――秋津市中央・電波塔周辺――
その獣は、生まれた時から誰にも理解される事無く存在していた。フランス・ジェヴォ―ダン地方に姿を現した獣、わけもわからず人間を襲ってくる獣、闇夜に紛れて牙を剥けてくる悍ましい怪物。
初めて獣を目撃した人間が、果たして彼をどのような存在であると認知したのかはもはや誰にも分からない。風聞だけが先に進んでいき、いつしか獣は己の姿かたちすらも忘れて、人々が願う空想上の存在として人類史に刻まれていく。
獣がどんな姿をしているのかなど人々には関係なかった。ただ、おぞましい獣が存在している、ただ、それだけの事実があって、誰かが討伐をしたと宣言しても、既に目を出した恐怖の感情は決して払しょくされることはなく、誰もがその恐怖の感情に足りるだけの恐ろしい獣の正体を求めることになる。
例え、獣の正体がどこにでもいる犬や狼だったとしても、もはや関係ないのだ。そんな何処にでもいる存在がおぞましい恐怖を振りまくわけがない。
あれはジェヴォ―ダンに生まれた人類を脅かす怪物なのだ。怪物の正体が早く見つかってほしい、どうか怪物を倒してくれと……、身勝手な想いを抱いて怪物の像だけは浮かんでいく。
振りまきたかったのかすらも怪しい恐怖によって獣は、偽りの存在を刻み付けられていった。獣の本当の正体など誰も興味はない。偽りのもっともらしい存在にしか興味がない。だから、獣はいつからか己の正体すらも分からなくなった。
正確に言えば、人類史に刻まれ、座に登録されたこの獣は己の正体すらも分からない。偽物の情報によって生み出された偽物の身体、恐怖によって形すら変えられるが故に己の本質すらも見失ってしまった獣。人間の感情と思い込みだけによって構成された実体すらも掴めない儚き存在。
そのような獣だ、誰もこの獣の本質を理解しようなどとはしない。ただ悍ましいと思うだけだ。そう思うだけだった。
しかし、この現世にて出会った男だけは違った。神丘奉と言う男は明確に自分と言う存在に恐怖するでもなく、むしろ、自分を必要とした。
無論、そこに人間が持ち得る愛情のような感覚があったわけではない。あくまでも使える使い魔、あるいは兵器という感覚でしかない。何にしても獣に人間の感情など分からない。どういった目的であるのかもわからない。
ただ……、他の人間と明確に違うと言うことだけは分かった。自分を怖れるのではなく、自分を必要とする存在、それは獣が初めて覚える感覚であった。
獣はその感覚が何という言葉で表現されるのかを分からない。分からないからこそ、自分の一番やりたいことをする。それだけであった。
死屍累々の世界、電波塔周辺であったはずの場所は、荒野へと変わり、野ざらしにされた屍が至る所に転がっている。
それらすべてがほんの少し前まで、この街の恐怖の象徴として君臨していた獣たちであるなどと、この光景を見て思い浮かべることができるものはいるだろうか。
むしろ、その屍たちの中心に立つ血塗れの機兵とその横に立つ魔術師こそがこの場においては恐怖の象徴に他ならなかった。
機兵・白起の宝具は派手さや破壊力を追求したものでは決してない。むしろ、ステータス面が完成されきっており、戦術予測によって優勢を確保できるこの機兵にとって、攻撃力の追及は必要ではないのだ。
宝具『卒四十萬人――挾詐而盡院殺之』、その効力は固有結果以内に取り込んだ者たちへの強制的な恐怖、恐慌状態への移行、無数の嘆きと怨嗟の声に支配された空間の中で対峙する相手は白起という英霊に刻まれた虐殺の記憶に触れる。
彼の命運そのものを決することになった残虐非道ともいえるその行為によって生み出された地獄は、どれほど高潔なものであったとしても、泥濘のさなかへと追いやっていく。
恐怖、あるいは恐慌を抱いた者の足が竦めば、もはや白起を止めることができるものはいない。機兵は当たり前のように動けなくなった相手を蹂躙し、屠っていくだろう。
