――秋津市・住宅街・秋津学園屋上――
「はぁ……、あたし、どうすればいいんだろう……」
午前中の授業はほとんど頭に入ることもなく、終わりを迎えてしまった。短くない昼休みとはいえ、クラスの中にいると、蓮司君のことを聞かれたり、聞きたくもない話題を耳にすることがあるだろうと思ったあたしは、屋上で1人お弁当を食べる。
秋津学園の屋上は生徒にも開放されているため、たまに複数の生徒が集まって食事をしている時もあるのだけれど、さすがに今日、屋上に来ているのはあたしだけだった。
街の中が不穏な情勢であることから、みんなあまり外に出たがっていないのかもしれない。1人で物思いにふけたい気分のあたしからすれば、都合がいいことこの上ないわけだけど……ちょっと寂しいって気持ちもある。
ほんの2日間、学園が休みだった間に、この街の空気は変わってしまったように思う。いや、実際には昨日を境にかもしれない。土曜日の時にはまだ、この街には活気があった。
でも、今日、学園の中も、朝に登校をしている中でも、やっぱり街全体がどんよりとした空気を纏っていて、みんないい気分じゃないってことが分かる。
あたしだって同じだ。蓮司君のコト、自分の家のコト、そして聖杯戦争のコト、どれもこれもが中途半端になってしまっていて、ここからどう進めばいいのか分からなくなっている。
「お父さんが、あたしの家のことを教えてくれて、それで何かが変わるのかな……」
考えてみれば、あたし以外の聖杯戦争に参加している人たちはみんな、何らかの叶えたい願いを持っている。そりゃそうだよね、なし崩しのように聖杯戦争に参加するようになってしまったあたしと違って、みんなは自分から聖杯戦争に参加した。
勝つためにやっているわけじゃないと言っていたセレスさんだって、自分の家の名声を高めることが出来れば、それに越したことはないと言っていたわけだし……、きっと、キャスターやバーサーカーのマスターだって、自分たちなりに叶えたい願いがあったはずだ。
でも、あたしにはない。この街を救うヒーローになりたいって願いは、聖杯戦争に参加したことによって生まれた願いだ。聖杯戦争で悪さをする奴がいるから戦う理由になっただけで、叶えたいから戦う願いじゃない。
だから、いつになっても、あたしは地に足をつけて戦う事が出来ない。
「兄さんは、どうなんだろ……」
バーサーカー陣営と一緒にいる兄さんは、どうして彼らに協力しているんだろう。悪いコトをしているって自覚がないはずはないと思っている。やっぱり、お母さんが聖杯戦争に参加したことに何か関係があるのだろうか。
それとも、兄さん自身も叶えたい願いがあるとか……?
「わからないよ、兄さん。あたし、兄さんの気持ちが、全然わからない」
「それは聞き捨てならないな、妹が兄の事で泣き言を言うなんて聞き捨てならない」
聞こえてきた声に顔を上げると、いつのまにか、あたしの横に立つ人影があった。その人影はあたしにとっては記憶に新しく、忘れることのできない相手で。
「よかったら話くらいは聞けるぞ。まぁ、俺の場合は兄違いではあるけれどもな」
「ろ、ロイ・エーデルフェルト!? 何をしに来たのよ!?」
目の前に姿を見せたのは、セイバーのマスターであるロイ・エーデルフェルト。突然姿を見せた相手に、あたしは咄嗟に身構えてしまう。もしかしたら、この場で聖杯戦争が起こるかもしれない状況に身体が強張るのだ。
「桜子の顔を見に来ただけだよ。そうしたら、思いの外憂鬱そうな顔をしていたからな、先ほどの言葉に繋がるわけだ。安心しろ、ランサー。こんな場所で戦うほど、俺は恥知らずでいるつもりはない」
屋上の転落防止用の柵に背を預けてリラックスするロイと、瞬間的に魔力回路を作動させて戦闘態勢に入ろうとするあたしの姿はまったく対照的だった。相手が構えている様子がないだけにむしろ、滑稽に見えてしまうほどに。
