その音色は異世界まで響き 作:誰かさん
実はラフマニノフの曲を使おうと直前まで思ってました()
パラパラと、崩れ落ちた壁が砂となって地面に落ちる音がやけに響き渡る。誰一人として、声を上げようとはしない。本能的に感じているのだろう。声を上げたら殺される、と。
そのような状態を作り出した元凶である音也は、魂の一欠片すらも残らなかったアルヴヘイトの最期を確認すると、ゆっくりと現れた空間の歪みへ歩を進めた。
空間の歪みの奥には、明らかに人間界とは様子が異なる世界が広がっている。極彩色に彩られた世界が広がっており、果てというものが認識できないほど多くの色によって彩られた空間だ。
ここがエヒトルジュエやアルヴヘイトの言う【神域】であることを音也は知らない。しかし、直感で空間の歪みの奥に愛する人たちの敵が存在していると察した彼は、本能に動かされるがままに身体を動かしていた。
コツ、コツと歩を進める音が響き渡ったことによって何人かは我を取り戻した。その中で、誰よりも早く――それこそ、露葉よりも早く音也の元へ駆け寄った人物がいた。
「パパ、ダメなのっ! 行ってはダメぇ!」
音也のことを父として慕う、ただ一人の女の子。この場に居る誰よりも幼く、それでいて誰よりも強い心を持った音也の自慢の娘。ミュウだった。
幼かったが故に、誰よりも最初に彼女は気がついたのである。音也のことをこのまま放置したら、どこか遠いところへ行ってしまうと。二度と会えなくなってしまうかもしれないと。
「……どけ」
しかし、そんなミュウに対しても音也の態度は変わらない。仮面の部分だけ変身を解除すると、彼は無機質な瞳でミュウのことを射貫いた。音也の凄まじい憎悪と憤怒によって生み出された概念魔法を身に纏い、ただ一つの目的のために動き続けようとしているのだ。
その目的は、至極単純。エヒトルジュエを殺し、奪われた愛する人たちを取り返すことだ。これまで以上に“世界などどうでも良い”というスタンスではあるが、世界そのものを消してしまうよりは遥かにマシな動機である。
が、ミュウも簡単にはどかない。ミュウはその瞳をキッと釣り上げ、口元に笑みを浮かべた。本人は、強敵を前にした音也やハジメの、ギラギラした眼と不敵な笑みを浮かべる口元を真似たつもりなのだが、涙目の目元と、半端に釣り上がって歪んだ口元では不格好なだけだった。
それでも、それがいったい誰を真似た表情なのか、ミュウの行動に機先を制され硬直していた露葉たちにはよくわかった。絶体絶命を前にしても不倒不屈を示す表情。今の、ミュウの表情を笑える者など誰もいない。むしろ、その気迫に息を呑むほどだ。
「どかないの! い、今のパパなら、ミ、ミュウは絶対に負けないの! だって、だって」
「……だって、何だ?」
「ミュウのパパは、こんなに格好悪くないの! もっともっと格好良いの! そんな悲しい眼はしないの! もっと強い眼なの!」
「………」
悲しい眼。確かに、音也の眼は光を完全に失っており、誰が見ても悲愴な覚悟を決めてしまったのだと分かるだろう。五歳のミュウですら気がつけるのだ。これを露葉たちが気がつかないはずがない。
だが、そのことは誰よりも音也が分かっていた。今の自分の状態がとんでもなく格好悪く、また自分の大切な人に危害が及ぶ可能性を否定できないほど危険なのだ、と。
故に、音也は一度屈み込んでミュウの瞳を真っ直ぐ見た。
「よく聞け。別に、これが今生の別れではないんだ。俺はちょっと、大切な人たちを取り返すために仕事をしてくるだけだよ」
「ダメなのっ! 独りで行ったらダメなの! 二度と会えなくなってしまうの! そうなる前に、ミュウはパパのことを止めるの!」
「参ったな……随分と強くなってる。だが、俺は独りで行かなければならないんだよ」
悲しそうに笑みを浮かべてミュウから視線を外し、露葉たちへと向ける音也。その表情に露葉が思わずといった様子で駆け寄り、電撃によって身体が傷つくことを厭わずに抱き締めた。
「バカっ。なんで独りで抱えようとするのよ! 私では力不足ってことなの!?」
「違う。力不足だとは思っていない」
「なら、どうしてっ」
