――秋津市西側・繁華街入り口――
七星の血とは一つの血継限界によって生み出された特殊な因子であり、七星と言う存在が積み上げてきた記憶の継承である。
人を、魔術師を殺めるために積み上げてきた無数の技と経験値、志半ばで散った者たちの姿を目に焼き写し、その屍を踏み越えて、次代へと記憶と成果、そして技を受け継ぎ続け、千年の時を経ても尚、魔術回路及び血と言う形を以て続けてきた呪われた一族の祈りである。
七星の血は覚醒した七星の人間に無条件に力を与える。それは紡ぎ続けてきた七星の意志が、呪いのように術者を逃さないからであると言う負の側面で見ることもできるが、同時に紡ぎ続けることによって意思を次代へと託し続けてきたという正の側面もある。
バトンを受け継いできた無数の意志は己の代でそれを絶やしてはならない。これまでに続けてきた先人たちの行動を無駄にしないために生き残り、次へとバトンを託していかなければならない。血に刻まれた絶対の意志はそのバトンが途中で途切れることを決して認めはしない。
七星桜という人物が聖杯戦争において、何故絶対的な力を発揮することが出来たのか。
答えを提示するとなれば、彼女は七星の血の扱い方が他の追随を許さないほどに上手だった。七星の血とは言ってしまえば、歴代の七星の継承者たちが積み上げてきた戦闘経験値による己の能力への上乗せだ。自分が培っていない出会ったこともない経験値の上澄みによって、生死の境を彷徨う戦場の最中で、最適解を選ぶ。
己の積み上げてきた研鑽では至ることができない領域の術技を前借で使用することができる。代償としては、強い破壊衝動、あるいは殺人衝動に己を支配されてしまうことだが、それはあくまでも力に呑み込まれた場合である。
七星桜は七星の血を色濃く受け継ぎ、己の戦いに徹底的に利用してきた人間であるが、彼女は生涯の中で一度も七星の血に呑まれたことはなかった。
強い精神力と己を律するために、常に七星の血を意識した戦闘訓練を積む。人間が一代ではおよそ至ることができない領域へと踏み込んだ経験値から与えられた学習と天賦の才能は必然的に彼女を強者へと押し上げた。
七星櫻一郎と言う人物が、勢至姆組の中で七星の血に取り込まれて、殺人衝動に苛まれなかったのも全ては桜から直々に、七星の血との向き合い方を教えられていたからに他ならない。
七星の血は使い方を誤ることなく、上手に付き合っていくことが出来れば、戦闘者としての己にとって絶大な力を上乗せしてくれる。
勿論、それはあくまでも戦いや暗殺と言った非日常的な状況での話しであり、日常の中で一市民として生きていく中ではまったく不要であり、なおかつ己の人生に暗い影を差しかねないほどの影響を与えてしまうわけだが……。
しかし、これはあくまでも七星の血を上手く扱う事が出来た者の話しである。歴代の七星の中で、七星の血と上手く付き合う事が出来た者は決して多くはない。
七星桜の才能が異常であり、聖杯戦争に勝利することが出来たことからも分かるように、それほどまでの強さを発揮でき、なおかつ安定した精神性を保つことができるのはほんの一握りの存在なのである。
多くの七星の血を受け継いだ者たちはその力に溺れるような形で、殺人衝動に呑まれたものがほとんどである。そうでなかったとしても……、自分自身の自我と殺人衝動に苛まれた結果として精神に変調をきたす者がほとんどであると言ってもイイ。
そうした精神的な変容を乗り越えた一部の者だけが七星として大成する。
多くの七星の血に苛まれた者たちは共通して一つのことを口にする。まるで自分の身体の中にもう一つの人格が存在しているかのような錯覚を覚えるのだと。
自分の中にいるもう一人の何者かが常に囁き続けるのだと。目の前の相手を倒せ、お前に力を与える、七星としての使命を果たせ……と。
常に囁かれ続けるその言葉に少しでも耳を傾けてしまえば……、たちまち、七星の血は術者自身の心を蝕み、衝動に身を任せる一匹の暗殺者が仕上がることだろう。
だが、それを怖れることなかれ。戦場にて相手を完全に滅ぼすためであれば七星の血に呑まれることは決して悪いことではない。相手を滅ぼさなければ生存叶わない戦場の中で、使えるものをすべて使ったと言うだけのこと。
故に―――今、七星桜子が振わんとしているそれもまた、勝利するためには必要な代償であったのかもしれない。
「う、うっ、ああああああああああああああああああああ!!」
桜子が叫び声をあげるとともに、脱力しかかっていた身体に力が入り、櫻一郎へ向かって突貫する。その身体の動きに櫻一郎は並々ならぬ気迫を感じとり、桜子の身体が変調を来たし始めていることを理解した。
(七星の血……、桜子自身がその血の恐ろしさを理解しないままに戦っていることは理解できていたが、ここまで浸食が進むものか……!)
