蒸し風呂、フィンランド語でサウナ。
今回、2人の被験者が放り込まれるのは、かつて宗教団体『雪花の光』がやっていたという喜悦蒸しの環境を擬似的に再現するもの。
幕舎を組んでゴザを敷き、焼き石に水と香草でサウナを構成する。
適切な温度設定は不明だが、昼から日没まで最低4時間は行う、熱源は焼き石に水、幕舎の保温効果も低めだろうから、そう極端な高温ではないのかもしれない。
サウナとしては低温な、ロウリュに近いものだろう。
高温多湿で発汗を促進するが、もし汗としてヘロインに類するなにかが出ているならば、それも促進する。
では使用された香草は?
修験道の流れを汲んでいたことを考慮すると、洋側の植物の採用確率は低め。
ここからの特定作業は困難であった。
推察する材料は感染症内科の
修験者たちは食料以外は自給自足と言っていい状態であった。その前提に立ち、たとえば猛城の写真に残っておらず、立山連峰で生育が難しいチャノキは確率が低いと除外された。
似たような理由で蜜柑や生姜が外れ、唐辛子が喜悦蒸しの内容に合わないと外れた。
最終的に残ったのが、よもぎ・松葉・ドクダミ・センブリ・ゲンノショウコ。
あの環境で使うとしたらおそらく程度の予想。ほとんど山中にある大捷製薬兵庫支部でも、ちょっと山道へ出かければ採れるようなもの。
採れはするが加工が面倒なので使う分は購入することになりはしたが。
最初は無香料で試すのでそれで成果が出れば無駄骨ではある。
『
「どこが!」
吸血鬼仮死体を叩き起こし、しかしある程度経つとまた休眠状態に戻る。
個体次第だが前例では1ヶ月弱がひとつのライン。
その際再休眠に入る前の兆候として、睡眠時間の長時間化と、おもに心拍数と体温の低下が見られる。
よって佐土がどこかで休眠モードに入ることが想定されており、それらの兆候が見られないのは好都合であり、予想を外しつつもあった。
『今回ご用意いたしましたサウナおよび水風呂ですが、多少は体調を考慮しますが、規定の時間入って蒸されていただきますのでおそらく熱中症は避けられないものとお考えください。適宜水分や塩分補給をお願いいたします。また、途中で性行為は禁止です』
「気温と水風呂の温度を教えてくれ」
『気温約70℃湿度100%、水風呂は15℃ほどですかね』
「過酷って言った割にヌルくねえか?」
『サウナ内総滞在時間を数時間と見積もっておりますので過酷かと思います。では、指定の着衣を命じます』
佐土には総絹製の貫頭衣。材質は違うが檻内生活の当初に着ていたものと同じ形。
たっぷりと水を飲ませ、2人がサウナに閉じ込められる。
片側にヒーターとサウナストーン、湿度調整は監視側のみ可能。
もう片側に
立てなかった今までの檻内とは違い天井も高い。水風呂エリアも同様で直立可能、腕を伸ばしても軽いジャンプでも天井に頭は当たらない。
『終了後には氷菓をご用意しておきますが、指示違反が多発するようですとそれも没収になりますのでご留意を。まず30分間頑張ってください。姿勢はご自由に』
「なんだってのよ……」
灼熱の実験が始まった。
++++
ゴザに座るか寝転がるか、久しぶりの二足直立を堪能するか、やれることといえばそれぐらい。
1ヶ月の間、檻の天井の低さで2人は二足歩行を実質許されていなかった。
空気椅子のような姿勢であればギリギリ立てたが、長時間続けられるものではなかった。
食って寝て交わっての生活。セックスが運動ではないとは言わないが、行動範囲は狭く、決して一般人より運動量が多いとは言えない。
八木の筋力低下が特に顕著で、檻生活1ヶ月でマイナス6kg。必須栄養素や成人男性に必要なカロリー量は下回っていないのだが、この痩せぶり。
いかに歩きもしない生活が体から筋力を奪うかという良い見本。
ヒロポン中毒のような症状を見せつつあるのも影響はありそうだが。
佐土は逆にプラス2kgの体重増。
ほとんど女体を貪ることに注力している八木に比べ、比較してだいぶ運動している。
座ったままできるようなストレッチをしていることは比較的多く、天井の格子を掴んでぶら下がっていたり、足の指で吊り下がろうとしていたこともある。
