ZERO PIECE −童貞のはしくれ− 作:nora-inu
俺の名前は
あの国民的海賊漫画ワンピースをこよなくリスペクトする独身貴族の会社員。
今月でついに俺も三十路を迎えるのたが、富も名声も力もなければ、これまで女性経験すらなく、会社の奴らからは、陰で"童貞王"と呼ばれている。
誕生日を目前にして急に焦り始め、わざわざ会社に有休を申請してまで訪れたのは、ナンパ待ちの女性が多く、お持ち帰りが容易に出来るとネットやSNSで噂のビーチである。
童貞の王から妖精に昇格してしまうまでには、何が何でも女性と"ひとつなぎ"になりたいという野望を掲げ、夏の海へとやってきた。
しかし、ナンパどころか、小学生以来、母親以外の女性とまともに会話すらしてこなかった俺にとって、眩しい女性たちのビキニ姿を遠くから小指を咥えそっと眺めていることだけで精一杯。
途方に暮れた俺は、仕方がなく誰かと乗る予定だった浮き輪マットに寝そべって、天を仰ぎながら独り波に揺られていた。
照り付ける日差しに潮の香りと波のさざめき、夏の海に心癒され、どんより曇った気持ちも次第に晴れ渡る。
しばらくすると腹の虫が鳴き始め、そろそろ昼食にしようと思い立ち起き上がってみると、岸が遥か遠くに見え、予想以上に沖合いまで流されていることを知る。
魚人族ほどではないが、元水泳部で泳ぎには多少自信もある為、悠々とまずは伸びをし身体をほぐしたりしながら準備をしていると、すっぽり覆われるほどに大きな影が突然頭上に現れた。
まるで近海の主が背後から襲い来るような危機迫る状況に、咄嗟に後ろを振り返ると、まるで"アクア・ラグナ"のような、見上げるほどの高波が立ち塞がる壁のようにそびえ、うねりをあげて押し寄せて来る。
抗う間もなく次の瞬間には辺り一面真っ暗な海の中に引きずり込まれ、水圧で身動きが取れず、上下の方向感覚さえも失われ、死の恐怖を感じる。
たまたま来た海で、たまたま海に呑まれて、こんな簡単に俺は死んでしまうのかと思うと、歯を食いしばらずにはいられないほどに悔しくてたまらない。
そして、既に朦朧とした意識の中、ある言葉が脳裏を過ぎる。
"おれがなるって決めたんだから、そのために戦って死ぬんなら別にいい"
俺のこの悔しさは、自分の
戦わずして自分の童貞を恥じることしかできなかった、そんな無様な
もしも、生まれ変わったのなら、その時はアソコがゴムのように伸び果てるくらいにセックスしてみてェな…………
なぁ、来世の俺よ。
この童貞はお前に預ける。
俺の大切な童貞だ。
いつかきっと見返して来い。
立派に卒業してな……
⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘
「知らない天井だ」
お決まりのセリフを思わず吐いてしまったということは、どうやら俺は生き伸びたらしい。
心優しい誰かが助けてくれたのか、ふかふかの布団の中で目が覚めた。
窓から差す陽光の様子から、そこまで時間は経っていないと思われるが、昼食を取りそびれたせいか空腹具合が異常である。
運良く一命を取り留めたというのに、このままでは今にも天に召されてしまいそうだ。
餓死寸前のゼフが自分の脚を切断して食った気持ちが今なら少しだけ分かる気がする。
俺の空腹状態は、まだ脚を食うほどのものではないが、その一歩手前ぐらいには達しており、本能的に食べ物を目当てに辺りを見回していた。
簡素な部屋ではあるが、最低限に設備された家具は木製で統一されており、暖かみを感じる。
棚の上に置かれた花瓶にはマリーゴールドのような花が差してあり、どちらかと言うと、女性的な印象の部屋である。
それ意外には特別、目に付くようなものはなく、どうやらこの部屋に食べ物はなさそうだ。
花を食べるという手段も考えたが、花をむさぼっているところを、助けてくれた住人に見られでもしたら、スリラーバークのゾンビさえ慄くホラー映画が完成してしまうので今はまだ我慢することにした。
それよりも、ここが女性の部屋だと意識した途端に、何やら悶々とした胸騒ぎがして淫猥な妄想に気を取られ始めた。
何を隠そう、俺は小学生以来、女子の部屋にも踏み入ったことがないアラサー童貞なのである。
その性欲たるは、思春期から止まることなく成長が続き、今や発情期の猿のそれに匹敵するほどと自負している。
ついクセで、布団の中に手を入れ、自分の股間をまさぐってみるのだが、花の手掛かりだけで、ここが若くて俺好みの女性の部屋だと決めてかかるには、あまりにも証拠不十分であることに気が付き手を止めた。
