己の生に満足しているのかと聞かれれば、特に悩むことなく首を縦に振った。
今では映写機の向こう側にて、多くのモノに愛されている存在に己が選ばれるなどと生前には思っていなかったが、そう選ばれたこと自体も生前に良き弟子たちを得たからだと思えば、誇らしい気持ちになるばかりであろう。
武術を学び、医療を学び、一角の人物になることが出来たと思えた時に弟子を迎え入れ、教える傍らに、己の出来ることをひたすらに模索した。
当時の祖国は大陸列強の脅威にさらされ、多くの嘆きが聞こえてきた。貧困に喘ぎ、大陸より流れてきたクスリが横行し、国家を壊さんとする暴乱の声が次々に上がってくる。
国を変えよう、世界を変えようと言う意志、まことに結構なことである。しかし、それで苦しむのはいつの時代であろうとも、民草であることに変わりはない。
できることをしよう、そう考えて、各地を回り、自分が学んできたことを弟子たちと共に教えてきた。苦しむ人々の為に医術を使い、身を守るために武術を教えた。
それが後世にどれだけの意味を与えたのか等とは関係ないことだ。見ていられなかった、自分に出来ることがあるのではないか、考えたことなどそれだけであり、名前が売れるかどうかなどどうでもいいことであった。
良く学び、良く教えられ、そして多くを見てきた。だから、何かをしなければならない、それだけだったのだ。
がむしゃらに多くの場所を回り、多くの人々に触れあえば会うほどに自分に出来ることの少なさを嘆いた。医療は多くの人を救う、武術は多くの人を守る力に変えることができる。しかし、個人に出来ることは多くはない。世界や国というあまりにも大きすぎる単位の出来事に対しては、個々人の意志など押し潰されてしまうばかりだ。
だが、それで自分が何も出来なかったなどというつもりはない。己の無力さを痛感するたびに、手を施してきた者たちに救われてきた。道に悩む時があれば、多くの弟子たちの言葉に救われてきた。
ああ、思い返してみれば、実に良き人生であったと思う。この卑小な身には過ぎたことは出来ずとも、多くの者を助け、それ以上の者たちに助けられてきた。
であればこそ、サーヴァントとして召喚され、聖杯戦争の知識を得たとしても、願う祈りは思いの外なかったのだ。確かに世界そのものに対しての未練が無かったわけではないが、それで己の人生に後悔を覚えていたわけではない。
聖杯に掛ける願いはなかったからこそ、己の武術家としての側面で強さを競い合う事が出来ればよいと考えていたが、それはそれで、己の願いのために人を踏みにじるような人間の願いのために協力することができるのかという思いはあった。
召喚されたサーヴァントにマスターを選ぶことはできない。令呪という絶対的な権力行使がある以上、例え、自分自身が相容れない存在であったとしても従わなければならない。
そんな不安もあったわけではあるが、召喚してきたマスターは己ですらも驚くほど、戦いに向いていないお人好しであり、人に利用されるばかりで、そのくせ自分自身で正しいことを為そうとする程度には倫理観が真っ当な人物であった。
そこで自分の中で思い浮んだのは聖杯戦争に勝てないと言う諦めやお人好しが過ぎると言う忠告めいた気持ちでもなく、単純に安心であった。
彼女――セレスティーナ・アルブレヒトとであれば、最後まで聖杯戦争を何の気負いもなく戦い抜くことができる。例え、どんな結末に至ろうとも、隣に立つ彼女に対して愚かないさかいを起こすことはないだろうと。
もしも、聖杯戦争に勝つことが出来なかったとしても、それは彼女に責があるわけではなく、己の責任一つであること、それでいい。彼女はそう言った重荷を背負うべきではない。己は良きマスターと出会う事が出来た。互いに互いの背を預けると言う意味でこれほど信頼できる相手はいない。
そして、今、末期の終わりを予感させる時が一時、また一時と近づいていく中で、獣を磨り潰し、破壊し、己の拳と足が砕け、全身から血を噴き出しながらも、なおもこの身体は止まらない。
主との魔力のパスは微弱ではあれども、まだ繋がっている。令呪によって刻まれた命令が己の力を越えた威力と速度を弾きだしながら、なおも数を増やして、己を食い殺そうとする獣たちを屠り続けていく。
「疾ッ――――!!」
声を上げ、足を踏み込み、肉が既に裂け、通常の己を知っている弟子たちからすれば、目を背けたくなるほどの風体でありながらも戦うことを止めない。
決して勝つことはできない負け戦、ただ己の意地を貫き通す事しかできない戦いであると言うのに、諦めようという思いは一向に心に浮かび上がってこない。
令呪による影響、英霊としての矜持、確かにそれもあるだろうが、やはり心は燃え上がっているのだ。己が認めたマスターが己の命を捨ててでも、ここで奴らを倒せと言う。
できる、できないではないのだ。最後まで戦わなければ、電影英雄の名が廃ろうよ!!
