――脳裏を過るのはただ一つ、死への恐怖だけだった。
「ふわぁああ!!?」
無様でみっともない悲鳴が口端から零れる。
情けない。王女を前にしているというのに、可憐な姫を前にして言葉よりも悲鳴が出るなんて。背後から聞こえる王女の声に俺は振り向く事なく腕だけを背後へと向ける。
あの夜ふらりと出てきた銀髪の少女と遭遇した状況と似ていた。酷似していた。
痛みなど、傷など既に過去に置き去りにしてきたというのに、ナイフが刺さった腕の幻痛が俺の身体に火を灯す。
生存本能と呼ばれるモノが身体を動かし、目の前の凶器を持った猛獣を背に絶叫させる。
「『フラッシュ』!!」
「!?」
走って逃げる事は考えられなかった。
昼間である為に、想定していた物よりも効果は見込めない。
何よりも背後にいる王女に対して、距離など意味がないのは分かっていた。
背後にいる女は間違いなく圧倒的なステータスを誇る。
血には伝説と称される歴代勇者たちの血を受け継ぎ、己の腕など容易くへし折るだろう華奢な腕で振るわれる剣技は少し離れた程度では掠めただけで即死だろう。
剣も魔法も一流の彼女は言ってしまえばめぐみんとダクネスの上位互換だ。
同じ空間にいれば間違いなく消し炭になるという確信があった。
「おらぁ!!」
だから、俺が行ったのは閃光魔法で目くらましをすると同時に近くの窓から外への脱出だ。豪雪、吹き荒れる雪が俺の頬を叩くのを無視しながら軽やかに下の階の窓へと飛び移る。
我ながら思った以上に恐怖に怯えた身体はよく動いた。
窓を蹴り飛ばし、修繕費も部屋先の事も考えずに室内に転がる。
「いたた……。た、助かったか?」
猛獣からの脱出は最低限、数分程度は稼げただろうか。
銀髪の盗賊娘との交戦経験が無ければ即死は免れなかっただろう。
「いや、感謝はしないけどな……見ろよ、手が震えてるよ。今度会ったらお仕置きしてやる」
「ちなみにどんなお仕置きなんだ?」
「エロい感じだな」
「ほう、くわしく」
間違いなくあの経験は俺の血肉となりつつもトラウマとなっていたのだ。
恐らくアイリスに話したのだろう、諸悪の元凶に苛立ちを覚えながらも、しかし周囲への油断は無い。クリスへの報復はさておき、アイリスの熱が冷め、冷静に話が出来るまでは距離を取らなければならなかった。
風呂上りで武装などしておらずポケットを叩いても財布も何も無い。纏った衣服とタオルだけと中々に酷い装備、外に出れば凍死からのエリスとの対面は避けられない。
「落ち着け、俺。クールになれ佐藤和真」
俺は多少頭の回る男。
ほとぼりが冷めるまでアイリスに見つからないようにしたい。
――果たして本当に時間経過でなんとかなるのかどうかはともかく。
「土下座でなんとか……無理かなぁ」
謝罪一辺倒でなんとかなるのだろうか。
そのまま後頭部に宝剣が刺さらないという保証はない。
何よりも許して貰える事を前提とした謝罪など不誠実にも程があるだろう。
「浮気した時点でアウトなんだけどな……」
恐怖など、あの華憐で無垢なアイリスに対して抱く感情ではない。単純に他の女に手を出したという罪悪感と手を出した事実をアイリスに悟られたという可能性を理解し、心臓の鼓動が高鳴っているだけだろう。
そもそも浮気、と口にするのは良いが俺とアイリスは恋人同士なのだろうか。
「流石にそれは……婚約者って言ってたし」
今更ながら見苦しい事を言っているのは分かる。
友人に対して、『私たち友達よね?』と聞くのと同じくらいに情けない。それでもテレパシー能力など無いのだ。分かってくれると思って口にしないのは傲慢という物ではないのだろうか。
「いや、それよりも……」
息を整えながら周囲を見渡す。
王城の上階から上階、殆どの部屋は大貴族や食客など国にとって重要な人物が多くいるとされているフロアの一室。高級感のある家具や寝台など他の部屋と共通の物がある中で、絨毯と一緒に身体を広げている少女。
蹴り壊した窓から吹き込む風よりも冷たい目で俺を見上げる金髪の令嬢。
「なんだ、ダクネスか」
「おい」
「いや、助かったよ。他の貴族なら取り敢えずスリープを掛けるところだったよ……」
