随分と前の話になるのだが、ある時ダクネスに縁談の話が入っていた。
それだけならば別によくある事らしいのだが、その相手は当時のアクセルの街の領主、アルダープであった。原因は俺たちが機動要塞デストロイヤーを破壊した事による補填、そこからのダスティネス家の多額の借金など、ドミノ倒しのように悪い状況が重なったらしい。
その結果、ダクネスは借金の肩代わりとしてアルダープと結婚する事になった。
かたや数多の女をとっかえひっかえする街でも有名な悪徳貴族、かたやプライドばかり高い仲間に頼ろうとしない頭も腹筋も頑固なドM女騎士。
事態の解決は困難を極めたが、俺のクールな頭脳と愉快な仲間たちの協力で危機は脱した。
その後、色々あり借金は返済され、アルダープは失踪、行方不明に。
結婚予定だったダクネスは婿に逃げられた事でバツネスになりましたとさ。
事件は解決したが、魔王討伐後の現在でもアルダープは見つかってはいない。失踪と同時に悪事を働いた証拠が急に見つかり始め、既に貴族としての地位は剥奪、牢獄行きは確定だろう。
それ以来、何の噂も聞かなかった為に、俺もその存在すら忘れかけていたのだが。
「親戚とはいえ、名前だけじゃなくて顔も案外似ているんだな」
「こういった輩は大抵性根も体型も似るんだろう。見ろ、眼つきなんてカズマ殿そっくりだ」
「まあ、環境が人を作るって言うだろうし。生まれた時から何不自由なく散々甘やかされてきたんだろうな……。ん? おい、今なんつった」
「いえ、特に何も」
初めてその男の似顔絵を見た時の俺の感想はこんな感じだった。
アイリスと戯れる間、変態である事を除けば国の重鎮に抜擢される程に優秀なクレアは、神器という情報抜きで既にアウリープという人物の素性を洗い出していた。そこにダクネス、クリスの事情通な頭脳を加えると、何となくおおよその動機のような物は見えてくる。
「カズマ、こういった連中は基本的には強欲なんだ」
「はあ」
「金があれば女を、地位があれば名誉を。国の為と言いながら自分の利益の事しかしない連中だ」
「今回襲われた人たちって、そのアウリープって男爵の人よりも上の地位の人、加えてイケメンで評判の良い貴族たちらしいね」
「いや、イケメンは関係ないんじゃ……ほら、女性もいるっぽいし」
だれだってお金は欲しい。女を抱きたい。
そんな欲望が病気レベルになった貴族がいるのは俺も知っている。
襲撃を受けた貴族は主にアイリスに近しいとされる上位貴族たち。公の場で王女が顔を出す時には必ず出席する事になっているような存在である。
纏められた資料、襲撃を受けた者たちは全員が意識不明、レベルダウンの状態らしい。
「ねえ、助手君」
「なんですか」
「例えば、この人たちとアウリープって人が接触していたら化ける事は簡単だよね」
「……あー、そうだな」
以前、クリスが告げていた神器。
今回の事件の原因となっているであろう神器の一つが瞬時に相手の姿形に変身出来るという物らしい。何となく以前アイリスが首に着けていた神器と似たような性能のソレに関して、容易く悪用の方法が思い浮かぶ。
たとえば、対象の相手に成り代わった後、対象の相手を殺し演技を続ける限り、対象の人物としての人生を送る事も可能だろう。元々己の肉体を変化させるらしく、肉体を入れ替える訳では無い為、不老不死になる事は出来ないがソレでも十分に強力だろう。
ただ入れ替わるだけなら意識不明にもレベルダウンの状態にもならないらしいが。
「もう一個の神器を使っているって事だろ? コンボかよ」
「相手のステータスやレベルを吸収するという神器か。確か、襲撃を受けた貴族の住居で何故か一撃ウサギやケセランパサランが出現したという情報もある。偶然居合わせた見回りの兵士と騎士が駆け付けた事で駆除されたのだが……」
「これ殆ど確定じゃね?」
動機までは不明だが、ほぼ確実に神器を所持しているであろう強欲貴族アウリープが王女やそれに連なる貴族と成り代わり、地位や名誉を手に入れようとしている。クレア曰く、被害者たちは本日行われる舞踏会、本来出席する筈だったリストに含まれていると言う。
成り代わり神器はともかく、モンスターを召喚する神器はここぞという時の切り札だろう。
