城の大広間には多くの人間がダンスや会話に勤しんでいる。
人、人、人。周囲を見渡して目に付くのは金髪碧眼の美男美女の貴族ばかりだ。
この世界の貴族、俺の元いた世界の貴族がどうかは知らないが、貴族というのは金髪碧眼である者が圧倒的に多い。ドレスやスーツを身に纏った美男美女たちは心にも無い言葉を交わし合う。
以前俺がこの城で似たような舞踏会に参加した時でもここまで多くは無かったと思う。貴族だけではなく城の騎士や記者のような人も大広間の隅にいる。
アイリスは残念ながら挨拶などが忙しいらしくまだ顔を見る事すら叶わない。そしてメイドや執事たちは忙しそうに料理やグラスを運び、貴族たちは優雅にお茶と会話に花を咲かせている。
聞き耳スキルでなんとなしに話を聞いても建前ばかりの話題に寒気がする。
「ダスティネス卿、ご無沙汰しております。先日お会いしました――」
「お初にお目にかかります。私先代当主とは友人と呼べる関係でして――」
「貴方様は以前よりも更にお美しくなられましたね。加えて数々の実績、美しいだけではなくお強いとは! 宜しければダンスの方、私にエスコートさせては頂けませんか?」
「いえいえ、是非とも私に」
歯の浮くような台詞の数々を告げる貴族の美男坊たち。
貴中はどうして相手を口説く事しか考えていないのか、事前に練習でもしたかのような言葉の数々をイケメンにより繰り広げられる笑顔で告げる。
対する我らがクルセイダー、美麗なドレスを着たダクネスは慎ましやかに微笑を浮かべる。
魔王討伐後の縁談などの経験を得て以前よりも慣れたのか、貴族連中を相手に対応している。
「皆様お上手ですこと。どうかお手柔らかにお願いします」
のらりくらりと穏やかな令嬢を装うダクネス。
賛辞を浴び続けても、僅かに頬を強張らせている点以外は完璧な所作だろう。しかし、やんわりと断るドM令嬢の建前を踏み越えて笑顔と賛辞を振りまく男連中は増えるばかりだ。
果たしてダクネスは本当にモテているのだろうか。
家柄とか、実績とか、あそこにいる顔だけの連中はそんな上辺しか見ていないのではないのか。
客観的に考えて魔王軍幹部、そして魔王討伐に直接関与したパーティーの一員。そして元々ベルゼルグ王国の懐刀と呼ばれる程の大貴族なのだ。今やその名声は天を突かんばかりだろう。当然少しでも顔を覚えて貰い、或いは嫁に貰いたいと思う貴族連中も必死なのだろう。
そういう背景が見え透いている連中を相手に、ダクネスは健気な対応を続ける。当然ながら、そんなダクネスの頬のひくつきが徐々に大きくなりつつあるのは遠目からでも見えた。
「ダクネスがいつ自爆するか楽しみだわ」
「凄い最低な事言っているんだけど……」
「『おい、貴様らそこをどけ! 私はもっとドSの鬼畜変態にしか興味がないのだ! 顔だけのモブはとっとと失せろ! んほおおお!!』ぐらい言い出さないかな」
「ダクネスはそんな事言う子じゃないから! んほ……な、なんて言わないから!」
「絶対夜な夜な一人で言っていると思うわー」
何もかもが豪華絢爛、煌びやかに見える世界で壁の染みと化す俺は呟く。
お抱えのシェフが作った料理に舌鼓を打ちながら、遠くに見えるダクネスの様子に目を向ける。明らかにお嬢様、こうして遠目から目を細めてダクネスという女を見ると間違いなくお嬢様だ。
――この場のいったい誰が『こいつは変態ドMですよ』と言って信じるのだろうか。
「やっぱ、見た目が良いって得だよな……」
「いきなり何を言い出しているのさ」
「この世の不条理について」
「何か悟っちゃった? 助手くん大丈夫? 主に頭が」
「所詮人は外面でしか判断の出来ない虚しい生き物なんだなって」
「賢者モード? もしかして賢者モードなの? ……というかダクネスを助けなくて良いの?」
「面倒くさい」
「ぇぇ……」
こうした舞踏会はそれなりに経験してきた。
