――秋津市西側・繁華街周辺公園――
ジェヴォ―ダンの獣、18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方に出現した、オオカミに似た生物。1764年から1767年にかけマルジュリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った、現代においてもいまだその明確な正体が明かされなかった、フランスの歴史に刻まれた史実でありながら伝説の存在である。
その正体は諸説ある。獣を目撃した者たちの証言を総合すれば、獣はウシと同じ大きさのオオカミに似た生物で、広い胸部をし、長く曲がりくねった尻尾はライオンのような毛皮の房で先端まで覆われていた、と記録されている。
そして、小さく真っ直ぐな耳と巨大な犬歯がはみ出ている、グレイハウンド犬のような頭部をしていたという。獣は全身が赤い毛で覆われ、特筆すべきは黒いしまが背中の長さ分あったとnだった。
無数の人間たちの不確かな記憶と恐怖によって肥大化された情報は獣の存在を隠匿し、恐怖だけを撒き散らすには格好の材料となった。
もしかしたら、ただのオオカミかもしれない。あるいはハイエナか、いいや、あれは新大陸より連れてこられた未知の生物だ。結社によって生み出された生物兵器、信ぴょう性のあるものから、陰謀論によって生み出された存在まで、無数の証言や考察が為されたが、獣の正体は結局の所、判然としない。ただの獣であり、すでに狩られているかもしれない。
けれど、ジェヴォ―ダンの獣は討伐されないのだ。
何故なら―――獣が生息しているのは現実でありながら非現実。人々の伝聞の中に存在する架空の生物を、現実の中で刈り取らなければ、恐怖の記憶が拭い去られることはない。
誰もが口々に言う。ジェヴォ―ダンの獣はまだ生きている。誰もが告げる。あれがこんな簡単に狩られるはずがない。誰もが願う。ああ、どうか、正体を明かしてくれ。
もしかしたら、答えは出ているかもしれないのに、誰も彼もが現実を観ようとしない。未知の恐怖を怖れ、現実の終わりを見据えることができない。
フランス政府が討伐隊を送り、地元の猟師たちと共に狼を討伐し、一度は終わりを迎えたはずだった騒動は再び現れた、「獣」によって、再燃した。その獣を討伐したことによって、ジェヴォ―ダンの獣の騒動は幕を引く。
もはやフランスという国が終わりを迎えたと言う声明を出さなければ、未知の獣に怯える人々を救う手だては何一つなかったのだ。
正体が明かされることもなく幕引きを迎えた獣、人々は口々に言った。本当にこれで終わったのか、あの正体不明の獣はまだ生きていて、ジェヴォ―ダンの中で息をひそめているのではないか。
フランスという国家が代替わりを続け、支配者が変わった後も、国民たちの世界への認識が変わった中でも、その都市伝説めいた獣は生き続けている。
人々の口々の中で語り継がれてきたその存在が、正体を明かされるための時間はとうに過ぎ去ってしまった。誰もが確定的な答えを出すことが出来ず、人々の恐怖の中でだけ生き続けることができる存在、英霊の席に本来であれば上り詰めることすらできぬはずの存在は―――しかし、アフラ・マズダの裁定により、狂戦士のクラスを与えられて現界した。
獣は恐怖を喰らう、人々が恐怖に支配され、伝聞が広まれば広まるほどにその力を増していく。何故なら獣は空想上に刻まれた存在であるから。姿かたちを持たず、ただ人々が望む姿をカタチどり、多くの関係のない出来事までもを己のものとして、恐怖の存在として君臨し続ける。
例え、獣が討滅されたとしても……、人々の中に恐怖の記憶が刻まれている限り、獣は生き続けている。
当然だろう――――獣はついぞ明かされることのなかった恐怖のカタチそのものなのだから。
『さすがだね、セレスティーナ。君は君の役割を全うして獣を倒して見せた。聖杯戦争における自分の役割を、誤ることなく果たしたわけだ。素晴らしい』
