――秋津市西・繁華街周辺公園――
獣は昂っていた。欲しい、欲しい、獲物が欲しい。己を恐怖たる存在へと押し上げてくれるほどの獲物が欲しい。
多くの人間を喰らってきた。恐怖は秋津の街に蔓延し、それを餌として、獣は今や、並のサーヴァント程度では太刀打ちできないほどまでに成長を果たしてきた。
だが、もっと、もっとだ。獣は狂っている。人の言語を介することも、理解することもできない。己に令呪という首輪を巻いているマスターが何を望んでいるのかも知ったことではない。
ただ、己を恐怖という餌を以て成長させてくれる相手であることを理解している。自分にとって都合の良い相手であり、自分にとって必要な存在であることだけを理解している。
獣にとってはそれで十分だった。狂い、人々の伝承の中にしか存在することが出来なかった獣がこうして、日々、餌を喰らえば喰らうほどに成長を果たし、実存の存在へと近づき始めている。
もっとだ、もっと、もっと、餌を寄越せ、獲物を与えよ。喰らって、喰らって、喰らって、いずれ本当に実在していた者たちすらも凌駕して、獣は「本物」へとなることを望んでいる。
獣は知らない。奇妙な縁とでも言えばいいのか、己を使役している主もまた獣と同様に「本物」へとなることを望んで戦っていることを。
それはアフラ・マズダが意図的に配置した演出だったのか、それとも偶然の産物であったのか。狂った獣にとっては知らぬことだし、どうでもよいことであった。
ただ、主の事は嫌いではなかった。餌も獲物も与えてくれる。己を成長させることに一切の隔たりを持たずに、自由にさせてくれている。思惑など知ったことではない。獣にとっての最優先事項は人間を喰らい、そして己が存在を証明することなのだから。
それを果たしてくれる相手であれば、構わない。獣は身体に刻まれた首輪があろうとも、叛逆するつもりはない。己の願いを叶えてくれる相手であれば、共に頂へと昇りあげる。
狂った獣に己の意志は微細でしかないが……、それでも、人間であるはずの主を嫌ってはいない。主が嬉々として戦いへと己を向かわせるのならば、獣としての本懐を果たすだけだ。
そう、目の前にいる人間が―――サーヴァントであったとしても変わらない。この身は恐怖の象徴、人間によって生み出された概念でしかない己が、肉体を得るには六つのサーヴァント総てを喰わなければならないのだから。
「オォォォォォォォォォォォォォォンンンンン!!」
絶叫を迸らせると同時に、先に動いたのはバーサーカーであった。狙う相手は言うまでもなくアサシン、セレスを狙うと言う常套手段を考えるほどの思考力は獣には存在しない。
ノルンが援護に入っている状況を確認したアサシンは、一歩、公園の土を抉り取るように踏み出して、飛び込んできた獣へと正中から拳を放つ。
「疾―――ッ!!」
対して獣はその巨大な顎を開き、その拳ごとくらわんと真正面から、暴走した車が突っ込んでくるかのごとき速度を以て飛び込んでくる。
その激突の最中、アサシンの身体が浮き上がる。拳を放つ腕を捻り、その遠心力のままに、足を上段へと上げ、獣の腹這いへと強烈な蹴りを叩きつける。
「己の身など一切顧みない突撃、げに恐ろしきは人ではないと言うことか。常識頼みの戦いは通用しないと考えるべきだろう」
「バーサーカー、構うことはない。今まで随分とお前には我慢を強いちまったが、もう雌伏の時は終わりだ。今日、此処が始まりだ。お前の恐怖を、世界に見せつけろ。お前が聖杯戦争に勝利するために、まずは目の前の獲物を喰らい尽くせ!!」
奉の言葉に反応するように、獣は蹴りを叩きつけられ、吹き飛ぶ身体を空中で回転し、地面に脚を触れると同時に前方へと疾駆、まさしく弾丸の如くアサシンへと突撃し、アサシンがそれを回避すれば、再び弾丸が如き速度を以て、飛び込んでくる。
自分の身の危険など一切顧みることなく飛び込んでくる攻撃は単調極まりない攻撃だが、そもそもに速度が違う、威力が違う。弾丸のように飛び込んでくる攻撃は激突に合わせて放つカウンターの難度を引き上げ、アサシンが回避して激突した公園の大地には、小さなクレーターが出来上がっている。
(まともに喰らえば、サーヴァントの身であったとしても身体が砕けかねない。単調極まりない攻撃であったとしても、それが意味を持つのは、単純な強さという面において小細工の無い強さを手に入れたからか……!)
