※この作品はR-18です。

六三四の剣、轟嵐子十八歳の夜   作:江崎栄一

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○一 盛岡駅前

「嵐子!」

 駅前の広場で待っている私に向かって六三四が走り寄って来る。若者でごった返す週末の繁華街でも、背の高い六三四は目立つ。

「なんで走って来たのけ?」

 もう三月も終わろうというのに吐く息が白い。北国の岩手県、盛岡市はまだまだ寒かった。

「大家さんに届け物さ頼まれちまって、ぺっこ遅れちまうかなと思って走って来たんだ」

 六三四は笑顔でそう言った。下宿先からここまで五キロくらいだろうか、結構な距離があるが息は切らしていない。普通のランニングでは汗もかかない六三四なら不思議ではないだろう。

 私は目の前の青年を惚れ惚れと見上げた。

 名は夏木六三四。同い年。私が四歳の頃から剣道の腕を切磋琢磨してきた剣友。そして今では共に全日本選手権制覇を目標にした同士であり、恋人でもある。予備校の入校オリエンテーションで久々に再開し、一緒に食事でもしようということになった。もちろん私は軽くシャワーを浴び、お洒落な格好に着替えて家を出た。

 腕時計の針は十九時二十五分を差していた。既に日は落ち、辺りを外灯とネオンサインが照らしている。

「まだ約束の五分前だなっす。急がなくてもよがったんでねぇのけ?」

 私が笑いかけると六三四は呆れた顔をした。

「何を言うか嵐子……少しでも遅れたら、おめ怒り出すでねぇか!」

「か弱い女の子を夜の町で待ちぼうけにするのは最低の行為だっす」

「か弱いて……アキレス腱さもう治っただろ? まんず並みの男ではおめの相手になんねぇ。それに夜の町さ言うほど栄えてねぇべ」

「盛岡さ、北上に比べれば大都会だぁ! 悪い連中もウヨウヨいるし、わたすだってナウい男たちからよぐ声さかけられるんだからね!」

 六三四が剣道インターハイで東堂修羅を破り、高校生王者となったときからおよそ半年が経った。

 誰よりも努力し、大怪我を負っても戦い続けた六三四の優勝は心より嬉しかった。一方で私は岩手県予選を優勝したが、アキレス腱を痛めインターハイの優勝候補と目されていながらも本大会を出場辞退した。私にとっては、競技者として悔いの残る高校生活だった。

 首に大怪我を負っても弱音を吐かずに戦い続ける六三四の姿は今でも鮮明に思い出すことができる。優勝を決めた直後、怪我の様子を不安な気持ちで待つ私の元へ六三四は真っ直ぐに向かってきた。そしてはっにりと私に愛を告白し、私の腕の中で気を失った。

 高校の剣道部を引退した後、私たちは男女の仲として正式に付き合うことになった。怪我をして競技から離れざるを得なくなった私たちには、初めて訪れた安らかなひと時だった。岩手山や北上川を眺めながらの散歩は穏やかで、束の間の幸せを感じることができた。

 もちろん休んでいるばかりではダメで、高校卒業後の進路を考えなければならない。

 六三四と私は教師になることを目指して大学受験の勉強を始めた。しかし高校生活はおろか今までの人生の大半を剣道に捧げてきた私たちの勉学はおろそかで、とても現役で大学入試に受かることなど不可能だった。

 剣道のスポーツ特待生として進学することもできたが、六三四はそれを許さなかった。

『なんでも自分の力で戦いてぇ』

 私たちは話し合い、一年浪人して同じ大学の教育学部への入学を目指すことにした。

 今さら勉強だなんて、皆んなから笑われないべか……。

 それは杞憂だった。同じような青春を過ごしたライバルたちの多くは、私たちと同じ決断をする傾向にあった。かく言う優等生タイプの東堂修羅ですら、さすがに医学部への現役合格は難しく、浪人を選択している。

 ちなみに武者先輩という変質者はとうとう大学受験に合格し県外に引っ越して行ったらしい。具体的にどこなのかは気にならないが、とにかく私と接点が無くなればそれでいい。六三四の寮を訪ねる度に隣の部屋に住む武者先輩が現れ、全身を舐め回すように見られることはもうない。暗く光る瞳には、身の危険を感じさせる何かがあった。

 私たちは教師になる目標のために勉強しているとは言っても、もうひとつの大きな目標に向けての努力も陰ながら続けている。いつか二人で一緒に剣道の全日本選手権で優勝すること。

 今は勉強に集中するときだから、毎日剣道場に通うということはできない。今日は二人で盛岡八幡宮に行って素振りとイメージトレーニングを続してみた。

 六三四に言わせると、父である夏木栄一郎は東堂国彦を倒すために、彼の幻影と心の中で戦うことで稽古をしたという。更に驚いたことに、かの東堂国彦は亡くなった夏木栄一郎の幻影と死ぬまで戦い続けけていたと。一流の剣士であれば心の中だけでも稽古をすることができるというのが六三四の信念だった。六三四は東堂修羅、日高剣介、大石監督などの幻影と稽古ができれば十分だと言う。

 残念ながら私はまだその域には達していない。何とか二年前の女子全日本選手権準決勝戦、風戸美奈先輩と、六三四の母であり東北の鬼ユリと呼ばれた夏木佳代さんの試合を思いながら剣を振るった。もっとも夏木佳代さんは再婚して今では八重樫姓を名乗っているが。

「六三四、早くファミレスさ行って腹ごなししよや!」

「ファミレスて。嵐子、おめ相変わらずハイカラなものが好きだなぁ」

 六三四はからかうように言った。この男は戦い以外のことに使う横文字をあまり知らない。

「馬鹿言うでねぇ、もう昭和六十一年だべす」

 近頃は盛岡でもファミリーレストランが増えてきている。すぐに北上にだって進出するだろう。

 同じ予備校に通い始めた私たちは、毎日顔を合わせ一緒に帰宅することになる。だかや土曜の夜か日曜の昼にこうしてデートをしようということになった。さっきのトレーニングを終えて、それぞれ汗を流してから集まったというわけだ。

 高校卒業後は、私には北上に帰るという選択肢もあったが六三四には帰る場所がなかった。北上に近い峠山にある六三四の実家では母親と八重樫先生が新婚生活を送っている。

『こんなでっけえコブがあっちゃ、八重樫先生にも母っちゃにも悪いべ』

 六三四は笑顔でそう言った。そして盛岡の下宿先に留まることにした。そういうことだから、私も色々と理由をつけて盛岡の祖父の家から予備校に通うことにしたのだ。

「んだば行くぞ、六三四!」

 私は六三四の背中を叩いて促した。

「ん!」

 いつも通りの短い返事。

 早速駅前のファミリーレストランへ向かって歩き出した。ジャンパージャケットの袖を掴むと、六三四は照れ臭そうに笑った。

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