熱が俺の身体を伝っていく。
狂おしいほどの熱が唯一触れた唇から身体全体へと広がっていく。
満たされるようなキスはまるで魔法のようだ。
甘い香り、柔らかな肢体、命を感じるアイリスとのキスは、城外で静かに振り続ける雪に奪われた体温を取り戻していく。彼女の体温がそのまま血肉になるかのような不思議な感覚。
幸せの味がした。
別に目の前の王女がキスが上手いという訳ではない。
ちゅ、ちゅっと粘膜接触を繰り返し、その度に唇の柔らかさと味を確かめるのだ。
――ただ触れるだけのキス。それだけが、どうしてこんなに愛おしいと感じるのだろう。
「……」
「……あは」
長い睫毛に縁取られた瞼が震える。
片手を俺の後頭部に、片手を俺の背中に回し押し倒した王女の姿。瞼を開け見せる碧眼は熱と共に感情で満たしている。目を細めジッと俺と視線を絡ませる姿が、その瞳が、可憐な花を連想させるアイリスも確かに一人の女なのだと否応なく意識させた。
時間にしてほんの数秒程度の事なのだろう。
ただ、俺にとっては数十分にも及んだ口腔行為にも思えた。
以前までの彼女はクレアの背後に隠れ、自分の言葉を口にする事を恥ずかしがっていた典型的な人見知りだった。それがこうしてハッキリと自分の意見を口にして、なおかつ自分から大胆な行為に及ぶ胆力まで発揮している。
気が付けば置いて行かれるのではと思う程の心身の成長速度には目を見張る。
「――――」
「――――」
彼女の不意打ちは成功した。
濃厚とも言えない、しかし衝撃的なキスを俺はアイリスとしてしまった。俺を押し倒した彼女がゆっくりと唇を離すと、徐々に消えていく行為の微熱。もしかしてこれは夢なのでは、と思う事を否定するように俺を見下ろす彼女はほんのりと頬を朱色に染めて、柔らかく微笑んでいた。
それだけで多くの男を虜に出来るだろう、女の微笑。
無垢さが薄れ、快楽を知った妖艶な笑みに思わず見惚れてしまった。
「――――」
悪戯に成功したかのような彼女の微笑を余所に、硬直した時が動き出す。
「……大丈夫ですか?」
何事も無かったかのような顔で身体を起こし、床に転がった俺を起こそうとするアイリス。
アイリスの突撃のお陰で部屋の扉付近まで吹き飛ばされた為に見えていなかった他の女連中。角度的に俺とアイリスが何をしていたのか、その顔色や反応で面白いほどに差が明白だった。
「…………」
「ぇ、……ぇ、今……ぁ?」
俺とアイリスに近い距離にいるクリスは真顔で、ダクネスはポカンと口を半分開けている。更にそこから少し離れた距離にいた可憐な王女の護衛、クレアは白目を剥き、レインは驚いた表情だ。
三者三様のリアクションを示す女たちの反応を背に、アイリスはにこやかな表情だ。
「ほら、カズマ様も。あんまり床に転がっていると踏みますよ?」
「それはそれで良きものなり……って」
「あああ、アイリス様!? い、今のは……っっ!!?」
背後の有象無象の反応など眼中にもないかのように、今までよりもどこか大人びた表情を浮かべるアイリスの姿は俺にしか見る事は叶わない。
何が起きたのか、現実が彼女たちに追いついたのか堰を切るように慌てるダクネス。抜刀したがそのまま気絶したクレアを介抱するレインを目端に捉えたアイリスは顔色を戻すと、ダクネスの追及に対しコテンと小首を傾げた。
「どうかしましたか、ララティーナ?」
自分が何か悪い事をしたか。
そんな表情を向けられたダクネスは瞬きを繰り返し、俺とアイリスを交互に見る。
「いや、その……ですね。あの……、今、そこのカズマと、何か……あれ?」
ダクネスの表情は分かりやすい。
驚愕、焦燥、驚愕、驚愕、不理解、拒絶。
およそ分かりやすい表情はスキルを使用しなくとも、ダクネスの衝撃の度合いがなんとなく分かる。大きな目を見開き、もしかして今のは白昼夢か何かかと、己が盾となり護るべき主君、何も変わらない様子のアイリスに恐る恐るといった様子で話しかけた。
