暗く荒れた部屋の中で、俺は一人呆然と佇んでいた。
「……めぐ、みん」
心臓の鼓動は馬鹿に早く、喉が異様な程に渇きを覚える。
それらを無視して靴裏が床に張り付いたような脚を動かし眼前に倒れていた彼女へと駆け寄る。現実を認めるのが苦しいと震えそうになる脚を叩き、頭を振って、めぐみんの傍らに屈み込む。
「ま、まだ死んだ訳じゃ――」
部屋は暗く、屈み込んだ床は僅かに湿っている。
スキル補正では床を濡らす液体の色が分からなくとも、鉄臭い匂いが焦燥を掻き立てる。
「めぐ、めっ、めぐみん!」
めぐみんは小さく口を開け、四肢を投げ出しぴくりとも動かない。
驚いたようにも絶望したようにも見える少女の表情、その紅色の双眸は虚空に向けられる。これだけの至近距離で呼び掛けても、僅かに開いた瞼は瞬きすらなく、声の反応はない。
何より触れた身体は冷たい。
まるで死体に触れたかのように、殆ど暖かさが無かった。
その時だった、俺の背後で声が聞こえる。見知った騎士の声だ。
俺よりも遅れて来たのだろう、金髪の女騎士が光源となるランタンを手に近づいてくる。部屋の惨状からして光源も既に破壊されているだろう、光源を持って来た彼女の判断は正しい。
防御力の高さ故に脚元を気にする必要の無いダクネスが俺の傍にまで近寄り息を呑む。ランタンの明るさに俺は目を僅かに細めるも、同時に明るくなった部屋の惨状がハッキリと見えた。
「――――」
抱き上げためぐみんの首元、そこが血で汚れていた。
ポタポタと垂れ落ちるそれは衣服を汚し、床に小さな水溜まりを作っていた。
――どうみても彼女は死んでいた。
「ぅ、げぇ」
それを認識して、理解して、途端に嘔吐感が喉を駆け上がる。
慌ててめぐみんから顔を逸らし、彼女を汚す事だけは避ける。溢れ出るのは胃に収めていた昼食だ。それを盛大に床にぶちまけながらも自分の出来る事をするべく必死に頭を回す。
背中をさするダクネスに構う事なく俺はめぐみんに手をかざす。
「ひ、『ヒール』! 『ヒール』!! 『ヒール』!!! ……くそっ!!」
全身からぶわりと汗が噴き出て、叫ぶように回復魔法を唱える。
だが、冒険者の魔法など力は弱く、彼女の首に出来た傷を塞ぐのは厳しい。
この行動自体意味の無い事だと分かっていても、回復魔法を止めるという事は出来なかった。
――めぐみんが死んでいる。
そう断定する脳とは裏腹に、荒く呼吸を乱しながら全身の魔力を回復魔法に注ぎ込む。そうしてめぐみんの傷の回復を図る俺を余所に、一歩後ろにいたダクネスは大声で彼女の名前を呼ぶ。
この場に誰が必要で、誰をこの場に呼ぶべきか、ダクネスの方が冷静だったらしい。
「アクア――! アクア!! 頼む!! 来てくれ!!」
「どうしたのよダクネスってば……!?」
女騎士の呼び声、叫んだと同時にやってきた女神は周囲を見渡す。
彼女の瞳は何を見ているのか、無言で近寄ってくるアクアは俺を押し退けて回復魔法を放つ。膨大な光は俺の物とは比べ物にはならず、あっという間に、瞬きをする間に首の傷が塞がれる。
血で汚れている以外、あっという間にめぐみんの身体は元に戻った。
まるで眠っているかのような状況、しかし彼女の魂はその身体には無い。
流れるような作業の如く、回復魔法に続き、蘇生魔法の準備が行われる。
神々しい光がめぐみんの身体を包み込んでいく姿を、俺は呆然と眺める事しか出来なかった。無力感に苛まれながら俺はただアクアのどこか真剣な横顔とめぐみんの死骸を見るばかりで。
「――――」
「カズマ。しっかりしろ」
「ダクネス……?」
いつの間にか手を握られる感触に顔を向けるとダクネスの青色の瞳と目が合う。
