その日、日本全国でその放送は次々と人々の目に止まった。
『ここで緊急ニュースです。数日前より失踪が疑われていた女優の九重円華さんが、数年前に開設していた自身のTooTubeチャンネルで突然配信を開始しました』
『ここからは予定を変更して、この配信の内容に繋げたいと思います』
『彼女は例の秋津市で消息を絶ったという話が出ていますよね。もしかしたら、何かを知っているのかもしれませんね』
『告白、なんて言葉を彼女のようなトップ女優が口にするんだから、そりゃ、中身も気になりますよ』
テレビの放送は次々と、その動画放送の内容へと切り替わり、ネット上では九重円華の復活配信に恐るべき速度で注目が集まり、動画の同時接続数は驚きの速さで伸びていく。
まさしく日本全国から注目を浴びているような有様であった。ネットでの動画配信を行った所で、円華のファンにとってはとても重要なことではあろうが、いくら世代トップ女優であると言っても個人の配信をいちいち気にかけるような人間は日本全国で見ればそう多くはない。
ましてや、テレビ局がネットの動画をリアルタイムで配信するなど、一国の政治情勢が動くほどの出来事が発生していない限り不可能であろう。
では、何故―――このようなことが起こっているのか。言うまでもないだろう。日本全国を動かすだけの影響力を与えることができるものなど、国家権力を置いて他にはいない。
「九重円華が私たちに要求してきたことは大きく分けて三つです。一つは先ほど済ませました。遠坂蓮司さん、あなたへの取り次ぎをし、要求を通すこと。
二つ目は、自分の動画配信を日本全国で注目を浴びることができるように、あらゆるメディアに自分の放送を優先させるように働きかけること」
「そんなことが、本当にできるものなんですか……?」
「できないことはありませんわ。言うまでもないことやけど、こちらは国家の一翼を担う神祇省の本隊、ただ放送内容を変更する程度の事であれば、無理矢理に権限を使えば捻じ込めないことはない。それでも、半日ギリギリの時間を使うことになったわけですけど」
蓮司は思わず言葉を失いかける。魔術師として聖杯戦争に参加することも非日常の一環として選ばれし者だけが体験することができる一大事ではあるが、神祇省の彼女たちが起こしていることは違った意味での非日常だ。
蓮司と彼女たちの間に明確な認識の違いを感じてしまう。蓮司からすれば唯那の語る言葉の端々に非日常を感じられてしまうのだが、彼女は全く気にしている素振りが見えない。
「私の会話なんて聞くよりも彼女の放送に耳傾けた方がいいですよ。ほら、そろそろ本題が始まるんとちゃいますか?」
『今からお話しすることを、簡単に信じることはできないかもしれません。ですが、どうか最後まで聞いてください。私はこの数日間――――秋津市で拉致監禁されていました』
蓮司や唯那と離れた席でその放送を見る学園の生徒や教師たちがどよめきを上げる。この日本で九重円華を知らない人間など、ほとんどいない。そんな彼女の言葉に誰もが衝撃を覚えた。
『秋津市は私の生まれ故郷です。仕事に悩みを覚えていた私は数日前に、自分を見つめ直すために秋津の街へと戻りました。仕事のことを忘れたい一心で会社に何も告げずに出てしまったことは、私の危機感の無さとして反省しなければなりませんが、私はそこで数年ぶりに再会した幼馴染と共に――――勢至姆組の組員に拉致され、その日のうちに……、彼らから性的な暴行……うっ、無理矢理、複数人に……犯されました』
ごくりと蓮司が息を呑んだ。思い出したように瞳に涙をにじませ、辛そうに言葉を選ぶ円華の姿は堂に入っている。それもそのはずだろう。襲った相手が違うだけで事実に変わりはないのだから。
『私は秋津市の北部にある唯一神理教の施設に閉じ込められました。その日から毎日、代わる代わるの人間の相手をさせられて、逃げ出したくても逃げ出せず、最低限の身の回りの保証はされていましたが、どんどん無気力になっていきました。何度も脅されて、何度も怖い目にあって……思い出しただけでも、寒気が走ってきます』
ショッキングな放送だが、その放送を聞く者たちの何人かは間違いなく感じた。何故、勢至姆組は唯一神理教の施設に円華を閉じ込めたのか。その疑問が湧きあがる頃合に円華は更なる情報を吐きだしていく。
『彼らは私に言いました。自分たちは唯一神理教と手を組んで国家転覆を企んでいる。その為の一歩として秋津市を支配しようとしていると……、自分たちの恐ろしさを知らしめるために何人もの人間を秋津市の中で殺して回っては、秋津市の治安を乱すために動画を流しているのだと!!』
「おい……、なんだ、あいつは何をさっきから言っている……!?」
その街頭テレビで流れる放送を聞きながら、奉は突然の事態に驚きを通り越して怒りが湧きあがってきていた。あの女は何を口から出まかせを言っている。唯一神理教と一緒に国家転覆? 自分が襲われた? その上で勢至姆組がその為に動画を流していただと?
