――秋津市西側・繁華街・勢至姆組事務所――
「おい、本当なのかよ。その組長が……若頭に」
「おい、めったなことを口にするもんじゃねぇ! 組長は遠坂と繋がっていた。その責任とって自分で命を絶った。若頭はそういう風に説明していただろうが!」
秋津市に存在する三大勢力……いや、その表現は既に現在では適切ではないのかもしれない。正しくは、かつては存在していた三つの勢力という表現の方が正しいのかもしれない。
遠坂、勢至姆組、唯一神理教、秋津市という街の裏側で水面下の対立を続けていた三つの勢力は現在、そのどれもがかつての隆盛に陰りを見せ始めていた。
それぞれの代表であった煉、唯一、典嗣の三人が凶弾に倒れ、どの組織もまともに統制が果たせなくなってしまっている。
魔術師一家という個人単位の存在であった遠坂は煉の非業の死により、本来であれば後継者になるはずであった蓮司が機能を停止し、唯一神理教はいまや久坂の大願を叶えるための魔力を供給するための生贄に近い扱いを受けている。
そして、もう一つ、勢至姆組の情勢はそれに輪を掛けて危うい橋の上を渡っているに等しかった。何せ、組長である典嗣を殺したのは現在、勢至姆組を統括している奉なのである。
他ならぬ若頭が自らの組の主を殺し、下剋上を果たしたともいえる状況の中で混乱が生まれない筈がない。
もしも、奉が何らかの正当性を以て、典嗣を殺めたというのであれば、組織が大きく揺れ動くことがあっても、自浄作用によって、この混乱を一時的にでも鎮めるために団結をすることが出来たかもしれない。
しかし、奉の行動は何処までも突発的だ。典嗣が遠坂と繋がっていたと言う一応の理由自体は存在するものの、それはあくまでも奉がそのように解釈して、殺したと言う動機に過ぎない。
物的な証拠が何か出てくるわけでもなく、かといって、取引相手であった遠坂煉も既に命を落としている状況。今となっては証明しようがない正しくもあり誤りでもある大義名分となっていた。
そうした事情がある以上、組員たちも身の振り方というモノを考える。典嗣が正しかったのか間違っていたのかは別として、奉が組の長を殺したことは間違いない。
それは堅気の世界ではない、自分たち極道の世界においても、許されざる大罪だ。杯を交わした間柄の相手に武器をつきつけ、あまつさえ大恩がある典嗣を殺したとあれば、本来、奉は罰せざるを得ない立場にあると言っても過言ではない。
それが行われないのはひとえにバーサーカーと七星櫻一郎の存在である。奉が抱え込んでいるこの強力な手札が存在する限り、下手に奉を拘束、あるいは報復しようとしても返り討ちにあるのは間違いない。
だから、組員たちは典嗣が遠坂と通じていたと言う本当かどうかも分からない情報を正しいモノであると呑み込むしかない。呑み込まずに疑い続けていれば、次に後を追うのは自分かもしれないのだから。
所詮は砂上の楼閣、混乱した状況の中で、暴力によって簒奪された長という冠はいずれは崩壊するものであることは誰の目にも明らかなことであった。
その瞬間を待ち望む者、奉の支配の中で甘い汁を吸う方向へと考えを変え始める者、何を信じればいいのかわからない者、多くの不穏な要素を抱えながらも勢至姆組が止まることだけはない。
典嗣を殺してしまったあの時から、既に奉に止まると言う選択肢は存在しえなくなってしまったのだから。
「やはり、組内部での混乱を完全に治めるのは難しいですね」
「いっそのこと、粛清されてはどうか? 一人や二人でも血祭りに上げてしまえば、連中も黙るでしょう。動ける駒は多ければ多いに越したことはない。私であればそう動きますが」
かつて、典嗣が自分の私室として使っていた場所、いまもなお典嗣の末期の匂いが染みついた場所で組長の椅子に座った奉とその前の応接スペースに座る櫻一郎とキャスター側の連絡役としてここにいる清河八郎。
彼らの耳にも勢至姆組が揺れ動いていることは十分に伝わっている。人の口を閉ざすことは出来ず、耳を塞ぐことはできない。彼らからすれば奉に伝わることを避けてはいるのだろうが、どこの世界にも密告をする者は必ずいる。
