終わりの始まり
―――母との、七星桜との記憶は少なからず存在している。妹と5歳以上年齢が離れていることもあってか、生まれて間もなく記憶が定かではない桜子と違って、俺は母との記憶を思い出すことができる程度には覚えている。
俺と桜子に明確な違いを上げるとすれば、自分が七星の血を宿して生まれた人間であると言うことを幼少のころから理解していたかどうかという所だろう。
俺は、生まれた時から七星だった。七星の血を母より受け継ぎ、いずれ七星の血に目覚め、魔術回路は七星の魔術を駆動させるものとして完成を果たし、七星の血と共存しながら、次の世代へと七星の血を送り渡す必要がある。
生まれた時からの宿命だ。どれほど嫌と泣き叫んだところで、血は決して自分を逃がしてはくれない。自分自身の人生を生きたいと言うのであれば、徹底的に強い自制心を以て、己の中に流れる血と共存していかなければならない。
だから、子供の頃から七星の血と向き合うための訓練を施されてきた。母は俺が七星の血に負けないように、父も母の様子を見ていることしかできないようだったけれど、俺と母の訓練を邪魔するようなことはなかった。
『桜の強さは、そりゃ並の魔術師どうこうって話しじゃ納得できない。何百年と受け継がれてきた血の力だって聞かされりゃ、それで納得するしかないくらいなんだよ』
父はよく母のことをそのように評していた。父曰く母にだけは逆立ちしても勝つことは出来なかったと。七星真一郎とて並大抵の剣士ではないことは良く知っている。まだ幼少の頃に稽古の一環として剣を交えたことがあるが、歯が立たなかったのは言うまでもなく、筋が全く見えなかった。
単純な剣士としての技量では、今を持って追い付いているのかも怪しい。俺が幼少の頃は、七星流剣術道場は盛況としていた。何人かの門下生はいたが、彼らに父が土をつけられているところなど一生かけても拝むことができるのかと思うほどであった。
話がズレたが、要するに俺が子供の頃の七星家は、まだ七星であることを受け止めていた。いずれ来たる時の為にと訓練を欠かさなかったのも結局はそういう意味があってのことだ。
変化が生じたのは忘れもしない、15年前の折、かつての聖杯戦争が起こった時であった。
『ねぇ、私は聖杯戦争に出ようと思うの。勝てるかどうかわからないけれど、もしも、勝つことが出来れば七星の血の運命を変えることができるかもしれない』
『馬鹿を言うな、櫻一郎と桜子を産んで、自分だって随分と衰えたなんて言っていただろ、やめろ、死ににいくつもりか!』
『あら、私の実力は貴方が一番よく知っていると思うんだけど。今だって、負けない自信はあるわよ、私は』
『…………ダメなのか? そんなものにでなくても、俺達が良く育てれば櫻一郎も桜子も七星の血と共生していくことができる。お前はそう言って、一緒になったんじゃないか』
『ないものねだりだよ、確かにそれはそう。それが最善だと思ったから。でも、もしかしたら、二人が七星の血なんて関係なく、当たり前の人生を不自由なく生きていけるかもしれない。可能性が手の届くところに来ている。知ってしまったら知らんぷりなんてできないわ。私は……あの二人の親だもの』
七星の血がどれ程恐ろしいのかを家族の中で唯一知っていたのは母だけだった。父は最後まで母が聖杯戦争に参加することを拒んでいた。けれど、結局は押し切られた。
まだ10にも満たしていなかった俺には事情などよくわからなかった。ただ、母が何かの戦いに赴くことは分かっていて、母ならば負けないだろうなどと、子供心の考えしか持ち合わすことが出来ていなかった。
実際に母は圧倒的な強さを見せた。初戦で聖杯戦争の常連であるエーデルフェルトに完勝し、聖杯戦争の流れを一気に自分の手に握った。
間桐、アインツベルンは早々に御三家による同盟を提案したが、遠坂はそれを撥ね付け、結果として、足を引っ張り合うような形で敗北を喫した。
在野の魔術師や聖堂教会が派遣した魔術師も遠坂の奸計によって敗北。
残るは2陣営のみ、願いが叶うかどうかが決まる日、出発しようとする母は俺に声を掛けた。
