資料読みを終え、
吸血鬼が存在するというフィルターをかけて読むと、なるほど生態に関わっていそうな事柄が散見される。
神子が蘇ったなんて、もっと背景を調べてくれよな警察も。モロじゃん。
「『雪花の光』で吸血鬼が保存?されていたってことなんでしょうかね?」
「そのあたりも調べてはいるだろうけど。これが吸血鬼が原因と思われる一連の事件の最初の1発目で、まだ吸血鬼を前提とした捜査を行なっていなかった。本来外部に出してはいけない捜査資料がいくつかここにあるのも、ゾンビもどきの医学的疫学的調査を依頼された結果の偶然でしかない」
資料の最後に、飛び去る人型のように見える映像の切り抜きが添付されている。
画質も悪くピントも合っていないし後ろ姿。でも体に見合わぬ巨大な翼が背にあることはわかる。腕を広げたよりも長く、幅もある。
「解剖した時の翼より明らかに大きいんですよね、この翼」
「
「保管されている吸血鬼が成体になってくれればわかるでしょうけど」
解剖した時に体内にあった翼はせいぜい肋骨程度。広げてみても肩を覆えるぐらいの長さ。到底飛べるようなものではなかったが。
「『雪花の光』のしばらく後に、吸血鬼による襲撃事件が何度か起き、そのうちひとつが未遂に終わったことでようやく線が繋がった。顔も監視カメラに粗くは映っていて、『雪花の光』から逃げ出した女だとわかり、さあ!となったらしいのだが」
「だがということはダメだったんですね?」
「ご明察。失敗して潜伏に入ったのか、はたまた飛んで遠くへ逃げたか、そのあとは行方知れず。吸血鬼被害に遭った女性の仮死体だけが見つかり続ける状態だ。潜在被害はもっと多いんだろうな」
「行方不明者ってなったらお手上げですもんね」
「男を人気のないところに誘って血を吸って殺してどっかの山奥か海にでも捨てる、なんてされたらどうしようもないな」
空に跡は残らないし、およそ人が行くことのできない移動ルートの選択もできる。警察犬でも追えるのかどうか。
現代でこそ監視カメラという偉大な発明があるが、それがない数千年の歴史では無敵の隠蔽力を発揮していたのだろう。
吸血鬼が夜行性という話にも繋がる。人間が夜を克服してからせいぜい200年がいいところ。太陽が苦手よりもはるかに現実的な理由。
「結局ヘロインの反応が出た理由はわからずに終わったんですね」
「使われた痕跡はあれど、ブツもゴミも器具も出ず、仮にあったとしても持ち込まれたルートも不明で、生き残りの山伏もシロっぽくときた。ヘロインかそれに類するものを使っていたとするならば、ものの見事に暗礁に乗り上げた」
与えてくれる快楽も依存性も最強最悪。麻薬の頂点たる存在がヘロイン。
ジアモルヒネとも呼ばれ、アヘン、モルヒネ、ヘロインと発展するケシの実産麻薬の最終進化形。
多くの麻薬や覚醒剤は「快感を増す」効力を人間に生じさせ、いわゆるキメセクなどに走らせるが、ヘロインのそれは事実上快感そのものを摂取していると表現しても過言ではなく、ただ摂取し寝転がっているだけで他の麻薬や覚醒剤を超える最強の快楽を得ることができる。
厳密に表現するならば、快感によって動くことすら
強烈に過ぎる威力の反動は当然大きく、天に昇る快楽の代償は地獄のそれ。微風にすら激痛を感じ、数秒ごとに酷暑と極寒の往復、動けないほどの関節の激痛、激しい不快感と倦怠感その他多数。これが数日続く。
ピークを過ぎれば軽快には向かうが、不安や不眠やヘロインへの渇望は色濃く残り、その依存性はあまりにも強い。
「自力で患部にモルヒネ分泌できているなら、資料読む限りでは、吸血鬼ってヘロインに近い物質も分泌、放出できるんじゃないんですかね、これ……」
「いや、そんなことあるか?」
「でもヘロイン見つからない理由は筋通りますよ。ヘロインにしてはゾンビもどきの効力がおかしい点は残りますが」
「そうだとすればサウナの件も話通るな。そりゃうっすら吸引してることになるもんな。はー、おもしろ」
「ヘロインが能動的に分泌できるとするならば、吸血行為への不快感が薄れて、抵抗もおそらく無力化できるでしょうね」
ヘロインは即効性にも極めて優れる。
静脈注射する際に顕著で、即時で体中が多幸感に包まれる。
