薬剤科、麻酔科、機材科、特殊能力科。
計4つの部署を歴訪して最後、地下3階の医療科事務所。
地下1階と2階には一般人(といってもなんらかの関係者や犠牲者)も来ることがある、まだ見せられる場所。一般向け治療設備は大概この2階層と地上階のどこかにある。
そして地下3階より下は一般人立ち入り禁止の領域。3本の中央エレベーターとエレベーターシャフト内に併設されたアホほど長い非常階段以外には入口出口のない領域。
地下3階より下は、完全に身内向けの設備。治すことではなく実験や観測に使用するために医療設備を整えた階層。
「おはようございます、
「いらっしゃい」
聞き覚えのある声。扉を開けるとやはり
「お久しぶりです、というほど日数空いてませんよね?」
「だな。座って座って」
化学繊維生地でやたらむにっと沈むフカフカのソファ。中身人をダメにするあのビーズじゃね?
人を招くには不向きとしか思えないんだけどこのソファ。
「2人とも研修お疲れ様。しばらくしたら
カラーで印刷されたばかりの資料には、各人の顔写真と、担当できる医療範囲がずらずらと並んでいる。
それにしたって、列挙されてる久川父の対応範囲が驚異的。
脳神経外科・脳神経内科・呼吸器外科・呼吸器内科・心臓外科・循環器内科・小児科・整形外科・消化器外科・消化器内科・神経内科・皮膚科・放射線科・麻酔科。
ほとんど全身余すところなく、ゆりかごから墓場まで診れそうな勢い。国立医大首席ってこんな化け物じゃないとなれないのか?
「葵ちゃんは医療科カウントでいいんですか」
「看護師の資格は持ってないが、やってることは看護師のそれだからな。背丈と筋力と体力が足りない以外は問題ない。その3つがだいぶやれることを縛ってるが、女子小学生に期待することじゃねえわ」
そりゃそうだ。
「あと、十字君に聞きたいことがひとつ。今後、吸血鬼の解剖しそうか? 自分の手で」
「許可出るんだとしたらやりたいですけど」
「無制限に許可出すとして、何回ぐらいやる? たくさんか?」
「おそらく1回や2回ではないです」
「オッケー、じゃあ十字君は医療科非常勤研究員で登録だな。解剖するならそれが一番早い。あとで部屋に申請書送っとくから書いて持ってきて」
「そんなサクッと決めていいんですか? 医師免許も医療知識も無いですけど」
「無免許医が目の前にいるのになに言ってんの。人診るわけじゃねーんだから」
「嫌な説得力がありますね……」
榊場が引いておられる。
「心ゆくまで吸血鬼解剖して実験して資料残したら、そん時にまた適切な部署に登録し直せばいいだけ。兵庫支部の研究者ってそんなもん。……ああ、
「あーどもども、藤川です、臨床検査技師やってます」
「消化器の鷹橋です。よろしく」
「脳神経医の那須原です、3人合わせて初夢トリオです」
「ふふっ」
引いたと思ったら今度はクスクス笑う榊場。忙しいな、どこに笑いのスイッチがあったんだ。
もらった名簿に目を落とす。2鷹はともかく、1富士と3
そしてイエーイとハイタッチする3人。わざと3人で来たな?
「相変わらずやなあ、そのネタ」
「2キルいけなかったのは残念でしたけど。ナイスアシストです遼さん」
「どもども」
「じゃーまたねー2人ともー」
1発ネタのためだけに来たんかい。
榊場はまだニヤニヤしてるし。ツボに嵌ったらしい。
「ノリいいですね?」
「3人とも芸人気質で持ちネタ。ノリは軽いけど腕はいいから頼るとええわ。特に那須原さんは脳神経医としては久川父より上。脳科学にも造詣が深いし、特能科や機材科とも研究協力中。十字君的には、脳科学の神経解剖学は興味惹かれるかな? たぶん嬉々として教えてくれよるわ」
「めっちゃ聞きたいですねそれ」
「そうやろそうやろ」
いくらなんでも、脳科学分野の神経解剖学with人間版は一般の大学では学べない。
金払ってでも聞きたいぐらい魅力的。
「あと、最近暇な遼君からもご提案。解剖手技、というか切開縫合技術の吸血鬼使った実技研修受けてみる気ないか。吸血鬼解剖しながら人体用の手技盗ませたるわ。終わる頃には余計な傷付けずに人体五枚おろしが鼻歌歌いながらできるようになる。まあ、新入りに対する監視と教育の理由もあるけど」
マジっすか。
「それができたら楽しそうではありますけど」
「まだ十字君の解剖技術見たことないから絶対とは言わんけど。吸血鬼解剖するのは再生能力との速度勝負な面がある。やってみたらわかるけど、じっくり観察しようと思うなら意外に速度が必要になる。せっかく繰り返し使える素材があるんやから、身につけておいて損はないと遼君は考える」
大学時代、人間の死体解剖に立ち会ったことは幾度かある。
執刀が教官と医学生ということもあってか、正直、上手いとは言い難かったと思う。