「構いはしねぇよ。好きに言わせておけばいい。吼えるだけならば誰にでもできる。噛みついてきたとなれば、相応の相手をしてやるが……そこまでの気概があるのなら既にやっている。なら、放っておいても問題はないだろ、結局は俺に従うしかないんだ」
勢至姆組という組織の中に最早味方となる人間は櫻一郎を置いて他にはいないと奉は思っている。理由がどうであれ、組長を殺した奉に従う者などいるはずもなく、彼らがバーサーカーと櫻一郎という圧倒的な暴力を前にして従っていることは分かりきっている。
しかし、奉からすれば勢至姆組のことなど最早どうでもいいのだ。結局は暴力で従わせているだけの存在など気にも留めるつもりはない。
最初からそうだった、自分にとって大事であったのは、自分を拾ってくれた典嗣と忠誠を誓った櫻一郎だけであり、他の連中がどうなろうがまったく心に何も湧いてこないのだから。
(聖杯戦争に勝つことが出来れば、俺は今度こそ本物の人生を取り戻すことができる。そうすりゃ、ここにいる連中との関係もきれいさっぱり無くなっちまうさ。そうさ、どうでもいい。こんな世界、こんな人生どうにでもなっちまえばいいんだ)
典嗣に言われた言葉も、セレスに指摘されたことも、すべてすべて、偽物の人生だからこそ生まれてしまったことだ。産まれたその瞬間から間違っていたのだから、奉がどう頑張ったところで拭い去ることなど出来ない。
(必死に足搔くのにはもう疲れた……、全部やり直す。そうすれば、今度こそは「本物」を手にすることができる……)
人の身に余る栄光や名誉なんてものを奉は必要としていない。ただ、己が満足できるだけの平穏と幸福が欲しい。たったそれだけなのだ。たったそれだけを必要としているだけなのに、奉の前にはあまりにも障害が多すぎる。
であればこそ、すべて、総てぶち壊すしかない。まずは今宵……、昨日のアサシン同様にセイバーを脱落させる。久坂や目の前の清河たちの事が何処まで信用できるのかはわからないが……、総て潰す事には何ら変わりはない。
(オヤジ、あんたの言う通りだ。俺は暴力でしか物事を解決できない。だが、暴力でしか解決できないことだって世界にはあるんだ。俺は今の俺を否定しない。こんな俺を生んでしまった世界なら、ぶっ壊しちまってもいいだろう?)
心の中で問うその言葉に答える者は誰もいない。所詮は奉自身が心の中で思い描いている都合のいい答えが返ってきてほしいと言うだけの願望でしかない。
そんなものは分かっている。誰に言われなくても自分が一番よく分かっている。だが、あと数日、たった数日、短い時間であると分かっていても、縋る物が無ければ、その時間すら耐えられそうにないことの無自覚の証明でもあった。
――秋津市北部・唯一神理教総本山――
「帝よ、まもなくです。まもなく、我らの大願、異国の民どもの攘夷、そしてケガレを払い、真なる日本国の再生が果たされる時がやってきます」
「久坂よ、大儀である。朕はそなたの采配を高く評価する。見事、攘夷を完遂せよ。この国はケガレに染まり、我が民たちは脆弱なる者たちへと変わり果ててしまった。しかし、だからといって、この国の民たちが愚かであるわけではない。
すべてはケガレ、この国を惑わし、堕落へと導く、古より我らの民を脅かしてきたケガレこそが根源なのだ。久坂よ、朕は民たちを救いたい」
「無論、私も同じ気持ちであります。こうして、帝と心を一つにして、攘夷へと向かっていくことができる。おそらく、かつての私の生とはこの時のためにあったのでしょう」
「朕とそなたが争ったことにもすべからく意味があったと?」
「でなくば、神であらせられる帝が、過ちを犯すはずもなく。我らがあの日に決裂したも全ては、時が円熟していなかったからでありましょう。
ですが、今は違う。神たる帝は帝のまま、神のごとき力を発せられている。私が思い描いていた絵図に辿り着く者は誰一人としていない。であれば……あと1日、必ずや帝に勝利を献上いたして見せましょう」
「できることであれば、鷹司にもその光景を見せてやりたかった所ではあるが」
「鷹司殿は最後まで帝の身を案じておられました。帝を襲う凶賊より帝を守るために、我らが民を救うためにその身を粉にした結果であります。どうか、この場に参じなかったことをお許しいただきたい」