「だが、それも一撃ウサギや一撃熊程度ならば、或いはそれよりも多少強い程度のモンスターならば、城にいる冒険者や貴族でも素手でも何とかなるだろう。国と貴族の威信に賭けて、奴に悟られる前に確実に捕らえる」
「本当に出席するなら男爵としてよりも上の貴族としての方が色々と便利だからね。意識を失った人で出席予定だった貴族の人が舞踏会に参加したら当たりじゃないかな?」
「ん? ちょっと待て。参加している貴族も戦うのか? ……えっ、戦えるのか?」
「カズマ、お前は何を言っている。貴族である以上、国の為に命を捧げる。安心しろ、ここはベルゼルグ王国だ。能力を優先している以上戦闘能力の低い者は今回の舞踏会に殆ど参加していない」
「お前こそ何言ってるんだ。やる気満々じゃねえか。刃も当たらない癖に」
この国の貴族は血気盛んだ。
能力は高い癖に、どいつもこいつもヒャッハーな変態しかいないらしい。
取り敢えずもう少し作戦を詰めようと考える俺に対して、何か楽しそうな表情でクリスが笑い掛けてくる。手を握って笑みを浮かべる彼女、その瞳の奥に幸運の女神の姿を思い出させる。
手を取り合う俺たちを訝し気な目で見る貴族たちを無視して、クリスは微笑む。
「大丈夫だよ助手君」
「お頭。……いけますかね?」
「何だかんだできっと上手くいくよ。あたしたちは運が良いからね!」
「失敗したらどうしましょうか」
「助手君がきっと何とかしてくれるよ! ……だから失敗を恐れず、いってみよう!」
+
――そんな感じの会話が少し前にあったのだ。
兵士たちが取り押さえに掛かる男の姿を見下ろしながら俺は魔道具を取り出す。
「いや、本当にコレすげーよな。マジでコレが日本にあったら最強じゃね?」
嘘吐きを見抜く魔道具。
アクアを始めとした女神やバニルクラスの大悪魔には誤作動を起こしやすいが、俺がいたであろう現代日本にはそんな人外はいない筈だ。きっと。たぶん。
嘘吐き絶対見抜くマンな道具を仕舞っているとクレアが話し掛けてくる。
「流石はカズマ殿です。お見事でした」
「まあ、そうだろ。おっ、惚れたか?」
「いいえ、全く」
絶妙なタイミングだっただろう。
アウリープという男に実際に会った事は無かったが、少なくとも悪知恵だけは回る男なのだろうな、と手口を見て思ったのだ。
こういった頭を使う相手に対して、行う対応としては非常にシンプルである。
「考えさせる前に発言させる。その時の発言まで、咄嗟に頭は回らないだろ」
アウリープの目には突然無礼な言葉を発してきた小間使いの男にしか見えなかったのだろう。或いは背後にいたクレアや兵士を引き連れて話をしたならば警戒され、慎重な対応をしたかもしれないが、全てはもう後の祭りだ。もう遅い。
兵士に捕縛されようとしているこの男は咄嗟に否定の言葉を発した。発してしまったのだ。
否定の言葉を判定して、イケメン貴族の男は別人であると魔道具が証明したのである。
「あとは、なんだっけ首輪を外せば元の姿が拝めるんだったか……。手の指輪も外してくれ」
「おら、大人しくして下さい。男爵殿!」
「貴様ら兵士の分際で! 違う! ワシは……私は侯爵だ!」
「ベルハイム侯爵……いいえ、アウリープ男爵。既に証拠は挙がっています。諦めなさい」
「おら諦めろ、オッサン。もうネタは上がってるんだよ! お前は一生ブタ小屋行きなんだよ」
「くっ……い、嫌だ。いやだあああ!!」
周囲の貴族が何事かと遠回しに見つめる中、暴れる男を押える兵士たち。
思ったよりも激しい抵抗に、そういえば成り代わった元の肉体のステータスも一部反映されるという事を俺は思い出していた。しかし、多少の筋力では城で鍛えられた兵士たち複数人の相手ではなく、後ろ手に縛られるイケメン貴族の姿に周囲はざわめく。
「本日舞踏会に参加して頂いている皆様、少々トラブルが発生しましたが既に対応致しました。この後も引き続きパーティーをお楽しみ下さい」
周囲の混乱を和らげる為に司会の方が告げた言葉。
徐々に冷静になり、拍手すら沸き立つ中で何となく俺は何となく嫌な予感に駆られた。