どこか直情的な表現を避けるダクネス。
流石に目の前の出来事に対して、まさか、という思いがあったのだろうか。
その思いをアイリスは笑顔で肯定する。
「ああ。キス、ですか? しましたよ」
「……!!」
「というか、ララティーナもクリス様と見てましたよね? マジマジと」
「いえ、あの、見てはいたのですが……」
「ララティーナ」
王女と俺の接吻を間近で見届けたからか、しどろもどろなダクネス。
そんな王国の懐刀とも呼ばれる貴族の次期当主に対して、アイリスは酷く静かな声音で告げる。
「――私とカズマ様がキスをする事に何か問題でも?」
「あ、……あります! ええ、ありますとも!!」
「……ほう?」
ダクネスは引かない。常に受け身な彼女にしては珍しく食い下がる。
普段は喧しく、この状況において気絶するという逃避を犯したクレアとかいうクソレズに変わり、王女に物申すドMの変態。この部屋には俺とアイリスを除いて変態しかいないらしい。
「いえ、私は変態じゃ……」
「アイリス様。カズマを揶揄うにしてもお戯れが過ぎます」
レインの言葉を遮り、凛とした表情でダクネスはアイリスに口を開く。
王女という立場であるからか、基本的に世話係であるクレアやダクネスといった最上級の貴族しかアイリスを叱るという事は出来ない。キッと俺を睨むダクネスは視線をアイリスへと移す。
「……揶揄う?」
「ええ。キ、キ、……接吻といった行為はアイリス様が将来を誓った相手とする物であって、決して冗談で行って良い物ではありません! そこのカズマは女なら誰でも良い性獣ですよ! 女なら誰でも良いんです!! ですからここは私が人身御供となりましょう」
「おい、ふざけんな。誰が性獣だ。言っておくが俺にも選ぶ権利はあるからな」
ダクネスの中ではきっと俺がアイリスに何かを吹き込んだと思っているのだろう。あの純粋無垢な王女に対してセクハラ紛いの事を教え込み、先ほどの行為にまで発展させたのだろうと。
とはいえ、流石にパーティーメンバーとはいえ性獣扱いは腹も立つのは仕方がない。
「お前こそ冗談を言っている場合か。王族だぞ。冗談で済まない事だって多くある。常日頃から舐めた態度と口調を誰に対しても変えないのは時には重罪と知れ! こんな事を他の人間に見られて見ろ。私だったから良かった物を、場合によっては去勢された後に処刑されて――」
「――冗談では、ありません」
赫怒に顔を赤くして、それでも僅かに心配の声色を見せたダクネス。
そんな彼女に声を掛けるアイリスは、俺の肩に触れるかどうかといった距離でダクネスを見返す。小さく呟いた言葉は水面に滴を落としたように不思議と周囲の者の耳へと届いた。
それでもダクネスはどこか信じられないような表情でアイリスを見つめる。
「今、なんと……」
「ララティーナ。貴方が私を心配してくれている事は分かりました」
「……ええ、アイリス様もそろそろ成人されるのですから、お戯れも程々に――」
「私は本気なのです。遊びでも冗談でもありません。……それに私が自分の婚約者とキスをする事の何が問題なのですか?」
「………。……。……ぇ?」
ダクネスの目が点になる。
何を言っているのか分からない。そんな顔だ。
当然、俺も何を言っているのか分からない。初耳なのだが。
「こ、婚約者……? お兄様ではなくて、ですか? というよりもその呼び方は……?」
「何を言っているのですか? カズマ様はもう義兄ではありません。それよりも……ララティーナ。魔王を討伐した者に与えられる褒美が何か分かりますか?」
「……!」
「カズマ様は褒美を求め、私は了承しました」
「――――」
ダクネスが無言のまま俺に顔を向ける。
古来、ベルゼルグ王国では魔王を討伐した勇者には、褒美として王女を妻とする権利が与えられると、以前アイリスが告げていた事を俺は思い出す。異世界から来訪した俺はそんなものがあるとつい最近まで知らなかった。
