目覚めてから乱暴にSOP2に手を引かれて、私は終わる手前の世界に生まれ落ちた。その瞬間のまぶしさがまだ私の根底に残る。SOP2が持つ、ホログラムよりもまぶしくてあざやかな色彩と強さにあの時の私は目を逸らした。それが後ろめたいのだろうか。まだ落ち着いて休めない。日付が変わるまでに休まないと長時間移動を伴う任務に支障が出てしまうのに。
「言われるままに仕事をこなすのが、私達人形なのになあ」
なのに、人間は自分で考えろとはとても残酷で無責任だ。まだ使うからと自分の中であれこれと理由をつけては古い建屋の古い薪ストーブに薪をぽいぽいと投げ込む。今夜だけ泊まるここは隙間風がひどくてこれじゃ人間だと眠れないし、人形でも休めない。この薪ストーブが古くて壊れかけなのか、私の扱いが良くないのか、なかなか火は大きくならない。
「もう。さっきは薪に火が移ったのに」
古ぼけた手書きの説明書を片手に唸る。どうしようもないと結論をだしてドアノブを握りしめて開ける。飛び上がりそうなくらい冷たくて暗くて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで前を向く。
「寒い」
長くて何もない廊下は今の私みたい。ふわふわと頼りない歩みと足音がぼやけたフットライトの上に浮かんでは消えていく。こつ、こつと足音ひとつが浮かんでは消えていく。
「どこいくの?」
幼い声がした。ぬるりとした気配が私の首元に手をかける。武器もない薄着一枚のこの身は悲鳴をあげてペンライトを放り出した。
「ひっ!」
「わたしだよわたし」
足元の薄いオレンジのぼんやりした灯りがぼんやりとした輪郭をなぞる。そのぼやけた灯りに見知っただれかをみた気がして安心する。
「なんだ。良かった。オバケじゃなかった」
逃げたい衝動で後退りして背中が壁にはりつく。そののっぺりした冷たさが私の中を埋め尽くす恐怖に似ていて思わず飛びのいてしまった。寒くて怖くてあまりにも不鮮明な暗闇を見つめたくない。その感覚を明確に言葉にした瞬間、頭の中が真っ白になった。
「オバケだったら、よかったの?」
「それはイヤ!」
「そっかあ。よかったね。薄闇一枚めくればいるってことを知らないってことがね、とーっても幸せなんだから」
くつくつと無邪気な笑い声がいやなまでに耳に、私の頭に残る。どうしよう。
「何がいるのよ」
「んー?ふふふ。それらに形も名前もないよ。遠い遠い昔には人が名前をつけていたかもしれないけどね」
目の前のばら色の唇が弧を描く。私はそんな笑い方は知らない。自分の手を傷つけそうなくらい強く握り拳を作っては声を振り絞る。
「こ、怖いこと言わないでよ」
「ねえ。いまここにいる私が本当にわたしだって言える?」
謎かけみたいな問いにぞわりと恐怖が肌を這い回る。否定の言葉が口元まででかかるが、でない。
「わからない。本当に、わからないの」
私にはわからない。怖い。簡単な言葉一つ、不確かな空間一つで私の日常が揺さぶられてとろりと溶けてこぼれ落ちていく。私の認識は手のひらからサラサラとこぼれ落ちる砂みたい。思考がしびれるほど甘い声が水のようにしみこんでいく。これを人は毒と呼ぶのだろう。きっとそうに違いない。どんな物語をなぞっても出てこないほど甘やかな声が私にささやくのだ。
「わからないなら、そのまま真っ直ぐに部屋に戻っておやすみ。誰かに呼ばれても、何かに呼ばれても振り返っちゃダメ。返事もしちゃダメ。ついていくなんてもってのほか。ぐっすり寝て朝になればいつも通りの日常だよ」
「うん」
ささやきのままにふらふらとあてがわれた部屋に戻る。道中、行きよりも長い廊下で呼ばれた気がするが答えずにベッドの中へ潜り込んだ。そして、ぐっすり寝て朝になればSOP2にそれとなく聞いてみる。
「SOP2。昨日の夜遅くに」
「昨日?はやめに寝てたよ」
ころころと笑う幼い声がいつも通り響く。ぴたりと思考と行動が止まる。じゃあ、あれは誰の声だったのよ。
「あれ?」
「建物が古くて灯りも壊れかけだし、誰かと間違えたんじゃない?」
「あれ?おかしいなあ」
疑問が疑問を呼ぶ。聞きたくて言葉をどうかけようかと口を開きかけたらSOP2が私の背中をバンバン叩く。ちょっと痛かった。
「そんなことより、仕事仕事!」
「うわっ!こら!」
「朝が来てるから大丈夫。前だけ見てようよ」
有耶無耶にされた。だれよりもお子様なくせに、なんか腹が立つ。おやつ抜きにしてやろうか。
「SOP2がそういうなら。あ、今回だけだからね!」
釈然としない。でもこれ以上はきっとはぐらかされる。だからこれでおしまい。気合い入れていかないと。頬を軽くたたいて気を引き締めて笑う。そしたらSOP2もつられて笑った。
「うんうん。それでいいの。ほら、行こう」
「はいはい。これだからお子様は」
朝が、いつも通りの日常が戦場が私達にやってきた。それだけはわかっただけ良しとしよう。