「ふざけんな、何だこれは。テメェは瀕死だろ、バーサーカーに何度喰われたと思っているんだ。だってのに、何でテメェはまだ戦えているんだよ!!」
「何だ、バーサーカーのマスターよ、貴様、まさか恐怖しておるのか?」
「――――!?」
「くく、愉快、愉快よなァ。恐怖を齎す存在が窮鼠に噛まれて、恐怖を感じるなどと。これは、もしや、この矮小な技錬が貴様たちを喰らってしまうかもしれんぞ」
影さえも踏まないと言わしめた蹴りは今や、バーサーカーに拮抗することすらもままならず、蹴りを与えるだけで己の筋肉と骨が砕けていく。それを令呪によって与えられる魔力で何とか補てんしながら戦い続けているだけのこと。
獣に対しての恐怖はない。例え、どれほど惨めな姿を晒そうとも、終わりが見えている戦いで喰らいつくことができるかもしれないと言う可能性が己を振い立たせてくれるのだから。
一歩、また一歩と、既に砕けた身体を前へと進ませていく。バーサーカーを砕くことは出来なかったとしても、マスターである魔術師を砕くことは、このボロボロの身体であっても可能なことだろう。
「これでも、アサシンであるからな。最後くらいはマスター殺しを狙っていくのも悪くは無かろう」
一歩、また一歩、獣共が己の身体に喰らいつく、それをギリギリに弾き、そして、身体をふらつかせながらも、まるで幽鬼のように一歩ずつ身体が進みこんでいく。
ああ、まったく、無様な姿ではあるが、なぁ、主よ。そなたが見ておるだろう。ならば、諦めるわけにはいかぬだろう。
「狂ってやがる。テメェの方がバーサーカーじゃねぇか!! 何の意味があるんだ、そんなことをして! 諦めちまえよ、もう終わりだろうが」
「ふん、貴様にはわからんだろうな。誰かを傷つけることを正しいと信じている貴様には」
「何が!!」
「誰かを救う、守ると言う時に見せる人の底力というものだ。そういう時には人は、言葉では説明することができない力を発揮するものなのだ!」
思い切り足を踏み込む。踏み込んだ足から血飛沫が舞飛び、グシャリと音が響く。脚の筋肉が死んだことを理解する。いいや、それを言うならば、全身既に死んでおるか。
「おい、待て」
だが、あと一歩、あと一歩で奴に届く。砕けた身体は元に戻らず、それを為した後に己の消滅も既に決まっている。故に―――
「令、呪を―――じ、る。アサ、ン―――く、だ――――」
「待て、待てって言ってんだろ!!」
最後の令呪が励起する。主が己の戦いを見ているのかすらも分からない。分からないが、見ているのだと信じて踏み込んだ足が動かないことを知り、瞬時に拳が動いた。
問題ない、拳は届く。届けば砕く。それが己の技術であると知っている。
「砕けよ!!」
「バーサーカーァァァァァァァァァ!!」
ゴシュッ、と肉が裂け、骨が砕ける音が聞こえた。最後の拳を放つ機会を与えられ、それは過たず、実行された。
ただ、一つだけ想定と違ったのは、敵マスターの身体の中からバーサーカーが姿を現し、この身と放った拳に喰らいついたこと。結果的に、バーサーカーによって阻まれ、己の拳がマスターへと叩き付けられることはなかった。
「一手……足りなかった、か……」
「は、はは、驚かせるんじゃねぇよ。よくやった、バーサーカー!」
「GRUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOO」
獣の遠吠えが聴こえる。まったくもって恐ろしい獣を召喚したものだ。
(この極限の状況で、主が恐怖を覚えたことによって主の身体の中へと転移を果たした。こやつは恐怖がある限り、どんな姿にもどんな場所にも姿を見せることができる。恐怖の下を断たぬ限り、こやつを消すことは出来ぬか……)
しかし、恐怖を無くすということがどれほど難しいことなのか、世界は変わらない、国は変わらないとあれほど実感したからこそ、そこを無意識のうちにおろそかにしてしまったことこそが己の敗因であったのかもしれない。
(いや、そもそもに――――)