「スリープを使った後にお前は一体何を……。はっ!? 寝ている乙女の柔肌を好きに蹂躙する! 肢体を舐め回し、下卑た笑みでワインを垂らしながら女体を貪る気か!! んッ……、こ、この変態が!! 恥を知れ!!!」
「お前は今日も通常運転だな。というかそんな事しないからな、まだ」
実際にこうして我に返るとそれなりに危ない事をしたな、と反省する。
割れた窓の破片で傷がついたら色々と面倒な問題になっただろう。普通なら傷だらけだ。
「というか、カズマ。重いんだが……どいてくれるか」
「お、おう……その、怪我とかは無いよな。ヒールする?」
「ん。私が硬いのは知ってるだろ?」
「そうだな、悪かった。今、退くから……」
現在ダクネスは窓からダイレクトに入り込んで来た俺に押し倒された状態だ。
仰向けとなっている彼女は解れた三つ編みを絨毯の上に広げ、随分と透けた下着を、下着だけを身に着けていた。透き通るような肌に男の欲望を凝縮させたようなネグリジェは、俺が上体を起こした途端に全貌が露わになる。
「おい、ダクネス。なんだこれは……」
「これは、その……。着替えの途中でお前が窓から入ってきたから……。あ、あんまり見るな……!」
「着替えって事は最初からずっと着てたのか。エロネス。お前はやっぱり痴女だな」
「ち、痴女って言うな! ……言うなあ!!」
かあああっと顔を赤らめる金髪の令嬢。
露出した肌は冬の寒さをモノともせずほんのりと朱色に染まるのが見て取れた。何よりも殆ど下着の役目を果たしていないソレは彼女のボディラインどころか、しなやかな肢体を浮かび上がらせる。豊満な双丘はアクアよりも大きく俺の眼前でふるりと震える。
背後からの冷気もあるのか、透けた生地越しに僅かに硬直した乳頭が俺の目を惹く。
「こんなの着ている奴がエロくない訳ないだろ。大体前に自分の事をエロいと宣言してただろ」
「あああ、アレは……、その場の勢いというか……。こ、これはそういうのじゃ」
「ダクネス」
「それに、カズマもアレが当たってるような気がするんだが。まあ、その、お前には色々と借りもあるし……アイリス様との事もあるがそれはそれで……。寝取られというか、いや、まあお前から押し倒して貰う分には構わないと言うべきか。というかカズマがヘタレないんだが……!」
「ダクネス」
ゴクリ、と喉を鳴らしたのは果たしてどちらか。
生命の危機に晒され子種を残そうと身体が張り切っているのだろう。即座に陰嚢に精子が溜まるようないやらしい身体、見た目だけは間違いなく好みな女の半裸姿を前に俺は静かに目を細める。
ふと思った。
――もしかしてこれは合意ではないのだろうか?
「ふむ。……ダクネス。お前、興奮しているのか……?」
「えっ、えっと……だな」
「どうなんだ? おっ? なんだこのおっぱいは」
「ひゃ! あああ、あのカズマ。胸、胸が……」
「うん? 胸? ああ……揉んでる」
「んぅ……!」
むにゅりと潰れる双丘を掌で撫でる俺にダクネスは乙女のような反応を示す。
そんな初々しさのあるダクネスを見下ろし、経験のある俺は静かに笑みを浮かべた。
「ダクネス。優しくして欲しいのと、滅茶苦茶にして欲しいの。どっちだ?」
「ぇ……」
「どっちだ?」
「……、……め、……優しくしてください」
普段から夜な夜な妄想に耽るドMな令嬢も初めては優しい方が良いらしい。
何やら覚悟を決めたらしいダクネスは観念したように長い睫毛に縁取られた瞼を下し、唇を窄める。ダクネスというお手軽でチョロい女だったが、意外と押せばこのままイクところまでイクのは間違いないだろう。
「……しょうがねぇなぁ」
取り敢えずダクネスにお仕置きをしよう。何の罰かは知らないが。
多少の冷風など気にならず、寧ろ己の身体を好きにしろと言外に言われた俺は彼女の言う下卑た目で見下ろしていることだろう。このまま状況に流されてしまおう。
アイリスの事なんて忘れて、しっぽりとダクネスと性行為に耽る。良いじゃないか。
…………。
「ひぅ! ……カ、カズマ?」
