’’井の中の蛙大海を知らず’’
「…どういうことだ」
大海を知らずして、己が一番だと思い込む井戸の中に住む蛙の気持ちが漸くわかった。狭い世界で物事を考えていたことを悔やみ、力なく呟いた
たかが紙切れ1枚。されど紙切れ1枚。目の前に置かれた紙切れ。’’101’’の数字に恐れ戦いて、身体から出る変な汗と目眩がしてきそうな程の動悸を押さえ込みながら、ひたすらに五姉妹との接触を思い出す
走馬灯が如く、今までの出来事が頭を駆け巡っていた
五月にした返答。四葉との再会。二乃との和解。三玖との接触。一花との会話。考えられるであろう原因を徹底的に洗い流した。口元に手を添えて、更に厳戒態勢へ
『…んーん。なんでもないよ?今日はお疲れ様!』
『私と、踊ってくれませんか?』
『もう少しだけ・・・考える時間がほしい』
『林間学校で、その…上杉さんと踊りたいって仰ってる方がいましてですね…』
『これが落ち着いていられるわけがないでしょう!説明してくれるまで離れません!』
どれだけ必死に探し続けていても、人の脳というものには限界が来てしまう。頭を抱えながら画策すること数十分後
「まさか…な」
限界まで張り詰めた脳を休ませるように、そのまま現実逃避をするように、畳の上に倒れ込むように寝転がった
「ただいまー!」
そんな折、晩御飯の買い出しを終えた妹が帰還した。背丈の3分の1程ある買い物袋を持っていたので、それを受け取りがてらに出迎える
「…おかえり。親父はどうしたんだ?」
「今日も遅いんだって〜。朝に帰ってくるって言ってたよ!」
「…そうか。晩御飯は何にしたんだ?」
「今日はオムライス!」
親父の給料日前だというのに、いつにない豪勢な晩御飯。だが家庭教師の給料から差し引かれたものと考えるのなら、別に不自然ではない。懐が潤ってきている証拠だ
「楽しみだな。晩御飯、頼んだぞ」
「はーい…って、お兄ちゃん?どこかに行くの?」
玄関でらいはを出迎えて、買い物袋をキッチンへ置いた瞬間に、また玄関へ足を戻した。その光景を不思議に思ったらいはがそう尋ねる
「散歩だよ。考えたいこともあるしな」
「ふ〜ん…あ、そうだ!」
出ていこうとした直後に何かを思い出したかのように、らいはは買い物袋を漁り始めた。買い物袋の奥底から出てきたのは……
「この前のお礼なんだけどね…二乃さんに渡してほしいの!」
兎のキーホルダーだった。看病のお礼と言いつつ、らいはの携帯にも同じものがぶら下がっていた。いわゆるペアルック。余程二乃の事が気に入ったのだろう
「散歩がてら届けてくる。できたら電話してくれ」
「うん!二乃さんにもありがとうって言っといてね?」
「ああ」
☆
「お礼…ね」
気分転換で外を歩く中で、らいはから託されたキーホルダーを眺めていた。住宅街の並ぶ昼間に歩いていることもあって、気温もそれなりに高い
ヴー…ヴー…
「ん?」
ポケットにしまっていた携帯が鳴った。その携帯のディスプレイには’’中野五月’’と映し出されていた。意外な人物からのコールに少し戸惑ったが、急いで電話を取った
『上杉君?今よろしいでしょうか』
冒頭から丁寧で落ち着いた口調。これならディスプレイを見るまでもなく誰だかわかる。休日とはいえ、こんな昼間に五月から電話をかけてくるとは珍しい。なにかあったのかと身構えてしまう
「五月か、どうしたんだ?」
『家庭教師の件に関して、少しだけ困ったことがありまして…』
さっきみたいなイレギュラーが起こったあとだからか、過剰に’’家庭教師’’という単語に心臓が反応してしまう
「…なにか問題か?」
『ええと…問題と言うには取るに足らないことかもしれませんが…上杉君の家庭教師代を、どうお渡ししたらよいのかと思いまして、お電話させていただきました』
だが思っていたより深刻な問題ではなかった。単なる相談事らしい。ホッと胸を撫で下ろしてから会話に戻った
「あ、ああ…そんなことか」
『そんなことって…お金が絡んでくる事です。しっかり決めておかなくてはダメですよ』
普通のバイトだったら、給料は口座に振り込まれるのだが…うちはそうもいかない程貧困状態にある。雇い主である院長の中野さんも、だからこそ五月に給料を渡したのだろう
しかし、ここでひとつの疑問が浮かび上がってくる
「…俺のところに直接届けてくれて構わないぞ?」
前世のように、直接この家に来て届ければいい話なのではないか。そう思って五月に頼んでみると
『直接…?上杉君のご自宅にですか?』
至極当たり前なことを聞き返してきた
「それ以外にあるか?」
どこか噛み合わない、電話越しでもわかる五月の戸惑いよう。次の五月のセリフで、俺は重要なことを思い出した
『何を言ってるんですか?私は上杉君の住所は知りませんよ?』