柔らかい女の掌が硬く握られた拳を包み、アクアの集中を妨げないように彼女は小さく囁く。
「カズマ。大丈夫だ……。カズマもああやって蘇生されてきたんだ。めぐみんも同じだ」
「――――」
「だから、お前も少し落ち着け」
冷や汗が頬を伝う中で、俺の背中をさする女騎士の言葉に耳を傾ける。
「そんな顔はめぐみんには見せるな。私にだけ見せておけ」
俺の手を握るダクネスの手、彼女の手もまた小さく震える。
気然とした様子を見せるダクネスも不安なのだろうか、アクアの背中を見ながら思う。
この光景がめぐみんの見ていた物なのだろうか。
思えば、俺以外のパーティーメンバーが死ぬのを見るのは初めてだ。何だかんだでこのパーティーで一番弱いのは俺で、何だかんだで死ぬのは、いつだって俺だったから。
「――――」
だから、これが初めての仲間を失うという恐怖なのだ。
ダクネスと手を握り、それでも拭えない身体の震えに再び吐き気を覚える。
初めて冬将軍に首チョンパをされた時、つまり初めてこの世界で死んだ時の事が脳裏を過る。あの時は、帰りたくないと駄々を捏ねた俺に対しダクネスやめぐみんが死体に悪戯をしていた。
慌てて戻った後に、抱き着かれて泣いている彼女たちにドギマギしたのを覚えている。最もそれ以降の蘇生に関しては彼女たちもあまり心配してくれなくなったのだが。
あの時とは逆の状況になって、めぐみんやダクネスがどれだけ不安だったのか嫌という程に教えられた。どれだけ彼女たちが俺を心配してくれたのかを今更思い知った。
そんな誰よりも仲間を大事にしていためぐみんが、こんなところで死んで良い筈がない。
「――大丈夫よ、カズマ」
「アクア?」
「大丈夫だから。任せなさいな」
ふと、頭を撫でられる。
目を伏せていた俺の髪の毛をそっと撫でる少女、青髪の女神が此方を向いて小さく微笑む。あらゆる罪を流す水のような眼差しは、まるで聖母のように慈悲深さと神々しさすら感じさせる。
視線を交わして、再び前を向くアクアは小さくも鋭い声を部屋に響かせる。
「『リザレクション』!!」
蘇生魔法が唱えられる。
女神を語るに相応しい膨大な魔力は、床で仰向けに眠るあどけない顔の少女に注がれる。傷一つ無い、眠ったような黒髪の少女を前に祈るように手を合わせる水の女神。
やがて光は収まり、薄暗い部屋にあるのはランタンの光のみの、元の状態になる。
そして。
「カズマ」
「ん……?」
――アクアが振り返って言った。
「な、なんか……、めぐみんに拒否られちゃった」
+
「おい、めぐみん! ふざけんな! とっとと戻って来い!」
「そうだぞ! 良いのかめぐみん! お前の身体と私の身体、どっちの耐久力が上か勝負しても良いんだぞ! 聞いているのか!」
めぐみんが蘇生を拒否した。
アクア曰く、断固たる態度で天界に居座っているという。
「あいつ……! ちょっとテレポートで天界に行って連れ戻してくるわ」
「待ってカズマさん。天界にいるのはめぐみんの魂だから、ね?」
そんな当たり前の事実を告げられて、腹立たしさを覚えながらも、少し落ち着く。
しかし、いったいどうしたというのか。急に反抗期でも始まったのだろうか。俺とアクア、ダクネスが見下ろすめぐみんの身体は既にアクアとダクネスによって清められている。
血の痕一つなく眠っているような彼女の身体には、ただ魂が無いだけで。
「めぐみんってば我儘ね。女神と話をしたいなら私がいるじゃない! パッドの女神なんかと話をしてもつまんないわよ! ねえってば! 無視しないでよお!!」
「…………」
「えっ? 私? そそそ、そんな訳ないわよ」
魂の器たる肉体、黒髪の少女の遺骸に向けてアクアが話し掛ける。