俺とは違い、貴族であるダクネスがソレを知らない筈が無いのだ。
「カ、カズマ……」
「お、おう。なんだ」
先ほどまでの騎士のような勇ましさを見せていたダクネスは急に不安気な顔を見せる。衝撃的な現場に居合わせた事による混乱が抜けて、残った驚愕と不安がダクネスの瞳を揺らす。
「本当か」
「……」
「本当に、本当に、お前はアイリス様と婚約を……?」
王族の言葉に疑いを持っているかのような彼女の発言、それを咎める者はいない。それだけの内容なのだと他の者たちも思っていたのか、複数の視線が俺に集中する。
どんな言葉を返すのか、嘘も冗談も許さないと言わんばかりの視線に俺は頷き返す。
流石に婚約するとまで宣言した覚えは無いが。
それでも、アイリスと結婚するかしないかという問いがあるなら、断る事は無いだろう。
「まあ、そうだな」
「……!」
絶望的な表情のダクネスとどこか嬉し気な表情を見せるアイリス。
異なった反応を見せる彼女たちの姿を見やりながら、俺は肺に大きく空気を送り込む。
「ダクネス。聞いてくれ。……他の皆も」
「…………」
難しい事は抜きにして、俺の中では大体そんな感じ。
結婚は人生の墓場だとか、そんな噂も小耳に挟みはするが実際にしてみなければ分からない。
「俺は……」
アイリスの事が好きなのだ、と思う。
優しく、可愛く、強く、俺の外見や性格を含んだあらゆる要素を受け入れて、その上で好きだと言ってくれた愛らしい王女様。そんなアイリスに手を出した責任を取らなければならない。
別に処女を奪ったからとか、性行為に及んだからという責任感だけでは無いつもりだ。
何となく目を向けるとアイリスと目が合う。
この目だ。どこまでも透き通った、人を見透かすような大空の瞳。
初めて会った時の西洋人形を思わせる無機質さは消え失せ、青いガラスに熱を灯したように強靭な意志を宿した眼差しにきっと俺は惹かれたのだ。
彼女と視線を交わして、似合わぬ感傷に頬を緩めると自然と口から言葉が生まれる。
それなりに大きな声だった。
「俺、……アイリスと結婚します」
クレアに、レインに、クリスに、そしてダクネスを前にして、俺は告げる。
まるで両親に挨拶をするかのような気分で、此方を見やる視線に身体を震わせながら、そうして周囲の反応が生まれる前に、小さくも柔らかい少女の手が俺の手を握り締めた事に気づく。
「…………」
アイリスは無言で、しかし恋する乙女のように唇を緩め、薄く微笑んだ。
+
「そういえば……。き、キスなら私もカズマとした事があるんだが!」
「……ふっ」
男子、三日会わざれば刮目して見よという慣用句があるが、それは女子も同じなのか。
俺の言葉に混乱して後で絶対に悶えそうな言葉を周囲に告げるダクネスと、そんな彼女を見苦しいと言わんばかりに小さく笑った王女。
「キス程度でそんなにみっともなく騒がないで、ララティーナ。それに、その夜の話なら以前にカズマ様にお聞きしましたよ」
「はっ!? 私は何を……あ、アイリス様が何か、を」
「あっ、クレア。昨日も言った通り……。私、結婚します!」
「…………」
「クレア様がまた気絶しました!!?」
思った以上に騒然と化した王女の自室。
女が三人集まれば騒がしいと聞くが、まるで蜂の巣を突いたかのような現状に俺は手持無沙汰であった。出来ることと言えば部屋の隅で空気を吸う事だけだろう。
「おい、何を素知らぬ顔をしている! 原因はお前だからな。アイリス様に手を出すとはシンフォニア卿ではないが、今ここでお前のアレを叩き斬っても良いんだぞ!!」
「駄目です。駄目なのです! そんな狼藉、私が許しません!」
「そうだぞ! お前の腕じゃ止まってても当たらないだろうが!! おい、ダクネス。アレって何だ。言ってみろよ! 大きな声でなぁ!!」
「お兄様は黙ってて下さい」
「貴様……! 私の剣の腕を愚弄しおって……! ぶっ殺してやる!」