初めて王城に来た時、エルロードからの帰還時など、こうして多くの貴族たちが一同に集まる光景を見てきた。大抵そういった連中は俺に対して荷物持ちか小間使いみたいな目で見るか陰湿な影口を呟くのだが、そんな相手を俺は決して見逃さず報復も忘れない。
スキルを使用して、ダクネスやクレアへの挨拶の時にこう言うのだ。
――でもさっき俺の悪口言ってましたよね、と。ダクネスやクレアといった大貴族の前で。
「俺の名は佐藤和真。やられたらやり返す男」
「それで今回は、ここに待機するように言われたもんね。笑っちゃうね」
「そういうお頭は俺にヤられただろ……おい、フォークを返せ! それは俺のハムメロンだ」
「だったらあたしのパンツを返してよ」
「嫌です」
ちなみにそんな事をすれば出禁になるらしい。当たり前か。失礼極まりない。
失礼というならば影口を叩く方が悪いと思うが、そこは残念ながら異世界ファンタジー。冒険者をしている庶民が貴族や王族よりも立場が上の筈が無い。いつかは俺がいた日本のように誰もが平等を謳える日が来るかもしれないが、それは遠い遠い未来だろう。
そんな訳で壁の染みと同化した俺の隣で、壁に背中を預ける銀色のメイドに目を向ける。
銀色のショートヘア、青紫色の瞳は大きく、黒を基調としたメイド服に身を包んでいる。盗賊の癖に妙に様になっているのは中の神の隠せないオーラだろうか。
「これはね、いつだったか貴族の屋敷に下見に行った時に、実際に働いた事があるのさ!」
「へー……お頭にもそんな時代があったんですね。なら俺の事はご主人様って言えよ」
「……急に強気になったね」
「おい、どうした。ちょっとそこでクルっとしてくれよ」
「クルっ?」
「ほら、あるだろ? その場で一回転する奴。上手くパンツが見えないように、なおかつメイドとしての心を忘れない必殺奥義。クルッとする奴!」
「いや、知らないけどね。……クルってしたらパンツ返してくれる? ねえ、助手くんに分かる? この……なんて言うの、スースーする感じ。すっごく下半身が頼りない気分になるから」
「俺に女装の趣味はないから分かんねえな。……しかたねぇな。そんなに返して欲しいのか」
「しかたないなってキミが盗んだんだからね」
文句を言いながらも、ふわりとスカートを浮かび上がらせ、俺の目の前で一回転するクリス。
案の定揺れ動くフリルの付いたスカート、ニーソに包まれた白く眩しい腿肉がチラリと布から覗く。背筋を伸ばし、どこか余裕のある表情でその場を回転した彼女は僅かに得意気な表情だ。
なるほど、確かにクリスの言う通りメイドの所作は身に着けていたのだろう。
「じゃあ、次はたくし上げを……おい、フォークは止めろ! このスーツ高かったんだぞ」
「まったく……キミはすぐに調子に乗るよね。そのうち痛い目にあうから」
「まあ、痛い目にはあってるな」
片手を出し、チップの代わりに己の下着を要求する盗賊メイドを前にして思わず深い吐息をすると、せめてもの意趣返しに俺はポケットから薄布のソレを取り出し、目の前で広げて見せる。
紐と布地で構成された薄青色のショーツはリボン付き、これは勝負下着という物だろう。
「お頭もエロいの履くようになりましたね。いったいナニマさんの為なんでしょうかねぇ」
「わぁぁあああ!!」
他人に見られるよりも早く赤面したクリスは腕を伸ばし奪い取る。非常に残念な事だが今回のパンツに関しては観賞よりも実際に着用している姿を見て楽しむのが得だろう。
目の前の女は俺に惚れているのだ。多分、そのうち機会はある。
童貞の頃とは違うのだ。今の俺にはそこまでパンツが必要という訳ではない。
周囲の目を気にして握り締めた下着をスカートのポケットに仕舞うクリス。
それでもチラリと見た人もいるだろう、羞恥に顔を赤らめて恥辱に身体をプルプルと震わせている盗賊メイドの姿に、俺はにこやかな笑みを浮かべて頷いた。
「ふっ……まあ、そのうちまた逢おうな。パンツ」
「ぁ……ぁ……!」