アフラ・マズダの耳障りな声が響いてくる。どうやら、聖杯戦争の黒幕はこの場でボクたちとバーサーカー陣営の戦いに決着がつくのを見届けるつもりでいるらしい。
しかし、無駄だ。真名を明かされ、アサシンの宝具ともいうべき、連撃を受けた以上、もはやバーサーカーは活動をすることができない。
恐怖と正体不明の存在であると言う鎧を剥がされてしまった獣は、人が編み出した歴史の集大成を前に駆逐されていくばかりなのだから。
「くく……、くく、あっははははははははは」
しかし、そんな自分のサーヴァントが駆逐され、まもなく終わりを迎えるにもかかわらず、バーサーカーのマスターは思いっきり笑い声をあげている。
気でも触れたのかと思ってしまう。サーヴァントが倒された以上、自分が無防備にアサシンの前に姿を見せていて、逃げるよりも早くアサシンは目の前の危険極まりない男を殺すことができる。
勿論、彼を殺めると言う選択肢を取らずに済むのならばそれに越したことはない。罪を償って、余生を生きる方向へと進んでほしいと思うけれど、生殺与奪の権利をボクたちに握られていることは間違いないはずだと言うのに……、
「お前、何がそんなにおかしいんだ」
「くく、あはは、いやぁ、悪い悪い。お前たちが随分と盛り上がっていたもんだからよ、なんだかおかしくなっちまってな。まさか、バーサーカーの真名を当てられるとは考えていなかったからよ、少し取り乱しちまったよ」
「随分と冷静かつ露悪的だな。貴様の手駒は既に瀕死だ。ここから覆すことなど出来まい。命乞いをすることはあれども、挑発をする意味が理解できんな」
「理解できない、か。くく、いいねぇ、そういう奴らが一番面白いんだ。そう、勝利を確信している奴らが見せる慟哭の声ってのが一番胸をスカっとさせるんだよ!!
おらぁ、いい加減目を覚ませ、バーサーカー!!」
「オォォォォォォォォォンンン!!」
鳴き声が聞こえた。次いで足音が聞こえた。四足歩行の獣の足音、それが大地を踏みしめて闊歩する音がボクたちに、いまだに戦いが終わっていないことを痛感させた。
「嘘……」
「馬鹿な――――」
けれど、鳴き声が聞こえたことも、足音がしたことも、そんなことは驚くほどの事ではなかった。バーサーカーのマスターの言葉から十分に推測できる内容である以上、驚くに値しないことではある。
もっと驚くべきことは、その足音が―――複数であったという事実である。
そう、ボクたちの周囲を取り囲むように、アサシンが先程まで戦っていたジェヴォ―ダンの獣と同サイズ、あるいは少し小さくしたかのような獣が群れを成して、ボクたちを取り囲むように姿を見せたのだ。
「今宵は獣の夜、泣き叫べ、命乞いをしろ、もはやお前たちに活路はない。伝承に相応しき獣と変わったバーサーカーが、お前たちの死神だ」
ありえない、そう思ったのも束の間、獣たちが一斉に飛びかかり、アサシンは一歩でボクたちの下へと戻ってくると、魔術を発動させたノルンと二人で、集団戦闘を仕掛けてくる相手の迎撃へと意味も分からずに移行させられる。
「ぬぅぅ……ッ!」
「そんな、バーサーカーと動きも速度もほとんど同じ……!!」
「当たり前だろう!! そいつら一匹一匹が全てバーサーカーなんだからな!! なぁ、アサシンのマスター、テメェは凄ェよ、こいつの真名を当てて見せたんだ。俺も本気で肝を冷やしたが、おかげで殻を破ることが出来た!!」
「我が獣は恐怖を喰らって成長を果たす。恐怖こそがこいつの原動力、聡明なお前ならわかるだろう? バーサーカーへと恐怖が注がれている限り、こいつは人々の想像する獣へと変貌する。この街に一体どれだけの恐怖が蔓延した!! 一匹じゃとてもじゃないが、できっこねぇだろ!!」
喝采のような叫び声を聞き、ボクの中に最悪の想像が過った。バーサーカーが動画を使って映像を配信していたのは、単純に恐怖を感じる人間の分母を増やすためだとしか考えていなかった。