魔力のパスが潰え、アサシンはその身体を維持することが出来ずに、身体が黄金のエーテルに分解されていく。それを理解し、既にセレスがマスターとしての機能を発揮していないことと未だに繋がりを感じられることから、おそらく、最後の令呪は起動していなかったのだろうと理解させられた。
最後の令呪を起動させるよりも早く彼女の意識が途絶えてしまっていたのだとすれば、ああ、確かに最後の踏み込みが通じなかったのも致し方ないことなのだろうか。
(いや、それでも、彼女の責任というわけではない。最後は己の未熟さゆえか……まったく、死してから未練を残してしまうなどと己もまだまだ未熟よな……)
もはや声を掛ける相手もいない。既にこと切れたであろう主に心の中で詫びながら、アサシンはその身を消失させていく。
この恐怖はこれより先にさらに力を増していくだろう。サーヴァントを喰らったと言う大きな実績は更なる恐怖をこの聖杯戦争にもたらしていくだろうが……、
(それでも、我々の為したことが全て無駄であったと言うことはないだろう。ノルン、そして七星桜子、ランサー……あとはお前たちに)
「この身はここで朽ちるが……この出会い決して、悪くはなかった」
この恐怖が晴らされることを願いながら、セレスティーナ・アルブレヒトとアサシン、黄飛鴻は互いに出会えたことを幸運と捉え、祝福を覚えながら聖杯戦争より脱落していった。何も残せなかったわけではない。意志は確かに受け継がれていくのだと信じて……
――秋津市東側・住宅街・七星家-――
「今日は世話になった、長年不在にしていたとはいえ、この家の空気には懐かしさを感じたよ」
「戻ってくればいいのに。夕飯まで食べていったんだから。あたしもお父さんも兄さんに出て行ってほしいなんて思っていないんだよ」
「………それはできない。勢至姆組自体に忠誠心を持っているつもりはないが、街を彷徨っていた俺を拾い、七星である俺に役割を与えてくれたあの人への恩義を忘れることはできない」
七星とは何か、それを父と兄に聞かされ、桜子の中で、七星という一族に対しての理解が完了した段階で、父である真一郎は、事情がどうであれ、10年ぶりに実家へと戻ってきた息子に対して手料理を振る舞った。
櫻一郎にとって、父の料理というものは新鮮だった。母がいなくなってから、徐々に母の真似事のように始めたのは知っていたが、あの頃の真一郎は荒れていた。
妻を聖杯戦争で失い、いずれ自分の息子や娘も同じように魔術師としての血の因縁に巻き込まれるかもしれないと宣告されていたのだ。さまざまな事実が彼にもたらした心労は決して子供たちには理解できない辛さがあっただろう。
それから10年、目を逸らし続けてきた家で久しぶりに食べる父の手料理は、櫻一郎の記憶していた頃の、なんとも表現しがたい味に比べれば遥かに上達していた。
桜子が健やかに育った理由の一端が垣間見えた気がしたのだ。自分が七星の血を理由、あるいは見方によって言い訳に聞こえてしまうのかもしれないが、そうしてこの家から離れ、血と暴力に塗れた世界の中で生きている間に七星の家はささやかな幸せをもう一度手にするために奮闘してきたのだろう。
であればこそ、相容れない。真一郎や桜子がどう言おうとも、何を考えようとも、櫻一郎のいるべき場所は、只人の暖かさを求めるこの家にはない。
暗く淀み、誰かの不幸によって成り立つ世界の中こそが、今の櫻一郎には相応しい。
「あの人って、バーサーカーのマスターのこと? あたしは、ちょっと理解できないよ。聖杯戦争関係なく、自分のために誰かを傷つけることを選ぶ人の為に闘うなんて、兄さんの事情なんて何も知らないけれど、理解したとしても、やっぱり納得することはできないよ」
「だろうな。当たり前の常識で考えればその通りだ。だが、それを分かっていても尚、俺はあの人のことを見捨てることはできない。恩義もある、七星という血の宿命もお前以上に俺の中には根付いている」
桜子も薄々勘付いてはいるが、櫻一郎の中の七星の血は、桜子とは比べ物にならないほどに櫻一郎の精神に影響を与えている。