『その言葉をそっくりそのまま信用しろというのですか? 貴方は自分で言ったはずです。エーデルフェルトの悲願として七星のマスターを倒すことが望みであると』
「ああ。俺達にとって七星を倒すことは悲願だ。だが、時と場合くらいは考える。むしろ、そこを信頼してもらえないのは心外だな、2日前にも人払いの魔術までかけて、戦闘被害を出さないようにしていたつもりなんだがな。他のマスターたちと一緒にはしてほしくないところだが……」
「いいよ、ランサー。たぶん、本当に戦闘する気だったら、声なんて掛けてこないよ。むしろ、直球で戦おうって言ってくるでしょ?」
「よくわかっているじゃないか」
柵に預けていた背を離して、改めてロイがあたしの方へと向き直る。威風堂々としたその様子は、戦いの気配を全く漂わせていないにもかかわらず、隙が無いように思えた。
いや、むしろ隙だらけのようにも見える。いつでも手を出してくれても構わないと思わせておきながら、隙は存在しない。そんなよくわからない矛盾めいた何かを感じさせる様子は、そのまま、あたしと目の前のマスターの力の差が未だに歴然とあることを痛感させたのだった。
「さっきの構え、咄嗟ではあるけれど、見事に魔術回路を使いこなしていた。戦闘態勢への移行も俺と対峙した時とは見違えるほどだった。この2日間を無為に過ごしていたわけではないようで、安心したよ」
「………それ、嫌味?」
「さて、そう思うと言うことは、少なくとも自分が絶対的に強くなったわけではない自覚はあるんだろう。その言葉は高みを目指す者でなければ口に出来ない言葉だからね」
ロイの言う言葉は一々、あたしの中にある明確な劣等感めいたものに痛みを走らせる。そりゃ、2日目にロイと戦った時と今の気分は違う。兄さんやキャスターの剣士たちと戦って、今の自分がまだまだで、挙句の果てにはこうして目の前のいずれ戦わなければならない相手との力の差を歴然と感じてしまったら、そんな思いが出てくるのも当たり前じゃないか。
「いや、あんまり虐めすぎても仕方がないか。何にしても、力をつけてくれていることが分かっただけでも安心したよ。それで、さっき、兄とか言っていたが、それは? 話しを聞くとは言ったのは本当の事だよ」
「ロイに話して解決するとも思えないんだけど」
「これでも妹を抱えている兄だ。妹の悩みには慣れているよ」
本当だろうか、どう見たって妹のリーナさんに窘められている姿しか思い浮かばないんだけど。むしろ、戦闘と魔術以外は滅茶苦茶天然な気がしてならないんだけど。
ただ、胸の中に抱えているもやもやを誰かにぶつけたいという思いだけは本物だった。だから、自然と口から言葉が漏れ出ていた。一度口から出ると、それはまるで激流のように言葉が続いていく。
「……、あたしも兄さんがいるんだ。ずっと会っていなくて、もう会う事もないんじゃないかなって思っていた兄さん、でも、この聖杯戦争の中で出会って、あたしと兄さんは敵対していて、あたしはそんな兄さんを認められなくて、戦って、歯が立たなくって……、兄さんが何を考えているのか分からなくって……、そのうち、なんであたし、戦っているんだろうって思って……!」
「ふむ……」
「今まで、ランサーを召喚してからずっと、気付かないふりをしていたけれど、きっと、あたしだけが聖杯戦争に勝つ明確な理由が分かっていない。巻き込まれただけで、ただ振り回されているだけで、それでも、今までは何とかなってきた。だけど……なんとなくだけど、ここから先はこれだけじゃ上手く行かないんじゃないかって。結局、あたし、何やりたいんだろうって……」
ロイに話すべきことじゃないのくらいは分かってるけど、なんていうか、自分よりも絶対に上だと分かってしまっている相手だから、言葉は自然と出てきてしまった。