『櫻一郎――――桜子のことをお願い、ね?』
何故、母がそんな言葉を口にするのかと思った。母の実力であれば聖杯を勝ち取り戻ってくることは間違いないと、俺は漠然と考えていたからその意味が分からなかった。
もしかしたら、母は既にあの時、自分の結末を見据えていたのかもしれない。遠坂は敗北し、聖杯戦争は七星の勝利で終わった。終わったはずなのに……、母さんが戻ってくることはなかった。
聖杯戦争は巨大な光と炎に包まれ、七星と遠坂、どちらの代表者も帰って来る事無く終わりを迎えた。当事者の誰もがどのような結末を迎えたのかわからないままに終わりを迎え、俺の七星の血が消えることは結局なかった。
結局、我々、七星家に与えられたのは母である桜を喪失したと言う事実だけだ。父は自分の判断を本気で悔やみ、俺も自分が母の背を押していたような言動を口にしていたことに罪悪感を覚えていた。
もっとも、子供が覚える罪悪感など可愛いものだ、時間を経ていくことで自分の心も癒されていく。母のいない日常に少しずつ慣れていき、このまま、母のいない時間が変わることなく続いていくのだろうと思っていた。
ただ、その中で一つだけ俺にとっても父にとっても、予想だにしていないことが起こった。桜子が成長をしながらも魔力回路の発現が起こらず、まったく魔術師としての素養が見られないことであった。
何も神に祈った結果であると言うわけではない。理由など全く定かではないが、俺も父も桜子の身体に起こった変化は、いなくなってしまった母が桜子を守っているのではないかと思えた。既に魔術回路が機能している俺は別にしても、桜子だけは守りたい。
そんな思いが奇跡を引き起こしたように見えた。少なくとも俺はそのように捉えていた。
『父さん、俺はこの家を出ようと思う』
あくる日、本当に突然切り出したその話に父は目を丸くした。母を失い、ようやく安定してきた日常、桜子の変化も相まって、ようやく父は母がいなくなったことを本当の意味で受け入れることができるようになってきたという矢先のことだ。
その反応も当たり前と言えば当たり前の事であったのだろう。
『俺がここにいれば桜子にとって毒にしかならない。母さんがいなくなり、俺もこの家を出れば、桜子の目に着くところに魔術の痕跡は無くなる。桜子は自分の家に隠された過酷な運命を知らずに生きることができるはずだ』
『桜がそんなことを望んでいると思うか!』
『だが、母さんならきっと、桜子に七星の過酷な運命を背負わせたくないと言うはずだ。魔術回路を持たないのならば、桜子は七星の血が目覚めないかもしれない。魔力を持つ俺が傍にいることで、もしも、桜子が七星の血に目覚めてしまったら、俺は母さんに顔向けできない』
『そういう問題じゃないだろ。そもそも、ガキがどうやって1人で生活をするつもりだ』
『………食い扶持ならいくらでもあるだろ』
『お前、まさか……』
この時の俺は既に七星の血に目覚め始めていた。無論、幼いころから徹底的に魔力を制御する総てを学んでいたからか、血の衝動に呑まれるようなことはなかったが、明らかに自分の中で血が湧きあがるように何者かを傷つけたくなるような衝動を覚えていた。
子供の頃の当たり前な解放感のまま、何も知らずにいたら間違いなく誰かに危害を加えてしまうであろうそれは、制御の仕方を間違えれば自分にとって予期せぬ相手にまで手を加えてしまうかもしれない。
桜子にどうして七星の血が発現しなかったのか、単なる偶然か、あるいは母の祈りが形になったか、それとも……もしかしたら、母の願いは叶っていたのだろうか。
桜子だけは七星の血の宿命から解放すると、そのように願ったのかもしれない。それが解決できる妥協点であったとすれば納得できないわけではないガ、何にしても、俺がここにいることは桜子にとって害にしかならない。
父に渋られたのは言うまでもない。母に続けて、俺までもが家を出る。桜子も既に自我が芽生えている。母と違って俺がいなくなることは明確に認識することだろう。