八木は思考能力の低下によって暇を感じない方向へ変化したが、こちらは八木との性的接触以外の時間で暇を持て余し始めている。性行為の経験を重ね慣れてきて立ち直りが早くなったのが大きいようだ。
なぜ体重が増えているのか。1番賛同が多かったのは根本的な体重不足。マイナスがゼロに寄っただけでは?という説。
仮死体となっていた間に胸が巨大化したといっても、最初に仮死体として送られてきた時に比べて、実験のために起こされるまでに総体重はやや減っていた。
生物である以上、変異がゼロエネルギーでできるわけではない。年単位の休眠だったと考えれば破格のエネルギー効率ではあったが。
骨が浮くとまでは行かずともこの隔離実験開始時に痩せ気味だったのは間違いなく、また昨今の若年女性の痩せ信仰からか兵庫支部搬入時既に平均体重を割ってもいた。
15分が経過した。
サウナとしては低温だが、2人の体には熱が浸透した。
カメラ越しには汗の粒まではやや見えにくいが、2人とも汗を
ところで、この1ヶ月間、彼らは風呂には入っていなかった。
シャワーは浴びれてシャンプーやボディソープも使え、T字カミソリとシェービングフォーム程度は希望すれば使用可能ではあったが。
ただ、室温は寒くも暑くもないぐらいの体温調節不要な設定であったし、いくらセックス漬けで汗をかくといっても、全体的に運動不足なのは否めない。
汗腺は温浴をそれなりの時間行うことで開き、体臭を予防する。最低でも15分は浸からないと足りない。
カラスの行水では風呂に入る意味はなく、シャワーだって数十分浴びっぱなしなんてことになる前に運営している側が湯を止める。
佐土は仮死体であったためもっと長い間動きもしておらず、結果として2人の汗腺の多くは休眠状態に移行していた。
それを突然、高温超多湿のサウナに放り込まれ、それが容易には抜け出せないのだ。
休眠していた汗腺がサボっていられない環境となり、末端部までしっかりと蒸し上げられたらどうなるか?
お互いの体臭がそれと意識してしまうほどに漂い出していた。
喜悦蒸しが男性修験者に猛威を奮ったその一端が、八木の間近で発散され始めていた。
嗅覚は不思議なもので、自分の発する臭いには鈍感でも、他のモノが発するものには鋭敏に反応する。
今回のサウナでは香料不使用、匂いの元はお互いしかいない。
カメラ越し、計器越しでは匂いまでは観測できない影響。
もはや誰も気付けないことではあるが、《雪花の光》が幕舎で行なっていた喜悦蒸しは囲いに隙間風が入らない程度の雑さであり、それなりの人数が入れ替わりながら行うために出入りもそこそこにあって、このサウナほど密閉された空間ではなかった。
サウナストーンは普通の焼き石に水であったので室温はさらに低く、水風呂の用意ができないので川沿いで催行されていて日差しや風による幕舎の気過熱の影響もあって温度が一定ですらなかった。
真夏の締め切った日向の車内と比べたらはるかにマシなほどで、兵庫支部の面々が想定したものをかなり下回る。
なにせ昼から日没まで、最短4時間、夏季で6時間近くに及ぶ長時間耐久修行である。
あんまりにも過酷な温度に設定すると頻繁な体の冷却が必要になり修行にならないし、ましてや運動不足で暑熱順化もしていない人にいきなりやらせる修行ですらない。
高級すぎる想定環境から与えられる負荷と、本来の修行には大きな差があり、2人に生じる影響は過剰なものであった。
++++
『30分経過しました。水風呂の使用と休憩を許可します』
「暑ぅ……」
「死ぬ……」
蒸し風呂に水分と塩分を噴かされた2人は、目に見えて消耗していた。
体表も明らかに赤くなっており、正中線の内側、内臓の温度である深部体温も上昇している状態。
普段は上昇しにくい深部体温が熱いなら巡る血液も熱くなり、浅部、腕であるとか足であるとかは当然それ以上に熱されている。
サウナから出て25℃程度の部屋に出ると、体表が一気に冷める。体の中心部まできっちり加熱されていたぶん、逆に内側の熱が取り残されて内側から身を焼き始めた。
『水風呂へ入る前に、フェイスタオルで全身の汗を拭いて、それぞれ個別の袋に詰めて封をしてください』
