『リーナ、俺は誇らしいよ。リーナが当主になれたこと、誰よりもリーナの頑張りを知っているからこそ、祝福できる。おめでとう、リーナ』
『兄様は、本当に、これで……よかったのですか?』
『ああ、いずれそうなることが決まっていたとしても、リーナの頑張りが認められたんだ、俺には何もできなかったけれど、嬉しいと思うことはできる。これ以上のことなんてあるはずもないからな』
『…………っ!』
正式にリーナが当主に選ばれたことで、俺たちの関係は一変した。これまでは当主になる前の曖昧な関係を維持し続けていたわけだが、当主となった以上、俺たちの関係は当主と公私関係なくリーナをサポートするためだけに存在する使用人まがいという主従関係へと落ち着く。
生まれた時からそのようになることを運命づけられていた俺達は互いに反論の一つもすることなくそれを受け入れた。
当主となったリーナを全面的にサポートすることに己の総てを使う。それは俺自身が自分の心の中で決めたことであり、それに付随するあらゆる要素を既に自分の中で消化していた。
エーデルフェルトの課してきた運命をそのまま受け入れることに抵抗を覚えないわけではない。だが、その運命を受け入れることによってリーナが当主として大成を果たしてくれるのであれば何も言うことはない。
リーナは先代当主と母より託されたエーデルフェルトの名誉の回復、そして聖杯獲得を願っている。俺とは違い、エーデルフェルトの人間として生きてきたリーナは、自分が果たすべき命題としてエーデルフェルトの当主であることを望まれ、受け入れている。
周囲の総てが敵であるかのような世界、魔術師の一族の中で誰よりも蔑まされた存在として扱われてきた中で、妹はただ1人だけの理解者であった。
リーナが自分の夢を叶えることができるのならば、俺の心の中に浮かんでいるしこりなどと言うモノは吐いて捨てることができる程度のものなのだから。
『兄様、私は兄様が――――』
『それ以上は言うな、リーナ。言った所で何も変わらない。俺は今の立場を変えるつもりはない。これはこれで自由で楽なんだ。エーデルフェルトの家の重責なんてものに縛られなくて済む。才能しかないからな、それ以外に何も持っていない俺には支えられる重さじゃないんだ』
『………そうですね、私は今日に至るまでエーデルフェルトの当主になるための教育を受けてきました。それを知らない兄様には少しばかり重荷が過ぎるかもしれません』
リーナは自分の口から出かかっていた言葉を止めて、皮肉のような言葉を口にした。
分かっている、リーナが自分よりも俺が当主に相応しい存在であると思っていることなど。だが、それを願った所で現実問題として何が変わると言うのか。何も変わらない。
エーデルフェルトは俺が男である限り、絶対に俺を表舞台に立たせるつもりはない。リーナが当主として声高に叫んだとしても、お歴々たちは誰一人として賛同しないだろう。結果として残るのは、己の軽はずみな行動で当主としての信頼を失うリーナだ。
対して、俺が当主になるために才能を発揮して、エーデルフェルトを壊すことを選択すれば、リーナは当主として俺に相対せざるを得ないだろう。兄と妹で殺し合いをする。魔術師の世界としては珍しくもない話かもしれないが、そんなものは互いに御免だ。
結局の所、俺達に選択肢はない。リーナが当主となり、俺は才能の持ち腐れのように彼女をサポートする。これが一番収まりがイイ。誰も傷つくことなく、誰もがそれを受け入れればそれぞれの願いを叶えることができる。
リーナの努力を誰よりも間近で見てきた。比較され、打ちひしがれ、吐きだしたい弱音を悪と断じられ、誰よりも頼りにしたい相手こそ直視したくない相手であり、歯を食いしばって当主となるために邁進してきた。
リーナ・エーデルフェルトは才覚は俺に及ばずとも、その不断の努力と磨き上げた術は紛れもなく俺に劣ることはない。エーデルフェルトの家としてみれば、リーナは歴代でも指折りの完成品と言えるのだから。