機械的に、合理的に、相手をひき潰し、怨嗟の声を死を以って鎮める。
強制的なデバフ効果を周囲にもたらす宝具、それを以って相手が卑怯だと罵るのならば、彼はこう返すだけだ。
「何を恨めしい顔を浮かべている、バーサーカーのマスター。これは戦だ。勝たねば、全てが無意味なのだ」
「テメェ……舐めてくれているんじゃねぇぞ……」
そう口にするものの、奉の足は誰が見ても分かるほどに竦んでいた。目の前の機械兵士を相手に己が恐怖していることは間違いないのだと理解してしまう。
しかし、それだけならばよかった。目の前の化け物としかいいようのない相手だけがこの地獄を生み出したのならば、それは災害かなにかと同じであろうと諦めることもできた。
「主よ、戦闘遂行は可能か?」
「ああ、魔術を使って中和はしているが、さすがに古代の英霊の心象世界というものは恐ろしいね。少し気を緩めれば、足が崩れてしまいそうだ。でも、大丈夫だ、君の隣で戦うと決めた以上、最後まで意地を張らせてもらさ」
「………っ!」
セイバーのマスターであるロイ・エーデルフェルト、懐刀である櫻一郎を相手に優位に立ちまわった優秀な魔術師程度の認識でしかなかったというのに、この固有決壊の中でこの男は、恐るべき立ち回りでバーサーカーを相手に戦闘をして見せた。
(倒すこと自体は全てセイバーがやったにしても、今のバーサーカーはセイバーにも肉薄するほどの力を持っているんだぞ。なのに、なんでこいつはただの人間の魔術師でしかないってのに、サーヴァント相手に立ち回れるんだよ!! おかしいじゃねぇか!!)
そう、純粋に恐怖を覚えているのはむしろ、ロイの方だ。ただの魔術師がここまでになれる、奉にとって純粋な戦闘兵器に等しく、明確な区分をしているバーサーカーを相手に戦える。戦える可能性を示してしまったことが何よりも恐ろしい。
神丘奉は嫌というほどに痛感させられる。この男こそが己が常に目を逸らしてきた存在、魔術師の世界における「本物」という存在だと突きつけられたに等しかった。
自分がなりたかった存在、自分が本来ならなければならなかった存在、偽物として越えなければならなかった存在、直面した相手が非の打ちどころのないそれであるということが何よりも奉の心を苛んでいる。
マスターに釣られる形でバーサーカーも明らかに攻撃の手が緩んでいる。ここまでにロイの魔術とセイバーの武技によって、徹底的に追い詰められたことによって攻め手を失っているに等しい。
今日に至るまで、常に恐怖の象徴として君臨してきた獣はこの時初めて、自分が恐怖させられる存在へとその身を堕としたことを痛感させられたのだ。
「………、すでに戦意は喪失し始めているが、最後まで油断は無しでいこう」
「御意。首を討ち取るまでは、牙を向けてくる可能性は十分に考えられるものであれば」
怒りは胸の中に存在している。しかし、その怒りで敵に隙を与えてしまうほど、ロイもセイバーも慢心はしていない。宝具という切り札までもを展開しているのだ。勝って当然の戦いである以上、同情も驕りもなくただ粛々と戦いを終わらせるだけである。
「ちくしょう………!」
対して、奉は無力感と怒りにその身を燃やすほかなかった。久坂にいいように扱われて、報復をしようとすれば、セイバーに襲われて、その機会すらも奪われる。
挙句の果てには、ここまでに何度も何度も強さを与えてきたバーサーカーが難なく蹂躙されている現実、ああ、まったくもって度し難い。
機兵が動く。怯んだ獣に対して最後の一撃を与えるために動く。キャスター陣営を裏切り、自分たちの戦力だけで戦っているバーサーカー陣営に手を伸ばしてくれる者は誰もいない。
(終わるのか……? あれだけ、昨日もなんとかこいつらを上回ったっていうのに、また俺たちはすりつぶされるだけなのか……?)
