――秋津市西側・繁華街・地下クラブ――
唯一神理教の崩壊――昨日の夜に伝えられた情報が神祇省内部に知れ渡り、彼らが動き出すのは、誰にとっても異常なほどの早さだった。
「唯一神理教へと潜入を行っていた一宮梓沙の言動には数日前より不可思議な面が多々ありました。電波塔の改修を行うための根回しを行わせる一方で、危険であるからと我々神祇省の『本隊』を呼びだそうとする。明らかにおかしいちゅう話です」
『せやなぁ、聖杯戦争に名乗り上げて、サーヴァント呼び出したいうんかて、聖杯戦争の他勢力にすり寄って潰し合わせれば、それで済む話やもの。それもせんうちから、神祇省の本隊を使おうとするんは、端的に言って状況を読み取れん大馬鹿モンかそれ以上の異常事態が引き起こされているかのどちらかしかなかったわけやな』
一宮梓沙からの定時報告は彼女がキャスターによって洗脳されてからも逐一行われていた。久坂にしても、突然梓沙の報告がなくなってしまうことは神祇省に自分たちの存在を怪しまれることに繋がるのは十二分に分かっていたが、神祇省側からすればその定時報告が異常を感知する上で最も役に立っていた。
何せ、潜入捜査員である梓沙が電波塔の改修の根回しを行わせる必要性はなく、なおかつ戦力を求めると言うのは明らかに過剰が過ぎる。
潜入捜査員の役割は単独による敵の殲滅ではない。いかに唯一神理教が危険な組織であるかを把握し、荒事専門の『本隊』に情報を明け渡すことだ。
それを実行せずにいたずらに本隊が来ることを求め続けた時点で、神祇省側は梓沙自身に何らかの変調が生まれ始めていることを察知はしていた。
「結果的に、そんな単純な話やなかったわけですけど」
『せやかて、京都大陰陽連の上は重々承知はしておったやろ、潜入任務を与えられるなんてのは、駒の扱いを受け取る連中だけ。そないなやつがしくじろうが死のうが、爺さん連中にとってはどうでもいい話な訳よ』
問題は、即座に戦力を投入し、聖杯戦争が行われている秋津市に本隊を投入するかどうかという点であった。
聖杯戦争状況下では、本体に伍する可能性がある英霊と呼ばれる存在が潜んでいる。最悪の場合は彼らとの戦闘に巻き込まれ、神祇省側の戦力を大きく喪失することになりかねない。
故に神祇省側は、梓沙が指定した7日目までが終わるまで、あえて静観を決め込んだ。勿論、あらゆる準備は想定していたが、もしも、久坂達の策が実行されていたとすれば、必ず神祇省側が勝てたとはとても言えない状況が生まれていたことだろう。
『うちらがそこから考えるべきなんは、現状がどう変質したのか。唯一神理教は明らかに膨れ上がっとった。昨日と言う日に、サーヴァントを討伐できんかったら、そないに戦後処理でのうのうと観光なんてできへんで』
「その時には、武力行使せんといかんかったわけですか。怠い話ですな、何にしても、穏便に済んで喜ぶべきことでしょうよ。いくら外様だろうと、神祇省同士での殺し合いなんざ、無意味で馬鹿らしいですわ」
『うちは梓沙姉ちゃんのことは嫌いやなかったけどな。一回顔合わせたことあるよ。野心でギラギラしていて気持ちよかったな~、出来る女って感じがしてな~』
「でも、もう終わりっしょ? こんだけのことやらかしたんですから、処罰は免れませんわ」
『ああ、うん、それはそうやよ。それを迅速に大過なく行うための戦後処理なんやから』
そして、今や唯一神理教が崩壊し、実質的な聖杯戦争の終わりが見えてきている秋津市にあえて神祇省側が飛び込んできたのは、何も聖杯戦争の調査や手柄を横取りするためといった目的ではない。
単純な話しだ、神祇省は国家権力の暗部、国家を揺るがす魔術的な災厄が引き起こされた際に迅速にその芽を摘むために組織されている。いわば、彼らは護国の剣として常に正しくありつづけなければならない。