加えて俺自身の問題、七星の血に目覚めた俺がいなくなった先で何をするのかもしれないという不安、親としてそれを想うことは当たり前ではあるが、親の心を子知らずとはよく言ったものだ。結局、そうした父の懸念も知らず存ぜぬのままに俺は七星の家を出た。
父に食い扶持ならいくらでもあるなどと口にしておきながらも、先々のことを考えていたのかと言えば、全く考えていなかったと言うのが正直なところだった。
10を過ぎた程度の子供が将来設計を踏まえた上で家を出るはずもなく、勝手に家を出た俺はどうすることも決められないままに街の中を彷徨い続けた。
最初の1日程度はそれでも何とかなったが、当然に2日、3日と経過すればそうもいかない。
その日は雨が降っていた。朝から降りしきる雨は傘を差さなければ、全身が濡れてしまうほどで、傘など持たずに出てきた俺は、全身を雨ざらしとなり、浮浪者のようにポツポツと足を進めていた。全身から熱が奪われていき、へなへなとへたりこんでいく。
誰かに見つかるかもしれないと言う不安感と腰を落ち着かせることができないと言う疲労感、焦燥感も徐々に増していく中で、まともな思考は徐々にできなくなっていく。
そのまま意識を失うことが出来れば、家に戻ることが出来たかもしれないが……
『何だ、随分といい感じのもんを出しているガキがいるじゃねぇか』
『奉さん、オヤジのところに戻らなくていいんですか?』
『ん? ああ、戻る、戻るとも。だが、少し興味が出ちまった。オイ、ガキ』
声を掛けられ、思わず顔を上げた。無警戒な対応は杜撰なこと極まりないとはいえ、それ以上の思考がその瞬間にはできなかったことも事実なのである。
上げた顔の先にいたのは、黒のスーツを身に纏った若い男性だった。その後ろに同じかそれ以上の年代の同じく黒のスーツを着込んでいる男性たちが、罰の悪そうな表情でこちらを見ている。
どんな状況なのか全くわからなかったが、俺に声を掛けて来た男性は、自分が雨にぬれることも厭わずに俺に傘を差しだしてきた
『ちょっと奉さん』
『俺も覚えがあるぜ、もっと薄汚い路地の所でどうしようもなく転がっていたらよ。オヤジがこうして傘を差しだしてくれた。そんな思い出に浸っているだけだ。気紛れだ。だが、お前にその気があるのなら、拾ってやるぜ、随分とギラギラした面をしているからな』
随分と身勝手に何かを言われているような気がしたが、よく理解は出来なかった。選択肢が無かったのは事実であるし、俺はそれを受け入れた。
それが俺と若……、神丘奉との出会いだった。後にその時の気持ちを聞いてみれば、自分とダブつくところがあったのだと語っていた。
奉さんは決して良い人生を生きてきたわけではない。社会的に見ても好まれるわけではなく、本人の生き方としても決して誇れるものではない。大半の持ち得る者たちからすれば、負け組と揶揄されても仕方がないような生き方をしてきた。
しかし、誰の目にそう見えたとしてもこちらには拾ってもらった恩がある。七星の家に帰るつもりはもとよりない。桜子がこれからも生きていく空間の中では俺は邪魔でしかないのだから、戻ると言う選択肢はもとより有り得ないのだから。
拾われた勢至姆組の居心地が悪かったかと言われればそうでもない。確かに、これまで魔術師としての在り方は学んでいても表側の世界しか見ていなかった自分には驚きの連続であったが、決して悪いように扱われたわけではない。
『出ていくのならいつでも好きに出て行け。別に追うつもりはない、助けてやるつもりもないけどな』
奉さんにはことさら可愛がられた。彼からすれば、似たような境遇であった俺を保護することで、自分の立場が変わっていることを実感していたのかもしれない。奉さんの客分扱いを受けていた身としてはそれだけでも組の中ではある程度の安全が保障される。
俺は勢至姆組に身を寄せることを選んだ。恩もあるが、ここならば自分の力を、七星の血を振ったとしても赦される土壌があったからだ。
殺し屋、用心棒、何でもいい。恩を返す方法があるのならば、そのように生きていけばいい。元より帰る場所がないことは理解している。ならば、ここが俺にとっての変える場所になればいい。