これまでも必死に恐怖をため込み、必死に自分たちの存在を全国に知らしめ、サーヴァントを倒し、何度も何度も倒されていく中で、ようやく自分たちの願いを叶えることができるかもしれないところにまで手を伸ばしたというのに、あまりにもあっさりとその野望は朽ち果てていく。
「人の生み出した妄念に寄り添う他ない偽りの恐怖に縋る獣よ、貴様は本物の恐怖を知った。紛い物の恐怖を抱えて、ここで朽ち果てるがいい」
セイバーがバーサーカーへと迫る。戟を振るえばその一刀で獣の体を砕いてしまうであろう想像が奉の頭を過る。それは未来に待ち構えている恐怖であり、同時に現実に対していだく激しい怒りへの源泉でもあった。
「ふざけるな……」
ポツリと奉の口から言葉が漏れる。命乞いをしているわけでもなく、単純な弱者特有の強者への恨みつらみを口にしているだけのこと。
「俺たちが生み出してきた恐怖が偽り……? 勝手に決めているんじゃねぇよ、確かに偽りはいくつもあったかもしれないが、俺たちの全てを否定するなんてことを言うんじゃねぇよ!!」
「それを口にできるのは勝利を手にしたものだけだ。貴様らは敗北する。その怨嗟を糧に我々は先へと進んでいくだけだ。朽ちよ、そして偽りのあり方に終止符を打て」
セイバーは何処までも機械的に勝負の付いた戦いを終わらせるための刃を放つ。サーヴァントを屠り、その後にマスターを倒せばそれで終わると戟が振り下ろされる。
獣の恐怖を上書きするほどの恐怖を以てこの場を支配したセイバーの刃に抵抗する術を獣は持ち得ない。獣はただ本能のままに首領と殺戮をするだけにセイバーへと抗う術を持ち得ないのだから。
「―――――ッ」
「………、バーサーカー」
抗う術など何も持ち得ていない筈なのである。しかし、しかしである。バーサーカーは震える四肢に力を籠めて振るわれた戟をその牙を以て受け止めた。
無論、生半可な威力で放たれたわけではない戟を受け止めたのだ。黒色の靄で覆われているバーサーカーの牙は上下とも、黒色の中に凄絶に赤色を浮かび上がらせ、受け止めることも精一杯であることを示していた。
その姿に奉は息を呑む。バーサーカーは獣であり、己の本能のままに倒せる相手に喰らいついていく存在だった。これまでは、恐怖の蔓延によって時間を経れば経るほどに強くなっていくからこそ、気にも留めなかったが、恐怖を覚え、戦うことへの忌避感を覚え始めていたバーサーカーがここで立ち上がる道理など何もなかったのだ。
初めて見る光景に奉が何と反応すればいいのかわからない様子を浮かべれば、視線がかみ合った。黒色の靄の隙間から窺える獣の眼光、その視線が奉の視線と交錯する。
――――これでいいのか?
「…………」
そう問われているような気がした。言うまでもなく、奉とバーサーカーは一度も会話を交わしたことはない。獣と人間、実体も明らかではないサーヴァントを相手にコミュニケーションを取ることなど出来ない。
だが、そんな理屈以上の感覚で、奉はバーサーカーが何を想ってセイバーの攻撃を受け止めたのかが分かったような気がしたのだ。
自分たちは偽物だと口にし、これまでの総てを否定する無慈悲な一刀、それを許せないと思う怒りがあるからこそ、震える四肢に力を籠めて、獣は今、目の前で展開されている恐怖に抗おうとしている。
無論、ただの都合のいい妄想かもしれない。奉が自分の心をサーヴァントに投射してそのように思いこもうとしているだけかもしれない。なら、それはそれでいいだろう。
大事なことは、目の当たりにした本物の力を前にして、泥臭くまだ諦めたくないと思っていること、己のサーヴァントがまだ戦う気力を持っていること。
必要なことはそれだけであり、奉は歯を食いしばる。解れかかっていた己の意思を繋ぎとめ、右手に宿った刻印がその意思に呼応するように光を掲げる。
「行けッ、バーサーカー!! お前はこの街の恐怖の化身だ!! お前こそがこの街の恐怖を支配する。だったら、自分の中の恐怖に負けてる場合じゃないだろ!!」
