Ⅱ
教室で男子が
「オレ,毎日ひげを剃ってるんだ」
と誰かに話しかけている。口ぶりが自慢げ。そんなことを自慢する神経がボクには理解できない。相手は
「ボクは週1回くらいかな」
と答えている。ほんとう? もう,みんなひげを剃るようになってるの? ピーターはどうしているんだろう?
ボクは姫の袖看板を見つめている。電話番号が小さく書いてある。しばらくためらって,やっと決心してその番号をメモし,近くの公衆電話から電話した。5回くらいコールして
「もしもし」
という低い声が聞こえてきた。
「あの・・・・ご相談したいことがあるんです」
「うちで働きたいの?」
「いえ,働きたいんじゃないんですけど,相談したいんです」
相手はちょっと考えているようだった。
「今,どこにいるの?」
「すぐそばの公衆電話です」
「なら,ドアの鍵を開けておくから,2階に上がっておいで」
ボクは受話器を置いてすぐに姫に戻った。ドアを開けると目の前に2階に上がる階段がある。昇ったところがお店になっている。5人くらい掛けられるカウンターと4人掛けテーブルが3つくらい置かれた小さな店。1つのテーブル席に中年の男の人が座っている。美形といえる顔立ちだけど,髪は短く,明らかに男の人。きれいな男の人。その人はテーブルの向かいの席を指さした。ボクは座った。その人は品定めするようにボクをじっと見る。そして,
「相談って,いったい何なの?」
「・・・・ボク,男になりたくないんです。ひげやすね毛が生えたり,がっちりした体つきになったり,そんなふうになりたくないんです。今のままでいたいんです。それで,そのための方法をご存じないかと思って・・・・」
ボクは話しながら顔を下げていった。その人は話を聞き終えると,ボクの顎に手を当て,顔を持ち上げて正面を向かせた。それから両手でボクの肩,胸,腰を挟んだ。
「そうね。この顔,この体を男にしてしまうのはもったいないわね」
男の顔から低い声で語られる女言葉。語り終えて,その人は黙ってボクを見つめる。ボクは何も言えず,その人が何か話すのを待っている。
「女になりたいのね」
「・・・・というか,男になりたくないんです」
「同じことでしょう」
「・・・・」
ボクにとって,同じではない。でもどう説明していいか分からない。
「どうすればいいんでしょう?」
その人はニッと笑った。
「ホルモンを使うのが一番ね」
「ホルモン?」
「そう。女性ホルモン。注射もあるし,のみ薬もあるわ」
「体に害はないですか?」
「女の体には普通にあるものなんだから,害はないでしょう。使いすぎなければ」
「手に入りますか?」
その人はまたボクをじっと見つめる。
「あんた,いくつ? まだ子供みたいだけど」
「15歳です。来年の1月で16になります」
「と言うことは,高校生?」
「はい。高校1年生です」
「高校生からぼったくるわけにはいかないわね」
と言って,その人は笑う。
「それにしても,今からホルモン使えば,さぞかし上玉になるでしょう」
その人はボクを見る。品定めるような眼差し。ボクは怖くなったけど,射すくめられたように動けない。
「来週またおいで」
「えっ?」
「来週またおいでと言ったの。聞こえなかった? 用意しておいてあげる」
「ありがとうございます」
と言ってから,ボクは値段が気になった。
「あのー,いくらですか?」
「心配しなくていい」
そう言われてもボクは心配でその人を見る。
「心配しなくていいの。来週の今頃,4時くらいにおいで。あんまり早く来られても,まだ寝てるから」
そう言ってボクにほほえみかける。
「さあ,もう今日はお帰り,坊や・・・・いや,お嬢ちゃんと呼んでほしい?」
翌週の午後4時,ボクはまたそのお店に出かけた。ドアを開け,階段を昇り,お店のテーブル席に目をやると,きれいな女の人が座っている。きちんとお化粧して,日本髪を結って,着物を着て座っている。「妖艶」という言葉がぴったりの大人の女。誰だろうと思ってその顔を見つめて,ハッと気づいた。先週のあの人が,化粧して,かつらをかぶって,和服を着ているんだ。その人はニコッと笑った。