『櫻一郎、お前随分とやるじゃねぇか。思わぬ拾いものだったか。いや、出会った時からお前は、こっちを射殺すばかりのツラかましていたからな。俺の目に狂いはなかったと言うことか』
『どちらでもいいですよ、俺は奉さんのためにこの力を振うだけです。何も変わらない、これまでの七星と』
七星は結局の所、誰かに仕え、その誰かのために刃を振うもの。何もこれまでと変わらない。その対象者が俺にとっては奉さんであったと言うことだけだ。
母は七星の宿命が終わることを望んだ。しかし、母の願いが叶えられることはなかった。ならば、七星の血に呑まれることを怖れながら生き続けるよりも、七星の血を有効に活用できる生き方をした方がいい。
幸い、自分の役割をこなすことに困ることはなかった。適度に七星としての役割を果たしていくことは自分の中に宿っている七星の血を暴走させることを抑制する。
逃がさないと己の血に囁かれているようですらあった。お前が七星である限り、決して殺生の道から逃げることは許されない。そのように告げられているようにも思えてきて、いつからか、こうあることこそが結局、自分の運命であったのではないかと思うようになっていた。逃避であることなど十分に分かっているが……、別に構いはしないだろう。
己はただ1人の七星、家族を捨てて、修羅に落ちたのならば相応の生き方をして、最後に屍を晒せばいいと思っていた。
奉さんが聖杯戦争に参戦すると聞かされ、内心、胸が躍ったのは嘘ではない。七星としての力を十全に発揮し、己の恩人を手助けすることができる。
あるいは、母のように自分の死に場所を見つけることができるかもしれない。そうすれば……、この街の七星は総てが消え去る。この血塗られた因縁にも終わりがやってくる。
そのように思えるはずだった。しかし……、考えてもいなかった。因果はめぐり合わせるかのように、その聖杯戦争に桜子までもが参戦していること。発現していなかったはずの七星の血が、桜子の中に宿っていたこと。
自分の中に築いていた無数の希望があえなく砕け散るような思いだった。戦う目的を見出していなければ、闇に呑まれていたかもしれない。
しかし、未だこの身は闇に呑まれる事無く、血に従うように戦場にその身を置いている。総ては奉さんに勝利を捧げるために。血の運命に従うことが俺の役割ならば、例え、誰が相手であろうとも……俺は七星であることを全うするだけだ。
・・・
「もうコソコソと隠れてあれこれをやるのは終わりだ。久坂達は失敗した。だが、俺たちまでもが命脈を断たれたわけじゃない。俺達がこの戦いに勝つためにもうなりふり構っている場合じゃねぇってことだ」
8日目の朝、その日、繁華街に存在する勢至姆組の事務所は異様な空気に包まれていた。明朝に掛けられた招集に集まった者たちは組長室を我がもの顔で扱っている神丘奉の姿に歪な感覚、そして言いようもない圧迫感と不快感を覚えていた。
典嗣を慕っていた者からすれば奉は仇に近い存在だ。口には出さずとも、誰もが典嗣を殺した人物は奉であることを知っている。
逆に組そのものに忠誠を誓っていないモノからすれば、奉の行動は目の上のたんこぶでしかない。シノギの維持さえ怠らずに、堅気への配慮さえ忘れなければある程度の自由が約束されていた彼らにとって、今の何処に進んでいるのかもわからない勢至姆組は厄介の種を呼びこんでいる様にしか思えなかった。
しかし、そんな者たちも結局は逆らうことができない。奉の用心棒である七星櫻一郎の存在と、黒色の獣、バーサーカーの存在がこの場の誰もが奉に逆らうことが出来ないのだと知らしめている。
逆らえば殺される、自分の命を捨ててまで奉に刃向うことを選択する者はこの中には存在しない。そんな薄汚い人間性しか持ち得ない者たちであることを誰よりも知っているからこそ、奉は彼らを使うことを何とも思わない。
「秋津市の主要な施設を勢至姆組の総力を挙げて襲う。破壊活動を行うってことだ。先のことは考えるな、徹底的にやれ。別に物をぶっ壊そうが、誰を殺そうが、犯そうが好きにしろ。全部俺が許可してやる」
