――秋津市北部・唯一神理教総本山・本殿――
騒乱の音が聞こえる。それは秋津市の街中で上がっている戦の狼煙であり、山門にて聞こえる兵士たちの激突の音であり、同時にこの総本山内部で現在進行形で起こっている敵対者たちが引き起こしている戦いの音に他ならなかった。
端的に言えば、キャスター陣営は現在、襲撃を受けている。しかも、一勢力ではなく、複数の勢力にである。街中の騒乱と連動して引き起こされた正面からの攻撃と内部からの襲撃、これらが全て偶然に起こりえるはずもなく、総てが繋がっているであろうことを、キャスター陣営参謀格、久坂玄瑞は理解していた。
しかし、喉元に刃を突き刺されてもおかしくない状況でありながら、久坂は驚くほどに冷静だった。平時と何ら変わりのない態度で廊下を歩きながら、久坂の脳裏に描きだされるのはいつかの京の記憶であった。
「元治元年七月十九日、思い起こせば、あの日も同じであったな。我ら長州が御所を囲み、薩摩と会津の兵士どもと激突し、我々は帝の敵となった。まさしく、今も同じか。壬生の狼共が守りし、この地に愚かにも踏み込もうとする者たちがいる。ああ、実にあの日と似通っている」
後に禁門の変と呼ばれる戦があった。前年の八月十八日に中央政治から追い落とされた久坂達長州が乾坤一擲の目論みを以て京へと進軍し、薩摩と一会桑政権を前に完全な敗北を喫した戦。
そして……、久坂玄瑞という男の命に引導を渡した戦でもある。
「帝よ……、私は貴方を奉じ、貴方の為に闘ってきたはずであった。しかし、私の攘夷と貴方が望む攘夷は似通っているようで違った。すべての間違いはそこから。我々は帝という存在を見ているようで見ていなかった。愛国無き攘夷、まさしくそれこそが我が攘夷の本質であった」
果たして、この襲撃はあの時と同じになるのだろうか、この内部にいたとしても、同じように総ては今日という日に決してしまうのだろうか。
「清河は彼らと接触することが出来ただろうか。波乱なく済めばいいが、もしも、波乱があったとすれば……」
久坂は知らない。この時、清河八郎を遣わしたバーサーカー陣営の拠点では、彼らの今後を大きく変える謀反が起こっていたことを。それがキャスター陣営にとって良い方向に進むのか悪い方向に進むのかはこれから次第ではあるが、定められた盤面のルールに従って動いてきている状況は徐々に変わり始めていた。
「久坂殿、ここにおられたか……!」
「鷹司殿、何やら騒がしいが、何が起こったのだ?」
「寄宿舎より火の手が上がっているのだ! 既に信徒たちはみな志士の皆々様の手配で避難を始めているが、賊がその邪魔をし、争いが始まっている。何ということだ、賊が襲うは街の中だけではなかったのか!」
「我々が偽の情報を掴まされていたのやもしれぬですな。あるいは、街もこの総本山も同時にであったのか。ケガレに満ちた異国人であればそれくらいは考えてもおかしくはないやも知れませぬな」
「おぉ、なんということだ。我らは帝に守られし民、この神国日本を再生するためにいるというのに、何故、このような艱難辛苦を与えてくれる。我らはただ……ただ、救われたいだけであると言うのに!!」
唯一は錯乱をしている様子だった。本来の彼と信徒たちの前の彼の在り方が混在している様子に見えた。しかし、それも無理もない話かもしれない。この時代の人間たちは襲われると言うことに慣れていない。
幕末の志士たちのように、常に襲われるかもしれない可能性を抱えながら生きているわけではないのだ。何かに縋ることをしなければ生きていけない。そのような時代を生み出してしまった責任は久坂達が負わなければならない。