恐怖を高めれば高めるほどに強くなっていく以上、秋津市の人間だけでは足りないからこそ、あのような迂遠の手段を使っていた。それはいい、だが、そこにもう一つ意味があったのだとすれば……
「なぁ、名探偵。お前は凄いよ、俺なんかじゃ真似できないことをやって見せた。だからよ、やってみせろよ、今すぐ!! 今や日本全土を支配するこの獣の恐怖を、今すぐ国民すべてから払って見せろよ、できるもんならな!!」
今やこの国の人間たちの誰もが知っている。誰もが少なからず話題にしている。秋津市という町で起こっている出来事、謎の事件が引き起こされていることを。
例え、真名を見破り、弱体化をさせたとしても、根本的な恐怖を抱く者たちから恐怖を取り払わない限り、この獣を倒すことが出来ないのだとすれば……、バーサーカー陣営がこれまで行ってきた殺戮は、どこまでも理に適った聖杯戦争を勝利するための絶対完璧な道筋だ。
いかに魔術師であろうとも、一瞬でこの国のバーサーカーに恐怖を感じている人間たちの心を変化させることなど出来ない。いや、そもそも、できるにしたって、そんな迂遠な方法を取ろうなんて普通は考えない。
考えないからこそ、おぞましい。今や、この国で秋津市がニュースで取り上げられない日はない。
何度も何度も取り上げられ、正体不明の恐怖に支配された街のように報道されていること自体が、もはやバーサーカー陣営の思惑通りに彼らの手を離れて、恐怖が醸成されていることを意味している。
(日本国民全員の恐怖を振り払う……? 無理だ、そんなこと、日本国民全員から恐怖を忘れさせることでもできなければ、実現できるはずがない)
それこそ、洗脳の類でも実行しなければ実現不可能だろう。謎を解くことが出来ても、それを真実として理解させることは全くの別物だ。
奴が勝利を確信して、種明かしをしたのは、それが絶対に破られることはないという自信があればこそだ。
「がっ――――」
思考を引き裂くようにして、痛みが迸る。次々と迫ってくるバーサーカーの群れを完全に御しきることが出来ずに、肩口から切り裂かれる。鈍い痛みが走り、次にずきずきとした痛みが奔る。一目見るだけで出血しているのは間違いなかった。
(むしろ、この程度で収まっていることを喜ぶべきなのかもしれないけどな、正直、絶体絶命だろ、この状況……)
桜子と早々に合流することを優先しなかったことを今更になって後悔してきている。先ほどの真名を明かした時点で撃破できなかっただけでも相当に厳しいと言うのに、バーサーカーが分裂増殖して出て来たなんて、悪夢としか言いようがない。
「ミス・セレスティーナ、撤退を!!」
「ノルン……」
「バーサーカーが未知の力を発現した以上、ここでの戦闘は我々にとって不利益しか生み出しません。一度退くべきです!」
「負けるつもりはない、と言いたいところではあるが、数が多すぎる。儂だけならば、問題ないが……」
セレスを守りながらの戦いとなれば、アサシンとて押し負ける可能性は大いにあり得ると言うことだ。アサシンはこれまでと変わらない様子で戦闘を続けているが、視線を向ければ、身体のあちらこちらに裂傷が生み出されている。
先ほどの一体の時ですらも互角の戦いを演じるほどの状況だったと言うのに、数を増やされ、それらが同時に襲い掛かってくるのだ。恐るべきと言う他ないだろう。
撤退する他ない。それ以上の最善が想像すらできないほどの状況なのだ。思考を纏めて、指示を出そうとした矢先に、再び獣が襲い掛かってくる。
「させませんッ!!」
ノルンが魔術を行使し、セレスへと飛びかかった獣を弾き飛ばす。魔術によって強化された巨大なハルバードが軋み、亀裂を走らせる。武器の消耗が早い、何度も何度も防御をしていたら、それだけで粉砕されかねない。
「包囲を突破します。ミス・セレスティーナ、すぐにうご――――あ」
アサシンによる一点突破で、この状況から脱出することはボクたちにとっての共通認識だった。バーサーカーの包囲を一つでも抜け出すことが出来れば、そこから飛び出すことができると思っていた矢先に、ノルンの身体が硬直する。