「俺がここを離れたら、必ずあのクソ野郎はこの世界を終わらせるために大量の使徒を送ってくる。大量の使徒を同時に相手できるのは露葉、ハジメ、シア、香織だけだ。誰か一人でも欠けてしまったら、絶対に世界の滅びを防ぐことはできない」
暴走しているようで暴走していない。音也が現在発現している概念魔法は“我、汝の絶対なる死を望む”であり、対象となっていない物に対しての態度は多少冷たくなる程度で済んでいる。
普通ならば、そのようなことは不可能である。有りと有らゆる生きた物質に対して明確な殺意を持つのが普通なのだ。それでも制御できたのは、音也が化物だったから他ならない。
「頼むから聞き入れてくれ。仮にこの場を誰かが離れたとして、ミュウやレミアが死んでしまったら……それこそ許せない。もしそうなったら、お前たちもあのクソ野郎と同じ括りだ」
「音也……お前、本気なのか?」
「ハジメ。お前なら分かってるだろ? 俺がこうしてやる事を決めたときは、絶対に信念を曲げないってな」
「……そう、だよな。分かってる。分かってるんだよ。だが、納得しかねるのも事実だ。このまま神域に突入して死んでしまったらどうするつもりなんだよ?」
「それも分かってるだろうよ。死んでも帰ってくるとな」
空間の歪みが小さくなり始めている。そろそろ出発しなければ、もう一度空間を歪めるために無駄なエネルギーを使うことになるだろう。そのことを十全に理解している音也は、部分的に変身を解いていた顔を再度スーツで覆った。
ここまで来れば、もう止められる者は誰一人として存在しないだろう。既に釘は刺されており、彼の意思を動かすことが不可能だということは火を見るより明らかだ。
「………はあ、分かったよ。精々、無駄死にしないようにするんだな」
「分かってるさ。露葉、ミュウ、レミア。そんな顔をするな。また会えるさ」
「パパ……」
「ミュウ、我が儘を言ってはダメよ。パパが困っちゃうから。ねえ、あなた。必ず帰ってきてくださいね? また未亡人にはなりたくないですから」
「何度も言うが、俺は死なない。全て取り返して、邪魔者は消す。それだけだ」
最後に音也は、露葉のことを真っ直ぐと見つめた。未だに下を向いて何かを考えている露葉に対し、音也はたった一言だけ声をかけて空間の歪みへと歩を進める。
「……愛してるぞ」
「――ッ!」
思わず、といった様子で露葉が顔を上げた。しかし、その時にはもう音也は空間の歪みへ足を踏み入れていた。彼が再度、振り返ることはない。振り返ってしまったら、折角固めた決意も揺らいでしまうかもしれないから。何時でも音也は彼女たちに甘い。
露葉は、もう一度駆け寄って音也のことを抱き締めようとした。あと一回だけ、その手に愛する人の感触を確かめたかったのだろう。
「待って……!」
手を伸ばし、何とか音也のことを掴もうとする。が、一歩踏み出したのがほんの少しだけ遅かったらしい。
彼女の手は、虚しく空を切った。勢い余って前につんのめったのを何とか抑え込み、何も掴めなかった手を見た露葉から、大粒の涙が零れ出す。
立ちつくして涙を流している露葉の元へ駆け寄れる、勇気ある人間は誰一人として居ない。そう思われた。
「まったく……息子は何時も無茶するんだから。これまで暴走しなかったのが奇跡なぐらいだと思えるわよ」
「本当に俺とそっくりだな。一昔前の自分を見ている気分だぞ」
ハジメや香織たちからは勿論、愛子やリリアーナたちよりも更に後方側から、殆どの者が聞き慣れない声とついさっき戦いに赴いた人物の声が響き渡った。
全員が首が捩じ切れるのでは、というぐらいの速度で声の主の正体を見ようとする。ところが、振り向いた先には誰も居ない。
「確かに声が聞こえたのになあ。おかしいなあ」という表情に誰しもが変わる。キョロキョロと辺りを見渡して探す者が殆どの中、露葉とハジメだけは気配だけで何処に移動したのかを把握し、そよ正体に驚きの声を出した。
「貴女は……文音さん?」
「お前、音也か?」
勘の良い人なら、最後に現れた人物が誰なのか察しはつくでしょう。
ここからは完全にオリジナル展開(多分)ですので、更新頻度が落ちるかもしれません。ご容赦ください。
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