そうして手持無沙汰になった俺を救ったのは、そんな状況に割り込んだ銀髪少女だった。まあまあ、とその場を取り持った中身女神の少女が絶妙なフォローを入れる事でその場の空気を換えた。
「今日一日は自由になった事だし……取り敢えず荷物ぐらいはどこかに置いてきたいね」
いつの間にか気遣いの出来る女に進化したのか、ヤンチャだった彼女もまた、ヤれば出来る女だったのだろうか。どこか余裕の表情を浮かべたクリス。
アイリスもまた彼女の話に合わせる事を考えたのかコクリと頷く。
「カズマ様の手、凄く冷たいです……。お風呂に入って来ては如何ですか?」
「一緒に入る? 王女様の柔肌を洗わせて頂きますぜ?」
「……させると思うか?」
「しっかり温まって下さいね」
「カズマ君だけ入ってきなよ。私たちは別に入るから」
女たちの対応は素っ気ない。俺は一人寂しく城内の浴室に脚を踏み入れていた。
居候として城に住んでいた時に毎日使用していた馴染み深い浴室は首都の城だけはあるのか、最新の設備が備え付けられている。
残念ながら男女別に分けられており、混浴になる事も覗ける穴も無い事は知っていた。
「あ~~」
日本人の意見も多く採用されているのか、高級感のある檜と滑らかなタイルが採用されている。鼻腔を擽る自然の香りと、湯船にライオンのような顔をした石像の口からトクトクと注がれる熱い湯の音に耳を傾けながら俺を溜息を吐く。
人はおらず、貸切を楽しみながら俺は独り言を呟く。
「なんかギスついているな……」
当然なのかもしれない。アイリスは俺の義妹ながらも婚約者。いつの間にそんな事になっていたのかはともかく、少なくともダクネスには知らされてはいなかったらしい。
慌てふためいた彼女の姿には不謹慎ながらも少し頬が緩むのを感じる。
ラノベでたまに見た、一人の男を取り合う女たちという構図。
それは以前から実際に起こると嬉しいな、と感じる男のロマンである。
流石にガチの殴り合いなどされるとドン引き不可避だろうが、俺が見ている限りではそんな事は特にない。見ていてニヤニヤ出来る程度になら今後も是非とも争って欲しい。エッチでヌルヌルな感じのキャットファイトならばもっと良しだ。
――そういう展開は妄想か夢ぐらいでしか見た事がないのだが。
「争え……、もっと争え……。うん?」
引き戸を開けて浴室へと入ってくる人物。
混浴風呂ではない為女性が入ってくる事の確率は低いが決してゼロではない筈だ。唯一の取り柄である幸運のステータスは自他共に認める高さなのだ。何かがあってダクネスやクレアが入ってくる可能性もあるかもしれない。次点で良識のあるクリスかアイリス。
故に、もしかしたらという可能性に惹かれ、俺は浴室に入ってきた人物に目を向けた。
「ん? そこにいるのは……?」
イケメンだった。茶髪の正義感が強そうながらも美麗さが伴う顔立ち。
同年代の普段から美少女二人を連れ回し、ラノベの主人公でもしてそうな男の手には愛剣は無く、衣服も装備もない純粋に戦闘を繰り返し鍛えられたのであろう裸体を晒している。
当たり前だが全裸だった。
タオルは持っているがフルチンだった。目があった。
「やあ、佐藤和真じゃないか。君もアイリス様に招待されていたんだね」
「おい、ふざけんなよ。誰もお前のポロリなんて興味ねえんだよ!」
「風呂場なんだから仕方ないだろ!」
フルチンの男の名はミツルギキョウヤ。あらゆる物を切断する事を可能とする神器『魔剣グラム』を水の女神アクアに授けられ、チート能力が付与された武器の恩恵で大した苦労もなく温く甘い人生を送ってきた男である。
新聞や噂で魔王討伐後も色々と活躍は耳にしており、実に主人公気質の男だ。
「主人公属性はアッチにいけよ」
「主人公? ボクは一度もそんな事思った事はないよ」
「うぜー……」
実に有り得ない話だが、仮に俺とミツルギが表紙を飾る事になったら間違いなくミツルギを前面に出し、俺は従者か小間使い扱いの道化枠になるのだろう。そして何も見知らぬ者が見たら、間違いなくこのフルチンマンが主人公なのだと勘違いされかねない。