「はぁぁぁぁッ!!」
一閃、同時に複数の刃が一気に櫻一郎へと襲い掛かる。いなすための刃を放つが、櫻一郎の挙動によって生まれた隙を拭うようにして影から入りこんできた刃は容易く、櫻一郎の脇腹を切り裂く。放たれる刃を刀で斬れば、その斬った挙動を先読みしていたように新たに生まれた刃が突き刺さり、櫻一郎に苦悶の表情が浮かび上がる。
(狙っているのは俺を己の技で倒すのではなく、消耗させることか……!)
自分の技で櫻一郎を倒すのではなく、櫻一郎の消耗を狙って攻撃を続けると言うやり方は、一見、迂遠なやり方であるように見えるが、桜子の魔術を考えれば決して悪い方法ではない。
じわじわと一つ一つ、櫻一郎へと攻撃を続けていくごとに、櫻一郎の動きが鈍くなっていけば、単純な消耗作業を行っていく中で、いずれ均衡が崩れる瞬間が必ずやってくる。まったく起こりえるはずのない一瞬の隙を狙って常に耐え続けることを選択するよりも、はるかに合理的な戦い方であると言えよう。
(合理的だ、それだけに桜子が戦術として採用するとは考えがたい。桜子ならば自分の技で俺を倒したいと負けん気を張って考えるはずだ。明らかに戦い方がいかに合理的に相手を撃破するかに変わってしまっている)
先ほどに感じたこれまでにない気迫、そして現在進行形で櫻一郎を追い詰めるために最適な動きへと変わり始めている桜子の反応、声を震わせながら向かってきていた桜子自身の反応が怖れを知らずに飛び込んでくる狂戦士のそれへと変わったことからも、櫻一郎はその変化に心当たりをつけた。
「やはり、七星の血に身を完全に委ねたか、桜子……!」
「勝つ……、勝つんだ。兄さんに勝って、この戦いに勝利する。そのためには、兄さんを倒さなければ……、倒さなければぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
櫻一郎がカラクリに気付いて反応したのに呼応するようにして、目が据わり、櫻一郎を睨みつける桜子はうわごとを呟くようにして、櫻一郎を倒すのだと、ただそれだけに注力していることを告げた。
反応そのものが研ぎ澄まされている。桜子が常に発していた無意識に力んでいる様子や思考の間隙によって生まれていた隙というものが徐々に失われてきていることがひしひしと理解できた。
(七星と対峙すること自体に経験が無かったからこそ、この目で見るのは初めてになるわけだが……、これが七星の血に覚醒した仕手の姿か。母から聞いていた話でその恐ろしさは十分に覚悟していたつもりだが……、ここまで変貌するものか……)
今の桜子は現在進行形で自分にとって最適な形の戦闘スタイルへと自分の戦い方を変貌させている。これまでのように彼女自身が自分の経験に基づいて、直感的に戦い方を変え、矯正させながら戦っているのとはわけが違う。
(おそらくは自分の身体の中に宿っている七星の血が無数の経験値を基にして、桜子の身体を、操り人形が糸でつるされている様にして動かしているに等しい。今はまだ試行錯誤の段階だが……、やがては七星桜子が取るべき最適の動きを習得するのは間違いない)
櫻一郎の体力を消耗、あるいは武器を握る力を削ぐ戦い方へとシフトしたのもそこに起因するのだろう。魔力による刃を複数同時に展開できる桜子の能力を高める直接的な要因は相手を欺く、あるいは想像の上で凌駕する発想力に起因する。
櫻一郎の刀身延長のようにシンプルにして絶対的な単一能力を得るのではなく、その場の状況、相手の戦闘スタイルに合わせる形で、千変万化の戦い方を演じられる桜子だからこそ、如何に相手を出し抜くことができるかにその本質は委ねられることになる。
繰り出される魔術刃と桜子自身が握る不可視の刃は相互に連携する形で櫻一郎へと振りかざされ、まるで立場を変えた先程の戦いを焼き直しであるかのように今度は櫻一郎に反撃する機会を与えてはくれない。
