車の免許を取った花音の弟くんがドライブデートでおねえちゃんに誘惑される話 作:脳みそゆでゆで
『ねー松原ー、せっかくの連休なんだしどっか遊びに行こうよー、鎌倉とかさー、あたしヒマで死にそうなんだよー』
「ダ、ダメです。今年は実家に帰るって約束してるんで」
先輩の通話を無理やり切って、俺はアパートの扉に鍵を突っ込んだ。
たぶんこれで十回目の催促だ。遊びに行きたい気持ちも分かるし、俺も遊びに行きたいけれど、約束を優先しなくては。
ドアノブをひねって戸締りを確かめ、財布の所持金もチェックしておく。
そして最後に、カバンを探った。こいつは絶対忘れてはいけない。ロゴの入った車のキーが、手のひらの中でキラリと光る。免許証もちゃんと財布の中に入っている。
――完璧。意気揚々と、駐車場へ向かう。
「ふっ、ふっふっふっ……」
そこにはピカピカに磨き上げた新車(中古だけど)が停めてあった。初めて手に入れたマイカーだ。車体を眺めてるだけで、思わずにんまりとしてしまう。
駐車場の契約金はバカにならんし維持費も大変だが、これで旅行なんかにも気軽に行けると考えると、お釣りがくるってもんだ。
本当はこのゴールデンウィークを使って、海辺をドライブしたいって考えもあった。
もちろんそれは――先輩と一緒に、だ。バイトを通じて知り合ったあの人と、なにかをきっかけに関係を進展させたいっていう気持ちが、そろそろ膨れ上がってきているところだった。
大学は休みだけど、バイトや課題のせいで完全な休みは今日を含めて二日しかない。そんな、貴重な休日なのだ。
けれど実家に顔を見せるのも大事なこと。色恋もいいけど、今日はそっちを優先することにしたのだ。
松原家には俺と姉貴、ふたりの子どもがいて、今はそれぞれが大学に進学して独り暮らしをしている。俺は去年、バイトや免許の取得に専念したから帰省できなかった。そろそろ家族と会って話をしたいところだった。
そういうわけで、俺は実家の方向へとゆるやかにハンドルを切った。
せめて実家までの道のりは、こうやってドライブ気分を楽しむとしよう。
まあ地元だから、ほんの三十分程度なんだけどさ。
*
実家のある花咲川の住宅街へと帰ってきた。久々に見るとこじんまりして見える。そういえば、この道を自分の運転する車で通るのは初めてなんだよな。
車をガレージに停めた。バンドを組んでる姉貴が昔ドラムセットを置いてたところが、今はガランと空いている。こういうちょっとした変化がなんだか切ない。
親父や母さん、たまに電話で声は聞いたけど変わりはないだろうか。シワや白髪が増えたりしてるのかな。柄にもなくセンチなことを考えながらインターホンを押すと、懐かしい電子音がした。
すぐに玄関の鍵が外れる音がした。家の中から扉が開いた。
「わーっ、ふふっ。久しぶりだね~。おかえりなさい」
出迎えてくれたのは――たぶん、姉貴だった。いや姉貴なんだけど、一瞬誰だか分からなかった。前から可愛い人だったが、すっかり美人さんになっていたのだ。家を間違えたのかと思ったほどだ。
「あれ? ど、どうしたの? かな君?」
白魚のような手が、目の前でぱたぱたと振られている。それで俺はハッとした。ふわりと長い髪を揺らし、姉貴が心配そうに小首を傾げていた。
「あっ、いや。ただいま……」
ま、まさか姉貴に見とれて固まってしまうとは。たしかに時々送ってくる写真に化粧してる姉貴の姿がうつってて、気になってはいたけど。実物を見ると段違いに垢ぬけてる。
それに俺が身長を追い抜かしてしまったものだから、目線が常に上目遣いだったりする。
とっさに話す言葉も思い浮かばなくて、気まずい沈黙がおりてきた。
いや、思い浮かぶ言葉はあったけど、実の姉に正直に「美人になったね」なんて言えるはずもない。そんなこと言う弟がこの世のどこにいるっていうんだ。
不自然に黙っている俺を見て、姉貴はなぜか可笑しそうに微笑んだ。
「ここまでは、車で来たんだよね? 運転できるようになったなんて、すごいなあ」
「べ、別に、免許取るくらい何でもないよ」
「ふふっ、運転お疲れさま。ほら、お荷物持ってあげるね」
「あっ、別にいいって、旅館じゃないんだからさ……」
姉貴の手が、バッグの持ち手を掴んでいる俺の手にいきなり絡みついてきた。持ってもらうつもりは毛頭なかったのに、ドキッとしてバッグを放してしまった。
「あっ、姉貴それ重た……」
「ふぇぇっ?」
その瞬間、姉貴が驚きの声をあげる。俺のバッグを、ドサッと地面に落としてしまった。
やっぱり、姉貴の腕では重たかったらしい。びっくりした表情でこっちを見ていた。
いくらおめかしをしていても、びっくりしたり困ったり、そういう時に出す「ふええ」って口癖や、潤んでくる目元は変わってなかったので、俺はちょっと笑ってしまった。
「もう、だから言ったのにさぁ」
「ご、ごめん、落としちゃった……」
「いいよいいよ」
「何入ってるの、これ?」
「えっと、二日分の着替えと……ダンベル。筋トレサボりたくないから、一応ね」
「へぇ、トレーニングしてるんだ……」
姉貴の視線が俺の胸元をなぞる。それがくすぐったくて、逃れるように地面に落ちたバッグを拾い上げた。そして俺たちは我が家に入っていった。