「そ、そんなことをしてどうするんですか! ただでさえ、オヤジが死んでからうちの組はずっとゴタゴタ続きなんです。破壊行為なんかに手を染めちまったら、もう―――」
「もう、なんだ? 先を続けて見ろ」
「うぅ……」
ギロリと奉の視線が自分の身体に刺さった瞬間、若い組員は言葉を失ってしまった。それ以上続ければ、自分の命はないだろうと本能的に悟ってしまったのだ。
「これ以上続ければ組が持たない。正式に取り潰されちまうってことだ。奉、若頭だったお前なら、今がどれだけ危ない橋を渡っているかわかるだろう」
次に奉よりも年長の組員が声を上げる。数日前までであれば若頭と言えども、奉が頭を上げることができない相手の1人であったはずの組の長老の1人に対して、奉は一切臆することなく視線を向ける。
「ああ、分かるとも。だが、それがどうした? 何をしようとも、結局は最後には強い奴が勝つ。悍ましいことをしてでも、バーサーカーが強くならなければ俺達は負ける。このままのやり方じゃセイバーを上回ることはできない。そうなれば、連座で俺達は総てを失うことになる。そんなふざけた話を認めるわけにはいかないんだよ」
組員たちに話しかけていると言うよりは、自分に言い聞かせているような口ぶりだった。奉の瞳には昨日までには存在しなかった、後に退くことのできない狂気のようなモノが宿り始めている。
ギリギリ、奉の中で彼を理性の狭間に残していたはずの理性の手綱は、奉自身に放棄されてしまったかのように、そのコントロールを失ってしまっている。
「オヤジに代わってお前たちに命令する。この街を壊せ、恐怖を与えろ。先を考える必要はない。この街は恐怖によってバーサーカーが支配する。逆らうなよ、死にたくないなら」
改めてこの場において誰が最も強い存在であるのかを知らしめるために、あえて典嗣のことを冠につけて命じる。ここは勢至姆組であり組長を殺害し、冠を奪った自分に従えと恐怖を以て支配した男は、改めて彼らの喉元に避けられない恐怖を突きつける。
「奉さん、アンタについていけば、本当に俺達は成功するのかよ」
「ああ、問題ない。今日が正念場だ、明日を迎えればこの街で俺達に逆らえる奴はいなくなる。逆らう奴がいれば俺に言え。好きなようにさせてやる。その時に俺たちは本物の人生を取り戻すことができる」
奉の断言する言葉に末端の組員たちは奉がそういうのならば、と自分たちの意見を肯定するための理論を構築していく。
彼らは決して強い人間ではない。縋るモノを喪い、次に進むべき道に迷っている者たちなのだ。その進むべき方向を見出すことができ、なおかつ自分の喉元に刃を突きつけている相手に対して勇敢に立ち向かえるほど強くはないのだ。
無論、そんな奉の態度に苛立ちを浮かべる者が一掃されたわけではない。不和の種はくすぶり続け、いよいよこの組の王のように振る舞い始めた彼に対しての怒りは修正不可能な所にまで迫っている。
しかし、命を捨ててまで飛び込むことはできない。勝てる目算がまったくないのであれば、それは無駄死になのだから。典嗣の仇を討つにしても、ただ後追いをするのでは馬鹿らしいと彼らが考えるのは当たり前の発想であった。
「手筈は既に決めてある。今から俺が指定するメンバーで指定する場所を襲え。バーサーカーをそれぞれにつける。襲った後は好きにしろ、やりたいようにやれ。そこにいる奴らを恐怖させろ。俺から命じるのはそれだけだ」
だから、後は各々甘い汁を吸えと命じる奉の言葉は悪魔の誘惑にすら聞こえた。他者が正当化し、己に責任の無い暴力ほど人間を堕落させる者はない。
今はまだ手を染めていないからこそ、誰もが息を飲んでいるが、実際に手を染めてしまえば後の転落は容易い。
「―――話は以上だ、そう難しく考えるな。今日を必死に足搔け。そうすりゃ、明日からはお前らの本物の人生ってのが始まるんだからな」
最後に己の戦いに付き合わせる者たちを決して蔑ろにしないと奉は告げる。己の駒として必死に闘えばそれなりのリターンをくれてやると言う言葉は彼なりの最後の配慮であったのかもしれない。
