通称特殊能力科。口語では更に略して特能科。
地下7階に存在するそこは、薬剤科の
兵庫支部に来た初日にも地下7階の手術室に通されて生首を見せつけられたのは記憶に新しい。ある程度実態を知った今だと、鬼が出るか蛇が出るかという心持ち。
「すみません、研修で来ました、
「あー、いらっしゃいー。入って入ってー」
機材科のときは俺がジャンケンに負けたので、今回のノック担当は榊場。
時刻は午前10時で本日の研修予定先は特能科のみ。つまりはそれだけ密度があるはず。
そう思って身構えていた2人が特能科の扉を開けると。
「「……んん?」」
科学の城のような印象すら受けるこの大捷製薬兵庫支部。
無機質とは言わないが、職場部分はいわば病院のような殺風景さが各所に目立つ。
それは隔離防疫や各種機能優先の設計であろうし、余分な物を増やさないという意思を感じさせるものだった。
しかしこの特能科、扉の先に広がっていたのは、広々としたスペース全てを大理石と思わしき床と壁タイルに覆われていて、ところどころに高そうなラグが広げられてオリエンタルなソファやテーブルが鎮座する。
というか、
「窓……?」
外が見える。正確には海が。しかも陽光が差し込む。
天井も高く、地下7階にあるとは思えないほどの開放感と奥行きの広さを感じる。
いうなれば、海が近いホテルのロビーラウンジのような風情、とでも表現しようか。
「どういうことだ……」
「部屋間違えたわけじゃないよな……?」
「おーい、こっちだよ〜」
「あ、はいすいません!」
意味がわからないまま声の方に誘われた先。ダークブラウンのガラスで区切られた部屋があり、ガラス扉の横に「WELCOME 研修生!」とボードが立っている。
扉を開くと、樫と思わしきがっしりした木のカウンターが扉横から見え、それとは別にシックな椅子とガラステーブルが20席分ほど奥に設置されている。
カウンター後ろにはモナンのシロップやリキュールやウィスキーやワインのボトルが鎮座し、いくつも種類のあるタンブラーやグラスが煌めいている。
それはバーカウンターに相違なく。なぜこんなところに。
「こちら特能科、正式名称は特殊級能力研究運用保護生活科へいらっしゃいませお客様、お飲み物はいかがなさいますか? 研修前なのでノンアルコールならお作りしますよ。初回サービスで何杯でも無料です」
白ワイシャツに黒ベストと黒パンツ。落ち着いた色合いの茶髪で20代後半から30代前半ぐらいのお兄ちゃんが2人を出迎えた。
メニューを出されたが、ウィスキーにビールにと定番のものから、バレンシア(オレンジジュースにアプリコットブランデー)にソルティドック(ウオッカにグレープフルーツジュースと塩)にモスコミュール(ウオッカにジンジャーエールとレモンジュース)らカクテルであったり、葡萄サワーやピーチサワーといったサワー類であったり、単なるオレンジジュースやウーロン茶といったソフトドリンクであったり。
「ノンアルコール、と言われてもなあ……」
「十字はこういうバー行ったことあるか?」
「ない」
初日とは別種の情報量の多さで早くも頭が疲れてくる。
「あ、これは知ってる」
「どれだ」
「バタービール。すいません、僕これで」
「アイスかホットどちらに致しましょう?」
「アイスで」
「かしこまりました」
榊場、さっそくのご注文。
どっかで聞いたことあるんだよな、どこだっけ。
「榊場は飲んだことあるのか?」
「
「なんでそんなところで飲んだんだ」
「ハリーポッターブースで飲めるんだよ」
「ああ……」
そういえば出てたな。バタービールのジャンルってノンアルコールカクテルなのか。
「バタービールって美味いの?」
「バター味バニラアイス使うから好き嫌いがバッサリいくと思う。かなり甘い」
「重そうだなやめとこう」
唸る俺。
知らねえよカクテルなんて。
「すいません、オススメでお願いします」
「バタービールが榊場君なら、君は十字君だよね? じゃあ、名前の意趣をとってシャーリー・テンプル・ブラックなんてどうだろう。語源は違うけど神殿の名を含むやつだ」
「どんなのですか?」
「レモン果汁にコーラとグレナデンシロップを混ぜずに入れたものだよ。マドラーで自分でステアしながら飲む。ジンジャーエールでも作れる」
「グレナデンシロップがわかりません」
「ザクロシロップだね」
「じゃあ、ジンジャーエールの方で」
「かしこまりました。ブラックがつかない方だね」
レモンとジンジャーエールとザクロの組み合わせで大外れはあるまい。
それにしても、目ん玉ひっくり返る、とはよく言ったもんだよ。雰囲気が異質過ぎるぞ。