奉の右手の刻印がまた一つ消費される。令呪の使用、先ほどの久坂の目論みによって無駄に消費された一発とは違う、奉の意志でこの状況を打開するために行われる令呪装填が、サーヴァントであるバーサーカーへと注ぎ込まれる。
「GRUOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
吼える、雄たけびを上げる、これまでただ潰されるしかなかった獣の叫びが、セイバーの展開した固有結界の中に木霊する。
同時に、頭を動かし、牙に咥えたままの戟を頭ごと振り回して放つと、四肢は大地を蹴って真正面のセイバーへとそのまま激突。
ただの体当たりでありながら、セイバーの身体が大きく後退する。
これまでの足が竦み、恐怖に呑まれて、まともに動けなかったバーサーカーの反応ではない。むしろ、昨日以上にバーサーカーは昂っている。
「やはり、最後まで油断をすることはできないか。窮鼠猫を噛むとは日本の言葉だったかな。最後の最後であの獣、一皮むけてしまったらしい」
ロイは思わず苦い表情を浮かべる。先ほどまでのバーサーカーにならば絶対に負けないと言う自信が持てていた。恐怖を力とするバーサーカーをそれ以上の恐怖で制圧する。
策としては非常にハマったものであったのだが、この局面でバーサーカーはその恐怖を振り切った。黒色の獣がどのようにしてそれを振り切ったのかをロイは理解できない。
理解できないが、目の前の現実だけは受け入れた。バーサーカーはこのとどめを刺す一瞬の間に、より強さを増したのだと刻み付ける。
「セイバー、気を持ち直せ。偶然掠め取ったなどとは思うな。もう一度最初から全力で叩き潰すつもりで仕切り直せ!」
「―――御意!」
セイバーが何かをしくじったわけでもないことはロイも理解している。自分たちの落ち度ではなく、この土壇場でバーサーカー陣営がスキルに依らない自分たちなりの進化を果たしたと言うこと。
先ほど、ロイがリーナとセイバーに叱咤激励されたことによって、自分の中にこみ上げていた弱気な自分を払しょくすることが出来たのと何ら変わりはない。この固有結界内における恐怖という絶対的感情による支配を、勝つと言う目的のために彼らは振り切ったのだ。
「―――言うなれば、自分自身の恐怖を喰らって乗り越えたか」
「難しい御託なんて知ったことか。俺のバーサーカーはまだまだ強くなれる。それがお前たちから見れば偽物の強さだろうが何だろうが、どうでもいいんだよ。最終的に勝つことが出来ればそれが、最も正しいってことになるんだからな」
「確かにその通りだ、どれだけの名門であろうとも、正当性があろうとも勝てなければそれは総てが無に帰す。よく知っているとも。だが、勝つという思いの多寡の勝負なら、こちらも負ける気はしないぞ?」
ロイと奉の言葉はそのまま彼らの人生観そのものを現していると言ってもイイ。互いに互いの負けられない理由が存在し、それを形にするために二体のサーヴァントは激しくその武器を振いあって激突していく。
セイバーは戦術予測を再び起動し、バーサーカーは己自身の恐怖すらも呑み込んでこの空間を打破せんとする。令呪が装填されたことによって、バーサーカーの魔力は一時的に飛躍している。
その飛躍はセイバーに伍するほどであった昨日の力を再び取り戻すまでに至り、機兵の身体を噛み千切らんと一見、無鉄砲にも見える突撃を繰り化していく。
「――殲滅してくれる」
だが、その突撃とて全く意味のないものではない。なにせ、弾丸のごとき速度でセイバーに並ぶほどの巨体の激突が行われるのだ。突撃の際に回転力までもを加えて飛び込んでくる姿はまともに受け続けていれば、それこそ鎧を砕いて破壊するだろう。
「ぬぅっ!!」
それでも砕けぬからこそ最優のサーヴァント。怨嗟の声がバーサーカーの足をほんの少しでも怯ませれば、その瞬間を狙って正確無比な一刀がバーサーカーへと突き刺さり、地面に獣の身体が深くめり込む。