『やぁ、エーデルフェルト家の皆さま。今日は貴方がたに耳寄りな話をするためにここに来た。何、貴方たちが最も求めて止まない聖杯戦争の話しだ』
当主襲名から慌ただしい日々が過ぎ去り、半年も経過すれば、リーナは当主として必要な貫禄を示すことができるようになってきた。
使用人扱いの俺は彼女の後ろを歩くばかりで、扱いも決して良いとは言えない。ただ、当主としての役割を果たす妹の姿を間近で見ることが出来たのは報酬と言っても差し支えはなかった。
『15年前の聖杯戦争―――その裏側に隠された事実。そして間もなく始まる聖杯戦争についての事です』
己の生は望まれていなかったとしても、意味が全くなかったわけではないと思えるほどには、俺は細やかな幸福を享受していた。
『しかし、聖杯戦争には一騎当千の魔術師と英霊がそろい踏みする。絶対はない。であれば、出し惜しみをしている場合などではないのかもしれない。そうではないかな、エーデルフェルトの皆さま』
だが……、その幸福はある日、突然終わりを迎えた。望むべくもないありえない、あってはならない出来事が、突如として俺とリーナを襲ったのだ。
『ロイ、お前にとって朗報だ。我々エーデルフェルトはお前をリーナに代わって当主として認める。いずれ来るであろう聖杯戦争の時に、お前がエーデルフェルトへ勝利を捧げるのだ』
『――――は?』
通された会合を開くための部屋、女系一族の血を絶やすことなく、時代へと繋げるための導きをすると名目は語っている、当主の裏で実質的に名家の決定を左右するだけの権力を持つ者たち、エーデルフェルトのお歴々たちがひしめく中で、それを代表する一人とリーナが俺の前に立つ。
リーナの表情は酷いものだった。沈痛な面持ちと同時に喉から出てしまいそうな声を必死に押し殺しているような口元、何よりも俺と視線を合わせようともしていない。
当主として、かつてとは違う関係になったとしても、リーナは俺を無視するようなことだけはしなかった。
立場も心持ちも当主になったことで大きく変化を果たしたとしても、そこだけはリーナの中で譲ることができない一点だったと思っていたし、口に出さずともまだ繋がりは保っている、そう思っていた最後の一線が、解れて消えたように思えてしまった。
その衝撃のままに告げられた言葉に口から出てきたのは、肯定でも否定でもなく、状況を理解できない反応でしかなかった。俺を当主にする? 何を口走っているのか、全く理解できない。
『不服かね、我々はお前が生まれたその時から、お前の中に宿っている魔術の才能だけは評価せざるを得なかった。我々とて幾度となく思ったとも。お前が女の身で生まれてくれれば、エーデルフェルトの歴史を変える当主になったかもしれないとすら』
『ですが、現に俺は男です。エーデルフェルトは代々、女が当主を襲名してきた。その伝統の中で定めてきた無数の制約こそがエーデルフェルトを高みに押し上げてきたはずです。それは、俺よりもあなたたちの方が遥かに詳しいはずだ。冗談を言うのであればやめていただきたいし、当主を担ぎ出す必要など何処に―――』
『半年から1年の間に聖杯戦争が行われる。我々エーデルフェルトはその誇りを取り戻すために、何があろうとも勝利を手にしなければならない。ロイ、理解できるであろう、今のエーデルフェルトで最も優れた魔術師はお前だ』
『意味が分からない。聖杯戦争は五十年周期で行われるもの、故に次代のエーデルフェルトに託すと、そういう話であったはずだ』
『そう、そうであった。我々もそのように考えていた。しかし、しかしな、ロイよ。協力者が現れたのだ。我々エーデルフェルトの再起を願う協力者だ。15年前の聖杯戦争の真実を我らは知った。そして納得した。既に星見の魔術師に未来を占わせた』
