―――そも、キャスターこと孝明帝が放つ『万世一系』による日本人に対しての強制的な行動阻害、より端的に言えば洗脳能力とはどのようなプロセスで実行されるモノであるのか。
多くのマスターや人々を巻き込んだ力でありながらも、不思議と誰もがその形成過程を考えてこなかった。帝とは日本における神に近しい存在であるのだから、サーヴァントとして顕現すれば、そうした権能を発揮することができる。
納得が出来る理屈ではあるが、少しばかり思考停止が過ぎている様にも考えられる。
では、その答えとは―――――魔力による認識改変である。難しく考える必要はない。
サーヴァントとして顕現したキャスターはスキルとして日本人だけに効力を発揮する認識阻害の極地としてのスキルを与えられたと言うのは、発生過程を考えていく中で決して難しい理屈ではない。
生前における帝がいかに現人神のごとき力があったとしても、人を従わせることが出来ないのであれば、魔力を有した何かで従わせていると考えるのは魔術師であれば当然に辿り着く結論である。
ここで重要になってくるのは、あくまでも魔力を通じて行われる力であり、誰の身体にも極小に流れ込んでいる魔力あるいは生命力を通じて行われるということだ。
分かりやすく言えば魔力を通して人体や脳に対してウィルスを流し込み、人間が本来取りうる行動、認識に改変を与えることによっておこる事象だと言うこと。魔術や魔力と言ったものに免疫がない人間であれば一瞬で取り込まれ、魔術の素養がある、あるいは魔力を強く持っている人間に対しても、日本人である限りは易々と同化を果たしてしまう。
魔力を与えた遠隔操作、命令を入力した機械を動かすような仕組みであると考えればいいだろうか。
初めに確認したように、キャスターの洗脳、認識改変スキルは日本人に対して絶対的な効能を発揮し、逆に言えば異国人に対してはほとんど効力を発揮しない。
そういうものであるという風に纏めてしまえばそこまでかもしれないが、日本人の魔力にのみ干渉することができるウィルスのようなものであると考えるのが最も分かりやすい例えかもしれない。
では、何故、純粋日本人である九重円華にはキャスターの洗脳術が通用しなかったのか。
彼女はもとより魔術を知らず、魔力の素養も決して高い人間ではなかった。秋津市に住む他の一般人、唯一神理教の信者同様にキャスターのスキルに抵抗することができる可能性は万に一つも有り得ない存在であり、故に久坂も疑うことは全くしなかった。
しかし、彼女だけは、たった一つだけ、他の人間とは異なる条件があった。
自身のサーヴァントであるエルナン・コルテスとの性交、コルテス自身の精をその身で受け止めていた円華は彼女自身も無意識のうちに、コルテス自身の魔力をその身に内包し、誰も知らぬその裏側で異国人、しかもサーヴァントの魔力をその身の内に蓄えていたのだ。
何も荒唐無稽な話と言うわけではない。サーヴァントとマスターが互いにまぐわうことによって効率的な魔力の供給を果たすことが出来たという事例は、聖杯戦争の歴史の中でも全く例を見ないと言うわけではない。
コルテスがそうした目的の下に行っていたわけでもなく、魔力を放出するための蛇口が存在しない円華にとってはまったく意味のない行為であっただけであり、魔力そのものは円華の中に人知れず残っていたのだ。
キャスターの魔力が日本人と言う存在の魔力に対して作用するウィルスであったと仮定した時に、既に円華の身体の中には異国人の魔力と言うまったく別種のウィルスが入り込んでいた。しかも、キャスターと同格のサーヴァントのモノである。
結果として、彼女の中で起こったことは魔力同士の相殺、圧倒的な効力を発揮するキャスターの魔力がより強い支配力を発揮していたことは確かではあるが、それでも、円華自身に作用する力は大幅に減退していたと言ってもイイだろう。
無論、此処までの理屈は、此処に至るまで誰一人として理解していなかった理屈である。策略、謀略の天才である久坂を以てしても、このような「偶然」が起こりえるなどと言うことは全く考えていなかったし、もしも、仮説として出されていても信じることはなかったかもしれない。
ただ、久坂にとっても、まったく気付くことができなかったわけではない。唯一神理教の内部へと入り込んだ円華に対して、久坂は出くわした初期から、キャスター、梓沙、久坂自身、あらゆる手を講じて、円華の洗脳を進めていった。