黒色の靄そのものが掠れていき、獣の霊基そのものにまで影響を及ぼすが、バーサーカー自身は砕けぬ限りは動き続けるとばかりに再びセイバーへと牙を伸ばす。
まさしく狂戦士が如き戦い、ここまで人類を脅かす正体不明の獣でしなかったバーサーカーはことこの戦いにおいては違った様相を見せていた。
さながら、絶対的な力へと抗う、勝利を勝ち取るために飛び込んでいく生命の一つとしての輝きがこの土壇場で放たれ始めている。
ロイ自身が口にしたように、バーサーカー陣営と言う勢力にとって大きな転換点ともいえるかもしれない。このセイバーの固有結界の中で仕留めきることが出来なければ、己の恐怖を理解し、抗うことを覚えたバーサーカーは今度こそ、セイバーですらも手の付けられない怪物にまで進化するやもしれない。
「そうだ、バーサーカー、それでいい。誰もお前の正体を理解しようなんてしない。怪物のような獣でしか、お前の存在価値がないというのならば、勝ち取ってやればイイ。俺と同じだ、お前も、その怪物とされた生を、己を誰も見ようとしない偽物の在り方を叩き潰すために戦えばいい!」
奉の叫びに呼応するかのように再び、セイバーの固有結界に獣の呼応が聴こえる。先ほどまで屍を晒していたはずの獣たちが再び力を増し始めている。
「本当に息を吹き返してきた、か…… これはキャスターを倒すのまでは間に合わないかもしれないな」
この先を考えて余力を残しておく。などと考えていれば間違いなく致命傷を負う。目の前の獣を完膚なきまでに潰す。それを胸に固有結界内の戦いは再び勢いを強めていくのだった。
――秋津市北側・唯一神理教総本山――
「―――ッ、ギリギリなんとか戦い続けている状態を維持していますけれど、いつまで持たせられます? いい加減に帝に平伏された方が話が早いと思いますが」
「はッ、さっきまでと反応変わってきてない? 自信満々に二人で来いなんて言った割には、息が上がってきているよ!」
総本山の戦場、七星桜子と遠坂蓮司、一宮梓沙の戦場は梓沙優勢のまま進んではいるが、桜子たちが全く梓沙に手を出すことが出来ずに進んでいると言うわけではなかった。
蓮司と桜子のコンビネーションはお世辞にもうまいとは言い切れない。桜子が主体で動けば蓮司がサポートに入り、蓮司が逆に梓沙に狙われるようであれば、桜子がそのカバーをする。
両者それぞれ相手の動きに合わせる形で自分の身体を動かしているだけに過ぎず、相乗効果を生み出すと言えるほどの所にまでは至っていないのが正直な所だろう。
ただ、その行動が全く意味を成していないかと言えばそうとも言い切れない。梓沙自身は護符による防衛力で未だに傷一つその身に受けていないが、必死に食らいつく桜子と蓮司に対して、何も消耗していないわけではない。
七星櫻一郎のように鉄火場の多くを経験した者やロイ・エーデルフェルトのように才能レベルで強者に位置する者と違い、一宮梓沙もいまだに発展途上、加えてキャスターによる洗脳で本来以上の力を発揮している彼女も、無意識のうちに生まれ始めている疲労の総てを隠しきれているわけではない。
逆に桜子は、戦闘で与えられた傷の痛みを忘れるほどに、自分の中の魔術回路がより強く力を発揮し始めている。七星の血の恐るべきは相手を倒すためであれば際限なくその力を与えてくれると言う点なのかもしれない。
ただ、今はまだ梓沙の方が有利である。ただ、圧倒的というわけではなくなってきていることだけは両者ともに理解をし始めていると言う所か。
「あたしはキャスターに降参をしたりなんてしないよ。そもそも、あたしは自分で選んで、自分の叶えたい願いの為にここに立っているんだ。その願いを歪められて、全く違うあり方で塗り替えられてしまうなんて、そんなの絶対に嫌だ!」
「帝の造る世界は私たちにとって楽園であったとしてもですか? 帝の世界が実現すれば、我々日本国民は圧倒的な力を持つことになりましょう。サーヴァントによる世界統一、それすらもできるかもしれません」
