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「あの話……お受けしたいと思います」
イタリア料理店で昼食を共にして、紗英は唇をそっと拭ってから、決めていた一言をはっきりと口にした。正面にかけた坂本誠一は返答の意味を吟味するような間をおいて、精悍な顔を嬉しそうに綻ばせた。
「そう、良かった」
坂本は紗英の勤め先の社長である。根掘り葉掘り聞かれたわけではないが、面接で話すうち、紗英は家庭事情を打ち明けていた。母子家庭であり、子供の将来を考えて少しでも条件の良い、それでいて家の都合がつく仕事。地元を主戦場にする広告会社の事務はうってつけだった。
坂本は紗英に自分のスケジュール管理を頼むという名目で、過分な手当てをつけてくれた。良太の修学旅行にあわせて夕食に誘われたのも、その後ホテルへ流れたのも、まさか体を売ったとは考えていないが、恋愛関係だったとも言いがたい。
月に数度、残業と偽って体を重ねる関係が、もう一年半も続いていた。
きちんと交際しようと言われたきっかけは、元夫からの養育費が滞ったことである。
事情を問い詰めてみれば会社が倒産したのだという。それを真っ先に報告しない姑息さにも、そのくせ申し訳なさそうにするのにも腹が立ったが、紗英はそれらをなじるよりも良太の今後が不安だった。
養育費がなくとも生きてはいけるが、元夫が支払う約束だったマンションのローンや、それをあてにした生活の見直し……。生きてゆけぬことはないが、息子にそのせいで遠慮をさせたり、無理をさせたりすることが、良太にとってどれだけ負担になるのだろう。
紗英にはそれが心配だった。離婚のときも不倫した夫への怒りに蓋をして、ただそれだけを考えていた。
金の無心をするつもりなど毛頭なかった相談の席で、坂本は大まじめな顔をして「俺に面倒を見させてくれないか」と言った。
「そんな……私はそんなつもりで……」
「将来を見据えて交際するなら、おかしなことじゃないだろ」
無理をして今の家に住むか、引っ越しをして余裕を持つか、男の提案を受け入れるか。
結局は学校を楽しいという良太の環境をそのままにしてあげたいと決断した。
そういう打算で受け入れることが、坂本に対して申し訳なかった。
店を出て二人は、坂本の車に乗った。
坂本は信号待ちをしながら、顔をそらして言った。
「無理をしてるなら、別に断ってくれてもいいんだよ。それでどうこうするほど、子供じゃない」
「無理はしてません。その……お金のためとか、そういうわけでは……いえ、ないと言えば、嘘になりますけど。でも、それだけでこんなこと……」
「そう。それならいいんだ」
坂本のことをどう思っているか、紗英には自分でもわからなかった。
嫌いではない。かといって、結婚を見据えて交際するかというほど愛してもいない。
坂本の仕事ぶりも、ふとした所作も、頼りがいのある男性であることは間違いない。容姿も整っているし、これまで紗英に対しても強引に体を求めてくることは一度もない紳士だ。
しかし手当てのために抱かれている。子供には嘘をついている。そういう罪悪感や自責の念が心を占めているのも事実である。
「紗英さんは色々と、気にしてるとは思うけど」
坂本は見透かしたように言った。「俺も金に物を言わすみたいで、悪いなって気はしてるんだ」
「そんな……」
「だけどもう、遠慮はしない。気持ちが関係に追いつくよう努力するよ」
ホテルの部屋に入るなり、坂本は紗英を振り向かせて唇を奪った。
大きくて厚い手のひらが、頬から首筋を包むように紗英を捕まえる。
「あのっ……んっ」
戸惑う紗英をなだめるように、ざらついた舌が侵入してくる。驚いた紗英は坂本の胸板を押した。しかし男の体は微動だにせず、逃げようとする紗英の舌を絡めとり、いやらしい水音が隙間から漏れ、頭の中に響いてくる。
顎先に、耳の付け根に、うなじに、坂本の指が這う。
息継ぎをする間も熱い吐息でつながっている。
すべてが「この先」を紗英に想像させ、下腹部が熱を帯びる。
やがて紗英の手は、坂本の胸板からシャツを手繰って彼の背中へと回された。
(こんなこと今まで……)
坂本とのこれまでの行為は、実に事務的なものだった。残業という言い訳があながち嘘ではないと思えるほどに。ホテルに着けばシャワーを浴び、まず紗英が手淫か口淫でイかせてもらい、半勃ちになった坂本のモノを手で準備し一度する。
キスは気分が盛り上がればそのときに軽くという程度であった。元夫にしても、性行為は淡泊そのものだった。
「ちゅ……ンぁ、ま……まっふぇ……んん……」
ぬるぬるとした分厚い肉が、紗英の口内を侵し、犯していた。逃げようとしても押し返そうとしても、紗英の舌は弄ばれてしまう。顎に混ざり合った二人の唾液が垂れてくる。そのうちに、抵抗する意志さえ、キャンディーのように舐め融かされてしまう。
ときおり唇を解放すると、坂本は頬や首筋を吸った。それがまた紗英の意表をついてどきりとさせ、寂しくなった口の涼しさに物足りなさを与える。
ぽうっと意識が奪われそうになる。甘い陶酔が紗英の体を支配する。脚の力が抜けた紗英は腰を坂本に支えられ、背を壁に預けてやっと立っていた。
じんわりと下半身から快感の熱が広がっていく。
(そんな……キスだけで……?)