馬鹿を言え、それではまるで―――
『ここで緊急ニュース速報です! 秋津市の指定暴力団体勢至姆組組長の勢至姆典嗣氏が、組若頭である神丘奉氏によって殺害されたという告発が同暴力団組員より警察に告発されました。加えて、告発の中には神丘奉氏の命令により、唯一神理教の教祖である鷹司唯一氏や秋津市における有力家である遠坂家の当主、遠坂煉氏にも手が及んでいるとのことで、警察は目下、その証言の裏付けを―――』
『唯一神理教内部の過激派と手を結んだのは若頭の神丘奉という人物でした。彼は私に分かりやすい広告塔のような役割を求めていたようでした。私の心に傷を与えて無気力になった私を使って、自分たちの正当性を口にさせる。そんな叶うかどうかも分からない夢物語を本気で信じていたようでした』
「ふざけるんじゃねぇぞ、これじゃあ、まるで、この街で起こっていること総てが、俺の差し金だったみたいじゃねぇか!! どれだけ嘘を重ねれば気が済むんだよ、クソアマがぁぁぁぁ!!」
『正直に言えば、死にたいと思いました。もう助かる見込みなんてないし、一緒にいた幼馴染も同じようにどこかに連れ去られました。それでも、私は今こうして皆さんの前に姿を見せることが出来ています。それは……私を助けてくれた方々がいるからです』
その円華の言葉に応える様に配信に姿を見せたのは他ならぬコルテスだった。
『我々は神丘奉によって殺害された遠坂氏に雇われた者だ。秋津市の情勢が不安定になることを危惧した遠坂氏の働き掛けで我々有志は集い、教団内部から、円華氏だけではなく、多くの人を救助することに成功した。もっとも、主犯どもを拘束するまでには至らなかったが……』
「父さん……」
蓮司は何とも言えない気持ちでその放送を見ていた。遠坂煉の死を公表する、そしてその死の原因を利用すること、それがコルテスより蓮司に提示された協力の条件だった。
神祇省が何故、円華やコルテスの行動に協力をしたのかは蓮司にも分かっている。
彼女たちは一宮梓沙の手引きによって生じた不祥事をなかったことにしたいのだ。最も簡単なことは口封じであるが、これだけの大規模な告発行為を行ったとなれば、最悪でも事実は闇の中に葬られるか有耶無耶にされる。
むしろ、国家権力を握り、自分たちに都合のいい情報を捏造することができる神祇省側からすれば、誰もが信じることができる程度の「嘘」を「真実」に変えることは容易い。
ある意味、この状況で最も得をしているのは神祇省であるのかもしれない。
蓮司にとって父の死は苦い思い出だ。梓沙の罪を帳消しのような扱いをされることは我慢がならない。けれど、蓮司は冷静に判断を下した。
失われた命よりも、今日に生きる大切な相手の命を優先することを。決断したのだ、今は自分こそが遠坂の当主であるのだから。
『今日、秋津市は逃げ出した神丘奉の一派によって次々と襲撃が起きています。私がこの配信をしたのは、皆さんに知っていただきたかったからです。私の故郷である秋津市で起こっている数々の出来事は決して理解の出来ない何かではない。人が起こした身勝手な行動から生まれたモノで、それはまもなく終わりを迎えると言うことを。
どうか、皆さん、信じてください。秋津市がもう一度、活気ある街へと戻れることを…』
それはまさしく情報の濁流のような配信であった。人々がその情報の真偽について考えるよりもなお早く次々と流し込まれていく情報、九重円華と言う社会的信用を得ている人間が放った言葉は、凡百の秋津に住む人間が口にした告発などとはわけが違う。
加えて、彼女がこの数日間消息を絶っていることはまことしなやかに囁かれ、秋津市では現在、実際に勢至姆組が大規模なテロ紛いの攻撃を引き起こしている。
円華の言葉が何処まで真実なのかなど当事者である蓮司たちを除けば誰にも分からない。ただ、少しの粗を呑み込んでしまうほどの物的な証拠が次々と出てきている。勢至姆組が今日に行った行動こそが何よりの証拠として、最後の追い風となったことは言うまでもない。
「ひどい、あんまりにも……」
「どうして、円華ちゃんがこんなことをされなくちゃいけないんだ!」
「国家転覆って本気で言ってんのかよ、意味わからねぇ、頭おかしいんじゃないのか」