マシュマロのような柔らかさの双丘を撫でながら、そっと手は腹部へ。
それだけで発情した雌のようにトロンとした表情を浮かべるダクネスに俺は微笑む。
「なあ、ダクネス」
「な、なんだ?」
「――前より腹筋割れてね?」
+
「どこだ、カズマ! 出てこい! カズマァぁああああ!!」
「ダスティネス卿!? 一体どうされたのですか!」
「カズマ様ー! どこですか!」
城内、その上階が騒がしいが関与する事はない。
どこかそそっかしい令嬢や王女の乱心を抑える兵士たちの声を聴きながら俺は一人静かに吐息した。灯台下暗し、意外にもアイリスの部屋、その寝台の下にまで移動し隠れ潜む事に成功した俺は夕食の時間までここにいる事にした。
良い感じの雰囲気を破壊され、マジ切れのダクネスもアイリスも時間が解決してくれるだろう。
たぶん。きっと。そうであれ。
「もしもの時はエリス様。よろしくお願いします」
困った時の神頼み。多分本人は風呂だろうか。
それにしても死んでエリスを悲しませるのは申し訳ない。
まさか死んで喜んでくれる訳がないだろうし。アイリスやダクネスと懇意にしている以上、死体をボコボコにされた挙句、ほとぼりが冷めた頃にアクアが呼ばれ笑われながら蘇生される事になるのだろうか、とエリスとの会話ネタを考えながら手にした物に目を向ける。
「ベッドの下にエロ本を隠すってのは使い古した常套手段だと思ってたが……」
王女も隠し事があったらしい。
冗談と思ったが、本当に隠していた。
手にした物は雑誌だ。薄い本。日本の同人誌だ。
「ふむ……」
他人の性癖を知るのは良い事だ。決して好奇心ではない。
何よりもアイリスは俺にとって他人ではない。婚約者なのだ。恐らく宝物庫から拾ってきたのだろう、日本の技術が注がれた同人誌の精巧な表紙はそれだけで興奮しそうだ。
ならば将来の夫として見るのは仕方がないのではないか。
あの無垢そうな顔をしたアイリスがこの同人誌で夜な夜な自慰に耽ったオカズ。
知識欲に目を見開きながら、ゴクリと喉が鳴った。
どこか懐かしい物に郷土愛を覚えながら、ベッドの下で薄い本の表紙を開き内容に目を向ける。
「……大学生のよくある話か。リア充とか死ねよ」
創作物。絵の上手い人物が描いたのだろう。
無言でページを捲り、股間を膨らませながらページの隅々まで目を向ける。
内容は飲み会で酔った主人公に後輩の女がエロい事をするという物だ。ただ、この主人公には高校時代からの彼女がおり、後輩の女もそれを理解しているにも関わらずアパートに連れ帰り不貞行為に及んでしまう。
酒に酔う主人公に彼女と間違えられる後輩の女はソレを正さず、薄暗い部屋で行為に耽る。
避妊具の数が減り不審がる彼女、毒が広がるように少しずつバレていく。
そうして本当にバレた夜、眠った主人公に手を出す後輩だったが、目覚めた主人公に気づかれて、しかしそのまま身体を重ねてしまい――。
「いや、寝取り物かよ!」
絵の上手さ、演出など、俺が見てきた中でも中々に興奮出来る物だった。これで女の方が寝取られるという物だったら燃やしていたが、これはこれで良い物だと思った。
薄い本だがボリュームも厚く、かなり興奮出来る良質な同人誌であった。エロい。
「アイリスはどこで興奮したんだろうな」
「どこだと思いますか?」
「純粋にエロい事をしている部分だけで興奮したんじゃないかな……、……!」
寝台の下を覗く存在。
金髪を床に広げるているのに関わらず、どこか淀んだ碧眼はジッと俺を捉えている。
絶対に逃がさないと見開いた瞳孔、赤らんだ頬は今は間違いなく嚇怒による物だろう。
「なあ、アイリス。この国の連中はやっぱり性癖がおかしいのか?」
「――流石にコレは許しませんよ、カズマ様」
+
逃走スキルを使用しても王女が平然と追随してくる件について。
「来るな! 来るなぁああ!!」
話し合いの余地なし、逃げるが勝ち。
そんな思いに駆られて城内を駆け巡るも、剣を振り回し追いかけてくる金髪の王女。
アハハ、ウフフ、と楽しく走っているように周囲には見えるのだろうか。
