―――そして、10日間に渡る聖杯戦争は終わりを迎え、少しばかりの時間が経過した。
――秋津市北側・元唯一神理教総本山跡地――
「これでよしっと。桜子さん、そっちも終わったかい?」
「うん、セレスさんとノルンちゃんのお墓周りも綺麗になったよ! これだけ人がたくさん足を運んでいても、二人の世話をできるのはあたし達だけだから、しっかりとやっておかないとね」
秋津市を賑わせた未曽有の恐怖事件、勢至姆組による街一つをターゲットとした抗争事件、そしてその裏で行われていた聖杯戦争が終わってから、半年の時間が経過した。
当時は世間を賑わせていた秋津市も、今ではすっかり話題に上がることもなくなり、私達はこれまでの元々見知っていた穏やかな時間を取り戻すことが出来た。
多くの人々は半年前の出来事をどこか他人事のように、変わることなく、当たり前の日常を享受している。あたしたちが守りたかったものはまさしくそれで、それを指して自分たちの努力を何も知らない人間たちなんて言うつもりは全くない。
ただ、爪痕がまったくないわけではない。秋津市の聖杯戦争は、多くの人の命を奪った。キャスター陣営とバーサーカー陣営の企てによって、何の関係もない多くの人が命を落とし、蓮司君のお父さんやセレスさん、ノルンちゃんのように聖杯戦争に関わる人たちも命を落としていった。
かつて、半年前にあたしたちがあの黄金の杯を目にしたこの場所は、今は半年前の出来事で命を落とした人たちの共同墓地となっている。
キャスターが鎮座していたその場所には石碑が建てられ、この街で起こった悲しい出来事を忘れないようにと建てられたそうだった。蓮司君曰く、ここにも裏の思惑が色々と重なった結果であると言うのだけれど、あたしはそこらへんの事情は全く分からないし、表向きには誰も気にしていない。
多くの人が命を落とした唯一神理教の信徒の人たちはここに大勢の仲間を供養する場所を作りたいということだった。セレスさんとノルンちゃんのお墓はあたしが蓮司君に無理を言って、作らせてほしいと言った。
今のあたしでは、セレスさんやノルンちゃんの生家に出向くことはできない、かといって何もしないのでは、一段落をつけることもできない。
蓮司君も同じように、お父さんのお墓を作った。本来の遠坂家のお墓はあるとのことだったけれど、骨の一部をここに埋葬することにしたと言っていた。
忘れたくないから、といった蓮司君の顔には悲壮感はなく、お父さんの死を受け入れて、前に進もうと言う意志が見えた。
蓮司君はもう大丈夫だと思う。蓮司君が何処まで自分の理想に近づくことができるのかはあたしにも分からないけれど、遠坂の当主の役目を途中で投げ出すようなことは絶対にしないだろうと言う確信だけは持てる。
実を言えば、あたしも少しだけ変わったことがある。あの聖杯戦争が終わってからしばらくして気付いたことだけれど、聖杯戦争の最中に何度も何度も自分の中から聞こえてきた七星の血の記憶から発せられる声が聴こえなくなった。
最初はその変化にすら気づいていなかったんだけど、1月として、聞こえて来なくなったことを不思議に思い、あれが聖杯戦争の時にだけ聴こえて来たモノなのかなと思いもしたんだけど、兄さんに聞けば、兄さんは自分の中でその囁きのようなものは残っていると言う。
半年を経過して、自分の魔力が浮気だつことが何度かあった。それは七星の衝動であり、制御しなければならないモノだと兄さんに言われた。ただ、あたしの場合はそれがとても小規模なもので、兄さんもどうしてここまで小規模なのかはわからないと口にしていた。
思い当たる節が全くないわけではない。聖杯戦争の最後にロイがあたしの身体の中に聖杯を通じて何かをした。身体に変調はない。でも、もしも……、それが七星の声が聴こえなくなることに関係しているのだとしたら、あたしはロイに救われたことになる。
思い返せば、本当に駆け抜けるような日々だった。あの時間の中で、魔術の使い方は飛躍的に高まった。でも、あたし自身としてはそこまで強くなれた実感はない。七星の血に背中を押されて、ようやく他の魔術師たちと戦えていると言うのが現状であることはあたしも良く分かっている。
だから、あたしも強くならなければいけない。今のあたしの状態がいつまで続くのかもわからない。そして、いつかは――――決着を付けなければならない時が来るかもしれない。
それが1年後なのか、10年後なのか、それよりももっと先なのかはわからないけれど、アフラ・マズダは必ずまたあたしの前に現れるだろうと予感めいた覚えがあった。
それが聖杯戦争であるのか、それともアフラ・マズダが口にしていたように全く別の形でのアプローチになるのかはわからないけれども、もしも、聖杯戦争の形で引き起こされるのならば、あたしは自分の願いを諦めるつもりはない。今度こそはと……自分の願いを聖杯に託すつもり。
勿論、それがあたしの人生の総てじゃない。起こるかもしれない可能性の話しに怯えているんじゃ、日常を取り戻したことに意味を持つことが出来なくなる。あたしはあたしの人生を謳歌するために、七星の呪いになんて負けないために、もっともっと研鑽を積まなくちゃいけないんだから……!
