「最初は右、それから左……」
声が響く。透き通るような少女の声が響く。
その声に導かれて、その手に引かれて、俺は身体を動かす。
腕を引いて、脚を出して、身体を曲げて、操り人形のように動かされる。
まるで人形のようだと思いながらも、俺を操っている相手、機嫌よく微笑んでくる王女を見ていると、そんな些細な事などどうでもよいと思ってしまう。
「お上手ですよ、カズマ様」
「そうか? 見様見真似というかアイリスの教え方が上手いんだろ」
実際にその通りだった。
生前から今までダンスなど習った事は無い。精々映画や漫画でそういう誰かが踊っているシーンを見たり、この異世界で舞踏会を楽しむ貴族連中のダンスを見る機会だけはあった。
ダクネスと違い冒険者が踊る必要性など皆無だったからという背景もあり、以前の舞踏会でも貴族の踊りよりも料理、なにより女性陣の着飾ったドレス姿やメイドを見る事を優先していた。
「アイリスに初めてを奪われちまったな……」
「あの……。なんというか、その言い方は気持ち悪いです」
――俺はアイリスとダンスをしていた。
ときおり兵士の巡回があるが、この城に住むようになった俺と、何より俺以上に長く住んでいる金髪の王女にとって部外者との接触を避ける事など造作も無い。
これでも以前侵入した時の事を踏まえて警備の量は増えているが誤差に等しい。
潜伏スキルを使ったり小器用に巡回する兵士の目を搔い潜る俺にキラキラとした眼差しを向けるアイリス。中々におてんば娘な彼女はこういう義賊の真似事が好きなのだ。
そうして王女に誘われた夜の散歩は厨房に忍び込みつまみ食いをして終わるかと思ったが。
その帰り道、ちょうど無人の大広間に到達した時にアイリスに踊らないかと誘われた。
王女直々に誘いに仕方なしに従い、踊れない事がバレて、渋々と彼女に教えを乞うていた。
「まあ、でもダンススキルとかあったらもっと上手く踊れるんだろうな」
「そんなスキルがあるのですか?」
「いや言ってみただけ。踊り子とか持ってる気がするんだよな」
「そうなんですね。でもカズマ様もスキル頼みではなく自分の力のみで踊られては如何ですか? なんでもかんでもスキル頼りというのは良くないと思います」
「お、おう。……なんか今日のアイリスはちょっと棘があるよな。そういう日?」
「そんなつもりはないのですが……、どういう日なのですか?」
「……、いや、なんでもない。忘れてくれ」
俺を見る王女の瞳からそっと顔を逸らすと同時に彼女の脚を軽く踏んでしまう。
「わ、悪い」
「いえ、大丈夫ですよ。ですが、ちゃんと私を見て下さいね」
圧倒的なステータスにより俺程度が踏んだ所で痛みなど発生しないのかもしれない。
キョトンとした顔を向けられながら、しかし本来ならば死刑になりそうな行為を反省し、何よりもミスをしたくないと先ほどよりも神経を尖らせて彼女とのダンスを続ける。
「下手くそで悪いな」
「いえ、我儘言ってごめんなさい。どうしてもカズマ様と踊って見たかったので。二人きりなら誰も邪魔しないですし、ミスがあっても誰も何も言いませんから」
「俺と?」
「はい! 他の誰でもないカズマ様とです」
「……っ」
僅かに頬が熱くなりながら、アイリスの柔らかな手を取ってダンスを続ける。
意外にも彼女の教えは理解しやすく、何度か踏みそうになりながらも辛うじて最低限の事は出来るようになってきた。
苦心しながらも、そういえばミツルギもアイリスと踊っていた事を思い出して熱が籠る。
「いち、にー……、いち、にー……」
「アイリスの腰は細いなー」
「カズマ様、そこはお尻ですよ」
音楽は流れていないが、早すぎず遅すぎずに彼女の合図に合わせて踊る。
殆ど彼女の指示通り、というか人形のように手足を上手く誘導されてはいるが踊れ始めて、そうしてようやく下を向いて手足を見るだけではなく、顔を上げてアイリスの目を見る余裕が出来た。