頭が狂ったようにも見えるが、天界にいるだろうエリスとめぐみんに呼び掛けているのだろう。普段アクアに呼び掛けられる側としては、見慣れぬ珍しい光景に僅かながら安堵感を覚える。
チラリと時折俺を見てくる水の女神から視線を逸らし、床を拭くダクネスに話し掛ける。
「俺っていつもこんな感じだったのか?」
「ああ。エリス様は俺のヒロインだから等と意味の分からない事を言い出しては蘇生を拒否しようとする困った奴だった。特にめぐみんは毎回凄く心配していたな。無論私もだが」
「マジですみません」
「ねえ、めぐみんってば変な事言ってないで戻って来なさいな。そんな事実は無いからね」
「…………」
「ちがっ……隠していた訳じゃ……違うのよめぐみん」
「アクアは何の話をしていると思う?」
「さあ?」
俺とダクネスがめぐみんに呼び掛けても天界には届かない。
女神であるアクアが身体を通じてめぐみんに呼び掛けているのは経験から理解している。その様子を見ながら少しでも落ち着くため、ダクネスと二人で部屋の惨状の復元を試みる。
「アクア。めぐみんは何と言っているのだ? まさか、転生したいとかか?」
「……。なんかね、カズマとアイリスの婚約を解消しないと戻らないとか言ってるのよ」
「脅迫じゃねえか」
要するにめぐみんの命を人質に俺と王女の婚約の解消を求めているらしい。
しかし、それは無理な話だ。この国の中心である王家が発表した事を簡単に取り止めるというのは難しい筈だ。誰も納得しないだろうし、仮に成功したとしても数日程度は間違いなく掛かる。
聡明な彼女がソレを理解していない筈が無いのだが――、
「アクア。めぐみんに『馬鹿な事言ってないで早く戻って来い。お前には言いたい事が山ほどある』と伝えてくれるか」
「あ、うん。めぐみーん。ダクネスがカッカしてるわよー! ガチギレよー!」
眉間に皺を寄せる女騎士が女神にそう告げる。
とはいえ、それで戻るようだったら既に戻ってきているだろう。
彼方で何をしているのかは知らないが、こういった状況でめぐみんの魂を元の位置に戻す為には、俺が死んだ時の出来事を参考にするのが一番だろうか。
アクアの膝枕で眠ったように死んでいるめぐみんの遺体。
その白い顔を見下ろし、ワンピース、すらりと伸びた白い脚と順に見ていく。
「カ、カズマ? 流石にこの状況のめぐみんにそんな獣のような視線を向けるのは……」
「カズマさん。死姦は駄目よ。優しい私も天罰を下すわよ」
「向けてねーしそんなつもりもねーよ!? ……アクア、ダクネス。ちょっと付き合え」
流石に死体に欲情する趣味は持ち合わせてはいない。
めぐみんの主張がどうあれ、まずは彼女を呼び戻すのが先決だ。その為にアクアとダクネスの二人と顔を合わせてめぐみんへの対応方針を決めてアクアに行動を開始するように促す。
「めぐみん! めぐみん! カズマさんとダクネスがヤバいの! めぐみんの身体に悪戯しようとしているの! 太いペンで凄い事を書き始めているわ! 服が……!」
爆裂娘の顔に呼び掛ける女神を尻目に、俺はダクネスと二人で彼女の身体に悪戯する。
とはいえ、別に本気でする訳ではない。あちらから確認の出来ない事をしているかのように見せかければ勝手に復活してくれる、そういう信頼があった。
アクアの演技力が難点だったが、それなりに迫真に迫る演技を見せる。
「えっ、カズマ!? ええっ!? めぐみーん! 戻ってきてー! 早く戻って来てー!」
「…………ん」
「今、興奮したか?」
「してない」
動けない少女の身体が蹂躙される、その光景を想像したのか女騎士の身体がぶるりと震える。
