――秋津市西側・繁華街・勢至姆組事務所――
一歩、また一歩と事務所の廊下を進んでいく。
俺が閉じ込められた昨日から事務所の中の空気も、直接肌では感じていないが、外の繁華街の空気も変わってしまっていることは分かった。
「若、何故、あなたがここに……?」
「櫻一郎、状況を教えろ。今はどんな状況になっている。外で何が起きた?」
既に廊下で組の若い奴とはすれ違っている。俺が外に出ていることに大層驚いている様子だったが、そこはオヤジから直接呼ばれたという形で言い繕っておいた。
訝しむ様子ではいたが、状況が状況なだけにオヤジが俺の力を借りるために呼びつけたのだと解釈したのだろう。若頭にまで上り詰めた自分自身が、若い連中に見逃されると言う経験自体は、どうにもやりきれない思いがあるが、今はそうしたことは忘れておく。
そういう意味でも櫻一郎を早々に見つけることが出来たのは幸運だった。こいつならば、面倒なことを省いたうえで俺にとって必要な情報を与えてくれるはずだと言う確信が持てる。
「現在、勢至姆組の下に与していなかった外部からの連中或いは、我々に反感を抱く勢力が結託して、唯一神理教を襲撃しています。唯一神理教は帯刀している者たちを投入し、おそらく遠からずのうちに手を出した連中が敗走するであろうことは間違いないかと思われます」
「なんだ、そりゃ。俺達にとって邪魔な連中がどっちも潰しあってくれるのなら、好き勝手にやらせておいて損は何もないじゃねぇか」
「いえ、そうでもありません。連中は、自分たちが勢至姆組であると名乗っているそうです。おそらく、今回の襲撃事件の汚名を全て我々に被せるつもりでいるのだろうと」
「ハッ、汚ねぇ真似をしてくれるもんだぜ。天下の勢至姆組もヤキが回ったもんだ。それでオヤジを始めとして、若い連中もどいつもこいつも必死に動き回っているってことだ。オヤジが俺のことを呼び出した理由も良く分かるぜ」
要するにこの状況をどうにかしろと言いたいのだろう。外の連中を秋津の街に引きこんでしまったのは確かに俺の責任と言えばそれまでだ。バーサーカーの力を強めるために動画を使い、街を混乱に陥れ、治安を著しく落し込んだのは他ならぬ俺だ。
結局、あの後もオヤジと面と向かって会話をしていないこともあって、オヤジがどこまで状況を把握しているのかは判然としないが、察しのいいオヤジのことだ。分からないと言うことはないのだろう。
「組長が若を呼び出した、ですか……」
「ん、ああ。俺を部屋から出した奴はそう言っていたぞ。だから、今からオヤジの所に向かう途中だ」
「………、そうですか。いえ、それは俺にとっても喜ばしいことではあるのですが、組長も考えましたね。若を投入すれば、この状況を抑え込むことができると考えたのでしょうか」
「さてなぁ。もしかしたら、こんなことになっちまった責任を取って死んで来いってことかもしれんぞ。オヤジも俺に何らかの罰を与えなければ周囲に恰好がつかないんだろうさ。構わねぇよ。俺が出来る範囲で責任は取らせてもらう」
「そうであればよいのですが……」
櫻一郎は何か思うところがあるのか、不安げな表情を浮かべていた。俺が部屋に閉じ込められている間に、こいつからすれば聞きたくもないことを幾つも聞かされた経緯もあるのだろう。
組の若い奴ら等、コイツ一人いればいくらでも替えが効く連中であると言うのに、野心がない故にこいつはどこまでいっても用心棒より上に行く気が無い。
奴らからすれば、若頭の俺に付き添っているだけで特別な立場にいる目の上のたんこぶ程度にしか考えていないのだろう。周りを黙らせるためにはある程度の権力は必要だと何度も何度も言っていると言うのに。
俺は櫻一郎の肩に手を置き、気安く声を上げる。