「桜子さん?」
蓮司君も頑張っている、彼はあたしを目標になんて言っていたけれど、あたしなんかよりも遥かにいろんなことを頑張っている。火事場の馬鹿力だけでうまく行くほどこの世界は甘くない。才能だけで戦っていても、あたしよりも才能のある相手には勝てない。
だから……あたしも決断しなくちゃいけない。
「ねぇ、蓮司君、あたし、決めたよ。神祇省からの誘い、学園を卒業したら、受けようと思うんだ」
「……そっか。何となく、そんな気がしてたよ」
聖杯戦争が終わりを迎えてから、改めて秋津市の戦後処理の為に遠坂の屋敷を神祇省の唯那さんたちが訪れた。その折に聖杯戦争の関係者として同席したあたしは、唯那さんから直々に神祇省で修練を積んでみないかと言われた。
『勿論、修行と言うのは建前で戦力が欲しいんが本音や。聖杯戦争が終わりを迎えても、あんだけ魔術絡みの事件が日本中に共有されたらよからぬことが起こるんが世の常。数年間は忙しくなるいうんなら、特級戦力を調達して来いって姫様が言うはるから、困ったことになっとるんや』
『勿論、今すぐにとは言わんし、一生働きつづけろなんて言わへんよ。ただ、数年間は力を貸してほしい。その見返りにうちらがあんたの魔術を鍛えたるから』
魔術と関わらずに生きていく選択肢だってあたしは当然に持っている。何も知らぬ存ぜぬを通して、一生、ただの七星桜子として生きていく道こそ、家族はきっと望んでいると思う。
だけど、あたしは知ってしまった。あたしの運命を、あたしの世界を、あたしの望みを。それを知っていながら目を背けることは歩いてきたあの日々に背を向けることに等しいと思うから。
神祇省であたしは七星の魔術を、自分の力の使い方を今度こそ掴んで見せる。これまでのような急造じゃなく、七星の魔術師として自分を完成させたいと思うからこそ、この街と一度、お別れをしようと思うんだ。
「なら、僕も頑張らないとな。君が戻って来た時に大きく差をつけられていたなんてことにならないように」
「ふふ、楽しみにしているよ、気分が乗ったら、聖杯戦争の時みたいに勝負しようよ。どっちが勝っても恨みっこなしで!」
「そうだね、あの日のようにも悪くない。そんな時が来るようだったら、僕も……、もう一度勇気を出せるようになるかもしれない」
蓮司君は照れ臭そうに顔を背けながら、小さく声を発した。あたしの軽口に同意をしてくれたのは分かったけれども、その後に何を言ったのかまでは解らなかった。
「蓮司君?」
「ううん、なんでもないよ。そうだね、どっちが勝つのか、あともう少しの時間も、そしてこれからも悔いの無いように。父さんに負けない遠坂の当主として、君に負けないような魔術師として、僕はまだまだ成長する。だから、僕に笑われないように、しっかり学んできなよ」
「えへへ、勿論」
秋津市を襲った爪痕の象徴たる場所から、あたしたちは足を離していく。これからも何度かはこの場所に足を運ぶことになるだろう。街を離れてからも、戻ってきた後も、きっと忘れることなくあたしたちはここに足を運んでいく。
あの駆け抜けた日々を忘れないようにと。眩しくもあたしたちと変わることなく人間であった英霊たちとの時間を忘れないためにも。
それを心に留めながら、あたしたちは戻ってきた日常の中へと足を進めていく。
――欧州・エーデルフェルト宗家――
「改めて、当主への就任をおめでとうと言っておこう、リーナよ」
「ありがとうございます、皆さま。この半年の間、我々エーデルフェルトも内部の統制を図るために苦慮しましたが、これより先は、我ら一丸となり、取り戻した栄光の下、悲願たる根源へ至ることに邁進いたしましょう」
欧州某国、魔術の名門として1000年以上の歴史を紡いできたエーデルフェルト家は半年前の聖杯戦争で実質的な勝者となった。含みのある言い方をしたのは、彼らが完全なる勝利を勝ち取ったわけではなかったからである。
最終的に聖杯を勝ち取ったこと自体は間違いないが、杯を満たす魔力はおよそサーヴァント7騎分には満ちておらず、エーデルフェルトが悲願とした根源へと至ることは果たされなかった。ただ、彼らにとって何よりも大事であった15年前の雪辱を果たすと言うことに関しては、見事エーデルフェルトは七星に勝った。
失った誇りを取り戻すには時間ときっかけが必要となる。15年と言う歳月を耐え忍んだエーデルフェルトにとって必要であったのは、取り戻すためのきっかけ。七星の次代たる者とエーデルフェルトの次代を担う者たちの激突をエーデルフェルトは制した。
故にこそ、今、彼らはかつての隆盛を取り戻そうとしている。