「鷹司殿、私は志士たちと共に狼藉者を討つ。貴方は帝の下へ」
「それは役割が反対ではないか? 久坂殿こそが帝の下に馳せ参じるべきでは」
「鷹司殿、アナタは帝を召喚し、帝と共にこの国を再生させる者だ。貴方と帝は共に在らねばならない。私は所詮、帝に愛想をつかされたことがある者、帝の為に闘い、罪過を贖うことはあっても、帝に頼りにされるなどは口が裂けても言えぬ。
帝を頼めるか、我らが主よ」
「久坂殿……承知した、帝に火急の用向きと伝えよう」
唯一はある意味での驚きを覚えていた。これまで、久坂がこのように唯一に頼みごとをしてくることなどなかった。唯一がキャスター陣営のマスターであったとしても、久坂はあくまでも帝の下に参じた者の1人として、敬意こそ払うもののあくまでも対等の在り方で付き合いを進めてきたはずだった。
故にストレートに帝を頼むなどと言われるとは考えてもいなかったが、このような事態の中では久坂とて、最も手早い手段を選んで然るべきかと納得を覚えた。
マスターとサーヴァントは共に在るべきであり、そのために自らを捧げる久坂の在りように唯一は感銘を覚え、久坂の口にしたように動く。
「唯一殿……」
「どうかしたか、久坂殿」
「いや、危険とあれば、帝と共に早々に総本山から立ち去ると宜しいだろう。貴方がた二人が残っていれば、我らの陣営は立て直すことができる。ゆめゆめ、優先順位を忘れないでいただきたい」
キャスター陣営はその性質上、帝さえ無事であれば何度でも立て直しが出来る。志士たちが犠牲になったとしても、帝という存在は彼らにとってのアキレスけん、何があろうとも守らなければならないからこそ、逃走を示唆する。
「かたじけない、久坂殿……」
唯一は帝の下へと向かうために脚を進めていく。既に久坂の目の前からは姿を消していた。久坂はそこでフッと笑みを浮かべた。
「礼などいらぬさ。鷹司殿が帝と共に離れたところで、私は何も口などせぬよ」
騒乱の中へと久坂は足を進める。これよりほんの短い時間がキャスター陣営という組織の明暗を分けることになるだろう。
しかし、久坂はそこに焦燥感を覚えている様子はなかった。その不自然なまでの余裕こそが、この場において何よりも場違いなモノであると言うのに。
・・・
唯一神理教総本山内部、この夜、それは突然に起こった。
円華や梓沙が通時の拠点として使っている寄宿舎からいきなり火の手が上がったのだ。突如として巻き起こる騒乱、街中で起こるはずだった襲撃されるかもしれないと言う恐怖がいきなり、自分たちの隣にまで迫ってきたことによって、信徒たちは一気に恐慌状態へと陥った。
加えて、彼ら信徒がこの総本山に身を寄せる理由のほとんどは、何らかの自体によって心を弱らせているからである。
療養施設としての立ち位置が求められる場所に置いて、何の気配もなく突如として引き起こされた身に迫る危険に彼ら彼女らが耐えられるはずもなく、混乱は一瞬にして引き起こされた。
言うまでもなく、その混乱に円華と梓沙も巻き込まれた。彼女たちの思惑通りに進めるのであれば、人知れず、唯一を呼び出して、誰にも気取られる事無くすべてを終わらせるつもりでいたのだが、当然、その状況を生み出すことがまずもって問題であった。
その予定も此処まで混沌としてしまったとなれば、まったく役に立たない。ただ、幸運であったというよりもある程度用意された展開ではあるのだろうが、その仕掛け人であるライダーの従えている半グレ集団の一角と出会うことは出来た。