アサシンが迎撃を狙うのではなく、見極めるために回避に徹していると言う状況だけでも以前のバーサーカーとは比べ物にならない。以前であれば、ランサーと二人であったとしても、行動に対して反応することは十全にできたが……
「アサシン……」
「大丈夫です。アサシンならば、何度か交差を繰り返すことによって、あの動きにも対応することができるはずです。バーサーカーに自我のようなものはおそらく存在しません。であれば、時間を掛ければかけるほど、アサシンが有利になることは間違いありません」
飛びこむ、飛びこむ、噛み砕く。あらゆる行動を通して、一度でもアサシンに触れれば一撃必殺になりかねない状況である。そうであるにもかかわらず、アサシンは何ら、焦る様子を見せることなく、適切に対応し続けている。加えて、
「ぬぅぅ!」
擦れ違いざまに放たれた裏拳が、突撃を敢行し、外されたことで僅かに弱まった速度の間隙を拭う形で叩き込まれる。バーサーカーの軌道が大きく歪められ、叩き付けられるように地面に転がるが、すぐさま戦闘態勢へともう一度入ると再び攻撃を繰り返し始める。
「適応してきている……」
ノルンの言葉を証明するようにアサシンの拳が遂に直撃し、足を踏み込むとバーサーカーが突撃を敢行するよりも早く、バーサーカーの下へと飛び込み、拳と蹴りの連撃が教科書通りの作法のように叩きこまれていく。
あまりにも流麗な動きはこの場で命懸けの戦闘が繰り広げられているにもかかわらず、思わず見惚れてしまうほどに鮮やかであり、先ほどまで攻勢を続けていたバーサーカーが一気に追い込まれ始めてしまうほどである。
「基本的なステータスは間違いなく上昇しているだろう。これだけの拳と蹴りを叩きこみながらも、まったく攻撃の態勢を崩さない。そして、こちらは気を抜けば一撃で命ごともっていかれるかもしれないと。まったく厄介なモノだ……」
アサシンは対応している、戦うことはできるが、ほんの少しでも想定外や事故が起こればそのまま、致命傷を負いかねない相手との戦いを強いられている。
逃げると言う選択肢もある。セレスの目的は決して聖杯戦争に勝つということではない。自分の目標としているが、必ずしも叶えなければならない願いではないし、アフラ・マズダの存在が判明した以上、もはやバーサーカー陣営と叩かなくても何ら問題はない。
ただ……、心の中に描かれるのは本当にそれでいいのかという思いがある。
アサシンはバーサーカーという危険な存在に対処するため、同時に強力な存在との尋常ならざる戦いの為に総てを費やす勢いで戦っている。武人としての性だろう。
例え、相手が人間でなかったとしても、この人を喰らう獣を討伐することを己の戦いではないなどということは決してしない。
だったら、自分がやるべきことは何だ。逃げることなのか?