「オヤジと話しをつけてきた後にはお前の力が必要になる。若い連中を何人動員したところで、カルト宗教の奴らを潰すことはできないだろう。お前とバーサーカーだけが頼りだ。頼むぞ」
「………よろしいのですか?」
「聖杯戦争の継続は無理なら、最後に暴れ倒すのも悪くはねぇ。オヤジや俺達と敵対する連中を全て食いつぶして終わりを迎えるのなら、いい幕引きになると思わねぇか?」
もはや聖杯戦争を継続できるなどとは考えていない。例え、今宵の戦いを終着させたとしても、オヤジは聖杯戦争の継続を望みはしないだろう。
とはいえ、使える力は使える力だ。使わない道理はないし、バーサーカーだってほとんど暴れないままに消えていくことなど本意ではないだろう。
であれば、これが最後の大花火、偽物は結局、本物になる機会など与えられなかったが、それで捨て去ることができるほど、オヤジとの関係は薄情なモノじゃない。
あの日に差しのべられた傘と掴まれた腕の感触を未だに覚えている。あの人だけは裏切れねぇし、何があろうとあの人は俺を捨てるような人間じゃねぇとわかっているから、自分自身を納得させることができる。
「じゃあ、オヤジに会って来るぜ」
櫻一郎の肩に乗せた手を振り払い、オヤジのいる部屋へと向かっていく。空気が悪い。喧騒に包まれ、暴力の匂いが、窓を閉めていると言うのに、自分の近くにまで漂っている気分がしてくる。
窓を開けて、外に出れば、懐かしい匂いに包まれることだろうと直感的に思いつつも、組長の部屋へと足を進めていく。
「オヤジの部屋、か……」
ガキの頃は、この部屋にも簡単に入ることが出来た。大人になって色んなものに触れていく中でそれも出来なくなっていった。
ここはガキから大人へと変わった象徴の一つ、簡単に跨ぐことが出来なくなった不自由さこそが、変わることが出来た己の証明でもあったから、感慨深く、部屋に入る前に脚を止めてしまった。
オヤジは自分を許してくれるだろうか、わからない。あれほどの迷惑を掛けちまったのに、随分自分勝手な理屈であるとは思うが……そうであってほしいと思うのだ。
親子ってのはそういうもんだろうと、勝手に思っているだけだが……
「本当にこれでいいんだな。これで、俺達は今の立場のままでいられるんだろうな?」
「オヤジ……?」
部屋の中から聞こえてきた典嗣の言葉に奉はノックしようとした腕を止めた。何者かと電話をしているのだろう。入り込むのも無体が過ぎると思ったのだが、その会話にどうしてか耳をそばだててしまった。
誰と会話をしているのだろうか、そうした好奇心のような感情、あるいは……奉の生物的な生存本能だったのかもしれない。
「そうは言ってねぇよ。遠坂が勝ってくれるのが一番丸く収まるってことくらいは俺も分かっている。だから、奉を止めたんだ。余計なことをさせないためにな」
「――――――――っ!?」
心臓が一瞬止まるかと思った。奉の全身を嫌な汗が伝っていく。扉越しに聞こえてくる声の意味を奉は誰に言われずとも自分自身で解釈を始めていた。
遠坂とは言うまでもなく、あの遠坂の事だろう。聖杯戦争の参加者として、どこかの陣営のマスターであるはずだ。それとオヤジが連絡を取り合う関係でいる。しかも、事態を丸く収めるために協力をしている。
そして、その見返りとして自分の行動を制限させた。
「…………嘘、だろ」
否定の言葉が最初に口から飛び出した。まさか、ありえない。その想像のままに行けば、最悪の想像が事実であるとするのならば、典嗣は勢至姆組を生かすために、バーサーカー陣営を遠坂に売ったかのような言い分ではないか。
手が震える、膝から崩れ落ちそうになる。自分の足元、しっかりと存在していたはずの足場が崩れ落ちるように全身が揺れ動いているのが分かった。