明らかにガラの悪そうな男性の集団相手に女性二人という組み合わせは、普通に考えれば良い組み合わせではないが、それ以上に私はコルテスが何も言わずにこの事態を引き起こしたことに苛立ちを覚えていた。
「ライダーのヤツ、こんなことになるのなら、事前に言っておきなさいよ!」
「へへ、そう言うなよ円華ちゃん。俺らだって大変だったんだぜ、此処まで来るのにさぁ。コルテスの旦那はいきなり指示をするし、命知らずの片道切符だ。文句なんて言われた日にゃたまらねぇってもんだ」
「だからって……ち、ちょっと気安く触らないでよ!」
コルテスの配下の連中の1人がニヤニヤした顔を浮かべながら、私のお尻を無造作に触ってくる。その表情は明らかに好色の色が出ていて、コルテスがいないことをいいことに、いつもだったらできないだろう、私の身体に隙あれば触れて来ようとしてくるのがよくわかる。
「へへ、やっぱり円華ちゃんは可愛いよなァ」
「そりゃ、日本じゃ誰でも知っているトップ女優だぜ。マジでコルテスの旦那に付いてきて正解だったよな。普通じゃ絶対に手の届かない女が傍にいて、触れられるんだぜ。マジたまんねぇよ」
「ドサクサまぎれでやっちまっても、バレないんじゃねぇの? どーせコルテスの旦那のペットみてぇなもんなんだからさ」
「あんたたち、いい加減に―――」
しなさいと怒りを声を上げようとしたところで、私の目の前に刃が突然生じる。
「いい加減にしてもらえますか。私達はこれから大事な役目があります。攪乱工作には感謝しますが、同じ女性として見ていて不快です。見逃す気分でいるうちにさっさと役目を果たしにいきなさい」
「梓沙さん……」
梓沙さんはいつもの彼女の様子とは打って変わった冷たい口調で、私に悪戯をしようとする連中へと握る薙刀を向けた。自分に危害を加える相手がいると言うだけで、彼らは私の手を離し、梓沙さんのことを睨みつける。
「ちっ、ちょっとした遊びじゃねぇか。こっちも命かけてんだ。少しくらい美味しい思いしてもいいだろうが」
「じゃーな、円華ちゃん、全部成功したら、改めて遊ぼうぜ」
「ひひっ、コルテスの旦那からはここのものも、人間も好きにしていいって言われてるからな、楽しみだぜ」
ぶつぶつと自分勝手に言いたいことを言い放って、彼らは私たちの向かう方向とは別の方向へと進んでいく。おそらく、そう時間が掛からずにこの敷地の中でも帯刀した彼らが動くだろう。
生き残ってもう一度会うこと自体が出来るのかもわからないけれど……力を貸してくれているだけにいなくなってほしいと思うのも気が引ける。難しい所だった。
「円華さん、急ぎましょう。この騒乱もいつまでも続くわけではありません。唯一を見つけて、倒します」
「うん、さっきは、ありがとうね、梓沙さん」
「いいえ、ああいう手合いは好きじゃありません。その、円華さんも大変な立場ではあると思いますけれど……」
「いいの。私は……自分で決めてやっていることだから」
そう、今の自分がやっていることの総ては自分が決めたこと。私はこれから梓沙さんと一緒に鷹司唯一を殺す。聖杯戦争に勝つために一人の人間の命を奪う。
慎夜君の為に、聖杯戦争に勝つために、キャスター陣営を打倒するために、理由を幾つも自分に言い聞かせて自分を正当化する。決めたことを果たすために。
「流れは大丈夫ですか」
「ええ、私が唯一の気を引いて、その間に梓沙さんが、っていうことでしょう。何度も聞いているから大丈夫」
「よろしくお願いしますね。私はおそらく、唯一に警戒をされているかもしれません。円華さんは唯一に信用されている節がありますから」
