――秋津市北側・唯一神理教総本山――
その日、唯一神理教総本山は不自然なほどに静かだった。元より教祖である鷹司唯一が命を落として以来、キャスター陣営の魔力供給源という価値しか与えられていない場所ではあった。信徒たちは今やほとんどが魔力源として意識を奪われており、誰一人として目覚める様子はない。
しかし、この総本山周辺を囲むように浮かび上がっていた禍々しい空気が薄れている様子だった。それはまるで、この総本山へと向かってくるものを拒むことはない。山そのものが主張しているかのようですらあった。
「久坂殿、ただ今戻った」
「ああ、清河、苦労を掛けた。この数日間、楽しめたかね?」
「当代の者たちとの触れ合いも中々に楽しかったとも。中には気骨のある者もいた。命を奪ってしまうのが些か勿体ないと思える相手もな」
「何も全ての命を奪うつもりはない。彼らも我々と同じ帝の民なのだ。異国人であれば、我らは総てを粛清しなければならないが、同胞までもを意味もなく斬る必要はないと私は考えるよ」
「帝の威光がこの地総てに降りそそげば、そうした諍いも全て無くなる。我々がかつて夢に描きながらも、ついぞ果たされることのなかった完全攘夷が果たされる日はまもなく目の前にまで来ていると言うことだ」
総本山本殿の前で勢至姆組より帰還を果たした清河八郎を久坂玄瑞は自ら迎えた。彼らはその立場も境遇も別にしながらも、極めて似通った存在であった。共に攘夷を標榜し、多くの人間をその弁舌や策で動かし、己の野望を火種として、願いを叶えることなく散っていった。
多くの志士たちが孝明帝の威光の下に馳せ参じたが、久坂が最も信頼を置くことが出来たのは清河である。清河は信頼をしていたからではない。自分と似通っていたからこそ、信用をしていた。それだけに過ぎない関係ではあるが、決戦と言う日を迎えて、こうして向かい合っても、互いに気が合うことを感じ取っていた。
「バーサーカー陣営へと向けた書状は無事に届いたかね?」
「おそらく。この状況で拠点を抜け出した拙者の書状を彼らが観ずに処分すると言う選択はないでしょう。しかし、よかったのですかな? わざわざ、自分から手札の一つを捨てるような真似をしなくても方法はあったのでは?」
清河は書状の中身までもを確認していたわけではない。しかし、書状の中に何が記載されていたのかについては察しが付く。
「清河よ、私やお前が志半ばで命を落とした理由は何であると思う?」
「時代が我々を理解することが出来なかった、ですかな」
「くく、君のそうした不遜な考え方は嫌いではないが、私の想いは違うな。私や君が志半ばで散ることになったのは。他者の不確定要素を捌き切ることが出来なかったからだ。我々は多くの人間を動かしてきた。しかし、そこから漏れた、あるいは決して刃向うことはないだろうと思っていた相手が牙を剥いたことによって、敗北へとその身を落した」
清河は攘夷を果たす直前に危険人物として幕府によって処断され、久坂は帝によって追放された。どちらも決して自分に牙を剥くはずがないと思っていた相手に噛まれたことで失敗へと終わったことを意味している。
「神丘奉は己の判断で、自分たちの方針を決定するだろう。それが正しかろうと間違っていようとも、不確定要素になりえることは間違いない。我らにとっても既にバーサーカー陣営と肩を並べておくメリットは限りなく低いと言える。
であれば、ここらが潮時だろう」
「なるほど、あえて、思考を固定化させると言うことか」
いつ、バーサーカーが背中から噛みついてくるのかわからないのであれば、行動に指向性を与えてやればいいだけのこと。必ずどこかで裏切ると分かっているのだ。であれば、幸運に状況が運んだ時よりも不幸に状況が運んだ時のことを想定していた方が対処はしやすくなる。
「清河、君には壬生の狼たちを率いて総本山の防衛を行ってもらう。どの陣営が動くにしても、この総本山に攻撃を仕掛ける者は必ず出てくるだろう」
「気付くかね、連中は」
「どの陣営にとっても、我らを倒すと考えるのならばこの総本山を抑えるのは必須となる。我らにとって今日が最後の節目であるとすれば、守護をしておくことには何の問題もない。天命、あるいは運命と言うモノが実在するのであれば、我らを阻まんとする意志は必ず介在して来る、そのように考えておくべきだ」