「違う……ボクがやるべきことは……」
セレスティーナ・アルブレヒトは探偵だ。謎を明かし、事件を解決へと導く存在だ。このバーサーカーという事情が引き起こした事件を解決するために謎を解き明かす事こそが、自分がやるべきことではないのか。
(バーサーカーを倒すことができる手段、一つだけ見えてはいる。だが、果たして通用するのかもわからない。チャンスだって一度きりのはずだ。できるのか、ボクに……)
不安が生じるのは当たり前だ、セレスが考えているのはあくまでも仮説、バーサーカーという存在に他のどの陣営よりも着目して、さまざまな推論を重ねてきた。
行動理由、その存在、そして今、ここにきていまだに強化されているその在り方とマスターの言葉、自信はあるが、命を懸ける場面での自信といえるのかはわからない。
どうする、最後の一歩を踏み出すための勇気が自分の中で見いだせない。目の前で引き起こされている目で追う事が出来るかどうかも怪しい戦いを前に焦りばかりが生じていく。
「ミス・セレスティーナ」
「ノルン……」
服の袖を掴んだノルンの声に、意識がそちらへ向かう。ノルンは初めて出会った時から変わらず、こちらの心の深淵を覗きこむような無垢な表情のままに。
「大丈夫です、貴女ならば」
僅かな言葉であり、何かの具体例が提示されたわけでもないけれど、その言葉にはとても強さを与えられたように思えた。やってやれないことはない。そんな風に思う事が出来る程度には。
「やろう……、やらずに後悔するよりは遥かにいい」
呟いた自分の言葉とノルンのこれまでを知っているからこそ告げる言葉にセレスは最後の後押しを受けたように思う。確証はないし、成功するかもわからない。
だけど、これまでだって同じだ。いつだって、必ず成功する保証を与えられて生きて来たわけじゃない。戦っている相棒に報いるために自分が今、何をしなければならないのか、考えるべきことはそれだけで十分だろうと自分に言い聞かせて、セレスは放つべき言霊のタイミングと種類を、高速で組み上げていく。
――秋津市東・住宅街・七星家――
「そも、七星とは何か。語るのならば、そこから始めなければならないだろう」
自分の家の居間、住み慣れた場所、あたしにとってはいつも自分がいる安心できる場所であるはずのそこは、今は異常な空気感の下にあった。
あたしとお父さん、だけの空間じゃない。サーヴァントであるマルテルさんはあたしのすぐそばに控えて、何かが起こった際にはすぐにでも動けるように待機している。
そして、あたしたちとテーブル向かいに正座で姿勢正しく座っている糸目の男性、あたしの兄、七星櫻一郎は、居心地の悪さを感じさせないように、この場にいることが当たり前のような佇まいで座っていた。
確かに、此処に座っていることに対しておかしなことは何もない。櫻一郎兄さんは元々、ここの家の人間なんだから、でも、聖杯戦争で考えれば、兄さんとあたしは敵同士。マルテルさんが警戒を露わにするのもおかしなことじゃない。
「七星は、元々、魔術師を狩るための一族だった。」
「魔術師を狩る。うん、確かに七星のことを知っている人たちはみんな、魔術師狩りの七星って言葉を使ってきていたかも……」
「いつの時代にも魔術師を疎ましく思う者たちはいる。魔術とは超常の力、連綿と受け継がれ、時代の闇の中で根源を求めていながらも、その探求を続けるために時に権力者に取り入り、時に権力に反旗を翻す。歴史の闇の中で、世界のいずこでも、そうした者たちは存在し、当然にそうした世界の為に不要な存在を狩るための存在が必要になってくる。
必要悪―――そうした歴史の中で、我々、七星の一族は生まれた」
「じゃあ、七星流剣術も元々はその魔術師たちを狩るための剣術だったって事?」
「でなければ、お前が聖杯戦争で戦うなんてことはできねぇよ。あれはお前に教え込んだ剣術と桜から受け継いだお前の中に眠っていた七星の血と魔力が目覚めたことによって、急激に七星としての力を発揮するようになったんだろう」
「皮肉なことだな、七星の血などという忌むべきものが、生命の危機に発現することで今日まで桜子を生かしてきたのだから」
お父さんと兄さんは自分たちだけが分かっているように言葉を続けていく。だけど、あたしからすれば、やっぱりちんぷんかんぷんなことばかりだ。
七星の一族がどういう存在で、なんで、あたしが戦えているのかは何となくわかってきた。だけど、まだまだわからないことは山ほどある。
「ち、ちよっと待って。七星が魔術師狩りをするために魔力を磨いてきたってことは分かったよ。でも、もうそういう時代じゃないでしょ? だったら、別にあたしも兄さんも七星の事なんて考えなくてもイイじゃない! だって、魔術師狩りの力が元になっても、今は普通に生活をしていることができる、そういう時代でしょ」
「…………桜子、七星の血の宿命は、お前が考えているほど甘いモノじゃない」
兄さんは静かに、だけど強い気持ちが込められた声でそう言い放った。怒鳴りつけているわけでもないのに、思わずビクリとしてしまう。暗い、とても暗い感情が見え隠れてしているようで、兄さんの中に眠っている激情が顔をのぞかせている様にすら思えた。
「俺はこの七星の家に婿できた身だ。だから、あくまでもこれは桜から聞いた話でしかないが、七星の血を受け継いだ人間たちにはある特徴が浮かび上がるらしい」
「特徴……?」
「魔術師を狩る才能の発露――――殺人衝動やあるいは殺害という行為に対しての忌避感の希薄化」
