ニューラルクラウドの連載にあたります
意識がゆっくりと落ちていく。だれかのターシャリレベルやそれに相当する部分はまだ研究されていないからかどんなことになるかわからない。それでもオレは先生に会いたい。それだけ。
「よっと、ついたか。霧烟る森と湖に看板の通りなら右手には蛍石鉱山、左手に水晶鉱山、真ん中の道は鉱業従事者の町。ここが先生の深層心理、か。きっと故郷をもとにできているんだろう」
ペルシカが深層心理に潜る前にオレに説明したことを思い出す。人形のターシャリレベルや人間の深層心理の世界は一番落ち着く風景や故郷をもとに形成されている可能性が高い。だから一番の個人情報になるって。
「歩くか。町に着いたらなんかわかるだろ」
霧のせいで太陽の位置はわからないが、この光の加減から朝方だろうと予想して歩き始める。五分もしないうちに民家を見つける。チョコレートみたいな色のレンガの家がハーブと果樹で囲まれた小さな庭に囲まれていてまるで一枚の絵画のようだった。その小さな庭を囲むつるバラの垣根を超えて足を踏み入れると庭の中心部にそびえ立つ柘榴の木の向こうに白いウッドデッキが見えた。
「だれかいませんか」
「はーい」
小さく女性の声がした。ウッドデッキ側までよって声の主を待っていると誰かでてきた。とても眠たそうなとろんとした垂れ目で小柄な女性。身長はだいたい150センチくらいか。肌の色はアイボリーだからルーツはアジア系だろうかとぼんやり考えていた。ああ、先生はこんな顔をしているんだ。これをオレだけが知っている。重い秘密がもたらす暗い喜びにゾクゾクしてきた。
「センセ、迎えにきたけど」
それでも表情だけはいつもそっけない感じを装って腕を組んでじっと待つ。
「あら、ボクがそうだってよくわかりましたね」
「いやだって、センセの深層心理じゃん、ここ」
いつも見ているほわほわした雰囲気にぴったりのふんわりと甘い声がオレをからかう。小さくて華奢で、接してみるとじわじわとかわいいなって思えてくる良さがあって。好きになりそう。
「そうですね。まあ、立っておしゃべりもなんですから、ウッドデッキのイスまでどうぞ。お茶とおやつをご用意しますから」
「あ、うん」
誘われるままにウッドデッキまで向かう。アイボリーのガーデンパラソルの下のイスに座って先生を待つ。パラソルの下の小ぶりで丸いテーブルとイスはあめ色の木製。定期的にやすりがけされているようで、家の持ち主が庭もふくめてこの家を大切にしているのがよくわかる。乳白色の霧がぼんやりと世界をつつみ、少しだけ強く吹く風がハーブと果樹を揺らして穏やかな時間がゆっくりと流れていく。治安も何もない荒廃しきったこの世界の遠すぎる過去を見ているようでどこかなんとなく居心地が悪い。
「センセ、あんな顔してたんだ。かわいい」
「末宵くんのその照れた表情、好きですよ。お待たせしました」
先生がオレに紅茶と砂糖、牛乳とチョコレートブラウニーをもってきた。
「ありがと、センセ」
牛乳と紅茶に砂糖をたっぷりいれて、照れ隠しにやや早口な感じで礼を口にした。なんか恥ずかしいってか、わけわかんなくなる。
「それじゃ僕も食べましょうか」
二人ならんで黙って紅茶と菓子を味わう。先生の小さな手が小さな口にブラウニーを運んでいるのがリスみたいでかわいい。
「なあ、センセ」
「どうかしましたか?」
「先生ってさ、性別どっちなの?」
「どっちだと思います?」
「オレをからかうの?初塵みたいに」
「からかってないんですよねえ、これが。僕自身、自分がこうだと思う性別がまだ決まってなくて」
「じゃあ、体の性別のほうは?」
「ここで確かめてみますか?」
「そんなのじゃなくて、もっとこういい雰囲気とか関係になったときに先生の裸がみたい」
「おっ、いいますねえ」
「余裕ぶってんのも今のうちだかんな」
「それじゃあ、僕の裸よりも僕の過去の方はどうです?」
「知りたい」
即答した。もっと先生を知りたい。知って、近づきたい。先生の心の内側をオレでいっぱいにしたい。先生の持っている未知に触れたい。オレだけを見つめていてほしい。ぐるぐると黒い思考が渦巻いて苦しくなる。それを隠すためにティーカップで口もとを隠して目を逸らした。
「ふふふ。かわいい子。ゆっくりお食べ」
「いくつなんだよ先生はさ」
「秘密です」
そんなオレのことを知ってか知らずか、先生はのんきに笑っている。底が見えないのがまたオレの知りたいって本能みたいなのを刺激するんだ。
「教えてよ、先生のこと。今は初塵がここのことを誰にも見せないように見張っているから、全部さ」
「知ったら最後、何からも誰からも永遠に逃げなくてはいけなくなっても?」
「それでも知りたい。それが転落への片道切符だとしても先生と一緒なら、オレは地獄の底で踊り続けられる」
「ふふふ。それじゃ、地獄で踊りましょう。僕の一目惚れは間違いじゃなかった!」
ほんの一瞬だけオレ目にうつる先生の暗く冷たい欲望にゾクゾクするほど惚れ込む。ああ、オレのみたいものがあった。この人の暗くて冷たくて、おとぎ話の怪物みたいに底が見えない怖いところが。