「ノルン!!」
立ちくらみでも起こったかのように、ノルンの身体が崩れかける。ノルン自身も自分の身に何が起こったのか全く分からないかのように驚きの表情のままに身体が崩れる。
それはいい、理由がどうなのかわからないが、すぐに立ち上がればいいのだから。
「オォォォォォォォォォン!!」
問題は、その崩れかかった獲物をバーサーカーが狙わない筈がないと言うことだ。バーサーカーのうちの一匹が、ノルンへと視線を向けて、地を蹴る。
到達までは一瞬だ。そして、到達すればそれが致命の一撃になるのは誰の目にも明らかなことであるから。
「ぐっ、間に合えッ!!」
「主よ!!」
咄嗟に動いた身体がノルンに身体ごと激突して、バーサーカーの飛び込んできた射線からギリギリのところでノルンを助け出す。
本当に圧し掛かるような勢いで庇いだてたから、完全に地面に転がってしまったけれど、即座にアサシンが動き、飛び込んできたバーサーカーへと対処してくれたことで、追撃は免れることが出来た。
「ごっ、ぎぃ………ああっ」
「ミス・セレスティーナ! あなた、バーサーカーの攻撃が……!」
「だ、大丈夫。こんなの、かすり傷だよ。魔術師なんだから……このくらい」
「ありえません、自分の身体をよく見てください!」
ノルンが顔面蒼白の表情で、ボクの脇腹を見る。先ほど、ノルンを助け出すために勇ましく飛びこんだはいいけれど、ボクの反応速度で、バーサーカーの攻撃を凌ぎきることができるわけもなく、脇腹を抉られた。
かすり傷なんて強がってはいるけれど、腹の側面のほとんどを抉られた。額からは玉のような汗が浮かび、全身の体温が急激に下がっていくのを感じられる。
(確認するまでもない、こんなの致命傷だ……、逃げることが出来たところで、これじゃあ……)
自分の頭に「死」という一文字が明確に連想されてくる。回復魔術が全く扱えないなんてことはないけれど、出血量を考えると早々時間がないことは間違いない。
「おいおい、アサシンのマスター、お前、マジかよ。自分がどんだけ馬鹿なことをしたのか分かってんのか? そこのガキはお前を守るために戦っていたのに、肝心のお前がガキを守って致命傷を受けているんじゃ話に何ねぇだろうが!」
バーサーカーのマスターの嘲笑が聴こえる。耳障りで仕方がない。言われなくたって分かってる。ノルンはアインツベルンのホムンクルスとして自分の役割を果たそうとしていた。先ほどの場面で、ボクが彼女を見捨てていたとしても、彼女は怒りを向けるようなことはきっとしなかったはずだ。頭ではそんなことわかってる。
………でも、違うだろう、それは。少なくない時間を一緒に過ごして、一緒に戦って、一緒に笑って、怒って、驚いて、もう、ボクにとってはただの依頼主と受け手という立場じゃないんだ。
「ふん、まぁいいさ。こっちとしては勝手にマスターが自滅してくれたんだ。文句もねぇよ。相応の末路って言うのか? あんなガキ連中と釣るんでいたお前らしいじゃねぇか。最後までガキとつるんで死んでいけ。ガキの遊びに聖杯は似合わねぇよ」
意識がぼやける。視界が霞む。自分の中の感覚がどんどん希薄になっていくようだった。このまま瞳を閉じてしまったら、もう二度と目を覚まさなくなるんじゃないかと思うほどに、感覚が鈍くなっていく。
でも、終われない。このままじゃ、終わらせられない。バーサーカーの真名は暴いた。これは必ず、後の戦いで必要な情報だ。ボクたちの行動は奴らによって上をいかれたのかもしれないけれど、手法自体が間違っていたとは思えない。
あともう一手、何かを見つけることが出来れば……、必ずこいつらを打倒できる。だから、この情報だけは何があろうとも、ここで失わせてはならない。
何より、ギリギリ保った意識でもさすがに聞き捨てならないことを言われたら、黙ってなんていられない。
「………どっちが、ガキの遊びだ」