梓沙や他の信徒たちに比べれば、遥かに洗脳の効きが悪かったことに久坂自身も不審を覚えたわけだが、この時に久坂はそれを、サーヴァントと契約したマスターに対して行っていることであるからだと誤解した。
結果的に4日目の時点で円華の洗脳は半ば成功し、円華自身の表層人格を残したまま、唯一殺害までの行動を起こさせ、次の日より洗脳された人格が主となるように細工を施していた。
そう、上手く行ったのだ、力技であるとはいえ、円華の洗脳が完了し、煉を書状によって殺すことが出来た時点で、マスターに対しても自分たちのスキルは十全に機能するのだと、久坂は思いこんでしまった。
久坂が円華に対して指示した命令は二つである。
一つ――7日目を迎えるまでに、久坂の下にライダーを連れてくること
二つ――久坂の下へとライダーを連れた後に、令呪を使ってライダーを殺害すること
用心深い久坂はアーチャーとランサーが襲撃を仕掛けてきた夜に、ライダーが乱入し、円華を奪還する可能性を考慮していた。
積極的に自分たちを狙っているライダーは、キャスターの正体と言う餌を与えることで自分たちに執着すると考え、円華に上記二つの命令を刻んだ書状を持たせ、唯一神理教総本山より離れた際には書状を読むように告げていたのだ。
かくして、聖杯戦争の流れは久坂が想定していた通りに動く。アーチャー陣営は梓沙の書状によってマスターを失い、バーサーカー陣営は半ば自己崩壊を引き起こし、そしてライダー陣営は内部に毒を抱えたままに撤退を果たした。
総ては久坂の思惑通りに進んでいたはずだった。アサシンを排除し、バーサーカーとセイバーをぶつからせ、アーチャーとランサーの牽制をしつつ、ライダーを排除する。
描かれた絵面は完成直前まで進んでいた。
―――そう、6日目に起こったたった一つの「偶然」を除いて。
――6日目午後・秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
「――――――」
ぼんやりと頭の中を支配していた靄かかった感覚が突然、消え去り、前後不覚のような状況だった自分自身を、一瞬にして取り戻した。
先ほどまで、いいや、この2日間の間の記憶が覚えていると言うのに、まるで他人の行動を見せられているかのように自分自身のモノであった感覚がない。
(いや、そんなことはどうでもいい。ちょっと、待って、私、何してるの……!?)
自分の状況は火を見るよりも明らかだ。自分の足元には裸のコルテスがおり、彼の上にまたがる形で、自分も裸のままに情事に及んでいる。
性器と性器が結合した先から味わう熱を帯びたような異物が入りこんだ感覚は、そのまま、コルテスの精気が自分の中に吐きだされたことの何よりの証明だった。
ただ、その行為自体については驚きが無かった。今更、何も知らなかった処女の頃のような態度を浮かべるつもりはない。何度も行われてきた行為なだけに、身体を弄ばれたことはいい。問題は、靄かかった思考が晴れたことによって理解した先程までの自分の行動だ。
(私が自分でコルテスを誘った……? あんな自分から欲しくてたまらないみたいな……ありえない、いくら状況を受け入れつつあったって、あんな態度は取らない。じゃあ、何で……? まさか――――)
脳裏に浮かんだのは、総本山で見せられた梓沙の姿、まるで人が変わってしまったかのように久坂に従っている姿は一言で言えば洗脳だ。梓沙の人格ごと塗りつぶして従わせているような行為が、もしも、自分にまで及んでいるのだとしたら……
(ううん、間違いない。さっきまで私はキャスターの下にコルテスを連れて行こうと考えていた。薄ぼんやりとしているけど分かる。コルテスを連れて、そこで令呪を―――)
先ほどまで、激しく互いに求め合っていたことで浮かんでいた愛情紛いの汗は、自然と自分の状況を理解した上での冷や汗へと変わっていく。自分の背筋が凍っていく感覚を覚える。もしも、このまま何も気づかずに進んでいたら、自分は令呪を使って、コルテスを久坂に売り飛ばしていたことになる。
そうなれば、自分たちの聖杯戦争での勝利は無くなる。どんな奇跡が舞い降りたのかはわからないが、ここで正気を取り戻したのは幸運以外の何物でもない。
「おい、円華。どうした? まさか、イキ狂って気落ちしちまった訳じゃないだろ?」
(―――――!?)