「早く行かせろよ……」
『被検体佐土は、現在の着衣も脱いで絞らず同梱するように』
「はひ……」
人間という生物が地球上にこれほどの版図を拡げた要因のかなり大きな理由が体温調節機能の強さと営巣能力。
服による調節を含めると人間の行動可能温度はかなり幅広く、これに肩を並べられる生物は多くない。その上で高温でも低温でも住居を構えられる特性は他の生物の追随を許さない。
けれど万能ではないし、限界も当然ある。
人間は、体温が上がりすぎない、下がりすぎないようにすることは得意分野だが、自力で温まり過ぎたものを戻す、冷え過ぎたものを適温に戻す、といった作業はやや苦手。
高温多湿な環境では発汗による冷却が無効となり、ただ水と塩が抜けていくだけとなる。
汗を出し切ってしまう、または汗では追いつかない状態になってしまうと、意識をどれだけ保っていられるかの戦いである。
「くっそ、拭いても拭いても出て来やがる」
「キリがない……」
吐く息すら灼けた熱風。
八木・佐土両名には、まだ発汗できるだけの水分は残されていたらしい。
飽和蒸気で濡れていた分も合わせて、絞れるほどの水分をタオルに吸わせられる。
「ぉぉおぁああああ」
水風呂に首まで浸かって感嘆が漏れた佐土。頭頂まで沈んだ八木はボコボコと息を吐く。
熱したガラスのコップを急冷したらヒビが入るように、人間にも同様のことが起こりうる。
ひび割れこそしないが、冬場の入浴の際に起こるヒートショック現象はそのひとつ。
ぬくいリビング→寒い脱衣所と寒い浴室→熱い風呂、と行動すると血圧の乱高下が起き、脳梗塞や心筋梗塞が起こりうる。
サウナはそれを極端にして意図的に起こす。健康に良いわけがない。
事実、水風呂から立ち上がろうとした佐土は立ちくらみを起こしてバランスを崩し、水風呂に再ダイブとなった。
「あ゛あ゛ぉ゛」
凍えるほどに冷やされたら休憩。
プールサイドに置いてあるような長椅子に寝転がって、急冷された肉と内側に居残った熱の拮抗を待つ。
監視カメラに気付いているのかいないのか、佐土は裸体を隠す余裕もないのかあけっぴろげに倒れている。
八木はまだ1人水風呂に残っていて、そちらも時々奇声を発していた。
『給水機を開放します。常温と冷温で水と麦茶が選択可能です。また、塩飴と塩タブレットもご用意しましたので使用をお勧めします』
「やば、立ちたくないだっる……」
浅い部分は水風呂で粗熱が取れたが、上がりにくく下がりにくい深部体温とのミスマッチが体を狂わせる。
冷えた食品や飲料で直接内臓を冷やせるのだが、そこまで頭が回らないらしい。
++++
「だーからやり過ぎだって言ったろーが」
地下4階実験フロア。
八木と佐土が監禁されているのと同階別室のオペレートルーム。
監視カメラ越しでぐったりしている2人を眺めて苦言を呈したのは、このサウナの据え付け担当兼制御責任者となった機材科副室長、
機材科としての仕事と地上階にあるトレーニングジム管理者を兼任している彼は、トレーニングもさることながら、サウナ好きなこともあって造詣が深い。
地上階の男女別の大浴場にはそれぞれ4畳ほどのミストサウナが設置されていて、愛用者はそこそこいるのだが、それを設置させたのは陽神さんが音頭を取って提案書を提出したから。
もっとも、大浴場開場中常時稼働という訳ではないが。
「30分はなげーってあんだけ言いましたよね?」
「15分であの温度だと温まるだけやゆーたのそっちやろ!?」
一方、陽神さんに詰められているのは病理専門医の
サウナに叩き込まれた2人の出した汗や、サウナ内に残留した熱気の成分分析を担当することになっていた。
分析担当の立場からするとサンプルが多いことはとても好ましいことだ。
「この実験、健康なサウナの使い方目的ちゃうからな? 環境再現実験が本題やからね?」
「だからと言って、あれすぐにもう一度サウナ放り込んで30分2周目やったら、佐土はともかく、八木死んじまう。十分サンプル取れてるだろ、これ」
そのすぐ横にあるのは、さきほど八木と佐土が全身を拭いたタオルと佐土が来ていた貫頭衣。それのパウチングされたプラ袋。