『魔術師は極東の地で再び大規模な魔術の激突が起こると口にした。既に時計塔にも根回しはしている。御三家や聖堂教会などよりもよほど早く、我らが知りえたのだ。次なる聖杯戦争が起こることを』
口を開く者たちは誰もが狂気の熱に浮かされているようだった。常日頃から、この家の人間たちに対して嫌悪感を抱いていたのは事実だが、自分に向けられる反応は明らかに常軌を逸している。
誰も彼もが熱に浮かされ、現実を見ていない。夢から覚めてしまえば、口を開くこともできないのかもしれない。
彼女たちは世界の中で最もロイ・エーデルフェルトを蔑んでいた者たちだ。魔術の才能を持っていても、役に立たない者として、存在することだけを許していた者たちだ。
そんな者たちが、勝つために俺に当主になってくれと口にしている。もしも、俺に野心や復讐心と言うモノが備わっていたとすれば二つ返事でそれを了承し、今までの非礼をまずは詫びるようにと口にしていただろうが、生憎と俺はエーデルフェルトの当主なんてものには全く興味がない。
『聖杯戦争が起こるとしてもリーナがマスターとして参戦し、俺はそのサポートに徹する。それでも十分な筈だ。今更当主を変えるなどと前例を覆すことをする必要もない』
自分を虐げてきたエーデルフェルトの在り方を肯定するなどと笑ってしまいそうだった。
お歴々たちの何人かが舌打ちをする。俺に自分たちの本心を口にされたことにいら立ったのだろうか。
『ならぬ。聖杯戦争に確実に勝利をするのならば、優れた魔術師がマスターになる必要がある。サーヴァントは英霊、己の願いを叶えるためにマスターに牙を剥くやもしれぬ。確実に従わせるには魔術師側を最良にせねばならない』
『ですが、あくまでも当主はリーナだ。我々エーデルフェルトがいまするべきことは、当主云々で議論することではなく、リーナの下に聖杯戦争をどのように勝つかを考えるべき時でしょう。最適解であろうとも選び取らずに伝統を優先してきた、それがエーデルフェルトのはずです。今更、貴方がたの意見でリーナの意思を無視するようなことは―――』
『お前を当主にと声を上げたのは他ならぬリーナだ』
『――――――――』
一瞬、頭が真っ白になりかけた。可能性としては十分に考えられるはずのそれを、このような空間の中で、目を逸らし続けているリーナの姿から、勝手に解釈を一つに置き換えてしまっていた。
『………、今のエーデルフェルトの中で最優の魔術師は誰が見ても兄様です、私ではありません。エーデルフェルトが勝つために、我らが名誉を取り戻すためであると言うのならば、私は当主として最善の判断をするまでです。兄様、当主を引き受けてください。これはエーデルフェルトの総意です』
『リーナ、お前は……』
『勘違いをしていませんか、兄様。私は、ずっと思っていましたよ。本当に当主に相応しいのは誰なのか、兄様に違いないと。口にしたところで何かが変わるわけではないと思っていました。だから、胸の内に留めました。でも、ようやくすべてが正される時が来たのです。ならば、兄様―――私が当主である必要はありません』
『お前はそれでいいのか……ッ!』
『我々はエーデルフェルト、個人の意思などよりも伝統と血を重んじる魔術師の名家です。語るまでもありません、ようやく私たちの意思は一つになれたのですから……』
『リーナの言う通りだな、蟠りはあった。しかし、我々はようやく意思を一つとすることが出来た』
『次の聖杯戦争に勝利し、我らは新たな時代を築く』
『ロイよ、誇るがいい。お前はエーデルフェルトの歴史の中でただ一人の男の当主となるのだ』
部屋の中が歓声に包まれるようだった。リーナの決断を誰もが祝福している。まるで自分たちは最初からそうするべきだったのだと言わんばかりに。最初から、伝統に嫌気がさしていたのだと言わんばかりに。
『リーナはどうなる?』
『ん……?』