「馬鹿みたいなことの為に、自分の所のボスまで殺したって事、最低の悪人じゃない」
それを受け取った人々の多くが抱いた思いは―――義憤だった。
九重円華と言う少女が自分の曝け出したくもない過去を曝け出してまで告発した内容、恐怖に怯えている多くの人の助けになればと起こした行動は、何も知らない人々に怒りの感情を抱かせた。
彼女にこのようなことをした者たちを許せない、世紀の大悪党どもは許されてはならない。危険分子は排除されなければならない。自分たちはそんな身勝手な行動の為に、連日、脅かされていたのか……
向かう怒りのベクトルが何処に向かうのかは、もはやこの際どうでもいい。重要なことは、これまで秋津市だけではなく、日本全国に轟いていた黒色の獣騒動によって生じた恐怖を発散させること。
怒りとはもっとも原始的な感情であり、同時に人々に正誤の判断を鈍らせる。それは時として、間違った方向に人を進ませてしまう要因になるが、ことこの局面においては真っ当な判断などよりも優先されなければならない空気を演出することが重要だ。
『人はどないにして恐怖を抱くのか。それはわからないから怖いんや。何が起こっているのかもわからん、自分の身近にも起こるんやないかちゅう被害妄想じみた考え、それこそが恐怖の源泉、だから、どれだけ疑わしかろうとも、未知を既知に変えてしまうことこそが最も手っ取り早く恐怖を振り払う事が出来る』
夜の闇を文明の灯によって開拓したように、未知の病を科学の進歩によって解明し続けたように、海を空を、発明によって制覇したように。未知を既知へと変えることは人類が発展とともに常に繰り返してきた行為だ。珍しいことではなく、当たり前の行為。
かつて、フランスに発生したジェヴォ―ダンの獣は、フランス王家によって獣であると思わしき存在が駆除されたことによって、人々の記憶から薄れて行った。その真偽がどうであれ、安心を与えられた人々にとって、獣はその時点で未知から既知へと変わったのだ。
円華がそれをどこまで意識したのかどうかはさておいたとしても、これが大きなうねりとなったことは間違いない。
『ほんに性悪この上ないわ、自分の立場と武器を使って、一国全体の空気を変えようとしとる。どれもこれもほんのわずかな真実を脚色した真っ赤なウソばっかりやのに、それを強引にほんまのことやと思わせるだけの気迫があるんやからな。押しつけられた側は最悪やな、今更、どんな言い訳しようとも変えられんで、これは』
何せ、円華が単独で配信をしているだけではないのだ。この10時間程度のうちに誰も知らない裏側で九重円華が口にする状況を真実にするためのお膳立ては調っている。
あと数時間もしないうちに、どこからともなく出されてきた状況証拠を裏付けるための決定的な何かが出されることは既定路線であるのだろう。
聖杯戦争という盤上だけで考えれば、間違いなくバーサーカーと言う存在は最強に等しかった。今やランサーとセイバーが束で掛かっても全く動じないその姿はおそらく、どんな手段を使ったとしても覆すことが出来ないほどの圧倒的な力だ。
故にこそ、バーサーカーは正攻法では決して斃せぬ存在だった。奉があれだけ息巻くのも無理はないだろう。日本全土に及ぼした恐怖の総数を以て最強の存在へとのし上がったバーサーカー。
しかし今、奉の目の前では信じられない出来事が起こっていた。これまで圧倒的な力でランサーとセイバーを凌駕していたバーサーカーの動きが格段に悪くなっている。いや、動きだけではない、攻撃力も耐久力も明らかに時間を経るごとに弱体化を始めている。
「ふざけんな、なんだこれは。おい、どうしてくれんだよ……」
まさに恐るべきは九重円華であろう。彼女は聖杯戦争の中では、ロイ・エーデルフェルトや七星桜子のように魔術師としての適性を何一つ持ち合わせていない。
神丘奉のように、他の誰かを動かしたりすることができる権力も持ち得ない。
だが、彼女はその容姿と名声と言う彼女にしか持ち得ない武器があり、それを十全に最適な使い方で行使することによって、目の前の逆転不能な状況を見事に変動して見せた。