前後不覚、いや、何を信じればいいのかもわからないような思いを覚えていた。そんなはずがない。オヤジが俺を裏切るなんてことは有り得ないだろうと口からこみあげてくる吐き気を必死に抑えながら、扉とは反対側の壁に身体を預けて、肩で息をする。
荒々しく吐かれる息が何よりも自分の無様さを証明していたが、今の奉に外面を取り繕っている暇などない。扉の先の言葉はもはや意識していなくても耳に入ってくる。
聞きたくもない。これ以上耳にしてしまえば、もはや後戻りが出来なくなってしまうのではないかと思うほどの中毒性を以て、言葉は疑念へと変わっていく。
何故だ、何故だ、何故だ、何故だ………、奉の中に浮かび上がっていく疑問は全く消える様子がなく、むしろ自分自身を落ち着かせようとすれば、余計に疑念が増すばかりであった。
「いい気なもんだ」
無意識に奉の身体は動いていた。扉越しに聞こえてきた会話はひと段落したらしい。電話を置く音が小さく聞こえると、奉は自分でも驚くほどに身体が勝手に動いていることを実感した。
「まずは、騒動を止めなけりゃならねぇ。何処の連中が動き回っているのかを探るのは、そのあ―――――」
「オヤジ」
扉が開かれ、部屋の中にいた主である典嗣は目を見開いていた。このタイミングで奉が部屋に入ってくること、そして明らかに剣呑な空気を纏っている奉から、典嗣はすぐさま彼が何を聞き、何を知ってしまったのかを理解した。
もしも、理解をしていなかったとすれば、それはそれで幸せだったのかもしれないガ……
「奉、テメェ、どうしてここにいる。オメェには謹慎を言い渡していたはずだぞ」
「オヤジが俺を此処に呼びつけたんだろ。俺を部屋から出した奴はそう言ったぞ」
「んなわけあるか!! どこの組に謹慎言い渡した野郎を勝手に解放する馬鹿がいるってんだ!!」
典嗣は明らかな動揺を浮かべていた。どうして、自分の目の前に奉がいるのかわからない。いや、そもそも先ほどまでの会話を聞かれていたのかどうか、そこが最大の問題であった。
無論、典嗣からすればやましいと思うことは何一つない。彼は彼なりの理屈を以て今回の秋津の騒動に手を触れた。しかし、奉からすれば、どう思うか。それを理解できないほどに、人間を知らないわけではないのだ。
「ああ、そうか。なら、聞き間違いかもしれねぇな。いや、扉が開いたのは本当だぜ? オヤジの言いつけを破って俺が勝手に外に出てくるわけねぇじゃねぇか。あんたは俺にとってたった一人のオヤジなんだからよ」
「………悪かったな、怒鳴っちまって。なら、さっさと部屋に戻れ。お前が外に出ていると余計な混乱を生んじまう。騒がしいかもしれないが、少しの間、我慢していてくれ」
典嗣の反応はあくまでも平常の時と変わらない反応だった。まるで先程までの出来事など何一つなかったかのような反応ですらある。
「ああ、わかった。だが、オヤジ。一つだけイイか。さっきの電話、誰と話してたんだ?」
「――――それは、俺がオメェに言わなけりゃいけねぇ話か?」
空気が一気に凍りつく。会話を重ねていくごとに少しずつ温かみを取り戻していたはずの空気が一瞬にして凍りつくほどに、その言葉は両者のスタンスを決定的な形であらわしてしまっていた。
奉は追及する側、典嗣は騙し通す側、その在り方が決定づけられた。もっとも、それを表に出すことはせずに彼らは淡々と言葉を続けていく。まだ導火線に完全な火は灯っていない。
「いや、なに、さっき、ノックをしようとした時に俺の名前が出ているのを聞いたんでな、もしかしたら、誰かに迷惑を掛けちまったのかと思ったのさ。オヤジは色んなところに顔が利くからな、もしかしたら、俺が気づかないうちに何かをしでかしちまったのかと思ったのさ」