レクリエーションルームにあったバーカウンターは樹脂製のカウンターだったが、こちらの方が上品で出来が良いように思う。周囲の雰囲気に融和しているからかもしれないが。
よくもこんな地下に手の込んだ意匠で作ったな。
「こちらにご注目ください」
バーテンダーさんが手を振ったのでそちらに目線を向けると、バーテンダーさんは手を振り続ける。
なにをしているのかと思えば、だんだんその像がぶれていく。
しまいには手首から先が独立浮遊して、奥の棚からグレナデンシロップを持ってくる。
「「はぁ??」」
バーテンダーさんの手にはしっかり手がついている。
いわば第3の手が空中に増えて作業をしているのだ。目が点になるとはこのことか。
「ここは特能科ということをお忘れなく。アイスのバタービールとシャーリー・テンプル、お待ちしました。そして私、特能科の
「
「
「源裁君か。十字の源を裁く、十字の原罪ってニュアンスにも聞こえるね。苗字からしてキリスト教系のルーツも持つのかな? ご両親からどういう意味で名付けられたか聞いたことある?」
2人から受け取った仮の名刺を一読すると、手ヶ崎さんは俺の名前に興味を示した。
「ウチは仏教ですよ。葬式仏教ですけど。十字の由来は聞いたことないですね。源裁の名前は祖父がつけてくれたと聞きました。なんでも、自分は宗教で痛い目見たから、そんなことがないようにだと」
「別の意味がありそうで興味深い話だね。詳しく質問してみたらいい」
「残念ながら、祖父母は故人です」
「それは申し訳ない」
「いえいえ」
話に入れない榊場は早くもバタービールで鼻の下に泡のヒゲを作っている。
俺もシャーリー・テンプルを軽くマドラーで混ぜて口に含む。小ざっぱりとはしているが、底の方のシロップがだいぶ甘そうだ。
++++
「手ヶ咲さんに手の能力ってのも、なにか繋がりがあるんですか?」
「家の祖先にも同じような能力が発現した人がいて、天皇家に連なる人に大層気に入られてこの苗字を賜わったそうだ。だから能力由来の苗字ってことになる。手が咲く、ってそのままだが」
「確かに」
「天皇家繋がりって、手ヶ咲家って結構いい家柄になるんですか?」
「いいかどうかはわからないが、そこそこ長い家柄ではあるはず。第二次大戦で実家も類縁も家系図も史料も喪失したから家の歴史はよくわからなくなってる」
会話している間にも、手ヶ咲さんの浮かぶ手はもうひとつ増えていて、自分が飲む分と思わしきカクテルを作っている。
手が咲く、というのはまさに。いくつまで同時に動かせるのであろうか。
「その赤いカクテルはなんですか?」
「ルビーモスカートの魔改造ノンアルコール版かな。本来はカンパリとスパークリングワインで作るんだけど、これは濃く出したローズヒップティーを炭酸で割ってブドウとベリーのシロップでそれっぽく味付けしてる。ルビーソーダってところかな」
「僕にもルビーソーダもらっていいですか?」
「飲み切るの早いね。ルビーソーダ承りました」
小ジョッキで俺のより多そうだったのにもうバタービール飲み切ったのか。こっちはまだ7割残ってるぞ。
「くつろいじゃって悪いんですけど、これ研修ですよね? いいんですか?」
「特能科って、仕事らしい仕事はないんだよ。このバーも趣味に近い」
「え」
「特能科っていうのは、国に協力し管理される異能集団だ。お題目としては、希少能力の露見を防ぐことと保護だけど、研究サンプルと言ってもいいだろう。極端には、兵庫支部で生活することそのものが仕事。課せられているのは毎日の風呂と兵庫支部から出ないこと。引きこもってひたすらゲームしてる人もいる」
「なんというか、凄いですね?」
「世が世なら、座敷牢で一生を過ごすか、いいように見せ物にされるか、研究サンプルとして使い潰されるか。そんなことを思うと実に気楽だね。それなりに好き勝手に生きていられるわけだから。特権階級といえば特権階級だ」
「失礼かもしれませんが、それでいいんですか?」
「現状への不満を述べればいいのかな? それとも、この扱いへの思うことを述べればいいのかな?」
「この扱いへのことです」
環境は良いかもしれないが、やってること自体は座敷牢の未来形。
不満を感じる感じないより、求めるものはないのか、この扱いを受けることへの意識の持ち方に興味を惹かれる。
「手ヶ咲有斗という個人の考えを述べるより前に、我々特能科に属する、まあいわゆる超能力者に対する日本政府からの扱いを述べておくべきだね」
手ヶ咲さんは2杯のルビーソーダを作り終えると、自身もカウンターの向こうの椅子に座って語り始めた。