まさしく、彼女のパートナーが口にしたように、円華は彼女だけが持ち得る武器を最大限に利用することで、マスターとして値千金の仕事をしたと言えるだろう。
時間を経れば経るほどにバーサーカーの動きに変化が起こっていく。メッキがはがれていくように、これまで虚飾によって積み重ねられてきた恐怖と言う力が、無理矢理に引き剥がされていく。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなよ!! どうしてだ、今日に至るまで、どれだけの時間を費やしてきたと思っている! どれだけの苦労と注意を払って来たと思っている。
それが、あんなクソアマの! 取ってつけたような嘘っぱちに、なんで塗りつぶされてんだよ!! 俺達は実際に積み上げて来たのに、あの女は嘘まみれの出鱈目を並び立ててるだけじゃねぇか!! 信じてるんじゃねぇよ!!」
奉は叫ばずにはいられない。ありえない、こんな仕打ちはおかしいだろう。聖杯戦争の中で実力が及ばずに負けると言うのならば、まだ納得は出来る。
目の前の相手のように、自分よりも遥かに強いマスターと古今無双の英霊を前に、恐怖を頼りにしてきたバーサーカーが敗北するのならば、諦めもつけられよう。
だが、円華の行為だけは容認できない。ツギハギだらけであっても、地道に積み重ねてきたのだ。聖杯戦争に参加するにはあまりにも不格好な偽物が、必死に恐怖の力を積み上げて、秋津の街に混乱を呼びこみ、ようやく他の英霊たちに及んで、それでも泥にまみれてここまで来たのに……、どうしてあの女は、嘘まみれの言葉だけで詰み上げてきた砂の城を崩していくのか。
『偽者が積み上げてきた真実の恐怖は、本物が生み出した虚構のツギハギによって駆逐される。残念だよ、奉君。悪たる総てを注がれ、善の道に迷いながらも悪へ堕ちざるを得ない君の道行きの果てに、真なる善があると期待していたが……』
誰にも聞こえぬ天の果てにて、アフラ・マズダが眼下の状況を語る。
この聖杯戦争に多くの善と悪のサンプルケースを呼び出した。善に振りきれるものもいれば、悪に堕ちる者もいる。どこまでも、己の善を信じながらも、悪の道に進まざるを得なかった男の至る極点にこそ、善はあるのではないかと心からの期待を寄せていたが……、
『鳶では鷹には勝てぬ。これもまた世の理か』
空に浮かび上がっている気配は、何もしない。彼はただの観測者、この戦いの趨勢の中で真実の善を求めるもの、まだ戦いは終わっていない。一秒、一瞬を経ながらバーサーカーの力は次々と奪われていっているが、手負いなのはセイバーもランサーも変わらず。
「まだだ、まだ勝負は終わっていない。バーサーカー、総ての恐怖が無くなったわけじゃない。セイバーとランサーを倒せ!!」
「ランサー、やれるな」
「ええ、これは千載一遇、時間を経ればどんどん弱体化を続けている以上、絶対に逃がしはしません。此処で倒す。セイバー、バーサーカーの動きを抑えてください。私の宝具で決着をつける!!」
「―――承知した」
ランサーとセイバーは互いの役割を確認し、これまでに一度も連携をした経験などないにもかかわらず、互いに最適な行動へと己を定義させていく。
「疾ッ――――!」
セイバーの戟がバーサーカーへと叩き付けられ、バーサーカーは己の身体ごと、これまでのように激突するが、先程までとは逆に、バーサーカーの身体が弾かれる。しかし、バーサーカーは自分の身体の事など一切関係なしとばかりにセイバーへと牙を突き立てる。
「生存本能か、あるいは主からの命令からか。決して退かぬつもりか獣よ。であれば、こちらも全身全霊を掛けて叩き潰すのみ!!」
先ほどまでの猛攻をそっくりそのまま叩きかえすとばかりに、セイバーはバーサーカーが攻撃を受け止めることができるかどうかなど関係ないとばかりに攻撃を続けていく。
まさしく滅多打ちと言っても差し支えないほどの攻撃をその身に叩き付けられながら、バーサーカーの士気を、体力を着実に削り取っていく。
(本来であれば、昨日の我が宝具の中でこの結末に至っておくべきだった。それすらも乗り越え、なおも恐怖の象徴たる存在へと変貌した獣、己に一度は死の覚悟を実感させた獣、容赦はせぬ。確実に破壊する!!)
