――秋津市北側・唯一神理教総本山・本殿――
「はい、本当に信じていたんです。でも、突然、襲われて……何が何だかわからないうちに身体を好き放題にされて……ぐすっ……ごめんなさい、私、ちゃんと……話さないと、信じて、えぐっ、貰え……ないのに」
「良い、良いのですよ。貴方の心の傷はよく理解できました。ここには貴方と同じように異国人に傷つけられた者たちが大勢います。理由は様々なれど、縋る場所を見出すことが出来ずに、神のお導きによって此処に辿り着いた方々にとって、ここは安息の地となりましょう。
だから、どうか、安心して。ここにはアナタを傷つけるような人は、誰もいません。我々、日ノ本の民は、互いに支え合って、我々だけで生きていかなければならないのですから……」
「本当に、本当に、受け入れて、もらえるんですか……? 正直、今も、怖いんです。見つかっちゃうんじゃないかって、私がここにいることで、私と同じような境遇の人に迷惑が、かかっちゃうんじゃないかって……ほんとに、ほんとに、ごめんなさい。でも、もう、耐えられない。外国の人の事なんて、信じなければ、よかった……。ちゃんとみなさんのお話しを聞いていれば……」
「それ以上、自分を責めてはいけないですよ、貴女のような若い女性はまだまだこれから幸福が待っているのです。神はすべからく我々を見守ってくれています。きっと、貴女の祈りは届きます。今日からともに頑張りましょう」
「………はい!」
心の底から救われた、ここに来てよかった、感情を乗せて向けた細やかな笑顔を前に、出迎えてくれた唯一神理教の信者たる女性はにっこりとほほ笑んでくれた。
(演技がバレているってことはなさそうね)
外国人に襲われて、無理矢理性被害にあった結果、この宗教の門を叩いた女――それが私、九重円華のこの場における設定という仮面を被った姿だった。
相手の信者は私の演技をすっかり信用しきっているのか、しきりに慰めの言葉を口にし、新たに信者となるであろう私のことを歓迎してくれている。自分ではない自分を演じるのは、女優として当たり前に得意分野ではあるけれど、そもそもこの宗教の門を叩いたと言う嘘を除けば、それ以外の総ては真実なのだから、迫真の演技も当然にできる。
か弱い女の子を演じていることを除けば、ほとんど本心で語っているとまでくれば、神に祈りを捧げて目が曇ったこの場の人々を欺くくらいのことはどうってことない。
コルテスの口車にまんまと乗せられたようにしか思えないことだけは癪だけれど、確かに唯一神理教という本来であれば触れることすらできない異常世界の中へと忍びこむのならば、私の立場は適任と言ってもよかっただろう。
体よくコルテスの傍を離れることができることを私が拒絶することはないだろうと言う目論みの下に、動かされているのが相変わらず掌の上で転がされているに等しい不快感を覚えるけれど、口の中に残っている悍ましいまでの不快感はあいつの顔を見ている限り、何度口を洗って、歯を磨いても消えてくれそうになかったのだから仕方がない。
「みなさまには、まず教祖である唯一様の教えを身に着けていただくために一週間程度、この本殿の生活をしていただきます。幸い、この本殿の傍には信者が住み込むための施設が~」
信者の女性が説明をしながら歩いている後ろを、私を含めた入信希望者たちが歩いていく。正直、こんな眉唾宗教に十数人以上の人間が一気に押し寄せていること自体が驚きだった。
異国人を排斥して、日本人だけの国家を創り上げるなんて与太妄想もいい所、今の国際化している社会の中で、そんな排他的な宗教が国を支配したら、たちまち日本は世界の中で孤立する。ましてや、宗教の突き進む先に間違いなく争いが待ち受けていると言うのが最早救いようがない。
仲の良いグループの中に突如として家柄や貧富の差で排斥を始めれば、諍いが生まれるのは当然、それを国家単位で行おうとしているなど、まったく現実が見えていないと言わざるを得ないのが正直なところだった。