「――――――」
「七星は魔術師を狩ることによってその血と一族を受け継いできた者たちだ。その役割をこなし続けることが出来ればこそ必要とされてきた。しかし、当然、一族の中には、そうした行動に向いていない者たちもいる。それを間引いている暇などなかった先人たちは連綿と受け継がれていく魔術回路の中に一つの呪いを潜ませた。
七星の血によって魔力が強まれば強まるほど、相手を害することに対しての忌避感情が薄れ、才能を開花させていく。より分かりやすく言えば、殺しが上手くなればなるほどに、七星の魔術師として洗練されていくと言うことだ」
「嘘……」
「嘘ではない、現に桜子、お前が言う、七星の欠陥は時代の変化によって発露した。元々、七星は自分たちの血脈を失わせることが無いようにと、多くの分派を作っていたそうだ。中には大陸を渡った者たちもいるらしい。しかし、数を増やしたことで衝突が起こった。
時代を経れば経るほどに、殺人という行為が正当化される場所は失われていく。神秘が否定され、魔術師が消え、七星の存在意義が問われる中で、七星の一族の中で争いが起こった」
「このまま七星としての生き方を続けていく者たちと、血の運命に抗い、只人として生きていく者たち、争いあった結果、只人として生きていくことを決めた者たちはそのほとんどが途上で命を落としたらしい。だが、生き残った者もいた。その血を受け継いだのがお前たちの母である桜だ」
「お母さんが……」
「一度、あいつに本気の勝負を挑んだことがある。いやぁ、本気で殺されるんじゃないかと思ったな。俺でなければ死んでいたかもしれないと思うほどにな。
それほどまでに七星桜は強かった。七星の血を色濃く受け継ぎ、七星流剣術を極めたアイツは今の俺や櫻一郎ですらも敵わんだろう。だから、あいつが聖杯戦争に参戦をし、最後まで勝ち残ることが出来たことは何ら不思議なことじゃない」
「お父さん、教えて。どうして、お母さんは聖杯戦争に参加したの? あたしと同じように巻き込まれたっていうわけじゃないんでしょ?」
それがずっと不思議だった。どうしてお母さんは聖杯戦争に参戦したんだろうって。何か叶えたい願いがあったのか、それとも……本当に七星の血の影響で戦いを挑んだの?
ずっと聖杯戦争の外の陣営から聞かされるばかりだったお母さんのこと、きっとお父さんだったら、本当のことを知っているはずだと思うからこそ聞いた問いに対して、お父さんは一度腕組みをしてから、あたしの横にある仏壇へと視線を向けた。
そこにはお母さんの遺影がある。それを一度見てから、
「桜には叶えたい願いがあった。それは……七星の呪いを消滅させること。あいつは常々言っていたよ。この血の宿命から、自分の子供たちを解放してやりたいと」
「あ………、お母さんがあたしたちのために……」
お父さんと視線が合う。ずっと求めていた答え、どうしてお母さんが聖杯戦争に参戦したのか、何を叶えようとしていたのか。それはとっても単純で、そしてとてつもなく尊い思いから生まれたもの。他のマスターたちを脱落させてでも、叶えたい願いのために最後まで邁進し続けるに足るだけの理由があった。
思わず目頭が熱くなってしまう。ただ、事実を聞かされただけであると言うのに、あたしのお母さんが何かの陰謀や悪意を以て聖杯戦争に臨んでいたわけではないということ、その目的が自分を含んだ家族へと向けられていたことを知ることが出来ただけで、安堵と喜びの気持ちが湧き出てくるのはどうしてだろうか。
「だが――――母は、聖杯獲得に失敗した。七星の呪いは消えていない。この血の宿命は今も俺達を蝕んでいる。その証明は何よりも桜子、お前自身が魔力に目覚めたことによって、証明されてしまった」
ああ、そうか。どうして、あんなにもお父さんがあたしに聖杯戦争のことを知ってほしくなくて、兄さんが聖杯戦争から降りろと言ったのか、ここに来てようやく分かった。
あたしの魔力は聖杯戦争を続けていく中で極端に高まっている。このまま順当に成長を続けていくとすれば、間違いなくあたしの力はより高まっていくことだろう。
今は自覚がないけれど、その最中でもしかしたら……、兄さんやお父さんが言うような誰かを害するための衝動のようなモノに襲われてしまうかもしれない。
七星の血に目覚める……あれ、でも、待って。もしも、その七星の血の呪いってものが本当に実在していて、お母さんが聖杯戦争でその願いを叶えていなかったとすれば……そこから浮かび上がった一つの事実に気づいて、思わずあたしは兄さんの方へと視線を向けてしまう。兄さんもそれに気づいたのか、口元に苦笑を零した。
「桜子にはこれまで、魔力が発現する片鱗も見えなかった。であれば、もしや、母の願いは桜子にのみは叶えられていたのかもしれない。そう思えば、七星の血に目覚めた人間が一人、ここから消えればそれで丸く収まるやもしれない。そう思ったが……、やはり、血の宿命には早々に抗う事が出来るわけではないらしい」
そうだったんだ。兄さんがどうしていきなり家を出てしまったのかわけがわからなかった。お母さんを失ったあたしにとっては、また1人家族を失ったに等しくて、本気で意味が分からなかった。
でも、ここまでの話しが本当に事実なのだとしたら……、兄さんが家を出た理由の総ては言葉で言わずともわかる。
何も知らないあたしに何も知らないまま、普通の日常を生きてほしい。そのためには、自分が家を出るしかなかったってそういうこと?