その神祇省側のエージェントが、よりにもよって、キャスター陣営の中枢に入り込み、自ら騒乱の中心人物となって暗躍を果たしていた。半ば予測していた展開であったとはいえ、神祇省側は即座にこの問題の鎮静化を図るために行動を開始した。
故に端的に言ってしまえば、口封じである。
『神祇省の敵足りえる者の排除』―――それが『八代』より派遣された香椎唯那率いる一団に与えられた役割である。
権限は神祇省内においても特級、梓沙に与えられた現場での権限などよりも遥かに高等なモノであり、現場に置いて神祇省上層部の判断を仰ぐことなく、判断を下して構わないと言うお墨付きまでも与えられている。
それら全ては神祇省内最大派閥である『京都大陰陽連』筆頭家である八代より派遣された者たちであればこそだ。加えてそこに『次期当主』直々の式神までもが与えられているのだから、逆らえるものなど誰もいない。
「そうは言うけど、姫サマ、彼女のことを助けたくて、一番乗りしたんちゃいます? 有事に備えて、万全の準備進めはったんはほんまやけど、他の家を差し置いて縄張り決めはったんは私情でしょうに」
『ありえへんわ。うちがそんな年相応の可愛い子ちゃんなわけないやん。後始末するんなら、お膝元の京で鷹司を軽視してはったうちら『八代』がやるんは当たり前のこと。他の連中はサーヴァントがおる秋津に入りこむんに躊躇しただけ。ほんま有事に役に立たん連中やで』
そして、唯那の一団は目的地へと辿り着いた。繁華街の一角にある地下クラブ、そこはキャスター陣営討伐にて最大の金星を挙げたエルナン・コルテスと九重円華が拠点としている場所、彼女たちは目的を遂げるために一切躊躇なく神祇省の情報網を使って、その場を探り当てた。
何故、遠坂ではなく彼らを最初の標的に選んだのかは、円華とコルテスが最もこの問題に踏み込んだ場所にいるからだ。一宮梓沙と言う人間を知っており、多大な影響力を持つ九重円華と言う存在は、神祇省が隠ぺいを行う上で、誰よりも障害になりえる。
既に当主を失っている遠坂、話しを聞くかも怪しい奉に比べれば、まずはここを抑えるというのは、彼らからすれば至極真っ当な判断であるといえよう。
「んじゃ、踏み込みますわ。もしも、実力行使することになったら、姫サマ、ご助力よろしゅう~」
『現地でなんとかせぇ、なんとか!』
意外なことに扉はあっさりと開いた。踏み込む前から、使い魔に監視をされていることは唯那も気づいていたが、あえて放置することで相手の出方を窺った訳だが、思ったよりも肝が据わっているらしい。
(それもそうか。何せ、聖杯戦争に参戦してるような連中、まともな頭しとるわけもないもんな)
すぐに思考を切り替え、地下まで続く階段を下りていく。唯那を先頭にして、都合10人程度の男女が地下まで降り切ると、そこは明らかな成金趣味のような意匠が施されたトンチキ騒ぎを行うための施設と言わんばかりの世界が広がっていた。
その中心、VIPをもてなすために用意されたのであろうソファへと座る尊大な男とテレビで何度か見たことのある女性の顔を見て、唯那は目的の相手の場所へと辿り着いたことを理解した。
「よぉ、随分と動きが早いじゃねぇか。そんなに困ることだったか? 世間にこの街の真実ってのが語られるのは」
挑発的な言葉を開幕一番に投げかけた相手は眩暈がするほどの魔力を内包している。サーヴァント:ライダーであることは間違いない。
「ええ、困りますね。こっちも沽券に関わることなんで。最初からそこまで話降ってもらえるんなら、ありがたいですね。なら、ここに来た理由も言わずともわかるでしょう?」
「一宮梓沙、だったか? あの女のことを知っている俺様たちの口封じに来た、当たりじゃねぇか? まさか、その少ない人数でこの街を制圧しに来たなんてふざけた話じゃないだろ」