元々が櫻一郎以上に連撃に特化した桜子である。一度、攻撃のイニシアチブを与えてしまったとなれば、櫻一郎とて容易く取り戻すことはできない。なおかつ、それが七星の血の影響で、ほぼすべてにおいて最適な動きを続けているのだ。切り返す仕手としても、桜子が何かを仕損じる瞬間を待ち続ける他ない。
(だが、それでは奉さんに勝利を捧げることができない。七星の戦士として、忠誠を誓った相手に勝利を捧げられないことほど、存在価値の是非を問われることはない。命を捨てる覚悟が無ければ、今の桜子を突破することはできないか……)
刀を握る手の力は明らかに弱まっている。魔力刃に甲を切り裂かれ、腕にも無数の傷を刻まれた。桜子の連撃は櫻一郎の全身を狙っている様に見えて、執拗に櫻一郎の刀を握る腕に的を絞って攻撃を続けている。
(剣技では俺に勝てない。だから、刀を握ることができない状態に追い込めば自分が勝つことができる。ああ、まったく、度し難いほどに合理的だ。それを実現することができる技量まで含めて感服せざるを得ない……)
窮鼠猫を噛むとはよくいったものだ。先ほどまでの自分自身で思考し、行動をしていた桜子であれば御すのは容易だったが、七星の血にその身を委ねてしまった桜子の相手は片手で斬るような容易なモノではない。
「斬る、斬る、斬る、斬る、斬って、裂いて、そして勝つ―――!!」
心の中に存在している余計なぜい肉をそぎ落とし、ただ相手を滅ぼすためだけの存在へと変貌していくことこそが、七星の血へと染まること。
加速度的に跳ね上がっていく反応速度は、櫻一郎の思考を先読みしているかのごとく、次々と攻撃の始点に至る軌道へと魔力刃を放ち続け、思考をするよりも早く体を動かしつづけなければ、己の身体を切り裂かれ続けるばかりだ。
変幻自在の複数刃を用いて、相手の機動力と思考力を削ぎ落し続け、必殺の一刀を待ち続けるスタイル、櫻一郎が行動をすればするほどに、櫻一郎の行動をパターン化して、最適な行動をフィードバックする。
さながら機械のような戦い方だ。ラーニングを繰り返しながら徹底的に相手への対策を深めていく存在、決して止まることなく追求し続ける求道者のような在り方。
これこそが七星桜子という魔術師の完成形であるとばかりに一瞬、一瞬の間に古い殻を脱ぎ捨てて、新たな己へと脱皮をしている姿は千年以上の歳月を掛けて、自分たちの殺人魔術を受け継いできた七星を正当に受け継ぐ者としての貫録すらも感じられるほどであった。
「はぁ……はぁ……、斬る、斬る、斬る」
「だが、あまりにも性急すぎる。七星の血よ、お前は何も学んではいない。その血に取り込まれたものを、お前たちは結局、使い潰すことしかできない……」
ギリギリで戦闘を継続させながら、なおも力強く、しなやかに成長を続けていく桜子だが、その強さの成長幅に比例するように、彼女の呼吸そのものがあきらかに変調を来しはじめている。
櫻一郎から言わせてみれば当たり前のことだ。七星の血は桜子の総てを成長させてくれるような完全無欠のマジックアイテムなどでは断じてない。桜子自身の身体に、七星が受け継いできた膨大な戦闘経験値を蛇口が開いた水道から水を一気に流し込むように、彼女の中に染み渡らせて、再現をしているに等しいのだ。
本来であれば、無数の研鑽の時間を積み重ねながら、ゆっくりと身体に染み渡らせるべき情報を、際限なく体の中に流し込んでいけば早晩に限界が訪れるのは誰の目にも明らかである。
「時間との戦いだな……」
突破口を櫻一郎は見出す。皮肉なことに暴走し、研ぎ澄まされていく桜子の戦闘に技量で追いつくことができないと悟った櫻一郎は、あえて時間を掛けることによって桜子が消耗しきって戦う事が出来なくなることを選ぶべきだと悟る。
いや、選ぶしかない、それ以外に嵐のような猛攻を突破するための方法はない。桜子の才覚は櫻一郎を遥かに凌駕する。今、戦っている瞬間ですらも息継ぎ無しで海の中を潜り続け、深みに深みにどんどん入り込んでいるのだ。
普通に考えれば1分程度も全力解放が持てば十分に優秀だが、既に数分以上、全力解放を続けている。それだけ桜子は七星の血との調和が取れているのだろう。七星の血に抗いながら生きてきた櫻一郎には理解できない感情だ。