『聖杯戦争のために俺が当主になったとして、リーナはどうなる?我らが母と叔母のようにもう一人のマスターとして、協力をするという判断でいいんだろうな? 結局、そうなるのならば、どちらが契約を結ぶか程度の話しでしかない。結局、俺が当主になる必要など―――』
『何を言っている。双子の姉妹でないお前たちに先代の当主たちと同じことが許されるはずが無かろう。エーデルフェルトは女系の魔術師。そこに男の当主と言う例外を与えるのだ。であれば、代償は与えられて然るべきだろう』
『リーナは聖杯戦争に勝利するために己の立場と兄の立場をそのまま入れ替えた。当主として家を存続させるために必要な苦渋の判断をした。
であればこそ、当代のみに許された男の当主。そういう話でなければ、これまでエーデルフェルトの発展に寄与してきた先代たちに申し訳が立つまい。数百年以上の伝統を壊すのならば、相応の覚悟が必要だ』
『リーナもそれを分かったうえで受け入れている。当然だ、エーデルフェルトの当主としてこの家を存続させる、再起させるために必要なことなのだから』
眩暈がした。吐き気を覚えた。目の前に立つこいつらは自分が口にしていることの意味を理解しているのだろうか。
こいつらは自分たちが今まで選んでこなかった選択肢を選ばざるを得ないことに対して、その責任の総てをリーナに被せようとしている。被せた上で、それを当主の最後の役割だなどと臆面もなく口にしようとしている。
総ては伝統などという埃かかった想いの下に現実を観ようとしなかった彼女たちの誤りを、では仕方がないという判断へと誘導しようとしている。
『逆にロイよ、お前が当主にならぬと言うのであれば、リーナは当主として聖杯戦争に参戦する。しかし、その上で敗北したとすれば、それはお前たち兄妹の責任だ。我々がここまで譲歩をしているのだ。何を選ぶべきかはもはや分かっているだろう』
ああ、ここまで聞いてようやく分かった。要するに彼女たちは、勝てる保証と負けた時の言い訳が欲しいのだ。
もしも、俺がこの誘いを断って、聖杯戦争に勝利すれば、それはリーナという当主が強かったと認められるし、敗北すれば当主になることを選ばなかった俺とリーナの責任であると。
15年前の聖杯戦争で何もできずに負けたことがよほど、トラウマにでもなっているのだろう。辛酸をなめた次の戦いでもう一度敗北することなど絶対にあってはならない。
そんな事態が起こるとすれば、それは自分たちの忠告を聞くことが無かった者たちに責任があると、そういう話へと運ばせたいわけだ。
『…………』
虫唾が走る。リーナは今日に至るまで、必死にエーデルフェルトの当主になるための研鑽を積んできた。これだけの扱いをされながらそれでもエーデルフェルトの為と口走るのは、家に縛られているからもあるだろうが、同時にこれまでの自分の努力を否定したくもないからだ。
俺がここで反発し、リーナを連れてエーデルフェルトを出ると言う選択肢を取ることは簡単だ。目の前にいるお歴々たちとリーナが同時に襲い掛かってきても、凌ぐことができる自信は持ち合わせている。
しかし、それが根本的な解決にはならないし、リーナの人生を踏みにじるに等しい行為であることも十分に分かっている。
(どうするのが正しい……俺は何をすればいい。エーデルフェルトに向ける忠義なんて欠片も持ち合わせてはいない。だが、選択を誤ればリーナの心を壊すことになりかねない)
狡猾な彼女たちの事だ、リーナと俺の立場を逆転させることは決して冗談ではないだろう、そんなことをすれば、リーナの心は間違いなく壊れる。だからといって、リーナを連れ去れば、此処までの総てが無意味になる。
何処の誰に吹き込まれたのか知らないが、随分と手の込んだシナリオだ。リーナと言う存在を利用して、俺の逃げ場を徹底的に奪い取っている。
受けるしかないのだろう。エーデルフェルトの当主として聖杯戦争に勝利する。勝利することでエーデルフェルトの復権を果たす。