「まったく、話しが早くて助かりますわ。なら、これ以上の交渉の余地もいらんと捉えてよろしいんかな?」
唯那がその手に持つ護符に力を籠める。瞬間、コルテスの手が遮るように前に出された。
「まぁ、待てよ。互いにそこまで短絡的にならなくてもイイじゃねぇか。むしろ、そっちこそイイのか? お前ら、まさか俺様がこうなることを予見していなかったとでも思ってんのか?」
「使い魔の類であれば、わざと放置していたに決まっとりますわ。あんなもん、うちらが気づかないわけがない。気付いていても、制圧できると思っているから、ここに踏み込んどるんや」
「違うさ、今この場の話しをしているんじゃねぇよ。あの女がお前ら神祇省の犬であることが分かっていた以上、組織として何らかのけじめをつけに来ること自体分かりきっている話だ。その対策を俺様が怠っているとでも思ったか? お前ら、神祇省が手をこまねいていた連中を潰したのは他ならぬ俺様と円華だぞ?」
「――――!」
唯那は後ろに控えている部下たちに待てと視線を向ける。即座に制圧をするのはあくまでもブラフにしても、連中側が何か手札を隠そうとしているのは明らかだ。
何も知らずに総てを潰すのは愚者のやり方、例え、磨り潰すにしても、後々になって発覚するリスクを捨て置くことはできない。
「俺様と円華に何かしらの問題が起これば、すぐさま俺様の部下共に秋津の街で現在何が起こっているのかを流すように伝えてある。今の時代は便利だよな。テレビだろうがネットだろうが、すぐさま情報を横流しすることができる」
「嘘はいかんよ、アンタの仲間なんて、既にほとんど潰されとるやろうに」
「だが、まだ残っている。人間の数が少ないからって情報を流すことができるかどうかには関係ないだろう? ボタン一つで一気に拡散することだってできる。万に一つで俺様が真実を語っているとすれば、お前らが未然に防ごうとした事態を俺様は簡単に引き起こせるって訳だ」
唯那はコルテスが口にしていることが間違いなく嘘であると言う確信を覚えている。神祇省が介入してくることを彼らが予見することはほぼ不可能であり、事前に準備をしているにしても、聖杯戦争に置いては無駄な行為だ。およそ、この場を切り抜けるための嘘と考えるのが正しいが、逆に相手の考えが読めない。
そんなこの場を切り抜けるためだけに用意した嘘で逃れることができるなどと本気で考えているのか? こちらの態度を見ても冷や汗一つかいていない。騙しきれるかどうかを不満に思うのならば、反応が出てもおかしくない筈なのにである。
「そんで? うちらがそれを困るって言ったら、あんた、何してくれるん?」
よって、唯那は先を促した。目の前のサーヴァントが真っ当に戦闘を始めるわけでもなく言葉遊びに興じているのか、それとも何かを目論んでいるのかは言葉を続けていけばわかる。
「―――取引をしないか?」
「取引? あんた、自分がどない立場に置かれてるのかわかっとるんか?」
「俺様は建設的な話しをしているんだ。俺様たちにとっても、そしてお前たちにとってもだ。お前らだって、本気で総ての口封じが出来るなんて考えているわけでもないだろ。物わかり良く言ってやろうか? お前らの隠ぺいに手を貸してやるって言ってるんだ」
「口の利き方に気ぃつけぇや。うちらは何も――――」
『へぇ、面白いなぁ、ほんまに。使い魔風情が随分とデカい口を叩きおるわ。英霊様ともなると、プライドの塊なるんはしゃあないかもしれんけどな』
そこに突如として口が挟まれる。声を発しているのは人のカタチをした護符であった。式神、神祇省の幹部たちが使う自分自身の憑代としての使用を想定した遠隔操作用の代物である。
「姫サマ、口は挟まないって―――」