(七星桜の血脈を受け継いだ正統な後継者。ああ、まったく……、お前は嫉妬したくなるほどに鮮やかだ。だが、その才能があったからこそ、やはりお前は負ける。俺はいつまでもお前の戦いに付き合ってやるとも。母ほど、力を使いこなせないお前に―――)
『櫻一郎、桜子をお願いね。貴方はお兄ちゃんなんだから、桜子のことを守ってあげてね』
「――――――ッ!」
ふと、自分の中で記憶がフラッシュバックした。今の今まで記憶の片隅に放り込んでいた記憶、15年前のかつてに決戦へと赴く母を見送る際に口にされた言葉、絶対的な強者である母より口にされた言葉を当時の自分が上手く受け取ることが出来なかった。
自分もまた守られる対象であるように思っていた節はあるし、何よりどうして母が突然そのような言葉を口にしたのかも自分の中で消化することが出来なかった。
ふと、立ち止まって見ると見えてくるモノがある。もしかしたら、母は自分が戻ってくることが出来なかった時のことを考えていたのだろうか。
自分が戻らず、七星の血に苛まれる桜子を救うことができるとすれば、それはたった一人しかいないと言うことを伝えたかったのか。
(今更、そのような言葉の答えを見出すことはできない。ただ……、改めて思い出したこともある。俺が七星の家を出たのは、桜子を守るためだ。桜子が七星の血に目覚めることが無いようにと、俺は七星の家を出た)
聖杯戦争の最中で、何か大事なことを忘れていたのだろうか。あるいは自分も知らず知らずのうちに七星の血に囚われていたのだろうか。
守らなければならない筈の対象を、聖杯戦争の相手として倒す方向に考えてばかりだった己、その思考の向かう先が破滅でしかないことは、多くの七星の在り方を知っていれば容易に理解できるはずだと言うのに……、
恐るべき剣技で櫻一郎へと次々に攻撃を放っていく桜子、既に何度刃を交えたのかすらも分からないが、桜子の刃は既に櫻一郎に攻勢を後退させるほどの機会を与えようとすらしていない。
(刀を握る握力も弱くなっている。下手を見せれば、腕ごと切断されかねない……)
七星の血によってその身を動かしている今の桜子ならば、勝利するために櫻一郎の腕を切断し、完全に戦闘力を奪うくらいのことはあっさりとやってのけるだろう。
その結果として、桜子が自身の兄に消えぬ傷をつけさせたとしても、七星の血は何らフォローをすることはない。あくまでもそれは遺伝子に刻まれた経験値、それをどのように扱うのかは当人の責任によるものでしかない。
桜子の身体は無理な身体の動かし方によって、軋みを上げ、本人の消耗も大きい。長く戦っていることはできないだろうし、構わずに戦闘を継続し続ければ、筋肉は裂け、骨は砕けるかもしれない。
しかし、おそらく順当に闘っていけば櫻一郎は桜子に敗北するだろう。七星の血を完全に覚醒させ、その戦闘経験値を経て、瞬間瞬間ごとに強くなっている桜子を相手に、櫻一郎の防御が崩されるのは時間の問題だ。
(恐るべきと言う他ない。刀身を伸ばそうが、剣技の技量があろうが、それら全てを頭ごなしに否定するように、膨大な手数と最適な身のこなしで総てを制圧していく。これこそが、時代の闇の中で魔術師を狩り続けてきた七星と言う一族の本質か……)
ある意味で、櫻一郎は安心を覚えていた。もしも、この場に自分がいなかったら、あるいは自分が早々に制圧されるほどの技量しかなかったのならば、この刃は奉に対して振りかざされていただろう。
奉では最初の一撃で全てが終わっていたかもしれない。己の身を盾にして、忠誠を誓った相手を守りきれていることだけは……、櫻一郎にとっても救いだった。
(バーサーカーがいる限り、奉さんに敗北はない。もはやバーサーカーはセイバーとランサーを相手にも立ち回ることが出来ている。ならば、もはや俺の役割は必要ない……)