少なくとも、ロイ・エーデルフェルトなら、あたしの弱さを利用することはないという安心感も相まってなのかもしれないけれど、一度口から飛び出した弱音は止まることなく続いていた。
あたしが言葉を言い終わるまでロイは何かを言うことはなく、聞き終えた後で一呼吸置いてから、空を見上げながら口を開く。
「うん、少なくとも……桜子の兄が、兄として正しくないことは間違いないな。兄として妹を追いこんでいる時点で二流だ。まぁ、俺も人のことは言えないかもしれないがな」
「意外だね、怒られている姿は想像できるけど、リーナさんを泣かせている所は想像つかないな。なんていうか手綱握られているって言うか」
「間違ってはいないけれど、あれでリーナも弱い所もあるんだ。この聖杯戦争を迎えるまでに、たくさん泣かせたし、たくさん心配もさせた。俺は本当に魔術の才能しか持っていなかったからな。リーナがいなければ、この聖杯戦争に参加することもできなかった」
「何か事情があるって感じだね」
「まぁ、家の問題だ。ただ、俺はエーデルフェルトの為に聖杯戦争に勝利することを求められているが、それは同時にリーナの為でもある。リーナの幸せを願えばこそ、俺はこの聖杯戦争に何があろうとも勝たなければならない。そのためならば、眼前に迫る総てに勝つ気概でいるよ」
ゾクリと背筋が寒くなった。ロイの言葉はずっと声色も何も変わらないと言うのに、リーナさんのことを口にしている時だけはとてもとても強い感情が籠っているように思えた。
リーナさんのことを本気で大切にしていることは伝わって来るし、なんとなくだけど、あたしたちが見ている二人の関係だけじゃない何かがあるんだろう。
「リーナの願いを叶えることが、俺の最大の目的だが、それはそれとして、桜子。キミがどんな形でこれから先も聖杯戦争を戦うにしても、俺はキミに期待している。
できることなら、キミの兄を越えた最強の七星になったキミと戦いたいと思っている」
「期待してくれるのはいいけれど、さすがにそれは高望みをされすぎなんじゃないかと思うんだけど……」
「そうかな? これは俺の勝手な思い込みであるし、何の根拠もないが、桜子、キミの成長速度は目を見張るものがある。まるで、これまで得られることが出来なかった経験値を埋め合わすかのように急成長を遂げているんじゃないかとも思うよ。味方であれば実に頼もしく、そして敵であるとすれば実に末恐ろしい。積み重なった経験値はさらに倍の経験値を本人に与えていく。さすがは魔術師殺しの七星と言ったところだ」
「……ロイは、七星についてどこまで知っているの?」
その言葉が気になった。蓮司君のお父さんはあくまでも、聖杯戦争の敵対者としてあたしのお母さん、七星桜を知っていて、あたしのことも、聖杯戦争の敵対者として見ている様子だった。エーデルフェルトは前回の聖杯戦争で最初にお母さんに敗北したのだと言う。
ロイが口にしているのはあくまでもそのことだけなのか、それとも……、
「さて……、俺もエーデルフェルトのお歴々たちから教えられた情報で知っているだけさ。しかし、七星という一族は古くから、魔術師を狩り続ける一族だったそうだ。魔術師を狩る戦闘方法に特化し、時計塔を含む多くの魔術師たちから忌み嫌われてきた者たち」
「どうして魔術師を狩り続けるの? 七星の魔術が、戦い方に特化していたから?」
「俺もそこについてはわからない。ただ、もしかしたら、理由なんてないのかもしれないぞ。あるいは……、七星という一族の血、魔術回路がそれを実行させようとしているのかもしれない」
「………っ!」
ロイの言葉に自分の全身に通っている魔術回路が途端に気味の悪いモノであるように思えてしまう。ロイが言うようにあたしの成長速度が全て七星という一族の力であったとすれば、その成長した先に何が待っているのか……、どうにも良い未来を想像すると言うのは難しいように思えるのだが……