「別の日に、というか長時間はもっと慣らしてからでいいでしょ? 素人がいきなりロングはやりませんって」
サウナの温度設定にもよるが、概ね1回10分程度が健康に利用できる時間。
それを水風呂と休憩を挟んで何周かするのが、普通の使い方。
いきなり30分入りっぱなしは異常と言っていい。明らかに激しい消耗の原因である。
「あと15分」
「ダメだろ。ねえ、十字新吸血鬼担当?」
「この隔離生活計画立案には関わってないんで振らんでくださいよ……」
俺は吸血鬼担当として当然の在席を求められていた。
「自分は医者じゃないですし、どの程度までいけるかって判断できないですよ」
「じゃあ本物の医者に聞きましょーや。私情が混じる蔦さん以外で。つーことで、
「本日は終了に1票。暑気の疲労は食欲かなり落ちるから、明日もやるなら疲れが残り過ぎるかな」
消化器内科専門の鷹橋さんは、この監禁生活では食生活に気を回す立場である。
献立を考えるまではいかないが、どのような食品を提供するかには意見を出せる。
「
「右に同じ。すぐにもう1回は無しかな。しばらくサウナ定時開放予定だから、本気で苦しいケースは稀にぐらいがいいだろう」
続けて呼吸器内科および耳鼻科の八田さん。
喜悦蒸しで吸血鬼がなにかを出していて、それを吸った修験者が何かに影響されていたらしい、という点で、吸気による影響なら耳鼻科だろう、と呼ばれている。
「さっさと氷菓の差し入れしてあげな。あっつい時に渡してこそ効果あるってもんでしょう」
「そうしましょう。3対1の棄権1です。本日分は終了で決定」
「くっそぉお」
「分析頑張ってくださいな」
「アナウンスするんでちょっとお静かに。アイスすぐ出していいから」
「冷凍庫開けて準備してきます」
八田さんがマイクを握るのを横目に、オペレートルームを退出する。
給水機の横には握り拳2個分ほどの高さで幅60センチの差し入れ口があり、今回そこに入れるのは青くて爽やかな既製品バニラアイス。
これらも回数進むごとに種類を変えて佐土の味覚調査に使われる。意味があるかは知らないが、凍らせた果汁、味付き氷、冷凍果物、各種フレーバーアイスも出す予定。
凍らせたプリンやゼリーなんかも予定表に入っていた。
「うっしゃあ!」
受け取ったらしい八木の喜びの声。
食事の際にデザートの類はほぼ出ておらず、時々果物があったか、飲み物が果汁か野菜のジュースだったことがあるぐらい。
1か月近くの間、嗜好品や甘味と言えるものは出されていないはずなので、流通価格百円台のこれでも情報に飢えている彼らには貴重品である。ましてや砂漠に水のような状態なのだから。
いまだに既存資料の整理と把握は終えていない。
まだ仕事時間のほとんどをそれに費やし、今日のような大きめのアクションがある時にはこうして参加しに来るし、時々は監視番のシフトが回っても来る。
目を皿にすることはもうない。オペレートルーム待機中にも、支給されたノートPCで電子資料の整理と読破も進めている。
激務ではないが、仕事をしている前で、食う寝るセックスの上げ膳退廃生活を見ていると、どこか羨ましく思う。
間違いなく快適ではない生活だし、じゃあ自分が代わりにこの生活をとはこれっぽっちも考えられないが、あまり考えることのない生活というのは社会人にとっては得難いものだ。
いかんせん、自分が関わり合いになる人間に頭の悪い人はほぼいない。
どんなにアホでも医者になれるような頭の出来をした人間しかいないから、日常会話のレベルが妙に高いし、仕事の話となれば1聞いて10識るまではいかなくても、1聞いて4か5ぐらいは簡単に理解してくるのだ。
医者ではない研究員レベルでも学歴で国立の上澄み大学卒がゴロゴロしているし、医者でも研究員でもない機材科の陽神さんも有名私立大卒。
同期の
経歴が医大でも有名大学でもない俺は、兵庫支部では異色な部類の経歴。
はっきり言って、正規の研究職員で最バカは自分ではないか、とすら思う。大卒以上で自分以下の学歴いるんだろうか?
なので周りが冴えすぎて付いていくのに頭を使って疲れる。
隣の芝生は青く見えるというが、頭を使わなくていい生活が羨ましくなるのはいつか慣れるのだろうか?