「千里眼、サイコキネシス、霊視、瞬間移動、なんでもいい。ここにこうして実在の超能力者がいる以上、なんらかの超能力を持った者がいることは疑いようはないね?」
「それは、まあ」
「天才とはなにか。それは生まれつき人の努力では至ることのない隔絶した才能を持つ人物を指す。
言いたいことが分からん。
「出る杭は打たれる。日本的な横並びを示す言葉ではあるが、これは世界における剪定を現す社会の移り変わりを示す言葉でもある」
「すいません、さっぱり先が見えて来ないんですが」
「先に結論を言ってしまえば、人間社会は超能力者を必要としなくなった。そこに着地する。ごく一部の尖った天才より、普遍的な秀才を多数集めた方が良いと、人間の歴史の中で変革があった。その過程において、超能力者は否定され、剪定されていった」
「ニュアンスがちょっと怖くなってますが」
「日本人に1番わかりやすいところだと卑弥呼か安倍晴明あたりになるか? もっと遡れば、インドやヨーロッパあたりに特殊能力を持った王や戦士の話はいくつも転がってる。誇張があったり、全部が全部本当ではないにせよ、往々にしてそういう超能力を持った者たちが国主となり人々を導くか伝説を残してきた。とはいえ、キリストがユダの裏切りによって
「迫害の歴史、ですかね?」
「超能力者に限った話でもないよ。なんらかの不利益になる存在を根絶やしにしようとするのは歴史上いくつも例がある。日本だと、沖縄のウリミバエや山梨の宮入貝と日本住血吸虫、人間であれば豊臣秀吉による豊臣秀次とその眷属皆殺しなんてのも」
「おい秀吉」
太閤秀吉もそんなことやってたんかい。
「超能力者を迫害したことは人間という種の進化を閉ざしたと取れるし、逆に迫害した結果として80億人まで増えたんだから成功とも評価できる。長ったらしく喋ったが、我々超能力者は統治する上において、いつしか歯車として不要になった存在なのさ。今の世界におとぎ話の勇者と魔法使いはいらないということだよ」
「その割に手厚いというか、厳重というか」
「人間社会の統治システムには不要でも、そうじゃないなら有用ということ。たとえばこの手が増える能力、最大射程は上下左右半径約5m、数は最大20前後、精密な動作をしようとすると元々の手を合わせて6つまでが限界、筋力は自身の筋力と同一。だけど、腕を必要とせず、5mの範囲で自由に動かせる手自体は、一般化できれば非常に有用だろう?」
「世界変わりますねそれは」
「自分と同じ力で持てるものが増えるだけでも革命」
手ヶ咲さんの宙に浮く手は手首から先しかないが、それだけあれば十分。劇的に作業範囲を広げられる。腕が伸びて増えるんだから、水を出すとか火を出すとかよりもよっぽど人間社会で有用なはずだ。
「総合すると、殺したいけど絶滅はして欲しくない、というのが現在の世界における超能力者の立場になる。いわば人間版の
「蚕かあ……」
絹糸の材料で知られるカイコガは人間の何千年の歴史とともに歩んできた生物。
家畜として飼い慣らされ、野性に戻る能力をDNAレベルで忘れてしまった生物。人間が滅びたら共に滅びる運命を持つ虫。
繭からとれる絹糸のみならず、絹糸をとったあとの蛹も飼料として有用であり、宇宙食としてすら研究されている。
「
「同じことではあるね。違うのは家畜化へ協力的か否か。我々兵庫支部にいる超能力者は協力的で、吸血鬼は敵性生物と思われる」
「協力的でない超能力者もいるって口ぶりですけど」
「絶対に協力できないというなら、殺すしかない」
砕けた態度を改めた手ヶ咲さんは真剣な声で言い切った。
空中にあった手はいつの間にか消えている。
「超能力者という存在は、現代社会において潜在的テロリストだ。手が増える能力だけでも命と引き換えなら飛行機も墜とせるかもしれない。存在そのものが武器持った危険人物だ。そう、たとえば」
不意に首裏に冷たい感触がゾワっと広がった。
振り向くとそこに氷を持った手ヶ咲さんの浮かぶ手がある。
それを認識すると、その手は手ヶ咲さんの元に戻っていく。榊場も同じことをされたようで、しきりに首を触っている。
「チリも積もればで20個も手があればそれなりに力は出せる。野放しにできるかな?」
「……無理かなあ」
「最低でも監視は欲しくなりますね」
なにをしでかすかわからない。なにができるのかも自己申告に頼るしかない。
金属塊を操って生首を見せつけてくれた
「それらを踏まえて、現在の待遇についての個人的な感想を述べよう」
「そういえばそんな話でした」