かつて生前の折を久坂は思い出す。あの時も時代の趨勢は間違いなく自分に向かっていた。しかし、現実には後ろから刺されるような形で、久坂は時代の絶頂期から転げ落ちていく結果となった。
天が己に味方をしているなどとは久坂は考えない。この大願成就が間近に迫った頃合こそ、再び己を排するための刃が降りそそいでくるのだと自覚を持っておかなければならない。
「……承知した。我々はこの総本山より君の言葉がこの街の民たちに届くのを待とう」
「梓沙、君も総本山に残りたまえ。キャスターのマスターとして……奮起したまえ」
「久坂様がそう仰られるのであれば、全力を尽くして侵入者を排除します」
久坂の言葉を何一つ疑う事無く、梓沙は首肯する。久坂はこの総本山に間違いなく敵が襲来するであろうと考えている。
その危険な状況の中でマスターである梓沙を投入すると言うことは逆の観点で見れば、梓沙の身に危険が及ぶことにも繋がるが、久坂も梓沙本人も全くそれを気にする素振りはない。
「明日には、神祇省の本隊が到着します。久坂様、もしもの時は、神祇省と共に帝の悲願をどうか叶えてください」
「言われるまでもない。後のことを気にする必要はない。梓沙よ、今日という日に君の総てを出し尽くせ。そして―――円華、君は私と共に電波塔へ同行しろ」
「………、理由を聞いてもイイですか? 私は明らかに足手まといになるようにしか思えませんが」
「そうでもない。いまだにライダーを討ち取ったという情報が届いてこない。よもや、あの状況から巻き返して来るとは思えんが、魔力の繋がりは感じているだろう?」
円華はコクリと頷く。
「万が一と言う事もある。ライダーが姿を見せたその時には、今度こそ令呪を以て自害させろ。奴は重傷を負っている。令呪の力に抗う事が出来るとは到底思えん」
「最後が目に掛けた女の命令による介錯とは異国人には過ぎたる名誉かもしれぬな」
「左様……、穢れた異国人共は総て排斥しなければならない。あれらはケガレだ。我らと同じ人ではない。英霊などと呼ばれること自体がおこがましい異物よ」
「分かりました。ですが、私は本当に闘う力は何も持っていません。どうか、お守りいただきたいです。帝の威光を世界に広める。これから先に微力ではありますが、私もお手伝いが出来ればと思っていますから」
「勿論だ、既に君は我らの同志。見捨てる理由などない。それに芸者には芸者の使いようがある。キミの言う通り、帝の威光を広めるには様々な手を使う必要があるだろう。この国はケガレたる異国人と交わることによって、帝の威光が伝わらぬ国となってしまった。電波塔による発信を使ったとしても、総てを一度にという話には至らないだろう。
梓沙より君の影響力については聞かされている。その力を帝のために役立てて欲しい」
久坂は何も、敵対するライダーを倒すためだけに円華を洗脳したわけではない。むしろ、それは二の次でもあった。
梓沙より現代における円華の立場を聞かされ、自分たちの目的を遂げるための広告塔としての役割を期待することができる。そう思えばこそ、この7日目を前にして、彼女を手中に収めることを決めたのだから。
電波塔へと連れ出すのもライダーを排除するためと同時に広告塔である彼女を同行させることによって、帝への教化をよりスムーズに進める為である。無碍に扱う理由が無い。
己の隠れ蓑であり、神祇省を釣るための餌として洗脳した梓沙とは最初から扱いの程度が違うのは明らかだ。久坂にとって他者とは使うことができるかどうか、利用することができるかどうかが全てである。好悪などというものは最初から判断要素にすら入らない。
「久坂よ―――」
本殿より帝の声が聞こえる。この本殿を動くことができない帝の手足として動く久坂へと声が響く。
「帝よ、間もなくです。間もなく聖杯戦争は終わりを迎えます。そして、我らの攘夷が始まるのです」
「大儀である―――そなたと朕が夢見た神国再生、共に千年国家を建て直そうぞ」
「無論、語るまでもなく」
まもなく約束の時が訪れる。電波塔へと辿り着き、この街全体に久坂の偽勅が流されれば、その時点で全てが終わりを迎える。
