――秋津市西側・繁華街・喫茶店――
「まずは昨日ぶり、思ったよりも元気そうで安心したよ。整理がつかなくなっていて、塞ぎ込んでいたらどうしようかと思ってた」
「なんていうか、現実味がなくて……あたしはすっごい戦いに巻き込まれちゃったんだって思う一方で、まだそれをテレビの中の出来事みたいに自分のコトだって信じられないんです。昨日のうちに経験しているって言うのに」
セレスさんと顔を合わせて、どこに行くというのもなかったことから、昨日話をした喫茶店にもう一度足を運んだ。お互いのサーヴァントは、外で霊体化をした状態で待機をしてもらっている。
ただでさえ、外国人のセレスさんだけでも目立つと言うのに、そこにランサーとアサシンまで加わってしまったら、さすがに目を引きすぎる。霊体化を解除するためには、ランサーにも相応の服装を用意しておかないといけないってことなんだよね、まさか、あの鎧姿で街の中を歩かせるわけにもいかないし。
そんな訳で、今回は本当にあたしとセレスさんだけ。聖杯戦争のマスター同士として腹を割って話す機会を作ってくれたセレスさんへの感謝を形にするためにも聖杯戦争についてちゃんと理解をしないと!
「さて、早速だけど、ランサーからある程度の話は聞いているかな?」
「はい。私の外に6人のマスターと呼ばれる魔術師がいて、そこにそれぞれサーヴァントが一人ずついる。そして、どんなことでも叶えることができる聖杯を手に入れるために、サーヴァントが最後の1人になるまで戦いつづける。それが聖杯戦争ですよね」
「そう、各サーヴァントはそれぞれが歴史、あるいは神話に名前が上がるような強大な英霊と呼ばれる存在で、ボクたちが考えている常識を覆すほどの力を持っている。君のランサーがどこかの有名な英霊であるようにボクのアサシンも英霊だ。サーヴァントはマスターの魔力供給によってその性能を左右される」
「それって……どんなに強い英霊でもマスターがポンコツだと力を発揮できないってことですか?」
「まぁ、そういう解釈で間違いないよ。ステータスが全盛期よりも弱く召喚されることもあれば、単純にマスターの魔力が足らなさ過ぎて、奥の手である宝具を使用することができないなんてこともある。特に三騎士、キミのランサーを含めた聖杯戦争の花形である三つのクラスは強力な宝具を使って参戦するケースが多々ある。戦い方は良く考えた方がいいだろうね」
セレスさんが言いたいことは分かる。あたしは魔術師としては素人だ、むしろ、どうしてマルテルさんと契約することが出来たのかもわからないし、自分の中に魔力が流れているという感覚だって薄い。
はっきりいって、7人のマスターの中で最弱と言っても間違いではないと思う。だから、ランサーに全力を振う機会を何度与えることが出来るかもわからないっていうことをセレスさんは言いたいんだろう。
「それと、キミの掌に刻まれたその令呪、それは3回だけ仕えるサーヴァントへの絶対的命令行使権だ。わかりやすくいえば、サーヴァントに絶対に命令を守らせることができる、あるいは普通の状態じゃできないことをサーヴァントにさせることができる」
「それって、どんな時に使うモノなんですか?」
「陣営によっていろいろだね、例えば、マスターとサーヴァントの相性が悪い陣営であればサーヴァントに命令をするために使うこともある。戦闘に際して、サーヴァントの力を増幅するために使う。後は……変則的な使い方だけど、マスターやサーヴァント自身に何らかの変化を与えるために使うなんてこともあるかな。3回しか使う事が出来ないけれど、逆に言えばそれだけ絶対的な力であるともいえる」
「3回使いきっちゃったらどうなるんですか?」
「サーヴァントとの契約が切れる。聖杯戦争への参加資格が喪われると言ってもイイ」
「――――!」
「サクラコとランサーなら、契約が切れた瞬間にサーヴァントに叛逆されるなんてことはないと思うけれど、逆に言えば令呪さえ無くなればマスターを強制的に脱落させることだって可能な訳だ。だから、あまり令呪を必要以上に見せびらかすようなことはしない方がいい。物理的に失わせる手段はいくらでもあるからね」
