ある程度の吸血鬼情報を頭に叩き込んだところで、早くも実習のお時間です。
女性の吸血鬼被害者、いわゆる蛹の吸血鬼を用いての、バケツ2個持っての一般人卒業研修。
なんでバケツかって?
ゲロ吐き用ですよゲロ。
「
「帰っちゃダメですか」
「これでも給料の出る研修だから帰るのはちょっとねえ。どう頑張ってもスプラッタがダメな子はいるから、絶対に自分でやらなきゃいけないこともないけども。被験体を全く触らずにデータに齧り付いてる研究者もいるからこれができなきゃダメってことはない。その人達だって、直接触らないとしてもこういうことをやっていると共通認識を持つためにこの手の研修は受けるんだけど」
顔面蒼白になってもやることはやらなきゃね。俺もやるんだからさ。
それに、安定してるか疑問の余地はあるが事実上の国家公務員だぞ喜べ。
半ば巻き込まれているような印象もある榊場だけど、なにが評価されての兵庫支部配属なんだろね。
手を汚す覚悟がすぐに決まる人はそういるまいが、機密の塊に触れる立場なのだから一緒に血飛沫を被る位置にはいてもらわないとね。直接的にも比喩的にも。
無理して急いで追いついてくる必要はそこまで感じないし、別段榊場が悪いってことはないだろう。
「以前は人間を手にかけていたから、吸血鬼が発見されてこの研修も昔に比べてハードルが低くなったんだよ?」
「どういうことですかそれ」
「法整備上の問題さ。吸血鬼は法律で想定されている生物じゃないからね」
吸血鬼は人ではないから殺人罪や傷害罪にはあたらない。
死体損壊・遺棄罪は死体じゃないから関係ない。
略取・誘拐罪、監禁罪も人じゃないから関係ない。
動物愛護法も吸血鬼は範囲外。
人じゃないから人権もない。
器物損壊罪は吸血鬼の仮死体が誰の所有物かはっきりしない。強いて言うなら国所有。
国から実験動物として下げ渡されている以上、吸血鬼本人が訴え出ないと負けがない。
吸血鬼になる前の人間の社会的地位は荼毘に付されて戸籍上死亡済み。
吸血鬼になってDNAも変質してるせいで本人確認できるか怪しい。
遺骨が別人だとバレても、火葬場で遺体がすり替わったよりも墓荒らされたと考える方が自然なので迷宮入り待ったなし。
詭弁もいいところだけど、許可なく人間害するよりよっぽど後腐れがないのは確かだろうな。
俺はそれだけの量の免罪符を頂いたらなんの遠慮もいらねーなと思ったぐらいだが。
信仰主のためにする行いがしばしば人を弾けた行動に走らせるように、免罪符を並べるのはマインドコントロールでは有効なこと。
社会通念上やってはいけないことに対しての内面自己防衛の手段。
自主性を重んじるよりも、命令として「やれ」と責任者が伝える方がハードルは低いんだけども。命令自体が免罪符になるから。
++++
「うぃっす聖さん。こっちの2人が久しぶりの新卒組?」
「そうそう」
カプセルのような形の変わったストレッチャーを引いて入ってきたのは、猫背で風采の上がらない中年の男。
「
「
「
「目キラキラさせてる方が十字君、死にそうな目してるのが榊場君ね。覚えた」
榊場が気分を害したようだが、実際に死にそうな目をしてるのは確かなので文句は言えまい。
「新卒入ってきたのは3年ぶりぐらいか? 1人はほぼ確実って暮れに言ってたけど、どっち?」
「それは十字君だね」
「やる気ありそうで何より。よろしく頼むわ。遼君元神戸のヤーさんの無免許闇医者だし」
「いいんですかそれって……」
「元は医師免許持ってたし、ここ治療考える場所じゃないし、セーフセーフ。切る繋ぐだけなら遼君凄腕だから。人に歴史ありってな」
よく見たら指に縫合跡あるな……。指詰めるのって実在するのか?
