29:地火の牢獄
古代の原人は、火を手に入れることで他の生物とは一線を画した進化のきっかけを得ることとなった。
火を持つことが人間文化の第一歩で、最初の科学の入手ではあるが、ホモサピエンスが真に高度な知性と繁栄を獲得できたのは、生殖本能すらも上回る過激な闘争本能、戦うことに歓びを見出し、それで勝利することによって最大の幸福を得る生物であったことが特大要因。
いかにして相手に勝つか、という一点に対する研鑽によって、文明と呼ばれるものを進歩発展させ、より高度な、勝つための進歩を重ね続け、地上に覇を唱えた。
これは他の多くの生物に見られる、強い者がより多くの子孫を残せる、という大自然の摂理とはやや離れ、生きることとは直接関係のない人間の特質である。
言い換えるならば、ホモサピエンスは生涯戦い続け、なにかしらの勝利を得続けなければ、真に欲求を満たせない生物である。
その尺度はそれぞれの価値観によりけり。だが、本質は地球上のあらゆる生物をも上回る闘争本能に支配された戦い好きである。戦い好きが高じて、今や地球の真裏の人とも手のひらの中の端末で戦うことが可能。
ただ暇だからという理由でどこの誰とも知らぬ同族と戦いだす。これを気性の荒い戦闘狂生物と言わずしてなんという。
アダムとイヴが楽園で食した善悪の知識の木に実る禁断の果実は、リンゴ・イチジク・ブドウ・ザクロなど判然としない。
しかし、人間の歴史において、アダムとイヴが食したそれに匹敵する、最も科学的な禁断の果実は、ケシの果実ではないだろうか。
ケシの果実の発見により、人間は戦うことで受けた傷を緩和する手段、鎮痛・鎮静薬として、アヘンという手段を発見し、同時に、戦いで得られる快楽を超えうるものを与える物質を発見した。
ケシの実栽培の開始は紀元前3000年近くまで遡る。アダムとイヴが禁断の果実を食らうことが記された、旧約聖書の『創世記』が成立するのが紀元前500年頃ということを鑑みると、ある意味、人間はもっと以前より禁断の果実を獲得していたとも言えるかもしれない。
そして、物理的戦いによる勝利がもたらす快楽と利益、それによって生じる負傷の苦痛を和らげるケシの実の精製物は、左右欠けることのない両輪として5000余年の月日を共に過ごし、人類が発展する助けとなってきたわけだが。
これから行われる、吸血鬼からのヘロイン抽出実験は、人類と別れることのなかった両輪の関係性に、ヒビを入れるものなのかもしれない。
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地下4階、実験フロア。
いくつか柱と間仕切りはあるものの、天井は高く、走り回れるぐらい広大なフロアには、数日前までなにもなかった。
現在ここでは機材科が急ピッチで実験設備を組み立てている。
作っているものは、吸血鬼専用蒸し器。ならぬ特製サウナ。
先日脳が灼け死んだ吸血鬼からヘロインに準ずる物質が検出されたことをキッカケに、雪花の光で起きた事件で、吸血鬼が頻繁にサウナに入り、それによって信者がその物質を吸引していたのではないか?という仮説から、じゃあ吸血鬼を実際に蒸してみよう、ということになった。
設営されているのはサウナだけではなく、鉄檻と形容していいだろう居住空間と独立空調とモニタリング設備がそれに併設されている。
総務に勤務となり、その材料調達と予算申請に部分的に携わることになった
「すっげーアホらしい」
予算、雑に5000万円計上。即認可。
世の大学や研究室がどれだけ予算確保に奔走していると。
いやまあ、わかるよ? 密閉空間作って、かつ吸血鬼をそのエリアから逃がさない準備となると、新築一戸建てぐらいの予算は当然必要になることは。
しかし、思いつきひとつでこんなに金使うのかよと。
そこへ更なる追い打ち。
実験に使っていい生贄の男が送られて来るそうだ。
じゃあこの実験と一緒にやりたかったことをやってみよう!とばかりに実験規模が拡大して、予算追加で5000万円。
吸血鬼と人間を共同生活させて、実際に血を吸うか、あるいはゾンビもどきにできるかを調べるそうだ。
その送られてくる男の素性はといえば、名を
期限はここに来てから最長1年、生き延びられれば借金帳消しで手切れ金を受け取り放免、ということになっているが。
「超級の機密に触れるのに生かして外出すわけないだろ。死人に口なし」
「今回の予算に死体処理費用も入ってましたし、まー、そうなりますよね」