「驚いた?」
ボクは声が出せず,黙ってうなずいた。その人は立ち上がり
「こっちにおいで」
と手招きして,3階に行く階段を昇る。ボクはついて行った。
3階は畳を敷いた居室になっている。
「まあ,お座り」
と言われてボクは座る。
「あら,きちんと正座して,行儀がいいわね。お嬢様なのね」
その人は足を崩して座る。
「これがホルモン剤よ」
と言って,脇にある小さな紙箱を指した。それから,ボクをじっと見つめ,近寄り,ボクを抱きしめた。ボクは思わず目をそらし息を止めた。
「こっちを向いて」
ボクは言われるままにその人の方を向く。その人は唇を重ねた。舌がボクの口の中に入ってくる。ボクは何も抵抗できず,されるがままになっている。その人はボクを畳の上に押し倒して抱きしめる。それから,ボクの着ているシャツとズボンをはぎ取って,ボクの肌をそっと触る。首筋,胸,腰,おなか,お尻,太もも・・・・。ボクはゾクゾクする。
「ほんとうに,女みたい。女よりも柔らかで肌理(きめ)の細かな肌・・・・」
それから,太ももの内側を指先でごく軽くこする。気持ちいい。ボクは体を硬くした。
「気持ちいいの?」
ボクはうなずく。
「じゃあ,もっと気持ちいいことしてあげるわ」
そう言って,その人は帯を解き,着物をはだけ,肌をボクの肌につけ,ペニスをボクの太ももの間でこすり始めた。
「お尻に入れるのはかわいそうだから,素股で許してあげるわ。どう? 気持ちいいでしょう?」
ボクはうなずく。でも,気持ちよくて力が入れられなくて,足が開いてしまった。
「どうしたの? だめじゃない」
その人は叱りつけるような口ぶり。
「だって・・・・気持ちよくて,ふんばってられない」
というボクの言葉を聞いて,その人はニヤリと笑った。
「そういうこと? それなら・・・・」
その人は解いた帯でボクの両膝を縛りあげ,足が開かないようにしてもう一度ボクの太ももの間にペニスを入れてこすり始めた。
すぐ目の前に妖艶な美貌がある。でもその顔に似合わない強い腕力でその人はボクを抱きしめる。顔は美女なのに,ボクを締めつけるように抱く力は男。素股をこすられる快感に身をゆだねながら,ボクは頭の一部が冷静なまま,その人の振る舞いを観察している。こんなふうに,人の体を自分の欲望を満たす道具のように扱うなんて,やっぱり男の人・・・・こんなことを考えながらボクはその人に抱かれる。やがてその人はアクメに達し,精液をボクのおなかにふりかけた。そして,もう一度ボクをギュッと抱きしめる。〔精液が着物につかないかな?〕ボクは余計なことを考えている。
やがて,その人はボクから体を離し,タオルでボクのおなかを拭いてくれた。そして,薬の箱をボクに手渡す。
「100錠入ってる。あんたなら1日1錠で十分。だから3ヶ月くらいもつわね。でも・・・・」
その人はここで言葉を切ってボクを見つめる。
「3ヶ月といわず,月1回くらいはおいで」
ボクはその人を見ながらかすかにうなずく。
「薬の代金を体で払ってるなんて思わないで。あたしは,あんたがかわいいから抱く。あんたがかわいいから薬をあげる。それだけのことよ」
ボクはまたうなずいた。
「あんたが,薬はほしいけど,あたしに抱かれるのはいやだというのなら,その薬をくれる医者を紹介してあげるわ。その医者から直接もらえばいい」
でも,ボクは医者を紹介してもらいはしなかった。月1回くらいその人を訪れる。好き,なわけじゃない。ミユキへの気持ちを「好き」というなら,その人への気持ちはそれとはかけ離れている。その人がボクに向ける気持ちも,ミユキがボクに向ける気持ちとは全然違う。初めて経験するねっとりした視線,濃密な係わり合い。反発しながら,でもなぜか引き寄せられる。その人の妖艶な美貌,その人が与える素股の快感,ボクを絡め取るような情愛・・・・それだけじゃない。その人の背後に感じられる,ボクの知らない世界への予感のようなもの。これが「オーラ」というもの?