「例え、そうだったとしても、あたしはそんなものはいらない。あたしの人生はあたしのもの。やり直しなんてできない、一度きりの人生だからこそ、叶えたい願いが生まれる。誰かに指図されて、自分の生き方を決めるなんてことをしたら後悔するって、この聖杯戦争で嫌と言うほど思い知らされた。だから、あたしは自分の願いの為に闘っているんだ!」
声に裂ぱくの気合を込めて、不可視の刃を叩きつける。例え、何があろうとも安易な洗脳に屈するつもりはないと言う桜子の希薄が梓沙自身の優位性を奪い始めていく。
「随分と元気がイイな、キミのマスターは。しかし、些か、キミとの相性が素晴らしいとは言い難いな。己の人生は一度きりだからこそ、叶えたい願いが生まれる。
ああ、まったく耳が痛い話だとは思わないか、ランサー。聖杯に二度目の生を願おうとしている我々には、彼女の言葉は眩すぎる」
「…………」
「彼女は君の願いを知っているのかね? 知らぬのではないか。だとすれば、残酷が過ぎよう。共に聖杯戦争を駆け抜ける従者の願いが主の主張と相反してしまうのだとすれば」
「―――御託は必要ないと言ったはずだぞ、清河八郎!」
ランスがさながら鉄の津波のように地面から宙へと浮き上がり、声を高らかに歌い上げる清河の下へと振り下ろされる。
他の志士たちを巻き込む形で叩き付けられたそれは、ここまで明確に守衛を続けながら、周囲の様子を窺っていたランサーが明確に攻撃の意志を以て放たれた一撃であった。
その攻撃自体が判断として正しかったのかどうかという所は、誰にも判断はできないだろう。結果として言葉を弄することに集中していた清河はランスに磨り潰されるように、上半身だけを残して下半身が砕け散った。
「くくっ、見事、見事よなぁ。しかし、怒りをあらわにしたか、それとも功を焦りすぎたのか、ランサーよ、忘れてはいまいか。鉄壁の守備さえこじ開ければこちらには、穿つための刃があることを!」
「―――――!」
清河の声が届くとともに、その殺気は一気に爆発した。ただ、首を斬りおとすために、ただ刃として相手を倒すために……、ただ、それだけの存在と化した猛者の刃が今度こそ、完璧な形でランサーを襲う。
「一歩音超え、二歩無間、三歩絶刀……!」
それはまさしく絶刀と言う他ないほどの絶技であった。平晴眼の構えから“ほぼ同時”ではなく、“全く同時”に放たれる三つの平突き。それらは“同じ位置”に“同時に存在”しており、この『壱の突きを防いでも同じ位置を弐の突き、参の突きが貫いている』という矛盾によって、剣先は局所的に事象崩壊現象を引き起こす。
サーヴァントの身ではないがために、威力は当然に落ちるが、何かが邪魔をしていないと言う状況の中で、超絶的な技巧と速さが生み出した、必殺の『魔剣』を破る術など、起こりえない。
「『無明三段突き』! 」
その瞬間、ランサーの視界の先で時間が凍った。僅か1秒、あるいはそれにすら満たない時間の中で魔剣が成立し、結果を生み出すか否かという状況が迫る。
「聖槍――――否、聖槍装甲解除、偽槍解放―――!」
「――――――!!」
故にその瞬間に起こった出来事を正しく認識することが出来たのは、技を放った沖田自身とその技を受け止めたランサーのみであったと言えよう。
身の丈以上もある巨大なランス、清河たちを磨り潰したそれを今更引き上げて沖田への迎撃に使うと言うことは、重量を考えても非常に難しい。
故の必殺であった。無明三段突きを放つタイミングを生み出し、迎撃することさえできない状況を創り上げた時点で、清河の為すべきことは終わりを迎えた。
ランサーを倒せればよし、倒せずとも重傷を負わせることができるのは間違いないと言う確信があればこそ、この状況を生み出したのだ。
「なんだ、それは……」
清河は目を見開く。こと切れる寸前であると言うのに目の前の光景に思わず声を奪われたのである。巨大なランスの柄の部分から先が真っ二つに割れ、その最中から黄金色に輝く槍が現出する。