でも、そう考えれば、今までお父さんや兄さんが頑なにあたしに魔術の事や聖杯戦争の事から手を引けと口にしていたことも理解できる。その道に進み続ければ、あたしもまた七星の血に目覚めてしまうかもしれないということ。
「お前が聖杯戦争を怖れて、戦うことを拒絶してくれるのなら、それで終わりだったかもしれない。だが、お前は戦うことを選んだ。七星の血が為せる業か、あるいはすべては巡る運命の因果か」
「あ、あたしは自分で戦うことを選んだんだよ! 七星の血とかそういうもので戦うことを選んだわけじゃないよ!」
「自分の中に突然眠っていた力が目覚めた、その高揚感に支配されたことが一度もないと言い切れるか。もしも、力が発現していなければと……」
「それは……」
否定はできない。そもそも、魔術を使えなければ、今頃、あたしは聖杯戦争から脱落していたかもしれないし、死んでいたかもしれない。
でも、お父さんと兄さんが言うことも分かる。いつだって、あたしは自分の危機の中で次々と力が増していった。このまま闘い続けていけば、更に強い力が手に入る予感はある。
だけど、それが同時に、七星の血に順応していることだったとすれば……
「桜子、お前に七星の血の宿命を伝えたのはこれを伝えなければ、お前が戦いを止めることはないと考えたからだ。これから聖杯戦争はさらに激化する。お魔が何を想おうとも戦いを回避することは出来ず、覚悟もないまま刃を振えば、お前自身の命が失われることも十分にあり得る。聖杯戦争から手を引け、桜子」
「………兄さんは、どうするつもりなの?」
兄さんだって、聖杯戦争に関係している。バーサーカー陣営の1人として。
「俺はあの人を見捨てることはできない。七星の血に苦しめられてきた俺を拾ってくれたあの人は俺の恩人だ」
「そんなの……」
そんなのおかしいよ。あたしには戦いを降りろって言う傍ら、兄さんは戦いつづけるなんて。あたしが脱落すればバーサーカー陣営にとって利になるからって思いがあるのかもしれないけれど、あたしからすれば、それは何の解決にもならない。
ただ、目を逸らして、これまで通りに何も知らなかったふりをして、与えられた世界に満足しているだけ。確かにバーサーカー陣営は七星の力を使うことにためらいはないと思う。あんな人を殺して、それを動画にするような奴らがまともな神経をしているはずもないし、兄さんの実力に頼ることにためらいなんてない。
でも、それが間違っているよ。あたしだけじゃない、兄さんだって、そんなことを本当はする必要なんてない。だって、兄さんが家を出る理由になったのはあたしのためのようなものなのに……
あたしは、そんなに頼りない? 何もできないの? それじゃあ納得できない。
何かないの。もっと、ここにいるみんなを救う事が出来るような
「――――――」
いや、ある。答えは最初から用意されている。何も悩む必要なく、答えは此処までの話しの中で提示されていた。ただ、それに気づくか気付かないかの話だ。
あたしが戦うことが間違っているわけじゃない。兄さんが七星の血に目覚めたから悪いわけじゃない。そして、憎むべきは誰かという訳じゃない。
本当に憎むべきものがあるとすれば、それはあたしたちの身体の中に宿っている、誰かを害しなければ気が済まないようにと願われた祈りという名の呪いでしかないこの血なんだ。
バンと思いっきりテーブルを叩いて、あたしは腰を上げた。この空気を壊したくて、このどんよりとして、悪い方向にしか進んでいかないだろうと思わせられるような空気をぶち壊したくて、大きな音を上げて、自分がこれから吐きだす言葉の後押しとした。
「兄さん、あたしはやめないよ。いまだにどうしてあたしが聖杯戦争に選ばれたのかはわからない。でも、戦うって決めて、聖杯戦争を頼りに縁が出来て、もうあたしは何も知らない頃には戻れない。ううん、戦うって決めた以上、あたしは聖杯戦争を降りる気はない!」
「桜子、お前は何もわかっていない。まさか、自分の力の発現が遅かったから、自分は血の宿命に呑み込まれないとでも思っているのか? だとすれば、それは勝手なお前の思い込みだ」