3度目に訪れた時,
「あなたのことは,なんと呼べばいいのでしょう? ボクは『ジュン』と呼んでください」
と話しかけたら,フッと吹き出された。
「そんなバカていねいな話し方しないで。おかしくなってしまうわ。あんたは『ジュン』と呼べばいいのね。あたしのことは,みんな『ママ』って呼んでる。あんたもそう呼んでいいよ」
「じゃあ,ママって呼びます」
もちろん,ママのことはミユキには決して話しはしない。ボクが生まれて初めて持ったミユキに対する秘密。
1学期の定期試験が間近い6月下旬,ミユキから尋ねられた。
「ジュン,また英語の勉強会やってくれる?」
もちろん,ボクはぜんぜんかまわない。
「それでね,この前の勉強会がえらく好評で,参加者が増えたの。10人くらいかも」
「そんなに?」
「だから,ここじゃ無理でしょう」
「うん」
「それで,結局,平日の放課後に教室でやろうということになったの」
「教室?」
「うん。それで,ジュン,うちの学校に来てくれる?」
「まあ,いいけど。授業が終わってうちに戻って,着替えて出かけると,着くのが早くて4時頃だと思うよ」
「高校から直接こっちに来ない?」
「いやだ」
珍しく,ボクはミユキの言うことに逆らった。学ランを着るのは高校だけでいい。ほかの場所に行くのに学ランは着たくない。ミユキは笑っている。
「ジュンはほんとうに制服が嫌いね」
「だって,似合わないもの」
「そんなことないよ。あの細身の学ランは似合ってるよ。友達もそう言ってる」
「ともかく,学ランはなるべく着たくないの」
こんなやりとりはあったけど,その週の金曜日,ボクはミユキの高校に出かけた。校門でミユキに出迎えられ,勉強会をやる教室に入ると
「わーっ,弟ちゃん,ほんとうにきれい」
という声に出迎えられた。ミユキの友人たちの間ではボクは「弟ちゃん」と呼ばれている。
前回と同じように,友人たちからの質問にボクはてきぱきと答えていく。勉強会が終わったのは6時過ぎ。
「ああ,おなかがすいた。何か食べて帰ろう」
と誰かが口にする。
「でも,うちに帰ったら晩ご飯でしょう?」
とボクが思ったことを口にしたら,
「それまで,もたないの。だから何か食べたいの」
とその人が答えた。ほかの人が笑っている。
「弟ちゃんは小食なの。間食はしないんだって。だからこんなに細いの。羨ましいと言うべきか,憎たらしいと言うべきか」
みんなが笑っている。
「ミユキお姉さんは?」
「わたしは一緒に帰る。じゃあ,さようなら」
ミユキは友人たちにあいさつして,ボクと一緒に駅に向かった。
結局,これから試験のたびにボクは勉強会に呼ばれるようになった。ボクが男子を相手するのが苦手なことをミユキは分かっているから,人数が増えても女子しか参加しなかった。ボクは勉強会が終わればすぐにミユキと一緒に帰る。
「ガードが堅いね」
と声を掛けられたのはいつの勉強会のことだろう。
「ガード?」
ボクは意味が分からない。帰りの電車の中でミユキが説明してくれた。
「勉強会のメンバーには,ジュンと付き合いたい子もいるの。でもジュンは,終わると誰とも話そうとせずさっさとわたしと一緒に帰るから,ガードが堅いということ。ひょっとして,わたしがジュンをしっかりガードしてると思われてるのかな」
ミユキは笑っている。それからまじめな表情になって
「ジュン,あなた,決まった彼女がいるの?」
「そんな人,いないよ」
ボクは即座に否定した。〔ボクが好きなのはお姉さんだよ。またハグしてほしい〕という心のつぶやきは声にならない。
夏休みは去年の夏休みと同じように過ぎるけど,受験勉強は不要なので本を読む時間が増えた。ますます「物知り」になるのかな? そんなことを考えると,ちょっとおかしい。
2学期。ボクと岡田さんは通学路が重なっているのか,藤棚のあたりでよく一緒になる。並んで歩くのは気詰まりなのでボクが歩調を緩めると,彼女は5歩か10歩くらい先を歩く。ある日,彼女が
「たまには高村クンが先に歩きなさいよ」
と言われて,ボクの方が先に歩いた。校門を通る時,
「高村クン,歩く姿がきれいね」
と後ろから声を掛けられた。
「ありがとう」
ボクは振り返ってお礼を言った。
中学生の頃から気をつけていた。エレガントなものに憧れ,ふだんの言葉遣いや立ち居振る舞いもエレガントにしようと気をつけて,歩く姿勢にも気を配った。背筋(せすじ)を伸ばし,顎をちょっと引き,力まないで自然に歩く。慣れれば意識しないでもふだんから自然にそう歩ける。