勢至姆組というある種の暴力的行動が許される場所にいるからこそ、明るみに出はしないものの、色濃く反映されていない桜子や、そもそも七星の血を引いていない真一郎と同じ場所に自分がいることができるとは櫻一郎には到底思えない。
ただ、櫻一郎が今の立場を捨て去ることが出来ないのはそれだけが理由ではない。
「なによりも、俺はあの人に報われて欲しいと思っている。何度も何度も泥にまみれて、血反吐を吐いて、苦しんできたことは俺が誰よりも知っている。巻き返せないと思っていたあの人の人生が変わるかもしれない機会が与えられた。
誰かを犠牲にすることが悪であると知っていてもなお、俺はあの人に幸福になってもらいたい」
「わかんないよ……」
「わからなくてもいい。それより、お前こそ本気か? 本気で母さんが叶えようとしていた願いを叶えるつもりでいるのか?」
七星の血の宿命を終わらせる、それは桜子がどれだけ願った所で叶えることができるはずがない、この世に刻まれた摂理である。連綿と受け継がれてきた血の因果を解消することが、個々人の行動によってできるはずもない。
だが、聖杯を使う事が出来れば、聖杯に願いを託すことが出来れば、それも可能になるかもしれない。母は失敗した。けれど、それを桜子が改めて願うことは何らおかしなことではない。
それは櫻一郎も理解している。どれだけ闇の世界に足を踏み込んでしまったとしても、この血の宿命が無くなるのならば、それに越したことはない。
「本気だよ。あたしはずっと、自分がどうして選ばれたのか分からなかった。選ばれたあたしはただ、周りに流されるばかりで、この街の平和を脅かす人と戦うなんて理由を見出しても、それはあたしにとって、取ってつけたような理由でしかなかった。
でも、今は違う。お母さんの遺志を継いであたしが戦うのなら、それはあたしが聖杯戦争に選ばれたことの意味に繋がる。あたしでなくちゃできないことなんだから!」
勿論、桜子はこの街を戦場へと塗り替えようとする者たちを許すつもりは一切ない。そんな相手と戦うことも、桜子が聖杯戦争を戦い抜いていくためには必要なことであると理解はしている。
ただ、どうしても、そこには桜子自身が心の底から希うような何かが存在していなかった。そこにぴたりと当てはまった以上、この願いは桜子が抱いて然るべき、他の陣営の願いを砕いてでも叶えたい願いであることの証明でもあった。
「そうか……、ならば、次に出会う時は俺とお前は敵同士だ。俺はあの人の、神丘奉の願いを叶えるために、あの人が掴む幸福のためにお前は斬る」
「それはこっちの台詞だよ。あたしは聖杯を掴んで、七星の宿命を終わらせる。そのためには兄さんが相手であっても負けない。あたしを最強の七星になることを願っていると言ってくれた奴に、勝って戦いを終わらせるためにも……、あたしは最強のマスターになって見せるよ」
「威勢だけは一人前だな」
「威勢だけなんて、すぐに言えなくしてあげるから」
言葉自体はまるで兄妹喧嘩をしているかのような口ぶりではあるが、桜子も櫻一郎もこの場でいきなり斬りかかったとしてもおかしくない状況は常に続いていたのだ。
ましてや、この聖杯戦争の中で互いに戦い続けていけば、七星の血が目覚めてしまうことがあるかもしれない。櫻一郎は七星の血をある程度は鎮めることができる。直接的に七星の血に対して必要な行為をしているだけに、ある程度の使い方を弁えている。
けれど、桜子は違う。これから目覚める側の七星だ。このまま闘い続けていけば桜子の魔力や七星としての力は格段に上昇していくだろう、これは間違いないことである。
しかし、その果てに、桜子がその力を使いこなすことができるのかどうかは、誰にも分からないことなのである。
桜子が七星としての自覚を持ち、強くなることを受け入れた以上、桜子の成長はこれから、この数日間以上に異様な速度で果たされていくことだろう。聖杯戦争における並のマスターなどでは、すぐに追いつくことが出来なくなるほどに。
よって、櫻一郎は思う。このまま聖杯戦争が続き、桜子が順調に勝ち上がってくるとすれば、いずれ激突する機会は必ず生まれるだろうと。