「それもどうなのかわからないけれどね……」
不安な気持ちはある。それは私が本当にできるのかという気持ちと同時にこの総本山に踏み込んでから、どうにも気持ち悪い感覚がずっと続いているような感じがあるのだ。
何と表現すればいいんだろうか、あの悪い夢から始まり、鷹司唯一との会話や久坂に目をつけられていることも含めて、なんとも自分が本当に正しいことを認識しているのかどうかも分からなくなってくる。もしかしたら、私は自分だけがまったく違う認識を以て他の人と接しているんじゃないか、そんな気にすらなってくるのだ。
それがただの杞憂であればいいのだけれど。
「梓沙さん、唯一のいる場所は分かる?」
「完全に確証はありませんけれど、本殿ではないでしょうか。彼がキャスターのマスターであるのならば、キャスターと共にまずはこの場から離れることを考えると思います。それに、彼は教祖。危険な状況になった時には自分にとってもっとも安全であると思う場所に行くのでは?」
「……そう、ね」
本来の予定とは全く違う状況になってしまった以上、もはや私たちの目論み通りの展開に行くとは思えない。やるべきことは変わらなかったとしても、想定通りに進むのかは怪しいと言うべきだけれど、既に覚悟が座っているのか、梓沙さんは全く動じていない。
(梓沙さんにとっては、今日という日を迎えるためにずっとこの組織の中で我慢を続けてきた。だったら、予定の狂いなんかで立ち止まることができるわけもないか……)
ふと、総本山から街の様子が見える方向を見てみる。山から見える街の景色は昨日までとさほど変わらない。ただ、その中で、いくつか時折赤く光るものが見える。それが何なのかはあえて想像しておかない。
コルテスが仕掛けたことである以上、決して聞いて気持ちが良くなる話ばかりではないことは何となく察しが付く。知らなくてよいことならば、今は知らないで置いた方がイイ。
「円華さん……」
「うん」
悲鳴を上げながら寄宿舎から離れていく人たちの流れを横目に、私達は本殿へと足を進ませていく。何度入り込んだとしても不穏な空気を流し続けていた本殿、恐慌状態に陥っている今をしても、やはり、この場に近づくことは躊躇われる想いが強い。
そんな思いとは裏腹に、本殿の中へと足を踏み込んだ私達のうちで先に脚を進めたのは私だ。唯一と最初に顔を合わせて時間を稼ぐのが私の役割、あくまでも、逃げ回った結果として本殿の中に入りこんでしまった役回りをこなす。
この役回りは、薙刀を抱え、この総本山にある意味で馴染んでいる巫女服姿の梓沙さんの通常とは異なる様子では不信感を抱かせるばかりなことからも私がやるしかない。
いつ、その状況に出くわすのか、この総本山そのものがいつ崩壊してしまうのかもおかしくない状況でありながら、固唾を飲んで、一歩、また一歩と足を進めている折だった。
「―――――――――ッ」
思わずその音と光が発せられる方向へと視線を向けてしまった。本能的な恐怖すらも感じさせる光の明滅、この総本山へと入るために用意された本来の正門たる山門付近から黄金色の光が明滅し、大きな衝撃音と振動が総本山内部全体に響いたのだ。
その震動に思わず壁に身を寄せ、耳を塞ぐ動作をする。しかし、一度発生した後はもう一度、その何らかの衝撃が発せられることはなかった。
攻撃が終わった、果たしてその結果としてどうなったのか。わからない。ただ、このギリギリの静寂を保つことができる時間はそう長くないことを察することは出来た。
(え、まずい……腰が抜けて……!?)
