――秋津市東側・住宅街。遠坂邸――
『覚えておきなさい、蓮司。お前は遠坂の魔術師だ。いずれ、私の後継となり、この街を管理する者となる。それを常に忘れることなく、日々を過ごしなさい、いいね?』
幼いころから、忘れることなどないというほどにその言葉を聞かされてきた。
僕にとっての運命は、生まれたその瞬間から定められているのだと理解させられた。
遠坂蓮司は、遠坂煉に望まれて生まれ、遠坂煉の背を追いかけて、いずれ遠坂煉と同じように当主を任される存在へとなる。いいや、成る必要がある。
それが僕の定められたレールであり、人生なのだと成長を続けていく中で否応なく理解させられた。
遠坂の家系は、秋津の街で魔術師同士の諍いが引き起こされるのを防ぎ、裏側からこの街を管理している一族、いずれ遠坂の後継者として家を継ぐために、当主という名に相応しい人間となるための英才教育を受け続けてきた。
『これは遠坂の家に生まれてきた者の宿命だ。お前は息子であると同時に、私の後継者だ。連綿と受け継がれてきた遠坂の魔術刻印を受け継いでいかなければならない。いずれ我らが根源へと辿り着くために。辛いこともあるだろうが、どうか受け入れてほしい』
生まれた時から言われてきたのだから、特段それを嫌と思うことはなかった。
それが自分の人生にとっての当たり前であると思っていたし、魔術を覚える過程には苦労もあれば嫌なこともあった。
だけど、出来ないことが一つ一つ出来るようになっていく過程は楽しかった。何よりも遠坂の魔術師としての父を僕は素直に尊敬していた。
常に優雅にそして一片の淀みもなく魔術を行使するその姿、秋津の管理者として表の世界にも裏の世界にも顔が利き、決して表舞台に出ることはないけれど、多くの人々から慕われ、頼りにされている父は僕にとって紛れもなく尊敬すべき相手だった。
この人に一歩でも近づくために、胸を張って後継者であると言い張れるように精進しよう。その気持ちは時を経て成長しても変わることはない。周りの同年代の子たちが、日々の楽しみに時間を費やしている時にも、まずは遠坂の魔術師であることが優先される。
『蓮司、今のお前に私はどのように見える?』
『父様は素晴らしい魔術師です。あらゆる魔術を使いこなし、魔術師としての研鑽をつむことを止めない、父様と同じ当主になることができるのか正直、不安に思ってしまいます』
魔術を学べば学ぶほどに、遠坂煉という目標があまりにも遠い存在であるように思えて仕方が無かった。何も知らずに、ただ自分の出来ることを増やし続ける段階において、人は誰でも天狗になる。ある種の万能感のようなものを覚え、世界の中で自分が最も優れた存在であるように思えてしまうのだ。
しかし、その時期を通り過ぎれば、次は苦難と忍耐の時間がやってくる。偉大な父に追いつこうとしても全く追いつくことができない。
むしろ、難解さを理解すればするほどに、絶望の度合いは深まっていくばかりだ。果たして10数年後、自分は父と同じ場所にまで立つことができるのだろうか、不安は押し寄せて来るばかりだった。
『お前の目から見た私はそのように映るのか。面映ゆいな。蓮司、お前には信じられないかもしれないが、私もお前と同じくらいの年代の頃には先代である父に期待外れなどと言われたものだ』
『父様が……!?』
『大した才能などなかったのだ、むしろ、お前の方があると思うくらいだよ。しかし、いずれは遠坂の後継者となることは間違いない。選択権など何処にもないのだから、必死に食らいついてきた。人よりも何倍も何十倍も研鑽を重ねて……、そしてようやく今に至る』
『信じられません、父様はなんでもそつなくこなすことができる方であると思っていました』