「――――え?」
オウム返し以前に、何を言っているんだと本気で思ってしまう。本日二度目の頭のフル回転。五月が家の住所を知ったきっかけを脳内で投影した
「……そういうことかよ…!」
電話は繋がったままなのに、大きな大きなため息が出てしまう。これも前世との別ルートに行った結果が生んだパラレルワールド
二乃に睡眠薬を使って追い出されていないが故の弊害なのか…
『え、どういうことですか?』
当然置いてけぼりの五月に説明することもなく、気にするなと言い聞かせる
「…すまない。こっちの話だ…ったく、お前の姉妹には困らされたもんだ」
『は、はあ…』
一方的に愚痴を吐きつつ頭を抱えて、五月にどうするかの旨を伝える
「…どうせそっちに用事があるから、今日のところは俺が取りに行く。待っててくれ。今後それをどうするかはまた後で決めるぞ」
『わ、わかりました。お待ちしてます』
一通り話を終えて、俺は中野家へ向かうのだった
☆
「気が乗らねえ」
既に色々あったせいで疲弊感が拭えない。高層マンション用のエレベーターに乗ることさえ躊躇いそうになってしまうのだ。オートロックを解除してからノロノロと目的の階へ
「じゃまするぞ」
一方的に言い放って、待ってるであろうリビングに足を運ぶ。扉を開けた先には、給料袋を持った五月とスマホを弄っている二乃がいた
「いらっしゃい。フー君」
「わざわざありがとうございます。これが今週のお給料です。個別面談ということで、3人分のお給料が入っているそうですよ」
「…そうか。ありがとな」
五月・四葉・二乃の分の家庭教師代か…個別面談で一花と三玖にはまだ勉強を教えられていないので、3人分なのもおかしくはない。しかし札束は分厚かった
一人5千円、それを一週間分
15000×7=105000円
相変わらず金銭感覚がおかしくなりそうな給料。ブラック企業の会社の手取りと同じかそれ以下くらいには匹敵している
「お、重いな」
「そうでしょうか?それくらいの仕事はしてくれていますよ」
「…ならいいが」
何度手にしても慣れない厚さ。脳内では’’ズシッ’’といった擬音が勝手に連想されてしまう。大事に懐にしまってから、持っていたキーホルダーを取り出す
「二乃、これをらいはから預かった」
五月との会話の間はスマホを弄って時間を潰していた二乃が、ゆっくりとこちらに振り返って歩み寄る
「もらってもいいの?」
「この間のお礼だそうだ。らいはとお揃いらしいから…大事にしてやってくれ」
「…ふふっ、義妹ちゃんとお揃い、ね?」
「なんか言ったか?」
「なんでもなーい。ありがとうって伝えといてちょうだいね。早速携帯につけてみようかしら」
またしても聞こえにくい程の声量。この姉妹は独り言が多いのか、よからぬ事を考えている輩が多い。可能な限り発言を拾いたいところだが、如何せん耳という人体機能にケチをつけている暇がないのだ
喜んで携帯につけてくれているから問題はない。らいはにも吉報が届けられそうだ
ここは大人しく引き下がって、多少の世間話でもしてから帰ろう
「課題の方は進んでるのか?」
質問にギクッとする瓜二つの姉と妹。案の定思い通りには進んでいないと見受けた。テスト問題を渡したのにもこれとは…逆に流石だなと感服してしまう。こんなことで感服させないでほしいと切に願うのが本心だ
「え、ええ。頑張っています…」
「そうよ。頑張ってるところなの」
「進んではいないんだな」
「「…」」
「無言はないだろ…」
五月は外の景色を見るように首を逸らして、二乃はキッチン側へ首を逸らしている。同じ方向を向かないのも面白い点だ。いや、面白いなんて言ってる場合じゃない
「…どこがわからないんだ」
「…ここなんです」
座っていた場所の足元から資料を持ち出して机に並べると、いつの間にか筆記用具の準備まで終わらせていた。元々勉強をするつもりでいたのなら褒めるべきだが、課題の内容はとても褒められたものではなかった
「確かに頑張ってはいるみたいだが…ひどいな」
「あぅ…」
「それと、ここは1じゃなくて4だ」
なんだかんだ言って、結局は五月の課題を見ることに時間を割いていた。赤点を取られては元も子のないので、約束されたテスト問題を懇切丁寧に解説していく
「フー君。ここは?」
机を隔てて鎮座する五月に解説していると、今度は二乃も聞きにやってきた。部屋から持ってきたであろう一式を広げると、何食わぬ顔で隣に座ってくる。向上心が増したことに関しては嬉しいが…胸を押し当てていること以外に文句はない。その一点が唯一の不満だ
「離れろって、暑苦しい」
「…フー君のいけず」
「五月の前なんだぞ。少しは自制しろ」