女騎士の脳内が既に取り返しがつかないのは既知の事実であり、熱い吐息をするダクネスに睨みつけるだけに留める。
その後めぐみん側の反応を見る為にアクアを見るが彼女は残念そうに首を横に振る。
「『ヘタレのカズマには無理ですよ。精々パンツを見て喜ぶだけでしょうね』って」
「もう皆で脱がせて人には言えない事しようぜ」
「『やってみたらどうですかロリコンのニートが! 責任は取って貰いますからね』って」
「それはちょっとお前の脚色入ってない? 本当に言ったのか?」
「それよりもカズマ、どうするつもりだ? この調子だとめぐみんが戻ってこないぞ」
「ねえ、カズマさん。私膝枕疲れてきたんですけど。ちょっと変わってくれない?」
「ああもう!」
時間ばかりが過ぎていく。
めぐみんはこのまま蘇生を拒否していくつもりなのか。それは嫌だ。
彼女が間違いなく此方に戻ってくる、そういう相手が嫌がる事を即座に思いつく事に定評のある俺だ。あとは蘇生されるのを待つという段階になり僅かに落ち着いた脳を回して考える。
「…………そういえばお前ら、めぐみんの刺青を見た事があるか?」
「刺青?」
「俺たちにとってはどうでも良いんだが。紅魔族は生まれた時から身体のどこかに死ぬよりも恥ずかしい刺青、そういうマークがあるんだとか。二人は見た事あるのか?」
「……ああ、そういえば一緒にお風呂に入った時に一瞬だけだが見た事があるな」
「私もあるわね」
「へー……、それはさておき、ここに写真機があります」
「写真機! それでどうするのカズマさん?」
「めぐみんの刺青を撮ってアクセルにばら撒こうかと」
「さっすがカズマさん! 最低な事を考える事に関しては世界一ね!」
「なっはっはっは。でもお前らもちょっと気になるだろ? 紅魔族のそんな重要なマークなんて、こんなジックリ見れる機会なんて無いだろ。なあ?」
「そうだな。死んでいる方が悪いな」
「めぐみん。先に謝っておくわね。ごめーんね」
最終手段である。残念ながら仕方が無いという奴だ。
めぐみんの身体をうつ伏せにして、ワンピースの裾を捲ると黒パンツが露わになる。普段ならばスカート捲りとして女性陣がセクハラだと騒ぐ場面だが、女たちは何も言わない。
それどころか此方を見る眼差しには期待すら感じられ弾む声音で急かされる始末だ。
「いきまーす」
ペロリと黒パンツを摺り下す。
白い桃尻が揺れ、半分ほど下着を下ろすとバーコード状の刺青のような物を視界に収めて。
「ごぼろっ!?」
――視界が揺れ、吹き飛ばされる。
後ろ蹴りを喰らったと気づいた頃には、既に鳩尾に突き刺さる痛みに床に胃液を吐いていた。
呻き、芋虫のように丸まった俺に対して、待ち侘びた、懐かしいとも呼べる少女の怒気と呆れの籠った声が耳裏に響く。
「まったく……人が死んでいる間に何をしているんですか?」
「ぶ、ぶふ……お、お前の真似だよ。これで分かっただろ? 仏様に悪戯したらいけないんだぞ? 俺の名は佐藤和真。やられた事は時間が掛かってもやり返す男だ」
「そんな昔の事など忘れましたよ。……って、本当に脱がしているじゃないですか!? み、見たのですか!?」
「別にそんな面白い物でも無かったし。ほらお前の横にいる連中もジックリと見てたぞ」
「!? わ、私はちょっとだけだぞ。それに風呂場とかでも見る機会はあったからな!」
「そ、そうよ! バーコードを見てめぐみんっていくらなの? なんて思って無いからね!」
慌てふためくアクアとダクネスをジロリと睨みつけるめぐみん。
しかし二人も怯む事なく無言になるとめぐみんの頬を抓る。
「いたっ!? いひゃいれすよ二人とも……」
問い詰めたい気持ちはあるだろうが、二人とも無言のままめぐみんの頬を抓る。