11月の中頃,学ランの上から羽織るコートを買いにミユキと出かけた。なるべく細身でふくらはぎを覆うくらいのロングコートがほしい。かっこいいし,似合うと思う。婦人服売り場を見て回って,見つけた。黒の無地のシングルだから学校の指定を満たしている。試着すると誂えたみたいにボクにぴったり。
11月下旬の寒い朝,ボクは買ったばかりのコートを着て学校に行く。公園を歩いていると後ろから岡田さんの声が聞こえた。
「高村クン,後ろから見ると女の子みたい」
ボクはうれしくて笑顔で振り返った。
「前から見たら?」
「前から見ても女の子みたい。そのコート,女物よね。似合ってる。すごくかわいい・・・・いや,かわいいんじゃなくて,きれい,かっこいい」
ボクは笑顔を満開にして彼女を見る。
珍しく,並んで歩く。2~3分黙って歩いてから,彼女が語りかけた。
「やっぱり,諦めきれないな」
「ボクのこと?」
彼女はうなずく。
「友達なら,いいよ。嫌いじゃないから」
「友達かあ・・・・わたしは,高村クンの目をわたしだけに向けさせたいんだ」
彼女はちょっと間をおいて話を続ける。
「でも,その人,うちの学校の生徒じゃないよね」
「どうして分かるの?」
「だって,高村クンがそんな眼差しを向けてる人はいないもの,うちの学校に。学校では,誰にも同じように静かで冷淡な眼差しを向けてる。好きな人を見る目じゃない」
「よく見てるね」
彼女はフッと笑った。
冬休みになったばかりの日だった。ミユキと一緒に公園を散歩していたら岡田さんと出くわした。
「あっ,岡田さん」
ボクはミユキに顔を向けた。
「同級生の岡田さん」
それから,彼女の方を向いて,
「ボクの姉,ミユキです」
と紹介した。彼女から
「お姉様もきれいな人ね」
と言われて,ボクはうれしそうにミユキを見る。岡田さんはそのまま歩いてボクたちから離れていった。
3学期になってすぐの朝,公園から学校に向かうボクに岡田さんが声を掛けた。
「お姉様なのね?」
「うん,姉だよ。この前公園で会った人。ボクに似てるでしょう」
「そういう意味じゃないの」
ボクはけげんな顔で彼女を見る。
「高村クンが好きなのは,お姉様なのね。お姉様が好きなのね」
ボクは図星を指されてハッとした。
「分かった?」
「分かるよ。すぐに分かった。お姉様を見る高村クンの目,ほかの誰とも違ってた。潤んだような眼差し。好きな人に向ける眼差しだったよ」
ボクは返事ができず,唇をかんでうつむく。そのまましばらく黙って歩いていると,彼女が語りかけた。
「不可能だということ,分かってるよね?」
「好きと思っているだけなら,許されると思うよ」
と答えながら,ボクはため息をついた。ボクは立ち止まり,街路樹に背をもたせた。彼女も立ち止まってボクの脇に立っている。
「どうして男に生まれたんだろう。ボクが男でなければ・・・・気安くハグもできる。手をつないでもいい。子猫のようにじゃれあうこともできる。一緒に寝てミユキの体の温もりや匂いを感じていることもできる。お風呂にだって一緒に入れるんだ・・・・10歳まではそうしてたんだ。男だとか女だとか,そんなこと関係なく,いつも一緒にいたんだ・・・・」
「高村クンは,女に生まれたかったの?」
「・・・・男になりたくない」
「同じじゃない?」
「そう?」
ボクたちはしばらく黙っていた。そして,彼女がボクに声を掛けた。
「遅刻するよ。行こう」
翌日,通学路で一緒になった岡田さんにボクは尋ねた。
「どうして分かったの? 勉強会の人たちは気づかなかったのに?」
「勉強会?」
「ああ,つまり,姉の同級生たちが10人くらいで試験前に英語の勉強会をやってて,ボクが質問に答えてるの。その人たちは,もう何度も会っているのに,ボクが姉を好きなこと,気づかないんだ。どうして岡田さんは1度で分かったの?」
彼女は気の強そうな笑みを見せる。
「それは,わたしは誰より熱心に高村クンを見ているから。ほかの人が気づかなくても,わたしは分かる。わたしだけは分かるの」
ボクは意外な思いで彼女を見る。
「好きなんだ。だから,どんな小さなことも見逃さないよ。この地位は誰にも譲らない。高村クンのことは誰よりよく分かってる。この地位は誰にも譲らないよ・・・・思いを秘めて密かに愛し続けるって,がらじゃないんだ。そんなのわたしに似合わない。好きなら好きって,はっきり言う方が性にあってる。だから隠しはしない」