浮気がバレて追い回され、リア充乙! なんて舐めた発言をするものなら俺は遠慮なくドロップキックを繰り広げるだろう。実際のソレは甘ったるい物ではなく、俺の背中に鳥肌が立つほどの恐怖感が身体を突き動かす。
――自業自得とも言うが。
奇しくも、いつだったかアイリスと鬼ごっこをするという約束をしたが果たされる時が来たらしい。ただ鬼ごっこというか背後に感じられる存在感は正しく鬼と呼ぶべき者だろう。
チラリ、と背後に目を向けると鞘から刀身を抜いてはいないがそのまま殴るつもりなのか。ドレス姿だろうと関係ないとばかりに突撃する姿は追われる側でなければ頼もしいとすら感じる。
「待って! 待ちなさい! カズマ様!」
「いやあああああ!! アイリスに剥かれる! 凄い事される!」
とはいえ、相手が誰だろうと止まる訳がない。
根は純粋な彼女の事だ。冷静になりこの場を離脱する事は不可能ではない、筈だ。
「あああ、アイリス。話があるからちょっと止まってくれないか!」
「嫌です! そんな事をしたらお兄様に逃げられます! 絶対に!」
「そんな訳ないだろ!」
不毛な議論に解決案は見いだせない。
とはいえ意図せず始まった鬼ごっこの舞台は王城、決して可憐なお姫様と二人っきりという訳ではない。当然曲がり角を曲がると巡回する兵士やメイド、執事と少なくはない人も当然いる。
それを利用し、感知系のスキルを使用する事で有利な状況を生む事が出来る。
即ち――、
「わっ!?」
「あっ、ひ、姫様!?」
「ご、ごめんなさい!」
アイリスは俺と違い感知スキルは持っていない。
当然、多少なり頭に血が上っているという事もあり、兵士にぶつかる直前で持ち前のステータスに頼り掠る程度の接触で収まる。訝し気な目で見る兵士の視線に首を竦めながら顔を赤く染めたアイリスは俺を睨みつける。
間違いなく羞恥というよりも嚇怒のソレは火に油を注いだ結果なのだろうか。
――なら、これ以上何をしても結果は同じという事だろう。
「『クリエイトウォーター』……『フリーズ』」
ほんの少しでも意識を逸らせばという思いで潜伏スキルと隠蔽スキルを常時行使しながら、俺は次に廊下の角を曲がり階段を駆け上がると、同時に初級魔法で水を排出、階段を凍らせる事で簡易的な罠を設置する。
不敬罪どころでは済まされない何かをしていると思ったが、咄嗟の閃きが俺の身体を動かした。
これで更に数秒、もしくは転んでくれないか。
多少の罪悪感と痛んだ良心を抱えながら俺は、確かな実績を持つ罠の結果の為に背後に目を向ける。以前似たような罠で見事にアクアとダクネスを見事に引っ掛けた事がある罠。
だが、そんな罠を予想していたのかアイリスは突拍子も無い方法で脱出を図る。
「はあああ……!!」
裂帛の気合と共にアイリスは階段ではなく壁を踏む。
彼女にとって壁とは眺める物でも手を触れる物でもなく、足場の一つらしい。
そうしてなんなく突破。
ドン引きする俺を余所に、彼女は一息に距離を詰める。
「お兄様! 逃げないで下さい。ちょっと痛いだけですから!」
「嘘だ!!」
怒らないから話してごらんという先生は大抵怒り、裏切られた生徒たちの心に傷を作るのだ。
一瞬なぜか日本での出来事が頭を過りながら脚を動かすも、しかし捕まるのは時間の問題だった。鬼気迫る様子のアイリスとの距離は既に二メートルより狭まり、既に間合いの範疇だというのに斬らないのは余裕の表れだろうか。
「大体、なんで剣なんか持ってるんだよ!」
「これは……王女の嗜みです」
ロイヤルジョークに苦笑すら生まれる余地はない。
いずれにしても、万事休すかという状況に咄嗟にエリスと顔を合わせた時に何を話そうかと現実逃避をするも、幸運の女神は俺を見捨てなかったらしい。
再度曲がり角で見えた白いスーツ、その背後に俺は飛びついた。
「騎士ガード!!」
「きゃ!」
「おぶぅ!!?」
偶然居合わせたクレア、彼女の背後に回る俺は肉盾で王女の進撃を止める。
正面衝突する形となった王女と大貴族、咄嗟の展開にも関わらず身を挺して王女のタックルを受け止める彼女はどこか恍惚とした表情を浮かべているようにも見えた。
「ぐ、ぐふぅ……。あ、アイリス様! 何をされているのですか!」