『私などその程度だ。お前がそう思う事が出来ていたのなら、それは私が望むような遠坂の当主になることが出来たと言うことだろう。ならば、この研鑽の先にお前も必ず至ることができる。お前も遠坂に名を連ねた魔術師の1人なのだから』
そう言って父さんは僕の背を押してくれた。ただ、それがそのまま僕にとっての希望であったわけではない。父さんが必死に努力を重ねて今の姿になることが出来たのなら、それは研鑽を積む努力をすることができるだけの才覚があったからだろう。
自分が同じ環境、同じ立場としてそこに至ることができるのかはわからない。できないのではないかという不安は明確に存在している。
それでも、遠坂煉という先達は遠坂蓮司にとって明確な目標だった。超えるべき相手であり、追いつきたい背中であり、誰よりも尊敬する魔術の師であった。
きっと、周りから見れば、僕と父さんの関係は歪に見えただろう。何の見返りもなく愛情が注がれてきたわけではない、
遠坂の後継者として父さんが求める成果、段階に達せなければ見捨てられてしまうんじゃないかと思うことは何度もあった。同年代の子たちが無邪気に笑いあって遊んでいる姿を羨ましいと思ったことがないわけではない。
ただ、それでも、父さんと一緒に魔術を学び、その背中を目指していくことを嫌だと思ったことはない。この偉大な魔術師の期待に応えたい、遠坂の魔術師として大成してこの人を安心させたい、褒められたい。
頑張る理由なんてそれだけで十分だった、「遠坂」という言葉こそが生まれた時からボクを縛りつける因縁であり、同時に父さんとの間にある他人ではわからない絶対的な繋がり、絆でもあったから。
少しずつでも、確実に必ずこの人の期待に応えられる存在になる。
だからこそ―――聖杯戦争で、七星桜子という同年代の魔術師を見て、心がざわつかないわけがなかった。
魔術師としての力に目覚めた次の瞬間には、魔術を自分の武器のように扱うことができる姿、僕から見ても遥かに格上の存在であるエーデルフェルト兄妹を相手に戦えている姿。
そんな自分が良く見知っている相手が、魔術師というもう一つの基準に照らし合わせた中で、恐るべき存在として姿を見せたこと、何も思わない筈がない。
七星さんと戦いたくないと思った気持ちは間違いない。ただ、それはあくまでも「人間」としての遠坂蓮司の気持ちだ。「魔術師」としての遠坂蓮司の気持ちはそんな簡単なモノじゃない。
聖杯戦争で父さんに役に立つことができるのかどうか、常に自分の中でそれが課題として存在し、大きなプレッシャーの中でやれることを為し遂げていくしかないと思っていた自分にとって、守らなければならない存在が実は自分よりも遥かに才覚を持ち合わせている存在であると判明した時の気持ち……、簡単に割り切るなんてことは出来ない。
彼女の前では変わらない遠坂蓮司を演じ続けている。だけど、一皮むけば、その下にあるのは、臆病に震える遠坂蓮司なんだ。
もしも、七星さんが僕よりも魔術の才能が上だったら……
もしも、七星さんと魔術を競い合って、ずっと研鑽を続けてきた僕が負けてしまったら
もしも、父さんの興味の対象が七星さんに移ってしまったら……
遠坂蓮司にとって、遠坂の後継者になると言うことは人生を掛けた命題であり、遠坂煉に認められると言うことは、最良の価値があることだ。
いつだって父の背中を追い続けてきた。父の言葉に応えられる自分になりたかった。例え、それが歪であったとしても、父との絆は本物で、父にだけは、どんな形であるにしても、自分を見ていてもらいたかった。
だけど………
だけど……、父さんはもういない。死んでしまった、僕が殺してしまった!! あの時に、もしも、僕が気づいていれば、むしろ、僕が先に読んでいれば、キャスターを倒したのか改めて確認していれば………!!