俺にとってそれが何の意味があるのかもわからないが……、
(いや、違うな。意味があるのかどうかを判断するのは俺自身であるべきだ。ある意味でこれは奇跡のような出来事であると言ってもイイ。考えろ、俺とリーナにとっての最善とは何であるのかを)
リーナの瞳は揺れている。決定の総てを俺に委ねていることに、信じればいいのかどうかすらも分からないのだろう。リーナだって、俺がエーデルフェルトに忠誠を誓っていないことくらいは分かっているのだから。
そうだ、俺はリーナの為に戦うと決めたはずだ。生まれた時からそのように定められているのだとすれば、俺の総てはリーナの為にあるべきだ。
パチリと自分の中で何かが嵌ったような気がした。言葉は自然と口から出た。
『わかりました、お歴々たち。エーデルフェルトの当主、謹んでお引き受けしましょう』
『ほう、引き受ける覚悟が決まったか』
『ええ。ですが、聖杯戦争に参加する以上、私にも叶えたい願いがあります。それを叶える権利を戴けるのであれば、私は当主となり、必ずやエーデルフェルトに栄光を齎しましょう』
『聖杯に掛ける願いは根源への到達であるはずだ!』
『聖杯が無くとも、私の願いは叶えることが出来ます。エーデルフェルト家に対しての願いでありますから』
『兄様……?』
俺の叶えたい願いがわからないのか、リーナは疑問を表情に浮かべていた。これまで俺はこの家に何一つとして求めてこなかった。求めたところで得られるものなど何もないとわかっていたからだ。
しかし、俺は初めて願う。この忌まわしい運命を俺達に与えてきた家へと。
『俺は誓う。エーデルフェルトの当主として、七星に勝ち、聖杯戦争の勝利者と言う栄光を持ってここに帰還しよう。それが叶った時には、リーナをエーデルフェルトの当主へと戻し、俺の痕跡をエーデルフェルトから総て抹消してもらう』
その言葉に部屋の中にいた誰もが息を呑み、次の瞬間には声を上げた。聞くにも堪えない罵声の数々が木霊するが、全く聞こえない。どうでもいい。
『ロイ、貴様は我々が当主に選んだと言う慈悲の意味を理解できているのか?』
『ええ。むしろ、その方が貴方がたにとっても好都合でしょう。先人たちへと顔向けできないなどと言うのであれば、歴史に残るのはリーナの名前だけで十分だ。俺が当主? バカを言え、貴方がたの戯言に付き合うのはこれが最後だ』
『そこまで言うのであれば、負けて戻ってくるなど決して許されぬぞロイよ』
『そう思っているから、俺を選んだのでしょう。安心してほしい、貴方がたの為ではなく、リーナの為であると言うのならば、俺は全身全霊を掛けて戦いましょう。当主としての役割などは、また後に……』
告げて部屋を出る。言いたいことを言いきったからこそ、一秒も早く部屋から出たかった。あんな空間の中にいたら、魂までもが腐ってしまいそうだったからだ。
『兄様……!』
背を向けて歩き去る直前に、背中に呼びとめるための声が届く。その声の主が誰かなど聞くまでもなく、その声は、当主としての声色ではなく、まだそんな重荷を背負う前の声であったことに気付いた。
『どうして、あんなことを言ったんですか……! もっと穏便に済ます方法は幾らでもあったはずでしょう!?』
『受けざるを得なかっただろう。その上で足掻ける方法を探しただけだよ。何も心配しなくていい、当主を受けると決めた以上、必ず勝つ。リーナは何も心配しなくても―――』
『私は――――兄様が当主になって当然だと思っていた! だって、兄様は私より優れている。優れている人が当主になるのは……当たり前の事です。ずっと、怖くて、言いだせなくて……、でも、今なら、兄様をって。なのに、なのに!!』
『……違うんだよ、リーナ』
振り返れば、今にも大泣きしてしまいそうな妹の姿、今まで胸の内に埋めていた言葉を吐きだしてしまったから止まらないとばかりの彼女へと振り向き、問答無用で抱き寄せる。