「近くにいた貴族には見られたかもしれませんね~お頭のパンツ。まあ、冒険者連中にも見られた事があるから今更かもしれませんが。でも連中はこのパンツはあくまで粗相をしたメイドのパンツという認識で、俺のエリス様のパンツだとは気づいていない。これだけが残念だ……」
「あ、あんまり調子に乗っていると酷い目に合わせますよ、カズマさん」
「えっなんだって? 聞こえませぬな、エリス様。……ほら、清楚ながら実はエロい下着を履いているギャップが最高なエリス様、さっさとパンツを履き直して来て下さい。貴方にノーパンは似合わない。……あっ、俺としてはここで履き直してくれても構わないぞ? 寧ろご主人様に見せろ」
「――サトウカズマさん。女神の天罰は恐ろしいですよ。具体的にはここぞと決める場面で失敗して地位も名誉もお金も全てを失って命すら亡くす……という天罰を下しますね」
「何それ怖い!? あの、ごめんなさい。……お頭が恥ずかしがる姿が可愛くて、つい」
「……そんな取って付けた台詞を吐いたって許しません」
ちょろそうに見えて意外にもクリスは根に持つタイプだと思う。
そそくさとパンツを履く為に広間を離脱しようとする彼女のスカートを掴むと、ギロリと睨んでくる盗賊娘の反応に首を竦めながら念の為にと口を挟む。
「お頭も一応分かっていると思うけど……」
「うん。このあとでしょ……。大丈夫助手くんなら出来るよ。多分あたしの出番ないだろうし」
「…………」
「戻って来たらシュワシュワで乾杯しようね」
「それってフラグじゃね?」
今度こそ、広間から立ち去る銀髪メイドの後ろ姿を見送る。
いつの間にか張り詰めていた頬を手で緩ませて、適当な飲み物で乾いた喉を潤し、周囲を何となしに見渡す。
相も変わらず煌びやかな雰囲気は庶民にとっては近寄りがたい。
「――カズマ殿。冒険者のカズマ殿」
「おん?」
気が付くと目の前にはダクネス、改めララティーナがいた。
慎ましくも所々に煌びやかなドレスに身を包んだ彼女は近くで見ると別人のようだ。
「どうか、私と踊って頂けませんか?」
「――――」
その誘い文句は普通逆じゃないのか、とか色々言いたい事があるが彼女の背後に見える貴族の男連中の苦虫を嚙み潰したような顔を見ると、おおよそどういう状況かを理解した。
要するに貴族の相手をするのが面倒になり、ダンスをするという理由で離脱したのだろう。
差し出される手を見下ろす。
そういえば目の前の少女、そろそろ女という年齢だろうか。本来ならばダクネスはこういう貴族の社会で生きていく人種で俺やめぐみん、アクアと関わる事すら無かったのだ。
そんな彼女が他の男では無く俺を指名した。その事実に、少し感慨深く感じる。
「お断りします」
「は?」
ともあれ抱いた感傷はともかく、踊るとは言っていない。
それはそれ。これはこれ、なのだ。
「おおお、お前! ここは『勿論ですよ、お嬢様』の一言で良かっただろうが! 明らかに断る必要無いだろ!! 今、チラッと背後を見たって事はおおよその状況は理解出来ているだろ!?」
「そうは言ってもダンスなんてした事ないし。あっ、盆踊りならちょっと出来るけど」
「そう邪見に扱うな。意外と踊るのも悪くはないぞ。だから早くしろ」
「いや、面倒臭いんですけど。ほら、今日は忙しいから」
「どう見ても暇人だろうが! ……それにまだ時間はあるだろ。頼むよカズマ」
「……しょうがねぇなあ」
前述にある通り、俺にはダンスの経験など無い。
盆踊りは多少あるが、寧ろアレを参考に踊れるなら誰もダンス教室になど通わない。
そんな訳で俺はダクネスにリードされる形でダンスを開始する。
鼓膜に伝わる軽快な音楽に流されて周囲で踊る美男美女たち。対する俺とダクネスは互いの脚を踏み合いながらもダクネスリードの下、どうにかダンスのような何かをしていた。
「ほら、次は左足だ……おい、なんで右足をだした」
「今のはわざとじゃないから……。というか初めてお嬢様と踊りますけど、お上手ですわね」
「お嬢様と呼ぶな。……こんなのは貴族の基本的な作法だ。別に覚えても凄い訳ではない」