コルテスに声を掛けられて、咄嗟に反応できずにいた。自分の状況を把握するばかりで、さっきまであんなに乱れていた自分のことを忘れていた。
(どうすればいいの……? コルテスにさっきまでの事を打ち明ける? たぶん、さっきまでのことからして、コルテスは私が洗脳されていたことに気付いていない。久坂の下に向かうつもりでいる以上、このままじゃ、アイツの思うつぼになっちゃって)
「目覚めるのは口づけと相場は決まっているしな」
迷っている最中で、突然、コルテスが私の頭を掴んで、自分の下へと寄せようとしてくる。いくら、さっきまでのムードを引き摺っているからってこっちが必死に考えごととしている時に、何しようとしてんのよ、この馬鹿は!!
「ん……」
「ダメ……、女にとってのキスは、そんなに安いモノじゃないの……」
咄嗟に、さっきまでの自分を装うように無理のない範囲の言葉を口にする。思考を纏める時間が欲しい。ここから、もう一回なんてされたら、火照った身体じゃ、まともに考えられない。今だって、少し気を緩めたら刺激のままに思考を持っていかれそうなんだから。
「なんだよ、気付いているじゃないか」
「一段落したからね。ちょっと………乱れすぎて、恥ずかしくて……」
「可愛いことを言うじゃねぇか。そうはいっても今更だろう。さっきまで、あれだけ乱れに乱れていたんだ。今更キスの一つや二つ―――」
「それを言ったら、今までだって、無理矢理にやっていたじゃない。今だって気を失っている隙にやろうとしていたんでしょ」
あれ……気付かれてない? いや、さっきまでの私の態度が露骨すぎたのもあるけれど、正気を取り戻した私の態度にこいつが気づいていないのなら、それなりに私は「演じられている」ってことだ。
「違いない。だが、雰囲気ってものがあるだろ。さっきのはよかった、いい女を抱いている時ってのは生きていることを強く実感する。泣いている女を征服するのも悪くないが、俺様の魅力に堕ちた女が甲斐甲斐しくするのは、よりひとしおだ」
「結局、自分の事ばっかり」
「当たり前だ、それが俺様だ。自分の願いを追い求めて、その結果として俺様は英雄になったのだからな」
自分の頭の中に二つの選択肢が過った。操られていたことを告げるか否か。
今の私達は、久坂の手の内にある。コルテスは私が操られていることを告げようとも告げなかったとしても、久坂の下に向かうだろう。
自分で言うのも嫌だけど、こいつは私のことを本気で好いている。もしも、私の思考をあいつが操っているなんてことを知ったら、問答無用で殺しに向かうだろう。
でも、それは正しい選択肢……? 久坂が万が一にもそれを想定していないと考えられる?
「で、だ。俺様としてもまだまだ楽しみたいし、お前だって収まりがつかないだろう」
「生理現象として身体が興奮気味なのは認めるわ」
「お前、男みたいに冷めてるな」
「ふふっ、だって、私は貴方の事が嫌いだもの。自分で満足したら、そりゃぁ、貴方に従う気なんてなくなっちゃうわ」
「はッ、そうかよ。甘い態度のお前も良いとは思っていたが、その減らず口が叩けるお前も悪くない。そういうことにしておいてやるよ」
ふと、こんな時だけど思い出した。以前に、私が聖杯戦争のマスターとして役に立たないと言った時に、コルテスが私に言ったことを。
『お前の武器は女であるお前自身だ。いかに優秀な魔術師と言えども、魔術の土俵だけで戦うしか能のない者などいくらでも代替が効く。真に価値がある者とは、そいつにしか発揮できない価値を持っている者のことだ』
(………ここで私がコルテスに泣きついて、自分の現状を話せば、この状況から抜け出せる。気持ちは楽になる。でも、それが正解……? 弱い何もできない操られていただけのマスターとして、守ってもらうことが正しいことなの?)