「元はといえば血筋から来る能力でもあるし、能力が発現した人が召し上げられて庇護されている家で、事前知識もある。自分にお鉢が回って来るとは思ってなかったが、まー、先祖も通った道だから隔離はしょうがないというところか」
「手ヶ咲家でどれぐらいの頻度でその能力が発現するものなんですかね?」
「史料残ってないし大きい家でもないから不明。一族で現在能力が発現してるのは自分だけだから、頻度は多くはないはずだが」
珍しいことは珍しいのか。
「今更ですけど、なぜバーカウンターを? そもそもこの思いがけない設備もですけど」
「それ聞きたかったです」
榊場の質問は雰囲気に流されて聞けなかった疑問。
なんだろうこの化学や超能力と無縁そうなロビーラウンジは。
「まずバーカウンターだけど、これは前職の再現。元は飲食店の酒類担当だったんだよ。手が増える能力は社会人になってから発現したものだから。次にこの設備だけど、我々超能力者は外に出られないし、住居も地下7階にある。わざとホテルっぽくして良い待遇だと誤魔化したいのさ。窓の外の景色は映像だし、太陽光っぽいのは太陽光ライト。時刻によって映像や照度も変わる。人間性を失わせないようにって配慮」
「地下7階住みなんですか。地上階の方の住居かと」
「食堂も大浴場も使うから地上階までは行くけどね。風呂以外延々地下で引きこもってる人もいるけど。先にも言ったけど、ここで生活すること自体が仕事だから。まあ、現代式の豪華な地下牢か」
「というか、地下7階ってなにがあるんですか?」
初日に連れて来られた処置室も地下7階だったよな?
「このロビーと特能科6人の住居と空き部屋複数、処置室3つ、あと機材倉庫かな。超能力使って実験する時には地下7階の処置室を使うのが基本方針」
地下深くからなるべく出したくないという思惑がダダ漏れである。
「単純にこのロビー自体が全職員が使える休憩所になってる。夜には外の映像が夜景になるし、そもそも映像は複数のプロジェクターで再生してるものだから、たまに映画上映やスポーツ観戦になったりもしてる」
「あー、そういう使い方にもなるのか」
広いが静かなスペース、既存施設とは一線を画した洒落た雰囲気とバーカウンター。
気持ちの切り替えには良いのかもしれない。スポーツ観戦もなかなか盛り上がりそうだ。
「手ヶ咲さんがバーカウンターを1人で回してるんですか?」
「そうだよ? 基本は月木休みで18時から1時ぐらいまでトイレと飯休憩以外常駐。今日みたいな特別イベントあれば開けることもある」
「そういえば木曜日でした」
「利用者どれぐらいいるんですか」
「時間帯でばらつきはあるけど、20時回ったら常連がゾロゾロって感じかな。好きな時に遊びに来たらいいよ」
1人で回るのか、と疑問が頭をよぎるがよく考えるまでもなく。手が増えるんだからどうとでもなるか。
むしろ下手に人が増えるより楽かもしれない。
「軟禁はするけど、可能な限り便宜を図って叛旗を翻させないようにする。これもその一環さ」
「バー開くのって楽しいんですか?」
「好きなことをやれているんだから楽しいし満足だよ。お金は取ってるけど、そもそも生活するだけでお金貰える立場だから赤字や生活に怯える必要もないからね。それはそれで刺激が足りないかもしれないけれど」
「軟禁生活満喫してますね」
「外の世界に未練がないわけじゃないけど、ある程度の要望は通るんだから、満喫しないと損だと思ったからね。技術の進歩のおかげで閉じこもりも苦ではなくなっている」
刑務所の労役の豪華版みたいなものだろうに、実にポジティブシンキング。
好きなことを仕事にできたら、そりゃあ楽しいだろう。
俺だって、吸血鬼の解剖研修を1回やっただけでもどれだけ楽しかったことか。
「有斗兄ぃ。お腹空いた。ごはん」
「うぉっ」
「おはよう
「あ、おはようございます。ぶどうジュースも」
「了解。10分ぐらいでいくよ」
「わかった」
突然口を挟んできて風凛と呼ばれたダボッとした着ぐるみ熊さんパジャマの幼女は、壁から現れて壁の中に消えていった。
俺と榊場は会釈と手で挨拶しただけで、酸欠の金魚の如く口をパクパクさせながら唖然としていた。
「えっと、今のは?」
「特能科の1人、
「…………何歳ですか?」
「先月5歳になったばかり。幼稚園だと年長になるのかな」
未就学児までいるのか特能科。
いや、幼いと隠すなんてことができない可能性の方が高いから、発覚しやすさからくる隔離も当然か?
「
「人見知りだし、
「どんな感じだったんですか?」
「それを話す前に、風凛の朝飯作らせてくれ。10分で行くって言っちゃってるから」
「あ、どうぞ」
ふと時計を見ると、既に昼12時を回っていた。