「いだだ……っ! おい、手はもっと優しく握れ。男のアレを握る感じで」
「最低か貴様! 気持ち悪い例えは止めろ」
「……お嬢様風に」
「止めて頂けますか、サトウ様。あまり調子に乗られると折りますよ」
クルリ、クルリとその場を一回転。
腕を上げて、脚を動かし、滑らかに、繊細な音楽をダンスで表現する。
そんな見惚れるようなダンスを披露するのは王女アイリスだ。パーティーの華、有象無象の貴族の中で誰よりも輝かしく可憐な少女はパートナーである男に対して静かな微笑を浮かべる。
相手の男、美麗な様相は遠目から見てもイケメンのソレだ。どこで習ったのか無駄の無い動きで相手に恥どころか、その魅力を十二分に周囲へと魅させる。
「ほお、あれはミツルギ殿ではないか?」
「魔剣の勇者様ですか! ふむ、……絵になりますな」
貴族の言葉通り、アイリスの踊りの相手はミツルギだった。
スーツに身を包んだ優男、人生に壁など無いような顔には余裕の二文字しか無い。何となしに読唇術スキルを使用して彼女たちの会話を目にする。
「本日も美しいですね、アイリス様。更に美しさに磨きがかかってます」
「まあ、お上手ですね」
上辺を世辞で塗り固めた、そんな感じの会話だった。
よくよく見ると遠目ながらも背中の空いたドレスを身に着けたアイリスの首元には痕が無かった。まさか偽物だろうかと思ったが、恐らくは化粧か何かで偽装したのだろう。
今すぐ拭って周囲に見せたら、アイリスはどんな顔をするのだろうか。
何故かそんな妄想が頭を過る度に俺はダクネスの脚を踏みつけ、謝罪する。
「ほら、お前を狙っていたイケメン貴族共は他の女の方に向かったから良いんじゃないか? あとは適当に格下貴族でもいびってろよ。放蕩貴族」
「誰が放蕩貴族だ! 貴様がどれだけ貴族を馬鹿にしているかは良く分かった。……何、折角の機会なんだ。もう少しだけ付き合ってくれ」
ダンスというには滑稽な、それこそ釣り糸を垂らした人形同士のダンスを思わせる、そんな触れ合いをダクネスと続ける。それでも少しは向上しているような感覚になるのはダクネスの誘導が上手いからだろうか。
一瞬、彼女の青の瞳と交錯すると薄く微笑む姿に、鼓動が高鳴りを覚える。
「本当に結婚するのか?」
「……あ?」
手を引かれ、身体がぐらりと近づく。
力を抜いてダクネスのリードに任せきった身体は容易く彼女に触れる。
ぶつかった。だが彼女は倒れることはない。硬いからだ。
そんな事は俺もダクネスも知っている。ダクネスという女がどれだけの防御力を誇っているのか。こんな衝突など赤子が触れる程度に過ぎないのだろう。
だから、ダクネスはそんな肉体的な衝突など気にせず、顔を近づける。
「本当にアイリス様と結婚するのか?」
「――――」
キスをするような距離感になるほどに顔が近づく。
ともすれば互いの息すら届くような触れ合いを継続したまま、青の瞳が揺れるのを見た。その予期せぬ、聞かれるとは思っていても実際にダクネスに告げられた言葉に、俺は硬直する。
「お前が忌み嫌っている貴族の世界に自分から入ろうとしている。分かっているのか? ちょっと情を寄せたからと言ってホイホイ女に近づいていく男なんて結局はアイリス様にとっては毒だ」
「おい、ちょっと待て。誰が毒だ。俺は正当な権利に基づいてアイリスと結婚するんだ」
「……めぐみんとではなくか?」
「…………」
どこか冷たい眼差しで、俺を見つめるダクネス。
目線は凛々しく、決して此方を離さなず、しかし周囲に不自然に思われないように、俺の身体を引っ張ってダンスを続ける。ダクネスの強靭な腕力によって続けさせられる。
「……私でもなくてか?」
「…………」
――いつかは直面する問題だ。
自惚れでなければ、めぐみんとダクネスは俺に惚れていると思った。
異世界にやってきてアクアの次に過ごした時間は長いのではないのだろうか。色々な冒険をして、魔王軍幹部を倒して、その度に少しずつそういう関係にもなってきた、と思う。