七星櫻一郎が神丘奉に対して、果たさなければならない役目は既にバーサーカーが果たしてくれている。ならばこそ、できることもあるだろうと櫻一郎も一つの覚悟を決めた。
(桜子をこのままにしてはおけない。力及ばなかったとしても、俺が命を落せば、もはや桜子が正気に戻ったところで、七星の運命に抗うことは出来なくなるだろう。命を奪うつもりで刃を振り上げていた男が今更何を言うのかという話でもあるわけだが……、それだけは看過できん)
「ぐっ、はぁぁぁぁ!!」
櫻一郎は全身に力を籠める。己の中に桜子と同様に宿っている七星の血を励起させ、桜子に伍するに足りない自身の経験値へと上乗せした身体捌きを発揮する。
刀身を伸ばす力を頼りに、桜子自身をあえて殺しかねない刃を放つ。桜子あるいは七星の血はその行動に反応したのだろう。ここまで攻撃一辺倒であった動きに変化を生じさせて、櫻一郎にようやく息を吐かせるだけの時間が訪れた。
「最も、代償が全くないわけではないがな」
桜子を殺しかねない一撃を放つために自分の防御を捨てて、攻撃を放った。当然、身体中の至る所に傷が与えられ、桜子自身が握る不可視の刃も切っ先が鼻を掠め、骨に近い深さまでの皮と肉を真一文字に切り裂いた。
それで済んだことを幸運に思うべきかもしれない。一歩間違っていれば、両目を切り裂かれ、既に戦うことすら不可能なほどに追い込まれていたかもしれないのだから。
いつ追い込まれて終わってしまうかもわからない状況の最中、神経と感覚だけが瞬間ごとに研ぎ澄まされていることが分かる。七星の血が櫻一郎の中で強く励起し、目の前の相手を倒せと、身体の中で雄たけびを上げているかのような感覚だった。
この感覚に総てを任せてしまえば、あるいは……桜子を凌駕することもできるのではないだろうか。基礎スペックの上で勝っている己に足りないのは、七星の血に自分を委ねることへの覚悟だけだ。
「正しく」七星であろうとすれば、幾星霜の時間を重ねて積み重ねてきた七星の戦闘経験値が己にこの状況を打破するだけの力を与えてくれるはずだ。
(いや、それはできない)
しかし、驚くほどに櫻一郎は自分の思考だけはクリアだった。今の桜子の混濁した意識とは正反対に、櫻一郎は七星の血に苛まれる身体を防波堤のように心1つで保たせている。
「桜子―――――」
「兄、さん……?」
今まさに自分の言葉に反応して、自分を兄であると認識していることに櫻一郎は安堵した。総てが全て七星の血に呑み込まれているわけではない。
桜子としての意識は残っているとしても、それ以上に七星の血が勝っている。この場で何があろうとも絶対的な勝利を桜子が求めていることの証左に他ならなかった。
「今のお前に勝ちを渡すわけにはいかない。今のお前が俺を倒せば、お前には消えぬ傷が残るだろう。母との約束がある。そのような終わり方を認めるわけにはいかない」
「母、さんと……?」
「その役目を、ロイ・エーデルフェルトに譲ることなど、さすがに看過できないな。それでは、俺が今日まで生きてきた時間に何の意味もなかったと認めなければならなくなる」
全身の感覚がマヒしかかっている、意識だけで身体を動かしているにも等しい状況、2日前のロイとの戦い以上に消耗し、例え、桜子を御したところで、もはや聖杯戦争では役に立たないであろうことも分かりきっている。
分かりきっているからこそ、この場での自分の矜持に関わることだけはどうしたって避けて通ることはできない。
「桜子、七星の血に溺れることは許されない。お前が聖杯戦争に勝つかどうかも関係ない。お前のその姿は、これまでの俺の総てを否定することになる。だから、俺はお前に負けるわけにはいかない。それが俺の戦いであると知れ」
「倒す、兄さんを、倒す。じゃないと、バーサーカーを倒せない……」
櫻一郎の言葉は果たしてどこまで届いたのかもわからない。既に桜子は実際の所、櫻一郎のことなど見ていないのかもしれない。既にその視線はその先へと向かっているとしても、総てを投げ出せるほど、意識が混濁しているわけでもない。