「良い、この地に再び朕とそなたを呼び出したこと、それを以て最大の奉公とする。鷹司に報いるためにも我らは攘夷を完遂せねばならぬ」
「御意に」
唯一神理教総本山本殿――既に本来の主を失った形だけの空間の御簾の先にいまだに帝、キャスターは存在していた。
久坂玄瑞と二人で一人のサーヴァントである彼らは、同じ存在であるにもかかわらず、さながら、主と従者であるかのように会話を続けていく。
客観的に見ればあまりにもおかしな行動であると言うばかりではあるが、これこそが彼らの望んだ姿なのだ。同じ存在でありながら、別個の存在として主と従者、帝と志士、そうした役割に自分たちを嵌めこんでいることこそが、彼らの本領を最大限に発揮することができるのだ。
帝に平伏し、鷹司唯一への心にもない言葉を口にしながらも、帝への忠誠は変わらない。かつての帝よりも、久坂に寄り添った心持ちへと変わっていることが関係性の前提であったとしても、それを以て強固な繋がりが出来ているのであればそれで問題が無いとそれぞれが解釈している。
彼らは攘夷の意思そのもの。攘夷を果たすために相応しき存在へと自分たちを変えているだけなのだから。
「では、一度、お暇をさせていただきます。まだ、成さねばならぬ役目がありますゆえ」
「構わん、励むが良いぞ」
平伏していた頭を上げて、久坂は本殿より足を進ませる。宿願はもう間もなく果たされる。自分が望んだ帝と共に果たす攘夷はすぐそこにまで近づいている。
(聖杯に向ける願いはあくまでも攘夷の足がかり。我ら自身で攘夷を果たさねば真の攘夷が為されたとは言えぬ。帝の御言葉により、民の心を一つとし、聖杯の力によって帝の身を真にこの世に浮上させる。そこまでをして、我らはようやく攘夷へと踏み込むことができる)
現状を久坂はサーヴァントの身として把握している。あくまでも仮初の存在に過ぎない今の自分たちでは如何に願いを果たしたとしてもその続きが進まない。ただ攘夷を果たすだけでは満足できないのだ。帝が支配する千年王国にこそ意味があると考えるのならば、異国人たちを排斥するだけでは終わらない。
「全員揃っているか?」
「ええ。久坂様、お待ちしておりました。四剣士の方々、皆、既に揃っております」
本殿から外へ出て、総本山の敷地へと足を運んだ久坂が話しかけた先には、巫女服に身を包み、薙刀をその手に握った女性の姿がある。長い髪を首筋当たりの所で一本に纏め、口元に結ばれた紫色のチークや妖艶に映るアイシャドウは、普段の彼女と現在の彼女が明確に異なっていることの意思表示であるかのように見えた。
現在のキャスターのマスターである一宮梓沙、本来であれば唯一神理教と敵対する神祇省のエージェントであるはずの彼女は今や久坂の忠実な補佐官として、彼の野望を成就させるために行動している。
久坂の願いである攘夷完遂を果たす事こそが、ひいては日本の未来に繋がる。そのように誤認をしている彼女は明確に心の底から久坂へと全幅の信頼を寄せている。
例え、誰が説得の言葉を口にしたところで心変わりが起こることはありえないだろう。帝の言葉とはそれほどまでに日本人の心に深く深く結びついているのだから。
そんな優秀な補佐官と共に佇むは四人の剣士たちであった。その四人こそが久坂が求めていた相手である。
岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛、河上彦斎―――後の時代に幕末四剣士と呼ばれた人斬りたち。久坂や壬生浪士隊たちと共に幕末京都の歴史に名を残した志士の中でも最上位に位置する者たちであった。
「久坂さん、わざわざ僕たちを名指しで呼び出した理由はつまらない人斬りをさせるためではないんでしょう?」
「無論だ、貴殿ら四人には今宵、バーサーカーと協力をし、セイバーを討つためにその身を粉にしてもらいたい」
「へぇ、それはまた……」
河上の表情が歪む。柔和な笑みを浮かべていたはずの表情は、さながら肉食動物が獲物に狙いを定めたかのように細く、身震えするような冷たい空気を纏っていた。