手の甲あたりに、さっきのやたらすべすべした指先の感触が、まだ消えずに残っていた。それが俺をムズムズと、よく分からないもどかしい心地にさせるのだった。
*
俺はまったりと実家を満喫していた。
おふくろの味を堪能したり、広々とした浴槽でゆっくり風呂に浸かったりしてると、家族のありがたみってやつを実感する。
リビングに満ちるのはテレビの音と俺の笑い声だけというような、侘しい状態になったりもしない。あたたかな生活音に包まれ、家族で酒を酌み交わしながら募る話をする。
「それで、資格は取れそうなの?」
「うん、自信はあるよ。もともと子どもは好きだし、ハロハピの活動で知り合った保育園の先生のおかげで、勉強のコツとかも教えてもらえたから」
大学四年の姉貴は就活中で、高校の頃の経験を活かして保育士を目指しているのだった。資格をとるための筆記試験を終え、今は実技試験に備えているようだ。学生の頃やってたドラムじゃなく、今はピアノの練習してるんだとか。たしかにそっちのほうが姉貴に似合ってると思う。
「そっか、姉貴も就職かぁ。早いもんだね」
俺がしみじみと言うと、母さんが苦笑した。
「奏太、それ私たちの立場が言うセリフよ。あんたももう今年で二十歳かぁ……って、親とか親戚がね」
ちなみにみんな、ほろ酔い気分になってきている。成人を迎えていない俺だけが、ノンアルを渡されて素面のままだ。
「まあでも、気持ちは分かるじゃないか、花音は特に、最初は学校に登校させるのも心配だったからね。どうだい、もう迷子で遅刻したりはしないかい?」
親父は焼酎を片手に言う。以前より趣味がジジ臭くなった。
「さ、さすがにもう迷子にはならないよ~」
「そうそう、センター試験なんて結果どうこうよりも、会場までちゃんとたどり着けるのかがすげえ心配だったし。千聖さんがいてくれて助かったけど」
「ふええ……なんか昔の話されるのって、すっごく恥ずかしいなあ」
熱くなった顔をパタパタと手で扇いでいるその横顔を、なんとなく盗み見た。頬がアルコールのせいか赤らんで、白い耳たぶにイヤリングの跡が残っていた。
そりゃ女子大生なんだから、ピアッシングだって当然するだろう。
そして当然、とっくにオトコを作ったりしててもおかしくない。
「……」
興味はあったけど尋ねることはできず、姉貴や親が切り出してくれるのを待っていた。
でも松原家の人間は基本的にオクテなので、そういう話にはいつまで経ってもならなかった。俺が酒を飲めたら、酔った勢いで聞きだせたのに。
「奏太は明日、何か予定はあるのか? こっちの友達と会ったりとか」
「あー、ううん、何も考えてなかったな。まあみんな都内だし、別に今日じゃなくてもすぐ会えるから」
親父の質問に、俺はぼんやりと頭を巡らせた。よく考えてみれば、実家に帰ってきても特にやることがない。一日中ゴロゴロしててもいいんだけど、それではせっかくの貴重な休日が無駄になってしまう。そこで閃いた。
「あっ、そうだ。明日さ、家族でどっかドライブに行かない? 俺、車運転したいんだよ」
シーン。静まり返った。おかしいな、さっきまであんなにみんな、かしましくおしゃべりに興じていたのに。
「えっ、なんで? 乗り気じゃない? みんな休みだよね? 家族で旅行する機会も減ったわけだし、せっかくこうして集まったんだからいいじゃん」
すると親父と母さんは、真っ青な顔をして首をブンブンと振りはじめた。
「い、いやだって。お前の運転なんだろ? 事故ったらどうするんだ……」
「そ、そうよ。松原家の人間は代々ドジなんだから……しかも初心者マークの息子の運転なんて、絶対に事故るわよ……」
思い出した。そういえば、松原家の人間って異常に臆病なんだった。
「いやいやいや、俺はそんなにドジじゃないだろ? 教習所の先生にも筋が良いって言われたんだぜ?」
説得してみたが、無駄だった。今回は遠慮しておくとのことだ。その代わりゴールド免許になったら乗ってくれるらしい。一体いつの話になるんだ。
「あっ、ねえねえ、私は一緒に行っていいよね?」
「えっ?」
一緒になって黙っていたはずの姉貴が、そんな風に声をかけてきた。
どうやら面白がって静観していたらしい。口の中でクスクスしている。
どこか弾んだ声の姉貴は、ほろ酔いに頬を紅潮させたままだった。飲み会の終盤で女の子が見せる、熱狂的で危うげな表情とかぶって、胸が大きく鼓動を打った。
「えっと、いいけど……姉貴はこっちの友だちと、その、会ったりしないの?」
「そうよ花音、死に急ぐことはないのよ」
すげえ失礼なことを言われたが無視する。
なんか俺、すげえビビってる。なんていうか、二人きりでドライブってことをつい意識してしまう。
「みんなとは昨日会ったんだ。だから今日と明日は、かな君の日にしようと思うんだ」
「そうなんだ。いや俺の日とかいらんけどさ、でも一人でドライブするのもあれだし、うん、一緒に行こうか」
「うんっ。ふふっ、かな君が運転してるとこ、隣で見てようっと。楽しみだなあ」
姉貴がそう嬉しそうに言うと、がぜん俺も明日が楽しみになってきた。
そしてそれが――すごく怖かった。
やっぱ俺も、松原家の臆病な特質を受け継いでるのかもしれない。