そして、再び激突が始まった。先ほどまでの激突よりもなお凄絶に、互いに七星の血を励起させて、己の限界以上の力を引っ張り出して、激突していく。
終わりはそう遠くはないだろう。いつまでも戦い続けていられるほど、兄妹は体力が残っているわけではない。極限まで絞り尽くした果てに、待っているのは肉体を凌駕する精神の強さか、あるいは意識すらも超越した幾星霜に詰み上げてきた殺しの技術か……
その結末が見えるのはそう遠くはない。
そして、七星同士の戦いが佳境へと突入しようとする中、もう一つの戦場もまた趨勢が見え始めようとしていた。
「もっとだ、もっとだ、バーサーカー。お前は戦える、サーヴァント二体が相手だろうが、相手がセイバーだろうが、今のお前ならば絶対に勝てる! 勝って、俺達こそが最強だと証明しろ!!」
「GURUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!」
「まさか、ここまで、凄まじいのですか、今のバーサーカーは……」
思わず、目の前の光景を疑ってしまい、ノルンは口から声が漏れてしまった。最強格の陣営であるセイバーとロイ・エーデルフェルト、ランサーに加勢する形で飛び込んだ両者を加えて臨んだ戦いではあったが、圧倒的な展開などと言うものは見えなかった。
むしろ、バーサーカーはランサーを含めた三人との戦いでも互角以上の戦いを見せ、セイバーの膂力と戦術予測に基づいた行動に本能じみた反応速度で対応している。
バーサーカーが優勢にならないのは偏に、ロイがセイバーを徹底的に援護しているからだが、ロイを失うわけにはいかないセイバーとしては、ロイに深追いをさせるつもりはない。
獣は武人の矜持など関係なく食える存在から食う。サーヴァントが残っていたとしても、追い詰められているからでもなく、ロイを喰える状況であれば食う。獣とはそういう存在だ。
そんな形でセイバーとて、戦いを終わりにするわけにはいかない。都合三度目、二度にわたって撃破する機会を逸してしまった獣に対して、セイバーはそのツケを支払わなければならない時が近づいてきていることをその身で実感していた。
「くっ、セイバー、貴方を以てしても、あれは抑えきれませんか」
「恐怖を喰らい、恐怖を以て膨れ上がる獣。げに恐ろしきはあそこまで成長を果たしたことか。我々は、あの獣を過小評価していたのかもしれない。さまざまな幸運に助けられたことはあったにしても、もはやあれは、サーヴァントの域を越えようとしている」
「GAAAAAAAAAAAAA」
セイバーの言葉を自ら証明せんとばかりに、バーサーカーが咆哮を上げて弾丸の如く飛び出す。すかさずロイはバーサーカーの動きを止めるために静止の魔術を仕掛けるが、バーサーカーはその魔術が通用しているにもかかわらず、速度をほとんど落とすことなく飛び込んでくる。
「主よ……ッ!」
ある意味で予想通りにロイに向かって飛び込んできたバーサーカーに対してセイバーがロイを守るために割って入る。
庇うようにして入りこんだ以上、セイバーに攻撃を避けるための手立てはなく、セイバーの頭を覆う鎧とバーサーカーの巨躯が激突し、セイバーとバーサーカーは共に逆方向に弾かれて、転がる。
「GUUUUUUUU」
「恐るべきはその速度と膂力、我が体躯を以てしても弾くことかなわぬか……」
「セイバー、お前……」
すぐさまセイバーは立ち上がったが、バーサーカーと激突した箇所は機械の中身がむき出しになり、火花を散らしている。これまで目立った外傷を受けることが無かったセイバーにとって傍から見ても明らかな損傷は、事態がどれほど深刻な位置にまで踏み込んでしまっているのかを端的に証明してしまうモノであった。
(………、当たり所が悪かったか。戦術予測に不具合が生じている。完璧な予測を行うことは、これでは不可能か……)
表情には出さぬものの、セイバーは起こってしまった事態の深刻さを己の中で噛みしめた。頭脳部分に発生した損傷は、セイバーの戦闘面における切り札の一つである戦術予測を司る部分に当たる箇所に障害を与えた。