『うちかて、唯那だけでどうとでもなるんなら黙って静観しとるけど、そうもいかんようやしな。慇懃無礼も此処に極まれり。そうやないか、エルナン・コルテス?』
「どこで俺様の名前を耳にした?」
『一宮梓沙の記憶を読み取るくらい、此処に辿り着く前にしとるにきまっとるやろ、子供のお遣いじゃあるまいに。一応、うちらはアンタに感謝はしとるんよ? この国の危機をうちらの代わりに救ってくれて助かったわ、お疲れさんってな』
「名前くらい名乗ったらどうだ、クソガキ」
『……京都大陰陽連筆頭家『八代』が次期当主、八代朔姫、以後お見知りおきをなんちゅうことになりゃせんやろうけど、会話をするんなら、名乗っとくくらいは確かに礼儀やな。聞かせてみ、うちらが満足する提案を出せるかをな』
ピクリと円華とクラブのマスターが反応する。まさか、本当に話しに応じるとは思っていなかったのか、驚いた様子だった。
『自分らで言っといて驚いてどうすんねん、唯那も最初に言ったろ、うちらは『神祇省の敵』を排除するために来たに過ぎんわ。お前らがうちらに排除以上のメリットを与えてくれるんなら、その方がええに決まっとるわ、誰が好き好んでサーヴァント相手に本気で戦端開かなあかんねん』
この場にいないにも関わらず、まるでこの場の状況が分かっているかのような言葉を口にする。どこまでが本当なのかは怪しいが……通信の相手が只者ではないことだけは間違いない。
「―――円華」
「う、うん。なら、話しをさせてもらうわ。私達が考えている方法、私達にとっても、貴女たちにとってもメリットになる話を」
そこから円華は先ほど、コルテスたちに語り、理解を得られた話を口にした。行動自体は今の円華たちだけでも実現することは可能だ。
しかし、作戦を完璧に成功させるためには、どうしても外部の力が必要になる。その問題をクリアする上では、確かに神祇省の力を借りることが出来れば、渡りに船であった。
「―――以上が、私たちの考えている行動です。あくまでも、私達が聖杯戦争に勝つための行動であるため、貴女たちにとって都合の悪いこともあるでしょうが、決して悪い提案ではないと思っています」
円華が自分の考えている内容を話し終えると、その場にいた唯那以下神祇省側の人間たちは思わず言葉を失ってしまった。
何かしらの弁明めいたものを聞かされると思っていたが、話す内容の飛躍ぶりに驚かされてしまった。
『――――清純派女優で売っておるんちゃうん? とんだ悪女やな、あんた』
「先に手を出してきたのは、あちらですから。彼らが慎夜君と私に手を出さなければ、私だって、こんなことにはならなかった。報いは受けてもらいます」
『ええやん、うちもそういうの好きやよ。エルナン・コルテス、九重円華、あんたらの提案、乗ってやるわ』
コルテスは三日月形の笑みを作る。考えていた方向へと流れが進んできた。
「話の分かる相手で助かるぜ、少なくともこんな場所に無防備に飛びこんでくる馬鹿ではなかったってことだな。んで、準備にはどれくらいかかる」
『――――十一時間、ギリギリ半日はかからせん、それだけもらえれば完璧な舞台設定造ったるわ』
「おいおい、かかりすぎだろ」
『馬鹿言ってんじゃねーよ、道理を無理でこじ開けるんだからよ、うちらにだって通さなならんこともあるやろうが』
「でも、あと半日待てば、本当にできるの?」
『国家権力舐めるんやないわ、あとはアンタ次第や、九重円華、うちらにここまでの啖呵を切ったんやから、大根やったら許さんで』
朔姫は一切の不安など持ち合わせていないかのように断言する。もしも、本当に叶うのならば、後は円華次第だ。それで秋津の勢力図は大きく変わっていくことになるだろう。
(バーサーカー陣営に勝つためにも、そして私自身の清算を果たすためにも、必ず成功させないと……)