もっとも、リーナがエーデルフェルトに帰還してすぐにこの隆盛が始まったわけではなかった。秋津市より戻ってきてからの半年間は、まさしく秋津より回収してきた聖杯を誰が所有するのかということについて揉めに揉めた。
エーデルフェルトのお歴々たちは、それこそ、宗家も分家も含めて存在する。1000年の時間を重ねてきた魔術師一族といえば聞こえはいいが、その中での権力争い、出し抜きあいは当然にある。
リーナの前当主である母も姉妹もどちらも命を落としており、その当時、リーナは当主ではない。あまつさえ、その時に当主として据えられていた人物は、エーデルフェルトに聖杯を届けてすぐに宗家を出た。
それが彼とエーデルフェルトの約束であったとはいえ、そのあまりにも電撃的な行動に、聖杯を誰が管理するのかでエーデルフェルトは内紛状態にまで陥った。
無論、時間を掛けていれば聖堂教会や魔術協会の介入を許すこととなり、早急にお家騒動に近い状況を治めなければならない最中で、リーナは自分こそが聖杯の持ち主に相応しいと宣言を出した。無論、周囲の反発たるや凄まじいモノであった。
エーデルフェルトの支配者層たちは、一度はリーナを当主の座から追い落としたものたちである。聖杯をリーナが管理するようになれば、自分たちがその恩恵に縋ることが出来なくなるのではないかと言う醜い考えの下の反発であったが、リーナはその騒乱を自分自身の魔術と胆力を以て乗り越えて見せた。
勿論、彼女だけで何もかも総てを乗り越えることが出来たわけではない。リーナの実力を認め、味方をした一族も徐々に徐々に増えていき、この半年の間にリーナはお飾りの当主から、エーデルフェルトを纏め上げた者として真に当主として認められた。
当主として認められ、エーデルフェルトのお歴々たちへの影響力を確固たるものとしながらも、リーナは決してお歴々たちを罰することはしなかった。
彼女にとって果たさなければならないことは、栄光を手にしたエーデルフェルトを立て直すこと、私怨は勿論ある。やりきれない思いを抱えてもいる。けれど、その想いの為に、兄が取り戻したエーデルフェルトの誇りを失うようなことだけは絶対にさせてはならないとリーナは心に決めている。
かつて、あれほどの仕打ちを受けながらも、エーデルフェルトの家の為に為すべきことを為した兄がいることをリーナは知っている。であれば、自分もまたかくあるべきだろうと。
「しかし、重ね重ね惜しいものですよ、リーナが当主として収まってくれたのはありがたいことですが、我らが真に魔術師たちの頂点に立つためには、ロイがいてくれたほうがよかった」
「エーデルフェルトの古き法を一新する機会であったのではないかと。そう思ってしまう所ですね」
などと、自分たちがこれまでにしてきたことの意味を忘れて、都合よく言葉を並べたてる者もいる。しかし、リーナはその言葉を聞いてもどこ吹く風であった。
「いいえ、それはやはり叶わない夢であったのではないでしょうか。あの人は、兄様は……風のような人ですから。誰かが縛りつけておくことなど出来ません。ましてや今の兄は世界の広さを知っているのですから」
窓の外を見上げれば、そこには吸い込まれてしまいそうなほどの晴れ渡る青空が広がっている。
兄がいなくなったエーデルフェルトの屋敷は、リーナには屋敷がとても広くなったように思えた。自分だけではあまりにも大きすぎるとも思えるし、ずっと引け目を感じていた相手がいなくなったから幅を利かせることができるようになったと解釈することもできる。
そうした生活に徐々に慣れを覚え始めてきていることは嘘ではない。兄はきっと、エーデルフェルトの敷地へと踏み込むことをしないだろう。もしかしたら、自分たちが顔を合わせることはもう一生ないのかもしれない。
自分がこの家で為すべきことを果たしたと思っているからこそ、躊躇を覚える理由はない。ただ、帰るべき場所だけは残したいと思うのだ。
いつかに、兄が羽を休めたいと思ったその時に戻ってくる場所として、エーデルフェルトの家を守り、繁栄させていく。何の衒いもなく兄を迎えることができる場所とするために。
「私達は私達に出来ることをしましょう。偉大なるエーデルフェルトの先達たちが私たちに残していった命題を解き明かすために」
・・・
「おや、もう出発されるのですか。街の者たちもまだ貴方を歓迎したりないと言っておりました。あともう少しだけ滞在されたらどうですか?」
「ありがとうございます、ご老公。ですが、いつまでもここに脚を置き続けるわけにもいきません。そろそろ次の街に向かおうと思います」
欧州のある街、とある魔術師が自分の魔術の研究の為に人々を脅かしていた。住民たちは誰もが支配される側であることを思い知らされ、常に暗い表情を浮かべていたが、ちょうど一週間前ほどに、彼らは突如として解放された。