それが心配させた事への罰だと言わんばかりな態度、アクアですら空気を読んで彼女の黒髪を撫でている中、立ち上がった俺も無言になり彼女を見つめる。
二人とじゃれ合うめぐみんだが、俺の視線に気づくと紅の双眸を此方に向ける。
「おかえり、めぐみん」
「ええ、ただいま帰りました。……少し話をしませんか?」
+
ぎしりと寝台が軋む。
多少綺麗になったからと言って、荒れていた彼女の部屋では落ち着いて話など出来そうに無い。俺の部屋に移動してめぐみんと二人でベッドに座り込むと互いに沈黙を保つ。
――二人きりだ。アクアとダクネスには遠慮して貰った。
「…………」
チラリと隣を見ると衣服を着替えためぐみんが枕を抱いている。
ちょむすけがいたら抱えているだろうが、残念ながらあの邪神はバニルの所だ。
とはいえ、いつまでもこのまま無言でいる訳にもいかない。
密室にうら若き男女、しかし気まずい沈黙の続く状況を打破するべく俺は口を開いた。
「なあ」
チラリと視線が俺の横顔に向けられるのを感じる。
「どうして……、その……あんな事を」
しどろもどろになる俺を余所に、めぐみんは静かな口調で淡々と告げる。
「つい、カッとなってしまいまして。どうしようも無い時にちょうどナイフがあったので……」
「お前なあ……。どうしてあんな事をしたんだ?」
「……分からないのですか?」
ぎしりとベッドが軋む。
肩に少女が寄りかかり、その重さと温かさが生きているという事を実感させる。
今回の原因となったのが何かまでは正確なところまでは分からない。
恐らくはアイリスとの喧嘩などが原因になったのは分かる。だが、それでも、俺の知っているめぐみんという喧嘩っ早い爆裂娘が自殺などするだろうか。
「ああ、分からないな。俺は別に鈍感系でも難聴系でもないけど、あれは流石に唐突過ぎた。扉を開けたら死んでましたとかトラウマだからな。今日絶対夢に出るぞ」
「私がカズマの中に刻み込まれるなら、それも良いですね」
「俺が全然良くないんだが。……だからめぐみん」
肩の圧し掛かる黒髪の少女に身体を向ける。
目線だけではない、身体ごと相手に向けて、そうして初めて誠実な話が出来るというものだ。
「話してくれ、全部。あと、さっきみたいな事はもうするな。そうなる前に俺に言え」
「――――」
「その……ほら、俺たち……、あれだ。仲間だろ」
紅色の瞳が大きく見開かれる。
様々な感情が瞳を過り、その全てが瞬きと共に掻き消える。
「カズマ。照れるくらいなら言わなければ良いんじゃないですか?」
「ててて照れてねえーし! 見間違いだから! 俺は良いから、はよ!」
「……急かさないで下さい」
小さく含み笑いをするめぐみんと視線が絡む。
こうして改めて見ると彼女も少し背丈が伸びただろうか。以前までは肩までだった黒髪も、いまでは背中まで伸び、艶のあるロングストレートを見せる。
慎ましい双丘に変化は見られないがスタイルは良く、少女の瞳は妖艶な光を見せる。
「カズマ」
「…………」
「カズマは知らないだろうと思いますけど、実はカズマとあの……アイリスとのそういう所を見てしまいまして」
「マジかよ。いつ、いや……それで?」
「最低の気分でした。吐き気がして、気づいて欲しいと何度も何度も叫んで、……でも気づいて貰えなくて。時折私を見るあの女の目が……。本当に気が狂いそうで、どこかへ逃げたかった」
その時の情景を思い出すかのように腕で己を抱き震えるめぐみん。
長い髪の毛をぐちゃぐちゃに搔き乱す彼女の隣にいて、掛ける言葉が見つけられなかった。
当たり前だが俺はめぐみんではない。それでも彼女の様子からどれだけ辛かったのか、どれだけ苦しく悲しい想いをしたのか、それを理解出来る。