めぐみんとは仲間以上恋人未満だ。
いつだったか、彼女とそんな話をしたのを覚えている。
「――――」
ダクネスも多分、仲間以上という認識であるのは間違いない。
あの屋敷で四人でバカな事をする日々は間違いなく楽しく掛け替えのない日々だ。生前のあらゆる時間を積み重ねても決して掴めない最高の時間だった。
それでもいつかは終わりが来る。
誰も彼も、という訳にはいかないのだ。既に二人程手を出してしまった屑だけど、これ以上は絶対にあってはならない事だと、そんな風に自分の中で覚悟を整えていたつもりだった。
どこか夢見る乙女のような、揺れる瞳で俺の瞳を見据える彼女に――、
「――ああ」
「――っ」
「俺は、アイリスと、結婚、する」
もう決めた事なのだ。
だから、どうかそんな死にそうな顔で見ないで欲しい。
別に俺はダクネスと付き合っている訳でもない。婚約者という訳でもない。肉体関係になった訳でもない。頭のおかしい変態なドMクルセイダーとは家族のような仲間の関係でしかないのだ。
どうしてモテ期など来て欲しいと思ったのだろうか。紛れもない好意を向けてくれた異性に対して、その好意を受け取らない自分が酷く嫌になる。
だけど、どうしようもないのだ。
俺の手はそんなに多くは無い。二本しかないのだ。これ以上は無理だ。
「だから、俺はお前たちとは結婚はしない」
しない、と結論付けたのは、覚悟を決めたのは昨夜の事だ。
ある王女の涙を見て、言葉に胸を震わせて、ハーレムという裏切りを知った。
「――――」
沈黙が、俺とダクネスを繋いでいた。
軽快な音楽、聞こえない。心臓の鼓動と僅かに瞼を震わせるダクネスを視界に捉える事に精一杯で、乾いた口内は気の利いた言葉すら作る事を忘れた。
「――そうか」
ぽつり、と呟くダクネスの言葉だけがよく聞こえた。
いつの間にか軽快な音楽は消え去り、周囲は再び貴族たちの会話が生まれていく。ざわざわと喧騒が広間を包む中で、俺を手を解くダクネスは小さく口元を緩める。
「……すまないが少しお手洗いに行ってくる」
「ああ」
周囲の喧騒など既に俺の意識にはない。
眼前の女騎士の顔をジッと見やり、微笑む彼女に、黙り込んでしまう。
「なんだ、私が泣くとでも思ったか。馬鹿め、そんな訳が無いだろう。……少し飲み過ぎたのでな。恐らく例の作戦までには間に合うだろう」
「ん、そうか」
「じゃあな」
「おう、転んで漏らすなよ」
「お前はデリカシーを身に着けろ」
普段通りの会話だった。
驚くほどに、なんてことない会話をして、ダクネスは俺に背中を見せて、人込みの中に消えた。
「――――」
少し吐き気がした。
黒く澱んだそれは胸の奥で渦巻き、自分がした行為を教える。
全てを手に入れる事など出来ない。いずれは訪れる出来事だった。それだけだというのに。
無性に苛立ちを覚えて、適当な酒の入ったグラスを手に取る。
喉が熱さに悲鳴を上げながらも、飲まずにはいられるかと一息に飲んで、周囲を見渡す。
「――――」
この大広間にいる貴族の大部分が舞踏会が開かれた本当の意味を知らない。
元々パーティーを開いて、見栄を張って、男か女とダンスをしたりするような連中だ。こうして注意深く見なければ、窓や扉などの出入り口に立つ兵士の数が多い事に気付かないだろう。
「カズマ殿」
「おっ、クレアか」
城の警備、王女の護衛を任されているシンフォニア家の令嬢が俺の横に立つ。
壁の染みとなっていた俺を容易く見抜くだけの高い熟練度を持つ彼女は汚れの無い純白のスーツに身に着けている。ドレスではない事が惜しいが、この後の事を考えると必然的な装いだろう。
「……早くないか」
「先ほど敵が大広間に入って来た。兵士の配置も完了している。……準備は良いな」
「準備? まあ、ナイーブな事以外なら」
「ナイーブ? 何の冗談だ。城に住んでいた頃、平然とメイドたちの影口に耐え、あまつさえセクハラすら行うカズマ殿なら何も問題ないだろう。……魔王もカズマ殿が倒されたのだしな」