改めて胡散臭い闇医師として見ると、なるほどそれっぽい気がしてくる。
「じゃ束村君、あとよろしく」
「了解、聖さんおつかれさんです。さて新入り2人に解剖の経験は?」
「俺は動物いろいろあります。死体解剖も見学複数回」
「(無言で手を強く横に振る榊場)」
「十字君は人もいけるクチか。なら遼くん気合入れていいとこ見せなきゃだわ。とりあえず消毒いこっか」
手術着に着替えイソジン希釈液で肘まで手洗い×3人、更に手袋。その間に手術室は換気と紫外線灯とで簡易殺菌。
「なにするんですか、これから」
「この女ね、1番吸血鬼への変異が進んでいると思われる個体なのよ。だからそれを1回腹開けてどういう変化してるか見せてやろうと」
「面白そうですね」
「執刀は俺1人でやるように言われてるけど、十字君達は対面の特等席で見るか?」
「是非!」
「後ろの方でお願いします……」
特等席には俺が立つが、榊場も術野が見える位置には立たされる。バケツを足元に置いて。
榊場の受難は始まったばかり。
++++
「まず人と違う大きな点として、その再生能力が問題になる」
言うが早いか、束村さんはメスを一閃、正中線に深く一本切れ込みを入れる。
切れ込みに血が滲むが、それほど広がることはない。心臓が止まっているからだろうか。
切れ込みを入れるも待つこと20秒弱。束村さんがおもむろに切れ込みの血を拭き取ると、既に跡形もなく傷が消えている。
「綺麗な傷だからってこともあるが、この程度の傷ならさくっと塞がるんよな。止血に苦労しなくてもいいのは楽だが、解剖には速度が求められる。あと、かなり雑に扱ってもどうにかなる」
「雑、とは?」
「まあ見てろ」
人間でいう肋骨の下あたりをカタカナのエの字状にメスを入れ、束村さんはそれに手を突っ込みガバッと開腹。
さらに開いた腹部前面の肉を開いた状態でベッドに金串で突き刺して開腹状態を固定。さながら鰻捌きの目打ちのごとく。なるほどこれは雑だわ。
えもいわれぬ血と臓物の匂いが鼻を衝く。榊場が変な声を出したが吐くのは堪えた様子。
「見えるか? 血が主食だからか、血を体内に貯める胃にあたる部分がでかい。代わりに腸にあたる部分はだいぶ整理されて短い。小腸大腸の括りは無さそう。こいつも何度か腹開けてるが、癒着もなく綺麗なもんだよ。んで、肝臓も腎臓も変形して小型化されてる」
「固形物溶かす必要がないから消化器が短くていいと。胃だけデカくて内臓も小型化となると、ますますデカい蚊みたいですね」
「あとで見せる予定だけど形は違うが心臓はちゃんと人間同様の位置にあるんだぜ。あと脾臓らしい臓器も人間でいう背骨沿いで腰骨のちょい上あたりにある」
ずいぶんと腹の中身はがらんとしている。胃が膨らむためのスペースなのだろうか。
ふと開かれ剥がされ固定された腹部の内面に目をやると、表皮のように綺麗に再生はしていないものの、血は既に止まっている。
「腸の方は大変身してるんだが、面白いことに、膀胱と肛門、生殖器である膣と子宮と卵巣周りはほぼ人間のままなんだよな。膀胱と肛門ともかく、血液感染で個体を増やすなら人間の生殖器は不要そのものだろうに」
「なんででしょうね?」
「なんでかはわからんが、吸血鬼はヤれる。つか許可取ってヤって生出しした奴がうちの職員にいる」
許可下りるのかよ。ほぼ死姦だぞ勃つのか。
更に生でやるとか剛の者過ぎないかその職員。
粘膜接触で感染怖くないのか。
「なんでまた……」
「膣あって胸あって子宮も卵巣もあるなら排卵誘発剤しこたま打って生出しすれば孕むんじゃねーの?って精神で。もし感染したら死ぬ覚悟でヤってた。合掌」
「ダメでしたか」
「いや、今も元気に生きてるし感染もしなかった。それが運良く感染しなかっただけなのかはわからん。二の矢しに行く奴がいねえ。あと孕みもしなかった。そもそも子宮と卵巣が活動状態に入らなかったのが敗因」
「さすがに2人目はいないんですか」
「みんな命惜しいし。人工授精させた人間の受精卵用意して子宮に直で入れて着床待ちもしたがダメだった」
活動状態の問題か、種族の問題か。
「別の個体で、子宮と卵巣丸ごと取り去ったんだが、再生しねえのよ。だからここは人間のまま変化していない可能性がある。と言いたいところなんだが、取り去るではなく、部分的に傷を入れたり抉ったりしたら再生するから法則性がわからんちん。下腹部に拳大の貫通抉れ傷作っても再生だから境界線は曖昧」
「どこからエネルギー持ってきているんでしょうね。榊場は思うことない?」
おっかなびっくり術野を覗いてはすぐに目を逸らすムーブを続けて1人蚊帳の外な榊場にも話を振ってみる。
「いや、ごめんもう無理」
足置き台から飛び降りる榊場、そのまま蓋付バケツにリバース。
胃液の酸味のある匂いと、カツオ出汁の匂いが立ち昇る。今日の昼もうどんか?