けれど、そこで自分の身体の変化に気付く。大きな震動を受けて壁に身を寄せた時にどうやら腰が抜けてしまったらしい。ズルズルと身体が降りて廊下に膝が合わさってしまう。
早く立ち上がらないと焦る心が身体に命令をするけれども、一度緩んでしまった身体の動きがそう簡単に戻ることもなく、なんとか少しずつ時間を掛けてようやく立ち上がることができると言う有り様だった。
「円殿、どうしたのだ……!」
「――――――っ」
そこで最も出会いたくない相手と出会ってしまった。声を掛けてきた相手の声を忘れるはずもない。
「鷹司、様……」
「大丈夫か、この騒ぎの中で本殿まで来たのか……? しかし、他の信徒たちとはぐれてしまったからか。何にしても、ここにいては危険だ。何せ、本殿は最も目につきやすい。帝がおわすところとはいえ、ここはあまりにも危険だ」
私の姿を見た唯一は、私がここまで逃げてきたように思ったのだろう。寄宿舎で火の手が上がり、信徒たちが逃げ出した以上、逸れてこの本殿の中に飛び込んでしまうモノがいても不思議ではない。
何せ、ここは本殿、彼らにとっての神ともいえる存在、帝がおわすところであるとすれば、自分を助けてもらいたいという思いの為に此処に飛び込んでくるという相手がいることも考えられるだろう。
なるほど、彼の中では、今の私は恐怖によって此処に逃げ込んできた信徒の1人という発想なのだろう。狂気を孕みながらも信徒の未来を願う彼らしい反応だった。
正直、なぜこんな所にいるのかなどと考えられなかっただけ、相当マシな展開であると言えよう。勘違いをしてくれていると言うのならば、それを利用させてもらう。
(時間を稼ぐことが出来れば、梓沙さんに任せることができる。私の役目はここに唯一を釘付けにすること……)
「た、助けてください唯一様……あいつが、あいつらが、ここに、襲いに来て、わ、わ、私が……私がここに来たから、あいつらきっと、私を狙って……」
「お、落ち着くのだ、円殿。ここには私以外に誰もいない。時期に久坂殿たちが狼藉者たちを切り捨ててくれよう」
「だけど、だけど、だけど、あいつらを呼び寄せてしまったのは私なんです。きっと、私が唯一様や久坂様にあいつらを倒してってお願いしたから……、だからきちゃったんだ!! あいつら、私に復讐するために。どうしよう、私、見つかっちゃったら、今度こそ、殺されちゃうかもしれない……!!」
私は襲撃者たちによって混乱を来した少女、九条円を襲った相手とあいつらが必ずしも一致している必要なんてない。
私の役どころは、この未曽有の危機の中で精神を錯乱させてしまった少女の役回り、そういう行動をすると決めている以上、声も上げるし、挙動も徹底的に。感情の揺れ動かしだってやってみせよう。それができるのが九重円華なんだから。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。こんなことになってしまってごめんなさい」
私は私の武器で、今日という日を乗り越えると決めたんだから。
演技は続く。九条円という架空の運命に翻弄される少女、本来の私とは紙一重で異なる人生を生きてきた少女を演じ続ける。
境界線がとても曖昧だった。自分が何処まで九条円を演じていて、どこまでが九重円華として正気を保っているのかが怪しく思えるほどにその親和性は高く、役にハマりこんでいるように自分自身ですらも無意識に思えてくるほど。
きっと、今の自分の演技をまったく何の情報もなく見抜ける相手はいないだろうと言いたくなるほどに、演技は堂に入っていた。
「ううん、それどころじゃない。私、取り返しのつかないことをしてしまった。唯一様や他の信徒の皆さまが大切にしている場所にあいつらを呼びこんでしまって、私があんなことを言わなければ……ううん、むしろ、私がこんなところに来なければ、私がアイツらの好きにできる道具になっていれば――――」
「そんなことは言ってはならぬ。円殿が悪いわけではなかろう。気をしっかり持ちたまえ。そなたは、そのように心弱いものではないのだろう!」
「…………」
思わず次に紡ごうと思っていた言葉が頭から喪われた。唯一が口にした言葉は信徒に対して、誰であろうともきっと口にするであろう言葉であることは分かっている。彼が私の演技を見抜くことが出来たわけでもないことも当然に分かりきっている。