「お前が心配することじゃねぇよ。組の問題を解決するのが組長の役目だ。そのために俺がいる。オメェらには常々言ってるだろ。自分が組の為になると思うことをやれと。お前だってそうだってわかってる。だからこそ、今回の問題もなんとかして不問に―――」
「組のためってのは、大事な組員を生贄に差しだして、遠坂に頭を下げることなのかよ?」
「………………」
典嗣の言葉がそこで途切れる。巧い言葉で躱そうとするにはもはや奉は先ほどまでの会話を全て聞いてしまっていることがこの時点で典嗣にも分かってしまった。
「オヤジ、あんたの言いたいことは分かる。俺達は所詮反社会的な悪だ。どこかからの許しを与えられることで、俺達は成り立っている。時には生きながらえるために生贄を差しださなくちゃいけねぇ時もあるし、俺だってそのくらい弁えている。俺よりも若い連中にその役目を押しつけたこともあるさ、理解できる」
トカゲのしっぽ切りなど、この世界の中では当たり前のことだ。邪魔な奴を排除したうえで身内の邪魔ものも一緒に排除する。そうして総てを切り離したうえで組だけが得をする。よくある話だ、不思議がるほどの事でもない。
奉とてそれは理解できる。理解できるからそこを問題にするつもりはない。典嗣が死ねと言えば死ぬという心持ちを胸に秘めるほどには彼は勢至姆典嗣という男にこれまで救われてきた。
だが、一つだけ、一つだけどうしても問わずにはいられないことがある。
「昨日、オヤジ、あんたは俺に大人になれと言った。そして、俺に頭まで下げてくれた。これ以上は、お前が道を踏み外すかもしれないと。俺はオヤジが俺の身と組の未来を案じて、そう口にしてくれたんだと思っていた。いや、今だって本気でそう思っている。
あんたはそういう仁義を通せる男だ。だから、これだけのデケェ組織を創り上げることが出来た」
勢至姆組は、典嗣が己の身一つで作り上げた組織だ。今とて、組に対する世間の評価が変わり始めていたとしても、なんとかシノギを継続していくことができるのは偏に典嗣の人望があればこそであると奉も分かっている。
だが、それはそれ、これはこれだ。はっきりさせなければいけない。誰よりも典嗣という男を信奉しているからこそ……、いいや、彼との関係に重きを置いているからこそ、問わなければならない。
「なぁ、だから教えてくれよ。あんたがオレの聖杯戦争に首を突っ込んだのは遠坂のためか。天下の勢至姆典嗣が遠坂に頭を下げてこの組を生き残らせるために、俺に嘘をついたのか。俺の身を案じていると口にしたあの言葉は嘘だったのかよ!!」
「……ああ、そうだよ。んなこと言わなくても分かんだろうが」
ぶっきらぼうに、そしてはっきりと典嗣は睨むような視線を奉に対して向けた。それからおもむろに自分が座っている机の引き出しを開いた。
「2日前、遠坂から呼び出しがあった。内容は唯一神理教を潰すから、組の中にいる聖杯戦争に参加している奴をテメェらで処理をしろってことだった。もしも、いうことを聞かない場合には、勢至姆組が行っている動画事件との関係性を明るみに出すとな。
遠坂は本気だ、それをするだけの社会的信用と裏社会との繋がりがある。わかるか、奉。テメェがやったことで俺は尻拭いをしなけりゃならなくなった。しなけりゃ、勢至姆組は終わりだ!」
「なんで言ってくれなかった」
「言ったらテメェは、遠坂を潰しに行くつもりだっただろうが」
「当たり前だ、オヤジを脅して、組を潰そうとするような奴を生かしておく理由が何処にある!! バーサーカーと櫻一郎がいればそれができたはずだ!!」
「できたかもしれねぇが、その後はどうするつもりだ? 奴は狡猾だ。俺らが襲って来れば嬉々としてそれをネタにして、社会的に俺達を潰しにかかるだろうよ。そん時にテメェはどうするつもりだ? 裏も表も、この街を全て滅茶苦茶にするつもりか?」
「それで組が天下を取れるなら、それで十分じゃねぇか!!」