後悔は何処までも浮かび上がっていき、自分を苛む声は自分の中から消えはしない。
本当はもっと怒りに狂うべきなんだろう。父の命を奪われたことに怒るべきだし、あるいは父さんの遺志をついでアーチャーと一緒に聖杯戦争を継続して戦うことこそがきっと、僕にとって正しい道なんだろう。
ああ、そうさ。そんなことは言われなくても分かっている。分かっているんだ。
けれど、ダメなんだ。どうしても、できないんだ。だって、遠坂蓮司の聖杯戦争は、遠坂煉に認めてもらうための戦いだったから。
いや、聖杯戦争だけじゃない、魔術師としての遠坂蓮司の根本にあったのは、誰よりも近しく、誰よりも憧れる存在であった遠坂煉に認めてもらうことだったから。その相手がいなくなったことによる喪失感は、僕から総てを奪うには十分すぎるほどだった。
立ち上がる理由が無い。何かを為したところで僕が得られるものは何もない。ずっと遠坂の後継者になることを、父さんに認められることだけが心にあったから、僕は……今、何を心の燃料にして動けばいいのかすらも分からなくなってしまっている。
きっと、この心の空虚さだって、いつかは晴れていくんだろう。一生引き摺ることになったとしても、いつかは生きるために心が身体を動かすことを求める。
空腹による飢餓感に城、疲労による倦怠感にしても、いつかは身体が心ごと休めようとしてくることは分かっている。そうなるまでは動きたくなかった。後のことはどうにでもなれと思ってしまう。
だってそうだろう。この聖杯戦争には僕なんかよりも遥かに強いマスターたちがいる。僕よりも遥かに上手く戦える人たちが大勢いる。アーチャー陣営というものは、遠坂煉がマスターであったからこそ、成立していた陣営だ。いかにアーチャーが強かったとしても、僕がマスターではたかが知れている。
『蓮司君、私は君が弱いことを責めるつもりはない。最初から強い存在などそうそういない。むしろ、多くの人間は最初は弱い存在だ。それがさまざまな障害にぶつかっていくことで磨き上げられ、いずれは強さを身に纏うことになる』
『それは僕に期待をしていないってことですか?』
『違うとも。君の努力は目を見張るものがある。この平和な国の中で、身を削る修練にここまで精を出すことができる時点で君は大したものだよ。だが、背伸びをしたところで変わるものと変わらないものがある。君の焦りはおそらく後者だ。これより先に君が学び、君が感じ、君が行動した結果によって備わっていくモノだ』
『けれど、聖杯戦争は待ってくれません』
『煉殿がいる。君の双肩には煉殿の期待が掛かっているのかもしれないが、だからといって、総てを押しつけたわけではない。陣営として勝つために、自分の力を温存しておくために、そして何よりも君の成長を望み、君の力を見込んでの事だろう』
だから、焦る必要はない。遠坂蓮司が何かを失敗したとしても、遠坂煉はカバーできる範囲で戦略を練っているし、アーチャーという戦力が必ず力になる。
『もしも、無様な姿を晒したとしても、それは遠坂の後継者として必要なことということですか?』
『糧にしろということだ。この聖杯戦争、多くの意志と力が集うだろう。君にとっても変化の兆しが起こるかもしれない。それが煉殿にとって良いか悪いかは別としても、人生とは出会いに学び、別れに知る旅路だ。思いがけない出会いが今の君の殻を破ることになるかもしれない』
そんな出会いが起こったとすれば、きっと幸福なことだろうとアーチャーは言った。父さんの命令であったとしても、聖杯戦争が始まるまでずっと訓練に付き合ってくれた相手、聖杯戦争が始まってからも親身に僕の悩みに付き合ってくれたもう一人の父のような存在であった相手。
『アーチャーは嫌じゃないんですか。父様の命令であったとはいえ、半人前の僕との連携に付き合っているなんて……』
いつかの日に、ふとそんな問いかけをしたことがあった。英霊、しかも一度は祖国の王にまで至った人物に自分が教えを乞うなど、本来であればサーヴァントでない限り絶対にありえないことだ。
父さんがそのように命令をしたから従っている。きっと、それは間違いなくて、だからこそ、後ろめたい気持ちが心の中に浮かんでしまう。
本心から応えてくれるなんて期待をしているわけではないけれど……、どこか自分の中の後ろめたさを吐きだしたいっていう思いがあったことは否定できなかった。
『蓮司君、君は私を、ムスタファ・ケマルという英霊のことを何処まで知っているかね?』
『本で読んだことがあります。衰退していく国を変えるために帝国を滅ぼし、新たなる国を生み出した偉人、神を国から放逐し、独裁者でありながら多くの国民に慕われた人物であると』
『そこまで褒められるほどの事ばかりをしてきたわけではないが、概ねそのようなものだ。ならば、私がそのような行動を起こした理由とは何だと思う?