100年に渡る時間を経て、かつて攘夷を夢見た者たちの願いはようやく果たされる時が来るのだ。あくまでも攘夷完遂のための一歩、しかしてこれは、攘夷の亡霊たちが、聖杯戦争という舞台ではなく現実に存在を知らしめる決定的な契機となる。
己の計略が完遂されるまであと一歩、久坂はその時を想い、口元に三日月形の笑みを浮かべた。
――秋津市中央・電波塔周辺・エーデルフェルト拠点ホテル――
まるで時間が止まってしまったかのようであった。セイバー陣営の拠点であるホテルの一室、そこは昨夜から時間が経過していないかのように何一つとして変わっていない場所であった。
バーサーカー陣営との戦闘によって、リーナ・エーデルフェルトは昏睡状態に陥り、リーナの傍に控えるようにしてロイ・エーデルフェルトは快活な彼らしくもない憔悴した様子で、リーナの様子をずっと見つめている。
昨日の夜からずっと変わらない。ロイは項垂れたままにリーナの様子を見ているだけで、必要最低限の動きしか行っていない。睡眠時間も果たしてどれ程確保していたのかもわからない。
その姿を霊体になったままセイバーは観察し続けていた。何も主を疑っていたと言うわけではない。それ以外に何かをするという概念を機兵は持ち合わせていなかった。
所詮、セイバーと言う兵士が持ち得るのは戦に赴き敵を屠ると言う行為だけである。それを達成することができるのであれば、他のあらゆる事態は総て、彼にとっては些末事である。わざわざ時間を潰すための方策など持ち合わせているはずもなく、さりとてロイやリーナをこのまま放っておくこともできない。
敵の襲撃がいつ起こるのかもわからない状態なのだ。いつでも動き出すことができるように準備をしておくのは当たり前の事と言えば当たり前だろう。
しかし、そんなセイバーをしてもこの状況は異常、あるいは看過することができない状態であった。手痛いしっぺ返しを食らったに等しいバーサーカー陣営は間違いなくセイバー陣営に更なる追撃を図って来るだろう。
(あの獣……、黒き靄が如き正体すらも把握させぬ獣、真っ当な英霊ではない。人の常識で測りきれぬ奴には、我が戦術予測を駆使したとしても、完全なる回答を得ることができるのか判然とせぬ。万全の状態で挑まねば、再び敗北を喫するやもしれぬ)
セイバーは己が考えるにはあまりにも不釣り合いな発想を自分が浮かべていることに内心苦笑を浮かべたかった。常勝無敗、中原の戦場であらゆる敵を屠り続けてきた己の前に、遂に屈するやもしれぬ存在が姿を見せた。
武人としてのセイバーはそれを歓迎するべきだろう。己を倒すやもしれぬ存在との命を懸けた激突は、機械の身体に熱を与えてくれるかもしれないのだから。
しかし……、激突を素直に喜ぶことが出来ないほどに、主であるロイはマスターとして機能しているとは言い難い。まるで抜け殻だ。リーナが昏睡すると同時にロイまでもが魂を抜かれてしまったかのように、ただただ、リーナの傍に置かれた物言わぬ人形のようでいる。
(主無くとも、我は十全に戦闘を継続することができる。魔力の供給さえあれば宝具の使用にも些かの問題もない。しかし、かの獣は数を増し、襲い掛かってくる。無気力となった主を狙われることがあれば、敗走は必死……我らが陣営の敗北は今度こそ決定的となる)
英霊となることで、生前以上の機能を与えられたと自身を定義するセイバーではあるが、ただ一点だけ、生前に比べて脆さを際立たせてしまっている箇所がある。
マスターの存在、つまり、己以外の存在に継戦の可否を委ねてしまっているという点だ。
生前であれば例え、主を失ったとしても己の身体さえあればよかったが、此度はそうはいかない。最前線で戦うサーヴァントの不調がマスターにとっての致命になるように、サーヴァントにとってもマスターの存在は致命になりかねない。
(我が使命は従者として主に勝利を献上すること。それこそが至上命題。かつて中原の地を駆け抜けた時も、今、この街で争っている時も、どちらにしてもそれは変わらない)
皮肉なモノであるとセイバーは思う。結局の所、やはり天命とは定められているモノなのかもしれない。これほど主に恵まれたと思った時でさえも結局、己が為すことは変わらないのだから。