思う所が全くないわけではない。自分にとってある意味で最も使いたくないモノを使うことになってしまう。けれど、何が何でも勝つというのであれば、それこそ出し惜しみをしている場合ではないこともまた事実であるのは間違いない。
ある意味で九重円華と言う人間の人生すべてを使っての大博打ともいえる行為だ。賭けるものが大きいだけにリターンもまた強大であるのは疑いようのない事実である。
引き返すことができないところにまで来ていることを改めて痛感する。今日を以て、そのステージはさらに一段引きあがることだろう。臆すわけにはいかない。自分は自分の武器を使って、この聖杯戦争を勝ち抜くと決めたのだから。
――秋津市東側・住宅街・七星流剣術道場――
夢を見ていた。その夢は誰かの記憶を覗き見ているような感覚だった。
荒野の最中で激突する二つの軍勢、眩い黄金の光、それを掲げて凱旋する騎士、誰かに聞くまでもなく、その夢で見ている相手が、自分のパートナーであることは間違いなかった。
彼女の活躍は華々しい。あらゆる戦いに躍り出て、必ず勝利を掴んで凱旋する。敗北などする気配もなく、ただ彼女がそこにいると言うだけで勝利は約束されているに等しい。
まさしく勝利者の人生だ、きっと同じ時代を生きてきた人であれば、彼女のようになりたいと誰もが心から願ったのではないだろうか。
常勝無敗の将軍として徹底的に自国を発展させ、後の大帝国に至る礎を創り上げた人物の人生は、他者から見ればまさしく素晴らしいものであるようにしか見えない。
けれど……、本人である彼女だけは決して喜ばしい表情を浮かべてはいない。どこか、自分の人生に満足していないような、自分が望んでいたものはこんなものではないとでも言わんばかりの表情を浮かべている。
よくよく考えてみれば、私は彼女がどんな願いを以て聖杯戦争に勝ち残ろうとしているのかを、はっきりと聞いたことはなかったかもしれない。
今までずっとがむしゃらに闘ってきて、ようやく自分の闘う理由が見えて、マルテルさんと一緒に戦うことが徐々にできるようになってきている。
でも、あたしは誰よりも近くにいる相手が何のために戦おうとしているのかをはっきりと理解していないのかもしれない。
―――貴方は何故、やり直したいと思わないのですか?
セレスさんの死を目の当たりにした時に、彼女はあたしにそう言った。その時はセレスさんの事もあって、ほとんど意識を向けることはなかったけれど、この夢を見て思う。
もしかしたらマルテルさんは何もかもをやり直したいと思っているのだろうか……
「…………ああ、もう朝か」
目覚めれば、いつもよりも少しだけ早い起床時間、昨日はマルテルさんとの特訓をすることもなく眠ってしまった。キャスター陣営との戦いを終えて、疲労困憊になっていたんだと思う。
家に帰ってきてからの記憶は曖昧だ、たぶん身なりを整えてすぐに眠ってしまったのだろう。それくらいには昨日は激戦だった。彼女……一宮梓沙に勝てたのは、蓮司君の奮闘があればこそ。もしも、蓮司君がいなかったら……あたし一人では彼女に勝つことは出来なかったかもしれない。
「ミス・サクラコ、よろしいでしょうか……?」
「ノルンちゃん?」
部屋のふすまが開くと、銀髪の可愛らしい顔が覗いてくる。ノルンちゃんはあたしと顔を合わせるとペコリと頭を下げてきた。
・・・
布団から出て、身なりを整えつつ、ノルンちゃんと一緒に足を運ばせていく。聖杯戦争でどれだけの激戦が続いていようとも日常が待ってくれるわけではない。今日も今日とて学園に行かなければならない以上、準備は進めていかなくてはいけない。
「改めてキャスター陣営の撃破おめでとうございます。ミス・サクラコが聖杯を獲得するまで、残す陣営はあと3つになりましたね」
「そうだね、このまま順調に進んでくれればいいんだけど」