自らの功名心を満たすためか、あるいは己が神に支配された国を憎んでいたからか、はたまた、多くの民に願われて立ち上がらざるを得なかったからか。残念ながら、それらはどれも的外れと言わざるを得ない』
『じゃあ、どうして……』
『私はただ、自分よりも後に続く者たちが苦しむ世界を変えたかった。神に縋り旧態依然とした状態で進歩を捨て去ってしまった国に愛想を尽かしていたのは事実だが、それだけでは国を滅ぼすまでには至らない。その先にあるより良き未来があると知ったからこそ、行動したのだ。モデルとなるケースはこの目で見てきたからね、何もかもが正しくはないにしても、今よりはよくなる。動くには十分すぎる理由だ』
アーチャーは生前の自分の記憶を思い出しているのか、目を細め、神妙な顔色を浮かべていた。
『その話が何か……?』
『つまりはそういうことだ。私は私よりも後に続く者たちの成長や幸福こそを何よりも尊いものであると考える。だから、煉殿の考えがどうであれ、君に教導することを悪く思うことなどない。むしろ、覚えが良いのだ。こちらとしても、仕込甲斐があると言うことだ』
などと、ニヤリと笑みを浮かべて彼の英霊は口にした。その言葉には酷く自分の胸を討たれて、思わず身震いしてしまったことは今でも覚えている。
ああ、本当に僕はきっと、恵まれていた。アーチャー陣営という存在がこの聖杯戦争の中で盤石の陣営であったことを僕は知っている。それを壊してしまったのも僕であると知っている。
僕では出来ない。僕では父さんの代わりにはなれない。偉大な英霊の隣に立つ主の役目は担えない。怖いんだ。僕がマスターになることによって、陣営が敗北してしまうことが。
父さんの命を奪うのに間接的に役目を果たしてしまっただけではなく、アーチャー陣営という父さんが必勝を期して臨んだ陣営を自分のせいで敗北に導いてしまうとしたら、遠坂の後継者としてここまで情けないことはない。
さまざまな気持ちは雁字搦めになって、結局僕はこの工房の中から外に出ることはできない。出ない方がきっと傷つかずに済むってわかっている。ずっとこのまま限界が来るまで、自分の罪と向き合って、父さんへの後悔と謝罪を口にしている方がいい。
立ち上がる理由が無いんだから。遠坂の魔術師として大成したとしても、聖杯戦争に勝ったとしても、それを誰よりも認めてくれる相手もいない。今まで抑えつけていた気持ちを抑えつけていられる自信が無い。下手をすれば、友人を失うことにもなりかねない。
だから、いい。これでいいんだ。これが僕にとっての最良の結末なんだ―――
「――――蓮司君!!」
塞ぎこむ心、変わるはずのない状況であるはずなのに、どうしてか聞き覚えのある声が聞こえてくる。この屋敷の中にいるのは、もう僕とアーチャーの二人だけであるはずなのに、聞こえてきた声に振り向けば部屋のドアを開いた七星さんが立っている。
「なな、ほしさん……?」
夢でも見ている気分だった。どうして彼女がここにいるのか全く理解できなくて、悪い夢ならさっさと覚めてくれないかと内心思ってしまった。
そんな自分の心の中で願ったことを無視するように目の前の七星さんは部屋の中へと入ってくる。
いつもの僕と接する時の元気のいい様子ではない。どこか覚悟を決めたような、聖杯戦争へと臨むような彼女の表情は、一昨日までの彼女を知る僕でも初めて見る人物のように思えた。
「蓮司君、お願い、力を貸して。キャスターとバーサーカーを倒さなくちゃいけない。そうじゃないと、この街が大変なことになっちゃう!」
「……………アサシンやセレスさんにお願いすればいいじゃないか」
「セレスさんはもういないよ、バーサーカーに命を奪われた」
「―――――――」
声には沈痛な色があった。彼女の握る拳も小刻みに震えている。だけど、視線はこちらへと向かったまま、挑むような表情が変わることはない。
「時間が経てば経つほどに聖杯戦争は激化している。もしかしたら、この遠坂の家にだって、誰かの手が及ぶかもしれない。蓮司君に何があったのかはあたしも知っているよ。同じように此処にいたから。辛いのも、苦しいのも分かっている。
だけど………、それでも、力を貸してほしいの。そうじゃないと、あたしたちが当たり前のように暮らしていたこの街の日常がどこにもなくなっちゃうかもしれない……!」
「………、ごめん、七星さん。できないよ、僕には」
「蓮司、くん……」
ポツリと一言、言い訳をするわけでもなく、当たり散らすわけでもなく必要最低限の言葉だけを口にした僕の反応に、七星さんの声のトーンが落ちる。