暴れていたアウリープが兵士たちに拘束され周囲も危機が去ったと安堵している中、うつ伏せになっている男がボソボソと何かを呟いている事に俺は気が付いた。
思っていたよりも簡単に相手を拘束出来た事で油断してしまいそうな自分を律しながら、アウリープに対して聞き耳スキルを使用する。
「――の命は全て奪う為に、――……を召喚す」
周囲の話し声の所為で聞き耳スキルは十全に発揮出来なかったが、それでもアウリープが独り言ではない、何か意味のある言葉を発しているのが分かった。拘束している兵士も聞こえたのだろう、慌てて口元を押えるも既に遅かったらしい。
突然身体を痙攣させるアウリープ、その胸元に隠していたであろう何かが黒々と輝き出す。
「カズマ殿!」
クレアの声に目を向ける。
既に抜刀していた彼女、構えている兵士たちは既に戦闘準備がなされている。異変を嗅ぎ取った保身を考える貴族たちが真っ先に外へと逃げ出すも、勇猛果敢な一部の貴族たちはナイフやフォークと言った者を手にし、或いは戦いに匂いを嗅ぎ取り武器を取る為に控室へと走り出す。
誰も彼もが何かしらの異変を察知していた。
「ワシの計画をこんなところで……!! 貴様だけは……っ!」
「――――」
「ぉ、ぉ、おおお――!!!」
ギロリと俺を睨みつけるアウリープ。バキッと首輪が砕け濃厚な魔力が周囲に吹き出す。その中でイケメンな男の影は既になく、肥え太った男が全身から血を吹き出していた。
人間にはこんなに血があったのか、と場違いに思う俺を親の仇を見るように睨みつけるアウリープは血を吐くように叫ぶと、そのまま力尽きる。
「気をつけろ! モンスターを召喚するぞ!!」
クレアが叫び、周囲に警戒を促す。
一応、こうなる事は想定済みだった。
追い詰められた鼠が猫を噛むように、悪徳貴族が護衛手段として持ち合わせていただろう、襲撃した相手のステータスや寿命などを奪い貯蓄された神器。
アウリープが隠していたソレは指輪であり、破けたスーツから自ら転がり出す。
「――――」
コロコロと転がる指輪が、魔力も男の血も何もかもを吸い取っていく。
死体と血を啜るおぞましい指輪を、俺やクレアを始めとした城の騎士たちで囲む。
俺やクレアはともかく、騎士たちは全員武装済みだ。
城にモンスターが現れる事を想定しており、各々が武器を構えている。騎士の数も練度も十分であり、仮にモンスターが複数体召喚されたとしても対応出来るだろう。
だから、大広間の貴族たちを囮とする作戦が行われたのだ。その筈だというのに――、
「――――」
寒気を覚える頭を振る。
震える身体に活を入れるように拳を握り締める。
「――――」
ここまで入念に準備をして、それでもなお震えている身体に苦笑する俺は、苦笑と共に吐息をして呼気に白い物が混ざっている事に気が付いた。
武者震いではない、怯えでもない、俺の身体が震えている原因、それは冷気だ。
温度が急激に下がっているのだ。
顔を刺すような寒さ、まるで外にいるような寒さに身体がブルリと震える。ふとテーブルに置かれたグラスに入った液体がピキピキと音を立てて凍り付いていく。
どこかで窓が割れる音がした。
だが、俺も、誰もが、そんなものに目を向ける事は無かった。
『――――』
兵士が包囲した場所、その中心にソレはいた。
悠然と冷気を漂わせ、神々しさすら感じる存在感は、無視する事を許さない。誰もがその存在感を認め、平伏する時まで、そのモンスターは戦う事を止めないだろう。
本当に突然その場に現れた存在に誰もが言葉を失った。
モンスターが出現するのは分かっていた。今更になって敵感知がこれでもかと警報を鳴らすだろう、という事も分かっていた。……分かってはいたのだ。
「あ、あれは……!」
喉を鳴らし刮目する。
鼓動が高鳴りを覚え、隠していた武器を持つ手が震える。
霧がかかったような冷気の中で、まず白い兜が見えた。
全身を白く染め上げたような装い、それは味気ない色をしながら戦国時代特有の華やかさのある白銀の鎧には一切の傷すらない。
細やかな意匠が施された陣羽織は割れた窓から漂う冷風を受けて揺れ動く。
触れるだけで雪像になりそうな、そんな冷気を発する刀に、首が痛みを覚える。あの刀がどれだけの威力と恐るべき切れ味を秘めているのかは知っていた。