「今の会話に魔王は関係なくないか?」
クレアに腕を引かれて俺は群衆の中を進む。
目指すべき場所は既に決まっていて、喧騒の中で目の前の女騎士の言葉に耳を傾ける。
「今回の件は国の威信に関わるからな。早く済むに越した事はない」
「ここにいる貴族連中を囮にしてもか?」
「……そうだ。前にも言っただろう、私にとっては国などよりもアイリス様の安全の方が大事だ。この場にいる者は国にとっては痛手にはならない。寧ろ今回の件で襲撃にあった者たちの方が重要度は高い。こういった事情に関してはカズマ殿は気にしなくて良い」
「ふーん」
少し大仰ながらも、それだけクレアを始めとした国の重鎮は事態を重く受け止めているらしい。兵士たちもいる以上、多少強力な神器など使用する前に無力化してしまえば良い。
今回、クリスの要請でクレアとダクネスには既に神器関連の事は伝えられているという。
「アイリス様に知られる前に、なるべく早く事を済ませる」
「ん? というか、アイリスには伝えてないのか」
「当然だ。……アイリス様には出来るだけ陽だまりの中で幸せであって欲しい。こんな事は私たちだけで十分なのだ。……カズマ殿もそうだろう?」
「……ああ、そうだな」
クレアに導かれて人込みの中を進む。
そしてある一定の場所で立ち止まると俺に進むように目で語る。あまり進み過ぎるとバレるリスクがあると考えたのだろう。俺を先に進ませようとするクレアは、背後に隠れるように歩き進む。
「カズマ殿。私はアイリス様との婚約など認めてはいない」
「――――」
振り向くなと、背中を押す女騎士の手に進む事を余儀なくされる。
「……なんだ。気絶して覚えてないパターンだと思ったんだが」
「そんな訳あるか。毎朝だぞ。毎朝、私が認知するまでアイリス様は『私、カズマ様と結婚する!』と仰るのだぞ! どんな気持ちで私が……っ! お、おぇ……っ!!」
「お、おう……」
「私の知らぬ間に成長されたアイリス様は、カズマ殿が城で過ごしやすくなるように様々な便宜を図っていた事も知っているのだ。ジャティス王子や陛下にも既に手を……。あんな可憐な花のようなアイリス様が貴様のような存在と……、結婚、するのか」
「――――」
「い、今、ここでカズマ殿を殺せば……ふひ」
「おい、止めろ。というか何もここで話す必要はないだろ。泣くなって。酒飲んだのかよ」
「飲んでなどいない!」
ギリギリと歯軋りする音が背後から聞こえる。
振り向いたら殺すぞ、とそんな眼差しに敵感知スキルが働くのが分かった。
このまま背中を刺されて死んだらどうしようかと思っているとクレアは耳元で囁く。
「カズマ殿」
「おう」
「一つだけ覚えていて欲しい。もしも貴方がアイリス様を泣かせようものなら、私は公衆の面前で全裸にされても必ずこの手で殺す。絶対に許さない」
「分かったって」
「そしてアイリス様はまだ子供だ。日常的にセクハラをされるカズマ殿の事だ。アイリス様が正式に嫁がれるまでに変な事をされたら――」
「ほ、ほらあんまり騒ぐなって。そういう話なら後で聞くから」
あまり長話をしてボロを出すと色々と面倒だろう。
早歩きでクレアを引き剝がそうとして諦めて、俺は目的の場所に到着した。
さて、場所は大広間、それは変わらない。
俺の目の前で執事に酒を注がせている男もまた貴族だった。
事前に資料で見たような醜悪な豚のような見た目ではない。
なんというか、以前侵入した家の女が好みそうなイケメン貴族だった。ジロリと俺の背後にいる女に向けるドブのような暗い瞳を除いて違和感など無かった。
「おい」
そんな男を前にして、俺が行う事は実にシンプルだ。
「ん? なんだ貴様は」
「お前、アウリープだろ」
「いや、違うが――」
――チーン、と鈴の音が響く。
その言葉が嘘である事を証明する魔道具をポケットから取り出した俺は頷いた。
ジワリと近寄ってきていた兵士たちに頷く。
「確保、お願いしまーす」