その折だった、キーンコーンカーンコーンと学園中に予鈴の音が鳴り響く。昼休みが間もなく終わりを迎えることを知らせる音だった。
「頃合か……、じゃあ、俺はそろそろ行くよ。桜子も学園に戻らなければいけないだろう」
「いや、それはそうだけど……、まさか、本当に顔を見るためだけに此処に来たの!?」
「最初からそう言ったはずだけど?」
「……呆れた。まさか、本当に……とは思っていたけれど、本当だったなんて」
その裏表の無さ、さっぱりとした爽やかな態度こそが、ロイ・エーデルフェルトらしさといえば、それまでなのかもしれないけれど、聖杯戦争の相手を前にして顔を見るためだけにこんな所まで来るなんて普通だったら想像が着かないだろう。
「―――桜子、キミが自分のやるべきこと、成したい願いに迷っているのは良く分かった。それはキミの問題だ。俺が一々口を挟むべきでもないし、自分で解決するべき問題だとは思うが、出来る限り早く答えを出すべきだ。聖杯戦争はキミの決断を待ってはくれない」
「うん……、わかってる」
「そして、ここからは俺の勝手な願望だが、キミはこれからより強くなることができる。俺の想像すら超える速度で成長を果たしていくかもしれない。
願わくば――この聖杯戦争を締めくくるのが、俺の前に立ちはだかったキミたちであることを心から願っているよ」
一方的にそう告げて、ロイの姿が屋上から消えていく。言うべきことだけを言い尽くして去っていく姿は、実に彼らしいとは思うのだが……、
「なんだか、励まされるだけ励まされたみたいな感じで釈然としないな」
少しだけ心が軽くなっていること自体は本当で、それになんだか一本取られたような気分に浸る。本当に彼は、あたしのことをどうしたいのか、それはますます分からなくなってしまうばかりだった。
――秋津市西・繁華街――
「痕跡は……読み取れないか。やっぱり、キャスターとライダーとの戦闘の中には、手がかりらしいものは見えないな」
「ふむ、では、本命を当たるか?」
「それはそれで怖いんだけどね。できれば、状況証拠を積み上げた上で、何が待ち受けているのかにある程度の予測をつけたいところだな。ボクたちはこの聖杯戦争の黒幕を何もわかっていない。アインツベルンや遠坂、マキリですらも掴めていない何かだ」
桜子と連絡を取り合い、昨日の繁華街以外の状況がどのように行われていたのかをある程度理解することが出来た。結局のところは、キャスターを倒そうとした三陣営とのぶつかり合い、多数の戦力を持ち合わせているキャスターを倒すために、その戦力を引き離すことが目的だったんじゃないかと思われる。
桜子たちのその目論見は成功し、キャスター陣営の拠点にまで攻め込み、見事、キャスターを倒した。しかし……
(桜子はキャスターを本当に倒したのかどうか不明瞭だと言っていた。それには、何かキャスターを倒してはいないという明確な確信がなければ、口に出来ない筈だ。それが何であるのかが分からなければ……)
「はぁ……、もう少し詳しく聞いておくべきだったな。いや、まぁいいか。今日の夜に会った時にはキャスター陣営についてもアンテナを張っておくべきかもしれない」
この聖杯戦争、巧妙に隠し通されてはいるが、やはりバーサーカーとキャスターだけは異常だ。ノルンが言うには、あの二つの陣営だけが突出して早々に召喚されたと言う。
ノルン達アインツベルンや遠坂は程度の差こそ、あれ、聖杯戦争の発生を感知していたはずなのに、在野の魔術師たちが御三家を追い越して召喚に成功しているという事態そのものが、もはや異常事態なのだ。
「ねぇ、ノルン。アインツベルンは以前の聖杯戦争で何か異変のようなものを感じ取ってはいなかったのかい?」
「以前ですか?」
「うん、今回の異変が今回限りで起こったことであるようには、ボクにはどうにも思えないんだ。もしかしたらその兆候、異変が生まれる原因はその前の聖杯戦争にあったんじゃないかって」