きっと、それは違う。そんな弱い甘えるだけの九重円華をこいつは求めていない。
(だって、そうだ。私達は、互いにこの聖杯戦争に勝つために戦うことを誓った。私はこいつを嫌っているし、こいつは私を自分のモノにしたいと思っている。でも、勝つと言う目的だけは、私達が共有しているたった一つの未来なんだ)
エルナン・コルテスが求めている九重円華は自分にしかできないことを果たせる価値ある女、泣きつくなんて降伏宣言をしているようなものじゃない!
「ねぇ、そんなに私の唇を奪いたいの?」
「はッ、そんなことは最初の夜にやっただろうが。お前から俺様に献上しろ」
「いいわよ、キャスターを倒すことが出来たのなら」
「へぇ……」
久坂に操られたままの自分を演じ続けよう。私の洗脳が解けたことに気付けば、久坂は万が一を想定して、私たちへの警戒を強める。
でも、もしも、私が従ったままで、あいつにとって最悪のタイミングで裏切ってやれば、アイツを出し抜けるかもしれない。
それができるのは私だけだ。
「後で、そんなことを言った覚えはないなんて口にしたところで無駄だぞ」
「本当にできるのならね」
だから―――――私は信じよう。
久坂が指示した7日目に何が起こるのだとしても、コルテスに直接自分の真意を伝えられなかったとしても、コルテスが私の真意に気付いてくれることを。
私は勝つために私の出来る最善を尽くす。どうすれば勝てるのかなんて答えは出せていないけれど、この幸運が突破口になってくれるんだって信じてる。
だから、必ず気付いてよ。貴方、私のことをモノにしたいんでしょう? だったら、私の真意にちゃんと気付いて。それができなければ、私達は勝てない。
無謀な賭けであることくらいは分かっている。けれど、信じているから。私達の聖杯戦争はこんな所で、終わるわけがないって。
――秋津市中央・電波塔放送設備フロア――
「そんな偶然が起こりえてよいはずがない。理屈は理解した。しかし、あれが演技であったなどと到底納得できぬ。そもそもに、昨日の令呪を使用した際に、貴様は間違いなく、ライダーに対して本気の殺意を向けていた。あれもまた演技であったと言うのか!」
「あら、あれは演技じゃないわよ? だって、私、ライダーのことを殺したいくらいに憎んでいるのも本当だもの。ただ、その殺意はあんたたちに叶えてもらうモノじゃないって言うだけ」
「くく……、あの時は心底驚かせられた。本当に円華の意識を奪われちまっているのかとも思ったが……、良く考えてみれば色々と見えて来るモノがあった」
久坂はあの時に、何故、自害させるのではなく動きを止めたのかと自分で問いを投げ、円華はコルテスがその命令に逆らうかもしれないからと答えた。
だが、例え、そうであったとしても、自害しろと言う命令の方が確実性は増す。結果的にコルテスを逃がす羽目になったことも偶然と考えるにはあまりにも不自然だ。
何よりも、コルテス側からすれば、円華が自分に対してどのような感情を抱いているのかも知っている。あの時に円華が向けた殺意が本物であったのだとすれば、最後の一太刀は令呪を使い切ってでも、自分でとどめを刺そうとするはずだ。
それを一行に行わず、まるで次の機会を待っているような素振りを見せる。異国人憎しで集団化されたキャスター陣営に取り込まれているにしても、円華を知っていればこそ、不自然な点が多く見えてくる。
無論、円華にとっても相当に危ない橋を渡っていたことは間違いない。令呪での命令を行った時点で、コルテスが志士たちに斬り殺される可能性は十二分に存在した。
加えて、本当に自分が裏切っていると理解し、コルテスが戦意喪失、キャスター陣営に本当の意味で取り込まれてしまう可能性すらも存在したことは言うまでもない。
だから、何もかもが賭け、ほんの少しでも幸運が舞い込まなければ、あるいは円華自身が下手を打って、洗脳が解けていることが判明してしまったら、すべては水泡に帰してしまう状況。
命からがらの状況ではあったとしても、久坂にいつでも殺すことができるからと、ライダーを掌の上から解放し、彼が必ず勝利するための秘策をもって来ることを信じて、自分とは違う自分を常に演じ続けると言う時間。