ただ、そこに立つ桜子が……こうして言葉を交わしている桜子と同じであるとは限らない。七星の血の呪いに負けた悪鬼がそこに立っているかもしれないのだから。
「だから、約束して兄さん。あたしが聖杯戦争に勝って、七星の呪いが無くなった時には、家に戻って来るって。お母さんはいない、兄さんがいなくなってしまった10年勘が戻ってくるわけじゃないけれど………、もう一度、やり直すって」
「………それは」
櫻一郎は桜子の告げた言葉に戸惑いを覚えた。彼女がその言葉を口にすることを考えていなかったわけではない。
桜子の胸中にあるのは常に、七星という一族がもう一度やり直すことだ。言葉の端々からでもそれは理解できるし、櫻一郎の心1つでそれを実現することはできるのだろう。
だが、そう思うには櫻一郎はあまりにも穢れた人間となってしまっている。どうしようもなく、心は既に桜子たちと同じ立場に立つことができるものではなくなってしまっている。
「桜子、貴女は―――」
ポツリと桜子の背に立つランサーが口を開いた。これまでの桜子と櫻一郎の会話に対して純粋に浮かんだ疑問を提示しようとした矢先に、まだ開かれることが無いはずであった玄関の扉が開かれた。
「えっ……?」
勢いよく開かれた扉の先にいたのは肩で息をして、今にも倒れてしまうのではないかと思うほどに顔面蒼白なノルンだった。その姿から桜子は、全身血の気が引く思いを抱く。
何が起こったのかはわからない。ただ、何かが起こったことだけは間違いなかった。ノルンはその表情に後悔と怖れ、そして今にも泣き縋ってしまいそうな不安定な表情のままに、桜子を視認すると、叫ぶように声を上げた。
「サクラコ、セレスティーナが――――バーサーカーに襲われて!!私を庇って……」
「なっ――――」
今にも泣きだしてしまいそうなノルンの反応と言葉から、間違いなくセレスの身に何かが起こったことだけは間違いないと分かった。昨日の遠坂邸での出来事が頭をよぎる。
想像したくもない出来事、セレスの身に何かが起こったなどとそんなことは絶対に考えたくもないのに、聖杯戦争という現実が、良く知る誰かの命が唐突に奪われてしまうモノであると言う理解を桜子は自覚している。
嫌という気持ちともしかしたらと思う予感が混在し、足下が崩れ落ちそうな感覚が一気に去来して来る。
「そうか、終わったか……」
「兄、さん」
けれど、その感覚に支配されるよりも、ポツリと漏らした言葉は桜子の意識を向けるには十分な意味があった。
ノルンがこの場へと現れたことに櫻一郎は一切驚きを見せていない。そう、自らが所属するバーサーカー陣営が引き起こした出来事だと言うのに、何一つ驚く素振りすら見せず、むしろ、当たり前のように反応するそれは、まるですべてを分かっていたかのような反応ですらあって……
「まさか、兄さん、全部、知って……」
「桜子、俺達は聖杯戦争をしている。我々は今宵、アサシン陣営を倒すつもりで動いていた。最大の障害はその戦闘の邪魔をされることだ。アサシンと同時に行動をしているお前たちを合流させないことは我々側からすれば当たり前のことだ」
故に櫻一郎がこの場に姿を見せた。何もかもが偶然などということがあり得るわけがない。総ては繋がっており、ただ個々人の思惑が違うと言うことに過ぎない。
桜子の表情が困惑から怒りへと変わる。しかし、櫻一郎はそれに対して謝罪をするわけでもなく、ただ漫然とノルンが硬直してしまっている玄関口へと足を進ませていく。
もはやこの場に用はない。会話をして足を止める理由も、家族の一時の団欒の時間も最早総ては必要ない。
「桜子、前にも言ったな。次に聖杯戦争で会う時にはお前は俺が必ず斬る。七星の宿命に身を委ねると言うのならば、俺は今度こそお前を容赦しない。聖杯を掴むのは俺達だ」
ただ、そう告げて、言うべきことは総て言い終わったとばかりに櫻一郎はその場から姿を消す。何かを言うべきなのだろう。裏切られたとか、騙されたとか、桜子は声を上げるべきなのかもしれないガ……、その言葉がすぐに思いつくほど、心は冷静さを保つことが出来なかった。
「ノルンちゃん……案内、お願い、できる……?」