先ほどまでの脅威を知っていればこそ、セイバーは一切、手を抜くようなことはしない。一撃、一撃、確実にバーサーカーの身体を引き裂き、傷つけるための攻撃が肉を削ぎ、四肢を刻んでいく。
バーサーカーも吹き飛ばされた四肢が黒い靄を浮かび上がらせて、即座に復活する。いまだに恐怖の総てが消えたわけではないことをセイバーも理解するが、しかし、今のバーサーカーはあくまでも復活を果たしているだけだ。
セイバーの猛攻を耐えきることが出来ずに吹き飛んだ身体を何とか再生させ続けながら、激突を繰り返しているだけ。
セイバーに対抗することは出来ているが、先ほどまでのように、セイバーを追い詰めるほどの膂力を発揮することは明らかに出来ていない。
獣の本能からすれば今すぐにでも逃げ出すべき状況だ。バーサーカー自身は今の己にセイバーを倒すことができる力が備わっていないことは十分に察知出来ているだろう。
だが、それでも退かない。退くことはできない。自分の後ろに、己を強くするために必死に闘っていた主がいることをバーサーカーは知っている。
言葉を交わしたことなどついぞ一度もなかった主が逃げ出さずにバーサーカーの戦いを見ている。故に逃げ出すわけにはいかない。己が逃げれば、主の命は風前の灯に晒されると分かっているのだから。
「くっ、ふざけるな、ふざけるんじゃねぇよ……、結局、結局こうなるのかよ……」
そして、バーサーカーの戦いを見ていることしかできない奉は悔しげに言葉を吐きだす。後悔の念ではない。むしろ、後悔をしているような気持ちにすらなれない。
円華に対して呪詛を吐きだしている間にもバーサーカーは必死に奉を守るために戦っていた。己が生き残るために、状況を打開するために、必死に必死に闘い続けてきていた。
それに対して、奉は何もできない。怒りを吐きだし、世の中を呪い、バーサーカーが奮起していることを見ていることしかできない。ロイや桜子のようにサーヴァントと共に戦うなどと言うことは逆立ちしてもできない。
バーサーカーと言う巨大な戦力がまともに闘う事が出来なくなってしまった時点で、それをリカバリーするための方法を奉は何一つ持ち合わせていない。
それが奉に、自分の無力さ、聖杯戦争におけるマスターとしてあまりにも落第であることを改めて痛感させる。本物であるとか偽者であるとかそういった段階へと踏み込む前に、マスターとして何もできなさすぎる。
『お前に魔術の才能はない』
『神丘の家の恥さらし』
『お前など生まれてこなければよかった』
「やめろ……やめろ……やめろ」
頭の中にフラッシュバックするのは幼少期に口にされた言葉、お前など不要だと口にされた言葉が頭に浮び、これまで自分なりに世界に刃向い続けてきた奉の足場そのものが崩れる気分を味わわされる。
「櫻一郎、何をしている! お前も加われ! バーサーカーを守れ!!」
必死に声を上げる。自分ではなく従者でなければ今の状況を変えることはできないと言うのに、奉の必死の呼びかけが通じることはない。
七星櫻一郎にとって周囲の声が聞こえる状況にはないのだ。自分自身と目の前の妹だけを見据えた世界の中でなければ、七星の血に引きずられて暴走している妹に対応しきることができない。
故に、九重円華の放送すらもほとんど耳に入っていなかった、ただ目の前の相手の攻撃の機先だけに集中し、それを己の技量と同じく七星の血による反応だけを頼りにして握りつぶしていく。
(桜子の動きに精細さが欠け始めてきている。体力の限界が近いか……!)