「……榊場君、隣の部屋で座ってカメラ越しに見るか?」
「でぎればお願いしまずうぉぷ」
「オッケー。バケツ持って退出、口
「ずびません」
「開腹即吐き戻さなかったんだから上出来だ。7割がたはこの洗礼で吐くか血の海で失神らしいから」
榊場は昨日も倒れてたが。そんなに平静保てないもんなのか。
正直俺はめっちゃ楽しいんだけど。
「十字君は? なんか異常ある?」
「これっぽっちも異常ないです」
「やるねえ。じゃ続きやるか」
金串を抜いて開腹部を一旦閉じ、2人で協力して吸血鬼をうつ伏せに。
「そーそー、今吸血鬼の心臓は止まってるがな、血流自体はほんとうに僅かだがあるんだよな」
「どういうことですか。それなら死亡確認すり抜けは無いのでは」
「おもしれーことにな、完全停止してから、数日後になって血流が再開するんよ。いっぺん心停止するのが吸血鬼化へのトリガーのひとつになっているらしい」
「心臓なしでどうやって血流を維持するんですか?」
「それを見るのがこれからなのさ」
日焼けしていない吸血鬼の血の気の薄い白い背中。
見た目は人間のそれとなんら変わらないように思える。
束村さんは包丁のようなサイズのメスを握ると、背骨の左側に沿って深々と突き刺し、腰側から縦に切り上がる。
人間であれば肉に邪魔されるところはがらんどうになっている胴体、心臓と肺を守るように覆われている肋骨にも当たらず、鎖骨の裏あたりの高さまであっという間に切り開く。鮮やかな手際。
そして、吸血鬼の背面が体半分見事に開かれた。
「人間と1番違うのはやっぱり肋骨の内側よ。なにせ、背中側の肋骨ないからな」
「あー、さっくり切ってた印象でしたけど、肋骨が体側面までしかないんですね、コレ」
「背骨から生えている形で翼が格納されてる。これが背中側の肋骨の代わりになってるんだな」
そう言って束村さんは開いた背中に手を突っ込むと、黒く薄い膜のついた、いわゆる悪魔の翼のような形状の翼を広げてみせた。
ぬらぬらと血の滴るそれは人間なら背筋のある範囲をカバーするように格納されている。
その内側に肺や心臓その他らしき臓器も見える。
「体に入るサイズの翼でよく飛べるもんですね」
「全くだ。これじゃ絶対飛べないってみんな言ってるから、ほかになにか理由はありそうだが」
人に擬態する別生物。
地球はなにを思ってこの生物を形作ったのであろうか。
「……どうやって翼出すんでしょう」
「そりゃバリッと内側から破って出すんじゃないか? 再生能力もあるしすぐ塞がるだろ。遼君が切ったライン、肉が薄いところだし」
「翼の収納は……? 無理では?」
「さあ? ただ、この翼も再生するから、生え変わる疑惑がある」
「うわ面白え」
確かに人間にはない高速再生能力があればいちいち引っ込めるより自切して生え変わり待ちの方が効率的かもしれない。
カニだってトカゲだって逃げるために体を切り捨てるのだから、スケールは違えど可能性はある。
「それはそれとして、心臓が動いていないのに血流がある理由だがな、背骨の内側、腰上から首裏あたりまで長い管が通っていて、ここが緩やかに拍動することで血流を維持してる。その管だけで4つに部位が分かれていて、どれかが止まっても再生するまでは他が補えるようになっているらしい」
「じゃあ背骨丸ごと引っこ抜けば吸血鬼は殺せるのかな」
「どーだろ。完全に覚醒したらちゃんと心臓も動くからな。仮死の吸血鬼なら背骨抜けば殺せるかもしれん。少なくとも首落としただけでは仮死の吸血鬼ですらすぐには死なん」
「不死の逸話が残るわけだ……」
心臓を貫いても首を落としても土手っ腹に風穴開けても背骨が生きてればまだ動くし再生する。
燃やさずに殺すには背骨粉砕と心臓破壊を再生されない速度で短期間に行う必要があると。
財前さんに喉に鉄突っ込まれても仮死に戻っていたから窒息も一応効くっぽいが。
なるほど拘束して燃やすのが1番手っ取り早そう。
「バラバラに解体して持ち去ればさすがに再生されずに腐るがな。もっとも、バラバラにしても体の形にまとめておいたら再生されたが……」
「なにそれ怖い。燃やすの大安定じゃないですか」
アメーバかなにかかよ。
「それだけでも十分面白いが、肺の行先もな。なんと肋骨の内側前面と、前面肋骨の隙間と、一部は乳房の根元にまで達してる」
「押し込まれてますね。なら割と肺機能弱いんでしょうかね」
「翼が外出たら肺の動けるスペースが広がるから、いざとなったら一気に取り込めるんじゃないか?」
「あー」
翼が抜ければがらん胴。
より息も吸えるだろう。酸素も取り込めるだろう。
「あとは、肺が胸部に進出するから、個人差はあるが吸血鬼になると乳がデカくなる。外見で変化が出るのはここぐらいだな」
「鳩胸になるならともかく巨乳になるのは因果関係繋がってないのでは」
「美人で巨乳のねーちゃんが誘ってきたら男はついて行きたくなるだろ? 可愛いロリ巨乳いたら目奪われるだろ? 獲物誘き寄せのための進化じゃねえかってさ」
「最低な理由だけど否定できない」
人間側の理由では最低だが、捕食者側の進化理由としては理にかなっている。
さながらチョウチンアンコウの発光器官のように。
巨乳化は野郎という餌を捕食するには実に的確な進化と擬態かも。全世界の成人男性の7割ぐらいから興味を惹けるんじゃなかろうか。
欲求不満な男の前に現れて誘惑されたらグラつく人はさぞ多かろう。しかも捕食される側が見つかりにくいところに連れて行ってくれる。
楽しい進化してるなあ、吸血鬼。
たぶんジャブです。