「ふむ、原因が無い限り異変は発生しないと言う所か。道理ではあるな」
「………私はアインツベルンとしての知識しか持ち合わせてはおりません。15年前の聖杯戦争の現地で何が起こったのかも。ただ、アインツベルンは中期において、当時の聖杯の器となるホムンクルスに聖杯戦争からの撤退を具申されていたそうです」
「撤退……、不自然であるな。そなたらホムンクルスはアインツベルンの宿願を叶えるために存在するのだろう。それが自ら撤退を口にするとは」
「うん。ノルンの前でこんなことを言うのも悪いけれど、ホムンクルスは最終的に聖杯をその身に移す。今回の想定外の聖杯戦争ならまだしも、本来の聖杯戦争だった前回はアインツベルンのホムンクルスがいなければ、聖杯は掴めない。その役目に殉じるはずのホムンクルスが……」
「先ほども言ったように、私はあくまでもその事実しか知り得ません。ただ……、そのホムンクルスはアインツベルンにこう伝えたそうです。
善悪の境界がわからなくなった、と……」
「善悪の境界……」
哲学的な言葉だった、およそホムンクルス自身が口にするような言葉ではない、などと言ってしまえば、ノルンに対して失礼なのかもしれないけれど、なんていうか、何もかもがちぐはぐって感じに聞こえてくる。
(そもそも、アインツベルンと聖堂教会だって、ボクに依頼することじゃなくて、元々はエーデルフェルトに協力の依頼をするつもりでいたって事だったはずだ。だったら、エーデルフェルトは何かを知っていたのか?)
もしかしたら、ボクたちの知らない確信めいた何かを……
「あら、アサシン御一行じゃない。こんな所で顔を合わせるなんて、身の回りの警戒が足りないんじゃないかしら?」
「――――! エーデルフェルト」
「噂をすれば何とやら、ってところか」
クロスホルターネックのトップスとロングスカートに身を包んだブラウンヘアの女性は挑発的な笑みを浮かべてボクたちに声を掛けてきた。
姿だけを見ていれば、この繁華街で出会った外国人の女性にしか見えないが、エーデルフェルトの片割れである彼女の背後にはずっしりとした重みのある魔力が漂っている。
その魔力は言うまでもなく、セイバーなのだろう。剣呑な空気が辺りを包むが、驚くことにその空気を先に壊したのは彼女、リーナ・エーデルフェルトの方だった。
「出会って、即戦いなんて、私達エーデルフェルトの戦い方ではないわ。セイバーを護衛として借りているとはいえ、兄様のポリシーに反するようなことをするわけにはいかないもの」
「あくまでも偶然出会って、偶然声を掛けてきたってことでいいのかな?」
「ええ、そういうことにしておいてあげるわ。兄様の方針に感謝しなさいな、セレスティーナ・アルブレヒト」
「……名乗ったつもりはないんだけどな、エーデルフェルトに名前を知られているなんて、光栄に思った方がいいのかい?」
「私達の代わりにアインツベルンに協力をしたマスターの噂くらいは私たちの耳にも入ってきているわ。時計塔や聖堂教会といった権力の傍には多くの陰謀が隠されているのは良くあることでしょう?」
まぁ、確かに。アインツベルンと聖堂教会が共同で動いて、それがまったく悟られないなんてことはないだろう。その悟られたとしても組織の力で何とかしてしまうのが、この二つの組織だ。ボクが時計塔の協力なしに聖杯戦争に参加できたのも、この二つの大きな勢力に助けられればこそだろう。
「ここで立ち止まって話をしていても、仕方がないでしょう。よかったら、少しばかりお話しでもどうかしら? 兄様は合流の時間まで勝手に歩き回っているだろうし、私も暇を持て余していたの」
「いいよ……」