旅の者であるという魔術師は街の人間たちの話を聞くと、その魔術師の工房を破壊し、街を支配から解放した。圧倒的な力を持つ彼の前に、支配を絶対としていた魔術師はあまりにも無力だったのだ。
住民たちは感謝を口にし、1週間程度彼はこの街に滞在した。しかし、彼は旅をする者、いずれは、羽ばたかなければならない時がある。
「次は何処に向かわれるのですか?」
「さて、あての無い旅です。自由気ままに歩き回り、そして縁が生まれた相手を頼って、また次の目的地へと足を進めていく。そんなところです。とりあえずは、何年かかけて世界中を回ろうと思っていますよ」
「それはまた……、何か目的でもあるのですか?」
問いに彼は笑みを零した。
「これまでずっと狭い世界の中で生きてきましたから。今はただ、世界の広さと言うものを知っていきたい。俗な言い方をすれば羽を伸ばしたいだけですよ。まだまだこの世界には俺の知らないことが無数にある。それを知っていけば、自分のするべきことが見えてくるんじゃないかと」
「難しいですな、私からすれば、あなたほどの方であれば、どんなことでも手が届くように見えるのに」
「そうですね、俺には才能が有ります。ですが、何もかもに手を届かせることができるからと言って、手を伸ばすかどうかは別です。その理由を見つけるために、今は翼を羽ばたかせていきたいのです」
それを聞いて、住人は彼を留めておくことはできないだろうと理解した。羽を伸ばした鳥をその場に留めておくことができないように、彼をこの小さな町に留めておくこともできない。
「そうですか。では、ここで引きとめておくわけにはいきませんね」
「ええ、一時の雨風を凌げる場所の提供ありがとうございます。もしも、また縁があった時には―――」
「是非ともお立ち寄りください」
そうして、彼――ロイ・エーデルフェルトは当て所もない道行を進んでいく。次に何処に辿り着くのかもわからない。ただ、風の向くままに進んでいくだけ。
何もかもを手にすることができるはずだった男は、結局、何も手にしないことを選んだ。聖杯の輝きよりもなお、己の両の足で進む自由を彼は選んだのだから。
彼は振り返らない。自分が産まれた場所は自分が最も信頼する相手が守っている。だから、何一つ不安がることなく、彼は前へと進むことができる。
生まれた時から、その先の運命を決定づけられた兄妹は、それぞれの方法でその宿命じみた在り方を打破した。もしも、再びその運命が交わることがなかったとしても、彼らはそれを不幸と思うことはないだろう。
離れてしまったとしても、消えぬ記憶がある。駆け抜けた日々の思い出が胸に宿っている。それこそが自分たちの紡いだ血よりも濃い絆であることを知っている。
だから、兄は歩みを止めず、妹はもう迷わない。それが自分たちの正しさなのだから。
――秋津市中央・駅前通り――
「ねぇねぇ、聞いた。九重円華の電撃復帰」
「聞いた聞いた、あんな事件があったから、一時はもう引退かもなんて言われていたけど、まさか、本当に戻って来るなんてね」
「インタビューの映像見た? 俺、昔からずっとファンだけどさ、なんていうか、ちょっと変わったんだよな。艶があるっていうか、表情に深みがあるっていうかさ」
「それって、やっぱ事件の影響とかあるのかねー、だって、彼女、監禁されていたって話しじゃん。やっぱ、経験すると変わるもんなのか?」
「私は、むしろ、駆け落ち騒動があったからかなって。あれは恋をした女の顔だよ、きっと!」
半年前の聖杯戦争から、少しずつ喧騒を取り戻し始めている秋津市、その最中で若者たちが足を運ぶのはやはり観光地である電波塔の周辺である駅前エリアである。
西側の繁華街は半年前に実質的な管理をしていた勢至姆組が壊滅したことによって、衰退に拍車をかけてしまった。
勢至姆組と関係なく繁華街でしのぎを削っていた者たちも懸命に店を切り盛りしているが、見切りをつけた者たちは早々にこちらの駅前エリアへと出店を急がせている。
戦いが終わり、何もかもが元通りになるわけではない。取り戻した平和の傍で、失ってしまったかつてがある。
勢至姆組は神丘奉という一人の男が示した悲劇に巻き込まれる形で終焉を迎えた。残された組員たちの処遇を巡ってもこの半年、街の裏側で暗闘が繰り広げられたらしい。
「なんだか、街はキミの話題で持ちきりだね」
「半年前にあの配信を流した時に、もう女優に復帰することは無理だと思っていたからね。世間的にも大々的に取り上げたいんだよ。私にかまけているよりも先に報道しなくちゃいけないことなんて無数にあると思うんだけど」