「アーチャーが言わなかった? 僕はもう聖杯戦争を戦うつもりはない。そもそも、本来のマスターですらないしね。戦ったところで、エーデルフェルトのような魔術師に僕が勝てる道理もない。アーチャーを潤沢に動かすだけの魔力だって、僕からじゃたかが知れている。だから、もういいんだ。アーチャーもそれを受け入れてくれている」
口から出てくる諦めの言葉は止まらない。燻る心以上に一刻も早くこの時間を終わらせたくて仕方がないから歯止めが利くことはない。
「それにさ、もう頑張る理由が無いんだ。僕は父さんの代理として聖杯戦争に参加していた。それは遠坂の後継者としての経験を積むため、そして父さんに認めてもらうためだ。お前は頑張ったって言ってほしいから頑張っていた。
でも、もう父さんはいない。誰よりも認めてほしかった人はもういない、僕が殺してしまった」
「蓮司君のせいじゃないよ……ッ!」
「わかってるよ、そんなこと!!」
ビクリと七星さんが声を荒げた僕の勢いに身体をビクつかせる。認めたくないけれど、少し気分が晴れたような気がした。
「僕のせいじゃないかもしれない、だけど、そんな簡単に割り切れない。父さんがいなくなって、ぐちゃぐちゃな心で、父さんの遺志をついでなんて簡単に次に進めるほど、僕は強い人間じゃない。ある日、いきなり聖杯戦争に巻き込まれて、次の日には魔術を使えるようになって戦おうなんて覚悟を決めることができる君とは違うんだ……」
遠坂蓮司は何処まで行っても凡人だ。十分な備えが無ければ怖いし、自分の底がわかっているから無茶だって簡単にできない。
もしも、今視線を向けている相手が、他の誰かであったのなら、よかったかもしれない。自分を取り繕えたのかもしれない。
でも、彼女は無理だ。僕に誰よりも近しくて、なのに、誰よりも僕の当たり前から剥離した「怪物」としか思えない相手の前では、「魔術師としての僕」をいつまでも隠しておくことなんてできない。早々に話を終わらせなければいけない。
魔術師としての僕は、七星桜子のことを―――
「だから、もうこれ以上、僕に気を遣う必要はないよ七星さん。君なら聖杯戦争に勝てるかもしれない。心配しなくても僕は僕でちゃんと立ち直って見せるから。放って、おいてくれないかな?」
「――嫌だ」
はっきりとした拒絶に対して、相手が放ってきたのもはっきりとした拒否だった。わかってくれるだろう。気遣ってくれるだろうと言う甘い幻想に対して、彼女はこれまでと変わらず、これまで同様の愚かでこちらの気持ちを慮ってはくれない。
「あたしは蓮司君の力が必要、アーチャーの力も必要。蓮司君に拒否されるなんてことは最初から想定しているよ。でも、それでわかりましたって帰るくらいなら来ていない。そのくらいの分別はあたしにだってできる!」
「無茶苦茶なことを言うね。じゃあ、どうすれば納得してくれるんのさ、七星さん? いや、違う………どうすれば諦めてくれるのさ、七星さん」
俄かに緊張が走る。何もかもが嫌でこんなことをしたいわけでもないのに、それが分かってしまう。
「あたしは口が上手いわけでもない。蓮司君を納得させるだけの救いを持ち込めるわけでもない。だから、あたしはあたしにできることで蓮司君を納得させる。
―――戦おう、蓮司君。魔術師として、真っ向からキミに勝って、あたしのお願いを聞いてもらうよ!」
瞬間、七星さんの身体に流れている魔術回路が励起し、魔力が膨れ上がる。
彼女の魔術のスタイルである不可視の刃をいつでも発現できる状態へと至ったことを意味しており、同時にそれは踏み込めば、もう後戻りすることができない場所へと入ってしまったことを意味していた。
自分の中で撃鉄が落ちる音がした。これまでずっと我慢して、我慢し続けてきたものが一気に解放される感覚を覚えた。抑えつけていられる自信がない。
よりにもよって、魔術師として、だと? よくもその言葉を口にしてくれた。
「ここは遠坂の魔術工房だ。そこで自分の魔術を展開して、遠坂の人間に手を出す。それが何を意味しているのか、わかってる?」
「わかってるよ。だけどあたしに出来るやり方はこれでしか―――――」
「何もわかってないんだよ!!」
ドンとテーブルに手を叩きつけて、抑えきれない感情のままに、涙混じりに彼女を睨みつける。既に魔術を起動して戦うことを想定しているからか、今度の彼女は怒鳴り声に驚く様子もなかった。
「どうしてさ、どうしてなのさ。君はいつも、いつも、いつも、そうだ。分かっている、僕の為を考えている。そんなことを口にしながら、君は自分の事情を叩きつけてくることしかしない」
自分の善意が相手に伝わると無邪気に考えて、触れてほしくない傷に平気で触れて来ようとする。本当の僕が、魔術師としての僕が、君に対してどんな感情を抱いているのかも知らずに……!