「はい……!」
ただ、セレスの下に向かわなければならないとは思った。ノルンが口にした断片的な言葉から、何処までの状況が生まれたのかは正直に言って分からない。分からないけれども……もしかしたら間に合うかもしれない。最悪の事態だけは回避できるかもしれない。
その自分の心の中で縋るように抱いた思いを確認するために、ノルンと共に夜の闇が広がる街の中へと駆けだしていく。
どこまでも深く暗い闇、いつも自分が見ているはずの世界、知っているはずの世界なのに、今日、視界に収めるそこはどこまでもどこまでも闇が広がっているように思えるのだった。
――秋津市西側・繁華街周辺公園――
「くそがっ!!」
公園に叫び声が響く。先ほどまで獣の叫び声と血の匂いが充満していたその場所には今や一人の男と一人の女しかいない。その二人の姿も対照的だ。1人は立ったまま地団駄を踏み、地面に倒れている女は血を流しながら既にこと切れている。
この場で何が起こったのかは明白だ。女は男によって殺された。目的を達成したはずの男はここで喜びに表情を明るくさせても良いはずだと言うのに、どうしてか釈然としない表情を浮かべている。
「………なんでだよ、なんで、勝って生き残った俺じゃなくて、死んだテメェが満足そう顔をしてんだよ!!」
バーサーカーは完全にアサシンに勝っていた。マスターであるセレスに致命傷を負わせ、そのまま圧勝の空気が生まれているはずだった。
しかし、蓋を開けてみればどうであったか、アサシンはセレスの令呪によるバックアップを受けて、ギリギリまでバーサーカーを追いこみ、後、ほんの少しだけ、セレスの命の灯が残っていれば、奉はこうして言葉を口にしていることもできなかったかもしれない。
セレスはこと切れる直前にアサシンの勝利を信じたのだろうか、もしも、それが原因で満足した表情を浮かべているのだとしたら、滑稽極まりないといつもの奉であれば、笑い飛ばして然るべきであると言うのに、今の奉は全く、そんな気になることができない。
むしろ、勝利したはずの奉は自分の願いを叶えるために一歩前進したと言うのに、まったく勝利をし、高揚する気分を味わう事が出来ていない。
胸の中に疼いているのはセレスやアサシンに指摘された言葉ばかりだ。お前は大人になりきれない子供だ、お前自身が恐怖を抱いているなどと、何度も何度も言われてきた言葉は敗者の負け惜しみに過ぎない筈だと言うのに、何故かそれを嗤い飛ばすことができない。
「違う、何もわかっていないような奴が俺を分かったような口を利くんじゃねぇよ。テメェと俺は違う。お前は本物の人生を生きて満足したかもしれないが、俺の人生はこんなもんじゃない、こんな偽物じゃなかったはずだ……」
セレスの言葉をあっさりと認めることが奉に出来れば、そもそもこんなことにはならなかったのかもしれない。あるいは、その言葉を聞くことが出来ないほどまでに奉の心が堕ちきってしまったからなのか。
神丘奉とセレスティーナ・アルブレヒトはとても似通った存在だった。魔術の才能がなく、期待もされず、決して順風満帆な人生を生きてきたわけではない。
『しかし、同じような境遇でありながら、この二人の在り方は両極端だ。その理由を探すとすれば、それはやはり……触れたものの違い、暖かな感情を与えられていたのかどうかというところになるのかな』
アフラ・マズダは思う。もしも、お互いの環境が全く逆であったのならば、彼らは同じような性格、同じような行動をしただろうか。恐らくしなかっただろうと思うのだ。
『善の心を持つ者たちが集えば、人は善の方向に向かい、悪の心を持つ者たちが集えば悪へと向かう。しかし、結果は見ての通り。善と悪がぶつかり合っても、必ず善が勝利するわけではない。絶対的な善の尺度はどこにも存在しない。ならば、このアフラ・マズダが望む絶対なる善とは何であるのか……私はそれが知りたい』
アフラ・マズダは決してセレスを殺すためにこの場を用意したわけではない。むしろ、セレスが奉に勝利すれば、それは一つの絶対的な善の証明になりえたかもしれない。