セレスさんの言いようはとても物騒だったけれど、それが全くあり得ないなんて言えないのは昨日襲われた時点でよくわかっている。マスターであろうがなかろうが命を狙われ、マスターであることが分かった以上、あたしはこれから先も狙われていくことになる。
ランサーはあえて口にしなかったかもしれないけれど、それが今のあたしの現実。この喫茶店を出た時から、あたしの生活は一変したけど、あの光景が再び起こらないなんて誰にも断言できないことなんだ。
「今更なことかもしれないですけれど、あの剣士たちも聖杯戦争の参加者なんですよね?」
セレスさんの眉がピクリと動いた。
「うん、そう考えて間違いないと思うよ。ただ、陣営についてはボクもわからない。少なくともランサーとアサシン以外の5陣営の中のどれかだろうね。厄介なのはあれだけの戦力を出せることだ。ボクにしても君にしてもサーヴァントは1人だけ。サーヴァントとしての実力は劣っていてもあっちは相応の数を揃えている」
「ていうか、あれ、反則ですよね? 聖杯戦争って複数のサーヴァントを召喚することができるんですか!?」
「……今回の聖杯戦争はどこか歪なんだ。本来の聖杯戦争を知っている者たちからしても、今回の聖杯戦争は歪だと考えている者は多いはずさ」
「本来の、聖杯戦争、ですか……?」
「うん、そうだね。そこを説明しておくべきだろう。そもそも聖杯戦争って言うのは、この土地の管理者である魔術師遠坂とマキリ、そしてアインツベルンという三つの高名な魔術師の一族が始めた儀式だ。これを聖杯戦争では御三家と呼んでいる」
「とお、さか……」
「ん、どうかした?」
「い、いえ、なんでも……」
まさか、ね。遠坂なんてそんな珍しい苗字でもないし、蓮司君や彼の家族が関わっているなんてことはありえないよね。そんなことになったら、あたしの知り合いだけでマスターが2人なんて、世間は狭すぎるなんてもんじゃないし、いやいや、さすがにありえないって。
「うん、話しを続けるよ。本来、御三家を中心にして聖杯戦争は50年周期で行われるんだ。これは聖杯そのものを顕現するための魔力の収集にそれだけの時間が掛かるからと考えてくれればいい。
ただ今回の聖杯戦争は前回から15年しか経過していない。これが一つの歪な点、もう一つは本来、聖杯戦争は御三家がサーヴァントを召喚してから、残る4つの席を魔術師たちが奪い合う。けれど、ボクの依頼主であるアインツベルンが召喚をする前に既に2つの陣営が召喚に成功していた。これが2つ目の歪な点」
「何の縁もないあたしが召喚に成功してしまったことも含めてなんだかイレギュラーなことばかりなんですね」
「そうだね。サクラコがどうして召喚できたのかも謎さ。とはいえ、そんなイレギュラーだらけの聖杯戦争だ。あんな集団で顕現したサーヴァントがいても不思議じゃないのかもしれない」
そこで注文していたコーヒーにセレスさんは口をつけて一拍置く。話しを聞けば聞くほどに、あたしの中で不安が増していくけれど、セレスさんは落ち着いている。
事情を知っているセレスさんの方が色々と気落ちしてしまいかねないことばかりにも思えるけれど、やっぱりそこらへんは大人の余裕ってヤツなんだろうか……いいなぁ、大人の余裕、あたしもそういうのを持てればいいんだけど……
「それで、サクラコ。ここまではあくまでも聖杯戦争そのものについての話しだ。ここからはもっと込み入った話、この聖杯戦争の中でどのように闘っていくのかってところなんだけど、サクラコ、キミはこの聖杯戦争にどのように臨むつもりだい?」
「………正直に言えば、はっきりとした明確な目標とか叶えたい願いがあるわけじゃありません」
あたしは本当に昨日、いきなり巻き込まれただけで覚悟が決まっているなんて言えるほど自分の中で整理がついているわけでもなければ、誰かを傷つけてまで叶えたい願いがあるワケでもない。むしろ、ささやかな幸せの中で生きていけるだけの人間なんだって自分自身のことを痛感した。
自分が特別な人間だって思うには、あたしは当たり前のように命の危機に恐怖していたし、起こった出来事の総てを理解できるほど卓越した頭脳を持っているわけでもない。あたしが憧れているヒーローになるなんてことはきっと、凡人のあたしにはできないことなんだって嫌というほど思い知らされた。自惚れるだけの何かがあれば別だったのかもしれないけれど、残念ながらそんなものは今のところはない。