「それとも、そなたは何か脅されているのか。口に出来ぬ何かを抱えていて、異国人たちに無理矢理協力させられているのか。であれば、そなたが悪いのではない。それはそう差し向けようとしたものが、いいや、そうしようとした運命そのものが悪いと言える。そなたが総てを気に病むことではないのだ」
「運命を……」
ポツリと九条円ではない九重円華の言葉が口から飛び出した。
狙って口にしたわけではなく、ただ本当に無意識に、演技を途中で途切れさせるなんて女優としてあるまじきことであるはずなのに……、本当に曖昧とすらも言えるほどの境界線は九条円へと向けられたはずの言葉が今の自分自身の境遇に置き換えられてしまったように言葉を失わせてしまう。
考えるべきじゃなかったとしても、考えてしまったのだ。どうして、自分はこんなことをやってしまっているんだろうかと、慎夜君を救うために戦っているだけなのに、私にこんな運命を背負わせた奴を倒すために飛びこんだだけなのに……、どうして曲がりなりにも己の立場の上で、私のことを案じている相手の心を踏みにじってまで、命を奪わなければならないのか。
考えるべきじゃなかった。その考えは間違いなく。私の決意を鈍らせる。
この3日間、自分の中で構築してきた総ての言い訳が通用しなくなってしまう。エンジンを始動させて走り始めたと言うのに、後ろを振り返ってしまったとすればもはやそれは救いようがない。
覚悟というエンジンはストップを掛けられ、冷水を浴びせかけられたかのように決意が揺らいでいくのが自分でもわかってしまう。
―――ああ、自分にこの人物を殺すことはできない。
直接手を下すことが無かったとしても、できない。例え、この手にナイフが握られていたとしても、私には聖杯戦争など関係なく私の身を案じようとしているこの人物を殺すことはできないのだと悟ってしまう。
勝つために仕方がないのだと言う思いと、自分に手を差し伸べようとしてくる相手を殺して良いのかという当たり前の倫理観がぶつかり、一瞬の判断が全てを左右する状況の中で答えを出すことができない。最後の一歩を踏み出すことができない。
目の前の相手を奈落の底へと落すのだと言うその覚悟を抽出することが出来なくなってしまった以上、停止をするほかなく――――
「円殿、さぁ、まずは立ちなさい。ここからはな――――」
「あ…………」
私へと差しのべられた手が私へと届く前に止まる。代わって私に届いたのは液体だ。赤黒い液体、それが鷹司唯一という人物の身体の中に流れている血液であると言うことを脳が理解した時には……唯一の首と胴体は真っ二つに切り裂かれて分離していた。
「ひぃっ………」
ドタンと唯一の身体が私の横に倒れる。首から先を失ったことによって唯一が即死したことは間違いない。末期の言葉を残すまでもなく、物言わぬ骸と変わったその足下に先ほどまで、私に微笑んでいたはずの人物の首が転がっている。
思わず胃の中に入っていたものすべてが吐きだされてしまいそうだった。いや、それで済めばいい。現実感そのものが剥離してしまいそうだった。
私の横に倒れる、先ほどまで会話をしていた人間、そして、その人物を仕留めたであろうことが明確に分かるように返り血を浴び、それでも表情を一切変えることなく、そこに佇んでいる梓沙さんの姿は、本当に今日まで私が知っている人たちと同じ人物なのだろうかと疑いたくなってしまう。
「ありがとうございます、円華さん。あなたが、唯一の気を引いてくれていたおかげで、あっさりと彼の背後を取ることが出来ました。不用心極まりないですね。自分がこの場においてどれ程の重要な人物なのかを彼は最後の最後で忘れてしまったのでしょう」
「梓沙さん、だよね……?」
「そうですよ? 嫌だな、そんな知らない人を見るような目で見ないでください。ここで初めて出会った時に言ったじゃないですか、私は神祇省のエージェント。潜入した場所で必要があれば誰かを殺めることも致し方なしと教えられています。
だから、そんな恐ろしいものを見るような目で見ないでください」
「ごめん、なさい……」