秋津市の中で行われている聖杯戦争を引き金として、社会情勢が混乱しているのをいいことに彼らは信徒を増やしているけれど、逆に言えば、そんなことでも起こらない限りは信徒を増やす方法すらも確立できなかった。それが現実。
秋津市に戻る前に、親交のあったプロダクションの重役と話しをしたことがあったが、唯一神理教のことを、宗教ビジネスと呼んでいたことを思い出した。あんな目的も教義も明確に滅茶苦茶な宗教は、結局、信徒から金銭を巻き上げ、教祖の私腹をこやし、欲望を高めるために存在しているのだと。理解できないことではないなと思った。
本当に日本国民だけを助けてくれる神様がいて、誰にでも手を差し伸べてくれるのならば、どうして私の時に手を差し伸べてくれなかったのかと思う。神様は無視をして、私は神様を自称する男に初めてを何もかも奪われた。大切にしていたものに泥を塗られた。
それでも、周囲の入信者たちのようにこれで救われるなんて思えない。慎夜君を生かし、聖杯戦争を生き残るためには自分で自分の未来を開かなければいけない。
縋って救われるのなら、今日までに与えられてきた痛みも屈辱も受けてきた自分が馬鹿らしくなってしまう。だから、途中で投げ出せない。
聖杯戦争に勝つためなら、眉唾宗教の信者だって演じて見せる。絶対に勝って決めているんだから……
『いいか、円華。お前は完璧な素材だ。多少の化粧と変装程度では変えられない格ってのを持ち合わせている。お前ほどの女が宗教に入ると言えば大抵の人間は歓迎するだろう。嫉妬に塗れた愚図な女ならまだしも、自分たちの権威を高めたい奴なら尚更だ。お前は間違いなく受け入れられる』
『ただ、潜入する以上、いくつか注意するべき点もある。まず、背中は絶対に見せるな。分かっていると思うが、お前の背中に刻まれた令呪は、仮とはいえ、お前がマスターであることの何よりの証拠だ。勘のいい奴なら、お前が魔力を帯びていることに気づき、諜報している決定的な証拠になりかねない。だから、背中は隠せ。何があっても見せるな』
秋空であっても少し暑いなと思うくらいには着込んだ服装を見て、これなら万が一にでも背中を見られることはないだろうと思う。下手に勘ぐられたところで、異国人に裸に向かれた女が肌を見せたくないからと言えば、大抵の人間はそれで引き下がる。
人並み以上に多く着込んだ服と、やぼったいメガネをかけて、おどおどとした様子は周りからすれば一見、襲われても仕方がない相手と思わせるだろう。それでいい、ここにいる正当性を演出することが私に求められた役割なんだから。
「あの、先ほどからたまに刀のようなものを下げた和服の方が見えるのですが、あちらの方たちは……」
「自警団です」
信者の女性は入信者が抱いて当然の疑問をにべもなく返した。
「昨今、この秋津市の情勢は酷く不安定になっています。この総本山を心の拠り所としている方々の平穏な時間を護り、何よりもこの神によって見いだされた楽園を荒らされることがないように、信徒たちの中から守護を担当する自警団を創り上げたのです。彼らが必ず皆様を守ってくださいます。どうかご安心ください」
入信者たちから安堵の息が零れる。危険な存在ではないと思ったのだろうか、私からすればこんな山奥で刀を提げているような人間たちが何人もいる場所こそがこの日本の中で一番危険だと思うんだけど……
「よかったわね、これで貴女も安心できるじゃない」
「え、ええ。本当に、此処に来てよかったです」
私の横を歩いていた老婆が口にした言葉に適当に相槌を打っておく。信者に私の身の上を話したことを聞いていたのか、老婆はすっかり安心しきった様に同意の言葉を掛けてきたのだ。
ただ……言うまでもなく、安心なんてできる状況ではない。情勢が悪化しているから自警団を創り上げたなんて、そんなの話半分にも信じられない。もしも、私が真っ当に入信したくて来た者ならば信用したかもしれないけれど、聖杯戦争の相手陣営としてきたのならば見方は全く変わってくる。