「ただ、聖杯戦争が起こることで、昨日みたいなことが起こって、この街が危険なことになるのは嫌です。自分の住んでいる街だから、この街の人が悲しむような姿は見たくない。
聖杯戦争に参加した魔術師たちが、そんなこと関係なく願いを叶えるために戦いを続けるのなら、あたしは……この街の平和を守るために戦いたい! 願いなんてないけど、悲しむ人を少なくさせるために戦う。ヒーローにはなれないかもしれないけれど、ヒーローの真似事くらいはしたい! あたしが思っているのはそれくらいです!」
「……なるほど、サクラコらしいね。なんとなく、そんなことを言うんじゃないかと思ってた」
セレスさんは苦笑を浮かべた。仕方がないなとでも言いたそうな表情は、最初から、あたしがそういうことを見越していたんじゃないかと言葉通りの意味に聞こえた。
「最も、アインツベルンから依頼をされて聖杯戦争に臨んでいるボクだって大して変わらない。聖杯にかけたい願い自体はあるけれど、それよりもこの聖杯戦争の中で生まれている謎を解決したいっていう思いの方が強いんだ。戦う理由なんて人それぞれ、本当に勝ちたいと思っている陣営からすれば、ボクらはこぞって、聖杯戦争を馬鹿にしているように思われているのかもしれない」
「でも、戦うために関係ない人に手を出す人にバカって言われても引き下がれません。あたしはそんなお行儀よくないです」
「だろうね。それでだ、サクラコ。昨日話していた動画の猟奇事件、聖杯戦争に巻き込まれた今でも追うつもりある?」
「え、それは……」
「ボクはあの猟奇事件にも聖杯戦争のマスターが何らかの形で関わっているんじゃないかと思っている。ただ、昨日も言ったようにまだ痕跡を見つけることは出来ていない。けれど、必ず見つけてみせる。そのためにボクに協力してくれないか!」
「き、協力ですか……」
「ああ、具体的に言えば、ボクらの陣営で事件を解決するまで同盟を結びたいと思ってる」
セレスさんの物言いに家でもうあの事件に関わるのはやめろと言われたことを言い出すチャンスを完全に見失ってしまった。だって、セレスさんめっちゃ目を輝かせてるし、あたしだって本音を言えば諦めたくないし……!
何よりも、セレスさんから協力を持ちかけてくれたのは大きい、何から何まで頼りっぱなしのあたしからすれば、セレスさんに無理矢理助力をお願いするって言うのも気が引けるところはあったし、正直に言えば、戦力にならないあたしを除いてランサーだけで頑張るって言うのは現実的じゃない。
実際、今まで頭になかったけれど、総ての陣営がまったく自分たちだけで戦うとは限らない。そこで同盟を結んで闘う陣営もあるとすれば、自然と協力をしていくことは悪くない判断だと言える。
問題は……ランサーにもう動画の事件については関わらないと言ってしまったことなんだよな、その約束を反故にしてアサシンと同盟を組むって言ったら、どんな反応をするだろうか……
「何か、協力することができない理由でもあるのか? いや、ボクの早とちりかもしれないけれど、正直、悩むこともなく首を縦に振ってもらえるんじゃないかって思っていたんだけれど……」
「えっと……、ううん、そう、そうですよね。わかりました、セレスさん、よろしくお願いします!」
バッと立ち上がり、セレスさんに向けて握手の構えを取って手を伸ばすとセレスさんは突然のアタシの対応にびっくりしたのかうわっと、思わず声を上げてしまった。
「態度がいきなり変わりすぎてるよ……」
「決心がようやくついたってことで一つ」
だって、正直なことを言えば、あの事件の捜査を続けたいのは本心ではあるし、諦めなくちゃいけないのはあくまでも聖杯戦争に集中しなければいけないからってことでしょ。
でも、それが聖杯戦争に関係していることなら、捜査を続けるのも仕方がないかなってことで、むしろ、セレスさんの力を借りる伝手を得ることができるのなら、あたしたちにとってはプラスしかないっていうかなんというか……いやもう、結局のところは、あたしが途中で投げ捨てたくないってことなだけなんだけど!!