「主よ……、まもなく夜を迎えます。再び聖杯戦争が始まることでしょう」
「………そうか」
「バーサーカーは間違いなく我々を狙ってきます。戦闘は避けられません」
「………そうだな」
生返事のような対応は半ば予想をしてはいたが、実際に向けられて見ると、中々にセイバーとしても思う所がある。人間であれば、失望の念を覚えるというのだろうか。
機械であるが故に人間の感情の機微をセイバーは完全に理解はできない。かつての王が何故、自国の勝利よりも己を怖れたのかすらも根本的には理解していないのだ。
だからこそ、淡々とセイバーは己の中にある合理性から言葉を紡いでいく。
「主よ、これが我からあなたへ向けての諫言であることを自覚の上で言わせていただく。
ロイ・エーデルフェルトよ、貴方はこの聖杯戦争に勝つつもりでいるのではないのか?」
「…………」
「妹君は常々、口にされていた。エーデルフェルト家の勝利の為に全力を尽くす、そのためにサーヴァントである己は従えと。勝利を手にするは我が命題。故に貴方がたお二人が何を選ぼうとも、それにつき従うは道理でした。しかし、貴方がそれを放棄すると言うのであれば別だ。それは……妹君だけではなく、我が身に対しても裏切りを図ったに等しい」
淡々と口より零れ出る言葉は、その無機質な音に反してセイバーにとっては重大な意味を持つ。
生前の彼は、主に対しての造反を目論んだと言う名目で処刑と言う憂き目にあった。主は勝手に白起を怖れ、諫言を口にしながらも、なお一層怖れられることによって、誰一人にも理解される事無く、中華最強の兵士はあらゆる名誉を奪われて命を落としたのだ。
まるでその時をなぞるかのように再びセイバーは己の主を諌めるための言葉を口にする。
「主よ、我は貴方に召喚され、我が力を持って聖杯戦争に勝利を飾ると口にした貴方の言葉に感銘を覚えた。機械の身、かつて一人の主に仕えた者としてあまりにも安易な判断と笑われるやもしれぬが、我にとって強さを求め、勝利を飾ると口にしてくれる主と言う存在、共に戦場を掛ける主の存在、我が悔恨を晴らすに足るだけの意味があると……」
かつて、主に裏切られたものであるからこそ、セイバーが主に求める在り方はセイバー本人が口にする以上の意味を持っている。
初めてロイと顔を合わせ、言葉を交わしあったその時から、セイバーは此度の聖杯戦争にかつての悔恨を晴らす機会が来たと、全霊をかける決意をしているのだから。
「ロイ・エーデルフェルト、貴殿は我が見込んだ王冠を手にするに相応しき者だ。どうか、再び立ち上がっていただきたい。そして、我に共に戦場を駆ける誉れを、手にする勝利の栄光を共に分かち合いたいと思うのだ」
生前は諫言の言葉を投げかけて、道半ばでセイバーは命を落とすことになった。ある意味で英霊にとっての死をなぞるような行動を自ら起こしたセイバーの胸中は決して、軽い心持から行われたものではない。そんなものであっていいはずが断じてない。
総ては今代における主を信じているがため。ロイ・エーデルフェルトと言う己の主はもう一度その言葉に応えてくれると願っているからこその言葉に他ならない。
「……俺は、俺は才能しか持ち得なかった男だ。それ以外の何も持たずに生まれてきた」
ポツリとロイの口から言葉が漏れる。これまで、セイバーの言葉に一切の反応を浮かべなかったロイは、まるで思い出したかのように声を発する。
それはセイバーの言葉に応えたからなのか、あるいは目の前で今も意識を回復することなく生死の境をさまよっているリーナに向けた悔恨の言葉であったのか。
ロイは目を伏せる。思い出すのはこの聖杯戦争へと挑むよりも以前の出来事。
何故、己がここにいるのか。何故、女でなければなることが出来なかった当主となったのか。あるいは、己の願いとは何であったのか。
解れかかっている心を取り戻すためには今一度、それらを思い出す必要がある。
ロイ・エーデルフェルトとリーナ・エーデルフェルト、二人だけが共有するエーデルフェルトと言う家よりもなお濃い「血の絆」を……
―――生まれたその時から、俺の人生は決定づけられていた。
―――男に生まれた、その事実だけで俺の人生は一生、飼い殺しと定まった。