いかに七星の血が絶対的な力を発揮してくれるブースターであったとしても、桜子自身の身体が飛躍的に成長を遂げるわけではない。蛇口から延々と水を流し続ければ容器の中からあふれ出してしまうように、限界はやがて訪れる。
(最も、俺自身もいつまで持つのかはわからないが……、後少しだけ付き合ってもらうぞ、俺の身体)
櫻一郎も酷いものである。桜子の攻撃を常に防御し続け、無数の傷跡が浮かんでいる。身体のいくらかは既に感覚が無く、七星の血の力で無理矢理に動かしているに等しい。
そこまでしてようやく津波のような攻撃を受け止め続けることが出来ているのだ。ほんの少しでも櫻一郎に不利に働く要素が増えれば、その時点で均衡は崩れ、桜子の猛攻は櫻一郎の命にまで届くだろう。
何せ七星の血は相手を殺害するために使われるのだから。相手を殺害するまで決して止まらぬ暴走装置。逆に相手を殺害し、戦闘不能に追い込むことが出来れば、その後も暴走を続ける可能性は限りなく低い。
(七星の役割は、魔術師殺し。元より無差別に暴れまわる存在ではない。そうせざるをえないのはなりふり構わずに戦わなければ、俺を倒せないと他ならぬ桜子が理解しているからだ。ならば―――)
ここで櫻一郎が一歩前に出る。桜子に対して距離を詰め、己の刀が桜子を捉えることができる距離へと割って入る。魔力刃と実体の刃、双方が届くかどうかの距離を保ちながら、戦況を維持していたのは、一歩飛びこむことで桜子の攻撃が苛烈さを増すことが容易に想定できるためだ。
「斬る、魔術師を、兄さんを斬るッ!!」
まるで津波の中に飛び込むが如し、放たれた無数の魔力刃は櫻一郎の眼前に展開し、刀をあえて短く持ち、魔力を装填させると撫でるようにして、それらが櫻一郎の目の前で消滅する。自身の目の前に届く、ほんの僅かを見極めて斬り果たした技量、驚嘆に値するが、桜子は既にその一刀の冴えを見ていない。
「七星流剣術―――伍ノ型『桜吹雪』」
相手の魔術師の技量も技の冴えも、七星には関係ない。ただ殺す、魔術師と言う存在を滅ぼす。自分たちはその為に最適化された存在だ。決戦へと踏み込んだ相手に対して贈る返答は致死の一刀を置いて他にはない。
「ガァッ、ごほっ……」
櫻一郎の上胸部に桜子の刀が突き刺さる。そのまま、身体の中から筋肉も骨も引き裂いて、胴体を両断することだけを桜子は考えて、思考の間断などなく、実行のために腕を動かすが……
「ようやく捕まえたな」
「―――――!」
刹那、櫻一郎の声が届くと同時に、桜子の展開している不可視の刃そのものが桜子の腕から消失していく。形を保っていることすらできないとばかりに……。
「七星の魔力は、触れた魔術そのものを無力化させる。俺の身体の中に刃を通したのは、お前の早計だ。七星の血もまだまだ総てを支配できるわけではないらしい」
「兄、さん……、なんで」
その魔力刃が途切れたことが契機になったのか、桜子が七星の血を覚醒させてから初めて、明確に声を上げた。目の前の相手を櫻一郎であるとはっきり自覚しての言葉は、七星の血と桜子の意識が逆転しかけていることの何よりの証拠か。
あるいは、もはや櫻一郎を戦闘相手として認識すらしなくなったのか。どちらでもいい。大事なことは桜子が七星の血に支配されている状態から明確に意識を取り戻していこうとしていることなだけなのだから。
「お前を殺すことはできない。それは俺の人生を否定することになる。だが、俺がお前に殺されることもできない。それもまた俺の人生を否定することになる。
俺は……ただ、お前に七星ではない人生を生きてほしかっただけだ。それが母から俺に託された願いであったはずなのにな……」
家を捨て、勢至姆組の中で血生臭い世界に生きることが当たり前になって、どうして家を出たのかを忘れてしまっていた。言葉や事実としては覚えていても、何故……という問いかけの部分を忘れてしまっていた。
ロイ・エーデルフェルトが兄として、自分のことを三流と口にしたのも否定はできない。ひたむきに七星の運命に立ち向かおうとしていた妹の姿を見て、愚かであると吐き捨てた姿を、かつての自分が見れば、どう思っただろうか……。