「――――」
少女の、どこか物憂げな瞳と視線を重ねる。
何かを言いたそうな、だが相手を思って自分を押し殺すような眼差しに。
「……なんか言いたそうだな。ほら、誰もいないから言ってみなって」
「……。その……、めぐみんさんの事ですが、てっきりカズマ様は側室に追加したいとか、俺の女にするわ! とか、そんな感じの事を言い出すのではないのかと思いました。なんだかんだでカズマ様はお仲間に優しいですから」
「――――」
「ですから、あの時断っていたのは意外で……、嬉しかったです」
そんなホイホイと側室に加えたがる男に見えるのだろうか。多分、見えるのだろう。
女神二人に手を出した俺の下半身は信用ないらしい。
確かにハーレムは良いと思うが、想像と現実が異なる事は十分に理解しているつもりだ。貴族連中が妾や側室を取るのは普通とは聞くが、俺のベースは現代日本の倫理観で構成されている。
童貞を捨てて、ある程度の快楽を知ったから言える。
性欲に身を任せて、欲望のままに行動すると必ず後悔するのだと。
「良かったのですか?」
「いやそれは……。というか聞いてたのか?」
「ここは、私が住むお家ですよ?」
「――――」
にっこりと微笑むアイリス。
わざわざ本人が聞き耳を立てなくともアサシンか誰かが聞いており、どこで誰が何を話していても筒抜けという事なのだろうか。
ロイヤルスマイルを見せる彼女に聞いてみたいが、ひとまずその質問は置いておく。
「なあ、アイリス」
「はい」
「確かに俺は大金が入ったら何もしないでいようとするし、出来るだけ楽して人生を生きていたい。俺に優しく甘やかしてくれる子とずっとイチャイチャしていたい。そういう男だ」
「知っています。カズマ様はそういう人ですよね」
「だけど……、そういうのはちゃんとしようって思ったんだ」
「そういうのとは?」
いつの間にか二人、ダンスを止めて向かい合う。
窓から差した月の光が王女を優しく照らし、一層美しく映えさせる。
「アイリス。俺はもう、誰とも浮気するつもりはない」
「――――」
「説得力は無いだろうけど」
それが、俺の出した答えだった。
胸に手を当てて、最初に思い出すのはアイリスの髪色、瞳、そして笑顔だ。
あの日の夜、俺がアクアやエリスと性行為に及んだ事を知った彼女の行動は今でも覚えている。何となしに首元を手でさすって無言を貫く王女の蒼の瞳と向き合う。
ダンスを終えていても、互いの手を取り合ったままの状態。
ふと右手を持ち上げて彼女の左手を月光に照らし出す。
細く、白く、綺麗な手だ。その左手の薬指の付け根、一部分だけが異様に白い。
「指輪。結局壊れて直せないんだって?」
「……はい。殆ど木端微塵になってしまって。ごめんなさい」
以前の舞踏会で身に着けていたアイリスの指輪は冬将軍に壊されたという。
俺が昔あげた玩具の指輪も、高性能だと目を煌めかせて言っていた指輪も失われた。
「ちょっと寂しいですけど、良いんです。……こうしてカズマ様が傍にいてくれるなら」
「……まあ、そう言って貰えると男冥利に尽きるけどな」
こうして傍にいる事が増えると彼女の目線がたまに左手に向かうのかが分かった。
クレアほど四六時中一緒にいる訳では無かったが、それでもアイリスがどれだけあの指輪を大切にしていたのか、多少なりとも理解出来るだろう。
やや悲し気に自らの指を撫でる少女を見下ろしながら俺は上着のポケットに手を伸ばす。
雰囲気を考えて今がチャンスだろう。
購入した時から肌身離さずに持っていたそれを彼女に見せる。
「アイリス」
「……ぁ」
小さく掠れた声が彼女の口から漏れる。
呼び掛けて顔を上げたアイリスの目線は俺が取り出した指輪に向かう。
柄では無いのだが、一生に一度の事なのだ。