「そうかもしれない。でも、あたしが戦わなかったからって何かが変わるわけじゃない。それこそ、兄さんが言うように、あたしもいずれは七星の血に呑み込まれてしまうのかもしれない。
あたしは嫌だ、自分が誰かを傷つけなくちゃ生きて行けなくなることも、兄さんのことを忘れた風に生きることも……私達を助けようとしたお母さんの想いを無駄にすることも全部全部嫌だから……!」
七星の誰かが悪いわけじゃない。お母さんもお父さんも兄さんも、みんながみんな、それぞれの想いを以てより良い方向に進んでいこうと思っていた結果が今だ。捻じれに捩じれて、でも、根底にあるのは誰かを想う気持ちだってことが分かったから。
あたしは諦めたくない――それが、最も険しい道だとしても。
「七星の血の呪いがどうしようもないのなら、あたしが聖杯戦争に勝って、そんな運命覆して見せる。15年前にお母さんが出来なかったことを、あたしが、今度こそ叶える!!」
そうだ、万能の願望機なら、どんな願いだって叶えることができる力なら、七星の血の呪いだって克服することができる。そうすれば、あたしたちは誰もが晴れて自由の身になる。何かから目を逸らさなくても済む。
「―――そんなことは不可能だ。母さんですらも出来なかったことが、半人前のお前に出来るものか」
「できる、やってみせる。半人前でダメなのなら―――」
ビシッと兄さんへと指差す。聖杯戦争に勝利するためには、バーサーカー陣営に勝たなければならない。それはつまり、あたしが兄さんに勝たなければいけないと言うことだから。
「あたしは兄さんを倒して、最強の七星でも何でもなってやる!! それが、あたしの聖杯戦争を戦う理由、あたしの叶えたい願いなんだから!!」
胸の中に熱いものがこみあげてくる。これまでずっとどこか空虚で、自分の中でどうしても定まらなかった聖杯戦争へと向き合う、本当の理由が一気に醸成されていくのが分かる。お母さんが果たせなかったことを果たす。
もしも、運命なんてものが本当に存在するのだとしたら、きっと、あたしはそのために聖杯戦争に参加することになったんじゃないかって思う。
誰にだって叶えたい願いがある。だったら、あたしだって自分の叶えたい願いを持っていていいはずなんだから。七星という存在の意味を知って、あたしはようやく自分が本気で叶えたいと思う理由を見つけることが出来た。
――秋津市西側・繁華街周辺公園――
まず最初に浮かんだ疑問は、これが正規の英霊なのかどうかという疑問だった。黒い靄に隠され、正体すらも不明な四足歩行の英霊。もしも、人間として座に刻まれた存在であったとすれば、遥かな神代の存在ではないかと考えた。
しかし、同時にこうも考えられた。それにしては少しばかりマスターの態度も含めて消極的すぎないかと。神秘が色濃く残った神話の時代より呼び出される英霊たちはどれもこれもが絶大な力を持った存在である。
戦闘向きではない英霊であれば逆に獰猛な逸話よりも、知性をひけらかすような存在でなければならない。バーサーカーとして理性を失ったにしても、そんな自分からアドバンテージを捨て去るようなことをするだろうか、と。
バーサーカーの正体が何であるのかを思案することに対して、ボクは必ず意味があることだろうと1日を掛けて考察を続けた。
情報の手掛かりになるものは少ない。ただでさえ、時間が経過すればするほどに存在が自分の思考の中で希薄になっていくのだ。
ほんの少しでも、他のことを考えていれば、すぐに記憶が白紙化してもおかしくないと言う緊張感の下、あらゆるツールを使って獣に関係する英霊の存在を探し求めた。
確かに獣と結びつく英霊で有名どころは考え着く。あるいは獣として有名である存在が変則的に召喚されたケース、どんな奇跡によってサーヴァントが召喚されるかもわからないこの聖杯戦争の中では、そうした存在が召喚される可能性も否定はできない。
(だが、そんなものが本当に存在を忘れさせるほどの何かを持っているのか……? あんないたずらに街に恐怖を齎すような存在として君臨させる必要があるのか?)