つまるところ、同じ空間にいると俺というキャラが食われる危険性が高いのである。
それが愚直に王道を貫く魔剣使いと姑息な手を使う貧弱冒険者の差なのだ。
「今、俺の貸切なんでどっか行ってくれるか。ソチルギ」
「ちょっと待て。今ボクを何て呼んだ!? 大体ここは城の物なんだから君のではないだろう。あと、ボクのは小さくない」
生真面目な男はそのまま身体を洗い、そしてそのまま湯船に浸かる。
こうなると先に湯船を上がると負けた気になるのは何故なのだろうか。
「いや、ぱっと見お前のグラムと俺のちゅんちゅん丸だと俺の方が良いぞ。テクニック込みで悦んでくれたのは実証済みだ」
「いい加減そっちの話から離れたらどうだい!? それに大きさだけが全てじゃないと思うよ。大切なのはその女性を理解して喜んでくれるかどうかだ」
「……。いや、ほら、修学旅行とかでさ。男同士で風呂に入ると大体こういう話題しか出ないだろ。なんかはっちゃけるというか、この解放感が人を狂わせるというか……。あとさ」
「なんだい」
「話変わるけど、仮に好きな夢を見られるとしたら強姦と和姦、寝取られ。どれが良い?」
「……もしかして君は、アクア様にもそんな話をしているんじゃないか! だとしたら流石にボクは君を許さないぞ!!」
「おい、目の前で立つなって。大体俺だってセクハラの相手くらいは選んでるっての」
「ならば……。いや、良くはないが」
そういえば目の前の男は、水の女神に恋慕していたな、と思い出す。
渋々と湯船に浸かりなおすイケメンに、俺は小さな優越感を口に浮かべてしまった。
「なんだい、その笑みは。気持ち悪いよ。巷では君がホモの疑惑があるが本当なのかい?」
「ちょっと待て! 誰だ、そんな根も葉もない事言った奴は! ぶっ殺してやる!!」
「……それはともかく、結局何だったんだい?」
「いや、軽い雑談だ。ただ、これだけ言わせてくれ。……お前、素質あるよ」
「何の!?」
いつか、敬愛する女神がただの女だったと知ったら、この男はどんな顔をするのだろうか。
水の女神が思ったよりも可愛い反応を見せたり色々と柔らかいという事を目の前の男は知らない。それが、それだけの事が何故か無性に頬を緩ませる。
この世界で唯一、慈悲深い女神アクアの味を佐藤和真だけが知っているのだ。
「ところでマツルギさ、新聞でゴールデングリフォンを倒したって見たんだが」
「ミツルギね。……あれはかなりの激闘でね。村を一つ駄目にしたグリフォンが強くて――」
「へー」
「いや、振ってきたの君なんだが!?」
適当に話を振ると喋りたかったのか、聞いてない事まで語りだす美麗な男。
本来ならば即チェンジするところだが、なんとなくもう少し湯船に浸かりたい為、適当に相打ちを打ちながら話を耳から素通りさせる。
「あの二人、名前忘れた……。取り巻きと三人で倒したのか?」
「取り巻きじゃない! ……二人とは魔王討伐後にパーティーを解散したよ」
「……ほーん。えっ、孕ませたから捨てたとかじゃなくて?」
「そんな訳ないだろ。君みたいに貴族の子に手を出して捨てるほど腐ってはいない」
「まだ手なんか出してないからな! 風評被害だからマジでやめろよ。そこまで腐ってないからな!」
貴族には手を出していない。貴族には。
「貴族には手を出していない? 妙だな……。なら、あの紅魔族の子かい? 戦闘スタイルから性根までひねくれた君なんだ。相手から好きになってくれているのを良いことに、浮気に走った挙句、『愛している』の一言も口にしないと後々不和の原因になるよ」
「……大きなお世話だっつの。それにめぐみんとはそういう関係じゃない」
他人に口出しする余裕があるのだろうか。
もしくは股間の剣も既に使いこなしているという事からの経験則なのか。
「というか、君はどうなんだい。魔王討伐してからはあんまり活躍を聞かないが」