「廃墟の街で手に入れた王冠にどんだけの意味があるんだよ?」
例え、奉が遠坂に勝利することが出来たとしても、遠坂は徹底的に勢至姆組を潰すための策を用意しておくことだろう。
それを全て恐し、全て屈服させた後に待っているのは間違いなく破滅だ。秋津の街という総てが壊れた後にただ、勢至姆組が勝利したという結果だけが残る。
「聖杯を、聖杯を掴めばそれで願いが叶う。オヤジがこの街の、いいや、この国の王になることだってできる。こんなチンケな街でくすぶっていることなんざもう必要なくなるんだ。
そうすりゃ、俺達は本物になれる。こそこそとしている必要もない。大手を振って歩いていける。遠坂に靡いちまったら、そうすることは絶対に出来ない。オヤジ、俺を信じて―――」
「なぁ、奉。誰が、いつ、テメェにそんなことをお願いした?」
「―――――」
後頭部を思い切り叩き付けられたような気分だった。自分が信じて来たものが今度こそ、本当の意味で崩れ落ちるんじゃないかと思えるほどに、目の前の人物が口にした言葉の意味が理解できない。
「俺はよぉ、今のこの組で満足している。そりゃ、世間に受け入れられねぇことの方が多いし、諸手をぶってのデケェ顔なんて当然にできねぇよ。けどな、それでいいと思っていた。俺が自分で作った組織だ。せめて、オメェらだけでもどうにかできればそれでよかった。なぁ、奉、
俺はいつテメェにこの街の王になりてぇなんてお願いした?
テメェにいつ聖杯戦争なんてものに参加しろって言った?
テメェはいつからこの組を背負って立つことができるほど偉くなったんだ?」
やめろ、やめてくれ。奉は口に出すことはないが、全身が震えていた。典嗣に怒りを向けられたことが全くなかったわけではない。失敗をすればドヤされたし、殴られもした。
だが、そこには必ず組員としての愛があった。次にしくじらないための言葉があった。
「テメェは口を開けば、俺のため、組のため、そんな風に口にしやがる。誰が頼んだ、誰が望んだ。誰もそんなことをオメェに頼んでなんていねぇンだよ!! それは単にオメェが自分の暴力を正当化させたいためだけに言っているだけじゃねぇか!!」
「違う、オヤジ、信じてくれ!! 俺は本気で――――」
「黙れ!!」
「ひっ……」
奉は目を見開いた。机の引き出しから取り出した拳銃を典嗣が奉へと向けたのだ。
拳銃など向けられても奉は本来怖れることはない。自分の命などまったく斟酌に入れない彼からすれば、銃弾が身体に当たろうが本来であれば気に掛けることはない。
ただ……奉の中で封印していたものの扉が開かれようとしていた。なまじ、典嗣を親代わりであると意識していることが、どうしようもなく思い出させるのだ。
神丘家にいた時代、当たり前のように行われていた暴力、弱者でしかなくて、ただ虐げられるだけだった人生、あの時代に自分が戻ってきてしまったように奉は錯覚していた。
「組に迷惑かけたテメェは本来だったら追放、あるいは腹切って詫びるのが筋だろうが。ああ、許してやるつもりでいたぞ。だがよぉ、奉。テメェはちっとばかり調子に乗りすぎた。どこまで俺に迷惑かければ気が済むんだ。あァ?」
「オヤジ、俺は……俺は……」
「何度も何度も、お前には大人になれって言ったな。ガキの喧嘩じゃねぇんだよ。こっちはいろんなものを背負っているんだよ。ガキが拾ってきたもんがいいもんか悪いもんかを判断してやるのが大人の務めかもしれねぇが、テメェはいつまでガキのつもりでいるんだ? それとも、いつまでも俺がテメェを甘やかしてくれるとでも思っていたのか?」
違う、違う、そうじゃないんだ。俺は本気でアンタのためになることをしたかった。だけど、これ以上の方法が思いつかなかった。