それぞれの思惑を抱きながら、組員たちは組長室を出ていく。残ったのは黒き獣と櫻一郎だけだった。
「若……」
「ああでもしなけりゃ、セイバーには勝てない。あいつは本物の化け物だ。昨日はギリギリだった。勝てるか勝てないかの瀬戸際で、俺は逃げることを選んだ。どれだけ強い言葉を口にしても、勝てると思いこむことが出来なかった。だからこそ、何が何でも勝てる状況に持ち込まなければならない」
セイバー陣営は必ずバーサーカー陣営の対策を立ててくるだろう、2日間に渡って中座された戦いは、いよいよもって三度目の激突を迎えようとしている。どちらの陣営にとっても確認するまでもなく、今日が最後の激突であることは予感として理解していた。
「櫻一郎、お前がカギだ。バーサーカーは必ずセイバーを上回る。だが、奴を、あのマスターを封じなければ勝てない。それはお前の役目だ。失敗は二度も許されない」
「肝に銘じてあります。七星としての役目を果たすまでです」
「セイバーを殺しちまえば、後はそう難しくない。お前の妹と何もできない九重円華程度はセイバーを倒したバーサーカーの敵にはならない」
決して驕った見方ではない。最強戦力であるセイバーに打ち勝てるとすれば、真正面からの激突でバーサーカーを倒せる者はこの秋津には存在しないと言うことなのだから。
今日でセイバーを超えることができるかどうかが全て、聖杯戦争に勝利できるかは今日に決すると言っても過言ではないだろう。
この秋津市の中でパワーゲームに興じていた三陣営のうち、残ったのは奉たちだけだ。遠坂も唯一神理教も脱落し、あと少しで奉は聖杯を掴むことができるところにまで来ている。未練はない、このような世界には一切の未練はなく、聖杯を掴んだその時に、自分は総てをやり直すことができる。
狂った思考と言われるかもしれないが、狂っていなければおよそ、まともに生きていることなど出来るはずもない。修羅道ですらも生温い世界の中に、今の奉は潜んでいるに等しいのだから。
「待っていろ、セイバー。お前が偽りだと語ったバーサーカーの恐怖、偽りが本物を超える瞬間を、お前に、いいや世界に、知らしめてやる。それが、偽りを刻まれた俺達の世界への報復であると知れ!」
今こそ、自分たちは聖杯戦争に参加したことの意義を果たす時が来たのであると奉は奮起の想いを漲らせる。この先に至るであろう処理を信じていればこそ。
――秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
『さて、それでこれからどのように動きますかな、コルテス殿』
地下クラブ、ライダー陣営の拠点として、すっかり馴染んでしまったその場所にて、改めてコルテスと円華は蟲を介在させて声を届ける間桐の大旦那との今後の行動について打ち合わせを行っていた。
1日目から、秋津の街の中で最大の脅威になりかねないと考えられていたキャスター陣営の討伐に動き、7日目にしてようやく彼らを撃破した。この場の誰もが時間がかかりすぎたなどと考えるつもりはない。それほどまでにキャスター陣営と言う存在は難敵だった。
ほんの少しでも運が傾ければ、今頃キャスター陣営は聖杯戦争の勝利者になっていてもおかしくなかったのだから。
しかし、倒した以上は次に駒を進めなければならない。円華にとってもコルテスにとっても、聖杯戦争に勝つことは絶対だ。進み続けた道をこのまま後戻りすることなど出来ない。
「爺、改めて現在の状況を確認するぞ。残っている陣営は俺様たちを合わせて4つ、その認識で良いな」
『ええ、エーデルフェルトが率いるセイバー陣営、前回の聖杯戦争の実質的な勝利者であった七星を擁するランサー陣営、そしてキャスターと同盟を組んでいたバーサーカー陣営、コルテス殿たちを除けば、秋津で残っているのはこの3つとなりますな』
「久坂達と一緒にいる時に見ていたけれど、セイバーもバーサーカーも凄まじい力を発揮していた。正直、私がマスターの状態で、あの2体と正面切って戦うのは無謀が過ぎると思うわ」