なぜそんなことがわかるかといえば、この前の束村さんの解剖実習との比較。
一切の淀みなく、逡巡もなく、人間とは内部構造が違うはずなのに、容易に見せたい状態の術野へ導く技術。
生体心移植にすら携われる手技のレベル。それを伝授してもらえるのは、きっと得難い機会に違いない。
「受けておいた方がいいと思いますよ。ああ、座ったままで結構」
「あ、聖さん、こんにちは」
「こんにちは」
「ういっす聖さん、お待ちしてましたよ」
遅れてきた聖さんも、近くにあったビーズクッションソファに身を沈める。
「束村君の外科としての技術はそういるもんじゃないと、採用側から太鼓判を押させてもらいますよ」
「聖さんな、現役引退して副支部長になる前は医療科室長でエースだったんだと」
「20年ぐらい前の話ですがね」
元医療畑の人だったのか。
俺が兵庫支部に来ることになった原因、恩師の
「束村さん、実技研修お願いしていいですか?」
「もちろん。こっちが言い出したことやし。医療科に在籍登録したら予定詰めていこか」
ここに、個人研修の追加が決定された。
++++
大学時代の専攻は動物系の解剖生理学。
聖さんに大捷製薬兵庫支部への就職内定をもらった時点で、研修後にするべき方向性は決まっていたのが俺。
束村さんの下につくところまでは、おそらく聖さんには想定された道筋。
そうではないのが榊場。
営業や品質管理やりたいって言って大捷製薬を選んだバリバリ文系。
大捷製薬の新入社員研修でも配属先としては兵庫支部は明示すらされていなかった。配属が決まるまで知りもしなかっただろう。
「十字君の今後は決まったとして。榊場君は一通りの研修を終えて、どう感じた? なにをすべきと思った? 批判になるようなことでも構わない」
「圧倒されたというのが1番にきます」
「ほう」
「非人道的な実験や、法を顧みない雇用、そして物理法則の外にいる人たち。正直、挙げていったらきりがありません」
榊場に比べて事前知識があった俺でも、困惑と驚愕の雨霰に晒された。
一般人だった榊場の人物形成像は大きく変容しただろう。
「なので、なにをすべきか、という問いには答えられません。僕自身がこの職場で働くビジョンが、浮かんでいません」
「仕事がしたくないというわけではないね?」
「はい。僕の能力のなにを必要とされているのか、まるで理解できていない状態です」
「なるほどなるほど」
最深部の超能力者と吸血鬼の存在の暴露。
それをしたということは、兵庫支部の一員として歓迎はされているのだろうけども。若干荒っぽい気もするが。
新卒採用は数年ぶりという職場が、榊場のなにを評価して呼び込んだのかは依然はっきりとはしていない。営業・品質管理という本人の職種希望とだいぶ差もあるし、そのどちらもここで需要があるとは思えない。
「榊場君のなにを必要として兵庫支部配属が決まったか。まず閉じこもり環境でストレスを感じない性格。ずっと同じ場所にいることが耐えられない人はかなり多い。しかし榊場君は、衣食住揃って買い物に行く必要もないならどこか遊びに行こうとは思わない性格をしている。しかし社交性はちゃんとあると、新入社員研修の心理テストで我々は判断した。合っているかい?」
「……合ってます」
そういえば、500問もあるマークシート式心理テストやったな。
問題数の割に、B4用紙表裏で収まる程度の診断結果が返ってきただけだったが。
これだけ?と思ったが、裏事情もあっただろう。なにかのビッグデータとして活用されたのかね。
「次に人間関係が肉親を含めても希薄なこと。人間関係の少なさは情報漏洩の可能性を減らし、外部からのアプローチの可能性を減らす。親とすら縁を切りたいと言っていたと聞いているよ」
「そうですね」
親に絶縁状叩きつけたいぐらいの不仲、実家から遠ければ遠いほど良いという話、やっぱり影響してたのかよ。
「能力としては、新入社員研修で見せた事務処理への適性の高さ。資料読みの早さと正確さと応用力。わからないことはわからないと言える性格と、営業を志望する社交性と社会性。概ねこのあたりが榊場君の能力に期待している部分。それらを勘案して、榊場君に最終的にやってもらいたいのは地上階での総務」
「総務ですか」
「総務といっても、設備は機材科の担当。消耗品食料品は購買部。給与雇用関連は大捷製薬自体の人事がやる。兵庫支部における総務は、国に提出する資料や施設内で使用する書類作成、来客の応対が主な業務内容となります。研修を経てなんらかの業務に志向が発生すればそちらも検討する予定でしたが、際立って興味を惹かれたことはないようですし。数日中には総務配属の決定が通達されることになるでしょう」
「わかりました」