並大抵の覚悟で出来るわけでもなく、常に敵だらけの世界の中で一瞬たりとも気を許すことが出来なかった状況は余人には理解するのも難しい苦しみがあったに違いない。
(あの時、入り口のエレベーターの所で、久坂がエレベーターを使わないなんて考えていなかったから、自然と私は足を運んだ)
エレベーターそのものに近づき、エレベーターのボタンを押そうとした時に気付く。そのボタンに張り付くように存在していた一匹の蟲の存在に。
その蟲は円華の反応など気にすることなく、勝手に録音された言葉を流すように小さな音を発した。
『目的の階層に着くまで時間を稼げ。その後は、俺様に任せろ』
「――――――――」
思わず感極まって、泣き崩れそうになる身体を必死に制御したおかげで、まるで硬直してしまったかのように見せたのは、自分のことながら危ない所だった。
もしも、久坂がエレベーターを本気で使うつもりでいたのなら、その僅かな時間を怪しまれていたかもしれないから。
でも、流石にその時ばかりが我慢できなかったのは本当のこと、気付いてくれていたんだと言う報われた気持ちと安心感が一気に押し寄せて、それで演技が崩れないようにと、改めて態度を整えて、なんとかここまで来ることが出来た。
よって、九重円華の晴れ舞台はこれにて仕舞、ここから先は任せろと言った言葉を果たしてもらおう。
「理解できぬ! 貴様たち二人が語っている言葉はどこまでも希望的観測に則った根拠など何もない妄言としか思えぬ。いかにマスターとサーヴァントと言えども、貴様らは他人だろう。他者とはあまりにも簡単に己を裏切るモノ。あらゆる総てを手繰り寄せてもなお、掌から零れていくというのに、何故信じられる!!」
「円華は俺様が選んだ女だ。俺様がサーヴァントなんて言う立場に甘んじることを良しとした相手だぞ、お前如きの掌の上で弄べる相手じゃないんだよ」
「答えになっていない」
「いいや、これが全ての答えだろ、久坂。結局、お前は何処まで行っても1人なのさ。まぁ、俺様も大概並び立てる奴はいないと思っているが、お前のように自分以外の総てを嘲笑うほどには人間ってのを舐め腐ってはいねぇよ」
「不確定要素を徹底的に排除するのであれば、思考し、行動を命じるのは1人で十分だ。他者の介在を許せば、必ず綻びが生まれる」
「だから――――お前は円華を見抜けなかった。
自分一人で全てを動かせていると錯覚しているから、誰も信用していないから、自分の視野でしか物事を見ることができない。そりゃそうだよな、お前は他者の言葉を聞いていても、それに感化されるなんてことはまったくない。徹頭徹尾、自分の思惑でしか動くことが出来ないんだからな」
久坂玄瑞と言う男は総てを己の掌の上で動かすためにあらゆる策を用意する。それは遠坂煉のような社会的立場や慣習に身を寄せた動かし方でもなく、コルテスのように人間の心理を逆手にとって優位性を取るわけでもない。
あらゆる環境を用意し、徹底的に状況を分析した上で、相手がそう行動しなければいけないようにさせる蜘蛛の巣のような動かし方だ。柔軟性は存在しているように見えてまったくない。盤面がシナリオ通りに動くように徹底的に個人の感情と言うものを排除した軍こそがキャスター陣営と呼ばれる集団の正体なのだから。
「とはいえ、お前の言う通りだよ、久坂。円華を信じると言ってもそれはか細い道だ。己の生命と言う掛け金を乗せるにはあまりにも保証がない。だがなぁ、久坂―――」
コルテスは目を伏せる。その眦の裏にあるのは、彼の生前の記憶、かつて彼の人生を変えた相手より与えられたエルナン・コルテスの人生の指標となった言葉に他ならない。
「俺様の下には―――常に勝利の女神が微笑んでいる。俺様はそれを信じた。そしてたった一人のお前には女神が微笑むことはなかった。これはそれだけの話しだ」
常に傍にいてくれた相手が語った言葉を、コルテスは一度たりとも忘れたことはない。最後の決断で悩んだ時に背中を押したのは、純粋に彼の先行きを願った相手の言葉に他ならなかった。
だから、最後の最後で円華を信じることが出来た。久坂がどのように思ったとしても、コルテスにとってはもはやそういう話でしかないのだ。