―――だが、それに不釣り合いなほどに、俺は魔術の才能に愛されていた。
ロイ・エーデルフェルトの人生は生まれたその時に定められた。エーデルフェルトの家系は必ず女性が当主になるという形で受け継がれてきた家である。エーデルフェルトの魔術師としての属性は「天秤」、これはエーデルフェルトの歴代当主たちの多くが姉妹であるという特性から、両天秤になぞらえたものであった。
そして、その姉妹のどちらかが生んだ新たな姉妹に魔術刻印が与えられ、エーデルフェルトの家は連綿と受け継がれてきた。そこに男性の介在する余地は一切ない。
無論、遺伝子学、人間の在り方として、女性だけを生み続けることができる家などと言うものは存在しえない。必ず二人の子供のうちの1人が男性であると言う時はやってきてしまう。
そうした時にエーデルフェルトは、必ず兄妹あるいは姉弟のうちの、女の側を当主とする。そして、もう一人の男側は、その一生を掛けて後継者となる自分の妹あるいは姉の為に尽くす従者としての役割を求められる。
当主が魔力を求めるのであれば魔力を与える役割となり、抗争が起これば、当主の命令に従い、戦う存在となり、平時においては使用人のように当主の為に身を粉にする。良く言えば執事のような扱いを受けるが、悪く言えば、待遇の良い奴隷にも等しい存在である。
当人が何を考えようとも、男として生まれた時点で覆しようがない。何故なら、それこそがエーデルフェルトという家であるからだ。
魔術の名門として連綿と受け継いできた魔術刻印が記憶してきた数多の才能を己の家へと取り込み、喰らって成長を果たしてきた名家の在り方なのだから。
その例に従うようにして、俺もまた共に生まれた妹であるリーナに付き従うモノとしての人生を全うすることは決定づけられていた。
だが、一つだけ、エーデルフェルトのお歴々たちにとって、想定もしていなかった出来事があった。それは―――俺自身の魔力、そして魔術の扱い方がリーナをはるかに凌ぐほどに才覚溢れていたこと。おそらく長く続いてきたエーデルフェルトの歴史の中でも指折りの実力を幼少のころから発現していたということであった。
一般的な魔術の名家であれば、才覚溢れる俺は家の名誉を高め、魔術の深淵へと近づくための貢献を果たす存在として重宝されたことだろう。
しかし、ここは女が支配する家『エーデルフェルト』、男として生まれた俺には何一つ与えられることはない。身分の上でも、扱いの上でも、俺は常にリーナの影だ。いずれ当主を襲名するリーナを陰で支え、リーナの魔術の研鑽を助け、リーナの身に危険が及べば、その身を以て、リーナの命を救う。
そのためだけに与えられた生命だ。他の生き方など許されず、それを望むのであれば、エーデルフェルトの魔術刻印の総てを捨てて、放りだされるほかにない。
結局の所、俺は才能しか持ち合わせていなかった。未来も、矜持も、立場も才能を活用するために必要な要素の総てが生まれた瞬間に人為的に奪われてしまっていた。
繰り返そう。俺は才能だけの男だ。才能しか持ち合わせていないが、その魔術の才能を披露するための場は与えられていない。なんとも愚かなことだ。これでは宝の持ち腐れもいい所だろう。
『おかしいのです、だって、兄様は私よりも遥かに魔術をうまく扱えています。私にはそこまでの事が出来ません。なのに、どうして、皆々様は兄様をお認めにならないのですか!』
だが、一人だけ味方と呼べる相手はいた。誰にも必要とされていないエーデルフェルトの家の中でリーナは、血を分けた妹は、ただ1人だけ、俺の魔術の才能を現実的に認め、むしろ、家の在り方にこだわって、俺を無視している者たちこそおかしいのだと口にしてくれた。
『本当は、私よりも兄様の方が当主になって然るべきじゃありませんか。だって、私では兄様に―――』
『ありがとう、リーナ。でも、いいんだ。俺は別に当主になりたいと思っているわけじゃない。気楽に魔術の研鑽を積むよ。大丈夫、リーナだってすぐにできるようになる。むしろ、これくらいできないと。俺には―――これしかないんだから』
エーデルフェルトの人間たちは俺が魔術の研鑽をすることを良しとしない。どうせ、使用人でしかないような男に魔術を教えるなど、愚かしいにも程があると、指導を与えられるのはリーナだけ。俺は常にその様子を旗目で見ているだけだった。