他の三人も同様である。既に此処までの数日間で、セイバーという英霊が無数の志士たちが動員され、戦闘を仕掛けたとしても、それら全てが蹴散らされているという情報自体は与えられている。
直接的に戦闘を仕掛けたことのある河上ほど情報の鮮度は明らかでなかったとしても、久坂が自分たちを集めた理由への察しくらいは既についていた。
「そりゃぁ、つまり、儂ら全員でセイバー潰せっちゅう話かい、久坂よぉ」
「簡単に言えばその通りだ。貴殿ら四人とバーサーカー、それら全てが揃ってようやく対等になりえる。私の見立てではそれほどまでの相手であると考えてもらっていいだろう」
「ふん、笑えん話しや、おい達が束で掛からなければ勝てんとゆてな」
「実際、そうふざけた話でもないと思いますよ、田中さん。セイバーは凄まじい。直接戦った僕にはわかります、あれは単騎であろうと軍勢相手であろうと構わずに総てを粉砕する嵐のような存在だ。久坂さんの見立ては決して間違ってはいない。僕だけで戦ったとしても、あれには勝てないでしょう」
久坂に対しては反発心めいたものを浮かべている田中であったが、直接にセイバーと刃を結んだ河上の言葉には頷かざるを得なかった。
心情的なものがどうであれ、彼らはお互いを尋常ならざる腕前の剣士たちであると認めている。その者の1人が単独では勝てないと恥を捨ててはっきりと口にしたことで、いまだ対峙したことが無い戦士がどれほどの凄絶さを併せ持っているのかを理解したのだろう。
そうした力量差を見誤らないこともまた彼らが歴史に名を残した一助である。
「私の提案は受け入れてもらえるかな?」
「仕方あるまい」
「それが帝の御心であるのならば」
「攘夷完遂。貴様らと我らを繋げるはそこだけじゃろうて」
「ああ、楽しみですね。あの嵐のような暴威ともう一度戦うことができるなんて」
「では、先ほども話したようにバーサーカー陣営と共同の下に、セイバーを下したまえ。梓沙、君は私と共に行動を。既に前回の襲撃から2日が経過している。どの陣営が動くにしてもそろそろ嗅ぎつけてきても遅くはない頃合だろう」
「私は久坂様の護衛に徹すればよろしいですか」
「そうだ、何が来たとしても最低限の対処ができるように構えておくとしよう。何、種は何処に対しても向けてある。我らの勝利は揺るぎはしない」
そう、もはや久坂の見立て通りに進むのであれば覆しようがないほどに状況は進んでいる。久坂達がその本性を現してから既に24時間以上が経過しているのだ。布石を打つには十分すぎる時間であり、もはや盤面は久坂の思う通りに仕上がった。
あと少しである。後ほんの少しで、総ては久坂の思うままに終わりを迎える。他陣営にとって残された時間は彼らが想像しているよりもあまりにも短い。
そう、事態とは誰の目にも気づかれないままに着々と進行しているモノである。
秋津市が街としてシンボルに掲げる観光資源である電波塔、その内部で静かに、静かに陰謀はその完遂へと近づきつつあるのだから。
――秋津市中央部・電波塔――
「これでほとんどの設備は稼働当時の状況へと持っていくことが出来た」
「テストは必要でしょうが、他の電波塔に電波を送ることは可能だと考えられます」
「ご苦労。急な仕事にもかかわらず、キミたちには世話を掛けた。後に神祇省から、会社に報酬が振り込まれるはずだ」
「これだけの突貫工事、しかも、市民の邪魔にならないようにと、ほとんど夜間に行われてきたんだ。報酬にも相当色を付けてもらえるんでしょうね」
「無論、そこは抜かりがないとも。君たちは我々の求めていた結果を出してくれたのだから、相応の報酬を支払うことは当たり前のことだとも。今後も政府の御用達として、付き合ってもらえるとありがたいよ」
電波塔内部、数日前より、設備点検の名目で関係者以外立ち入り禁止になっていた区画の中で、設備工事を行っていた業者と行政側の担当たちが立ちあいを行っていた。
目的は言うまでもなく、この秋津市に電波塔が完成した頃の機能を取り戻すこと。すなわち、現在は街のシンボルとしての機能を保っているだけである観光資源を完成当初のように、電波を他の電波塔へと送信し、電波を受信することができる機能を復活させることである。