「誰が頼んだ、誰もお願いなんてしていない! 僕がキミに何か迷惑を掛けたか?
君を嫌いになりたくないから、君に嫌われたくないから、ずっと、ずっと心の中で抑え込んでいたのに、どうして、挑発するんだ、僕にはもう父さんのために繕っておくとかそういうことはできないんだよ……!」
ここに来て、はっきりと自覚した。僕は、目の前の彼女を、魔術師である七星桜子のことを嫌っている、妬んでいる、羨んでいる。
必死に努力して学んできた魔術を一瞬のうちで使えるようになった彼女を。
僕が歯が立たなかったエーデルフェルトに一目置かれていた彼女を。
正式なマスターとして父さんに呼ばれ、戦力として見込まれている彼女を。
そんな境遇を享受しながら、これまでと何一つ変わらない彼女を。
父さんが生きている頃はそれでも自分を抑え込んでおくことが出来た。
父さんに認めてもらうことこそが自分にとって、最も大事なことだったから、父さんの為に聖杯戦争を戦い抜くことが大切だったから。もっと重要なことがあると言うただそれだけで、心の中で抑え込んでおくことが出来たものが、一気に噴出していく。
心の中で抑え込んでいた醜い部分が一気に漏れ出ていく。魔術回路が起動する。僕の怒りに合わせるように、目の前の相手を傷つけるための機能が起動を始めていく。
彼女は僕が欲していたモノを持っている。それを彼女が誇らしげにして、態度が変わっているのなら、まだ受け止めようはあった。だけど、彼女は変わらない。
魔術師でなかったころの、何も持たなかった頃の彼女と変わらなかったから、余計に意識をしている自分自身が醜く思えてくる。
「蓮司君、ごめん。先に謝っておく。あたしは蓮司君の為にかけられる言葉はない。蓮司君のことを傷つけることしかできないかもしれない。だけど、それでも止まらないよ。
あたしはこの街を守る。そして聖杯戦争に勝つ。そう意気込むのなら、蓮司君との魔術師同士の戦いに負けるわけにはいかないから」
「聖杯戦争に、君が勝つ? 笑わせないでくれよ、魔術を使えるようになって、1週間程度の奴が、聖杯戦争に勝つ? 」
聖杯戦争は御三家が始めた根源に至るための儀式だ。今なら父さんの気持ちがちょっとだけわかる。僕たちが積み重ねてきた時間と研鑽を、ほんの少しの時間で凌駕していく存在、そんなの認められるわけがないだろう!