だって、喋ったらあんたはきっと反対しただろう。だから、文句なんて言えなくなるくらいに俺が強くなって、あんたに不安を覚えさせないようにしようと思ったんだ。
強ければ何もかもが許される。世界ってのはそういうもので、本物になるにはそうなるしかなくて、だから、俺は、俺は―――――
「オヤジ、俺は本気で――――」
「奉、テメェなんて拾わなければよかった」
「―――――――――――――――――――――」
『アンタなんて、生まれてこなければよかった』
幼少の頃に、実の良心から何度も何度も口にされてきた言葉、何度も何度も暴力と共に叩き付けられてきた言葉……、それがフラッシュバックする。
目の前の光景と、忌々しい記憶が、奉の中で混濁していく。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああ」
もはや体面など取り繕う事も出来ずに、奉は両手で顔を覆い、呻くように声を上げる。
思い出したくもなかった記憶、最低最悪の時間、そこから救い上げてくれたはずの存在から口にされた似通った言葉、それが奉の心の中に大きな空白を生み出し、記憶がぐちゃぐちゃになっていく。
「おい、テメェ、何だ。何をしやがる」
俺はどこで間違えた。何をすればよかった? どうすれば正しさを得ることが出来た。
「ぎぃぃぃぃぃぃ、やめろ、噛みつくんじゃねぇ。俺の、俺の腕がぁぁぁぁぁぁ」
どうすれば手に入れたいものを手に入れることが出来た? なんで、俺はいつも本当に欲しいものを手に入れることができない。
「と、奉、た、助け、助けてくれ。お、俺が悪かった。オメェの事も許す。な、な、だから、だから」
ああ、そうか。そういうことか。気付けば何も難しいことなんてなかった。
「た、たすけ―――――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
俺は偽物なんだから、人間の出来そこないなんだから、人並みの幸福なんか手に入れることができるはずがなかったんだ。産んでくれた両親は最初から否定していたじゃないか。産まれたことが間違いだったのだと。間違っている存在が正しさを得ることなんてできるはずが……ないじゃないか。
もう、どうでもいい。何もかもがどうでもいい。誰か、俺を―――楽にしてくれ。
「……………オヤジ?」
気づけば、なんだか記憶があいまいだった。自分の中の過去と今が混濁していて、いつまで目の前の光景を認識することが出来ていなかったのか全く分からない。
ただ、分かること、不自然なことがあるとすれば、先ほどまで拳銃を向けていたオヤジの姿がどこにもなくなっているということだった。
もはや、今となってはその向けられた拳銃そのものこそが自分を救ってくれるかもしれないと言うのに、どうして、目の前にいないのかと。部屋の中に視線を向けて気付く。
「なん、だよ、これ……」
部屋の中は夥しいほどの血に塗れていた。俺の目の前を中心として血が飛び交っており、俺達の傍にあったオヤジの机など酷いもので半分がぐっしょりと血に塗れている。
何があった、何が起こっていた? まったくわからない。そんな状況の中でうめき声が聞こえた。その正体が、己のサーヴァントであることを知って、呻き声の方向へと視線を向けた。何も考えず、何の気なしに振りむいたそこには……
「オヤジ……」
獣がいた。俺のサーヴァントであるバーサーカーが、噛み千切られ上半身だけが残った目の焦点が合わず、壮絶な表情で固まったオヤジの身体を引き摺りながら、今尚、咀嚼を続けている最中だった。
思わず吐き気がこみ上げる。自分のサーヴァントがやったことをはっきりと理解し、こみあげてくる不快感と吐き気を覚え、その場に倒れ込んでしまいそうになるが……それを何とかして抑え込む。