「・・・・でも,ボクはそれに応えられない。嫌いじゃないけど,友達としてはいい人だと思うけど,岡田さんを好きになることはないと思う」
「まあ,それでいいよ。わたしの気持ちを知っておいてくれるなら。そして何より,高村クンの秘密をわたしだけが知っているのは,うれしい。もちろん,言いふらしたりはしないよ。わたしだけが知ってるんだから」
それから彼女はまじめな表情になった。
「相談したいことがあれば何でも話して。相談に乗るよ。・・・・もっとも,相談してもどうしようもないのかな。でも,誰かに話すだけでも気が楽になるなら,いつでも何でも話して。ちゃんと聴くから」
「ありがとう」
結局,ボクがミユキのことで何かを話すことはなかった。それでも,そんなふうに言ってくれる人がいることは,うれしい。そして,ミユキに岡田さんのことを話しはしない。ミユキに対する2つめの秘密。
1つめの秘密も続いている。月に1回,たいてい土曜日の午後にボクは姫に行く。ママはいつもきれいに化粧してきちんと和服を着てボクを迎える。
「ボクのために,きれいに化粧してくれるの?」
「あんたのためというより,自分のためよ。好きな相手には一番きれいな姿を見せたいからね」
そう言ってボクにキスをする。かすかにタバコの匂いがする。頬ずりをする。おしろいの匂いがボクの鼻をくすぐる。指をボクの肌にすべらせる。微妙な触感が体を突き抜ける。女の人のような優しい愛撫。ボクはうっとりする。でも,その夢見心地が破られることは分かっている。ママはそれからボクの膝を帯で縛り,素股にペニスを入れるから。女より優雅なママの男の部分。これがなければ,ボクはママを本気で好きになったかもしれない。それとも,ママの男の部分も好きになれるのなら,男から愛されることを受け入れられるのなら,ボクはもっと楽なのかな。
姫からの帰り道。冬至の頃はもう暗くなっていたけど,立春を過ぎたこの時季は夕方の明るさが残っている。風が吹き,街路樹の梢を揺らす。思いがけず,言葉がボクの中から湧き出した。
わたしのさみしさは
ひとけのない街を
樹々のこずえを吹き過ぎる
風のように
この時のボクは何が寂しかったのだろう・・・・。
うちに帰り着き,ミユキと一緒に晩ご飯を食べ,自分の部屋に引っ込んで,ボクはさっきの言葉をノートに書き出した。これは詩というもの? 子供の頃から詩を読むのは慣れている。でも,まさか自分で作れるとは・・・・。ノートに書き出した言葉を眺めていて,〔これを英語にしてみよう〕と思った。エミリー・ディキンソン風の詩にならないかな?
My loneliness is
Like a wind
Which passes a lonely street
Through the trees
それなりにうまく訳せたと思う。特に「樹々のこずえを」を“Through the trees”と処理したところは。それから検討する。街“street”に付ける冠詞は不定冠詞の方がいいだろう。特定の街ではなく,どこかのある街。樹々“trees”は定冠詞の方がいい・・・・いや,冠詞を付けないという選択もあるかな? 関係代名詞の“which”は“who”の方がいいかも。「風」を擬人化して。
My loneliness is
Like a wind
Who passes a lonely street
Through (the) trees
できあがった英語を小さな声で読む。音節の数を数えた。1行目は5音節,2行目は3音節,3行目は7音節,4行目は冠詞を付ければ3音節,付けなければ2音節。じゃあ,冠詞を残しておこう。3行目,“lonely”を省けば5音節で1行目と揃う。省こうか? 1行目の“loneliness”と重なって重苦しいし。
My loneliness is
Like a wind
Who passes a street
Through the trees
また読み返す。欲が出てきた。韻を踏めないか? 3行目と4行目の終わりの音は似ているけど,ほかはぜんぜんだめ・・・・と考えていて“breeze”という単語が思い浮かんだ。“wind”を“breeze”に替えれば“trees”ときれいに韻を踏む。1行目の“is”とも3行目の“street”とも音が近い。