(ここまでにも何体かの剣士の姿をした人間たちを見てきた。魔術師じゃない私には完全な判別は出来ないけど……空気が違った。信者の中から腕のある人間を選んだと言うよりも、最初からそういう世界の中に身を置いている人間たちがここにいるっていうそんな感じがする)
直感的な感覚に過ぎないのは私が一番よく分かっていることだけれど、なんとなく彼らそれぞれがサーヴァントなのではないかという不思議な感覚を覚えた。ここにいるのはキャスターの陣営、キャスターのサーヴァントしかいない筈の場所で、どうしてそんなことを想ったのかは不思議なことだったけれど……
「では、本殿にどうぞ。中には教祖である鷹司唯一様、そして我らが信奉せし神たる帝がおわせられます。帝は寛大です。しかし、礼を重んじます。どうか、相応の態度をもってお臨み下さい……」
案内をしていた信者の女性がひときわ大きな部屋の扉の前で立ち止まる。戸は閉じられているけれども、明らかに他の部屋とは意匠を異にしていることからも、この扉の先が本殿の中で重要な場所であることは言うまでもなかった。
内部から扉が開かれ、信者の女性が手をかざすと私たちの前にいた入信者たちが部屋の中へと足を踏み入れていく。次々と入り込んでいく中で、私の番となって足を踏み込むが、
「―――――――――ッ」
その瞬間に全身に重力が覆いかぶさるように自分の身体が強制的に膝をつく形で地面に触れ伏してしまう。
反射的に身体がその動きに抵抗するけれど、結果的に平伏するまでは行かないが、ほとんど目の前の御簾に跪いている姿を私だけではなく、この部屋の中に入りこんだ全員が強いられていた。
「我らが同志たち、皆、よくぞ来てくれた。俗世に塗れ、真なる日ノ本の民の心を忘れた者たちが無数に跋扈する中で、そなたらは真実の一端を垣間見たのだ!
素晴らしきかな!!」
部屋中に響き渡るような声が反響する。声を上げているのは簾の傍にいる中年の男、装飾華美の僧衣に身を包み、理解の出来ない言葉を次々と吐き出すその人物が、唯一神理教という組織の長、鷹司唯一であるだろうことはすぐに分かった。
思ったよりも欲に塗れていないのは驚きだけれど、ああ、よくわかった。あれは妄信的に自分を信じている人物の顔だ。芸能界の中にも無数にいた自分が正義だと信じて疑わない人たち、自分の願いを叶える為ならば平気で他人を犠牲にし、それが正しいと思っている人間の顔がそこにはあった。
なるほど、宗教の教祖なんて狂信的に自分だけの常識を信じ込んでいなければなれないとは思っていたけれど、彼もそういう人種なのだろう。
ただ……問題なのはきっと、唯一じゃない。魔力とかそういうものに疎い私でも、コルテスと過ごしていたからこそその違和感は分かる。鷹司唯一は人間だけれど、目の前の簾の中にいるこいつは……、紛れもなく人間じゃない。
その人間ではない、おぞましい何かが血走った眼を開くとともに口が動いた。
「現世においては異国のケガレが跳梁跋扈し、我らが国土を穢している。そなたらに罪があるのではない。総てはこの世を生み出すことを許した我らの過去の過ちがあればこそ。その過ちを正すために我らは再びこの日ノ本へと舞い戻った。すべては真なる日ノ本を取り戻すために」
簾の中の人物がどんな姿をしているのか、最前列にいるわけではないことから、わからない。けれど、その圧は全身を通じて感じていて、背中の令呪が強く強く脈打つのを感じる。
私の身体全体で必死にその圧に抵抗しているようで、一刻も早くこの空間から抜け出さないと、意識を保っていることすら苦しみを覚え始めてしまう。
「そなたらの力が必要だ。朕と我が草莽の志士たちの奮起のため、そなたらの力を献上せよ。さすれば……真なる皇国在らん」
誰もが言葉無く、さらに大きく頭を下げる。自我自体はその行動を求めていないが、身体が勝手にそれを行ってしまっていて、少しでも気を緩めたら意識ごと持っていかれそうになってしまう。
