アーロン・ヴァレン、9歳。男。
種族神の加護は下級だが中級火神の加護を受けた少年は、攻撃精霊魔法の使い手としての才能を徐々に発揮し始めていた。
両親の愛は全て末弟のヴィクターに向かっていることに激しい怒りを抱えている。
村の子で種族神以外の加護を持つのは彼以外いない。さらに10歳になれば大人のための修行が始まるこの社会において、9歳の彼は村の子ども社会の頂点にいる。
ヴィクターがバックパックを背負い屋敷を出ると、広場で遊んでいた子どもたちがさっと逃げる。ヒソヒソ話をし始める。
ヴィクターは小さくため息をつくとそのまま村の広場を突っ切る。
ヴィクターが立ち去った後、子どもたちは広場に戻り、遊び始める。ヴィクターは少し離れたところで振り返り、彼らを見ている。
ヴィクターの視線に気が付き、集まる子どもたち。再びヒソヒソ話をし、ヴィクターを指差し、笑う。
「まあ、頑張り給え少年たち」
小さくヴィクターは言うと、村の外の森へと向かっていった。
森の中をヴィクターはスタスタと歩く。暫く進むと開けた場所に出る。そこには湖があり、小さなベンチが置いてある。
ヴィクターはベンチに座るとバックパックから本を取り出し、開く。本には凝った装丁が施してあり、金箔で『極限並びに極大数値の取り扱いについての初級手引』と書かれている。
ヴィクターは鼻歌まじりにページを繰り、しばらく数式を眺めた後、指で空中に何かを書き付け、また本に戻る。
彼はそうやって知識を吸収したあと、やはりバックパックから小さな箱を取り出す。中には固いパンと水筒。パンを咀嚼しながらやはり指は宙を舞い、考え込んでいる。
ヴィクターはパンを食べた後、しばらく湖を眺めている。
「ヴィクターくん?」
ヴィクターが歩いてきた小道から女性が出てくる。
「はい」
ヴィクターが返事をすると女性が駆け寄る。
「なんで一人で! 危ないよ!」
「それはあなたも同じでは? ノーラ・ギャレットさん」
「んもう、なんでフルネームなのよ」
「大人の方に対する礼儀ですから」
ヴィクターは静かに微笑むとベンチの上に置いてあったバックパックを膝に抱える。
ノーラはベンチに座ると湖を眺めながら、静かに言う。
「大丈夫?」
「何がですか?」
「その……あんまりあなたの家族を悪く言いたくはないんだけど……アーロンくんのこととか」
ヴィクターは小さくため息を付き、肩をすくめる。
「仕方ないですね、こればっかりは。両親にも言っているんですが、なかなか」
ヴィクターの苦笑にノーラはヴィクターの方を向いて両手を広げながら言う。
「なんで! あなたまだ半成人式も終わっていないのに!」
「半成人式まで生きられるかどうか、と言われていましたからね。だから毎日精一杯生きて……そうですね、明日の朝日が見れなくても、それでもいいや、と言えるように、そうしているんです」
ノーラは開いた手を降ろし、ギュッと握りしめている。
「本気で、それを言っているの? ヴィクターくん」
「半分は。残りの半分は死にたくないって思っていますよ」
「どうして、どうして……」
ノーラは俯いたまま小さく言う。その声は震え、膝の上に乗せられ、握られた拳の上に水滴が落ちる。
ヴィクターはそっとノーラの頭を撫でる。
「大丈夫ですよ、僕は平気です」
ノーラは涙に濡れた瞳でヴィクターを見上げる。
「僕のために泣いてくれて、ありがとう。それで僕は大丈夫」
ヴィクターはノーラをそっと抱きしめる。ノーラはヴィクターの肩に顔を押し付け泣いていた。
「失礼しました」
ノーラはかしこまってベンチに座っている。ヴィクターはその前に立って微笑んでいる。
「いいええ。大丈夫ですよ。さ、帰りましょうか?」
ヴィクターが手を差し出すとその手を掴んでノーラは立ち上がる。
「ちょっと疑問なんだけど」
ノーラが切り出すとヴィクターは首をかしげて次の言葉を待っている。
「ヴィクターくん、本当に6歳?」
「自分でも、ちょっと疑問に思っています」