「そこはほら、君の魅力だろう。君ほどの女優はいないってみんなが認めているんだよ」
「慎夜君はどう思ってる?」
「僕は、勿論、誇らしいよ。そして反面、ちょっと怖い。またキミが手の届かないところに行くんじゃないかと思って」
「ふふっ、考え過ぎだよ、私は慎夜君の傍にいるよ」
雑踏に紛れる様に駅前通りを九重円華と間桐慎夜は歩いていく。あの聖杯戦争より半年、ようやくこうして互いに互いの心配をすることなく街中を歩いていくことができるようになった。
生死の境を二度にわたって彷徨うことになった慎夜だが、円華は変わることなく彼の隣に立っている。それが自分の選択であることを分かっているからこそ、そこに後悔はない。
ただ、昔に比べれば、意見がぶつかり合うことは増えたように思う。今まで、慎夜は円華に対して、引け目を覚えていたが故に想いを言葉に出来ず、円華は慎夜に対して何かの変化を求めるようなことはしなかった。
円華が駆け落ち同然の状態で姿を消した女優の世界にもう一度飛びこむことを決意した時にも、慎夜は当初、反対の態度でいた。それは円華を手放したくないと言う慎夜の独善的な考えと、彼女が言われのない中傷に晒されるのではないかと言う思いからであった。
慎夜は円華に対して独占欲を浮かべはしても、円華を蔑ろにしたいわけではない。大切に思っているのは事実だし、円華に相応しい自分になりたいという思いを捨てたことはない。
それでも、円華はもう一度、あの世界に戻ることを決意した。自分にとって女優は天職、自分の人生を懸けて突き詰めていきたいと言われ、慎夜は納得する他なかった。
聖杯戦争において、一人の男を間に挟んだことで、二人の関係は少しずつではあるが、これまでのものからは変わり始めてきている。
ただ、円華はやはり忘れることはできない。かつて、この街を駆け抜けた一人の男がいたことを。たった一週間と少しだけの関係であったと言うのに、今になっても胸を燻らせる相手であったことを。
まるで呪いのようだとも思う。彼が最後に残した言葉を象徴するかのように、円華の心の中にはいつだって、心の底から満足できない飢餓感のようなものが渦巻いている。あの時に、本当はどちらを選ぶべきだったのか、お前の未来は本当に正しい未来だったのかと心の中から問われている様にすら思えた。
(でも、これが罰であると言うのなら、私はそれを受け入れていくしかない。何もかもが正しい選択を取ることが出来なかった。それでも、慎夜君は私の隣に居てくれている。それでいい、私はこの選択を受け入れる)
いずれ、慎夜との交際を続けていけば、間桐という家の中に自分も入っていく。魔術師としての家を間桐がどれだけ続かせていくことができるのかはわからない。
あの聖杯戦争は間桐の大旦那が言うに、最後の大勝負でもあった。コルテスの勝利を誰よりも望んでいたのは、もしかしたら、本人以上にあの老人であったのかもしれない。
あと一歩まで手が届いていた結末に、手を伸ばせなかったからなのか、老人は慎夜と円華の交際に多くを求めることはなかった。ただ、それですべてが終わったわけではない。いずれ、その問題にも結論を出さなければいけない時が来る。
ふと、もしもを想う時が来る。もしも、違った未来を選んでいたら、自分はもっと自由だったのだろうか。こんな悩みを抱えることなく、ただ我儘に自分の欲望だけを肯定して生きていくことが出来たのだろうかと。それが幸せだったのかと。
きっと幸福であったに違いない。誰だって、世界が自分の思うままに動くのならば、それ以上の幸福なんてありえない。それを退屈だと感じる心だって、幸福を享受していなければ生まれないのだから。
ただ……、身に余りすぎるとも思う。こうして今、何のしがらみもない円華であることを求めてくれる相手がいることで、自分はあのスクリーンに映っている九重円華でいることができる。いつだって支えてくれなくてもいい、むしろ頼ってくれるのならそれでもいい。一緒に生きていくと言うのは、そういうことだと思うから。
そう、スクリーンに映る輝かしく銀幕を騒がせるもう一人の自分を見ながら……
『インタビュー、よろしいでしょうか。九重円華さんは、一時期駆け落ち騒動や例の配信もあり、既に復帰は絶望的とも目されていました。今回、復帰をするきっかけはあるのでしょうか』
『………一言では言い表せないことがたくさんありました。辛いことや悲しいことも多く経験した半年でした。あの当時は女優を辞めようと思っていましたし、続けられるものでもないと思っていました』