拷問実習の時に結構楽しんでいたけど、仕事にする気はなかったのか。
機会があれば声をかけてみるとしよう。おそらく俺は今後もあの手の作業をすることも少なくないはず。
「総務の仕事に来客対応って仰っていましたが、こんな辺鄙な場所で来客って、どんな方が来られるんですか」
神戸から車で数時間、峠をかっ飛ばしての山越えで到着する兵庫支部。
どんな人が来るのか純粋に疑問はあるな。
「1番多いのは官僚の視察。次に闇手術希望の金蔓。時々フレッシュ吸血鬼の仮死体の輸送かな」
「金蔓って言い切りましたね」
「無保険実費かつ口止め料は言い値で請求できるからね。金勘定は経理の仕事だが、総務に携われば間接的にその金額が兵庫支部運営に占める割合もわかるよ。黒字になるほどではないが、それなりの額だ」
国営ボッタクリ病院こえーな。
兵庫支部のランニングコストだけでも相当な額になるだろうに。
「口ぶりからして兵庫支部は赤字なんですよね?」
「天下りは拒否で赤字を垂れ流し、公費を食い潰す大問題児だよ。黒字にしようにも、防災予防のための秘匿施設なんだから、警察消防自衛隊に税金使わず黒字経営しろというぐらい無理難題だがね。非正規収入を結構な額で獲得しているだけ優等生とすら評価できるだろう」
「セーフティネットに収益を期待するなと」
「そういうこと。我々は公費支援が途切れたら干上がり、国が公費支援を取り止めると国家の威信を崩壊させる秘匿情報が流れ出る。Lose Loseの共依存で実にわかりやすいでしょう?」
「ひどい一蓮托生ですね」
回り続けないと倒れる
倒れた時の被害が甚大だから回し続けるしかない。
もしくは独楽そのものを木っ端微塵に吹き飛ばすか。
「事業仕分けの時に公費支援止められかけて、やべーことになったんでしたっけ。遼君その時まだいないけど」
「2009年末でしたね。兵庫支部最大級の危機でした」
静観していた束村さんが口を挟んでくる。
最新機器を導入しまくって赤字垂れ流しで公費使いまくりとか、そりゃ事業仕分けに狙われるわな。
「秘匿が前提なので、
「公費云々以前に、現代版731部隊が存在したなんてバレたら、国内外の世論は黙ってないでしょうね」
「加えて不透明にもほどがある金の流れと業務内容で運営されている組織です。反社会的繋がりがあり、人道的にも問題しかない。客観的に見て擁護できる点が見当たらない。私は存じ上げませんが、似たような危機に陥った組織は他にもあるんでしょう」
秘密裏であることに意味がある国の傘下組織がここ以外にないとは思えない。
方向性は違っても、国家の体力であり防御力であり攻撃力である組織は他にもあるだろう。
種子島のロケット打ち上げ基地だってミサイル研究の面もあるだろうし、気象観測衛星の軍事利用ぐらいしていて当然なのだから。
「実際、どうやって切り抜けたんですか?」
「大捷製薬の本社にダミーオフィスを用意し、製薬工場にダミー研究室を用意して薬剤科だけを臨時移転。民間と協力して未認可薬を開発しアーカイブする事業として姿を変えました。そこを視察させ精査させて、議論にも出て必要性だけは認めさせてから折れて、事業費の減額だけで切り抜けましたよ。不足分は別事業の予算を中抜きして迂回補填です」
「完全に隠さずに、必要だけど無駄遣いしてる事業として削ってもらったわけですか」
「完璧に打ち負かして躍起になられても困ります。我々にとっては最初から撤退戦。さっさと無駄を暴かれて、次の攻撃先に移ってもらったほうがよかった」
虚実織り交ぜ本当にヤバいところだけ完全隠蔽。服と肉を切らせても急所は守りきった。
此方は思惑通りの負け方で、彼方は思惑通りの事業仕分けに成功して自尊心を満たし成果を国民に報告できる。
トカゲの尻尾切りが比喩ではなく本来の目的で使われた形になる。
「ちょうど2009年春から2010年春にH1N1型新型豚インフルエンザが世界的に流行ったおかげで、備えとしての必要性を証明するのには苦労しなかったのは幸運でした」
「それでも削られたんですよね?」
「急造でほぼ薬剤科だけの事業に偽装したわけですから、費用対ダミー規模に見合う額ではないのは確かでした。それでも予想よりはかなりマシな減額で済みましたよ。時期が良かった」
感染症で世界が荒れてるときに対策事業の予算をガッツリ削ったなんて話が報じられたら、さすがに空気読めないと総叩きは避けられないように思える。仕分け人もなかなかに攻めにくかっただろう。
2日後、兵庫支部新入社員である俺達2人の職場が通達され、合同での研修期間は終わりを告げた。
以降、それぞれの職場での仕事と訓練の日々が始まる。
社会人というにはどうにも社会から隔絶されているが、人生において新たな一歩を踏み出した日であった。