既に計画から数えて14日間、突貫工事にて行われた電波塔内部の設備作業はいよいよ最終段階を迎え、後は電波を発することができるかどうかのテストを実施するだけとなった。
「しかし、政府と行政も変なことを考えますね。今だってシンボルタワーとして十分な意味合いがあるはずでしょうに。今更この電波塔の機能を回復する意味なんてあるもんですかね?」
「元々は、秋津市側からの働き掛けで、観光イベントとしての目論みがあったそうだよ。いかに、シンボルタワーと言えども、ただ、そこに存在しているだけではいつかは飽きられてしまう。だから、電波塔としての機能を回復させて集客を図ると言う目的であったらしい」
行政の担当は自分たちの事であるのに、まるで他人事のように言い放った。発注を受けた業者側もよくわからないという素振りを見せる。
「キミたちもニュースで聞いているし、実際に街で噂は聞いているだろう。例の動画事件だよ。最近の秋津市は日本全国から心霊スポット扱いだ。そうでなくても実際に猟奇事件が引き起こされていて、市民から治安の問題の問い合わせが多く来ている。
ようは人気取りさ。この電波塔の復活で少しでも市民のガス抜きをさせたい、そういう思いもあって完成を急がせたのさ。報酬に色を付ける理由もこれで理解はできたかな」
「ああ、そういう……。実際にやらされる側も大変だが、相手をさせられるあなたたちも大変ですね」
「仕事ですからね、文句は言えません。ただ、問題なく設備を使う事が出来そうで、こちらとしても安心しました。随分と突貫だったと言うのに、頭が下がりますよ」
「この街でも下働きをする人間を数多く募集しましたからね。現地募集だっただけに統制を取るのも大変でしたが、贅沢は言っていられませんね」
「ただ、一つだけ先に説明しておかなければなりません。設備自体はかろうじて使用可能な状態にはしました。おそらく、稼働自体は問題なく可能でしょう。ですが、設備自体の老朽化だけはどうにも避けられない」
「つまり、何が言いたいのだね」
「確実に電波を発することができるのは出来て2~3回程度ということです。テストを含めれば、実質的には2回がいいところではないでしょうか」
設備の改修を行った業者の説明に対して、担当の表情が渋くなる。多くの資金を使っておきながら、満足に使用に耐えられないとなれば、話しは違ってくる。
「なんとかならないのかね?」
「この期間と設備では何とも。問題を解消するとなれば、電波塔を封鎖して、大々的な改修を、時間を掛けて行うほかありません」
「…………わかった。出来ることとできないことがあるのは仕方がないことだ。2回程度であれば問題はないのだな」
「ええ、そこについては自信を持って!」
「了解しました。もしも、その大改修の時があるようであれば、またよろしくお願いします」
担当が頭を下げる。ぷーんと羽音が聴こえた。チラリと見れば、蟲が飛んでいた。何処かから入ってきたのだろうか、しかし、所詮は蟲である。
すぐに気を止めることもなく担当の意識はこれから行われるであろう電波塔を使った大々的なイベントのことに気が向いていた。
(確か、テストは明日の夜……、ああ、そうだ。その時に――――我らが帝の御言葉が届けられるのだ。そうなれば、この街を恐ろしく思う者もいなくなるはずだ。そうすれば、この電波塔を改修した意味も……)
彼は気付かない。自分の意志が既に歪められていることを。唯一神理教の信者によって送り届けられた書状に記載された内容に従って、自分が動いていることを。
既に、彼の周囲にいる者たちの誰もが本来の電波塔の目的を忘れて、ただ一つの命令を実行するために動いていることに全く気付いていない。
そして、周りの人間たちも気づかない。彼らは不審な行動などとっていないのだ。唯一神理教の総本山に向かった訳でもなく、届けられた書状を読み、読んだ誰もがそれを当たり前に感じて、日常の中で行動をしている。
不審なことなど何もないままに、意識だけがすり替えられている。高尚な意思も確固たる意志も関係ない。すべてが気づいた時には塗り替えられている。