吐瀉物を吐き散らす一歩手前程度の顔色になったクレアだが、図らずも己の腕の中に入ってきた王女を放そうとはせず、喜々として王女の乱心に非難の声を上げる。
護衛兼教育係を兼任している大貴族の一人は乱心を起こした王女を叱るのは当然だった。
「は、放して、クレア! これはちょっとした遊びで……」
「先ほどから城の兵士たちからアイリス様とダスティネス卿が駆け回っていると聞いて何事かと思いましたが……。良いですか、アイリス様。今、城内にはメイドや兵士だけではなく、本日の時点でも来賓の方がそれなりに来城されているのです。そんな状況下で一国の姫が剣を片手に走り回るとは何事ですか!!」
「それは……。その、えっと……」
基本的に甘い事はあれども、甘やかす事まではしないクレア。
背後に隠れた俺にゴミを見るような眼差しを向けながらも正面、抱きしめた金髪碧眼の美少女に頬を緩ませながらも、しっかりと叱る。
アイリスの言葉もあり、彼女の脳内では俺たちが楽しく鬼ごっこをしていた事になる。
「まあ、そうガミガミ言うなよ。アイリスも子供なんだから遊び足りないんだろうし。それに外は猛吹雪。一人で外に行って遭難するよりは健全だろ?」
「そういう問題ではない。アイリス様には常に他者に見られている事を意識して行動して頂かねば。……カズマ殿も変な事ばかり教えて私のアイリス様をこれ以上変にしないで頂きたい」
「減るものじゃないし別に良いだろ。……ていうか今、私のって言った?」
「言ってません」
「ぅ~~。クレア、そこどいて。私はカズマ様を捕まえたいのです!」
「だ、ダメです。あ、アイリス様。そんな強く抱きしめてもおおお!!!」
盾は前に出す物だ。
文句は言うが、王女への盾としては有効だ。
万力の如き膂力でクレアの胴体を締め上げるアイリスは潰れた肉盾の隙間から俺を睨み上げる。
「私は子供じゃありません! もう大人なのです! カズマ様と一緒に大人になりました!」
「……カズマ殿?」
「いやいや、変な意味じゃないから! 誤解だって……本当だよ?」
「カズマ様に恥部を見られました。私、私……!」
「おおい!! 本の話だから! 変な意味じゃないから!」
「貴様ァ……。アイリス様に恥部などと……変な言葉を覚えさせるな!!」
「そこぉ!?」
今、嘘を吐くと音を鳴らす魔道具が無くて良かったと思う。
俺の弁解に対し、形の良い眉をひそめるアイリスは頬を膨らませる。だが、ここで感情的になると面倒な事になると悟ったのか、特に追及はなかった。
「……こほん。アイリス様もカズマ殿も取り敢えず城内で走り回るのは止めて下さい。万が一という事もありますから」
「はい……」
ここで常識のない、または己の信念に従う頑固者だったなら、間違いなく鬼ごっこが再開されていただろう。良識のあるお姫様はクレアの言葉に少しだけ普段の状態へと戻ったように思われた。
とはいえ、このままクレアがアイリスを解放したら俺は間違いなく詰みだろう。
そんな時だった。
「――あれ? カズマ君。アイリスさんも。何しているのかな?」
「――――」
風呂上りなのだろう、タオルを片手に蒸気を薄っすらと漂わせたクリスが俺の背後から近づいてきた。小首を傾げ、何があったのかと疑問の表情を浮かべた彼女を味方に引き込めないかと考える俺を余所にアイリスが笑顔で首を振る。
「いえ、なんでもありません。……少しカズマ様とはしゃぎ過ぎましたね。クレアも、心配掛けてごめんなさい」
「あ、アイリス様。頭をお上げ下さい! そんな、私は……」
「いえ、良いのです。お陰で冷静になれました」
そうして頭を上げたアイリスは普段通りの様子を見せる。
鞘に納められた剣が抜かれる事はなく、ニコリと笑みを浮かべた王女。
「すみませんが、私は少し用事を思い出しましたので。……それでは」
「お、おう。また、な」
「ええ、カズマ様。また、あとで」
そうしてアイリスはクレアを引き連れて宝物庫の方へと向かう。
その背中に罪悪感を覚える俺に抱き着いてくるクリスは、クンクンと鼻を鳴らし顔を顰める。