「まぁ、分かった。こちらの提案を受けてくれてありがとう。真っ当な魔術師たちの陣営に比べれば頼りないかもしれないけれど、よろしく頼むよ」
セレスさんはあたしの差し出した手を取ってくれて、柔らかな手があたしの手を握ってくれる。
その手から伝わってくる暖かさに、ふと自分の眼の淵からじわりと涙が浮かんできた。どうしてなのかわからないけれど、妙な安心感をあたしは覚えていて、それを理解してから、ああ、自分も不安でしょうがなかったんだなとようやく納得することが出来た。
「それで、他の陣営の事だけど……」
・・・
「同盟ですか……」
「うむ。我が主はそのように考えている。七星桜子がどのように受け止めるかにもよるが、互いにとって決して悪い話ではないと我々は考えている」
「そうですね、他の陣営がどうであれ、我々の陣営は脆弱です。背中を守ることができるモノがいるのならば、手を取り合うべきでしょう。自分自身の力を過信した者が引き起こす戦争に勝利が行き渡ることはありませんから」
霊体の姿のまま、言葉だけでアサシンとランサーは言葉を交わしあっていた。本来であれば、聖杯を掴むために殺しあうことが必定の相手ではあるが、今は互いのマスターたちが今後を話しあっている状況、サーヴァントとしての立場を重んじている二人の英霊は、いつ自体が転んでもおかしくないことを念頭に置いたうえで、言葉を交わし、情報を交換していく。
優れた戦士、優れた将である両者にとって血を流すことなく状況を変えることができる一手を打つことができるのは最良であると言う共通認識がある。
ランサーもアサシンも此度の聖杯戦争に置いては決して最上の条件の下に戦えているわけではない。マスターの質で言えば、他の陣営に劣ることはともに認識済みであり、マスターを守りながら戦わなければならないことが戦う上での制約条件として乗っかってくることは言うまでもない。
「アサシンよ、貴殿は聖杯に何を望む?」
「藪から棒だな。何を目論む?」
「おそらく、我がマスターは貴殿たちとの同盟を受け入れるでしょう。彼女は些か危うい。今は自制を利かせているが、彼女が魅力的な案を出せば飛びついていくだろう。本質的には聖杯戦争で戦うことを望んでいますから」
ランサーは桜子という少女の本質はか弱き兎ではなく、草原を掛ける獅子の類であると考える。例え、己に降りかかる困難が生じたとしても、それを逆境と受け止め、困難に立ち向かっていく性、彼女の本質はそこにあり、今はただ力が足らないと自覚しているからこそ、飛びこまないと判断しているだけに過ぎないと考える。
言わば、理性があるからこそ動かない。人間として真っ当であり、戦士の性分だ。
「であればこそ、貴方という英霊の在り方を知っておきたい。それを言葉少なく、戦を交えることなく理解するには、願いを聞くことが最善であると判断しました」
「合理的だな、お主がどのような英霊であるのかはいまだ判然とせぬが、少なくとも将か王であったのだろうということはわかる」
ランサーはアサシンの言葉に対して答えない。ククッという笑い声だけが小さく響いた。
「探っているわけではない、そう気にするな。そうさな、儂の願いか、正直な所、特にはない。これでも生前は相応に満足のいく人生を送ったという自負がある。未来に糾弾されたわけでもなし、今更万能の願望機に捧げる願いなどなかろう。強いていえば、己の武技を披露する相手を求めているというくらいか」
