すみれに野菜たっぷりの朝食を食べさせながらぼんやりと財布の中身について考えを巡らせる。
「そろそろ貯めてたお金がなくなってきた。宿代どうしようか」
小さくつぶやいてしまったが、すみれを不安にさせたくない。なんでもないよとおどけるように笑ってごまかした。何かしらで稼いですみれを守るための手段を作らなければいけない。どうすべきかと現実的ではない案だけが頭の中をぐるぐると回っては消えていく。打開策はないかと視線を巡らせれば給仕をしてくれている宿の老婦人と視線がかち合った。
「宿代でしたら、ずいぶんとまえにうちの総領が「いつか現れる困っている人のために宿代を立て替えておくから」ってちょっとじゃない額を貰ったのでこれ以上はいただきませんよ」
「総領?」
「わたしのいとこのあだ名ですよ。本当は跡取りの男性のことを総領って呼ぶんですけど実家の家系は長女が跡取りだからそう呼んでいます」
「大層なお家なんですねえ」
「そんなお家って言われてたのは第二次世界大戦までの遠い昔のことですよ。本当にお金持ってたのは本家で、分家の私たちは平凡なとこでしたねえ。あらやだ。長話しちゃって。それよりおかわりどうですか?」
「いただきます」
宿の老婦人がスッとさがる。至れり尽くせりでどこか後ろめたさが湧いてくるがスープと共に飲み込む。からになった皿をそっとテーブルの脇に置いて裏の畑でとれたほうれん草で作ったと言うポタージュのおかわりをお願いする。野菜たっぷりで濃厚なのに優しい味がじんわりと広がってほっとした。ここの食事はどれも近辺の畑の新鮮な野菜と山野を駆け回る獣と川魚から作られる。ふかふかで敵のいない宿でぬくぬくと過ごしながらこの集落のことを少しずつ頭の中で書き留めていく。
「ひと、すくないね」
「そうだねえ。たまたまかなあ」
すみれが遠慮するみたいにそっと口にした。隠れ住むように山奥にまばらに家が建っているだけの集落、避暑地と療養所を兼ねたであろう温泉宿、小さな学校、異常気象で変化した温暖多雨な気候。そのせいかほとんど霧に包まれる里。霧が晴れるたびにどこか違って見える景色。ここはどこをとっても静けさと不思議に包まれている。
「不思議だね」
「絵本みたい」
ふわふわと霧の中をさまようみたいにポツポツと言葉を交わしていると会話を割って入るみたいに雨音が親子二人のなかに降ってきた。
「おかあさん、雨降ってきたね。おとうさんが心配」
「そうだね。あたいも心配」
なんだか、M16を心配するすみれの心の中にも雨が降っているみたい。親だからとかそんなの抜きにそんなすみれに寄り添っていきたい。すみれの不安をどう和らげるべきかと言葉を探すけど見つからない。不安のなかでもすみれはきちんと食べているのかとお皿に落とした視線をあげたその瞬間、静けさは壊れて嵐がやってきた。
「ごめんください」
カランコロンとドアベルがかわいらしい音を立てて不意の来客を知らせる。その声の主にはっと顔を上げたすみれが食事もそこそこに出口にかけよった。
「おねえちゃん」
「すみれ。久しぶり。でも、ちゃんと食べないと。ね?」
青ざめた顔をしたずぶぬれのM4がそろりと宿に入ってきた。きっと一人だけじゃないだろうと首を伸ばして外を伺えばアンジェさんにAK-12、AN-94、AR-15がずぶぬれで立っていた。あたいがアンジェさんに風邪をひくと言おうとする前にM4が、老婦人と入れ違いになって食堂に入ってきた宿の主人をみつけて頭を下げた。
「宿の紀伊、その主人の御守春海(みもりはるみ)さんでしょうか。お知り合いの方から紹介状とお金を預かっています」
「それは妻の名前です。すぐに妻を呼んできますね。そのやり方でだれの紹介なのかはわかっていますよ」
あたいが勝手に宿の主人だと思い込んでいた老人はそうじゃないとわかってびっくり。こっそり老人を引き止めて聞いてみると、奥さんは経営者兼給仕で旦那さんである老人は料理担当、子供夫婦は清掃と備品管理、お孫さんは経営者になるべく通信制の学校で学びながら宿で働いているとのこと。人は見かけによらない。よし覚えた。宿の老人が奥の厨房へと入った隙を見計らって声を小さくしてM4に聞いてみた。
「どうしたの?」
「アンジェ経由で仕事を受けただけ」
「内容は」
「すみれの護衛」
「大丈夫なの?」
「アンジェが言うには依頼人の身元はなんとなくわかったけど口止めされてるから言えないって」
「あたいはどうすれば良いの?」
「そのまますみれの母でいてほしい」
あたいの居場所はあるんだ。良かった。イカリをなくした船みたいなあたいがやっと世界に存在するっていう実感を得た。こっくりうなずくとM4はふんわりと優しく笑った。
「お待たせしました。私がここの主人です。あの人のことですから色々と書類をあなたがたにお渡ししているはずです」
なるべくおだやかな言葉を選んだ宿の老婦人が緊張した面持ちでM4にたずねてきた。
「紹介状ともう一つ渡して欲しいと言われたものがあります」
M4がビニール袋に何重にも包んだ豪奢な封筒を丁寧な所作で宿の老婦人に渡す。老婦人がエプロンでビニール袋の表面を拭いてから封筒の中身に目を通し始めた。彼女は二度、三度と間違いはないかと文章を何度も読む。
「依頼人はわかりましたが、口止めされています。この封筒の内容ですがみなさんの宿泊費を依頼人が全負担することと、我々従業員は何があってもここにいるみなさんのことを隠し通すこと。依頼料は封筒に同封してある小切手から支払われると……」
宿の老婦人が手元の小切手をみたとたんに倒れそうになるが踏み止まる。
「どうしましたか?」
「家と土地が一括でポンと買える額の小切手なんて初めてみましたわ」
その言葉にここにいる全員が凍りついた。
登場人物の家系図作成時に、苗字を間違えていたので修正