『ずっと、リーナが俺に劣等感を抱いていることを知っていた。常に俺と比較されて、苛立って、それでも必死になって努力して、俺の前でも出来る限り平生を装って、総てはエーデルフェルトを背負うために。その努力を知っているから、言いだせなかった。言ってしまったら、リーナの努力を踏みにじってしまうんじゃないかと思っていた。』
俺への劣等感すらもリーナにとって成長の糧になるのならば、憎まれても構わないと思っていたのは本当の事だ。それでリーナが幸福になれるのであれば……などと、思っていたのは俺の勝手な思い込みだ。
結局、そんな自分の臆病さが今日という日を招いてしまったことは言うまでもない。もしも、俺がリーナに自分の思っていることを吐きだしていれば、少なくともリーナはそんな選択をすることはなかっただろう。
『違います。私は……兄様が当主になればエーデルフェルトを変えられると思っているから。エーデルフェルトと言う家に誇りを持っている私では結局家に逆らえない。だから、兄様が当主になれば――――』
『それでも、俺ではダメなんだよ、リーナ。俺は才能しか持ち合わせていない。エーデルフェルトの教義も意思も誇りも何も理解できていない。俺が当主なんてものになったら変わるどころか、この家を壊してしまう。当主に相応しいのは何があろうともお前なんだ』
エーデルフェルトは変わらなければならない。七星に敗北し、誇りを失って、必死に足搔いてそれを取り戻そうとする中で、さらに没落を始めようとしているこの家は大きく変わる必要がある。
『失った誇りは取り戻してみせよう。栄誉を連れて帰る。七星と言う仇敵が再び現れるのなら、正面から倒して見せよう。だからその後はお前だ、リーナ。積み重ねてきた時間が必ず支えてくれる』
誰が相手であろうとも最後に聖杯は必ず手にする。だから、ああ、そうだ。願わくば、極東の地で待つ七星よ、己の倒すべき相手よ。どうか、俺が勝つに足りる相手であってくれ。その相応しき力を奮って、俺の前に立ち塞がる壁であってくれ。
『兄様はバカです、放っておけません。これから……聖杯戦争が終わるまで、バカなことをしていないか、目を、光らせておきますから』
『そうだな、聖杯戦争が始まればこの家を出ることになる。考えてみれば、長い期間、外に出ることなんて中々なかったからな。羽を伸ばすいい機会ともいえるな』
『ほら、またすぐにそういうことを―――』
『だから、リーナも好きにやればいい。俺は極東に行ったら好きにやる。お前も好きにすればいい。聖杯戦争の地にはお前を縛るものは何もないんだから』
調子のいい言葉だ、リーナからすればそれが当主になる者の態度かと言われても仕方がない。ただ、俺達はもっと普通の生き方を与えられても良かったはずだ。
今まで、多くのものに縛られてきた。必死に頑張って来たんだから、その見返りがあったっていいじゃないか。聖杯戦争が行われる地で何が待っているのかはわからない。
けれど、リーナがほんの少しでも記憶として覚えていてくれるような時間であればいい。
『まったく……仕方がないですね、兄様は』
それからの聖杯戦争を迎えるまでの時間はあっという間に過ぎ去った。エーデルフェルトの地を飛び立ち、この地でセイバーを召喚し、そして、桜子と出会い……そして。
そして今、目の前で眠るリーナを前に、解れかかった心は原初の始まりを思い出し、僅かばかりの力が甦る。
ただ、俺の戦いはリーナの為の戦いだ。もしも、このままリーナが目を覚まさなければ、そうなれば―――――
「……………を、何を、呆けてるん、ですか。兄様」
「―――――リーナ」
か細く、震える手で、まだ温かさを取り戻していない手が俺の手に触れる。顔を上げれば、うっすらと目を開けたリーナが……微笑を浮かべて視線を合わせた。
「大丈夫、です。だから……兄様、戦って」
「だが、俺は―――」
「ねぇ、兄様。兄様に叶えたい……、願いがあるように、私にも、あるんですよ? 願いが」