人が持ち得る規範、あるいは倫理としての善によって育てられたものが同じく悪なる者によって育てられたものを駆逐すると言うのであれば、そこには理屈が、方程式が成り立つ。難解な世界の本質に答えを見出すことが出来たかもしれない。
しかし、現実はこれだ、わからない。絶対的な善を解き明かすことはまだできない。
ならば、聖杯戦争を継続していくしかないだろう。善と悪に塗れた者たちの中で、答えを見出すほかにないのだから。
『そして、君に期待をしているのも真実だとも奉。悪なるモノに育てられた悪成る者よ、善であることを捨てて悪であることを選んだ者よ。君が勝ち進んだ先に何があるのか、善を駆逐し、君が聖杯を手にすることができるのか。私はそれが知りたい』
アフラ・マズダの気配が消える。奉は拳を握りしめ、ままならぬ現実へと怒りをぶつけるように中空目掛けてその拳を振りおろし、
「いやはや、さすがはバーサーカーと我らの同盟者。目的を完璧に果たしてくれたこと、見惚れるほどの活躍であったと聞いている。朝に貴殿らの実力を見誤り、共同でなどと口にしたことが結果的に貴殿らの自信に傷をつけることになったのならば、謝罪せねばならぬな」
「久坂、テメェ……」
「アサシン討伐、感謝する。これで我々は悲願達成に大きく前進を果たした」
中空へと振るわれるはずだった拳が途中で腕を掴まれたことで止まる。それはいつの間に姿を現したのか、久坂の腕によるものであった。敵意はない、彼らは同盟者であり、奉は同盟相手の願いを叶えてアサシンを討伐したのだから。
久坂にとってはまさしく目を見張るかのような功績である。アサシンはキャスター陣営だけで倒すにはどうにも戦力が足りるかどうか怪しい存在であった。それをバーサーカー1人で倒し、あまつさえ、バーサーカーの新たな力までもを発現させた。
この先を見越すのであれば、これは大きな成果であると久坂が考えるのも理解できないことではなかった。
「勝者が何を暗い顔をしている。もっと笑いたまえよ、君は見事、己の有益性を我々に証明したのだから」
「ふん、言われるまでもねぇよ……、次はセイバーだろ」
「――――無論、明日、我らと貴殿らの力を結集し、セイバーとマスターを討つ。かの英霊は絶対的な力を持っているが、ああ、我らも奴との戦いには慣れた。貴殿らの突破力があれば、勝利も決して難しくはないだろうよ」
数にして3日、人海戦術も時間を掛ければ一つの完璧な軍を破壊するに至る。セイバー陣営との戦闘経験値をこの街の中で最も持ち合わせているのはキャスター陣営で間違いない。そこにバーサーカー陣営が加わるとなれば、決して勝利は不可能ではないだろう。
「好きにしろ。俺は俺の為に他の陣営を全て駆逐するだけだ。サーヴァントをぶっ潰したことでコイツの恐怖はさらに力を増した。ああ、そうだな、セイバーを喰らっちまえば、こいつは本当に無敵の存在になることが出来るかもしれねぇ」
皮算用などとはいえないだろう。それほどまでにバーサーカーは今も急成長を果たしている。これまでは聖杯戦争に関係ない場所での出来事であったが、此度は直接的。恐怖によるステータス上昇は大きく影響を及ぼすだろう。
(精々使い潰しているように思っていろ。必ず、お前たちの喉笛を食いちぎってやる)
(例え、恐怖で街を支配しても、帝の御言葉一つでその恐怖は消し飛ばされる。足掻くがいいバーサーカー、貴様に勝利の未来はない)
奉と久坂は心の中で互いに互いを出し抜く時を心待ちにする。セイバーを撃破した先には互いに互いを潰しあう未来があるが、そんなものは互いに迎えるモノであると分かっているから、あえて口に出さない。
その時が来るまではこうあることが最も意味があると言うだけなのだから。
次の夜―――この聖杯戦争の趨勢を決めるかもしれない戦いが来る。個の最大勢力と数の最大勢力、その激突は間もなく来る。
・・・
「セレス、さん……」
公園で倒れ込み、物言わぬ骸と化したセレスさんを見て、言葉を失ってしまう。覚悟は出来ていた、ノルンちゃんが来た時点で、間に合うかどうかは怪しいと言う気持ちは確かにあった。だけど、こうして自分の目でその姿を見ると、分かっていたはずなのに、涙があふれ出てきてしまう。