ここまで身体の中から何かを吐きだしてしまえば、もう二度と立ち上がることが出来なくなると瞬間的に理解したからかもしれない。咳を吐きだし、なんとか自分自身を取り戻す。状況を正確に把握することは難しいが、なんとなくであれば理解が出来る。
俺の命を奪おうとしたオヤジを、サーヴァントであるバーサーカーは護るために迎撃したのだろう。無論、ただの人間であるオヤジがバーサーカーに対抗することなど出来るはずもなく、結果としてオヤジは無残な姿で屍を晒している。
放心状態だった俺を放逐したままに全ては終わってしまっていたようだった。
そう……、図らずも俺は二度目の親殺しをしてしまったと言うことだった。
「くく、はは、なんだそりゃ。救いようがねぇ。とんだクズ野郎じゃねぇか……」
どこの世界、どこの時代に、親を二回も殺すような奴がいるだろうか。一度殺しただけでも大罪であると言うのに、二回も殺したなどと地獄に落ちても誰も文句が言えない。
人とは思えないほどの畜生、生まれてきたこと自体が間違いであったかのような愚かさ。
「ああ、なんだ、やっぱり、俺は俺だったんじゃねぇか」
生まれてきたことが間違いだった犬畜生にも劣る存在、自分が生きるために二度も親を殺す悪辣ぶり、まさしく獣だ。理性などすべて捨て去ってしまった獣のほうがまだ救いようがある。
「あっはははは、救えねぇ。救いようがねぇ。何なんだ、俺は。なんでまだ生きてんだ。俺は何のために、ここにいるんだ……?」
悪鬼もかくや、こんな救いようのない存在が人間であるわけがない。人間であってたまるものか。産まれてきてはいけなかった畜生が、ようやく自分自身の本質を理解したと言うことだけ。
なのに、そんな愚かしさを感じていると言うのに、身体も心も酷く軽かった。まるで今まで無理矢理に抑えつけていた総てから解放されたかのような気分、最低最悪の行動をしてしまったと言うのに、とても晴れやかで、とても軽やかで、ああ、本当に今すぐにでも天に昇ってしまえそうだった。
「なぁ、バーサーカー。俺はどうやったら救われる。誰が俺を救ってくれる?」
獣は何も答えない。ただ俺が何かを言うのを待っている。そう、誰も救ってなどくれない。救えるはずもない。産まれてきたその瞬間から間違っていた存在をどうすれば救うことができる。誰が間違いを正すことができると言うのだ。
それを正すと言うことは生まれなかったと言う事実しかないこの畜生を、誰が救うことができると言う。
「いいや、一つだけあるなぁ。ああ、そうだ、最初から変わらない。俺は……偽物から本物になるために、聖杯戦争を始めたんじゃないか……」
ようやくわかった。最初は魔術師としての失敗作だった自分が遠坂や他の魔術師共を叩き潰すことで自分は失敗作ではないと証明することが出来ればよいと思っていた。
聖杯の願いも典嗣に捧げることが出来ればよいと思っていた。けれど、違う。もはや典嗣はいない。彼のいない勢至姆組などどうでもいい。
「俺は俺の人生を変えるために、本物になるために、人間になるために聖杯戦争を続ける。なぁ、力を貸してくれるかバーサーカー。俺達はともに同じく獣でしかない。だったら、獣らしく何もかもを忘れて暴れてやろうじゃねぇか」
もはや、そうしなければ自分の人生を取り戻せない。産まれてきた意味すらもわからないから。万能の願望機であれば、きっと自分を救ってくれるはずだと信じているし、縋ることができるものは、もうそれしかないのだ。
「組長、何か悲鳴が……こ、これは」
「若頭、血迷ったか!」
「あんた、やっぱり、最初から組長を嵌めるつもりで―――」
「あァ、死にてぇのか、てめぇら?」
獣がうめき声を上げる。もはやバーサーカーを隠すつもりは一切なく、俺に対して敵意を向けてきた組員に対して、俺は殺意を滲ませた視線と声を投げる。
「ひ、ひぃ……」