「ああ、別に怒っているわけじゃありませんよ。円華さんにとっても悪いコトではない筈です。これでようやくキャスター陣営を倒すための大きな楔を打てたわけですし……」
確かに、これで私の当初の目的を達成することは出来た。私自身が何かをすることが出来たから、得られた結果というわけではまったくないけれど、梓沙さんの力に少しでもなることが出来たのなら、それは光栄であると思えた。
(過程がどうであれ、私は此処にいる役目を果たした。コルテスだってこれで満足するはず……)
「さようなら、鷹司唯一。唯一神理教は今日終わりを迎える。その妄念、信奉した帝と共に冥府へと持ち去りなさい」
一歩、梓沙さんが私の方へと歩み寄ると、既に首ガ離れ、物言わぬ屍へと変わり果てた唯一の腕を掴む。
肘から先を掴み上げると、梓沙さんは何ら感情の見えない無表情のままに、胴体から首を切り離した時と同じように、肘から先の部分を切断し、支えを失った唯一の身体が再び廊下へと倒れ、切断面から流れ出した血が廊下を染め上げ、私の来ている服にもその色が流れていく。
「その腕は……」
「令呪を回収しました。円華さんも知っている様に、令呪は本人が命を落としたとしても、魔力ソースとして残りつづけます。ここで、他の信徒たちが万が一にでも唯一の死体を見つけて、悪用することを避けるには令呪をこちらで回収してしまうのが最も手っ取り早いですから」
慣れた手つきで梓沙さんは腕を回収し、単なる道具を扱うように処理をしていく。ほんの数分前までの気分と今は大違いだ。この総本山の中で立ち回っていたはずなのに、気付いてみれば、私の手の届かないところで何もかもが終わっていた。
「円華さん、私達も行きましょう。アーチャー陣営と合流を果たさなければいけません」
「このまま脱出するんじゃないんだ」
「ええ、アーチャー陣営にはキャスター陣営打倒の協力をしていただきました。その見返りというべきでしょうか、協力をしてくれたことの証明としての書状を用意しています。私がいつまでも、無事でいられるとも限りませんから」
フッと梓沙さんは笑う。その言葉は冗談を口にしているようにも聞こえたけれど、もしかしたらある程度の確証を以て口にしているのかもしれない。
今回の出来事だって、一歩間違えれば志士たちに見つかって斬り殺されていたのは私達だったかもしれない。
先ほどの唯一に抱いた気持ちをまやかしと考えるつもりはないけれど、自分がそうした甘さを見せればすぐに命を落としてしまう世界の中にいるんだってことを改めて知らしめられる。
私と梓沙さんの違いは結局の所、そこなのだろう。私にはその覚悟がなく、彼女にはあった。だから、相手がどんな態度を見せたところで迷わない。
きっとコルテスだって同じだろう。だけど、できなかった。コルテスに怒りを向けることは出来ても、最後まで鷹司唯一という相手に対して覚悟を決めることが出来なかった。
本当に私は慎夜君を助けるために全力を出していると言えるのだろうか。その自罰的な疑問を浮かべると同時に……、誰かを殺めることが当たり前のように思うことが無くてよかったと思ってしまっている自分がいる。
「…………っ」
自分が嫌になる。人としては当たり前の事であったとしても、九重円華が抱く感情としては不要な筈なのに……不要な筈なのに、どうしてもそれを捨てきることができない。
唯一の死体から僅かに足を進めた折に、私達が先程までいた場所から悲鳴が上がるのが聴こえた。おそらく、唯一が発見されたのだろう。誰がやったのかまでが判明するかはわからないけれども、唯一神理教という宗派自体はもはや終わりと言えるのではないだろうか。
「大きな魔力の気配を幾つか感じます。おそらく、キャスターの下へと向かったのでしょう」
「私達も?」
「はい。一つの場所に留まっていれば疑われますから」
いよいよ最後の時は近づいてきている。今宵の戦い、マスターを失ったサーヴァントはそう長く現界し続けることができない。ならば、唯一を失ったキャスター陣営はもうまもなく敗北を迎えるということだろう。
この不可思議な場所での時間は間もなく終わりを迎える。解放される。何もかもが上手く行ったままに、私の杞憂などすべて意味が無かったかのように総ては終わりに向かって進み始めている。