もし吸血鬼の分泌するヘロイン(仮)が同様の効果を持っているとすれば、血が流出していく不快感と冷感すらも塗り潰されているのかもしれない。
「もし依存性がそのままなら餌場作りもお手の物になるな。血を吸って欲しい人で行列作られるレベルだろう」
「吸血鬼のためになんでもする、命すら惜しまない狂信者が量産できますね」
「崇める者も当然出てくれば、生きた麻薬生産工場ともなるなら、権力者側は躍起になって滅したくなるし、吸血鬼側は存在を隠したくなる。不特定多数との接触で黒死病も拡げまくりってか。人類の敵もいいところだ」
吸血鬼に血を吸われ殺されたら吸血鬼になる、もしくは眷属の仲間入りというのはポピュラーな話だが。
快楽を求めて吸血鬼の従順な手先となるのであれば眷属化と判断しても良いのではないだろうか。快楽に弱い人類が世界最強の快楽を与えられて抗える者などいるはずもなく。
「実際、分泌できるものでしょうか?」
「人間だってモルヒネが脳内で分泌できているんだから、その先にあるヘロインが化合分泌できても想像は届く範囲だろう。吸血鬼が人間を仮想敵および餌として進化していったならば実に有効な武器になる」
「ゾンビもどきになる件とはまるで繋がる気はしませんけど」
「ヘロイン分泌がマジだとすれば、ゾンビもどきの件でのヘロインはあくまで鎮痛剤的役割であって、体のリミッターを外すのは別の物質の影響と考える方が妥当じゃないかと思うがな」
人間の限界を短期間だが容易に超えさせうるドーピング。
それはケシ系のオピオイド麻薬ではなく、メタンフェタミン等、覚醒剤の分野のほうが効果としては近いのではあるまいか。
「この話、麻酔科に持っていくべきでしょうかね?」
モルヒネおよびヘロイン、もといオピオイドの専門家らの巣窟。
「持っていくべきだろう。きっと面白がるし、安置してある吸血鬼から麻薬抽出を試みるぐらいはやり始めるんじゃないか?」
「成功して欲しいようなそうでもないような……」
高純度で大量にヘロインが採れたら吸血鬼の価値が変な方向に鰻登りしてしまう。
少なくとも、スポンサーたる日本国にとってはありがたくない発見になるだろう。
++++
それから2週間が経過した。
吸血鬼がヘロインを分泌し行使するかもしれないという、ただの思いつきでしかなかった筈だった。
麻酔科の皆様がヘロイン分泌を念頭に、丹念にいろんな手段を講じて仮説の可否を調べていたところで。
ヘロイン分泌を起こしている吸血鬼が発見されてしまった。
「……いやいや、本当にこんなにあっさり見つかるとは」
「お手柄だったね」
「喜んでいいやら、社会に与えうる影響を嘆くやら……」
その吸血鬼というのが、いつぞやの強制爆音ポリゴンショックと高濃度カプサイシン責めを受け続けていた吸血鬼。
過激なストレス耐性テストの苦痛から逃れるべく、体内でヘロインを生成、自ら消費することで快楽の世界に救いを求めていたのである。
「まだやっていたんですね、吸血鬼の辛味蒸し」
「早い段階で脳が溶けるか体が崩れるかと思っていたんだけど、存外しぶとくて。とはいえ脳もだいぶ縮んだし、体表面も破れた水ぶくれや浮腫が目立つし、再生能力も著しく劣化している。いかに快楽の世界に逃げようとも、限界は過ぎ去っているのだろう。補水や栄養素の投与は続けていたけど、もう体が蒸し上がりきって汗でどうにかなるレベルを超えた。よく生きていられるものだよ」
全身が低温やけどに陥り、得た水分がそのまま別の傷口から流出していく。
ありとあらゆる場所が赤黄色に腫れて、歪な再生をした手足の骨は膨れた肉の覆いでわかりにくくなっている。
それなりに顔は整っていた
「
「カプサイシン投与を始めとした脳劣化処置はとりあえず切っているにも関わらず、良化の兆候は見られない。脳を覚醒させるための電気刺激に対してすら反応しなくなっている。五感もほぼ100%閉じているようだ。医学用語としては意味が異なるが、いわゆる脳死と判断しても良いのではないかな。あるいは不可逆昏睡か」
「戻る見込みはないと思われますか?」
「ヘロインの内分泌を行なっているなら戻ってくるまい。いずれ原料が尽きるか耐性が自己分泌量を上回る時が来るだろうが、その前に体が負けるだろう。もはや皮膚はあってないようなものだ」