「まあ、俺は商人としての準備をしてたからな……力を貯めてたんだ」
この魔剣使いと顔を合わせるのも魔王討伐後では殆ど無かったのでは無いだろうか。
そもそもこんな風に和気あいあいと話をするほど仲が良い訳ではなく、寧ろ女に囲まれているリア充死すべしと敵視しているのだが、不思議なことに風呂の解放感か、童貞という枷が外れたからか、特に腹立たしく思うといった事はあまり無い。わりと余裕だ。
童貞の枷が外れ、自らもまたリア充に進化した影響なのだろうか。
「ふっ……。アイリスには感謝だな……」
「……? ああ、確かにね。舞踏会に招いて頂けるなんて光栄な事だ。君にもそんな殊勝な事を考える事が出来たんだね」
「……俺も大概だけどお前も結構アレな事を言うよな」
「そこはお互い様だね」
以前よりも柔軟さを得たのか、微笑を浮かべる男は悔しい程に絵になる。
初めて出会った頃の傲慢さが減り、見た目と噛み合った余裕と優しさを感じさせる。
「――――」
だから嫌なのだ。
この男と共にいると自分がどれだけ至らない存在なのかを知らされてしまう。持っている者と持たざる者という事ではない。性格や武器、真っ直ぐな性根と真正面からの戦闘を可能とする高ステータスは決して俺には真似出来ない。劣等感で死にそうだ。
羨んでも手に入らないので、考えるだけ無駄という事なのだろうが。
だから、ミツルギの事は羨ましいと思うし憎たらしくも思う。
結論として――。
「俺、やっぱりお前嫌いだわー」
そう告げると何が可笑しいのか、ミツルギは膝を叩いて苦笑した。
+
先に風呂を上がり、浴室から城の廊下を進む。
窓の外から見える景色は変わらず雪化粧が窓の縁を彩っている。
身体もサッパリした。風呂に入ったからか、思考がふんわりとしている。
思考が緩慢として後は飯を食って眠ろうモードに突入したいらしい。全面的に同意だった。
本来の目的である舞踏会も明日になり、クリスと共に神器を盗もうにも、そもそも犯人が来ていない。計画に関しても珍しくクリスがダクネスやクレアといった貴族と共に主犯格を捕らえる為に修正が入る。
なので、俺に出来る事は食って寝る。そしてたまにアイリスと遊ぶ。これだけだ。
「……ん?」
夕食の時間になればメイドか、執事であるハイデルが起こしてくれる。
それは過去の経験で理解している為、湯冷めをする前にと自室に脚を進めていると、廊下を歩き此方に近づいてくるアイリスを目に留めた。
「お兄様」
「アイリスか。どうした? 俺はこれから寝る予定なんだが」
「お兄様」
「さては厨房に摘み食いだな? 悪い奴めー。バレないようにするんだぞ?」
「お兄様」
「どうした?」
「……お兄様は行かないのですか?」
「俺は眠いから。良かったら適当に何か取ってきてくれよ。まあ盗めたらだが」
「そこは一緒に行くと言うべきですよ? お兄様は乙女心というのをもっと勉強するべきです!」
「お断りします。睡眠欲には勝てません」
乙女は厨房から食事を摘まみ食いするのだろうか。この異世界ならそうなのだろう。
ふと、アイリスが腰に下げている物を見て、思わず俺は眉をひそめる。
「アイリス。これから訓練とかするのか?」
「いいえ?」
アイリスが腰に下げている物、それは彼女が口にしていた『なんとかカリバー』である。いつだったか、黄金竜を撃退した事もある王族の血が流れる者にしか扱えない強力な剣。
窓に目を向けると相も変わらず雪が降り続いている。雪上訓練をこれからするとも思えない。
――ならば、なぜアイリスは聖剣を持っているのだろう。
「お兄様」
「なんだよ。というか風呂上りだから眠いんだが」
「それ以上はぐらかすと永遠に寝かしますよ」
「何それ、怖い」
ふと何故だろうか、既視感を覚える。
最近似たような展開に、俺は遭遇しなかっただろうか。
「カズマ様。聞きたい事は一つだけです」
「……どうぞ」
「クリス様とアクア様に手を出したらしいですが――」
俺は逃げた。