「聖杯戦争も順調に進んでいます。これならば、私も最後まで聖杯戦争の結末を見届けられそうです」
「最後って……ノルンちゃん、どういうこと?」
「私は、ホムンクルスです。この聖杯戦争が終わるまでの間が起動範囲です。通常の聖杯戦争は10日間から15日の間に決着がつきます。ミス・セレスティーナとの顔合わせから考えても、私の稼働時間はおそらくもって、あと2、3日が良いところでしょう」
「そんな……」
あっけらかんと自分の状態を告げたノルンちゃんの表情はいつも通りと変わらなかった。気落ちしているとかそう言った様子も本当になくて、当たり前のことを当たり前に告げただけとばかりだった。
「驚く必要も悲しむ必要もありません。ミス・セレスティーナにも説明はしていたことです。ただ……、もう少し時間があると思っていました。結局、身体の不調もそれが原因でしたが、最後に彼女に伝えることが出来ずに……」
ノルンちゃんはそう吐きだすとともに、少しだけ悲しげな表情を浮かべた。
「ふと思うのです、もしも、私が体の不調を伝えていれば、寿命が近づいていることを伝えていれば、セレスさんと私の運命は全く逆になっていたのではないかと。彼女があそこで自分を犠牲にすることは―――」
「たぶん、それでもセレスさんは同じことをしたと思うよ」
「………」
「セレスさんはノルンちゃんと自分のどっちが長く生きられるとかそんな数字で判断をしているんじゃなかったはずだよ。ただ、セレスさんは自分の正しいと思うことをやっただけ。セレスさんの事は悲しい、本当に辛い。でも、自分の行動に胸を張っていると思うんだ。だから、これでいいんだよ、きっと……」
「……はい、ありがとうございます」
洗面所で顔に冷水を掛けて、ぼやけていた思考を一気に取り戻す。ノルンちゃんの機能停止はきっと避けられない。最初から分かっていて、彼女が覚悟を決めている時点で、あたしがじたばたできることはたぶん何もない。
聖杯に願いを託せば、ノルンちゃんを生かすことができるかもしれないけれど、あたしが願おうとしていることを知っている彼女は絶対に拒否するだろうことは分かっている。
なら、あたしにできることは一つだけだ。
「残っているのはあたしたちを除いて三つ。ロイたちとライダー、そしてバーサーカー。蓮司君のことやキャスターを倒すことで回り道をしてきたけど、セレスさんの仇を討つためにも、決着をつけないとね!」
「バーサーカー陣営と戦うのですね」
「セレスさんの仇を討つためにも、この街に平和を取り戻すためにも。そして……兄さんとの決着をつけるためにも。あたしはあの陣営から逃げることはできない」
それに、消去法で考えても選ぶとすれば、バーサーカー陣営だ。ライダー陣営の足取りを掴むことはあたしだけじゃ不可能だし、ロイとは最後に戦うという約束がある。
バーサーカー陣営を放置したまま、ロイとの決着をつけることはあたしも望まない。セイバー陣営と戦うのは、心配することが全て無くなったその時だ。
「……バーサーカー、ジェヴォ―ダンの獣は2日間に渡るセイバー陣営との戦いでより強大な存在へと変貌を始めています。セイバーはかの獣の真名を口にすることはありませんでした。名を口にすることで弱体化を図ることはできるでしょうが、それでランサーとバーサーカーの膂力の差がどのように変わるのかまでは、私にも分かりません」
ジェヴォ―ダンの獣、それがバーサーカーの真名、セレスさんが自分の命を懸けて解き明かしてくれた一つの謎、その謎を開示することによって、バーサーカーは弱体化を果たしたと言う。
(昨日のキャスターとの戦いでランサーが使った黄金の槍、あれをバーサーカーに放つことが出来れば、それで倒せないのかな。あたしが簡単に考え過ぎている……?)