「本当に勝てると思っているのなら、それがキミの勝手な思い込みだってことを僕が教えてやるよ。君がいかに才能があるとしても、積み上げてきた時間に勝るものなんてないんだから」
「うん、戦おう蓮司君。あたしだって、そう、とっても失礼なことを言うけれど、ここで負けるようじゃ、あたしは兄さんにもロイにも勝てない。
だから、蓮司君と戦って、あたしは蓮司君に勝って見せる!!」
それは彼女の本心なのか、彼女なりの怒りに身を任せた僕への気遣いなのか、どちらなのかはわからない。だけど、正直な所、どちらでも良いと言えばどちらでもよかった。
結局、いずれはこうなっていたのかもしれない。父さんが生きていて、聖杯戦争を続けていれば、いつかはこうして七星さんと戦う時が来たかもしれない。
その時の僕は、感情を隠して、彼女の良き友人として戦えていただろうか。わからない。わからないし、勝手な理屈だ。何をしたって、そんなことは起こりえるはずがないのに。
先に動き出したのは彼女の方。不可視の魔術によって形成された刃が届く位置にまで一気に近づくつもりなのだろう、三、四歩で詰められるであろう距離に向かって、足を踏み出した。
「ここは遠坂の屋敷だ。君が好き勝手にできる場所じゃない」
「――――ッ!」
しかし、そんな彼女の行く手を塞ぐようにして、魔術による結界が浮かび、飛び込んできた彼女の身体を弾く。普通に考えれば魔術師の工房に乗りこむことは、城に攻め込むのと同義だ。生半可な準備では、工房内部を攻略するなんてことは出来ない。
「魔術で出来ているのなら―――!」
彼女の手が動き、刀を振るったような動きが行われる。すると、どうだろうか、先ほど展開された障壁のような結界が、魔力を強制的に解かれたかのように真っ二つに切られたのだ。
「これが、七星の魔術、か」
魔術師狩りの七星、魔術を斬る刃を使う魔術師の一族、エーデルフェルトとの戦いで、その全容は見せられていたって言うのに、こうして対峙してみれば、その異様さ、そして魔術師を狩るためだけに特化した魔術のおぞましさを良く理解できる。
これは本当に魔術師を倒すためだけに磨き上げられた技術、それだけを願って、何十年、何百年と受け継がれてきた魔術刻印に負けないほどの執念の賜物。
(工房の中で戦っていたら、逆に工房を破壊されかねない)
遠坂の屋敷の中で戦えば、僕は圧倒的に有利な立場に立てる。だが、同時にこの屋敷の中を破壊される可能性があることもまた事実だ。
今となっては、この屋敷だけが僕と父さんの思い出の場所となってしまった。それを破壊されるようなことだけは絶対に避けなければならないから――――、追撃を図ろうとする七星さんより早く、屋敷の窓を開ける。
大きく作られた窓は人間一人分が通るには十分すぎる大きさであり、戦闘の場所を変えるために窓から外へと一気に飛び出す。
当然のように七星さんも窓から飛び出すが、魔術を使って、落下のスピードを抑えつつ、追撃を図ろうとする彼女に対して宝石を起動、溜めこまれた魔力が一気に噴出すると、曲線を描きながら、七条の光が窓から飛び出した彼女へと殺到する。
飛び出した先に待ち受けていた罠を前に彼女は咄嗟に不可視の刃を放つが、七条の光総てを打ち消すことは出来ずに、打ち消すことが出来なかった魔術が直撃、墜落するように遠坂の庭園へと叩き付けられる。
「がッ――――」
二階からの落下とはいえ、遠坂の屋敷は決して小さいわけではない。普通の人間であれば墜落の影響で骨がひしゃげている、あるいはこれだけで致命傷になってもおかしくないが、がさりと音がする。
魔術によって強化された五感を使って、視線を向ければふらつきながらも七星さんは立ち上がる。ああ、わかっている。こんなことで決着がつくような柔な相手じゃないと知っている。
(だけど、戦える。魔術の使い方も経験も僕の方が上だ。才能だけで勝たせてやるつもりはないッ)
身体中に力が湧きあがっていく。鬱屈した思いが爆発したことで歯止めは効かない。だけど、爆発したことで止まることもできない。七星さんを倒すか、倒されるか、そのどちらか出ない限り終わらないだろう。
なら、マスターでなかったとしても、これもまた聖杯戦争の一つなのかもしれない。これが八つ当たりで、遠坂の人間としてあまりにも無様だったとしても、止めることはできない。これまでに培ってきた研鑽の時間が決して無駄ではなかったのだと、僕は僕自身にはっきりと証明してやらなければいけないんだ。
そのために七星さんを倒す。たとえ、それが彼女の願いを壊すことになったとしても。負けたくない、彼女にだけは絶対に!!