油断していた、演技さえしていれば何も問題ないと思っていた、だけど、考えてみればここは敵の陣地の中、待ち構えているのはエルナン・コルテス同様に歴史に名を刻んだ存在、この簾の中にいる存在こそがキャスター、大旦那さまから打倒を依頼された、私達が勝つために倒さなければならない敵……
「では、みなさま、改めて離れに案内させていただきます」
「我らが神の威光に触れたそなたらは今日より神の慈悲を与えられた選ばれし日ノ本の民となる。どうか、どうか、神の願いを叶えるための一助となろう。その助けとなる教えをそなたらに明日より教示しよう。信じてほしい、理解してほしい、このケガレに満ちた国を救う事が出来るのは、帝を置いて他にはだれもおらぬのだ!!」
立ち上がり、まるで幽鬼のような足取りで歩いていく入信者たちの群れの中に紛れ込みながら足を進めていく私の耳に唯一の妙に耳に残る声が響く。
そんな大きな声で叫ばなくたって聴こえているって言うのに、先ほどの身体を支配されていたような感覚がまだ体の中に残っていて、どうしても苛立ちを覚えてしまう。
(平時でも別にお近づきになりたくないけど……、言動が理解できない相手って行動も理解できないってのが大半だし……)
下手にアイドルの追っかけになってしまう人たちと行動原理としては大抵変わらない。自分の中の正義を正しいと思っている時点で、他の正義はすべて悪と考えられる短絡的な思考はある意味で生きる上で大事な要素であると思う。
(キャスターと鷹司唯一、その二つを確認することは出来た。キャスター自身は得体が知れないけれど、唯一については私とそう変わらないようにも思える。なら、唯一を1人っきりにすることが出来れば、案外簡単に倒すことができる……わけもないか)
安直な考えに思わず首を振る。確かに唯一自身はこの総本山の中で無防備に姿を晒しているかもしれないけれど、それはあくまでも、自分が襲われる心配がないって確信があるからに決まってる。
部屋から出た私たち集団を見送るように何人かの刀を提げたサーヴァントらしく存在達が部屋の周囲に張り付いていたのだ。思わす背筋に寒気が奔る。
もしも、あの場で突然、キャスターか唯一を倒そうとしていたら、彼らが飛びこんでくる仕組みになっていたというワケか……迂闊に手を出すことができると思わせたうえで、それを迎撃するための準備は完全に用意されている。
潜入している身としては最も相手をするのが厄介な布陣であると言ってもイイ。認識を改めなくてはいけないのかもしれない。私はこの総本山の中でキャスターとそのマスターを見つけ出すことがこの潜入の趣旨であるように思っていた。
でも、むしろ、これは……敵しかいないこの総本山の中で、どのようにキャスターとマスターを出し抜くのかを考えなければいけないんじゃないだろうか……?
(正直、これ、私だけでなんとか出来る問題じゃなくない? 敵が無数にいる拠点の中で演技力だけで出し抜けるような相手には見えないんだけど……)
「すいません、少しよろしいですか?」
「え、あ、は―――――」
突然、声を掛けられて、その声に反応すると同時に私の手首が掴まれて、信者たちの列から離れる形で、本殿の中の脇道へと足を運ばせていく。
「ち、ちょっと、いきなり何を―――」
「静かにしてください。連中に勘付かれます。私は貴女の味方です」
「――――――!」
振り返ることなく言葉を告げたのは、巫女装束のような服装に身を包んだ少女だった。私よりも何歳か年下だろうか、どこか生気が抜け落ちているんじゃないかと思えるこの場の中にいるには似つかわしくないほど、その足取りはしっかりしている。
信者たちの行列から、二度、三度、道を逸れて、角を曲がりきると、ずっと引っ張られるばかりだった腕に込められた力が和らぎ、彼女が懐から何かの札のようなものを天井へと投げ放った。
「とりあえずはこれである程度の時間稼ぎは出来るか……それにしても驚きましたよ。まさか、この総本山で変装している九重円華と出会うことになるなんて……」
「………もしかして、一宮さん?」