「………」
「勝って……! 私も、エーデルフェルトも関係ない。兄様が、最も強いって、証明して。貴方は、私が目指し続けた、最優の魔術師なんだから……!」
「―――ああ、安心しろリーナ。俺は負けないよ、そう約束しただろ」
「ええ……七星桜子、との戦いには、必ず間に合わせ、ますから。私たち二人で」
「ああ、必ず願いを叶えよう」
エーデルフェルトと言う血の運命など関係ない。そんなものよりもなお深く結びついた「血よりも濃い絆」が俺たちにはあるのだから。
リーナの手を離し、俺は改めて、先ほど、耳の痛い話をしてくれたセイバーの下へと立つ。そして、まずは礼を尽くすために頭を下げた。
「セイバー、すまなかった」
「主よ……」
「お前のマスターとして不甲斐ない姿を見せた。だいぶ失望させてしまったとは思うんだが、まだ、俺を主と認める気持ちがあるのなら、どうか、もう一度チャンスをくれないか?」
「………、そうか。貴殿はそう選択するのか」
セイバーはただ呟き、目を伏せ、暫ししてから開き、口を開いた。
「主よ、我も同じだ。貴方を信じようとしながらも、信じきることが出来なかった。であればこその諌めの言葉であった。謝を口にするは此方も同じであると考える」
「そうか……、なら、両成敗と言うことで手打ちとしよう。俺には君が必要だ」
「―――御意。主命完遂を。我はただその為に此処に現界するものであれば」
改めて思う。俺の人生は確かに恵まれたモノではなかった。生まれた時から誰にも祝福されずに、悪意ある世界の中で生きることを余儀なくされた。
だが、それでも、リーナがいてくれたことは紛れもなく幸運だった。そして、今、不甲斐ない主を信じて、待ち続けてくれていた従者がいる。世界全てが敵であろうとも、俺にはこんなにも頼もしい味方がいるのだから、何かを怖れる必要なんてどこにもないと改めて理解できた。
「セイバー、行くぞ。殲滅戦だ――――恐怖に染まった獣と剣士たちを討伐するために」
「―――命令受諾。殲滅は我が最も得意とする所である」
ああ、奴らに理解させてやらなければならないだろう。お前たちが敵に回した相手がどれ程恐ろしい存在であったのかということを。
「リーナ、行ってくる」
「はい、御武運を……兄様」
まもなく夜がやってくる。秋津の街に顕現する6つの陣営、総てにとっての決戦の夜がやってくる。この夜を制した者が、そのまま聖杯戦争の優勢を手にすると言っても過言ではないほどの意味がある夜。
そして多くの者たちにとって、ここまでに醸成されてきた因縁がぶつかり合う夜がやってくる。
『首尾はどうかしら? そっちは』
「ああ、上々だ。持つべきものはやはり人脈ってことだな。これで奴らよりも先に辿り着くことができる」
『来るかしら、円華ちゃんは?』
「来るさ。円華は俺様が認めた女だ。久坂の良いように使われて終わるような女じゃない。必ず来る」
『ほほっ、どうせしくじれば、皆終わりであることに変わりはないでしょう。コルテス殿、我々は貴方に賭けた。貴方が我々に口にした言葉が虚飾でなかったことを、証明していただきましょう』
「爺こそ、よぉく見とけ。お前の目が節穴じゃなかったってことをしっかりと教えてやる」
視界の先に見えるは電波塔、既に多くの志士たちが配置につき、あからさまに電波塔を守るように展開している。こと此処に及んでは、この場が他の陣営に見つかることは分かった上での行動と言うことか。
「上等だ、最後の勝負と行こうぜ、久坂。俺様が消えるか、お前たちが消えるか。どちらかだけだ」
夜が来る。誰にも等しく来るべき時間が訪れる。そして……その夜が明けた時に、この聖杯戦争がどのような趨勢を迎えるのか。
果たしてこの街の盤面を見据えている者たちのどれ程が全ての状況を読んでいると言うのか。
その答えが結果として明かされる時が――――いよいよやってくる。