五月に聞こえないようヒソヒソと話して、気付かれる前に離そうと説得に走るも、香水と髪の毛から漂うシャンプーの匂いが脳をチラつかせる
「…離れないと、お前だけ課題増えることになるんですが?」
「あら、保健体育の課題かしら?」
「んなわけねえだろ…!」
「あ、あの、どうかされました?」
積極的すぎる二乃の発言に、ついついさっきより大きい声が出てしまう。それと同時に五月のペンが止まった
振り回されるのには耐性がついたものだとばかり思い込んでいた。不覚を取るとは…
「大丈夫だ…大丈夫だから…続けてくれ」
「…変な上杉君ですね」
「変なフー君ね」
なんとか誤魔化せたが、その後もこんな感じのブラインドアタック(五月の角度からは見えないボディの接触)を何度かされた。しかし誘惑に耐え忍んだというのに、何故か負けた気になったのは言うまでもない
「ありがとうございました。わからなかったところはまた連絡します」
「おう…」
「なぜそんなに疲れているのですか?」
「勉強を教えるのって大変なんだな…」
「…?」
遠い目をしていた事が不自然だったのか、五月に尋ねられるがこれも誤魔化す。どっと疲れたのも、この二乃のせいである
「電話来ちゃったから、私は一足先に部屋に戻るわね」
だというのにその問題児は、早々に部屋へと戻って行ったのだった
「…まあいい、今日は俺も帰る」
「あ、待ってください!」
立ち上がって帰ろうとした矢先に、五月はそれに待ったをかけて冷蔵庫へ駆けた。冷えたお茶を持って俺の前に置いた
「お時間があればなのですが…お話しませんか?」
これも交流を深める為なのか。意図は汲めないが、持ち上げかけた腰をまた座らせた
「お前がそう言うなら…少しだけな」
「ありがとうございます。そういえば、こうしてしっかりとお話したことはありませんよね」
「…言われてみればそうか」
翌々考えた結果、確かにそうだった。五月には勉強を教えることしかしてこなかったので、悪いことをしたなと心中で感じた
「つっても、俺に話すことなんてあるのか?」
「話題は出せと言われても難しいですから…身近なことでお話しましょう。例えば、上杉君の妹さんについて、などはいかがでしょう」
またしても、話題にはらいはが挙がった。最近、会話の内容にらいはが取り上げられることが多すぎる気がする。聞かれても困るようなことでもないが、やはりどこか他人を惹きつける要素を持っているのだろうか
「らいはのこと、か」
「…なるほど、お名前はらいはちゃんと言うんですね。今度会わせて下さいよ!」
いつかの食堂の時の邂逅を彷彿とさせる頼み方。俺としては構わないが、こいつに作るカレーで家計が火の車になることだけは絶対に避けたいのが正直な意見
「いつかな。暇が出来たら会わせるさ」
「約束ですよ?」
満足そうに笑う五月。笑顔を見ていて、ふと思い出したことがあった
(…ん?らいはとの面識はない…んだよな?)
今となっては当たり前のことを考えながら、五月に尋ねてみる
「な、なあ、五月」
慌てたあまりに吃ったが、構わずに話を続けた
「はい?」
「お前ら5人で…花火大会に行ったことってあるよな」
「急にどうしたんですか?それはもちろんありますし…先日も行きましたよ」
大きく変えた話題だが、五月は淡々と答える。そこに漬け込んで話をもっと掘り下げた
「その花火大会、楽しめたのか?」
姉妹5人がバラバラになってしまうという結末を知っている。あの場にらいはと俺がいないとなると、その行く末はどうなっているのかが、純粋に疑問として気になっていた
「う〜ん…楽しかったは楽しかったのですが…」
予想通り、五月の表情は曇っていた
「5人とも途中ではぐれてしまいまして、全員で見ることができなかったんです」
しかしこちらの世界線でも、特に変わったことはなさそうだった。俺の思い過ごしか?とも思ったが――――
「それでもですね、最後に5人だけで花火を出来ただけでも…私は嬉しかったです。決して派手なものではなかったかもしれませんが…一生の思い出なんです」
俺が危惧していた’’可能性’’が、今の五月の一言によって全て繋がってしまった
「嘘だろ…!」
「う、上杉君!?」
突如として2階へ駆け上がった俺を見て、五月は慌てふためいていた。俺を駆らせたその’’可能性’’というのは――――
(’’あいつ’’までタイムリープしてたってことじゃねえか!!)
もう一人。’’タイムリープをした人物がいた’’という事実だった
さて、シンデレラの正体は誰でしょう。過去の話で既に答えは出てるので考えてみてくださいね
追記.pixiv様の方では既に13話まで投稿してあります。主な活動はそちらでしていますので、続きが気になるという方はぜひそちらもチェックしてみてください