「あ?」
「お前こそ……サーヴァントの力に頼って、暴力を振るっているだけ、だろ。ボクよりも年齢が上の奴が、何やってんだよ。もっと他にいくらでもやれることが、あるだろ……」
聖杯戦争に勝ちたかったからって理由は分かる。そのために人々を犠牲にしたってのも魔術師ならば……まぁ、ギリギリ理解はできる。だけど、こいつはそれだけじゃない。
会話をしていればわかる。こいつの言葉の端々に存在しているのは他人への憎悪だ。何もかもにも苛立っていて、他人が失敗することを望んでいる。誰かを傷つけることでしか相手を理解できない。
他者への寛容さが無いから、強い言葉をぶつけるしかない。
「そんなに……憎いのか、世界が、人が!」
「ああ、憎いね。こんな偽物の人生を俺に与えてくれた世界も、俺を裏切ることしかしてこなかった周りの奴らもすべて、すべてが憎い。だから、ぶっ壊してやるんだ、どうなろうが知ったことか! 俺は聖杯を掴んで、俺の本物の人生を取り戻すんだよ!!」
「そらみろ、子供の泣き言じゃないか……、どんなに世界の仕打ちが酷かったからって、それを選んできたのはおまえだろ」
「テメェに何が分かる!」
「分からないよ。分からないから……人は、自分の選択に自分で責任を持つしかないんだ。何を選んだって後悔しないように………」
そう口に出来る自分は幸福な世界の中で生きてきたんだと思う。両親は好きなように生きてくれていいと言った。決して満たされていた人生であるとは言えないけれど、少なくともここまで来たことを間違っていたなんて言いたくない。
今日を迎えるまでに行ってきた無数の選択肢に全く失敗が無かったわけではないけれど、なかったことにしたいとは思わない。
こいつはきっと、自分の人生を後悔している。だからやり直したい、別にいいさ。好きにしろ。そのために聖杯を掴むことも悪くはない。
だけど、それなら勝手に自分でやれ、他人に迷惑をかけるな、お前一人の不幸自慢に他人を巻き込む時点で、我慢ならない子供が泣きわめいて願望を叶えようとしているのと何にも変わらない。
そんなやり方は大人の世界への向きあい方じゃない。ガタイがデカくなっただけのガキだ。
(なんて……強がっても、ああ、まずい。本当に身体が……)
馬鹿な話だ、反論なんてせずに逃げていろってのに。大方、自分は大馬鹿だ。でも、そうなってしまったからできる諦めってのもある。
「ノルン………、サクラコの下に向かえ」
「ミス・セレスティーナ……!?」
「アインツベルンからの依頼は果たした。この聖杯戦争の黒幕はあの通りだ。だから、これでボクとキミの契約関係も終わりだ。ボクを守る必要はない。サクラコを頼れ。あの子なら……、これから先も、戦って、いける」
アフラ・マズダという存在を見つけ出した以上、ボクとアインツベルンの間で交わした契約は履行されたと言っていい。総てが全て自分の力で達成したわけではないことが、少し心残りであると言えば心残りではあるんだけど、贅沢をいうことはできない。
例え、奴の気紛れのお陰で正体を知ることが出来たのだとしても、知ることが出来たのだから、それで十分だろう。
「ダメです……、ミス・セレスティーナ、私はホムンクルス、貴女のように人間とは違う。いずれ、この命は―――」
「長くは、ないんだろう。関係ない、それなら、その時まで精一杯生きるんだ。人間だから、ホムンクルスだからだとか、そんなことは関係ない」
そもそも、致命傷の人間と身体に不調を来していてもまともに動くことができるホムンクルスという選択で選ぶも何もないだろう。けれど、ノルンは納得がいかない。理屈では理解できても、心が納得することができない。
そんな様子が窺えた。その言葉を交わしている間にもバーサーカーの攻撃が止まることはない。止まることはないが、先程よりもどうしてか、激化する勢いが収まっているように見えた。
「おい、何のつもりだ?」
『はて、何の事かな?』
「とぼけるな、テメェ、バーサーカーに何をした?」