My loneliness is
Like a breeze
Who passes a street
Through the trees
できあがった英語の詩を読み返して,静かに満足感が湧いてくる。この時,ボクは帰り道の街路で感じた寂しさを忘れていた。姫のママへの好悪が入り交じった奇妙な気持ちも。
2年生,ボクは岡田さんと同じクラスになった。そのせいなのか,公園から学校までしょっちゅう一緒に歩いているボクたちに「付き合ってる」という噂が流れるようになった。彼女はおもしろがっている。
「放っておいてもいい? 噂だけでも,そう言われて悪い気はしない」
ボクも,別に困りはしない。友達として付き合っているのは事実だし。だから,噂は放置した。ボクたちが否定しないから事実と思われている。
「それにしても,高村クンがわたしを見る目,好きな人を見つめる目じゃないって,気がつかないのかなあ・・・・」
彼女は笑って話すけど,
「寂しい?」
「いいんだよ。わたしが分かっていればいい」
彼女は軽くボクの肩を叩く。まるでボクを励ますみたいに。
こんな会話を知るはずもないクラスの女子が冗談半分に
「親分の彼氏じゃ,手を出せないわね」
と語る。
「親分?」
「高村クン,自分の彼女のあだ名を知らないの?」
ボクは初耳だった。さっそく翌日の登校途中彼女に尋ねたら,笑いながら説明してくれた。
「中学から持ち越したあだ名なの。中学で『親分』って呼ばれてたから。まあ何事もみんなに声を掛けて率先してやるタイプだったからね。高村クンは乗ってこなかったけど。・・・・一緒に入学した中学時代の同級生が高校に入ってもそう呼ぶから,それが広まってしまった」
「ふーん・・・・」
彼女は,背は高いけど体格は細い。親分という外見ではないけど,リーダーシップは体型とは関係ないのかな。確かに,人を惹きつけ従わせる器量は感じられる。こんなことを考えているボクに彼女が問いかける。
「高村クン,自分のあだ名,知ってる?」
「知らない」
彼女はフフッと笑う。
「2つあるんだよ。1つは英語クィーン。男子なのにね,なぜかクィーンと呼ばれている。そっちの方がしっくりいくのよね,英語キングより」
ボクも笑った。
「もう1つは,これはわたしが言い出したあだ名なんだけど,ヒアシンス」
「ヒアシンス? 花のヒアシンス?」
「高村クンは物知りだからその名の由来を知っているでしょう」
「ギリシア神話に出てくる美少年だね」
「どんな美少年?」
「アポロンに愛された美少年」
「そのとおり。学問芸術の神=アポロンに愛された美少年」
そう言って,彼女はボクを見てほほえんだ。
「付き合ってる」と言われる一方で,ボクたちはライバルとも思われている。福岡高校で学年トップを競い合ってるわけではないけど,学年20番くらいで抜いたり抜かれたりしている。ボクはともかく,岡田さんはかなり意識している。2年生になってボクの方が上に行くことが多い。
「社会が地理から世界史になったでしょう。理科が生物,地学から化学,物理になったでしょう。ボクは歴史と化学は好きで得意なんだ。だからボクの方が有利になったの」
と説明したら,
「じゃあ,わたし歴史をがんばる」
と意気込んでいる。こんなふうに負けず嫌いを素直に無邪気に表に出すところは好き。いい友達だと思う。親友と言ってもいい?・・・・
夏休み。ミユキは3年生だから,そろそろ進路を決める時期になる。
「わたし,調理師の専門学校に行こうと思ってる」
「大学には行かないの?」
「うん。わたしは,ジュンと違って勉強がそんなに好きじゃないから」
女子の大学進学率が10%くらい,短大を含めても20%くらいだった時代,ごく自然な選択肢だった。
「アルバイトもするつもり。勧められてるんだ。友人から」
「友人から?」
「うん。お母さんが中洲でスナックをやってるんだって。そこでアルバイトしないかって」
「そのお友達と一緒に?」
「ううん,その子は『接客なんて向いてない』って言うの。でも『ミユキはぜったい向いてる』って」
ボクもそう思う。ミユキはきっと人気者になる。お客に好かれる。そう思うけど・・・・。
「じゃあ,夜もうちにいないんだね」
「うん。ジュンはゆっくり一人で本を読んでいられるよ。勉強もできる」