ただ、家の者たちの眼を盗んで、俺とリーナは度々、魔術を扱う練習を続けてきた。リーナは新たな魔術の使い方を覚えると、こっそりと俺の下を尋ねて、新しい玩具を手に入れたように披露して来る。
俺はそれを見よう見まねで魔術として形にして、見放されているのをいいことに1人で独自に魔術を使いこなすための研鑽を積んだ。幸い、自分が魔術師として優れているのだと言うことだけは理解している。
リーナが人目を抜け出して、互いに学んできた魔術を披露する時、その時だけはエーデルフェルトの思惑など関係なく、リーナとただの兄妹になることができているように思えた。
血を分けた兄妹、あまりにも離れた距離感を繋ぎ合わせてくれる時間があったからこそ、俺は歪んだ世界の中で、ある程度の倫理観を保ち続けることが出来ていたんだと思う。
もしも、リーナがいなければ、俺の生きる世界はもっと暗く冷めたものになっていたはずだ。リーナがいてくれたからこそ、ギリギリのところで踏みとどまっていることが出来た。
大げさな言い方をさせてもらえれば、リーナは俺の人生に光を与えてくれた相手だった。エーデルフェルトという一族より与えられた血の名誉などよりも、よほどそれは輝かしいモノであるように思えていたのだ。
だが………、そんな俺達の関係は徐々に変わっていく。15年前の聖杯戦争の終結、我が叔母と母が参戦したその戦いにおけるエーデルフェルトの決定的な敗北。
極東の島国にて存在した七星なる歴史も定かではない魔術師によって、エーデルフェルトの当主たちが無惨に敗北を喫した。
母は叔母を救うために命を落とし、命からがら家に戻った叔母は明らかに精神に支障を来しており、七星を倒すことに固執するようになった。
エーデルフェルトの名誉を取り戻すためには七星を倒さなければならない。次の聖杯戦争にこそ、エーデルフェルトは絶対に勝利しなければならない。
狂気じみた思想が、元より歪んでいた名家を包み込んでいく。俺の心の中では正直に言って、どうでもよかった。
生まれた時から虐げられ、存在を無かったもののように扱われている身からすれば、その悲鳴はある種の心地よさすらも覚えるほどに、自分の中で黒い感情が嘲笑を浮かべているようだった。
数百年の歳月を経て研鑽を積んできた魔術師の名門、双子の特性によって、他には類を見ないほどの純たる力を与えられた。そこに紛れ込んだ異物などと常々口にされてきた身だ。それが田舎の魔術師風情に負けたなどと笑えて来てしまうことじゃないか?
いっそ、このままエーデルフェルトという家が一度、崩壊してくれればいいのに。まだ10にも満ちていない頃の淡い幻想に過ぎないが、本気でそのように思ったことは嘘ではない。ただ、実際にそのように状況が上手く運ぶわけではないのは当然のこと。
エーデルフェルトは確かに変わった、次の聖杯戦争に絶対に勝利を勝ち取るために、新たな当主になるリーナに、絶対的な力を得ることができるようにと、これまでよりもさらに厳しい修練を課した。
次なる聖杯戦争は周期で言えば50年後、リーナ自身は当主として身を引いているかもしれないが、次なる当主を傑物とするのならば、母体となるリーナ自身の資質を高めておくのは必要なことであると、相も変わらず勝手な理屈で与えられる運命。
『嘆かわしい、当主の敗北でエーデルフェルトの名は地に堕ちた。男を生み出してしまったことに加えて、これでは……今代のエーデルフェルトは呪われているのかもしれぬ』
『リーナは研鑽を積んではおるが、どうにも伸びが良くない。あやつには普通の成長など望んではいない。身近な所と己を比較している暇などなかろう。むしろ、憎むほどでいてくれなければ』
『このようなことを言うのは愚かしいかもしれないが、何故、リーナではなく奴にあれほどの才覚が与えられたのだ。リーナの傍付きにしかなれぬモノには過ぎたる力と言わずにはおられまい』
『私はむしろ、ロイが恐ろしくて仕方がない。あのような怪物がどうして生まれてきたのだ。もしや、あやつが我らエーデルフェルトに災厄を与えておるのではないか?』
