」

 マーシャが果物を持ってきてくれた。しっかりと保冷されていて、しかも甘くて美味しい。

 彼女はクラーナの指示で俺のお守をしている。クラーナの護衛から外れることになるが、客観的に子供をひとりにするのも体裁が悪いので致し方がない。

 ただこの大浴場――女湯は至って平和だ。常時暗殺者(アサシン)の特殊技能(スキル)で警戒しているが脅威は皆無。なんなら女湯を特殊技能(スキル)を使ってまで監視している俺が一番の不審者だろう。

 

 

 

 

 

 それからいくばくかの時間が流れ、クラーナが貴族的な世間付き合いを終えて屋敷に帰った頃にはすっかり夜も深まっていた。

 

 屋敷の居間に辿りつくとクラーナはグッタリとソファーに沈む。

 気怠くしているものの大浴場自体には満足したご様子だ。俺も潤沢に水を浴びて心が躍った。機会があれば男湯も行ってみたい。

 

「それにしても想像以上に香水の受けが良かったわね」

「ああ、そうだな。あの手のものはグニラたちにも人気があった」

「きっとこの世界では黒死病(ペスト)が流行らなかったのね。香水や匂い袋(サシェ)の品質がそこまで高くない。これは商機よ」

 

 この世界の住人は上流階級でもなければ毎日風呂や水浴びをする習慣はない。それでも水やお湯に忌避感がないおかげで暗黒時代と比べても体臭は薄く、ゆえに香りの研究もそこまで盛んではないのだろう。

 香りは強さよりも継続力、それに種類を豊富に用意してパッケージングすれば市場に食い込めるはずだ。

 

 そんなことをクラーナと相談しながら一日を終えた。

 しばらくは今回得た伝手を活かしての商売、情報収集をするつもりだ。

 

 




独自設定
・オリジナル種族、漂う聖なる肉塊(ディヴァイン・グロブスター)の説明。
・リ・エスティーゼ王国の奴隷、雇用制度などの解釈。
・グニラの揚げ菓子(クリッピー)は15世紀頃には存在したもの。ドーナツの原型に近いとされるが所説ある。
・エ・ランテルの大浴場。ローマのあれっぽいなにか。
・王族寄りの親バハルス帝国派。両国がひとつの国だったのは公式設定だが、書籍にこのような派閥があることは書かれていない。
・転移世界の〈保存(プリザベイション)〉は巨大食料貯蔵庫にかければ食料を何年でも保存できる優秀な魔法だが、「絶対に腐らない」とは書かれていないことを都合よく解釈し、ユグドラシルのなんらかの魔法、特殊技能(スキル)によって腐敗化の効果が上回るとする。
・転移世界、少なくとも舞台となる地域では黒死病(ペスト)、またはそれに類似するものが流行らなかった。
・貴族の口調がわからい。
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