『君にとって不利益なことはしていないよ。ただ……少しばかり良い所なのだ。善とはかくあるべくして善、であればその導く先には何があるのか、私はそれが知りたい』
アサシンが必死に迎撃してくれていることで、あともう少しだけ言葉を交わすことができる。それはありがたかった。きっと、もう言葉を交わす時が来るとは思えなかったから。
「どうして、ですか……?」
「ノルン」
「私達、アインツベルンはあなたを聖杯戦争に巻き込みました。依頼を果たしたと言うのならば、貴女こそが逃げるべきです。魔術を使えば、傷を抑えることもできるし、ミス・サクラコの下に向かうことだってできます。時間は私が稼ぎます。できるはずなのに、どうして貴方は……、自分の命を投げ捨てようと言うのですか」
「―――――嬉しかったんだ」
ノルンがポカンとした表情をしている。どういう意味なのか分からないと言う表情だった。
「キミが、ボクの事務所を訪ねて来た時、厄介だな……って思ったのと同時に、嬉しかったんだ。なんて、いうかさ、認めてもらえたように、思えて」
アインツベルンや聖堂教会の思惑とか、アルブレヒトの家の再興とか、本当はどうでもよかったんだ。何にもなれない中途半端な自分が必要とされたように思えて、嬉しかった。
自分の命を懸けて、飛びこんでいくだけの価値があるんだと心から思えたんだ。たとえ、その途上で命を落としたとしても、ただ漫然と生きていくだけの時間に比べれば、眩いばかりの世界の中に飛び込むことができると思えた差し伸べる手は、前にも後ろにも進むことができない人間にとって十分に意味があったんだ。
「もう一度言うよ……、キミたちとの依頼は果たした。あとは、好きにやらせてもらう」
そう、もうアインツベルンも聖堂教会も関係ない。自分で選んで自分で背負った、そして自分が選んだ相棒との時間だ。最後くらいはその我儘を通す。
「それに……、いつだって子供のために身体を張るのが大人の役割だ。それがホムンクルスであったとしても、友人を救うために戦うのなら、悪くはない」
お人好しで、貧乏くじばっかり引いている自分らしく、そして自分が選ぶ道として納得がいかないわけじゃない。誰に選ばされたわけでもない、自分で選んだことなんだから、泣き言なんて言わずにいこう。
弱弱しく震える手で傍に寄り添うノルンの肩へと手を置く。今にも閉じてしまいそうな瞳で真っ直ぐに彼女の姿を捉えて……、
「届けてほしい。ボクたちが確かにここで戦っていたんだと言う軌跡を」
それができるのは、キミだけなんだという言葉までを口にするほどの余裕はなかった。困惑するばかりだったノルンは一度目を伏せて、それから、瞳に確かな色を取り戻して、一目散に逃走するようにしてこの場を離れていく。
その後ろ姿は二度と戻ってくることはないだろうと如実に告げていて、同時にもうボクたちが互いに会話を交わすこともないだろうと言うことを克明に理解させてくれた。
「まったくもって度し難い。最後まで、そなたという主は己の甘さを捨てきることが出来なかったのだな」
「アサシン、ボクは――――」
「謝るな」
事実を事実として指摘する従者に対して申し訳なさを覚えていたのは事実だ。彼は聖杯戦争で強い奴と戦うことを望んでいたし、他のマスターに比べればボクは聖杯戦争だけで見れば間違いなく外れもいいところだっただろう。
失望されてもおかしくないと思っていた。
「確かに貴様の言う通りだ、バーサーカーのマスターよ。我が主は愚かだ。およそ聖杯戦争など戦うべきではなかった者だ。戦う者としてはあまりにも甘いし、優しさが過ぎる。
儂が本気で聖杯を掴まんとするのならば、この出会いと顛末は総て失敗であったと思うに然るべきであっただろう」
それがまともな聖杯戦争に召喚されたサーヴァントの考え方だ。生前に叶えられなかった願いを、末期に願った祈りを叶えるために人理の守護者にまで押しあがった存在達が願うことであろう。