「ミス・セレスティーナは……サクラコに頼れ、と……貴女ならば、必ず、バーサーカーを倒すことができるからと……」
セレスさんの姿はある。だけど、アサシンさんの姿は何処にもない。サーヴァントは魔力の集合体であり、マスターの魔力供給が無ければ消滅するしかない。それは知識としては知っているつもりだったけど、やっぱりそれを理解してしまうような状況に晒されてしまっていることがどうしようもなく悲しかった。
「セレスさん、ごめんなさい。あたしがもっと早く……ううん、セレスさんに言うべきことはそういうことじゃない」
ノルンちゃんから聞かされた。セレスさんはバーサーカーの真名を当てて、バーサーカーを追い詰めた。ノルンちゃんを助けて重傷を負っても、最後までバーサーカーを倒すことを諦めなかった。
たぶん、倒すことは出来なかったんだと思う。兄さんはそれを見越して、あたしの足止めをしていたと言う事もあったのだろうから。
でも、それなら……あたしが言うべきことは一つしかないと思う。
「セレスさん、セレスさんが残してくれたもの、絶対に無駄にはしません。あたしが必ずバーサーカーは斃します。だから……それを見守っていてください」
いつまでも泣いていたら、それこそセレスさんに呆れられちゃう。あたしは託されたんだから、バーサーカーを倒して、そしてあたしは聖杯を掴む。
「今までありがとうございました、セレスさんがいてくれたから、あたしは今日まで戦ってこれた。でも、安心してください。今日からはあたし自身の力で戦って見せます。勝って見せますから!」
何度も何度も助けられた。心の支えになってくれた。いなくなってしまったことを嘆いていても何も変わらない。あたしは戦いつづけなければならない。自分の為に、家族の為に、そしていなくなっていった人の為に、背負うものが増えたのだから、今度はそれを支えにしていかないといけないんだ。
「桜子……」
ポツリとマルテルさんが呟いた。それはあたしの言葉に追従するとかそういう感じではなく、むしろ、疑問を口にするような声で―――
「あなたは、何故――やり直したいと思わないのですか?」
「え………?」
決定的なあたしたちの間にある願いに対しての考え方の相違を浮き彫りにした。
互いに気づいていなかった、どこまでも、どうしようもなく埋め合わせることができない事実への向きあい方。
思えばこの時から、あたしたちが迎える結末は決まっていたのかもしれない。
第五夜『Beast Night』終了―――聖杯戦争終結まで、あと5日
残る陣営は―――あと6つ
―――次回予告―――
「15年前の時と同じだ、ロイ・エーデルフェルト、今宵、お前たちは再び、七星の前に敗北を喫する。桜子とお前が戦うことはない。お前を斬るのはこの俺だ」
「笑わせるな、七星櫻一郎。妹を泣かせるような兄は三流だ。お前に負ける道理はないし、俺が待ち望んでいるのは桜子との決戦だ。お前じゃない」
「私達、アインツベルンは七星桜子に全面的に協力をします。どうか、ミス・セレスティーナの仇を。そして、聖杯戦争の勝利者となってください」
「なんだよ、円華。今日は随分と積極的じゃないか。お前もようやく俺様の魅力に気づいたのか?」
「さようなら、エルナン・コルテス。忘れたの? 私は最初からおまえを殺すつもりでいたことを。なら、その過程はなんであろうと構わないじゃない」
「さぁ、戦おう蓮司君。君とあたしの、ランサー陣営とアーチャー陣営の決着をつけるために、聖杯戦争を始めよう」
「ふざけるなよ!! 君に何が分かるんだ、魔術に目覚めて数日で、僕と並び立つかもしれないような奴に僕の努力の何が分かる!! 知ったような口を利くなよ、お前なんかに、僕と父さんの時間が負けるはずがないだろう!!」
「遠坂蓮司は強いだなんてこと、当たり前に分かっている。だからこそ、こんなものじゃないでしょ、君は! 全力の君に勝たなくちゃ意味がないんだ!!」
―――第六夜「Duel night」