バーサーカー陣営の行動は今日に至るまで間違いなく、この街に混乱、あるいは恐怖を来すような行為を行うことに終始している様子だった。
そう考えてみると、ふと、他の視点が生まれた。そもそも、あのバーサーカーは本当に実在した英霊なのだろうか。もしも、あれが人に存在を忘れさせるようなスキル、あるいは宝具ではなく、そもそもの存在として、忘れられていくことが常であるような存在であったとすれば……、あくまでも仮説にすぎない。そんな仮説にすぎない理論を何度も何度も打ち立てて、そして一つの仮説が浮かび上がった。
そして、同時に絶句する。もしも、本当にその推論が正しかったとすれば、バーサーカーは危険な存在だ。必ず倒さなければならない。時間が経過すればするほどに奴にとって有利な戦場が出来上がっていく。
(もっとも、この記憶もいつまで残っているのかもわからないけれど……、だからこそ、ここで勝負を決める必要がある)
バーサーカーとアサシンの戦闘はギリギリの状況で互角のままに推移している。このまま戦闘が続いていけば、どちらかがこの均衡を破り、一気に優勢を持っていくことは間違いない。
それを掴むのがどちらなのか、言うまでもなく、それはボクたちが掴むべきものだ。
「ちっ、しぶといな。バーサーカー、いつまでも遊んでいる場合じゃないだろう。そんな人間一人、今のお前ならば易々と――――」
「そう、簡単に行かないだろ、所詮、形を持たないお前の獣に人間の技術の集大成であるボクのアサシンを倒すことができるわけがない」
「あァ?」
バーサーカーのマスターが露骨に怒りと嫌悪の表情を浮かべる。湧き上がってくる悪感情を無視し、アサシンへと視線を向け、彼もその視線に気づき、これまで攻撃と防御を両立させていた戦い方を防御へと振っていく。
たった一度の機会を逃すわけにはいかない。アサシンは言葉にせずとも、ボクの想いを理解してくれている。ああ、本当にマスターとしてこれ以上嬉しいことはない。
「ずっと考えていた。何故、お前たちは聖杯戦争そっちのけで街に恐怖を齎すようなことをしているんだろうって。魔力を効率よく集めるためなら、あんな動画配信なんて足がつくような真似をする必要はないし、やり方が迂遠だ。意味が分からないと何度も思った」
聖杯戦争とは明らかに相性が悪いとしか思えないような行動、真面目に闘っていると言うよりも、他の目的の為に何かをしていると思ったけれど、それにしたって意味が分からなかった。
「だけど、視点を変えてみると気づくことがあった。おまえたちはあからさまにこの街が恐怖に支配されることを望んでいた。誰もがおぞましい獣の行動に怯え、聖杯戦争の行動でさえも、獣の行動であるように思いこませることこそがお前たちの真意だったんだ」
バーサーカーのマスターの表情に敵意がより顕著に浮かぶ。ああ、分かっている。正しいんだろう、そうでなけりゃ、あんなことをするはずがない。
「なら、それをする理由は何だ。勿論、聖杯戦争に勝つためだろう。つまり、お前のサーヴァントであるバーサーカーは恐怖が膨れ上がれば上がるほどに強さを増していく英霊だ。いいや、言い換えてやる。人々が恐ろしいと思うことが無ければ、何もできない存在、それがお前のサーヴァントの正体だ!!」
強さとは外部によったものと自身に依ったものの二つがある。多くの者たちに信仰されたからこそ強さを発揮する伝説上の存在か、あるいはボクのアサシンのように自分自身の強さによることで実力を発揮するタイプ、バーサーカーは紛れもなく前者であり、しかも、己に依った強さが全くないとすれば、正規の英霊としてこれほどおかしなことはない。
如何に伝説上の存在だったとしても、他者から信奉されるためには己自身の強さがある程度は存在しなければならないのだから。