「勘違いするな、むしろ、裏切ったのはオヤジだ。オヤジは俺達を遠坂に売ろうとしていた。だから、俺は組が潰れる前に裏切り者を殺した。なぁ、わかるだろ、お前ら。
誰に従うべきなのか、この組を守っていくことができるのが誰なのか……お前らなら、分かるよな?」
誰も彼もが思わず視線を下に向けた。どう反応すればいいのかはこいつらもわかっているんだろう。死なないために、生きるために、誰に従わなければならないのかなど歴然としている。
結局のところは、総ては力だ。圧倒的な暴力の前にはすべてが霞む。すべての真実が消えてなくなる。
「若……」
「よぉ、櫻一郎。まぁ、そういうわけだ。わかってくれるよな?」
「………私は、若に拾われました。若の為にこの命を使うと決めたことに偽りはありません。一つだけ問いを。まだ聖杯戦争を続けるつもりはありますか?」
「当たり前だ、むしろ、総てのしがらみから解放されて、とてもすっきりとしている。俺は本気で勝ちに行く。俺自身の本物を掴みとるためには、もう、聖杯を掴むしかねぇ」
「承知しました」
櫻一郎は理由を問う事もなく承諾の言葉を口にした。こいつだけは何があろうとも裏切らないだろうと言う確信はあったが、その言葉に安堵した。畜生にも畜生なりに、まだそんな繊細な心があるらしい。
「いいのかよ、俺は容赦なく、お前の妹でも殺すぞ?」
「桜子に選択の機会は与えました。それでも、桜子が向かってくるのならば、それはやはり呪われた七星の宿命ということでしょう」
「ははっ、そうか、そうか。主が畜生なら従者も畜生って訳だ。いいぞ、櫻一郎。お前は最後まで俺に付き合え」
不思議と気分が良かった。最悪の出来事しか経験していない筈なのに、解放感と高揚感で心が高鳴っているように思えた。
「ふむ、何やら騒がしいが、一件落着の空気と見るべきだろうか。であれば、手間が省けたと言うもの。何せ、これからは未来のことを見据えた会話をしなければならぬからな」
だが、その高揚感に水を差すように部屋の中に割り込んでくる存在がいた。そいつは和服に帯刀をした男、一目見るだけでカルト宗教関係の男であることは理解できた。
「テメェ、誰だ?」
「清河八郎、我らが主、帝及び参謀久坂殿の代行としてバーサーカー陣営に御拝謁賜るために推参した」
「へぇ、お前らが何を望んでいるのかしらねぇが、1人で本丸に乗りこんでくるとは随分自殺願望が強いじゃねぇか。なぁ、バーサーカー」
獣が唸る。喰えと言う命令を今か今かと待ち構えている。しかし、そんな様子を感じながらも清河は一切動じることはなく、
「拙者を喰うのは構わんが、話だけでも聞いておいてもらおう。何、退屈をさせる話ではない。そなたらが聖杯戦争を勝ち抜くことを考えるのならば一考する程度には魅力があると踏んでいる話だ」
「御託はいらねぇ。サッサと言えよ」
清河とか言ったか、奴は勿体ぶるような口調でこちらの期待をあおる。つまらなければ喰うし、面白ければ話しを聞いたうえで喰えばいい。
さて、何が出るのかと楽しみに待てば、
「―――――我ら、帝の志士たちと貴殿ら、バーサーカー陣営の同盟を提案する」
空気がひりつく。その考えてもいなかった突拍子もない提案をあけすけもなく清河は言葉を続けていく。
「無論、手土産は持ってきている。この同盟の提案、その先に何があるのか。我らが参謀、久坂玄瑞が練り上げた目論み、そして完成するであろう未来絵図をこれより貴殿らに明かそう。その上で判断をしてくれればいい」
「くく、面白いじゃねぇか。喰うの待ってやる。せいぜい、楽しませてくれ」
これは4日目の戦いの裏側、いまだ誰も知らない、深淵の中で静かに繰り広げられる策謀の時間。少しずつ、遠坂煉の目論みが異なる方向に向かい始めていることを、まだ誰も知らないのである。