憑依体質、霊体や精霊や神を降ろすとされるものの一形態。神宿り、神宿しとも。
古風には巫女(神子)やシャーマンと呼ばれる類いの性質のもの。
このような事例は太古から世界各国に伝承や事例が残り、託宣を受ける、または授ける、もしくは予言する、という形で人間社会に影響を及ぼしており、
悪魔憑きや狐憑きといった派生に近い能力もまま散見されており、人間の価値観においては、益のあるなにかを降ろせば神で保護対象、そうでなければ畜生か悪魔で弾圧対象と分類されていただろうから身も蓋もない。
社会に与える影響力が強いというだけでも歴史に残りやすいため、目立っているだけの可能性もあるが。
目立ちやすく伝承や事例が残りやすいことと同時に、迫害の事例もまた多い。
その身になにか特殊なものを降ろすという都合で極めて宗教と結びつきやすく、一種の土着信仰となり、地域の社会基盤となることも極めて多い。
たとえその地域には益を齎しているとしても、他宗教の勢力拡大過程で邪魔であればそれらを邪教と断じて征伐する、勝てば官軍理論は人間の歴史そのもの。
特に、布教または教化の名の下に土着信仰や他宗教を迫害した例を列挙するのには苦労しない。テオドシウス1世とか中世カトリックとかコンキスタドールとか
宗教指導者が社会の地域社会の中枢を担う場合は数多く、その中心が神宿りの者であるならば、それを信仰しない者にとっては積極的に排したい存在であろう。
あるいは肥大化した組織においても教祖たる存在、神降ろしを傀儡にしたいと思うのは自然なことですらある。
加えて、明らかに世俗宗教とは異なるものを降ろすか宿すとすれば、それは異端である。
ゆえに神宿りという超能力者は迫害を受けやすく、それがなくともなんらかの形で積極的に殺されやすい能力なのは確かであろう。誰だっていつだって耳触りのいい話を聞きたいもの。
歴史に残らずに、誕生した場所にそぐわないと命を絶たれた神宿りはどれだけいただろうか。
もしそれらを一律に保護していたとすれば、今日の世界は大いに変化していたかもしれない。
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しかしそれは都市部の近代的一般家庭に産まれた存在であり、彼女は比喩的にも物理的にも
まだ首も座らぬ時期から、泣き声とは違う、未解明でなんらかの意味のある言語のようなものを喋り、歩くよりも先に常人にも見える幽体となって周囲を飛び回って、4ヶ月ほどで単語によるコミュニケーションを父母ととり始めた。
乳児が意味のある単語を喋り始めるのは早い子で9ヶ月を過ぎてから。4ヶ月でのコミュニケーション開始は異常も異常。
世が世なら神童と持て囃されたかもしれない。しかしながら、現代日本である。贔屓目抜きの本当の神童が誕生するなぞ、両親は望んでいなかった。
「娘が夜な夜な宇宙人と交信するかのような言語を発して何かと会話している」「娘が夜な夜な幽体離脱して全裸で空を飛ぶ」なんて誰が信じよう。誰に相談できよう。目撃したとしても誰が教育できよう。
自らの腹を痛めて産んだ娘ながら、超早熟という言葉すら不適切で理不尽な才能を持った娘を、父母が恐怖の対象として見始めるようになるまでに、そう長い時間は必要ではなかった。
過疎地に引越してまで周囲に隠して育てていた娘。その生活が遂に破綻したのは、4歳になろうかという時。
体を眠らせたまま幽体離脱するのは既にいつものこととなっていたが、その昼、娘は幽体離脱したまま、体が起き上がり別の言葉を喋り始めたのである。
それは日本語とは異なるなにか。それと幽体離脱した娘が同時に喋りかけてくる。もはや娘の人格ではない何かが身体に取り憑いて主導権を握っていることは明白である。
母親は狂乱を起こして娘の中にいるなにかを追い出そうと首を絞め、怒鳴りつけた。
蓄積されたストレスが破裂したのかもしれないし、モンスターたる娘を殺して自分も楽になりたかったのかもしれない。