ビッグマムみたいな太ったおばさんかもしれないし、海軍の大参謀おつるさんみたいな、シワシワのお婆さんかもしれない。
マニアックな例えになるが、若くても、エニエス・ロビー給仕職員のギャサリンみたいなシンプルおブスという可能性や、カマバッカ王国のエリザベスのようなオカマだったり、はたまた単なる花好きの男の線もゼロではないのだ。
理想を優先して妄想に浸り、あとで痛い目を見るのは御免である。
しかし、これ以上の手掛かりをこの部屋から得ることができず、部屋の向こう側に人の気配を感じるので、いずれ巡ってくる顔合わせイベントを迎え撃つことにした。
例えどんな人であったとしても、助けられた仁義だけは忘れてはいけないと胸に誓い、俺はベッドから脚を下ろし、まだ見ぬ恩人が待つ扉の先へと歩み寄る。
ところが、ベッドから立ち上がった瞬間、"
その物音に反応し扉の向こう側からドタドタと慌てた足音が近づいて来て、その勢いのまま部屋の扉が開け放たれた。
「大丈夫ですかッ!?」
優しそうなその声は紛れもなく若い女性から発せられた音である。
期待通りの結果に痛みに引きつっていた表情も思わず緩む。
「へへへ……あ、大丈夫っす」
声は合格点と幸先良いが、肝心の容姿に興味津々となり顔を上げて直ぐにでもその風貌を確かめたいところだ。
しかし、首を持ち上げ顔を覗き込みたくとも、軽く首筋を力ませただけで、その反動が身体を伝い、脚に再び激痛を呼び戻させ、"ゴムゴムの
「すぐにお医者さんを呼んで来ます!少し待ってて下さいね!」
俺の右足は全治半年に及ぶ剥離骨折。
医者に鎮痛剤を打ってもらったお陰で、すぐに痛みは治まり、人生初のギプスを装着された。
「すいません、二度も助けて頂いて、本当にありがとうございます」
「三日間ずっと眠っていたんですもの、まだまだ心配は絶えませんけど、なんだか少しホッとしました」
見ず知らずの俺の心配をしてくれる、心優しき恩人は、その心だけでなく容姿さえも美しい女性だった。
見たところ同年代くらいで、
満足すぎる答え合わせの結果に俺の方こそ"ホッとした"というのは言うまでもない。
しかし、聴き間違いだろうか……
彼女が“三日間ずっと眠っていた”と口にしたように聞こえたのだが、俺が眠っていたのはいっても三時間ほどだろう。
「み、三日間って……?」
「そうですよ、あなたが岸で倒れているのを発見してから今日で三日目です!ずっと眠っていたから分からないですよね、お腹に聞いてみるとどうですか?」
「う……確かに……餓死寸前です……」
「ふふふ!すぐに食事の準備をしますね!」
「あッ、そんなつもりじゃ……」
「お腹を空かせて死にそうだなんて言ってる人を放っておけません!これでも一応料理はプロなんで安心して待ってて下さいね!」
彼女は手でグーサインをしながら颯爽と部屋を出て行った。
世の中にはサンジみたいに“食いてェ奴には食わせてやる”精神を持っている人が本当にいたのかと感心した。
足を診てくれた医者によると、ここは彼女の自宅兼店舗らしく、一階がダイニングバー、そして俺がいるのは二階の彼女の住まい部分の一室ということらしい。
俺と年齢も変わらないはずなのに経営者で持ち家があって、おまけに美人で優しいだなんて、まるで住む
それなのに親近感があって、今日初対面のはずなのだが、以前に会ったことがあるような、もしくは、ずっと前から知り合いだったような不思議な感覚に陥りそうになる。
そうこう考えている内に、部屋まで旨そうなバターの濃厚な匂いが漂ってきて、口の中で無限に湧き出でてくる、よだれが垂れないように耐えることだけで必死の状態だ。
「弱った胃と骨にも優しいミルクたっぷり栄養満点リゾットです!どうぞ、召し上がれ」
芳醇な旨みが、空っぽの胃に染み渡る。
餓死寸前のギンがバラティエでサンジの料理を"面目ねェ"と嘆きながら食うシーンを勝手に重ね、無我夢中でリゾットを頬張った。
「ぷはー!めちゃくちゃ美味かったです!ご馳走様でした!」
「お口に合ったみたいで良かったです!お腹の方はどうやら元気そうですね!」
「すいません、今度はきちんとお代を払って食べに来ます!今日のところは
「あ、もしかして、あなた海賊さん?」
普段のクセで、つい口を突いて出てしまったが、まさか“宝払いで”っていうジョークに自然と乗っかってきてくれるとは……
正直、アラサーにもなってワンピースのネタは引かれてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしたが、結構いける口なのか?