初めての感覚に戸惑う紗英を追い込むように、坂本の舌が紗英をねぶった。すうっと意識が昇るような、あるいは沈んでゆくような、頭がそれ一色に染まってゆく歓びが、紗英に広がり――。
「ンっ……は、あ……はぁ、はぁ……」
坂本はゆっくりと唇を放した。
「さあ、ベッドへ行こう」
「え、ええ……」
キスだけで達しようとしていたこと、それを期待していたことが、急に恥ずかしくなった。
坂本に支えられながらベッドへ辿り着く。坂本が後ろに回って座り、紗英の耳や肩口を甘噛みしながら、まったく別の生き物のように両手が服の上から愛撫した。男の触れる場所すべてから、ジンとくすぐったい快感が広がった。ゾクゾク背筋に電気が走る。
へその周りを指先がなぞり、太ももを指の腹がすべり、耳の裏を舌が這う。
絶えることなく与えらえれる快感に身をよじる紗英から、坂本は一枚一枚と衣服を脱がせていく。シャツが脇に置かれ、スカートは床におちた。坂本のがっしりとした胸板を背中に感じていると、ブラジャーが外された。乳房をさすり、包み、乳輪をもてあそぶようにした指先が、さんざに高められた性感にぷっくり膨らんだ乳首にカリッと触れる。微弱な電気を流されたみたいに、紗英の体は跳ねた。
「ああっ」
絶頂にはまだ遠い、しかしその幸福を予感させる波が、紗英の絹肌を桃色に染める。
くちゅりと、湿った音がする。
「もう濡れてる」
からかうように坂本が囁いた。
「いやっ、言わないで。私もう……」
次へ移ろうと振り向きかけた紗英を坂本は口づけで押しとどめ、しばらくショーツの上からワレメを刺激した。それから下着を脱がせながらベッドに横たえて、なおも愛撫を続けた。
坂本の指が動くほどに、紗英はじれったさを募らせた。あとすこし、あと少しでイけるのに……。水をいっぱいに張ったグラスに、一滴ずつ水を垂らされるようなもどかしさを覚えた。ほんの少し傾けるだけで、溢れてしまえるのに……。紗英の求める物を、彼女の手は無意識にとってシゴいていた。硬さに、熱さに、期待ばかりが膨らむ。
そしてわずかに残った冷静な部分が、いつもと違う行為に混乱し、はしたない女の本能を恥じていた。
また坂本はすんでのところで手を止めると、一度身を起こし、ペニスにコンドームをつけた。その様子を、まるで待てをされた犬のように、紗英は見つめていた。
「じゃあ、いくよ」
一瞬、様々なことを考えた。良太の顔が浮かんだ。最愛の我が子。ぽっと灯った羞恥の念は、しかし湧き続け欲求に吹き消される。
「……はい」
紗英の両脚を坂本が開く。さらけだされた女に、ゆっくりと男が侵入した。
「あ……ああ、あ……! くふぅうう、ン……アっ……!」
紗英を味わうように、坂本はゆっくりと腰を落として最奥までねじ込むと、また同じ速度で抜いてゆく。前戯ですっかり出来上がった紗英の体は敏感に反応してしまう。肉を押し開かれる感覚がゾクッと全身に鳥肌を立て、カリが襞をかくたびにぞわぞわと気持ち良さが這いあがる。。
紗英という器から快感の波が溢れてしまわないように、坂本は慎重に彼女を揺さぶった。そうしてどこまでいけるのか試すように、じわりじわりと速度を上げる。
「んっ、ふう……ンっ! く、さかも……坂本さん……ああッ、ちがっ……! いつも……イ、こんな……!」
徐々に激しくなる。絶え間ない波。イっている。もうずっと。でもイけていない。絶頂はすぐそこにある。
イきたい、イきたい、イきたい。それしか考えられない。
汗に濡れた肌の密着は愛撫。跳ねまわる乳首の風切りすら紗英を責めた。
わきを舐められて喘ぎ、口を吸われて身悶える。
紗英の手はシーツを掴み、坂本を求め、踊り狂った。快感を逃がしたいのかより深くへ落ちたいのか自分でもわからない。
「んぅ、く、ふぐっ……ン、ア、ふぅうう……」
ゴツゴツとした体が紗英を押さえつけ、ピストンが一段と激しくなる。
体がバラバラに砕けてしまう気がした。唾液と涙がこぼれ、堪えようとしていた声が、紗英の底から溢れ出る。