「俺様の身体も万全には程遠い。真正面からの戦いを行うこととなれば勝ち目は薄いな。はっきり言って、一番脱落させやすいのは俺様たちであるのに変わりはないからな」
自尊心の強いコルテスであるが、決して状況が読めていないわけではない。残る3陣営は総て、自力で聖杯戦争に勝利できるだけの武力を持ち合わせている。
対して、キャスター陣営との戦いで深手を負い、生前の逸話からも決して武力に勝っているとは言えないライダー陣営は確かに残った4つの陣営の中では最も潰しやすい相手であると言うのは間違いないとコルテス自身も分かっている。
「だからって、黙って脱落する、貴方じゃないでしょう?」
「くく、言うようになって来たじゃないか。真正面から勝てないのなら、そりゃ、当然、搦め手でも何でも使っていくだけだ。そもそも、俺様たちが他のサーヴァントを全て倒さなければいけない道理もないしな」
『漁夫の利を狙うと言うことですかな』
「……バーサーカー以外の陣営がすべて集結したあの日、セイバーとマスターの小僧は明らかにランサーのところのマスターを目の仇にしていた。爺、知っていることがあるなら教えろ」
『察しが良いですな、七星とエーデルフェルトは前回の聖杯戦争より続く因縁の持ち主。セイバー陣営が前回の雪辱を晴らすために、ランサー陣営を自分たちが倒すことに固執しているように思えますな。もっとも、この数日間はバーサーカー陣営との戦いに終始していたようですが、それも全ては憂いを断った上でランサー陣営と決着をつける為でしょう』
「なるほど、ならば決まりだな! 俺様たちの次の狙いはバーサーカーだ。キャスターの手前、放っておいたが、いい加減、連中に引導を渡す時が来たって事だろう」
「それって、つまり、バーサーカーを倒した上で、セイバーとランサーを潰し合わせるって事? そんなにうまく運ぶものなのかしら? いくら、貴方が強運だからって少し都合よく見過ぎじゃない?」
「そうでもないさ。セイバーもランサーも主従揃ってこの目で見ているが、奴らは騎士だ。自分たちの決めたルールに従って、逸脱した行為が最善だとしても制約を設けるタイプだろう。俺様や久坂のような勝てればなんだってするというタイプとは根本からして違う。
だからこそ、付け入る隙がある。連中が勝手に決着をつけたいのなら、好きにやらせておけばいい。茶々を入れる方がむしろ、袋叩きに合うだろうさ」
セイバーとランサー、共にここまで残っている以上、相当の実力を持っていることは間違いない。加えてマスター同士までが因縁を持ち合わせているのならば、聖杯戦争に勝つために最小限度の被害でなどという甘い話で片付くはずがないことは明白だ。
自分たちが満足ゆくまで戦う、それで結構。残るのは死力を尽くして戦った末に残る一方だ。どちらも共倒れが一番好ましい展開であると言えるが、そこまでの都合の良さはコルテスも考えない。
あくまでもセイバーとランサーのどちらかが倒れ、どちらかが相応の傷を負っていてくれればいい。そこまでいって、初めてコルテスたちに勝ちの目が出てくる。
「バーサーカーについてだけは、その理屈が通用しない。連中は野良犬だ。喰えるところから喰う。喰えるのならばなんだっていい。美学も流儀も何もないが、こういう奴が一番恐ろしい。失うものが何もないだけにどういう行動をしてくるのが予想が難しい」
「だから、まずはバーサーカーを倒すって事ね。できることならセイバーとランサーも巻き込んで」
「ああ、それで連中に損害が出てくれれば御の字だ」
円華はバーサーカー陣営のことを脳裏に思い出す。コルテスと共に本格的に活動を始めた日に偶然出会った彼ら、自分と慎夜を引き裂くきっかけとなった勢至姆組と深い関係を持つ陣営であるだけに内心穏やかでいられるはずもなかった。
(今まではことさら意識もしていなかったけれど、ある意味で私たちが今こうしていることの元凶ともいえる相手なのよね。こういうことを考えるべきじゃないのかもしれないけれど……できれば、私達の手で倒したかった……)
コルテスの口ぶりからして、倒すにしてもトドメまでもを自分たちが持っていくつもりはないと言う様子だろう。