「あ……バレました?実は将来、海賊王になる予定なんですよ」
「夢は大きく持たくちゃ!きっと叶いますよ!ふふふ!」
よし!ウケている。
近頃、女性のワンピースファンも増えているとは聞いていたが、所詮ルックスをこじらせた腐女子が全面に出たような人ばかりかと勝手に思い込んでいた。
しかし彼女は、美人で優しくておしとやか、料理もうまいし、その上ワンピネタに理解があり、おまけにノリまでいいなんて、非の打ちどころがまるで無い!
「ははは……実は"ワンピース"には目がなくて、良かったです!分かってもらえて!」
「私って何故かそういう人たちと昔から縁があるみたいなんです」
「へぇ、なんか意外です!」
「そうですか?つい、この前まで近くに私の弟みたいな子が住んでいたんですけど、その子も小さい頃から、あなたと同じように海賊王になるんだって、毎日言っていましたよ」
「なかなか将来有望な子ですね!」
女性の前だと緊張して、普段ならまともに目もみれず挙動不審になってしまうところだが、趣味が合うからなのか、やはり彼女の前ではそうならなかった。
「ところで、お名前をまだ聞いてませんでしたね!私はマキノって言います」
「え!?マ……マ、マキノさんって言うんですか?それって本名?」
「ええ、もちろんです!」
「すげー!!あ、俺は和也です!良かったらカズって呼んでください」
名前もそうだが、改めて言われて見ると服装や顔の雰囲気もなんだか、あのマキノっぽい。
意図的に寄せているのだと思うが、これがコスプレならあまりにも自然ナミ仕上がりで、数々のコスプレイヤーたちを見てきた中でもトップレベルと言えるクオリティだ。
マキノさんがワンピース好きと知り、もっと話したいという気持ちがかなりたかぶっていたが、まずは三日間も音信不通で会社を無断欠勤してしまっている状況なので、一刻も早く上司に事情を説明しておかないといけない。
しかし、スマホは荷物と一緒にビーチのロッカーに預けっぱなしで、さらには自分がどこまで波に流されたのかさえも分かっていない。
三日間も目覚めず、骨まで折れるほど波に揉まれていたとなると、割と遠くまで流されてしまった可能性もある上、この足で元のビーチまで辿り着く方法があるかどうかさえ怪しい。
「マキノさん、湘北海岸っていうビーチはここから近いんですかね?」
「んー……その名前の海岸はこの辺りでは聞きませんね」
やはり、結構流されてしまったんだな……
「ちなみに、近くに列車とかは走ってないですかね?」
「列車はないですね……中心街までいけば、定期船は出ていますが、カズさんはどちらから来られたんですか?」
メインの移動手段が船ともなると、想像以上に遠くまで流されたのだろうか。
「東京から来たんですが、もしかして結構距離ってありますかね?」
「どうでしょうか、私では分からなくて……村長さんなら分かるかもしれません」
市や町でなく村ってことは、どこかの離島や半島なのだろうか……にしても先ほどから何だか妙な違和感を感じるのだが、一体これは何だろう。
「すいません、仕事場に連絡をとりたいんですが、所持品は全て預けてきてしまって……」
「あら、お仕事大丈夫ですか?待っててください、すぐに持ってきますね!」
彼女は部屋を飛び出し、別室からすぐに電話機を持ってきてくれた。
「ん……電話機?」
「あんまり遠いところだと、もしかしたら
「いや、でッ電伝虫!?しかもこれ、すんげェリアルーッ!!造形だけじゃなくてこの質感も……」
触るとねっとりとした弾力があり、子供の頃、梅雨の時期によく捕まえたカタツムリの感触そのものであった。
「カズさん?」
「ぎゃーッ!!何か動いたーッ!?」
最初はフィギュアかグッズの類いだと思っていたが、目をギョロッと動かせたり、指先から伝わる脈の振動は、人工的な無機物によるそれではなく、その身に生命を宿した生物そのものである。