『ただ……、私にはやはり女優が向いているのだととある人に言われました。女優として輝いている私に心惹かれたと口にしてくれた人がいましたから。あの夜に駆けた日々を無かったことにはしたくないと思った。言葉は纏まりませんけれど……』
『それは、交際されていると言う方のコトを指していると言うことでよろしいでしょうか』
『ふふっ、それは私の口からは……。聞かれたのはあくまで理由だけですから』
『その反応ですと、他に誰か――――』
『あの日々は―――私にとって、燃えるような恋だったのだと、もう二度と経験することはないと思います。それが何を意味しているのかは、私の演技を通して、皆さんに伝えていけばと思います』
虚飾と事実を織り交ぜた会見は早晩のニュースを席巻していくことだろう。あの場所を選んだのが自分であるのならば、自分らしく、自分なりの戦い方でこの世界と向き合っていく。夜に駆けた、あの日々の先に今の私達はいるのだから。
そうして、聖杯戦争を戦いぬいた者たちの物語はこれより先に続いていく。彼らの物語は決して聖杯戦争だけで終わるわけではなく、これから先も続いていくのだから。
・・・
では、これより先は―――聖杯戦争としての後日談、そして新たなる前日譚の先駆けである。
――東欧・セプテム国宮殿・謁見の間――
『極東にて行われた6度目の聖杯戦争、結果として、我々が望むべきものではなかった。私としても実に悲しいことではあるが、人々に絶対的な善性を求めることは難しい。君が願った絶対的善性とはやはり、人が生み出すにはあまりにも高尚すぎる発想であるのかもしれないね』
「であればこそ、貴方と言う存在が世界には必要なのです。結局、人類は3000年以上もの時間を掛けても、原初から何一つとして変わっていない。武器を変え、国を変え、民族を変え、己たちの目指す善と悪を争いあっているだけ。我らが描いた世界そのものが何ら打破される事無く続いている」
『ならばこそ、世界は救済されなければならない』
「二元論の願いの下、絶対神アフラ・マズダの復活を以て、全世界における救済を果たす。私はその為にこの地に呼び出された。貴方が直々に手を下しながらも失敗されたのならば、次は私が動く番であると決めていた」
『悲しいことではあるよ。君が提案した方法は、どうあれ、世界に災厄を齎す。私が始めた聖杯戦争などよりもはるかに大きな規模で世界に後輩を齎すだろう』
「しかし、そうでなければ、貴方はこの地に降誕されることはない。少なくとも、聖杯戦争という根源に至るやもしれぬと目された戦いで集めた魔力だけでは足りなかったのです」
『七星桜の願いは聖杯に聞き届けられた。あれは真実、儀式によって生み出される万能の願望機であるよ。もしも、私が聖杯戦争のマスターとして立つのであれば、それこそ、あの杯に絶対の善を求めるばかりだ。しかし、今ではそれこそが私の邪魔をしている。同等の願いの総量では足りない』
「ならば、単純な話し、2倍以上の総量を溜めこまなければ、貴方をくびきから解き放つことはできない。なるほど、これは難題だ。それが真実であると仮定しても、先の聖杯戦争の倍、2倍の英霊を呼び集めなければならない。聖杯を呼び起こすに相応しい魔力が溜めこまれるのを待つとしても、おおよそ10年は時を必要とするでしょう」
『では、その間に下準備が必要となるだろう。それを君に頼みたい。やってもらえるかな、セイヴァ―』
「是非もなく、我が信仰は貴方の為に」
告げた言葉を皮切りとして世界が変わる。そこはとある国の宮殿の一室であった。
セプテム―――ラテン語において、「七」を意味する言葉を国家の名とした国は、東欧諸国に紛れる形で存在している。
その国家がいつの時代から成立したのかは、多くの歴史研究家の中で議論の余地がある話ではあるが、その国家の成りたちにはまことしなやかに囁かれる噂話があることだけは研究者たちの中でも公然の事実であった。
曰く―――その国は、とある一族によって生み出された国であると。
曰く―――その国は、東洋より流れてきた者たちの約束の地であると
曰く―――その国は、世界の暗部を渡り歩く「七星」と呼ばれる者たちの国であると。
「さきほど、突然聞こえてきた声が、あんたの雇い主であるところの神様ってことで良いかい? こりゃ、また大層な話しだ、我々が魔術を下地に置いた者たちで無かったら、あんたは当世随一の詐欺師と呼ばれていたかもしれない」
「しかし、理解をしてくれるのでしょう。私は、貴方がたをそうした人物であると見込んでいる。何せ、聖杯の獲得は貴方たちにとっても悲願であるはずだ。
セプテム王、そしてヴィンセント・ステッラ、貴方たち七星に連なる血族にとっては」
