三月下旬。土曜の八時過ぎ。まだ寒い盛岡の夜は、革ジャンやロングコートに身を包んだ若者たちで賑わっている。私たちはあてもなく賑やかな繁華街を歩いた。
「すまねぇ……嵐子。オレ剣道ばっかしだったから、オナゴの気持ちも、どうやって接していいかもわがらねぇんだ。でもわがってくれ。おめに辛い想いさして欲しぐねぇ」
六三四は右に並んで歩く私の左手を取って歩く。夜風に当たって冷え始めた手を、六三四の熱が温めた。
「わたすの方こそイケねぇんだ……変な話さしちまって。長いこと会ってねがったから寂しくて、つい……」
私は繋いでいた左手を解き、六三四の右腕に絡み付けた。半歩近づき、身体を密着させる。
「嵐子……照れるべ」
六三四は私を見下ろし、すぐに正面に向き直った。絡ませた腕に力が篭るのがわかった。
ネオンサインの溢れる夜の町も悪くない。色の匂いのする場所を、小さい頃からずっと剣友だった男と、恋人として並んで歩くなんて不思議だった。そもそもこんな野暮ったい男に心を惹かれてしまったのも謎だった。私はもっとオシャレに垢抜けて、汗臭いことから離れたかったのに。
六三四なんて女の扱い方を心得るどころか、どれだけ女に興味があるのかもわからない。私のことは好きなようだが、男女の仲としてどれだけ深く思っているのか。
それでも六三四の母に聞いたところ、突然訪問した下宿先にエッチな本がたくさん置いてあったというので、いやらしいことには興味はあるのだろう。どんな本を見ているのか気になったが、私が訪問するときにはどこかへ隠しているようで見つけられなかった。
SMとか変な趣味が無ければいいのだが……。稽古中、大石監督にぶっ飛ばされると喜ぶような奴だから心配だった。
ふと、六三四の破廉恥なエピソードを思い出して微笑んだ。
「何笑ってんだ?」
「別にぃ」
小学校の頃にやった山籠り合宿では、わたしの着替えや風呂を覗いておきながら、まったく興味を示さなかった。
高校生になると私のバストサイズを知るために身体測定結果を盗み見たり、胸の大きな上条さんに手を握られたときや、階段に座る私のスカートを覗いて顔を赤らめていた。でも、一般的な同年齢の男子が持っているような女体への関心を明確に示すところを、少なくとも私は見たことがない。
ーー もすかすて、六三四はあんまりそういうことに興味はないんだべか。
もっとも、これだけ真っ直ぐで強くて優しい男なら、女はほっておかないだろう。背も高くて、割と顔もいい。いくら鈍感だとはいっても、積極的な大人の女性にグイグイ迫られたら簡単に落とされてしまうのではないか。
私ははっとした。
「なあ、六三四。おめさ武者修行に出てた時、何か浮いた話でもあったけ?」
掴んでいた六三四の右腕を引っ張りながら、横顔を見上げた。
「うっ!」
六三四がわかり易くうろたえた。何かあったのは間違いなさそうだった。私は畳み掛けることにした。
「まんず……若い男が一人で一月以上も旅して回るんだ。剣道以外に目移りしねぇはずがねぇっす」
私は正面を向いて大きくため息をついた。絡ませた腕が木刀のように硬直している。
「なんでか風戸先輩とも仲良さそうにしてたしなぁ。何かあったべす」
風戸先輩は六三四が武者修行中に下宿していた大学の女子剣道部の主将。夏木佳代さんとの試合後、六三四と仲良さそうに談笑していたらしい。
私が横から見上げると、六三四は腕を振り払った。
「ま、待ってけろ、嵐子。あれは不可抗力だべ……」
六三四は私の前に躍り出て、私の両肩を掴んで正面から見据えた。何かを弁明するときの顔。特に私が何かを知っているわけではないが、後ろめたいことがあったのは間違いないようだ。
「オ、オレ、父っちゃが通ってた大学に頼み込んで泊まり込みで稽古さ付けてもらったんだけど、まさかそこが女子寮だったとは思わねぇべ。稽古さ終わって風呂さ入ったら、ゾロゾロと女子がたくさん入ってくるでねぇか」