「カズさん落ち着いて下さい!一体どうされたんですか?」
「う……動いてるッ!?こつい、いッい……生きてるッッッ!?」
「生きてますよ!安心して下さい!電伝虫なんですから、当然生きてなきゃ使えないですもの!」
「ハァ……ハァ……そ、そそそ、そうですよねェ……」
「カズさん顔色がもの凄く悪いですよ!?一度横になって休まれたほうが……」
そしてようやく俺は最初に感じた違和感の正体になんとなく気づき始めた。
「え?あ、いや、取り乱してすいません。大丈夫です」
「なら良いんですけど……まさか番号が思い出せないとか?記憶喪失とかじゃないですよね?」
「ハハハ、大丈夫ですよ!寝過ぎたせいか、まだ少し寝ぼけているみたいです」
「それなら、良いんですが、なんだか心配ですね」
高波に飲まれた影響で、俺の頭はついにおかしくなったのか……いや、それとも、もしくは……
「あの〜マキノさん、確か一階ってあなたのお店でしたよね?」
「ええ、そうですよ!急にどうされたんですか?」
「お店の名前、"PATYS BAR"という店名じゃないですか?」
「あら、どうしてそれを?あッ!外の看板を見たんですね?あッでも、その足じゃ……」
「何か、今ふと閃いたんです」
あり得ないだろ!ここが、どういう場所だか見当は付いたが、あり得るわけがない!一体何が起きているんだ!とても信じられないが、これはもしかして、もしかすると、やはり俺は……
「それって超能力者みたいですね!」
「そうですね、そんな感じなのかもしれません、ちなみにこの村の名前って何て言うんですか?」
「フーシャ村ですけど……」
「やっぱりですか……村長は、ウープ・スラップさんですよね?」
「それも閃いたんですか!?」
「はずれていますか?」
「いいえ、大正解です!もしかしてカズさん、この村に前に来たことがあるんですか?」
「そうですね……まだ確証はありませんが、来たことあるのかもしれません」
「思い出せないんですか?」
人見知りで初対面の人と会話をすることが苦手な俺が、何故だかマキノさんとは緊張せずに普通に話せた理由がようやく分かった。
何度も読み返したあの漫画の中で、俺は彼女と何度も会っていたんだな。
通りで昔から知り合いだったような気がするわけだ。
「マキノさん、少し肩を借りていいですか?外の景色が見たいんです」
これは夢かもしれないし、幻かもしれない。
ただ、そんなのはどっちだって構わない。
今、俺の目には確かにこの世界が映っている。
これまで何百回、何千回、どれだけ望んでも決して辿り着くことができなかった世界が、今ここに広がっているんだ。
「やっと方向が分かりました」
「帰る方向のことですか?」
「いえ、向かうべき方向です」
「あら、良かったです!思い出せたんですね!」
この海の先にも、ちゃんとこの世界は続いているんだろうか。
この海の先に、ナミさんやロビンちゃん、ビビやたしぎにハンコック……みんな居るんだろうか。
「ええ、お陰様で!最高にワクワク……いや、スッキリとした気分です!」
「ふふふ、ところで、どちらまで向かわれんです?」
「そうですね〜……まずは、
宇宙を目指すよりも、あの
不思議とこの世界でなら俺は何でもできる気がするのだ。
「あら大変!それなら早く足を治さなくちゃいけませんね!」
「はい……それでマキノさん、ひとつお願いがあるんですが……」
「何ですか?」
「もうしばらく!!泊めて下さいッ!!!」
俺はこの世界に来てようやく気付けたことがひとつある。
俺がここまで童貞だった理由である。
決して誰からも求められなかったからではない。
少なくともあの世界には、俺が求めるような女性はおらず、俺自身が誰も求めてこなかっただけなのだと。
これは、俺の
この愛するワンピース の世界で、
行くぞ!!
TO BE CONTINUED