この吸血鬼が生きながらえているのは、雑菌の極めて少ない環境に閉じ込められたことにも一端がある。傷ができても濃厚なカプサイシンの焦土に着地し活動できる病原体はどれほどいるか。
「さ、そろそろ彼女を解放してあげましょう」
「ですね」
「十字君が潰れないことを祈りますよ」
今日の俺の仕事は、彼女を現世からあの世に送り届けること。もう彼女を生かす価値はないと判断されたのだ。
彼女に染み付いたカプサイシンは持ち出し厳禁のレベル。流水で体表面を洗い流してなお周囲の目鼻喉を強烈に刺激するのでMRIを筆頭とした大型検査機械にも容易には突っ込めない。
「では、ちゃっちゃと内臓袋分けしてしまってください。私は脳を切除しますので」
生かす価値はないが、その臓器に価値は残されている。
腹と胸を開き、子宮から肝臓から腎臓から心臓から脊髄から、なにもかもを取り去って研究材料にする。
あの世行きはその結果なのだ。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
麻酔科がヘロイン分泌調査をしている間にも束村さんとの練習は続いていて、強制的に積んだ場数は遠慮と手心を削り落とした。
もう人型を相手にしても罪悪感はほぼなくなったし、脂肪に苦労する場面もだいぶ減った。
メス入れた途端に、風船が破裂したかのごとく傷口から膿だか血漿だかの体液が噴き出したのはさすがに驚いたが。
「うへえ」
ガスマスクの目元を直撃した体液を拭き取り、腹を開いていく。
麻酔はないが目覚めることも暴れることもなく、再生能力も全く働かず、ただ淡々と血の海が拡がり続ける。術野から血を吸うポンプにどんどん血が貯まっていく。
頭部では大地さんが剃刀で髪を削ぎ落とし、骨ノミで頭蓋骨に穴を空けている。
内臓脂肪もカプサイシンが燃やしきったのか腹の中は綺麗なもので、すいすいと刃が進む。
血管の結紮も気にしないでいいので、臓器を取り出してはビニール袋に入れ、氷水のクーラーボックスに沈めていく。あとで臨床検査室送り。
……俺が内臓検査のために内臓持ち込みそうという
手袋越しに触れる内臓はいままでの解剖で触れた内臓に比べて、より熱を持っているように思う。
まだ翼になっていない肋骨を開いた時には既に心臓は動いておらず、背骨に沿って走る第二血流維持血管も既に沈黙していて、死の兆候らしきものも感じられなかった。
人工心肺もつけておらず、心臓より先に下腹部を攻めたので、どの段階で益川麗奈が現世に別れを告げたのかはわからない。
ただ、止まった心臓を見たときに、これはもう死んでいるなと思い、片手だけで拝み、数秒の黙礼を行った。
「十字君、見てください。脳に腫瘍だらけですよ」
「うわーお。すげえ綺麗に取り出しましたね」
「
「脳腫瘍の原因ってストレスが大きな要因でしたっけ」
「そうではないか?と言われているだけです。どうして発生するのかはハッキリとはしていませんよ」
脳の硬度は豆腐並。脳を触るには死体解剖で練習してからと言われている。ゆえに今回は触らせてもらえなかった。
それを
「ひとまわり小さくなって少し硬くもなっていましたから、イージーでした。これなら十字君にやらせてもよかったかもしれない」
「さすがにハードル高いですよ」
大学時代の死体解剖実習で脳を見たことはあるが、ねじ込みの門外漢だったので遠巻きにしていた程度。
人の脳がどうなって固定されているかは記憶も知識も怪しいです。
小動物の脳なら結構見慣れているのだけど。
脳を取り出してから久川父はお役御免。
代わりに
下顎上顎のどちらにも、唾液腺とは別に毒腺が収まっていて、口の中を覗いただけではわからないそれを見れたのは個人的には収穫だった。
骨髄すらもえぐり出してようやく残った、皮と骨の残骸と化した死体を死体処理袋に入れて、随分と目方も減ったそれを焼却炉へ。あとは機材科がどうにかしてくれる。
埋葬されたら、線香のひとつもあげにいこうと思う。いままでも、解剖や骨格標本にした動物に対してもしてきたことだ。
人であったもの。ホモサピエンスより進化した新人類とも呼ぶべき存在を
もう少し苦労があってもよかった、と思うのは、贅沢なことなのであろうか?