だからこそ、不思議でならなかった。そんな英霊が本当に存在するのか、と。実在するかどうかも怪しく、人々の恐怖の中だけで生き続けることができる存在―――そんなものはもはや都市伝説の類でしかないと思い、同時にそれこそが気づくためのきっかけだった。
「お前の黒い靄、それはお前の正体を隠しているものだとばかり思っていた。でも、違う。逆なんだ。バーサーカー、お前は特定の姿を持ち得ない。いいや、人間に定義してもらわなければ、存在を保つことすらできないんだ。だって、お前は人々が想像の上で思い描いた実在するかどうかも怪しい存在だったから」
実在するのかどうかも怪しく、ただ、恐怖だけを媒介にして存在し続けた獣、もはやその存在は過去となり、正体を証明することさえも難しい闇の中へと消えた獣こそが、このバーサーカーの正体だ。
「告げる。バーサーカー、お前の真名は―――『ジェヴォ―ダンの獣』、フランス、ジェヴォ―ダン地方で猛威をふるった最後まで正体を明かされることのなかった獣、それこそが、この街に恐怖を撒き散らしたお前の真実だ!!」
「―――――――――――」
告げられた名前を前に、バーサーカーの動きが硬直する。これまでずっと、不確定の存在、どうしようもなくよくわからない存在として恐怖を撒き散らしていた存在は、アサシンへと飛びかからんとしたその動きを止めて、完全な硬直を果たした。
その彼我の距離たるや、既にアサシンの間合いの中。同時にアサシンの身体が動く。己の主の推論は間違いなく正しいであろうと信じていたからこそ、彼もまた淀みが一切ない。
こうなるであろうと分かっていた流れに、人が4000年の時間を掛けて磨き上げてきた技術の神髄は、本領を発揮する。
「さて、獣よ。恐怖の象徴たる獣よ。貴様は―――我が『無影脚』を知っておるか?」
近代中華に曰く――蹴りにおいて 黄飛鴻の先に黄飛鴻無し 黄飛鴻の後に黄飛鴻無し、と。その蹴りは影さえも存在すること亡きが如き疾さであればこそ、彼に並ぶものなどいないのだと。
「おい、バーサーカー、動け、動けッ!!」
奉も危険を覚える。セレスが口にした言葉が、それだけの意味を持っていたと言う事実は奉が肯定をしなかったとしても、目の前の事象として白日の下に晒されたのだから。
故に、もはやこの流れをどうにかすることはできない。サーヴァントにとって真名を明かされることの危険性は、どの英霊にとっても等しくリスクを背負うモノではあるが、特にバーサーカーにとって、この獣にとっては致命傷になりかねない。
名前とは、目の前に存在する不可思議な光景を定義づけると言うこと。不確かであっても、不明瞭であっても、そこに名前が付された瞬間、人外魔境の存在はその恐怖に塗れた存在に対して陳腐な印象付けを行われる。
獣が吼えた。しかし、存在を暴かれた獣の姿は黒色の靄が消えていき、灰色の狼のような姿を晒しだしながら、ただ吼えることしかできずに、無数の蹴りが獣の身体を直撃していく。
「それがお前の姿か。いや、それすらも本当なのかはわからないけれど、ボクはそれを考察するつもりはない。未来永劫解き明かされることのなかった存在として、歴史の闇に消えて行け、ジェヴォ―ダンの獣」
「呵ッッッ!!」
全身の骨と肉がひしゃげて、最早声を上げることすらできないほどに獣が無惨に叩き付けられる。その有り様は誰が口にするよりも雄弁にこの場での戦いがこの一瞬に、何の変哲もない言葉によって、終わりを迎えたことを意味していた。
無形の恐怖を払うのは人類が磨き上げた技術の集大成、言うまでもなくコレは人類の歴史そのものである。
振り払われた恐怖が再び恐怖たりえる道理はなし。