「はい、政府主催のキャンペーン以来ですね、円華さん。まさか、こんな場所で顔を合わせることになるとは思ってもいませんでした」
振り向き、声を掛けてきた相手の正体を知って、声を出してはいけないのに、声が口から洩れそうになってしまった。
目の前の相手は一宮梓沙さん。宮内庁の直轄組織の広報担当として私と接した女性だった。若干16歳で組織に採用されたその才媛ぶりと若さで広報キャンペーンガールとして扱われていた時に会って、年が近く、同性ということもあって、契約していた仕事の最中には何度か一緒に食事をさせてもらったこともあった。
以前はスーツに身を包んでいたから気付かなかったけれど、今の巫女服の方が、似合っているとすら思えてくる。
「どうして、貴女がここに? いや、むしろ、自分は正気って、まさか、梓沙ちゃん、貴女は―――」
「あまり時間はありませんから簡潔に。
一つ、私は聖杯戦争の参加者ではありません。
一つ、円華さんの身体から魔力反応を検知しています。以前、ご一緒した時には反応はありませんでしたね。
そして最後にもう一つ、私は政府から遣わされたこの組織の監視者です」
「ち、ちょっと待って。さすがに情報が多すぎる。そもそも、一宮さんって政府の広報担当だって――――」
「そこはおいおい説明させていただきます。式神が彼らの目を欺けるのもそう長くはありませんから。単刀直入に言います。円華さん、貴女を聖杯戦争の参加者と見込んでのことです。私と協力して、キャスター陣営を潰していただけませんか……?」
「本気なの?」
「逆にこちらこそ同様の問いを投げたいです。円華さんこそ、本気なんですよね?」
その言葉で彼女が何を求めて、どうして、無理やりにでもここで私に協力を持ちかけて来たのか何となく理解した。きっと、私達は互いに同じ穴のムジナ、ほんのわずかにしか触れていない私でもわかるほどの伏魔殿の中で、なんとかして、相手の隙を窺っている者同士なんだと理解させられた。
嘘をついているのかどうかということなら、おそらく嘘はついていないと思う。そもそも、一宮さんが連中の仲間ならこんなまどろっこしいことをする必要はない。気付いた時点で処分をすればいいんだから。
時間がない以上、いちいちいろんなことを聞いている場合じゃなかった。
「………私なんかが何かの役に立つことはできる?」
「この総本山の中に飛び込んできてくれた陣営がいるだけでも、私にとっては予想外の幸運です。円華さんが協力してくれるのなら、今度こそ―――鷹司唯一を排除することができるかもしれない」
ゾワリとしたものが背中を通り過ぎる。一度は顔を合わせて、快活というほどではないものの、華が合って、会話も噛みあう年齢の近い少女であったはずの目の前の相手が見せるのは、純粋なまでの殺意だった。
「勿論、今すぐに動くわけにはいきません。円華さんのことは可能な限り、私がサポートします。気が熟するまでの僅かな時間、円華さんなりの方法で奴らの目を欺いてください。そうしてもらえれば、私は必ず、あの狂った教祖に引導を渡す。誰も私の言葉を聞いてくれないのなら、私がこの手であの男を排除するしか、ないんだから……」
「一宮さん……」
「梓沙で結構ですよ、円華さん。ただ……知り合いであったことは人前では隠しましょう、少し出来過ぎています。間もなく式神が燃え尽きます。話は全て、私に合わせてください。基本的に連中は、こちらが手を出さない限り、私たちには手を出しません。あくまでも従順なふりを続けてください」
「………わかったわ。でも、梓沙ちゃん、一つだけ……無理してない?」
改めて、私の手を取って、何もなかったかのように振る舞おうとする後姿の彼女に問う。瑞々しく、手入れの行き届いていることが分かるセミロングの紺色の髪は彼女がこの伏魔殿の中で染まりきっていない純真の証のように思えて、きっと彼女も、自分と同じように苦しい立場にいるんだろうと勝手に思ってしまったからこそ口から出た言葉だったのだけれど、彼女は振り返り、ニコリと笑った。