結果として常に流れてきていた戦術予測が、ほとんど機能していない。これまではバーサーカーの動きにある程度の予測をつけながら、戦闘を行っていたわけだが、霞がかかった様に、これから先にこの獣がどのように動いてくるのかが全く分からなくなった。
不思議な焦燥感をセイバーは覚える。居ても立っても居られない、次に何をしでかすのかわからない相手に対して、もどかしさを覚えるような感覚。
セイバーはそれこそが、人間で言う所の未知に対する恐怖に近い感情であることを知らない。それがより明確にセイバーの中で深まれば、今度こそバーサーカーを突破するための手立ては完全に失われるだろう。
(刻一刻と状況が悪くなっていく。好転するための材料が存在していればよいのですが……、セイバーとランサーが完璧な連携をしたとしても、果たしてバーサーカーを止めることができるかどうか……)
ノルンの中にも明確な不安が生じてしまう。セイバーとランサー、どちらも一級の英霊であるのは間違いないが、際限なく強化されているバーサーカーを相手に消耗戦を続けるに等しい現状は、時間を掛ければかけるほどに敗色が濃厚になっていく。
なおかつ、桜子とロイが完全に連携できていないところにも問題がある。櫻一郎を抑える為であったとはいえ、ロイの命令ではランサーを十二分に動かすことはできない。セイバーとランサーが個々に協調しているだけでは、バーサーカーには届かないのか。
「セイバー、まだやれますね」
「無論だ、退く道理はない」
「結構、我々で何処まで太刀打ちできるのかもわかりませんが、退ける理由はありません。これが聖杯戦争である以上、私達の願いを叶えるためには、あの獣を滅ぼさなければなりませんから」
「勝算は?」
「あれの不死性さえなんとかすることができれば、我が宝具で吹き飛ばす事も出来るでしょうが……」
「容易ではないな」
セイバーとランサーにとって最大の障害は、やはりバーサーカーが何度打ち倒しても復活をすることだろう。キャスターと似て非なる不死性ではあるが、キャスター陣営はあくまでも復活をするだけだった。
バーサーカーは朽ちれば朽ちるほどに次はより強くなって復活を果たしている様にすら見える。甦ると言う行為自体が、バーサーカーと言う存在への恐怖を増長させることも事実であろう。
もはや、本来のバーサーカーとしての部分などいかほどに残っているのだろうか、その体躯も膂力も、獰猛さも不死性もあらゆるものが人々の思い描く恐怖の形によって定義されているのだとすれば、獣にとっての真実とは果たしてどれほど残っていると言うのだろうか……
捨て身で戦えば勝ちを拾えるのならば、セイバーもランサーも死中に活路を見出すだろう。元より彼らは戦争を生きぬいた者たち、死地へと飛び込むことに怖れはない。
だが、目の前の獣はその死地に飛び込む行為自体に意味があるのかもわからない。死力を尽くして倒したとしても、次の瞬間に甦ったとすれば、もはや希望は完全に奪われるだろう。
セイバーにとってもランサーにとっても、バーサーカーという存在は通過地点に過ぎないのだ。聖杯戦争はこれで終わるわけではない。命を懸けるにはあまりにも早すぎる。さりとて、バーサーカーを倒さなければ聖杯戦争に勝ち残ることはできない。
(逃げと言う選択肢はもはや取れる段階にはない。今日、撤退をすれば、明日にバーサーカーはより強大な存在へと変貌するだろう。まだ攻撃が通じている。その事実すらも明日には無力になっているかもしれないとなれば……)
この難攻不落の怪物を突破しなければ、夢を叶えることは出来ず、ロイも苦い表情を浮かべる他ない。さまざまな要因はあれども、バーサーカーを脹れあがらせた要因の一つはセイバー陣営にある。
(せめて、昨日のうちに完全に制圧していればなどと……ないものねだりをしている場合ではないか)