宮殿の謁見の間に身を置くのは三人の人物である。1人はセプテム王。この国の元首であり、既に白髪が見え始めているものの、威厳ある王侯貴族のマントとロープで身を固めた人物。
対面に座るのは先ほどまで中空の何物かと会話をしていた白いロープに身を包んだ人物、紺色の長い髪をたなびかせるその姿は、着るモノが見込めばみすぼらしさすらも感じさせるが、どこか神聖な出で立ちがそのように感じさせない。
そして最後の1人は、黒いストライプのスーツの下に赤いシャツを着こみ、対峙している相手の立場など考えずに煙草をふかしている軽薄そうな男だった。しかし、その服装はクラシコイタリアと呼ばれる出で立ちで、素人目に見ても素材の違いからただの崩れ者ではないことがわかる。
ヴィンセント・N・ステッラ、既に百年以上の歴史を持つイタリアンマフィアであるステッラ家の御曹司、あと10年もすればファミリーのボスを襲名すると目される人物であり、セプテム王家に流れてくる資金源の元締めをしている男でもある。
何故、そのような人物と王族、そして得体のしれない人物がこの場で一堂に会しているのか等、聞くまでもないことだろう。これがこれより先のセプテムを舵取りしていく中でとても重要な「商談」であるからに他ならない。
「あんたの目論みは分かった。だが、こちらも通さなければならない筋がある。我らの血族は今や世界中に散らばっている。このセプテムと俺達ステッラ家、そして宗家と星家、それら全てが宿願の為に動いている」
「今すぐに頷くことは出来まい。我らの祖は偉大なる王の為にこの国を建国した。しかし、もはや1000年以上の時が過ぎた。協力者を募らなければならない。国の舵取りとはほんの少し、誤れば崩壊に向かう。我らはようやく国を持つまでに至ったのだから」
「結構、私達も私達で準備が必要であり、舞台を整えるには十二分な時間が必要となりましょう。世代が変わるほどの時間が必要かもしれない。されど、忘れないでいただきたい。
これは貴方がたが願いを叶えるための最後の機会になりかねないと」
謁見の間に沈黙が訪れる。セイヴァ―の語った言葉の意味、荒唐無稽であるがために裏で受け継がれてきた宿願を思い返せば、それは正しい判断であるのかもしれない。
あるのかもしれないが……、
「お父様―――お客様ですか?」
折に、謁見の間の扉が開く。王族以外であれば使用人しか足を運ばない宮殿の中で、聞こえてきた声に怖れはなく、純白の髪と青色のドレスから彼女がどちらの立場であるのかは明白であった。
「あら、リゼお嬢様じゃないか。元気そうで何よりだ。聞いたぜ、今度、スラムの連中の浄化作戦を行うってな」
「ヴィンセントおじ様でしたか、それにそちらは―――?」
「リゼ、今は公務の最中だ。要件があるのならば手短に」
「いえ、申し訳ありません、お父様……いいえ陛下。次の公務の事で御相談をと思ったのですが、また後に」
ばつが悪そうに、セプテム国皇女リーゼリット・N・エトワールは扉を閉めた。
「見苦しい所をお見せしました」
「いいじゃないか、子供の成長は早い方がいい。俺なんかガキの頃には銃器の扱いばかりだった。もう少しマナーと言うものを仕込んでほしかったね」
「―――この国の永劫なる発展のため、良き回答をお待ちしております、国王陛下」
一つの戦いが終わり、一つの戦いの火種が燻っていた。これより数年の時を経て、セプテム国は対外的に積極的な軍備増強を図り、その裏で魔術的施設の建造を秘密裏に進めていくこととなる。
時代の大きなうねりが一つの国を変えようとしていた。国が変わる以上、誰もが変わらずのままではいられない。国を想う者も、国を背負う少女も、己のが欲を満たそうとする者、そして悲願を果たそうとする者、そのどれもが次の戦いを見据えている。
長い長い時間の先に、再び始まるであろう戦いを目して。今は静かに……その時を待つ。
・・・
――そして、あの聖杯戦争から10年の歳月が流れようとしていた。
――秋津市東側・遠坂邸――
街の喧騒が聴こえる。秋津市は今日も変わらず、当たり前の日常を送っている。10年前に引き起こされた聖杯戦争の記憶は人々の記憶から風化されていき、一つの時代、一つの事件があったのだと記憶されているだけで、人々はもうその時代を過去の物へと変えて、今日という時間を歩んでいる。
過去に縛られることは決して人にとって良いことじゃない。過去に縛られることを原動力として常人以上の力を発揮することができる人もいるかもしれないけれど、それは一過性のもの。燃料を注ぎに注ぎ込んで、限界以上の力を引き出そうとしているに過ぎない。