「だが―――それを自覚してなお、儂はそなたを、セレスティーナ・アルブレヒトが主であったことに後悔など微塵も無し! 謝る必要などない、主を守れなかったのだとすれば、それは従者の失態よ。数多の英霊たちの中より選ばれておきながら、期待に応えることのできなんだこの身には、何の慰めにもならん」
ぼやける視界の中でもわかる、アサシンとて身体には無数の傷が生まれている。両の腕の肉は削がれ、影すら踏まないと言わしめた足には僅かな震えが奔っている。裂傷は数知れず、磨き上げた技術の枠を集めたはずの英霊が微かに上げる荒い息遣いはそれだけで、彼が追い詰められ始めていることを自覚させる。
「まぁ、そういうわけだ、バーサーカー。我々の陣営はここで終わりだ。主がそうであると決めた以上、従うのが従者の役目であるが故に。しかし、簡単に終わりであると思ってくれるな。儂は最後までやる。貴様たちの喉元にこの身に刻まれた人理の英知を刻み付ける。諸共道連れになるやもしれぬぞ」
「無駄な足掻きが好きだな」
「無論―――主に報いるとはな、そういうことだ」
身体が、心が熱くなる。この身体に宿っている熱は消えていくばかりだって言うのに、その言葉の一つ一つがボクにまだ戦えと背を押しているようだった。
(こんなことを、こんな時に思うのは不謹慎かもしれない。だけど、ボクは出会いには恵まれた。多くの良い出会いに恵まれて、ここまで来ることが出来た。背を押してもらえた。なら―――あと少しだけ、頑張らないと)
「アサシン、もう少しだけ付き合ってくれるかな?」
「言うまでもなく」
ホッとする。彼が一緒だというのならば、怖くはない。だって、僕のアサシンは僕が選んだ、僕にとっての最高のサーヴァントなのだから。最後まで彼の姿を胸に刻もう。
意味はあったのだと、心、世界に刻み付けるために。
「なら、これが最後の命令だ―――アサシン、命尽きるまで、魔力が底をつくまで戦いつづけろ。そして、恐怖を蔓延させる獣を倒せ。
令呪を以て命じる―――アサシンよ、その身に刻まれた痛苦の総てを忘れ、眼前の敵を屠れ!!」
もはや早晩役立たずになるであろうこの身に刻まれたマスターの証を行使する。刻まれ赤色の刻印の一つが消費され、アサシンの身体に魔力のパスが通じる。
数で勝るバーサーカーを捨て身特攻の戦いで攻撃する以上、その身は次々に削られていくのは目に見えている。後がないと言うのならば痛みを忘れろ。
「重ねて令呪を以て命じる――総ての力を出しきれ、その身が削れるとしても、なお恐怖を振り払う人間の強さを証明しろ」
後がないと言うのならば、肉体が砕けたとしても敵を屠る一矢となれ!!
「くく、瀕死のマスターに特攻紛いのサーヴァントか。いよいよらしくなってきたじゃねぇか。なぁ、バーサーカー、必死な人間を喰うのは大好きだろ。結局の所、暴力こそが最も簡単に総てを決めてくれるんだ。何をどう言い繕った所でそこから逃げ出すことができる奴はいないんだからな」
「お前はただの子供だ。泣き叫んで、それでも変わらない現実に押し潰されて、耐え切れずに当たり散らす子どもと一緒だ。そんな奴に、負けるほど、ボクのサーヴァントを舐めるなよ……」
まもなくこの夜の戦いは終わりを迎えるだろう。獣たちが口々に咆哮を上げる。まるで、この先に待っている捕食の時を心待ちにしているかのように。
「姦しいことこの上ないな。所詮は獣か。人の風情も理解できぬ畜生どもよ」
「その畜生に喰い潰されるのがお前たちだ、お前たちを喰らって、俺達はさらに高みへと昇る。何者でもない俺達はそこでようやく本物になることができるんだからな!!」
「憐れだな、あんたは……、何者にだってなれるんだ、人間は」
「幸福自慢はそこまでにしておけ。虫唾が走る」
最後の激突が始まる。長い時間はかからないだろう。どちらが勝利するのかはもはや決まっているに等しい。しかし、決まっているからと無抵抗でいられるほど、諦めがよいわけではない。聖杯戦争5日目、その戦いの終わりはまもなく……