再び迫ってくるバーサーカーに対して、意味がないと分かっていても静止の魔術と天空から一気に放たれる魔術が次々とバーサーカーを襲う。当然に総てを避けることはできないが、バーサーカーは既にロイの魔術すらもものともしていない。
激突、セイバーとランサーが同時にバーサーカーの激突を戟とランスで受け止めるが、受け止めた側の武器が軋みを上げて、雄たけびを上げるバーサーカーを止める手段が全く見えてこない。
「なんだ、古今東西の英霊どもが集った所でこんなものかよ……」
ポツリと呟く奉の言葉はまさしく、バーサーカーがこの聖杯戦争に置いて最強の存在へと変貌したことの確信であった。
今日に至るまでに無数の手間を掛けてきた。真実に虚飾を施し、さも恐るべき何かが起こっているかのように演出を続けてきて、尻尾を掴ませないように細心の注意を払いながらも、決して予定通りには進まなかったこれまでの日々の総てが報われる想いだった。
「最強だ、俺のバーサーカーこそが最強だ。本物の絶対的な強さすらも虚飾の強さは凌駕した。なぁ、見ているか本物どもよぉ!! お前たちが見下しきった偽物って奴らの逆襲はここに実ったぞ!!」
バーサーカーは最強に成長した。成長を果たした。もはや何も怖れることはない。これまで自分たちの前に立ち塞がってきたあらゆる障害を今では撥ね退けるだけの強さを持った存在へと変貌を果たした。
セイバーとランサーを同時に相手にしても全く劣る要素を見出すことができない。むしろ、挑戦者となっているのは向こう側であろう。
自分たちが至った極点、常に引き立て役のような扱いをされてきたが、結局、明確な決着をつけられることもないままに終わりを迎えたことがここまでバーサーカーを強くしてくれた。
「此処に来るまでに養分になってくれた総てに感謝するぜ。おかげで俺達は願いを叶えることができる。ようやく本物になることができる!!」
奉は本物の人生を、バーサーカーは明確な己を取り戻すことができる。
「そろそろ終わりにするか。この滅茶苦茶気持ちのいい時間を堪能しているのもイイが、俺の終着点もここじゃない。お前らを潰して聖杯戦争最後の1人になるためにも、俺の肥やしとなって消えてくれ」
こう着状態はもういらない。欲しいのは絶対的な勝利、これまでに見下してきた総てを凌駕するほどの栄光が欲しい。さぁ、よこせ、さぁ、よこせ。それ以外の何もかもが要らない。
栄光の時をこの手に―――と、伸ばした手に掴むものが手に入ることを確信した。
『――――皆様、こんな時間に、突然の配信をさせていただいたことをまずは謝らせてください。そして、私の安否を心配してくれた皆さん、本当にありがとうございます』
栄光によって総てが手に入るのだと確信を覚えた時であった。繁華街の入り口に設置してある巨大な街頭テレビ広告の画面の映像が切り替わった。
別にそれを気に留める必要はこのタイミングで奉にはない。聖杯戦争以上に今の奉が重要視するべきことはないのだから。
しかし、どうしてだろうか。奉はそれを見過ごすことが出来なかった。何故なら画面に出ている相手の姿を知っている、詳細を知っている。そして、その相手が聖杯戦争の関係者であるとすれば、虫の知らせめいた何かが奉の中で警鐘を鳴らした。
『本当はもうTooTubeでの配信は行わないと決めていました。けれど、今回だけはどうか赦して下さい。多くの人に迷惑を掛けることになるのは十分承知しています。今だって、姿を消してしまったことで迷惑を掛けているわけですから、それでも……一刻も早く皆さんに、この秋津市で起こっていることを知らせなければいけないと思いました』
「何を、何をするつもりだ、九重円華ァァァ!!」
『九重円華―――たった一夜の復活配信、けれど、どうか聞いてください。私のたった一度の―――告白を』
「約束の時間よりもなお30分前倒し、充分に彼らへの義理は果たしましたね、姫サマ」
『せやな、後はウチらも見物させてもらおか。大女優様の名演技って奴をな。これだけの準備に手を出してやったんやから、相応のリターン支払ってもらうで』