しかしそれは叶わない。娘の中に入ったなにかの力は母親よりも強く、体格差のハンデなぞものともせずに首絞めを外し、あまつさえ母親を蹴り飛ばした。力ですら負け、心も折れた。
母親は遂に警察に頼った。意味不明な言語を喋り空を飛ぶ娘を殺してしまいそうになった、と。
通報を受けた警察はイタズラであると判断したものの、泣きながら娘を殺してしまうと訴える、あまりにも切迫した通報を放置するわけにもいかず、子育て経験もある男女の巡査1組を派遣した。
家に踏み込んだ巡査たちは愕然とする。
浮遊し意思疎通もできる輪郭の確かな裸の幽霊がそこにいて、聞くほどに意味不明な言語で喋る幼児が、耳を塞ぎ続ける母親とコミュニケーションを取ろうとしているのだから。
通報は全くの事実であった。さりとて、巡査達もどうしていいやらわからない。
ありのままを上に伝えはしたものの、幽霊が裸ゆえに直視もしにくいし超常現象を相手にしたことのある人なんていやしない。
悩んだ挙句、まずは落ち着かせないとどうにもならないということで母子の距離を物理的に離そうとするが、幽体相手にそんな芸当は効かず。
実体の方を母親から引き離そうとするが、異様な力で暴れられると怪我させることを恐れて腰は引ける。
「あなた、名前は?」
「風凛」
「どういうことか説明できる?」
「神様来てるの。風凛追い出されたの。いつもは帰れるのに帰れないの」
にっちもさっちもいかなくなった女性巡査による、世にも奇妙な生き霊への事情聴取。
どうやら本人にとってもイレギュラーな事態であるらしく。
「風凛ちゃん? は生きてるの? 元気なの?」
「元気なのー」
「神様?のお名前は?」
「якгэಬೆтырಳлыэಕುклってお名前なの」
「ど、どこの言葉?」
「якгэಬೆтырಳлыэಕುклは、якгэಬೆтырಳлыэಕುклなの」
神様らしい名前を教えてもらうも女性巡査には冒頭1文字すら発声できないものであった。
それでいて、その名前を聞くたびに頭が鈍痛に襲われる。本能が忌避反応を示しているかのような気色悪さがある。
遅れてきた応援部隊が来るも、一様に目と耳を疑うばかりで打開策は見つからず。
辛うじて捻り出された対応が、母子と幽霊まとめて全員救急車で警察病院まで搬送させよう、ということに。
体を乗っ取った神様は警察病院で5人がかりで拘束されて麻酔によって依代たる肉体を鎮静化され、本体人格である幽霊に主導権を取り返され、なにかの憑依事件は一応の解決を見た。
しかしそれ以上に症状が深刻だったのは父母であった。
父親は遂にこうなったかと力尽きたかのように警察に育児のことを語る。荒唐無稽な話すらもあったのだが、それを欺瞞や狂言と一蹴することはできなかった。
なにせあの現場にいた警察官全員が目と耳と頭の検査を受け、全員正常と判断されているのだから。集団幻覚とするにはあまりにも参加人数が多過ぎた。
母親はもう娘の様子すら見ようともせず、娘の話を警察官が尋ねようとするだけで半狂乱に陥る。娘を同じ人間として認識することすら拒否していた。
そのあまりにも一般とかけ離れた娘事情は、家庭の問題に容易に踏み込めない警察官をしてなお、この案件の後始末を児童相談所に回していいものか困惑させるものであった。
緘口令が敷かれる一方で、所轄署から県警本部へ、県警本部から警視庁へ、対処不能という恥も外聞もかなぐり捨てた判断丸投げ連絡と責任がパスされていく。その過程で特殊能力への理解のある部署に連絡が回り、大捷製薬兵庫支部へと話が至る。
聖という男が配下数名を引き連れ、父母にとっては福音であり悪魔の契約ともなる話を携えて病院に来訪した。