私は呆れた。
ーー まんず年上の大学生相手でも風呂さ忍び込んで覗いたべか……それにしても、中に入るなんて大胆すぎだべす。
「裸さ見たのけ?」
「風戸先輩のだけ……」
六三四はその裸を思い出したのか、顔を高調させた。
「んで、どうやってその場さ切り抜けたんだ?」
「風戸先輩が匿ってくれた……。幸運にもオレが入ったのは最上級生用の洗い場だったんだ。その日は風戸先輩しか四年生さいねがったから、他の人とは顔さ合わせてねぇ。先輩はみんなが上がるまで黙っててくれてたんだ」
「そういうことけ……。風戸さんはめんこいもんなぁ。胸も大きいし」
六三四は一瞬ぽかんとした顔をした後、声を荒げた。
「……ば、馬鹿! そんな意味で幸運さ言ったわけでねぇ!」
「どうでしょう……」
ーー 黙っていればバレないのに……。まんず六三四らしい、馬鹿正直さだなっす。
「んだば、風戸先輩とはそれ以外は何もなかったのけ?」
「う! そ、それは……」
六三四はまた絶句した。叩けばいくらでも埃が出てきそうだった。まさか風戸先輩に筆下ろししてもらったりしていないだろうか。
「か、堪忍してけろ、嵐子……。武者修行の旅だ、それなりに危険な橋も渡った。色んなオナゴと知り合うこともあったべ……」
それを言うと私も夜の町をほっつき歩いて変な男どもとつるんだこともあった。あまつさえ大切な人に捧げようと思っていたファーストキスは、ジンという最低な嘘つき男に奪われている。私には六三四の浮ついた行動を非難する資格はないだろう。
「ごめんなぁ、六三四。ぺっこからかってみたくなっただけだべ」
ふとあの日のことを思い出した。
ジンは悪い仲間と共謀して一芝居打ち、私をモノにしようとした。まんまと騙された私はジンに気を許してデートを重ねていたが、偶然ジンとその仲間たちの密談を聞くことになる。実はジンが身体目当てに女を取っ替え引っ替え手玉に取る好色漢だったのだ。
私は信じかけていたのに、ジンの甘い台詞は全て嘘だった。気持ちを踏みにじったジンが許せず、徹底的に制裁しようと私は真剣を手に家を飛び出した。
まさにその時、私に会いに来た六三四とばったり出くわした。泣きはらした私の顔を見ても六三四は何も聞かなかった。そして黙って夜景の見える展望台まで私を背負って行った。そこで昔の話を聞かせ、私の気が落ち着く夜明けまで素振りを見せ、一緒にいてくれた。
その時から一週間後、インターハイで東堂修羅を破って優勝を果たした直後に私に言った台詞。
『おめの分まで頑張れたから優勝できたんだぜ。だからどこへも行くな。オレのそばに』
あの言葉には、もう変な男についていくな、という意味も含まれていたことは明白だった。
そうであれば、私がここで六三四の過去をあまり追及するのも公平ではない。
私はにっこりと笑って六三四を見つめ返した。
「変に追求してごめん……。あんたのことは、わたすが一番よくわかってるつもりだっす。過去にあったことさ気にしね。わたすたちはこれからのことさ考えねばならねぇんだ」
六三四は、ほっと大きなため息をついた。
「それにわたすは、ずっと前に裸の胸や股まであんたに見られてるべ。どんなオナゴよりも、わたすに一日の長があるってもんだっす」
「な、何を馬鹿なこと言うか嵐子! そんなことしたことないべ!」
六三四は慌てたように大きな声で否定した。
「北上少年少女剣道クラブで山籠りしたことさあったでねが。わたすが風呂さ入ってるところを狙ってあんたが乱入してきたっす」
「あ、あんなのは童子(わらす)のころの話だべ! それにあれはワザとでねぇし、湯船から立ち上がって裸さ見せたのはおめの方だっぺ!」
そこまで言って、バツの悪い顔で六三四は口をつぐんだ。
「良っぐ覚えてるでねが?」
六三四はしばらく息を呑んで私をじっと見つめていたが、すぐに諦めたようにがっくりと肩を落とした。