気恥ずかしさは堪えて、彼女の前ではせめて格好良く決めたい。
「ちゃんと言って無かったからさ。改めて、俺の方から言わせて貰うぞ」
「――――」
「結婚しよう、アイリス」
思えば面と向かってプロポーズをした事が無かった。
婚約指輪どころか、そういう話すら真面目にした事が無かったと思う。取り敢えず結婚だの、婚約だの、周囲との決着だの、そういう話ばかりが先行して、気持ちが追いついてきて無かった。
だがそれも終わりだ。しっかりと向き合って口にする時が来たのだ。
この指輪はそのケジメであり、証明なのだ。
他の誰でも無くアイリスという少女を俺が選んだ、その証だ。
「――――」
数秒、彼女は言葉を失くす。
そのわずかな沈黙の間にも大きく見開いた瞳に様々な感情が過るのが分かる。
それらの想いを抱えたまま、アイリスの桜色の唇が震えて、
「……指輪を嵌めて頂けますか」
彼女の差し出した左手を手に取る。
以前のような安物の玩具ではなく、指のサイズに合わせて自動的に収縮する機能などが付いた指輪だ。富豪になった俺でもそれなりの値段を掛けただけはあり、しゅるりと王女の薬指へと問題なく指輪を嵌める事に成功する。
そのまま彼女は指輪をジッと見つめて、やがて窓に向けて手をかざす。
窓の外に見える月夜へとアイリスは無言で白銀色の指輪を嵌めた手を掲げる。
ジッといつまでも見続けていそうな彼女を見ながら、問題なく嵌める事が出来た事と指輪を受け取って貰えた事、その二つに安堵していると小さく鼻を啜る音に気付く。
「あ、アイリス……?」
「ぇ……? ぁ……」
少女の頬を伝う一筋の透明な滴。
俺が指摘して初めて気が付いたとばかりに己の涙を指で掬うアイリスは困ったような、嬉しそうな、そんな感情の入り混じった表情で俺に笑い掛けてくれた。
「その、とても嬉しくて。夢なのではないのかと疑ってしまうくらい……」
「――――」
「ありがとう、ございます……。国宝にして死んでも大事にしますね」
「いや、そこまでしなくても」
金髪を揺らし俺の胸元に飛び込んでくる王女を咄嗟に抱き締める。
暖かさと柔らかさと、彼女の甘い匂いがふわりと鼻腔を擽る。
腕の中にいる彼女を抱き締めて、それが夢ではないと強く抱きしめるとぎゅうっと俺の背中に彼女の腕が回される。万力の細腕ながら繊細な物を扱うような抱擁に彼女の性格を感じる。
感極まったとばかりに首元に熱い吐息を、潤んだ瞳には親愛を揺らすアイリスが囁く。
「どうして」
「ん?」
「――どうしてここまでしてくれるんですか?」
見つめ合って、熱を孕んだ蒼の瞳が俺を捉える。
どこまでも俺の心を掴んで離さないと、その瞳に魅入られる。
どうしてと、そう告げる彼女はジッとを俺を見つめる。
こうして眼前に立たれるとアイリスの背丈もまた少し伸びたのだと分かる。それでも俺を追い抜くには拳二つ分ほど身長が足りなくい少女。
彼女を前にして、俺は少し返答に詰まり、頭に手を回す。
プロポーズする時は結婚指輪を渡すものだ。
そういった当たり前の回答を望んでいる訳では無いのは分かっている。
情熱的で真っ直ぐな眼差しを俺に向けるアイリスに。
なんとなくその瞳に期待を見せる彼女を前にして、一から十まで長々と語るというのは恥ずかしい。自分でも臭い事を言おうとしているのは分かっているのだ。
それでもキチンと伝えるべきだと思って、胸の中に渦巻く万感たる想いを一言で告げた。
「アイリス。――愛してる」
+
水を掛けて、周囲の草を抜き、墓の掃除をする。
そうして綺麗になった墓石に座りコサックダンスを披露する幽霊少女に俺は頷く。
「クリスっていう銀髪の女がいるんだけどな。そいつだけには見つかるなよ」
アクアと違ってエリスの方はアンデット系や悪魔に対して容赦が無い。
魔王軍死すべし、悪魔倒すべし。慈悲などなく、相手に対して慈悲は無用だとする女神だ。