『しかし、コルテス殿、バーサーカー陣営を倒すための方策は考えておりますか? かの獣、既にセイバーに伍するほどの力を手に入れております』
「確か、バーサーカーは恐怖を喰らって強くなるって話しよね」
「そういうことか、確かにこれだけ騒動が起こっている町なら、恐怖の街呼ばわりされても何もおかしくないな」
「誰かが好き勝手に暴れたのもその要因の一つのように思うけれどね」
「はは、違いねぇな」
コルテスはまったく悪びれることなく反応を返す。円華は苛立った表情を浮かべるが、コルテスは意に返している様子もない。
キャスター陣営の時とは明らかに様子が違うのは、自分に害を与えられていないからなのか、もしも、そのような反応であるとすればかなり危険なことにも思えるが……、
「バーサーカーどもを倒すとなれば、そう難しい話じゃない。原因がはっきりとしているし、対処法も確立している。要するにこの街を恐怖で支配するって前提を誰も取り除こうとしないからだ、まずはそこからだろう。他人の心に寄与している時点で強さとしてはハリボテだ。純粋に強いセイバーやランサーよりはやりやすい。だろう、円華?」
「何でそこで私に話を振るのよ?」
「いや、お前も存外、バーサーカーの事にビビッている様子が無いからな。何となくだが、お前も対処の方法に気付いているんじゃないか?」
「それは……」
円華は自分の中に浮かんでいる一つの案を反芻する。確かに仮説として考えるのならば悪くない手法だとは思う。一度決まってしまえば、バーサーカーを大幅に弱体化させることは間違いなくできると思える。
(それを実行できるのは恐らく私だけ……、私ならばできるっていう自信はある)
ただ、まったく問題が無いわけではない。まず前提条件として準備が足りなさすぎる。本来ならば聖杯戦争が始まってから今日に至るまで入念な準備を施して望むべきだ。その時間がなく、時間を埋め合わせるだけの切り札もないとなれば……、如何に円華でもハリボテにしかならない
「まぁいい。円華、お前の考えていることを話せ。形に出来ないのなら形にするまでだ」
「だけど、色々と問題が―――」
「こういう時ってのは存外、思いがけないところから突破口がやって来るもんだ。俺様たちが聖杯戦争に勝てるとすれば、な」
コルテスは自信満々に答えて見せる。その様子は自分の勝利は決して揺るがないと心の底から信じきっている様子だった。二度も三度もことが上手く運ぶものなのかと思わずにはいられないものだが……、
『存外、コルテス殿の直感も間違ってはいないかもしれませんぞ、マスター、外の蟲にて確認しましたが、来客ですぞ』
「来客……? まだ開店前よ?」
『いやいや、そんなことは関係ないでしょう。何せ、彼らの目的は―――コルテス殿と円華嬢でしょうから』
「――――!」
緊張が奔る、いうまでもなくそれは、聖杯戦争絡みのものなのは一目瞭然なのだから。
「他の陣営か?」
『いいえ、初めて見る顔ですな。もっとも、何処の誰であるのかは少し観察すればすぐに分かります。いや、あちらもわざと見せつけていますな、これは……』
「相手は、誰なんですか……?」
『―――――神祇省京都大陰陽連、衣装に刻まれた家紋は筆頭家『八代』のもの。間違いなく八代家の使者であるのは間違いないでしょうな』
「神祇省が、このクラブに何の用なの……?」
「言うまでもないだろ、十中八九、口封じだ」
コルテスの口ぶりに円華とマスターは冷や汗を浮かべる。この地下クラブの入り口は一つしかない。逃げ道を見つけようにも、正面を通る以外に方法はない。
よって、逃げ場無し、もしも、コルテスの言うように害する目的があるとすれば、最悪の事態になりかねない。
「そう焦るな、弱みがあるのは連中も同じだ。円華、お前の策を話せ。巧くハマれば……、今日でバーサーカーを潰せるやもしれん」
コルテスは笑う。やはり隣のマスターは自分にとっての勝利の女神だ。相手は一筋縄ではいかないが、運が向いてきたのは間違いない。何も激突だけが聖杯戦争の総てではない。徹底的に場を荒らしまわるのもまた戦争の本領であるのだから。