とは総務での自分の教育係となった上司の話。
兵庫支部送りになった時点で、八木某の余命は最長1年に決まってしまったのである。
「さすがに今回の件には、
「たぶんな。死んだら御鉢回って来るんだろうけど」
「やっぱり解剖楽しみなのか?」
「んー、結局人に行き着くのかーって感じがあって、人の解剖はそこまで楽しみではないかな」
暇つぶしに設営の様子を見にきていた、解剖ジャンキーだと思っていた同期は意外に冷めていた。
「これが子供や赤ん坊の解剖なら、やったことないし、もうちょいやる気も出るけども」
いや、ただの気分の問題で、本質変わってないね。
「吸血鬼解剖の方はどうなのさ。進展あるのか?」
「今回の実験に使用する個体の選別と検査が終わるまで、吸血鬼解剖は停止させられた。だから
束村さんが十字のことを気に入っているというのは、総務にも聞こえてきた。
十字に技術を教え始めてから、師匠の威厳を出すためか身綺麗にするようになり、地下の手ヶ咲バーでは悲観的な絡み酒が減り、代わりに上機嫌で飲むことが多くなり、またある時は、十字への教え方に不安を吐露することもあったという。
これからも当分の間は顔をつき合わせることになるだろうから、弟子かわいいと同時に、今後の関係性のためにも嫌われたくないのだろう。
孫可愛がるジジババの思考のようだ。
「じゃあさ、手術手技は多少でも上手くなったの?」
「切るのは明らかに早く正確になった体感があるけど、
「結紮自体なんのことかわからないんだけど」
「あー、血管なんかを縫合糸で縛って結ぶ技術な。結び方と手の動かし方いろいろあってこんがらがる。基礎中の基礎の技術だから絶対習熟して、手元が見えなくても高速で確実にできるようになれって言われてる」
「大学で解剖やってた時に覚えてなかったのか?」
「我流独学で習得したせいでダメ出しされてゼロから覚え直しだ。変な癖ついてる状態だからなかなか矯正が難しい」
「あーらら」
空中でなにかを結ぶ動きを再現する十字。
素人目には流麗に見えるが、目指すレベルは遠いようだ。
「実際、縫合技術って解剖学者に必要なのか?」
解剖で結局バラしてしまうなら、血管を縛るような細かい作業は必要ではないのでは。
「俺の到達目標は全てが全て血抜きされた死体解剖ってわけじゃないからな。それに、吸血鬼の生体解剖はいずれやることになるから、その時には必要になるだろう、と思ってる」
「なるほどな」
モノホンの吸血鬼が入荷したら、他の研究者連中との奪い合いになりそうなものだけれど、気付いているのだろうか。
「あとさ、この前研修の時にいろいろやった吸血鬼を解剖してたじゃん。なにか身になることはあったのか?」
「んー、とりあえず脳周りの構造をもう一度しっかり復習して、綺麗に脳だけバラせるようにイメトレと練習はするべきだと思った。今の技術じゃ取り出すまでに脳ぐちゃぐちゃになるな。脳と脊柱あたりの構造そのものは人間と大差ないみたいだけど」
聞かなきゃよかった。脳をぐちゃぐちゃに取り出される想像しただけで気持ち悪い。
「あと面白かったのは顎の毒腺だな。たぶん唾液腺が変異したんだろう。上下の犬歯のあたりから出るようになってて、犬歯の内側に溝もある」
「毒腺は発見できるのに、毒の成分は未だ不明だったよね」
「一応それも剥離して臨床検査室に持って行ったが、特になにも言ってきてないあたり、進展はなかったんだろうな」
「それはそれで不思議だね。そもそも、顎の中に収まるサイズならそんなに毒を貯められないのかな」
「下顎の唾液腺が変異したんだとしたら、舌の裏に軽く溜められるぐらいは分泌できるんじゃないかな」
そうなのか。
「毒は相手の体積に対して極めて微量であっても効果を発揮するから武器または自衛として成立する。じっくり効かせている間に本体がボコボコにされたら意味がないから、その生物にとっての仮想敵に必要な用途相応の威力があればいい」
「じゃあ吸血鬼に毒を使わせる状況にさせないといけないわけだ」
「今回の実験、共同生活させる過程で毒を使わせることも視野に入れてるんじゃないか? 変異が中途半端な状態で叩き起こして実験するわけだから使えるかどうかは知らんけど」
吸血鬼にとっての仮想敵は、十中八九人間だ。
血の凝固作用を阻害して吸いやすくするであろう出血毒、もしくは体を麻痺させてゆっくりいただける神経毒が、まず候補として挙がるだろう。
仮想敵に対するために必要な進化だとして、ゾンビもどきになる正体不明の物質は、どのような必要に迫られて習得していたというのか。