それはそうだけど・・・・。
確かに,これまでもずっとミユキと一緒に同じ部屋で過ごしていたわけじゃないけど,でも,隣の部屋にミユキがいること,声を掛ければすぐ答えてくれる所にいることが当たり前だった。当たり前が当たり前でなくなるのは辛い。ミユキが遠くに行ってしまいそうで,悲しい。ボクは潤んだ目でミユキを見る。
「ジュン,どうしたの? そんな顔して」
ミユキは心配そうにボクを見る。その目に吸い込まれそうになる。
「何でもない」
ボクは目を伏せた。
「別に,明日からってわけじゃないのよ。来年の4月から」
「うん・・・・」
「・・・・心配してるの? 大丈夫よ。無理はしないから。アルバイトの時間はちゃんと調整してもらう。勉強時間や睡眠時間は確保するから。ジュンが心配しなくていいよ」
ミユキは優しく語りかける。
秋の半ば頃,いつものようにボクのおなかの上に射精したママは,そのまま体をくっつけてボクを抱いている。それから起き上がり,濡れたボクのおなかをタオルで拭く。ボクも起き上がって服を着ようとしたら,
「ジュン,これを着てごらん」
と声をかけられた。ママは黒のドレスを手にしている。
「あんたには,着物よりドレスが似合うでしょう」
ボクはドレスを着る。背中のファスナーを上げるのが難しい。ママは笑って手伝ってくれる。
「初めてじゃ,慣れないよね。そのうち一人でできるようになる・・・・さあ,自分のドレス姿を見てごらん」
ママはボクを鏡の前に立たせる。生まれて初めて見るドレスを着たボクの姿。じっと見つめるボクにママは
「自分で見とれているの?」
と問いかける。そんなつもりではないけど・・・・。
「じゃあ,ここに座って」
ママはボクを座らせて,化粧道具を取り出した。
「素顔でも十分にかわいいけどね。化粧したらどれだけきれいになるか」
ママはボクに化粧していく。ファンデーション,アイブロー,アイシャドー,チーク,ルージュ・・・・。そして,手鏡をボクの顔の前に差し出した。その中に,初めて見るボクの顔がある。
「外を歩いてみる? すれ違う男がみんな振り返るよ。いや,女も振り返る」
ボクは首を振る。
「そう? 外に出たくはない? ほかの奴らに見せたくはないの? じゃあ,あたしだけのものね」
そう言って,ママはボクを抱きしめ,キスし,また押し倒した。
それから1週間くらいして,ミユキが化粧道具を買ってきた。
「そろそろ,お化粧の練習もしないとね」
と言って,ダイニングテーブルに鏡を置いてお化粧している。そして,できあがった顔をボクに見せる。
「どう?」
ママがボクにしてくれた化粧に比べると下手だけど,そんなことは言えない。ちょっと笑いながら
「初めてにしては,まあまあじゃない」
と言うとミユキは,
「ジュン,笑ったね」
と,怒ったふりをする。ボクはメイク落としでていねいにミユキの顔を拭く。
「お姉さんは,素顔のままできれいだよ」
「ありがとう」
ミユキは素直に答えてくれた。ボクは化粧を落としたミユキの顔をじっと見る。
「お姉さんは化粧なんかしなくていいよ。女の人はお化粧しなくてもいいんだよ」
ミユキはけげんな顔をする。
「女だから化粧するんでしょう。男の子こそ,化粧なんかしなくていいのよ」
そう言うミユキの顔を見つめ,ふとボクは顔を伏せた。
12月初め。2学期の定期試験前の学習会。高校3年の3学期はほとんど授業はないから,ミユキたちにとっては最後の試験,最後の学習会だけど,特に変わったことはなく,ふだんどおりに終わった。ミユキの友人たちは,
「あーあ,これで弟ちゃんともお別れか」
「残念?」
「すごく残念。クミ子は残念じゃないの?」
「わたしも残念だけど」
こんなことを話している。誰かが
「これから,勉強会の打ち上げをしない?」
と言い出したので,ミユキが
「打ち上げは試験が終わってからでしょう」
とたしなめた。
それから10日くらいして,ミユキの学校でもボクの学校でも試験が終わった後,ミユキがボクに話しかけた。
「今度ね,みんなで試験の打ち上げ会をしようという話になってるの。わたしたちにとっては最後の試験が終わったからね。それで,みんなが『ぜひ弟ちゃんも呼んで』って言ってるの。出てくれる?」
「『みんな』って?」
「ああ,学習会のメンバー」
「・・・・お姉さんは,どうなの? ボクが出る方がいい?」
「そんなこと・・・・」