「カズマ。どうしてアイリスとエッチしたのですか?」
いつの間にか至近距離で彼女と見つめ合う。
ともすればキスをするような、そんな距離感で。
「あー……、簡潔に言うと成り行きだ」
「は?」
「魔王を討伐してからズルズルとニートをしていた俺は、偶然アイリスと出会ってな。熱烈な告白を受けて良い雰囲気、そして誰にも邪魔されない状況。そりゃあヤるしかないじゃないか」
「ぇぇ……」
ドン引きするような、豚を見るような眼差しに俺は震える。
だが、言い訳の一つもさせて欲しい。
基本的にサキュバスの淫夢頼みで、現実での性行為など一切ない。屋敷内で彼女たちのいずれかと良い雰囲気になると、必ずといって良い程に邪魔をしてくる女たち。
何より邪魔も無くいざという時になると、どちらかがヘタレる事になる。
そんな中途半端なお預けをずっと味わってきたら不満も溜まるし、性欲も溜まる。
そんな停滞した状況に現れた王女とエクスプロージョンしてしまうのも仕方が無い。
「そんな風にしてアイリスとは会う度にイチャイチャして、色々な事をしてきた。白いキャンバスに俺好みを色を塗りたくるようにアイリスはどんどんエロく、そして成長していった」
「――――」
「いつの間にか、カズマ様って優し気に呼ぶあの声色が好きになって、あの稲穂のような金髪も、大空のような青色の瞳も。外見だけじゃない、基本的に優しいけど俺とは違って積極的だったり、でもどこか知識不足だったり抜けている所とかそんな内面にも惹かれていった」
「――――」
「もう俺にはアイリスを義妹とは見れない。一人の女として好きになってしまったんだ」
初めて身体を重ねた時は性欲の方が優先されていたのかもしれない。
それでも、時間を重ねる内にアイリスとの関係を深めていく中で、彼女に強く惹かれていった。そんな事を話していると唐突にめぐみんが強く抱き着いてくる。
胸板に顔を押し付ける彼女を咄嗟に抱き留めながら、しかし俺はもう口を止めなかった。
「めぐみん。俺さ、――アイリスの事が好きだ」
「……私よりもですか?」
「……そうだな。今は、もう、そうだ」
「……っ」
心苦しかった。
口にした事を後悔して、でも取り消すつもりも無かった。
俺の心は、もうどうしようも無い程にアイリスへと傾いてしまった。
彼女を悲しませたくない、出来る事ならば幸せにしたいと、そう心から思う。
「アクアには、手を出したのに」
「…………」
「聞きましたよ直々に。アクアやエリスには手を出して、私とはそういう事をしないのですか?」
「…………」
「私にはそういう魅力は無いんですか?」
「ちが……、そうじゃない!」
既にアクアの事も彼女にはバレているらしい。
衣服越しにくぐもっためぐみんの声色が身体に振動する中で、動揺する顔を必死に隠しながら彼女に知られた事実を棚に上げて話を進める。
「……アイリスとエロい事して自信ついた俺はさ、確かにアクアとかにも手を出したのは事実だ。童貞卒業してスゲー調子に乗ってたんだが全部バレてアイリスに凄く泣かれてな。なんだかんだで滅茶苦茶に後悔したよ」
めぐみんの頭を撫でながら、空いた片手は自然と首元へ。
あの日、アイリスに受けた首絞めはトラウマとして身体が覚えている。何よりもあの日見た彼女の涙は美しくも、見ているだけで心が引き裂かれそうになる程の痛みを覚えた。
あの少女の涙を見て、俺は誓ったのだ。俺はもうアイリスを決して裏切らないと。
だから――、
「めぐみん。俺はお前が好きだ。けど、それは仲間としてだ。俺はお前とはそういう事はしない」
言った。言ってしまった。
腕の中にいる少女に、めぐみんに俺は遂に言ってしまったのだ。