決して世界に働きかける何かをしたわけでもなく、しかし、未練を残すような生き方をしてきたわけではないとアサシンは自負している。
ましてや、死後に己の弟子たちが己の活動を世界中に広めてくれたのだ。今更、どんな未練を浮かべるのか、口惜しい等と思うこと自体が、後世の人々に対する無礼であろうと彼は考えている。
「であるからこそ、儂は単純だ。我が主セレスティーナ・アルブレヒトの利に従いつづける。その最中で武技を披露する結果を得ることが出来れば最良よ。
ランサー、お主の懸念に応えるのならばこう言おう。我が主と七星桜子が同じ先を見据えている限り、我らが対峙することはない。儂はどこまでも主の従者であり続けると決めているのでな」
「信頼し合っているのですね、己の主と」
「呵呵、ただ放っておけぬだけだ。お主と同じよ、勝手に突っ走って行こうとしよる。己の才覚を理解しておる癖に、抱え込みたがる悪癖持ちでな、おかげで退屈せぬぞ」
「貴方は良いマスターに巡り合えたようだ。その信頼を得ることが出来たことを語る姿は、私にも気持ちが伝わってきます」
このアサシンは決して背中を狙うようなことはしないだろう。セレスという女性の人間性は、既に昨日の桜子との会話の中でもある程度は理解している。
聖杯戦争に参加した魔術師としては不釣り合いなほどに人間として真っ当な志を持っている。時代は違えども、その在り方はランサーにも理解が出来る程度には倫理規範というモノはそう変わるものではない。
弱者に手を差し伸べ、争いを厭う。そうあろうとする人物であると判断しているのだ。
「逆にこちらからも問わせてもらおうか。ランサー、そなたは聖杯に何を望む?」
「………申し訳ないが、それは言えない」
「む、それは些か勝手であるのではないか?」
「己の真名に関わることでもあるからです。ただ……そうですね、何も言わないと言うのもそれはそれで不義理となり、マスターの名に傷をつける」
ランサーは己の中で慎重に言葉を選んでいる様子だった。同盟を組むとはいえ、あっさりと自分の不利になることを口走るのは気が引ける。たとえ、アサシンがそれを利用するつもりがないサーヴァントであったとしても、それを自分から曝け出すのは騎士としての誇りが邪魔をする。
その上で彼女は静かに口を開いた。
「私は……、私の国が欲しかった。私が聖杯に願うことは唯一つそれだけです」
口にした表情は、アサシンとは対照的に昏く、どこか自罰的な色が強く出ていた。
――秋津市東側・住宅街エリア・遠坂邸――
「じゃあ、行こうか、アーチャー」
まもなく夜がやって来る。今日もまたアーチャーと共に聖杯戦争へと参戦するために家を出る時間がやってきた。父さんは既にいない。今日は所用があって家を出ると朝に口にしていた。僕が屋敷に戻って来た時には既に外出していたようで、これから屋敷の中はもぬけの殻となる。
珍しいというか、少し奇妙でもあった。アーチャーを召喚してからの父さんはいつ聖杯戦争が本格化してもおかしくないことを想定して、自分自身の拠点である工房から外に出ないように配慮していた。
生活用品などは全て使い魔を通じて、業者に手配させて、既に1カ月以上の籠城生活を送ることが出来るだけの備蓄が屋敷の中には用意されていた。
そんな用意周到かつ徹底して自分が狙われることを避けるための方針を取っていた父さんが突然外に出ると言う判断をしたことが不思議でならなかった。
(朝の電話……、あれが何か関係しているのかな?)