「無理をしなくちゃいけない時もある。これは私の勝手な勘だけど、円華さんも案外同じじゃない?」
「………そうかもね」
彼女の言う通りかもしれない。人の心配なんてしている場合じゃなく、私には私の事情がある。あの性悪男がただ、私の演技力だけを頼りにしてここに放り込んだなんてことは有り得ない。勝つためなら何でもやる男だ。それはつまり、私にも勝つためならなんだってしろってことなんだろう。
(奴隷扱いのまま外野だと思ったのは本当のコト、あいつのためなんかじゃない、慎夜君のためにも、必ずここで私だってやれるんだってことを証明しないと……)
いつまでも使われているだけと思ったら大間違いだと、あいつに思い知らせてやるためにも、今一度頭を冷やして考える。ここで自分に何が出来るのかを。
――秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
『クック、そうですか、そうですか。円華さんを、それはまた大胆な手を考えたものです』
「バカを言え、これでも熟慮に熟慮を重ねた結果だ。連中から聞かされた街の情勢と、てめぇの目論み、そして俺様の勘。総合的に考えて、円華を使うのが一番だと判断した。連中がヤドカリを決め込むのなら、内部の状況を伝える存在がいなければ崩しようがない」
地下クラブのVIP席、すっかりたった一人のために用意された席のように扱われているそのスポットに我がもの顔で腰かけるライダーは、目の前で羽音を鳴らしている蟲と会話をしていた。
相手は言うまでもなく間桐の大旦那、情報提供者でありパトロン。同時にキャスター陣営打倒の依頼主である相手に対して現在の進捗を口にしていた。未だすべての陣営の情報を把握していないライダーからしても、キャスター陣営という陣営は自分たちを除いた6つの陣営の中で最も得体のしれない陣営であることが予想できた。
この地下クラブに潜んでいる半グレ連中からの情報では、キャスターの配下たちは唯一神理教の信者たちの護衛、あるいは夜の見回りと称して、街を闊歩している。今は目立った行動を起こしてはいないが、半グレ集団の外国人流れの者たちの何人かは襲われ、実際に斬り殺されたものもいるという。
『良くも悪くもこの街は今、事実が隠ぺいされやすい状況が生み出されている。表側の権力に強い発言力を持つ遠坂や勢至姆組が積極的に隠ぺいに動いていますからな。例の動画の事件もあります。多少、人が減ったところで、何が原因なのかを探るまでに至る者はいないでしょうよ』
「だろうな、誰のたくらみだか知らないが、俺様が暴れまわるために入り込む余地を作ってくれたことには感謝しているさ」
何が起こっても有耶無耶にされる、あるいは原因下を素人判断では特定できないという歪な状況こそが現在の秋津市の世相を何よりも表している。
無数の事件が同時に引き起こされていて、何が正しいのかわからず、ただ恐怖だけが蔓延する街、しかし、無差別ではなく、簡単に分かる法則性がわずかに残されているがために人々は、そのルールさえ守れば、自分が無事に済むだろうと錯覚している。
なるほど、崩壊前の街としては実に都合が良い要素がちりばめられている。
『それで、実際の所、どうするつもりですかな。円華さんは何もできない娘ではないことは承知していますが、あの総本山の中にはキャスターに翻意を抱いている者がいるとしても、打倒は難しいのでは。依頼をした身としてこのようなことを言うのも、失礼ですが、本当に倒せますか?』
「ハナからキャスターを倒すつもりはねぇ。円華が狙うとすれば、マスターだけだ。昔から権力者が滅ぶ時って言うのは、自分の感情を制御できなかった時だけだ。男を潰すのに最も手っ取り早いのは女だからな」
『ふむ、道理としては理解できますが、円華さんにそれができますかな?』
「くく、さてねぇ。どうだか。そこは俺様にとっても賭けだな、円華が自分の中のこだわりを捨てて、本気で勝ちを狙うのならば自分の身体の使い方はよくわかってるだろうさ。少なからず俺様が仕込んでやったからな」