ランサーはその槍を外装部分のランスから抜き取った勢いそのままに、沖田に向かって槍を投擲した。
これまでの鈍重なランスをその身の丈に反して動かしていた時とは全く違う、不必要な重さを捨てきったがために生まれた反応の速さは、完全に沖田にとっても想定外に等しき、放った三段突きはランサーへと届くよりも先に黄金の槍と激突し、放った技は虚空へと消える。
沖田の三段突きを受けてもなお、その槍は砕けることなく光を放っている。
「まさか、その槍、あの内部に搭載されていただけでは―――」
「何もかもを互いに出しきった。私にとっても、お前にとってもその認識は間違っていない。ただ、お前の一刀を私が受けていなかったように、私の聖槍の偽装にお前も気づかなかった。ほんの少しの認識の差、それがこの場で明暗を分けた」
ランサーは地面を蹴り、沖田と激突した黄金の槍をその手に掴む。
「――――令呪装填!!」
さながら、運命に導かれるように。ランスの中から姿を見せた黄金の槍に導かれるかのように桜子の右手に刻まれた令呪の一画が眩い光を放つ。
桜子たちの戦場もまた決着へと向かっていた。しかし、その決着を行うためにはどうしても邪魔な存在がいる。野放しにしておけば、梓沙を倒すことができないだけではなく、桜子と蓮司に決定的な敗北を与えてしまう存在がいるからこそ、桜子はランサーへと声を上げる。
「ランサー、宝具を使って!! 建物ごと、キャスターを吹き飛ばせ」
令呪が発動し、ランサーの身体が半ば自動的に動く。主の命令を忠実に実行する使い魔の如く、ランサーは淀みのない動きで黄金の光が穂先へと収束していく槍を放つ構えへと入る。
「………さらばだ、桜色の剣士よ。もしも再び、聖杯の寄る辺に従い、出会うことがあれば、その時は真実のお前の刀と我が偽槍、存分に力比べをしよう」
「……っ、まだ勝負は―――」
「もう終わりだ。我が槍の光の前に総ては塗りつぶされる」
呆気ないほどの幕切れが訪れようとしている。しかし、それはある意味でこの舞台の中では仕方のないことであるのかもしれない。
どこまでいっても、彼らはキャスター陣営の駒でしかない。サーヴァントと言う主役に上り詰めることはできない使い捨ての消耗品、舞台を飾るには些か輝きが足りないことは否定できないことなのだから。
英霊としての在り方そのものを歪められ、自己矛盾を抱えながらも、それでもなお今日まで戦い続けてきた彼女たちへの敬意を表し、ランサーの眩く輝く光が全てを呑み込んでいく。
「ああ、全く何とも。残念ですね、ただ刀を振るうには、あまりにも面倒なことが多すぎた」
そんな自分の立場を皮肉するような言葉を並べたままに光が、沖田や清河だけではなく、他の壬生浪士隊の面々も全てを呑み込んでいく。
その光の掃討は唯一神理教総本山の戦いが事実上の終わりへと至ったことの証明でもあったのだ。
セイバー
第一宝具『卒四十萬人――挾詐而盡院殺之』
ランク:B
種別:対軍宝具
白起という英霊を代表する戦、長平の戦いにおける、四十万人の捕虜を生き埋めにした逸話から生まれた宝具。
白起自身の記憶の中に残る長平における虐殺の記憶を心象風景として展開する魔術師における固有結界がごとき力。その結界の中に閉ざされた者たちは絶えることなく響き続けていく怨嗟と嘆き、命乞い、そして呪いの言葉に晒されていく。
能力としては、その虐殺世界の中に身を置くことによって、相手を強制的な恐慌状態へと陥れることによって、身体能力、精神状態を大幅に乱す作用を持つ。結界の中に閉じ込められた者であれば、どれ程の人数であろうとも効力を発揮するが、敵・味方関係なく効力下に置かれてしまうことがデメリットであると言えよう。
相手の精神状態に依存した宝具であるため、感情を持たない、あるいは強力な精神汚染スキルを持っている英霊には影響を及ぼすことができない。
次回は総本山の戦い決着です。ランサーの宝具解説などは次回で!