「家長さんご夫妻、あなた方はよく頑張ってこられた。我々は日本国における特殊能力者の保護と研究を行なっている者です。娘さんのような特殊な能力を持つ方はごくごく稀にですがいるのです。彼と彼女を見てください。空に浮いて動かせる手の異能、自由自在に金属を変形させる異能。娘さんとは能力が違いますが、科学では説明できない人間の可能性というものは確かに存在するのです。我々に娘さんを、風凛ちゃんを預けていただけませんか。養育費も生活費も一切合財要りません。むしろ預けていただければこちらからご夫妻にお支払いさせて頂きます。風凛ちゃんにはそれだけの価値があるのです。事情が事情ゆえに開放的な環境とは言いがたいところもございますが、このままですと風凛ちゃんは精神病院で拘束されながら一生を終える可能性が高いのです。それはご夫妻にとっても大変なご負担になるでしょう。それよりはもっと開明的で理解のある環境で生活をさせてあげたいと思いませんか。ご夫妻の普通ではない育児の苦労が報われていいと思いませんか」
モンスターとなった娘を手放してもいいという選択肢と、それに耐え続けた苦労は報われるべきという肯定的な甘言。
世間から逃れるように生活して育児に疲れ切り、娘へ注ぐ愛情すらも搾り出さねば維持できなかった家長夫妻にとって、全てを救ってくれる可能性であった。
「このまま風凛ちゃんがご夫妻の元で育っても、一般の義務教育では対応できないことは薄々勘付いておられるでしょう。かといって障害者用の特別支援学校に通わせるのも違うでしょう。風凛ちゃんのそれは
話を持ちかけられた時の家長夫妻に正常な判断力があったかと問われれば、なかっただろう。
しかし、正常な判断ができていた時期ですら手に余った存在を、今後もどうにかできるとは考えられなかったのも確かであった。
「……風凛を、よろしくお願いします」
「ありがとうございます。何年か経った後に、あの時預けて良かった、と心から思って頂けるように尽くします」
「娘を見捨ててしまう愚かな親です。罪悪感は消えることではないでしょう」
「気分を変えるために、ご夫妻で世界一周の船旅でも行かれてはいかがですか。後悔がありそうでしたら、俗世から離れて自問する時間を取ってみるのもいいかもしれません。いまご夫妻に必要なのは休養であると愚考します。今しばらくはご自身の体調をお戻し頂いて、落ち着きましたら、風凛ちゃんの様子を見に来られてはいかがですか。カメラ越しでもいいでしょう、必ずしも面会する必要はありませんので」
「落ち着いたら、妻と伺わせて頂きます」
「では、こちらの書類をお渡ししておきます。我々が風凛ちゃんとご夫妻にご提供する内容の資料と契約書です。もし風凛ちゃんをご夫妻の元に戻したい、と仰られましたら、すぐにご返還致します。それとこちら、手付け金として現金で200万円この場でお渡しします。契約確認後しばらくお時間頂きますが、非課税になるよう国からの給付金という形で1000万円振り込ませて頂きます。加えて以後、風凛ちゃんをお預かりする限り、契約日を起算日として半年ごとに100万円を給付金としてご用意致します。それらは契約書にも盛り込まれております」
「そんなに……」
過程はどうあれ、娘を売り飛ばす行為に他ならないそれ。
特殊能力を持っていることを加味すると、決して高く売れたというほどの額ではない。実はゴネればまだ額は上がったのだ。
それでも、家長夫妻にとっては捨て辛い重荷を、少なくはない金を貰って引き取ってもらえるのだから、罪悪感よりも解放感が上回っていた。
目先の利益に飛びつくというよりも、一刻も早く楽になりたい気持ちに駆られ、家長夫妻はろくに書類も読まずに、人身売買の契約書にサインと拇印を押していた。
取り締まるべき警察も、厄介事をさっさと引き取ってくれるならと見て見ぬ振り。
翌日、家長風凛はヘリコプターで大捷製薬兵庫支部まで輸送された。
本人は入院先が変わるという説明だけで納得し、無邪気にヘリコプターの旅を楽しんでいた。
幸か不幸か、4歳を前にして自分が普通の人間ではないということは理解しており、両親と離れることを納得していた節があった。
幽体離脱と神宿りの目立つ要素に隠れ誰も気付いていなかったが、言語の分野においての