お歴々たちは好き勝手なことを言っている。いい加減に言われ続けることにも慣れては来ていた。大したことはない。この家に自分の居場所が無いことなど、当の昔に分かっている。例え、何を願われたところで、お歴々たちの願いを叶えてやる道理など俺にはない。
だが、俺と違って、リーナは変わることを迫られた。お前は当主になるのだからと、厳しかった魔術の修練はより激しさを増し、与えられる責任感だけは日増しに増えていくと言う始末。今更になって思えば、10を過ぎた程度の少女に与えるにはあまりにも過酷な生き方であると思わずにはいられない。
いや、魔術師の家に生まれた後継者であれば当たり前なのかもしれない。俺はつまはじきモノだ、リーナの一番傍でそれを見て、歪な姿であると捉えているだけなのだろうか。
とはいえ、そんな過酷な境遇にありながらも、リーナは必死に魔術の修行に明け暮れた。魔術だけではなく、エーデルフェルトの当主として相応しいあり方を求められるようになり、所作も時間を経れば経るほどに洗練されていく。
己の妹でありながら、その変わっていく姿に驚嘆を覚え、同時にもの悲しさを覚えたのは嘘ではない。当主として相応しい姿に変わっていくほどに、リーナとの距離感が開いていくのではないかという思いは募っていくばかりだった。
リーナは当主としての振る舞いを学べば学ぶほどに、子供の頃の彼女から離れていく。それを成長と呼ぶのかもしれないが、ずっと傍で見ている俺からすれば、明らかにリーナは自分に無理を課し続けている。
その理由が何であるのかを理解できないほど、俺も馬鹿ではない。
『見てくれ、リーナ。リーナに教わった魔術の応用だが、こうすることで、複合的に魔術を使用することができる。これならば、七星が魔術を斬ることが出来たとしても、対応が可能となるんじゃないかな』
『素晴らしいですね、ですが、それは私にはできません。それほどの複合的な魔術を一瞬で、しかも戦闘の中で扱うとなれば、それは……兄様にしかできません』
『……リーナ?』
『当主様に呼ばれています。兄様と私が顔を合わせているとなれば、余計な面倒が増えるでしょう。また……』
リーナは笑わなくなった。表面上の笑みは浮かべているかもしれないが、心の底から笑っている姿を見ることは、ほとんどなくなってしまった。
次期当主としての責務、名誉の回復をしなければならないと言う重責、何よりも、最も身近に比較されざるを得ない異物が存在していると言う事実、それら全てがリーナを苦しめている。
『……無力だな。俺は、こんな力があったとしても、リーナに何もしてやることができない』
下手な慰めがリーナの心を苛むことなど言われずともわかっている。しかし、他に出来ることなどない。何よりも、俺は最も身近でリーナの成長を見守ってきた。
いずれ、当主となったリーナが幸福であってくれれば俺はそれでいい。元より、俺がエーデルフェルトの家の中で望まれているのは、リーナの影として、彼女を引き立たせることだ。
何の役にも立たない、飼い殺しに等しい状態のこの身を活用することができるのが、リーナの影であると言うのならば、俺はそれでいい。リーナがいなければ、今の俺はいない。
心の底から本気でそう思えんだから、その対価はリーナにしっかりと返さなければならないと思う。リーナの幸福は俺の幸福だ。
例え、これより先に、リーナに憎まれることがあったとしても、俺はそれを受け入れよう。俺はリーナの為に生きることを望まれ、そうあることを受け入れたのだから。
『大丈夫だ、リーナ。お前は必ずエーデルフェルトの当主として大成する』
誰が認めなくても、俺だけはそれを信じる。何があろうとも……この世にただ1人の血を分けた妹なのだから。
そうして、程なくして前当主であった叔母は聖杯戦争での傷がたたり命を落とした。何事もないかのようにリーナへと当主の座は明け渡され、そして、俺たちの関係も大きく変わる時が来た。
――――そのように思っていた。
『ロイ、お前にとって朗報だ。我々エーデルフェルトはお前をリーナに代わって当主として認める。いずれ来るであろう聖杯戦争の時に、お前がエーデルフェルトへ勝利を捧げるのだ』
だが、そんな予定調和の時間は長くは続かなかった。忘れることはない忌々しいあの日。