『彼女は我が孫に随分と入れ込んでいる。その牙城を崩すには日数が少なかったように思えますがね』
「そうだな、あいつはあれで強情だ。俺様がいくら快楽を仕込んだところで、我がマスターが生きている限り、決して堕ちることはないだろう。とはいえ、俺様にとっても魔力袋である己のマスターは必要だ。聖杯を掴んで受肉しちまえば話は別だが……聖杯戦争に勝つには必要だ」
まだ2日程度の関係だが、九重円華の精神力は随分なモノだとライダーは考える。当初、素人同然、性奴隷同然の立場に落されれば簡単に諦めるだろうと思っていたが、なかなか自分の中の芯というものを捻じ曲げない。身体は順応していても、精神の方はコルテスといたところで大して変化を見せることはないだろう。
むしろ、コルテスの存在自体が彼女の負けん気を煽っている節まである。
「なぁ、爺。真っ当な人間が道を踏み外す時ってのはどういう時だと思う?」
『後戻りが出来なくなったとき、ですかな……?』
「いいや、違うね。自分の行動を間違っていないと思った時だ。円華は自分のこだわりを捨てることが出来なくても、勝たなければいけないって言う気持ち自体はある。俺様とアイツがこの聖杯戦争に勝つには、どこかでアイツにも一皮むけてもらわなければいけない。勝つってのは、他人の夢を潰すってことだ。夢を潰してでも欲しい夢を掴むことだ。
俺様に命令されているからではなく、円華が自分自身で、どこまで本気で勝ちを狙いに行くのか……、キャスター潰しは当然として、俺様はそこが見たい」
『まるで騙しあっている競争相手のようですな』
「ハッハハハ、言いえて妙だな。そうだ、俺様と円華は協力者であり敵対者だ。互いに互いを出し抜きたくて仕方がない」
言わば自分たちは内部と外部で二つの勝利を手に入れなければならないわけだが、面白い。己の欲望に忠実でいるために必要ならば、その程度の障害は望むところだ。諾々とマスターに従っている在り方など、エルナン・コルテスには退屈が過ぎる。
「しかし、何にしても、円華だけに働かせていては、心許ない。己の遊びのために身を滅ぼすほど、俺様は愚者ではない。キャスターを潰すためには手駒が必要だ」
『あてはあるのですかね』
「ねぇさ。今の手札じゃな」
ライダーはテーブルに置かれていたワインへと口をつけて、その味を舌で噛みしめる。サーヴァントが酔うことはないが、味を全く知ることができないわけではない。地下クラブの中に置かれている幾つかの酒はコルテスの手持無沙汰を慰めるための嗜好品として役立っていた。そのワインをボトルのまま一気に飲み干すと、テーブルにダンと叩き付けて、ライダーは立ち上がる。
「おい、爺。どうせ、お前のことだ。街中を監視できるように蟲をそこらじゅうに放っているんだろ。今宵は動く。サーヴァントどものいる場所に案内しろ」
『戦闘を仕掛けるつもりですか?』
「ハ、馬鹿言え、ちょっかいを出しに行くだけだ。何にしても見極めはしないといかんだろう。俺様が知らぬ他の5つの陣営、どいつが俺様の役に立って、逆に潰さなければならないのが誰なのか、情報も無しに航海に出ることほど愚かしいものはないってな。
幸い、今は円華もいない。動くには絶好のタイミングって訳だ……!」
円華を放った以上、今すぐコルテスが仕掛けるための手札は手下たちでしかない。無論、彼らは数を揃えていることこそが強みであり、コルテスがこれから考える唯一神理教潰しには必要不可欠な手駒たちだ。
よって、ないのであれば調達するしかない。いまだ出会う事無くこの街の中に潜んでいる4つの陣営―――セイバー、ランサー、アーチャー、アサシン、これらは自分が利用できるような者たちであるのかを知ることこそが、何よりも肝要なことだ。
地下クラブより地上へと上がるための階段を昇りながら、コルテスは久方ぶりの戦意の発露に身体が昂っていることを自覚した。
「待っていろ、万夫不倒の英霊ども、これより神が再臨する。その姿に慄くがいい」
次回はようやく2日目夜パート戦闘回突入です!