クリスの時に何度も屋敷に来るのだが、運が良いのか、或いは有り得ないと思うが見逃して貰っているのか。アクセルの屋敷に住んでいた彼女とクリスが出会う事は無かった。
純粋にクリスの時は見えないのか、もしくはこの幽霊少女も本能的に敵を察知しているのか。
今後も近づかせず、自然に成仏して貰うのが夢見が良いだろう。
「ほら、お供え物。酒が好きだって言ってたけどどうやって飲んでんだ?」
何故かは知らないがいつの間にか幽霊が見えるようになっていた。
恐らくはアクアかエリス辺りの仕業なのだろうが、実害は無いので放置だ。何よりも彼ら彼女らは話を理解出来る頭さえあれば幽霊特有のスキルを教えてくれたりもする有用な存在だ。
出来る限り仲良くしておくに越したことはない。
「カズマー! まだここにいたのですね」
幽霊が見えていても一応は墓石に手を合わせていると少女の呼び声。
立ち上がり目を向けると此方に歩いてくるのはめぐみん、そしてアイリスだ。
「カズマ様。お外は寒いですから中に入りましょう?」
そうして俺の手を引く麗しい王女。
「そうですよカズマ。ほら、お茶の一杯でも淹れてあげますから」
余った片方の手を取る頭のおかしい紅魔の少女。
二人はむむむ、と互いを睨み合って口々に喚き立てる。
「……めぐみんさん。少しは遠慮して下さい。最近、カズマ様と距離が近いですよ」
「仲間というのはこれぐらいのスキンシップが普通なのですよ。知らなかったのですか? ……ああ、アイリスは冒険者じゃないから分からないのでしょうね」
「騙されませんよ! そうやってベタベタとしないで下さい。カズマ様も何か言って……」
婚約者と仲間の魔法使いが俺を取り合う状況は一度や二度ではない。
ただアイリスの護衛が俺を睨んだりオロオロしたりする中でも俺が平然としているのは、以前のように殴り合いになったりはせずゲームなどの平和的な勝負事をするようになったからだ。
彼女たちの間で何があったのかは知らないが、俺の見ている限りでは以前のような関係に殆ど近いように見える。
俺の関与しない所で何があったのかは教えてくれなかったが、平和的なのは良い事だ。
「そうですか、そうですか! 私から男を寝取った女は流石に言う事が違いますねぇ!」
「……? 一瞬でもめぐみんさんの物だった事はありませんよ?」
「ぶっ殺!」
冬将軍の討伐からニか月が経過していた。
俺たちが留守の間、アクセルの屋敷はダスティネス家が管理していたらしい。
俺はアイリスと城から離れて屋敷へと戻って来ていた。
このまま城に住むのも良いかと思ったが、城の改修工事や挨拶回り、そして本格的に王城に住まいを移すという事で荷物の整理などを行っていた。
此方の屋敷はダスティネス家が管理しつつ、俺の別荘のような扱いになる。
少し名残惜しい気がするが、好きな時に戻ってくる事が出来るのだ。
屋敷でだらだら過ごすか、城でだらだら過ごすか、その違いだろう。多くの功績を立てた俺を城の人間たちも以前のように粗雑な扱いをする事は無い筈で、生活は安泰だろう。
本格的に王城に住みアイリスとイチャイチャして過ごすと決めた以上、今までの日常とは多少変わる部分もこれから少しずつ出てくるだろう。
アイリスの手を取って、その選択によって日常や人生が変わるのは当然の事だ。
だが、停滞する日々を捨てて彼女と歩む道を選んだ、それを後悔するつもりはない。
「カズマさーん! ご飯出来たわよー!」
「おー……、今行くよー! ほら、お前らも遊んでないで行くぞ」
窓から聞こえるアクアの声に返事をして、最後に墓石に一礼する。
どのみち、暫くの間は屋敷と王城を行ったり来たりして過ごす事になるだろう。
多少の時間はある。焦らずジックリと事を進めよう。
そう思いつつ、俺は仲間たちが待つ屋敷へと脚を進めたのだった。