無言のままぎゅっと俺の服を掴み離さないめぐみん。
顔を伏せ、俺に抱き着いたまま、じんわりとした熱を身体の前面に感じさせる。
「――――」
仮に、仮にだ。
このままめぐみんを押し倒して有無を言わさずに抱いたとしよう。
それで俺を好きになったという責任を取る為に、俺はまたアイリスを泣かせるだろう。
それはいくらなんでも不誠実だろう。あってはならない事だ。
確かにめぐみんには自分を傷つけて欲しくはない。だがその為にアイリスとの婚約を解消するつもりも無いし彼女から離れるつもりもない。俺にも譲れない部分はある。
「――――」
それから無言の時間が過ぎて。
彼女のときおり鼻を啜る音を聞きながら、数十分が過ぎた頃だった。
「……それでも。それでも、私はカズマが好きです」
くぐもった声音で、しかしその小さな声は俺に届く。
長髪からふわりと漂う甘い果実の香り、首に巻かれた腕は蛇のように巻かれる。
「カズマ」
いつの間にかめぐみんの顔が目の前にあった。
端正な白い肌、整った眉に以前よりも少し大人びた眼差し。
「ちょ……んむ!?」
抵抗する暇も無かった。
両手首を掴まれ、唇を塞がれる。ベッドが軋む中で俺を押し倒した少女、その細腕に似合わない力のステータスはアークウィザードだというのに悲しい事に俺よりも上だった。
貧弱な冒険者のステータスではめぐみんを振り解けない、それが現実だった。
艶やかなめぐみんの唇。
さらりと揺れる黒髪、身体に覆い被さり俺とキスをする。
スキルを使おうにも腕は自由が利かず、魔法を使おうにも口は塞がれている。
このままめぐみんに犯されるだろうがこの状況では仕方が無いだろう。アイリスごめん。
「……ふう」
そう思っていたが、何を思ったのかめぐみんはキスを止める。
俺を押し倒していた身体を起こし、どこか艶やかな表情で俺の耳元に囁く。
「カズマって本当に無防備ですね」
「……めぐみん」
「これは別に思い出作りとかではありませんよ。私は簡単には諦めませんからね?」
顔を見上げて此方を見下ろすめぐみんと目が合う。
紅色の瞳を和らげ、仄かに頬を赤らめて立ち上がった彼女は床に落ちた枕を俺に押し付ける。
「カズマ。抱き締めてくれて嬉しかったです。また明日」
「え……」
「ダクネスも聞き耳立てていないで行きますよ」
そう告げて足早に部屋を去るめぐみん。
扉を開けて転びそうになるダクネスを半眼で見下ろす彼女は、俺に小さく微笑む。そのままダクネスを引き連れて去った後、部屋には色々と悶々とした状態の俺だけが残る。
「えー……」
ダクネスが扉の前にいる事に気付いてめぐみんは何もしなかったのか。
それとも、別の思惑でもあるのか。単純に悪女のように俺を揶揄っただけなのか。
いずれにしても今日から暫くダクネスとアクアが彼女の傍にいるらしい。
寝て起きて今度は首を吊っていたという事は無いだろう。俺も寝るべきだろう。
どのみちめぐみんとは明日も顔を合わせるのだから。
「――いや、寝れるか!」
ベッドを転がり枕を抱えて俺は呻く。
色々とショックな事があり過ぎて眠れずに悶々と過ごす中、扉が遠慮がちにノックされる音に気付く。煩くし過ぎたのか、或いは知り合いか、いずれにしても既に時間は深夜の筈だが。
「カズマ様、起きてますか?」
「……アイリス? 起きてるぞ」
扉を開けて顔を半分だけ俺に見せる王女。
この時間帯にわざわざ男の部屋にやって来るという事は用事は一つだろう。
「なんだ、夜這いか。アイリスはエロくて可愛いなぁ。でも今日はちょっと……」
「ちちち違います! そうではなくて……」
「そうではなくて?」
「――少しだけ散歩しませんか?」