「………なるほど。理解も納得もできないガ、九重円華が正気を取り戻していたと言うことについてだけは認めよう。気付かなかったことも私の失策だ。
で、それがどうした?」
「――――――っ」
瞬間、円華の首筋に左右双方から刀が突きつけられる。少しでも下手な動きをすれば、すぐにでも円華の首を斬り飛ばす、そうした意味を理解させる示威的行為であった。
「盤面は未だなお、私の掌の上だ。彼女の首を斬り飛ばし、此処にいる者たちでお前を今度こそ斬り倒せばそれで終わりだ。ライダーよ、お前が来るかもしれないと言う予感を覚えていても、あえてここまで放置していたのは、結局の所、目の前にお前が現れたところで何もできないとわかっていたからだ」
既に6日目の夜にライダー陣営との戦いは決しているに等しい。瀕死の重傷を負わせられたライダーが今日になっていきなり、回復しているなどというのは考えづらい。
戦うことなど元から不可能であろうし、抵抗したところで数の上ではこちらが有利。今のライダーであれば、志士たちであっても負けることはない。そう踏んでいる。
「それとも、今更何かできるのかね? ここから逆転するための秘策が――――」
「いや、もう終わっている」
円華が窮地に立たされ、自分自身も戦うことがまともにできる状況ではないにもかかわらず、コルテスは余裕の笑みを一切崩さない。
「円華が随分と時間を稼いでくれたからな。此処に辿り着くまでにも、そして辿り着いてからも随分と熱心に話を聞いていてくれて助かった。おかげで、俺様の準備も全てが完了した」
「何を――――」
瞬間、久坂は背筋がゾワリとした。いや、背筋だけではない。全身がおかしい。まるで身体の中から燃え上がるような何かが、強烈な不快感のようなものがこみ上げ、全身に脱力感と血の気が引くような感覚が浮かび上がっていく。
「く、久坂様……こ、これは……?」
「ひぃぃ、なんだ、なんだこれ、皮膚が、皮膚がぁぁぁぁぁ」
その変化は久坂だけに留まらない。円華の首筋に刀を突きつけていた志士たちは、突如として見るも悍ましい風貌へと変わっていく自分の身体に、衝撃を覚えて、思わず声を上げていく。
「何をした、貴様は一体何をしたのだ、ライダー!!」
「今更何を言っている。それを知ろうとしなかったのはお前だろうが、久坂」
「―――――!」
コルテスはその最中に、朝、アーチャーと言葉を交わした時間のことを思い出す。何故、アーチャーがコルテスを同盟の相手として求めたのか。それに対して、アーチャーは久坂には明確な弱点があると口にした。
『久坂の弱点、それは奴が異国人を異国人としてしか認識していないと言う点だ』
『あ? んなもん当然だろ、自分の国の人間じゃない奴は全て異国人なんだから』
『そうだ、しかし、久坂にしても孝明帝にしても、奴らにとって異国人とはケガレそのものなのだ。ケガレを持ち込む人間ではない存在、そもそもが対等として見る存在でもない。だから、久坂はお前をエルナン・コルテスという名前であることは理解しても、エルナン・コルテスと言う人間の素性も背景も全く知るつもりはない』
『理解できん。奴はここまで無数の策謀を積み重ねてきた。そりゃ、それだけ他の陣営のことを分析しているからだろうが』
『私はそうは思わん。もしも、奴がお前の真名までもを知っているのだとすれば、こうして逃げ延びるなどと言うことは絶対にない。奴らにとって、お前だけは何があろうとも滅ぼしておかなければならない存在だと認識するはずだ』
久坂がそう認識していなかったのだとすれば、それは紛れもなく、久坂が全てのサーヴァントを異国人としてしか認識していないと言うこと。
あくまでも、現存の関係性や秋津市における背後関係、自分たちが生み出した流れの中で動きを推測しているに過ぎないのだと、アーチャーは考える。
アーチャーは、コホンと咳払いをする。
『ところで、だ。ライダー、お前はキャスターの片割れ、孝明帝がどのような末路を辿ったのかを知っているか?』
『知るか、そんなマイナー英霊のことを。座に登録された英霊だからと言って、総ての英霊の記録を持ち合わせているって訳ではないだろ』
