人間、誰でも得手不得手があるものだ、若い頃から料理は好きでよくやっていたので自炊はなんとかなる、だが、裁縫となると正直、得意とは言いがたい。
軍から至急された白衣のサイズは小柄な自分には少し大きすぎた、最初は裾だけ短くすればいいと思っていたが、袖も少し長すぎた、仕方ないと思って針と糸を用意して縫おうとしたが久しぶりの裁縫は針を糸に通すだけでも一苦労だった、そんな自分を見かねたのだろう。
「すまんね、裁縫はどうも苦手で」
「苦手な事ってあるんですね、先生にも」
その声は楽しそうに聞こえるのは気のせいではない、笑いながら自分を見ていたからだ、縫い終わった白衣を着てが鏡を見たマルコは満足そうに頷いた。
「白衣、似合いますね、かっこいいですよ、先生」
若い頃なら決して言われなかった言葉だ、それを素直に、ありがとうと返せる自分に歳をとったと思ってしまう。
すると、世辞じゃないですよと女が言葉を続けてくる。
「年寄りをからかうもんじゃない」
マルコは軽く首を振った後、もう寝なさいと言葉をかけた。
部屋に一人きりになるとマルコは、やれやれと肩を竦めた。
多分、社交辞令や世辞にもならない、日常会話の延長みたいなものだと分かっているのだが、ああいう台詞をさらりと真顔でいうのだ、彼女は。
自分なら笑い話ですむが、他の男なら勘違いしないとも限らない、子供ではないから大丈夫と思いたいが、ある意味、そうでないから困るのだ。
一度、それとなく注意しておいた方かいいかもしれないと思ったが、ふと、テーブルの上の手紙を置きっぱなしにしていることに気づいた。
アームストロングの当主からのものだ。
軍は人体実験を行った、この世界ではない人間を使って、賢者の石を作り出したのではとマルコは考えていた。
だが、それに対する明確な答えはわからない、彼らは理解できなかったというのだ。
軍が賢者の石を価値あるものだと説明しても、それが何故なのかわからなかったらしい。
あの部屋にあった人形は何に使われたのか、あの後、どうするかと軍で話し合いがもたれたらしい、ところが、部屋の中、人形は全て砕けて砂のようになっていたらしい、原因は分からずじまいだ、あの男は沈黙を決め込んでいる、代わりに指揮をとったのはブラッドレイ、大統領らしい。
「裏切り者」
子供の言葉と詩線画を思い出す、あの一言で忘れていた記憶が薄紙を剥がすように鮮明になってしまった。
賢者の石など不要だ、なくても人は生きていける、ホムンクルス、キメラ、合成獣もだ。
研究したいという欲求が悪いとはいわない、他者を巻き込まなければ好きにしろと言いたい、その結果が、今の現状を生み出したといっても不思議はない。
「あなたが死んだところで彼らの恨みが消える訳ではない」
「どうするつもりだ、罪だというのか、私は言われたとおりに」
「そうやって、ずっと、今の地位にしがみついてきた」
「ブラッドレイ、分からないのか、あいつらは人間の姿をしているが違う、錬金術を、キメラ、合成獣の事など何も分からない、等価、対価を払うという当たり前の常識さえ理解していなかった、なのに、それなのに」
自分は悪くないと言わんばかりの言葉を吐き出す男の姿をブラッドレイは憐憫の目で見た。
嫉妬、妬みだ、自分達が言いようにできると思っていた相手が、そうではなかった事実を認めたくないばかりに吐き出す言葉に感じるのは哀れみだけしかない。
一人で死にたい、女はそう言った、最後の瞬間まで、そばにいるつもりだった。
軍から言われた監視、それが自分の仕事、役目だった、だが、今にして思えば彼らは知っていたのではないかと思う。
女が死ぬ事を確かめた後、遺体は軍の慰安室へ運ぶように言われていた、だが、あのときだけは、それができなかった。
初めて命令に逆らったのだ、あのとき。
「ドクター、お久しぶり」
振り返ったマルコとスカーは声をかけてきた女を見ると思わず身構えた表情になった、赤いドレスの美女は、まるで知り合いのような気安さで二人に近寄ってきた。
「ここで会えるなんて運がいいわ」
二人は無言だ、だが、会いたくなかったという感情は表情からはっきりと伝わってくる。
「少し、付き合ってほしいんだけど」
ねっと笑顔を向けられる、相手がホムンクルスだと分かっていても、その微笑みにころりと騙される相手がいても不思議はない、だが。
「生憎、付き合う時間も暇もない、帰宅中なんでね」
マルコの素っ気ないほどの台詞に、美女は肩を竦めたが、気を悪くした様子も見せず二人の間に割り込むように並ぶと腕を取り、歩き出した。
「おい、離せ」
スカーの態度と声に美女は仕方ないわねと自分から腕を放すと、イシュヴァール人って、独り言のような呟きを漏らし、代わりにマルコの腕にしがみつくように両腕を絡ませてきた。
「一体、何の用だね」
振りほどこうとしても力は強い、仕方ないとマルコは諦めた、すると美女はにっこりと笑顔でマルコの耳元に唇を、そっと寄せ、ふっと息を吹きかけた。
「デートに誘っているつもりなんだけど」
馬鹿馬鹿しいとマルコは呟いた、すると研究者がと小声で美女は囁いた。
「キメラを連れて街を歩いているわ、顔を変えているみたい」
「研究、まさかショウ・タッカー、あの男か」
あれからまだ一ヶ月もたっていない、整形、外科手術だとしても早すぎる、顔を変えたというのは、自分の隣にいるホムンクルスは何故、知っているのか。
「本人だと分かるのか、ホムンクルスのおまえさんなら」
「難しい質問ね、ドクターは見ただけで分かるのかしら」
それはどういう意味なのか、尋ねようとすると。
「ブラッドレイには気をつけて」
美女はスカーに視線を向けた。
「イシュヴァール人に対して、いい感情は持っていないみたいだから」
何故、そんな事を自分に、まるで忠告ではないか、スカーの表情に美女は笑った。
「昔の事でも根に持つタイプみたい、先生、今度は二人で、ゆっくりと」
「それはないな」
「あら、残念」
わずかに首を竦めて美女は瞬時に姿を消した。
家に帰った二人だが、お帰りなさいと言って迎えてくれた女が自分に近寄ると不思議そうな顔になり、わずかに視線を落とした。
「どうしたんだね」
「先生、ついてますよ」
言われて視線の先、自分の襟元を見ると赤い口紅のキスマークがついている、別れ際のあのときだと思った、なんてことをしてくれたんだと思いながら事情を説明しようとすると香水の匂いまでモテるんですねと言われてマルコは言葉に詰まった。
「口紅って、なかなか取れないんですよ」
裁縫もだが洗濯も得意ではないマルコは素直に謝った。
「すまん、落ちなかったら、駄目なら捨ててくれて構わん」
そんな返事が返ってくるとは思わなかったのだろう、女は慌てたように洗います、綺麗に落ちますよと驚いた顔でマルコを見た後、気まずそうに視線を逸らした。
だが、このとき。
「もしかして焼き餅ですか」
メイの言葉に部屋の中は、しんとなった。