何とも予想もしていない事態になった。有無を言わさぬ態度で同行を求めてきたリーナ・エーデルフェルトに付き合う形で、ボクはもうすっかり馴染みの繁華街の中でカフェテラスにて、対面で彼女相手にコーヒーを口に啜っていた。
緊張感というのか、さすがに気を緩めるわけにはいかず、相手の一挙一動足に注目せざるを得ない。もっとも、このまま黙っているままというわけにもいかず……
「………本当に意外だな、数日前に出会ったときは、もっと魔術師然とした、馴れ合いとかしないタイプだと思っていたんだけど」
「しないわよ。もしも、私がマスターであったのならば、残っている陣営は半分になっていたでしょうね。ただ、此度のエーデルフェルトのマスターは兄様、あくまでも聖杯戦争は夜に行い、昼はこの街の時間を楽しむこと、などと言われてしまえば、こちらもそれを履行せざるを得ないでしょう。他ならぬエーデルフェルト家の当主の命なのだから」
「そうなの? むしろ、君自身がそれを望んでいるってだけなんじゃないの?」
「そんなことはありえません。どうして、私がこのような島国の街並みに一喜一憂しなければならないんですか」
そもそも、楽しもうとしていない人間はそんなオシャレもしないと思うんだけど、別に女性らしく着飾ることをしているわけではないボクが言うのもなんだと思うけれど、素直じゃないなぁ。
「それで? さすがに本当に暇だから呼び出したって訳じゃないでしょ? キミだってボクだって別に暇を持て余しているわけじゃない。こうして時間を作るっていうことは、何か用事があるんじゃないの?」
静かに貴族の作法そのままに紅茶が注がれたカップの淵から啜るリーナは、姿勢一つ崩すことなく、カップを再びコースター代わりの皿の上に置くと、ボクへと改めて視線を向ける。
「この後、またこのような時間を設けることが出来るかもわからないのでいい機会かと思いました。セレスティーナ・アルブレヒト、貴女には私達エーデルフェルトができなかったことを任せてしまったこと、それについては、アインツベルンともども、謝罪をさせていただこうと思ったのです」
背筋を正し、身体をくの字に曲げるようにリーナはボクたちに頭を下げた。その姿があまりにも意外で、ボクとノルンは思わず目を見合わせてしまう。
「どういうことですか。貴方たちエーデルフェルトはアインツベルンと共同することなど出来ないと仰って、協力を断ったはずです」
「ええ、その通りです。ですが、先ほども言ったように、当時のエーデルフェルトはアインツベルンとの協調体制を敷くこと自体には決して否定的ではありませんでした。
エーデルフェルトのお歴々たちは何があろうとも、勝つことを求めて止みませんでしたし、アインツベルンや聖堂教会の存在があればこそ、勝利の道を手繰り寄せることができると考えた面はあります」
「それでもやらなかった理由があると」
「―――兄様の存在です。兄様という絶大なる魔術を使うことができる存在がエーデルフェルトの当主、マスターとなったことによって、エーデルフェルトは自力での勝利を目指すこととしました。もしも、私が当主であったのならば……、セレスティーナ、貴女が此処にいることはなかったかもしれません」
「解せないな、なら、あれか。ロイ・エーデルフェルトは本当に聖杯戦争に勝利するためだけに当主になったと言うことか? 本来なら、君が当主であったはずなのに、聖杯戦争に勝つためだけにそれを変えた。そういう風にも聞こえて来るぞ」
「………男性ではエーデルフェルトの当主になることは叶いません。それが誰であろうとも変わらない。それを捻じ曲げてまで兄様を表舞台に立たせたのは、私達エーデルフェルトにとっての不退転の証」
リーナの表情に笑いはない。どこまでも冷徹に、魔術師の表情で、自分たちの家を勝たせるためであれば、どんなことでもやってみせるという意志を明確にしている。