「ただ、私は正直に言えば心配です。バーサーカーは真名を明かされた後にも、アサシンを上回る強化を施されて復活しました。その時に、恐怖がある限り、バーサーカーは何度でも復活すると語っていました。ミス・サクラコとランサーの勝利を疑うつもりは一切ありません。私も全力を尽くします。しかし、もしも、それでも、及ばなかったとすれば……」
今度はあたしまでもがバーサーカーの犠牲になってしまうんじゃないだろうか。ノルンちゃんは言葉にはしなくても、そうした懸念を想っているんだろう。
なんていうか、ホムンクルスだって言われても信じられない。とても人間らしくて、微笑ましくて、セレスさんがノルンちゃんのために頑張った理由、あたしにも分かる気がする。
あたしは兄さんしかいないけれど、もしも、妹がいたら、こんな感じで接することが出来ていたのだろうか。
「大丈夫だよ、ノルンちゃん。あたしは負けない。セレスさんが命懸けであたしに託してくれたこと、ここまでにあたしが培ってきたもの、全部全部合わせて、あたしがあいつらに叩きこんでやるから! 正義は絶対に勝つ! 聖杯戦争がこれで全部終わるわけじゃないけれど、キャスターがいなくなった以上、バーサーカーを倒せば、秋津の街もようやく落ち着くんだから」
セイバーやライダーが大規模な破壊活動をするとは正直考えにくい。全国的に秋津市を賑わせることになってしまったバーサーカー陣営との戦いを終えることが出来れば聖杯戦争だけに集中することができるはずだから。
(そのためにも、マルテルさんだけじゃない。あたし自身も頑張らなくちゃいけない。バーサーカー陣営と決着をつけるとなれば、兄さんとの激突は間違いない。あたしは兄さんに言ったように、この戦いで兄さんを超えて勝利しなければいけないんだから)
初めてバーサーカー陣営と戦った時に比べれば、あたし自身も成長していることは間違いない。だけど、それで兄さんに勝てるのかどうかは正直に言って怪しい。
あの剣筋を延長化する能力は基本的に実力者であればあるほどに穴が無い。剣士として戦ってきて、あたしも強く実感してきている。
あたしたち剣士はどれほど自分の剣に自信があったとしても刃を届かせることが出来なければ、結局のところは何の役にも立たないのだと言うことを。
だから、その弱点を克服した兄さんの強さは以前よりもさらに深い領域で実感している。正直、真正面からぶつかって、手数で勝負したところで、それを一手で引っくり返してしまうんじゃないかと思えるほどの能力だ。
(兄さんはあたしと違って、自分の長所を生かすために何をすればいいのかを考えて、あの能力を身に着けた。付け焼刃の刃の複数化でどこまで対抗できるのかだけど……)
たぶん、複数の刃を同時に操るって言うだけじゃ対抗できない気がする。一刀では防ぎきれない多角的な攻撃をしたところで、兄さんの刃にリーチという概念が全く関係ないのだとすれば、あたしの挙動1つで兄さんは攻撃を潰しにかかってくることは間違いないと思えるから。
もう一手、何か、兄さんを上回るための何かを用意しなければならない。兄さんの度肝を抜いて、一瞬でも意識を奪わせるような何かを見出さなければ、あたしはなすすべもなく倒されてしまう。
「ミス・サクラコ……?」
「ううん、大丈夫。きっと、そう遠くないうちにバーサーカー陣営とは決着を付けなければいけなくなると思う。だから、信じてノルンちゃん。あたしは絶対に勝つから!」
根拠なんてないに等しいから信じてもらえるのかも怪しいと言えば怪しいけれど、ノルンちゃんはニコリと笑ってくれた。
「信じます、ミス・セレスティーナもきっと同じように信じたでしょうから。私はアインツベルンより与えられた役割を果たしました。後はもはや、私がやりたいことをやるだけです。ミス・サクラコの勝利の姿をこの目に収める。私はその瞬間を待っています」