『その通りだな、だからこそ、お前のように世界的に有名な存在であればあるほど、真名を曝け出すことは対策を打ちたてる要因を打ち出すことになり、弱点になりかねない』
エルナン・コルテスと言う英霊は世界的にも有名な英霊だ。それだけの真名を知られてしまえば、彼がその人生の中で何をしてきたのかということはあっさりと知られてしまう。
対策と対応方法を考えていく中で、これほど不利なことはない。
『話を戻そう。孝明帝は攘夷の中心人物として幕末日本に正と負、それぞれの影響を与えた人物であった。日本の開国を決して許すことはなく、さりとて、己が表舞台に立つことを望みもしなかった。しかし、そうした孝明帝の在り方は攘夷にしろ、開国維新にしろ、支配者であった徳川を引きずりおろそうとする者たちにとって都合が悪かったのだ』
『ほう……』
『孝明帝は、後に明治維新と呼ばれる日本の内乱が起こる1年前にその命を落とした。その死には今なお無数の暗殺疑惑がかけられている。幕府方、攘夷志士、そして歴史の勝利者となった維新志士たち、誰にとってもかの人物を邪魔であると思う者はいたのだ』
『国が亡びる時ってのはいつだってそう言うもんだろ』
『だが、一つだけはっきりとしていることがある。それは―――死因だ』
孝明帝は病によって命を落とした。しかし、本当は誰かに暗殺されたのではないか、というのは当時から今に至ってもまことしなやかに囁かれ続けている歴史ミステリーの一つではある。ただ、孝明帝が何によって命を落としたのかという一点においては、議論の余地もなく確定している。
『当時、孝明帝は崩御を迎える数日前より病の床に伏せっていたという。その病に何故、帝が掛かったのかという点には議論の余地はあるかもしれないが、こと死因という点では議論の余地はない』
アーチャーは一呼吸おいて、改めて言葉を紡ぐ。何故、自分がここでコルテスを相手にこのようなことを喋っているのか。そして、コルテスに何を求めているのか、それをはっきりと形にするための核心を告げる。
『死因は―――痘瘡、通称『天然痘』、黒死病と並び人類史に名を刻んだ最悪の感染症。
そして、お前たちコンキスタドールが西欧より持ち込み、アステカ文明を滅亡へと追いやる最大の原因となったものだ』
そして今――――笑うコルテスの目の前で、宝具の影響を受ける形で孝明帝と同一の存在へと昇華を果たした久坂は自信の身体に次々と浮かび上がっていく疱瘡と全身から浮かんでいく高温に呻き声を上げた。
「がぁっ、ぐっ、ごがぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「第二宝具『落陽の国へ、我――災厄齎し者の凱旋』
知らぬならば、今、この時に刻んでいけ。我が名はエルナン・コルテス。アステカ文明を滅びへと誘い、世界にその名を刻みこんだ偉大なるコンキスタドールであると!!」
電波塔放送設備フロアを覆うように湧き上がっていく、霧状のガス、それそのものがコルテスの宝具に他ならなかった。その性質はアステカ文明を滅びへと誘った病に由来する対軍に対しての毒を齎す宝具ではあるのだが、この場においてその意味は全く異なる。
コルテスの逸話における毒そのものが死因であるキャスターにとってこれは、まさしく致命傷に至る毒、一瞬たりともこのようなものを吸っているわけにはいかないが、密閉されたこの電波塔内部に逃げ場など存在するはずもない。
故にここは処刑場だ。何もかもを欺き、円華が久坂を此処に連れてきた時点で、総ては決していた。今更何を理解したところで全ては遅きに失した。
もはや逃げ場はない。電波塔での戦いだけではなく総本山における戦いもまた終わりを迎えようとしているのだから。
大願成就まであと数歩、しかし、その数歩を遂げる直前に野望の火は今まさに終わりを迎えようとしていた。
久坂、結局、自分が決して認めなかった開国後の日本に感化された者と明確に信頼を築いた者たちに負けることになったんだな。
因果応報ここに極まれり。
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