「ならば、私のするべきことは兄様が勝利するためにあらゆる面でサポートすること。兄様が勝利するためであれば、私はどんなことでも厭いはしない。ただ、それはそれ、これはこれです。貴方がたへの謝罪は、これから先に、貴方たちと戦う時に余計な感傷を自分の中で生ませないためです」
ふと、目の前の女性とあの圧倒的な力を持つ魔術師である彼の事を思う。僕たちはあくまでもエーデルフェルトの魔術師というフィルターを掛けてしか彼女たちのことを見ていない。あくまでも敵陣営の一つ、おそらくボクにとっては、最後までほとんど関わり合いを持つことが無いであろう存在。
だけど、彼女たちにも彼女たちなりの事情や理由は存在している。強さの裏に隠された在り方が存在している。
「キミたちは今回の聖杯戦争のことをどう思っているの? 曲がりなりにも50年周期で行われているはずの聖杯戦争が突然始まったこと、エーデルフェルトだって何か不審に思っているんじゃないの?」
「そうですね、アインツベルンや聖堂教会が此度の聖杯戦争に懸念を覚える気持ちはよくわかります。私もまさか自分の世代で聖杯戦争が始まるなどとは考えていませんでしたから」
「だったら――――」
「ですが、それは些末なことではありませんか? 聖杯戦争が始まり、サーヴァントが召喚され、実際に戦いは起こっている。であれば、どれほど歪であったとしても、これは私たちエーデルフェルトが望んだ聖杯戦争です。総ての陣営を倒し、そして聖杯を掴んだその時には分かるかもしれない。この啓示を運んできた者の正体が。私はそれでいいと思っています」
「啓示を運んできた……」
それは言うまでもなく、どこか確信的な、ボクが求めている言葉であるように思えた。この聖杯戦争の裏で見えるか見えないかの瀬戸際で蠢いている何かの正体に繋がるんじゃないかと。
「アインツベルンと聖堂教会は一足遅かった。もしも、「それ」と出会う前に私達エーデルフェルトが、貴方がたに出会っていれば、先ほど言ったように私たちはアインツベルンと協力していたことでしょう。もう、もしもの話しに過ぎませんが」
「そいつは、何者なの!?」
ドンと、テーブルから身を乗り出して、リーナへと声を上げる。リーナは変わらず、上品な仕草のままに視線だけを、ボクに向けて。
「わかりません。私達エーデルフェルトが知りえているのは、その存在こそが此度の聖杯戦争を始めた存在、「それ」はただ聖杯戦争を観たいだけだと言いました。それが事実かどうかは関係ない。私達は聖杯を掴むために此処まで来た。
もしかしたら……、セレスティーナ、貴女の傍にも、今この時にも「それ」はいるのかもしれませんね」
ごくりと喉が鳴る。自分たちが追い求めている存在が、今もずっと自分たちの傍にいる。うすら寒い話だった。できれば聞きたくない類だが……、とはいえ、エーデルフェルト側はおそらく、ボクが望んでいるほどの情報を持ち合わせてはいない。
「取り乱して、すまなかった……」
「いいえ、貴女がこの聖杯戦争で戦う理由の一つでしょう。理解はします。ただ、せっかくですから、もう少し話す話題はあってもいいのではない? もうきっと、こんな機会が訪れることもないでしょうから」
「そうだね、どんな巡りあわせになるかもわからないわけだしね」
下手をすれば、今日の夜にでも改めて殺し合いをするかもしれない間柄なのだ。一期一会の出会いであるとはいえ、言葉を交わしあっておくことも悪くはない。
最も、彼女たちにとっての本命は桜子であって、ボクたちではないのかもしれないけれど……
(このまま一緒にいたら、最悪、桜子と遭遇してしまうかもしれないな。どこかで別れないといけないけれど……)
どうにもキナ臭い空気が漂っている。確信があるワケではないけれど、どこかで誰かに見られている。そんな気がするのだ。
下手をすれば、このまま彼女たちと一緒に一戦交えることにもなりかねない。そんな予感を覚えていた。