人はいつか過去に清算をしなければならない。過去に囚われ続けることによって未来を見据えることが出来なくなってしまうのでは、本末転倒もいい所。いつだって過去の出来事と今の状況は未来へと進んでいくために必要なことなんだから。
『やっほー、追加情報届けに来たよ。相互協定を結んだ聖堂教会からの情報、東欧のセプテムって国は知っとるやろ、うちらよりもあんたの方が遥かに詳しいやろうし』
「ええ、そこが新たな開催地ですか?」
『因縁ってのは、ある意味で一つに集約する。かつて、七星に封じられた奴が、まさか七星が操る国で聖杯戦争やろういうんやから、偶然なんて言えるもんじゃないわ。これは明確な挑戦であると、うちも姫様も判断した』
「………続けてください」
『――――近々、セプテムの貴族たちによる大規模なクーデターが予定されとる。名目上は周辺諸国に向けてと目される対外的な軍備増強を行う王家に対しての真贋を問うため。その裏は聖杯戦争の参加者として、王族を秘密裏に駆逐するため』
「よく裏の事情まで聞き出すことが出来ましたね。そんな情報誰が流してくれたんですか?」
『大した筋じゃないわ。うちの姫様がその貴族様に参加者の1人として招聘された。要するにマスターの1人として参加せぇってな』
「―――――!」
『ここまで聞かせれば、なんでうちがわざわざ、組織を去ったあんたに連絡してきたか分かるやろ? 七星桜子―――神祇省として、あんたに術を仕込んだ師として依頼する。うちらの姫、八代朔姫の護衛としてセプテムに向かってほしい』
神祇省を去ってから数年が経過した。勿論、組織を去った後もかつての同僚や師匠――唯那さんたちとの交流を持ってはいたから、突然の連絡と言うわけではなかったけれども、組織を去った私に仕事の依頼を持ちかけるのは初めてだ。
そもそも組織に属していない人間に対して行うことではないことは重々承知、その上で、依頼してきたのは、嫌らしい言い方をしてしまえば、私であればそれを受け入れるだろうと言う打算があるから。
聖杯戦争が始まる、いずれ必ず来るだろうと思っていたその時が、10年の歳月を経て、いよいよ迫ってきた。それを嫌だと思う気持ちがないわけではない。
強い決意だって、時間を経れば経るほどにその想いが鈍っていくことは当然にあり得る。10年間、決して悪い時間ではなかった。
辛いこともあったけれど、それ以上に幸福な時間の方が多かったと胸を張って言える。その幸福の延長線上にある今の自分を失うかもしれない戦場の中へと飛び込むことに忌避感を抱かないのかと言われれば当然に抱く思いはある。
でも、過去は乗り越えていかなければいけない。かつてに誓った約束を果たすことが出来なかったとすれば、いずれの未来に必ず後悔することになる。
そんな私の性格を分かっていて、唯那さんが声を掛けて来たんだから、本当に人が悪い。朔姫ちゃんと会うのも久しぶりだな。あれから、また大きくなっただろうか。
何にしても、私の知る人が戦場に立とうとしている、そしてあの神と―――アフラ・マズダと決着をつける時が来たのだとすれば、私に拒絶をする理由はない。
一番大切な人には先に連絡が来た時に伝えてある。私の決意に頷いてくれたことに感謝しているし、その気持ちを裏切るつもりはないから。
「わかりました、師匠からのたってのお願いですから。私も私に出来る限りの力で姫の力になろうと思います。私自身も戦う理由はありますから」
『ありがと。姫様とは現地で合流になるやろうから、そこらへんの連絡は追ってまたさせてもらうわ。すまんな、本来なら、うちらがやらなきゃいけないことなんに』
「向かう理由を作ってもらえただけでもありがたいです。ただ、唯那さん一つだけ、修正お願いしてもイイですか?」
『修正?』
不思議そうな声を上げる彼女は自分の口にしたことのどこが間違っているのか気付いていない様子だった。だから、彼女の代わりに此処に姿を見せた式神へと、今の私とこの場所がよく映るように両腕を広げながら、私はとても、とても大切なことを告げる。
「今の私は七星桜子じゃありませんよ。今の私は、遠坂桜子、遠坂家当主の妻ですから!まだ、籍だけですけど」
あの聖杯戦争が結び付けてくれた未来の形を口にする。今はそれが私の生きる理由になっているから。
Fate/Urban Crisis―――了
10か月の間、お付き合いいただきありがとうございました!
これにて、Fate/UCは完結となります!
続編となるFate/Stardust Vendettaは鋭意制作中、続編の簡単な予告は2~3日後に載せたいと思います!
気が向いたら、感想など戴けると大変参考になり励みになります。では、また次の作品で会いましょう。御拝読ありがとうございました!