「はァん! アッ、ああ、うっ、はぁ……ん………」
イく。イける。やっと。こぼれる。毀れる。破裂する。
「あアアああッ! あー、アああ! ウぅうううう、アあアッ、オッ!? ぐふぅううッ!」
イきたいという感情さえ塗りつぶして、頭が真っ白になる。
股から全身に広がった快楽の波が、紗英の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
苦しいほどの絶頂に、言い知れぬ幸福を味わう。ただオスにしがみつくことしかできない。
気持ちイイだけになる。
「あー……あ……あー……」
ときどき下半身を痙攣させ、喘ぎまじりに荒い呼吸をしながら、ようやく紗英が朧に意識を取り戻したとき、彼女は四肢をぐったりと投げだしていた。
開けっ広げた膣は、粘っこい愛液を尻の方へ垂れ流しながら、きゅうきゅうと収縮し、絶頂の余韻を紗英に与えた。
折り重なるようにうつ伏した坂本の指先が、愛おしそうに紗英の髪をすく。
全身が敏感になっていた。布が擦れるだけで、男の筋肉が軋むだけで、紗英の体は反応した。
これまで味わったことのない幸福な倦怠感に浸りながら、ずっと気にかかっていたことを紗英は訊ねた。
「あの……、いつから……その、そんなふうに……」
すこし考えるような間をおいて坂本は答えた。
「まあ、最初からだよ。下心の一つもないなら、親切になんてしない」
言葉を発する震えさえ、今の紗英には快かった。自嘲するように息をもらして続けた。
「紗英さんはしっかりしてるし、お子さんのことも大切にしているのが伝わってくるし、今のままじゃチャンスはないと思ってたから。まあ、あと何年かして息子さんが一人立ちすれば、そういう機会もあるかな、って」
それから坂本が身を起こし、紗英の目を真っすぐに見る。キリッと濃い眉や、大きな鼻が男らしさを漂わせる。「紗英」と、男の声に震える鼓膜がゾクりと悦ぶ。
「息子さんのことがあったから、俺に抱かれてくれたんだろうけど……、もしも息子さんがいなかったら、俺とこんな関係になるのは嫌だった?」
「そんなこと……」
嫌ではなかった。たぶんそれがすべてだった。魅力的な男性に誘われて、それを嫌とは思わなかった。何の気兼ねもなく男女の仲になっただろうと、紗英は思った。
「じゃあ、続きをしよう」
紗英の返事に満足したように薄く笑みを浮かべ、坂本は紗英の体をまさぐった。まだふわふわと雲の上にいるみたいだった紗英は、それだけで火がつきそうになる。
しかし取り戻した分の理性が、いつもと違う二回戦に困惑し、母としての自分が焦りを訴えていた。
「待って。帰らないと。夕飯を……」
「まだ大丈夫だよ」
坂本は男らしくがっしりとした指を繊細に這わせながら、隙を見るように紗英の体をくるりとうつ伏せにし、覆いかぶさった。心地良い重みに抱かれ、尻の割れ目に挟まった硬い感触に、膣内がきゅうと反応する。
腰を持ちあげられ、「いやっ」と驚くのが精いっぱいの紗英に、獣のような一刺しが襲った。ずん、と突き上げれた途端、つい先ほどの絶頂を覚えている背中が、弧を描いて歓喜した。
「くぉ、おォッ!?」
押し出されたように吐きだされた息が喘ぎ声になる。
さきほどの絶頂に似た深く、激しい波がすぐに押し寄せてくる。ぐちゃぐちゃとかき乱されてわけがわからなくなる。
「好きだよ」
男のささやきに同じ言葉を返す。許してほしいという懇願か、さらに求める要求か、髪を振り乱し、涎を垂らしながら声をあげる。
「わ、たしもぉおお……す……イ……! オっ、おお、すっ……ふゥウう……。さかもォ、さ……スゴほぉおッ!」
もう声を我慢する、ということさえも忘れ、坂本の与えてくれる快楽に呼応するように、メスの咆哮をあげた。
火照りを訴える体。媚薬のように満ちた淫臭。自らを貪る逞しい男の肉体。
すでに忘我の意識の中で、もっと遠く、深く、三十を超えた熟れたカラダに刻み付けられる、圧倒的な悦びの予感に、恐怖に似た期待が、紗英を狂わせた。