秋津市の中にいる人間たちのどれほどの人間がこのように変わっているのかもわからない。ある日、隣人が突然訪ねて来た時には既に相手はキャスター陣営の虜になっているかもしれないのだ。バーサーカー陣営のような直接的な恐怖の裏に潜みながら、水面下でこの街の中にどれほど、彼らの毒牙が浸透しているのかなど、もはや誰にも分からない。
久坂の宝具である書状というアナログな手段ですらもこれなのだ。であれば、電波塔を使った放送をすれば、どうなるのかなど火を見るよりも明らかであろう。
(たった2回……、何の問題もない。たった1度でも帝の言葉を聞けば、それで誰もが理解をする。己は帝の民であることを。帝の民であれば、何を為さねばならぬのかを……)
決行は明日―――世界は変わる。あるべき姿へと変わっていく。
――秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
『やはり電波塔の動きがキナ臭いですなぁ。今更、電波塔の改修などしたところで、観光資源としての価値など、果たしてどれ程のモノがあるのか』
「そうねぇ。むしろ、こんな混乱した情勢の中で、電波塔で人々の心を取り戻すなんて、恐怖に晒されている住民たちからしたら、何を馬鹿なことを考えているのかって感じよねぇ」
『しかし、逆に言えば、怪しさを感じるだけでもあります。各陣営の関係者が姿を見せたわけでもなく、陣営の利になるような行動を取っているわけでもない。ただ、聖杯戦争と時期が被ったと言うだけの話しでもありますが』
「だが、爺。テメェはそれで何か怪しさを感じたから、蟲を使って情報収集しているんだろ。勿体ぶっているんじゃねぇよ。持っている情報は全部吐きだせ。ここまでくりゃ、一蓮托生だろうが」
コルテス麾下の者たちにとっての一大拠点として既に一週間が経過しようとしている地下クラブにて、クラブの店長とコルテス、そして円華。その中央に羽音を立てながら飛んでいるのがマキリが愛用している蟲である。
その絵面が出来ているのは言うまでもなく、マキリの蟲による情報収集の結果である。キャスター陣営への有効な手立てを考察するうえでは、これまでに手に入れていない情報を手にすることが必要不可欠ではあるが、既に久坂はコルテスと円華のことを警戒しているし、この地下クラブに出入りしている者たちが彼らの麾下であることも既に知られてしまっている。
であれば、コルテスたちが未だ知られていない情報収集の手段は一つしかない。
『気になったことと言えば、この街の中で行われている戦闘の状況ですな』
「戦闘の状況、それが何か意味があるのかしら?」
『直接的な意味合いはあまりないかもしれませんが、あくまでも考察の一つです。コルテス殿、戦闘が行われる箇所とはどんな場所であると思いますか』
「普通に考えれば、両者にとって必要性に迫られた場所だろうな。位置取り、そして戦うことの優位性が取れる場所、あるいは奪われたくない場所。優れた戦術家になればなるほど、そうした場所を選んでいくもんだ」
『ええ。そこで私が着目したのは、一昨日、コルテス殿たちがキャスター陣営と戦闘を繰り広げている際に行われていた他の場所での戦闘です。あの日、キャスター陣営はコルテス殿と遠坂の同盟に対抗するために力の多くを注いでおりました。それはコルテス殿が一番よく理解しているでしょう』
「ああ、そうなるように仕向けていたからな」
『ええ。ですが、実は彼らの本拠地とコルテス殿たちとの戦い、それ以外にもう一つ、戦いが行われていた場所があります。それが電波塔の周辺、そこに集ったキャスター陣営を相手にセイバー陣営が戦闘を仕掛けました』
「キャスターが、ではなく、セイバー側が仕掛けたのか」
『ええ、何か引っかかる物がありますかな?』
「……異国人大嫌いな奴らなら、あの兄妹を襲撃するのは間違いない。しかし、そうじゃなく、電波塔にいたってことは、セイバー陣営が目的じゃなかったわけだな。なら、何が目的だ。電波塔、か……?」
しかし、それならそれで不思議でならない。電波塔などキャスター陣営が踏み込んだところで何の意味もない。拠点にしたところであのような場所は逃げ場を他に得ることが出来ずに全く役に立たない場所だ。意味がない。