かつて斬られた事のある首が、身体が、その圧倒的な存在感を覚えていた。
そうだとも、知っている。
あのモンスターが何者なのかを、俺は知っているとも。その名は――、
『――――』
――冬将軍と呼ばれていた。
+
冬になると出現する雪精、その主にして冬の名物詩とも呼ばれる存在。
かつて金が無く、俺が初めて異世界で死ぬ原因となった存在。国から高額賞金を懸けられた特別指定モンスターの一体、冬将軍がすぐ近くに立っていた。
『――――』
総面の口から吹雪を思わせるような白い冷気を放つ将軍。
確かにモンスターが出現する事は想定していた。多少強いモンスターでも城の騎士が何とかするだろうとも。
そんな想定も予測も踏み越えた将軍は既に居合の構えを終えていた。
「あ?」
チン、と刀が鞘に仕舞われた音だったのだろう。
突如周囲が血の色に染まった。
俺から僅かに離れた場所、冷気の斬撃が音を置き去りにポカンと将軍を見ていた貴族たちの身体を上下に切り裂いた。直後遅れた斬撃の音と暴風が俺や兵士たちを吹き飛ばす。
「が、ぁぁぁああ!!?」
既に戦闘とも呼べない蹂躙が始まっていた。
テーブルに背中を叩きつけ、肺から空気を吐き出して床を転がる。
たったそれだけの一撃ですら、回避したのにも関わらず腕がへし折れ思わず呻く。
痛みが、痛みと熱が脳裏を支配していく。それでも意識を失わずに周囲に目を向ける。
「う、あ」
どこか内臓を痛めたのか、口端からこぼれる血を拭う。
油断があったのかもしれない。どこか慢心があったのかもしれない。もしもという可能性を捨てて、相手は大した事はないと高を括ってはいなかっただろうか。
今更後悔してもどうしようもないのだが。
「いやああああ!!」
「く、くるなああ!!」
「しねええええ!! あっ、やめ……」
悲鳴を上げ逃げる者。
勇敢にもナイフで戦おうとする者。
異世界からの来訪者よりも、実際にあのモンスターの事を知っているだろう者たち。
彼は、彼女は、容赦なく平等に命を奪われていく。
血で汚れた白刃を振り、客人を守ろうと戦う騎士も兵士も、首を斬られ、腕を斬られ、死ぬ。
人ってこんなに簡単に死んで良いのだろうか。
思わずそんな事を考える程に現実離れした凄惨な光景が目の前に広がる。玩具のように吹き飛び転がる手足、少し前に食べたソーセージに似た内臓。血臭、吐瀉物、それらを包む冷気と死臭が現実離れさせた状況を生み出す。
モンスターとは言ったが、そんなに強いモンスターとは思わなった。
何度目かの後悔を喉からせり上がる物ごと飲み込んで、正気度が下がる残酷な光景から目を背ける。そんな中でも勇猛果敢に冬将軍に立ち塞がる者、歯向かう者、雪の大精霊を相手に戦う人間は白刃の下に切り伏せられる。
このモンスターに勝てた事はない。
対処法と呼ぶべきか、痛みにより思い出される光景が脳裏を過る。
初めて冬将軍に遭遇した時、既に爆裂魔法を使い果たし死んだふりをしためぐみん、そして土下座していたアクアは確かあの時何と言っていたか――、
「土下座だ! みんな土下座するんだ!」
「あんた、何言ってるんだ!?」
「武器を捨てて抵抗の意志が無い事を見せるんだ。将軍は無抵抗の奴までは殺さなかった筈だ!」
水の女神曰く、冬将軍は慈悲を持ち合わせているらしく戦う意志を持たない相手に刀を振るったりはしないらしい。
当然、現地の人間ならば貴族も知っている筈の情報だろうが。
「ふざけるな! 平伏など貴族の恥晒しだ! そんな事をするくらいなら死んだ方がっ!!?」
「くそっ!!」
プライドが邪魔をする貴族は真っ先に首が飛ぶらしい。
血しぶきを浴びながら、その光景を見た貴族は心が折れたのか、武器を捨て平伏する者も現れる。そんな貴族を罵倒する貴族は殆ど即死に近い一撃で身体と頭を分離させる。
将軍は居合が得意なのか、冷気を纏った斬撃は範囲攻撃として周囲の兵士を斬り飛ばす。
もはや逃げる事しか出来そうに無かった。
震えそうになる脚を叩き、せめてもの責任として囮として声を張り上げる。
「おい! こっちだ、将軍!」
『――――』
ジロリと総面の奥の瞳と目が合った気がした。