「キミ、汗臭いよ~。お風呂から上がったら一緒にご飯食べよっか!」
「さっき入ったんだけどな」
今度こそ貸切だった風呂に入り、上がったところをダクネスに殴られる。
クリスのフォローもあり、窓の修理をした事以外では以前城で過ごしたような時間を送った。
ダクネスはその間、何も聞いてくる事は無かった。
+
そうしてすっかり夜も更けた頃、俺はアイリスの部屋に訪れていた。
寝台に腰を下ろした彼女が見下ろす中、土下座を披露し十数分程度が経過した頃だろうか。
「カズマ様」
「はい」
「もう良いです。許しました」
「――――」
「とは言いません。私は深く傷つきました」
弁解の余地はない。弁明するつもりもないもないのだが、
「エ、クリス様との話もそうでしたが……、なんで私の聖本を読んだんですか?」
「ベッドの下にあったら普通読むよね。……ごめんなさい」
「…………」
「いや、ごめんて。アイリスの性癖は誰にも言わんから」
「私は性癖なんてありません!」
ぷくっと頬を膨らませる彼女は年相応に可愛らしい。
磨かれた床から彼女の姿を見ていると、ペタリペタリと裸足を床に下して俺の前に立つ。頭の前に立ったアイリスは何をするまでもなく、ジッと俺を見下ろす。
このまま踏み殺す気なのだろうか。
「そんな事はしません。……でも私は深く傷つきました」
ペタリ、ペタリとゆったりとした寝間着を着用したアイリス。
彼女はどこか冷たい眼差しで俺を見下ろしながら、ベッドサイドに腰を掛ける。
「カズマ様」
「ん?」
「立って」
「はい」
既に深夜。この逢引は誰に許可された訳でもない。
もし誰かに気づかれたら騒がれかねない、そんな危険を孕んでいる。
だが、そんな事はもう関係なかった。
目の前の寝台に腰を下ろし、脚を組んだ王女が艶やかな眼差しで俺を見上げる。
「頭が高いです。ここに跪いて」
「はっ」
拒否権などない。相手は王族なのだ。強いのだ。賢いのだ。偉いのだ。
今更ながら気づいたが、絨毯は新雪の如くふかふかで膝が沈みそうだった。
「アイリス。その、良かったら今までの事とか全部話そうと……」
「黙って」
あの大空を思わせる双眸はキッと俺を睨みつける。
王族のオーラを浮かべた彼女は一人、裸足を俺の前に差し出す。
滑らかで白い足だ。
風呂上りなのか、しっとりとした肌は頬擦りをすれば心地良いだろう。
「カズマ様。脚は痺れましたか?」
「はい」
「私が聖本をカズマ様に見られてどんな気分だったか分かりますか?」
「いいえ」
「恥ずかしかったです。とっても……」
「すみませんでした」
「もう土下座は見飽きました」
ピシャリと俺の発言を黙らせるアイリスはそれはもうお怒りだった。
「だから――」
「?」
「お仕置きです」
脚を俺に向けた彼女は静かに告げた。
「舐めなさい」
なめる。舐めると言ったか。
だから風呂上りで綺麗にしたのだろうか。そんな脚を舐めろと言うのか。
それはなんて――、
「どうしたんですか? 本当に謝罪しているんですよね? なんでもするって言いましたよね?」
「――――」
「カズマ様は今、私の奴隷なんですよね? 土下座していた時に言ってましたよね?」
頬に親指を押し付けるアイリスを俺は見上げる。
長いシャツのみを身に着けた王女、それを寝間着と言い張る彼女の姿は下から見上げると当然の理として、目の前に少女の下着が見えていた。
処女雪のような太腿の間に垣間見える薄いピンクの下着が。
「…………」
ぶるり、とアイリスの身体が震える。
俺の視線に気づいたのだろう、ペチペチと親指で俺の頬を叩く王女。
その姿に、自分がいやらしい奴隷、彼女を悦ばせる雄奴隷なのだと思い出した。
「私のお仕置きが受け取れないのですか?」
「滅相もございません」
この程度で機嫌を直してくれるなら安い物だ。
何よりもこれは決してお仕置きとは言わない。ある業界ではご褒美という。
「どうか、この卑しい雄奴隷をお許し下さい」
「そこまでは言ってないです」
王女を悦ばせる。
その為にこの人生はあるのだ。
――恭しく彼女の脚を両手で包み込むと、俺はそっと脚の甲にキスをした。