ここまで言ってくれた相手に対して、何もできませんでしたなんて結果にするわけにはいかない。連戦続きで、決して万全とは言えないけれども、ううん、だからこそ、気を引き締めて向かわないとね。
・・・
「桜子は櫻一郎と戦うつもりか」
「既に聖杯戦争は詰めの段階が近づいてきています。バーサーカー陣営がどのように動くにしても、桜子は彼らとの戦いを避けるつもりはないでしょう。そうなれば、おそらく、彼女たち二人の戦いは避けられないと思います」
「そうか……」
「止めないのですか? 意外ですね、貴方は桜子を止めると思っていました」
桜子とノルンの会話を盗み聞きするような形になった真一郎とランサーは、桜子たちから離れながら言葉を続けていく。真一郎に桜子を守ってほしいと頼まれた時に、彼は桜子が深みに嵌っていくことを決して求めてはいなかった。その様子を見る限り、既に戦いの運命を止めるつもりはない様子だった。
「俺は桜子が七星の運命に取り込まれていくことを怖れていた。それは俺だけではなく桜や櫻一郎にとっても、決して望ましいことではなかったし、あいつらの頑張りを無駄にすることにも繋がると思ったからだ。だが、桜子も櫻一郎もその運命を理解したうえで聖杯戦争を戦い抜くことを選んだ。なら、桜同様に今更俺がどうこう言えることじゃない」
結局、それが七星の宿命であったのだろうと受け止めるしかない立場にある。真一郎とて手をこまねいていたくはないが、今更、兄妹二人の間に入ったところで二人は戦いを止めないだろう。
「俺は桜子を信じることにする。信じると言う行為によって一度痛い目にあってはいるが、それでも桜子ならばと思わずにはいられないんだ。桜が桜子を守ってくれる。そんな風に思うんだ」
真一郎の言葉はどこか希望を自分自身が信じたいと思っている様にランサーには聞こえた。しかし、縋るしかないというのは間違いないことなのかもしれない。
あの兄妹の間に踏み込むことができるのは聖杯戦争の関係者だけだ。互いの陣営の勝利を願い、その為に戦っている以上、ランサーに戦いを止めさせたいと思う道理はない。
「桜子も貴方も……何もかもをやり直したいとは思わないのですね」
「………そう思ったことは何度もあるさ。桜を喪った時などは聖杯戦争が始まる前に戻りたいとも思った。だが、それと同時に桜子たちと過ごしてきた時間もある。それを全てなかったことにしたいと思えるほど、俺はどうやら狂気に脚を踏みこめたわけではないらしい」
時間が癒してくれるものもある。真一郎の妻を失った悲しみは残された子によって安らいでいた。何もかもを無かったことにしたいと思うには真一郎は時間を置きすぎてしまったのかもしれない。
「逆に、お前さんはそうしたいのか?」
「私は……ええ、私は、自身の過去を変えたいと願っている。それは英霊としての私の変わらぬ願いです。私であれば、かの国をより長く発展させることが出来た」
「桜子はお前の願いを知っているのかよ」
「いえ、桜子は……」
聖杯戦争の終わりは近い、桜子とランサーが勝利したならばそれぞれが願いを叶えることになれば、きっと桜子は問いを投げるだろう。ランサーは何を望んでいるのか、そして、その願いを桜子がどのように感じたのかを。
「例え、願いを知らなかったとしても、私達の目的は共通しています。聖杯を掴み、互いの願いを叶える。それだけで十分な筈です」
「本当に、か?」
真一郎はあえてランサーに問う。これまで決して言葉を濁すことなく常にはっきりと告げてきた女騎士が初めて濁らせた言葉の重みに何か予感を覚えたのだ。
「確かにそれは間違いないだろう。お前たち二人がどんな腹積もりでいようとも勝てば聖杯はお前たちのモノになるはずさ。だが、そのわだかまりは、最後の最後で……お前たちの首を絞めることになるかもしれないぞ」
まるで予感めいた言葉を口にする。無視しても問題ないだろうと思える程度の言葉、けれど、その感情は決してまったく心当たりがないと言うわけではなかった。