ぼくが学園に向かう前に、父さんは電話で何者かと会話をしていた。それが誰であったのかはついぞ教えてもらうことは出来なかったけれど、もしかしたら、僕の知らないところで父さんは父さんなりに何かをしているのかもしれない。
最も、そこに危険を疑う必要はない。父さんは僕よりも遥かに強大な魔術師であり、用心深い。自分の命が危険に晒される可能性を忘れて外に出るなんてありえないし、聖杯戦争が始まっている現状、その総ての行動は聖杯を掴むために行われているはずだと確信が持てる。
何があろうとも、遠坂煉は、遠坂の宿願の為に闘っているんだって息子の僕は誰よりも信じているから。
「煉殿が屋敷に居なくて、正直ホッとしたのではないかね? 屋敷に戻るまで、落ち着かない様子に見えたからな」
「………否定はしません。戻ってきたら、七星さんのことを聞かれるかもしれないって言う心配はしていましたから」
「それで結局、答えは出たのかね……?」
アーチャーは無駄な言葉の羅列をすることなくストレートに問いを投げる。このドアを開いて外に出れば、そこは戦場だ。昨日のように悩んでいる暇はなく、僕の判断だけで陣営の勝敗に大きく影響することが分かっているからこそ、そこに遠慮はない。
「初めてなんです、父さんに嘘をついたの……、自分でもどうしてそんなことをしたのかわからなくて、七星さんに今日一日会って、会話をして、探って、そんなことをしている自分のコトを自己嫌悪して……結局、答えなんて何も出ませんでした」
遠坂蓮司は今でも悩んでいる。七星さんに対して僕がどうすればいいのか。彼女は僕が聖杯戦争に参加するマスターであることを知った時にどんな態度でいるのか、もしも、敵対することになった時に、僕は七星さんと戦うことができるのか。
頭で考えて、理屈をこねくり回して、結局答えなんて出るはずもなくて、今でも馬鹿みたいに煩悶している。今この瞬間だって、父さんの期待を裏切っている自覚はあると言うのに。
「だけど、僕は遠坂の魔術師です。聖杯戦争に勝利することは遠坂の人間としての悲願、だから……答えを出すことは出来なくても、逃げることはやめます。でなければ、僕はこの屋敷に戻ってくるための理由を無くしてしまう」
どんな結末になったとしても、遠坂の魔術師として在り続けることはこの家に生まれた時からの宿命だ。そこは逃げられない。七星さんとの時間か、父さんとの時間か、僕はそのどちらかを天秤にかけることを決めなければならない。
「アーチャー、僕たちはランサー陣営の下に向かいます。そして七星さんの真意を確かめる!」
「ふむ……、私は煉殿から、君を煉殿の名代として扱ってほしいと言われている。しかし、それが勝利に繋がらないと言うのならば拒絶をしなければならないこともある。それは承知の上で、ランサーと彼女の下へと向かうと言うことでいいのだね?」
他の陣営の下に向かえば、少なくとも今日を有耶無耶にすることはできる。聖杯戦争は必ずしも、総てのサーヴァントを倒す必要があるワケではない。他の陣営がランサーを倒してくれれば、僕が七星さんと戦わなければならない理由はその時点で消失する。
アーチャーの言葉はある種での優しさであり現実逃避を許さない最終確認だ。一歩を踏み出せば突きつけられる答えに対して、お前は耐えられるのかと問われている。
静かな言葉、雑談程度の声色だと言うのに、次に紡ぐ言葉を吐きだすのがこんなにも怖いと思うことがあるだろうか。言葉には責任が伴う。何も口にしていないのに、アーチャーの真意が伝わってくるように思えた。
「……もしも、僕が七星さんと対峙して、貴方から見て愚かな選択をした時には、僕の命令は一切無視してください。その上で、僕がしたことの総てをありのままに父さんに報告してほしい」
目先の欲望に流されて、判断を下せないような遠坂蓮司に価値はない。この局面を乗り越えられないような自分が父さんの後を告げる後継者になれるはずなどないのだから、その時はむしろ斬り捨ててくれた方がいい。
「けれど、僕が貴方から見て正しいと判断した行動をとった時には、どうか、何も言わずに僕の命令に従ってほしい」
「………いいだろう。それであれば、私も自分の価値観で動くことができる」
正直な話し、七星さんと対峙した時に、自分がどんな判断を下してしまうのかはわからない。アーチャーから見ても愚かな行為をして、彼を失望させて、総てを失うことになるかもしれない。
だけど、目を逸らし続けるなんてことは嫌だから。自分自身の与えられた運命に立ち向かうために、僕は遠坂の屋敷の扉を開き、戦場へと足を踏み出した。
次回は唯一神理教に潜入したライダー陣営パートです。