ミユキはボクの顔を見る。
「ジュンが自分で決めていいよ。出たくないなら,無理に出なくていい」
「ほんとう?」
「うん。もともと,ジュンはそんなの好きじゃないでしょう。いいのよ,無理しなくて」
「じゃあ,出ない・・・・でも,お姉さん,お友達から何か言われない?」
「余計な心配しなくていいの。同級生より弟の方が大事よ」
「ありがとう」
ミユキは優しい眼差しをボクに向ける。
「この世でたった一人の弟だもの」
「この世でたった一人のお姉さんだよ」
そう言って,ボクは思わず手をミユキに伸ばした。頬に触れはしなかったけど。
「ジュン,どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
2学期が終わり,短い冬休みも終わり,3学期。ミユキは調理師の専門学校に願書を出した。
「入学試験があるの?」
「そんなのはないよ。面接があるだけ」
「それはよかったね」
ミユキは笑っている。
「こら,あまりバカにするんじゃないよ。これでも,うちの学校では中の上くらいの成績だったんだからね。英語は苦手だったけど」
ボクも笑う。
「どこにあるの?」
「天神」
「じゃあ・・・・」
「市電で乗り換えなしで行ける。便利だよ」
「そうだね」
ここでちょっと会話が途絶えた。それから,ミユキがボクに尋ねる。
「ジュンは大学に進学するよね。志望校や学部は決めたの?」
「医学部を考えてるけど・・・・」
「医者になるの? まあ,ジュンは勉強が好きだから,できると思うけど,『白い巨塔』とか見ると,医者の世界もたいへんそうじゃない?」
「大学病院に残るつもりはないんだ。町医者みたいな仕事なら,いいんじゃない?」
「うん。その方がいい。ジュンは人を蹴落として偉くなろうなんてタイプじゃないからね」
ミユキはちょっと考えている。
「ひょっとして,お金のこと,生活のことを考えて医者になろうと思うの?」
「・・・・それは,あるよ。大事なことでしょう。お父さんの遺産はいつかはなくなってしまうんだし。・・・・でも,それだけじゃないよ。医学に興味があるんだ」
その言葉にウソはない。医学には歴史や化学と同じくらい興味はある。医学部に入学すれば誰よりまじめに医学を勉強する自信はある。でも,それだけじゃない。もっと不純な動機もある。医者になれば,女性ホルモン剤を手に入れやすいだろうという動機。こんなこと,ミユキにも誰にも言えないけど。
ミユキは,こんなボクの思いなど知るはずもなく,話を続ける。
「九大?」
「うーん・・・・ボクの成績では九大医学部は無理だと思う。山口大学の医学部なら可能性はあるんだ。ただ・・・・」
ここで,ボクは言いよどんだ。
「ただ,どうしたの?」
「山口大学なら,お姉さんと離ればなれになるよね」
ボクは悲しげな眼差しでミユキを見る。ミユキはその眼差しを受け止めてくれるけど,
「じゃあ,そのために医学部を諦めるの?」
と,問い返す。ボクは答えようがなくてうつむく。
2月,冷たい雨の降る寒い日,ママは暖めた部屋でボクを抱く。ほんのり汗がにじんでいる。事が終わってもボクを抱いたまま語りかける。
「一度,店に出てみたら?」
「えっ?」
「お客がみんな驚くよ。こんなかわいい,きれいな子。『ママよりずっときれい』とか『若いっていいわね』とか,口さがないこと言うでしょうね」
ママはボクを見ながら笑みを浮かべる。
「いつか着せてあげたあの黒のドレスを着るといい。・・・・いや,ドレス姿はあたし専用。お店ではふだん着でいいよ。素顔で,ふだんのジーンズにセーターでいい。それでもお客はみんな『かわいい』,『きれい』って言うよ」
それは,どんな世界なんだろう。ママの背後に見え隠れする夜の世界。ママのように美しい人が何人もいるのかな? お客はどんな人たちなんだろう? 覗いてみたいとは思う。でも・・・・
「でも,夜でしょう」
「夜にほっつき歩いてると親から怒られる?」
ママは笑う。
「かわいいね。そんなこと心配して。言い訳はいくらでもあるじゃない」
「どんな?」
「たとえば,友達のうちに泊めてもらうとか」
ボクは考え込む。そう言えば,ミユキはきっと信じてくれる。でも,ミユキにウソはつきたくない。隠し事しているのでさえ気がとがめるのに,ウソまでつきたくない。ボクは首を振る。
「だめ。ウソはつけない」
「うぶね」
ママは笑う。