かつて、七星の運命から妹を守るために姿を消した自分は、今の自分を見てどう思うだろうか。
「桜子、この戦いは……お前の勝ちだ。お前は俺から戦う力を奪った。だが、お前に越えられるほど、俺の剣技も人生も薄くはなかった。いずれ、お前が俺を超えることができる日に、もう一度刃を交えよう。今度こそはお前自身の力だけでな」
「兄さん……」
不思議と桜子の瞳から涙が零れていた。これまでずっと自分を否定することしかしてこなかった兄が、ようやく自分に寄り添った言葉を口にしてくれた。
その言葉を口にさせたのは桜子の力であるなどとは口が裂けても言えないけれど……、ようやく、やっと……10年前に姿を消した兄が自分の下へと戻ってきてくれた。
桜子はそう思う事が出来て、安堵の気持ちに包まれる。戦いはまだ続いていると言うのに、安らかな気持ちを覚えたのは終わりが近いからだろうか。
「ランサー……、令呪を以て告げる。この戦いに決着を―――」
「桜子……承知しました!」
桜子の手の甲から発せられた光が、魔力へと変換されて、ランサーの身体へと収束されていく。昨日に続く、二度目の令呪使用、言うまでもなくその目的は、ランサー自身の宝具解放のために他ならない。
「聖槍――――否、聖槍装甲解除、偽槍解放―――!」
声を上げるとともに純白の巨大なランスの中に収納された黄金の偽槍、王家の槍がその姿を曝け出していく。翳す槍の姿にその戦いを見ているロイも奉も、そして戦いの当事者であるセイバーもバーサーカーも目を奪われた。
黄金色の輝きは戦場総ての意識を奪うほどに鮮烈であった。かつて、カール・マルテルと言う英霊がその槍を翳し、味方には希望を、敵には畏怖を与えた時と同様に、その光は数秒先の未来をその場にいる全員に確かに想起させた。
「それが、お前の切り札か、ランサー」
バーサーカーを地面に叩き付け、戟にて串刺しとし、ランサーの注文通りにバーサーカーを釘付けにするために空中へと放り投げる。
これまでのバーサーカーであれば、空中で回転をし、セイバーやランサーへと攻撃を仕掛けただろうが、バーサーカーはもはや咆哮を上げる以外に何もできない。黒色の靄をその身に浮かび上がらせながらも、その姿に力強さを感じることはできない。
「やめろ……」
その投げ放たれた相棒の姿にこれより先の結末が見えてしまったからか、奉は声を上げる。逆転する方法を走馬灯のように浮かび上げていくが、結局そこに浮かび上がってくるものは何もない。絶体絶命、いや、もはやこれは――――
「終わるのか、俺達は……ここで終わるって言うのか」
此処に至るまでに歩んできた総ての苦しみの道はこんな場所でこんな無惨な結末を迎えるためにあったと言うのだろうか。もしも、そうであったとすれば、世界とはどこまで残酷で奉の心を苛めば気が済むのだろうか。
希望と言う餌を目の前に垂らしておきながら、その餌に手が届く時にそれは決して届かないようにとつるし上げられる。
結局、偽者では本物に勝つことなど出来ないと言うことなのだろうか。
「バーサーカーァァァァァァァァァ、お前ならやれる。お前は俺の夢そのものなんだ、夢の続きを見せてくれェェェェ!!」
「『
黄金の光が周囲を包む。叫び声すらも届かない絶大な光の奔流の中で、闇に溶け込むような暗黒色の獣の姿が光の先へと消えていく。
眩いばかりの光はそれこそが戦場に煌めく人々の祈りの結晶のようであり、それを目の前にすれば、あらゆる虚飾は虚空の彼方に消え去っていくのかもしれない。
光が全て消え果てたその時、そこには何も残らない。黒色の暴乱を巻き起こしていたバーサーカーの姿は消失し、もはや戦う術を失ってしまった奉は、茫然自失としていたが、僅かな時間の後にふらついた足取りのままに何処かへと歩き去ってしまう。
「終わった、か……」
それを追いかけることをロイはしなかった。追ったところで、もはや彼には何もできないことを悟っていたからだ。
幾度もの戦い、幾度もの激突を繰り返し、秋津市に無数の恐怖を撒き散らしてきた獣は、ついにこの時、正体すらも明かさぬ無明の闇の彼方へと消えた。
恐怖を喰らう獣の討伐はここになされたのであった。