有象無象を斬り飛ばす事に何の感慨もなさそうな眼差し、その死んだような瞳が俺を捉えると、何故か殺気が全身から吹き出す。その、まるで親の仇を見つけたような憎悪に脚が竦み。
瞬間、衝撃が俺の右腕を吹き飛ばす。
「うあ」
空気を割るような音と、電流が奔るような衝撃が右半身を襲う。
そして遅れて遅い掛かってくるのは、空前絶後の激痛と大量の血だ。
「ぎ、ぃぃぃあああああ!!」
殆ど刀の動きが見えなかった。
冬将軍は最初出現した位置から動いていなかったのにも関わらず、俺を認識した途端にゆっくりと此方に向かって歩き始める。お前だけは絶対に殺すという殺意を吹き出しながら。
「ひ、ひい!」
右腕は肘から先が吹き飛び、チラリと骨と筋肉が見えた。
失った事の喪失感よりも、まずは背後にいるモンスターへの恐怖感に塗り潰される。
「あああ!! いっ、ああああっ!!」
痛みが、苦しみが、灼熱が、身体と心を締め付けていく。
縺れる脚と自動回避スキルによる回避により片耳を削げつつも他の人に斬撃が当たる。
――はやく土下座しなさいな。
「お」
おびただしい量の血をばら撒きながら、残った耳がそんな声を聴く。
そんな事を告げたのはどこの女神だったのか。
言いたい事は分かる。さっさと土下座して平伏して、背後の化け物に許しを請うのだ。それで解決だ。きっと助かる。あの刀を鞘に納めて、きっと他の人に向かってくれる。
「おら、こいやあああ!!」
回避スキルも動かす肉体がボロボロならば物理的に回避のしようがない。
横に薙ぐような一閃。逃げ惑う人々ごと斬り飛ばす一撃は俺の腹部も捕らえ、その斬撃が内臓を吹き飛ばす。初めて自分の臓物を見たような気がする。
「――――」
文字通り、血を吐くような絶叫を、息を吸う肺も斬られた。
脱出は難しく、回避は不可能で、あとほんの少し歩くだけで肉体がバラバラになる。自分でも立っているのが不思議だ。何かのスキルの補正が働いているのだろうか。
即死でない死に方は、こんなにも苦痛なのか。
「――カズマ様!!」
悲鳴、怒号、鳴き声、嗚咽、慟哭。
出入口付近から聞こえる人の波から、此方に走り寄る金色の人影。
護衛の手を振り切って、ドレスに身を包んだ最愛の王女。
手を伸ばし、悲痛に満ちた少女の名前は、いったい何だっただろうか。
「ア、イ――」
呼吸が止まる。脚が浮かび突然王女に向かって身体が吹き飛ぶ。
身体の中心に感じる熱に悲鳴すら出ない口を開け、血を吹き出しながらアイリスに衝突してしまう。急に力が芽生えた訳でも、俺とアイリスが磁石のようにくっついた訳でもない。
寧ろ、駆け寄ろうとするアイリスへと俺が突撃した形だ。
身体から伸びる刃先、冷気を帯びた刃先は心臓らしき物とアイリスの左手を巻き込み壁へと突き刺さっている。
背後に感じる冷気と死の気配が強まり、冬将軍に刺されたのだと遅まきながら理解する。
「か、ぁ」
少女の悲鳴を無視し、悪趣味な標本にするかのように王女の手と俺の身体に刺さる刀は倒れる事も呻く事も許さない。ただ冷たい暴力が確実に俺の身体と魂を傷つけていくのだ。
どれだけ俺が憎たらしいのかと思いながら、体中の熱すら冷却する白刃の先に王女を見る。
「いや……」
顔を血で濡らし、青色の瞳を涙と絶望で歪める少女が目の前にいた。
壁に刺さった左手を血で染めながら、叫び、俺へと向かって手を伸ばそうとする姿を捉える。現実を否定するように頭を振り、歯を食い縛って痛みを堪えるアイリスの瞳から涙が溢れ出す。
無理に身体を伸ばして、壁に縫い付けられた左手から血を溢して。
それでも、アイリスの手は俺には届かない。
「いや、いやいや……!」
「――――」
グラリ、と視界が赤く昏く、染まっていって。
翻る凶刃が、瀕死の灯火へ無情に迫る中で、ふと思った。
そういえば、アクアがいないから。
蘇生魔法も回復も、挽回の機会などないのではないのか。
このまま死ぬのか。
これで、終わりなのか。
「あく、あ」
溢れる血の隙間から呟きが漏れた。
それは後悔であり、無力さへの憎悪であり――、
「まっ、待って……。いや、そんなの……!」
肉体から命が、魂が失われていく感覚。
崩れていく肉体と絶望と自分への呆れを抱いて。
俺は。
俺は死んだ。