(となれば、その意味は何だ……? 爺が意味があるかのように言っているだけで考えすぎか……? いや、キャスター陣営を操っているあの久坂って奴は相当な曲者だ。俺様たちをあしらって、アーチャー陣営に致命傷まで与えた。奴が何もしない筈がない)
コルテスから見ても、キャスター陣営の手並みは実に見事だった。あれが偶然の産物であるはずもなく、久坂が何かを目論んでいるのは間違いない。
(ああ、そうだ。そもそも、連中はどのようにして聖杯戦争を勝つつもりでいる? このまま騙し討ちを続けるつもりか? いや、そんな簡単な話しじゃないだろ、種が割れればイチコロだ。俺様たちが何を伝聞しているのかもわからない状況でそれに頼るのはリスクが高すぎる。だとすれば何か他に目論んでいることがあるはずだ)
電波塔と何処まで関係があるのかは不明だが、コルテスはどうにも、キャスター陣営がこの聖杯戦争をどのようにして勝ち抜こうとしているのかが分からなかった。
彼らは強い。しかし、その強さはあくまでも戦略的な強さだ。種が割れるまでは強いだろうが、種が割れてしまえば対策出来ないわけではない。対策ならばいくらでも立てる気になれば立てられるだろう。それこそ数を揃えて攻めれば一巻の終わりだ。
(ならば、電波塔に何かあると思われるが……、わからんな。これまでまったく想定していなかっただけに、わからんな。これなら、むしろ、本人を締め上げた方が早いかもしれんな)
いずれ、ぶつかることが分かっており、手の内も分かっているのならば、いい加減攻めるべきかもしれない。時間を掛ければ彼らが何らかの手を出してくる可能性は十二分にあり得る。
「爺、電波塔のテストは明日だとか言っていたか?」
『ええ、明日の夜に決行すると』
「ふん、なら、やはり今日だな」
もしも、電波塔がキャスター陣営と何か関わりあるとしても、今日のうちに決着をつけてしまえばすべては水泡に帰す。
そうだ、そうしよう。そうするべきだ。そのように考えた矢先、コルテスの身体に円華が腕を寄せてきた。
「ねぇ、コルテス。考え事は終わった……?」
「ん? どうしたんだよ、円華。まさか、俺様を誘っているつもりか?」
コルテスは軽口を叩きながら、無造作に円華の背中越しに手を這わせ、密着している腕とは反対側の胸に無遠慮に触れる。そのまま当たり前のように胸に這わせた手で、その手に収まるかどうかという円華の胸を揉みしだくが、円華はそれに反論する素振りも、拒絶する素振りも見せない。
「…………、おい、円華、お前―――」
「言わなければわからない?」
それどころか、少し頬を上ずりさせたその様子は、まるで恋人に対しておねだりをするような女性の……いいや、牝の表情そのものであるようにしか見えなかった。
最初は呆気にとられていたコルテスであったが、すぐにその反応は笑みへと変わり、部屋全体に響くような笑い声が発せられる。
「くくく、あっはははははは、そうかそうか。よぅく分かった。なるほど、円華。お前もようやく俺様の素晴らしさが分かったと言うことか。いいや、疑って悪かった。むしろ、そうなって然るべきだ。いいぜ、期待に応えてやる。奴らに手を出すのはお前を満足させてからだ!」
これまででも見たことがないほどに上機嫌なコルテスは円華の腰に手を這わせて、立ち上がると同時に彼女を抱き上げて、お姫様抱っこの姿勢のまま、地下クラブの一室に作らせた自分の寝室へと足を運ばせていく。
勿論、そこで何をするのかなど言うまでもないことだろう。想いあう男女が寝室に向かってすることなど一つしかないのだから。
「妙ね……」
ただ、その様子を第三者として見ている地下クラブの店長はどうにも不思議でならなかった。円華があれほど積極的にコルテスを誘うなど、これまでの彼女を見てきた身として想像することができない。
人の感情など簡単に移り変わって然るべきもの、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、簡単にコルテスに屈しない心持ちこそが、コルテスが円華を好んでいる理由だったはずだが……。
何かが少しずつ変化している。歯車が徐々にズレてきているような感覚、しかし、その原因が何であるのかをその場の誰もが見出すことはできない。