「そーいや十字、吸血鬼っておそらく親が子を育てる感じの習慣はないよな?」
「たぶんそうだな」
「飛ぶにしろ血を吸うにしろ、どうやってその能力があると気付くんだろな」
一般教養の類は吸血鬼になる前の人間時代に学習するとして。
変異した体の性能を教えてくれる師がいない。
「考えたこともなかったな。でもさすがに誰か調べてると思うが。吸血鬼起こした時に聞き取りすればいいし」
「じゃあ資料自分で当たってみることにするよ」
「なんか面白いことわかったら教えてくれよ」
「りょーかい」
とはいっても、仕事終わってからの自主学習になるからいつになることか。
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吸血鬼隔離施設は4日かけて完成し、それから更に4日後には、件の八木造さんが送られてきた。
年齢31歳、背は高く肩幅もあり、体もがっしりした感じ。多額の借金を負って首が回らなかった割には血色が良い。
兵庫支部にやってきた翌日に行われた、腸内細菌や胃液や精液や胆汁まで調べるレベルで行われた徹底人間ドック、および運動能力テストでも異常所見は発見されず、アルコール依存症気味なこと以外は特段の病歴もない。実験に適当であるという判断が下された。
「八木さん、あなたには、ご覧になられている設備の中で、女性1名と生活していただきます。暴力を振おうが、性行為の強制を行おうが、孕ませようが堕胎キックしようが、人権を毀損するようなこともご自由に。あなたに責任は取らせません。原則我々は監視はしますが、あなた方の関係性に対して介入は行う予定もありません。しかしながら、我々の監視が困難になるような事態になった場合、介入する可能性がございます。また、我々の意向に沿って住環境が変化しますし、ミッションのような形で指示を行う可能性があります。また、あまりにも関係性が悪化すれば寝首を掻かれる可能性もありますからご注意を。では、あなたと生活を共にすることになる女性をこの中からお選びください」
取り出されましたるは、厳正なる審査の結果、候補として挙がった5人の女性吸血鬼の裸写真。
いずれも現在仮死体で、実験開始時に起こされることになる。
「キレーなお姉ちゃんですけど、え、選べっていいの? 体ほんとにこれ? パネマジしてる?」
「洗顔清拭程度は致しましたが、写真および記載されているデータは無化粧無加工です。保証致します」
「マジで? じゃあこの1番若い子で!」
「かしこまりました」
八木さんが選んだのは19歳の吸血鬼、
彼女本来の成長スペックと、吸血鬼のなにがしの要素と、どちらが優勢だったのだろう。
「彼女ですが
「……あんたら、マジでどういう存在?」
「紳士的に応対しているのは我々なりの誠意です。実験内容を過酷なものにしたくなければ、余計な詮索はしないほうが良いでしょう。あなたが死んだところで、我々は罰されることがありませんので」
「……そうします」
「説明書は別に用意しましたので、明後日の実験開始までに頭に入れておいてください。大した量はありません」
ここに来てからの八木さんは、実験設備の隣に用意された区画で寝泊まりしている。
ネットも繋がっていないし、テレビが見れるだけの閉鎖環境で、実に暇そうだ。
一方、電気ショックを受けて3年の眠りから目覚めさせられた佐土吸血鬼。
ここに収容されてから一度も起こされておらず、大元の吸血鬼によって仮死に陥って以来の目覚め。
ただ彼女、意識は戻れど、状況判断ができる状態ではない。紐で後ろ手に拘束され、両足首も縛られ、目を塞ぐ覆面による目隠しのせいで周囲も見えないし、満足に立ち上がれもしない。服装も肩幅程度の長い布の中央に首の入る穴を開けただけの服とすら呼べないようなもの。豊かな乳房が激しく主張しているせいで横からの防御力絶無。
しかも起こした我々、一言も会話することを許されていない。短く「動くな」と命令して台車で実験設備に移動させるだけ。余計なお触りは演出として許可され、あえて遠回りするようなルートで移動し、晒されている感出しているあたり、恐怖を煽れるだけ煽っている感じ。
趣旨として、我々は恐れられるべき、という方針が立てられている。反骨精神を生んでくれるもよし、恐怖に潰れてもよし。どちらでも好都合。
実験設備に順次2名の犠牲者をリリースして、八木さんが佐土吸血鬼を発見することから、実験は始まる。